明解PISA大事典

第38回 ViewingとReading フィンランド型教育からみた漫画、教科書の挿絵

筆者:
2010年5月21日

日本のストーリー漫画がティーンに大人気のフィンランドであるが、現時点で漫画を「よくないもの」とする論調は表立っては存在しない。これには多分に日本文化に対する敬意が作用しているような気がしないでもない。あるいは遠慮なのかもしれないが、いずれにしてもありがたいことである。

昨今のフィンランドでは、日本の漫画のみならず、宮崎アニメも大人気であり、特にメディア教育関係者からの評価が高く、さまざまなかたちで教育現場に入り込んでいる。そういった事情に関連しているのだろうが、フィンランドでメディア教育関係者と接触すると、「日本の小学校や中学校では、どのようにして漫画やアニメの制作技術も教えているのか?」という、ちょっと不思議な質問を受けることが多い。質問の意図を問うと、「漫画やアニメは日本の優れた文化であり、それを継承・発展させるための措置が義務教育の段階からなされているのではないか、というあたりに興味がある」とのこと。なるほど。この生真面目さがフィンランド人の身上である。漫画やアニメを素材として用いるだけではなく、その制作技術も小学校から学ぶ――やってみたらどうだろうか?

漫画を「よくないもの」とする論調は表立っては存在しないが、裏ではいくらでも存在する。学校の先生たちの話を聞いていると、「暴力シーンが多すぎる」という批難が多いが、「あんなもののどこがおもしろいんだ?」というミもフタもない批難も少なくない。ただ、後者の批難については、フィンランドの、特に年配の先生にとっては、日本の漫画の読みかた自体がよく分からないということに起因する部分もあるようだ。フィンランドの本はすべて左開きであるのに対し、日本の漫画だけが右開きであるため、フィンランド人が漫画を手にすると必ず裏表紙から読み始めようとする。また、日本の漫画の独特なコマ割りも、複雑怪奇というイメージを与えるようだ。

フィンランド国語教育の重鎮メルヴィ・バレ先生(1)は「漫画を読むこと自体は悪くない。だが、漫画だけしか読まない、というのを許してはならない」としている。バレ先生は日芬友好協会の古参の会員でもあり、「漫画は日本のすばらしい文化だ」と声高に主張する立場なのである(とはいえ、本人は漫画を読まない。やはり読み方がよく分からないのだそうだ)。

では、なぜ「漫画だけしか読まない、というのを許してはならない」というのか?

この点について、バレ先生はフィンランドの国語教材作法と関連付けて説明しており、なかなか興味深い。フィンランドの国語教材作法(小学校)においては、挿絵と文章の関係について詳細な段階設定がなされている。「挿絵から情報を取り出す」「文章から情報を取り出す」「挿絵と文章の情報を統合して解釈する」技能を特に重視しているためだ。

挿絵と文章の関係について、フィンランドの国語教材作法(小学校)を簡単に紹介することにしよう。

1~2年生の教科書では、素材全体に占める挿絵の比率が高く、挿絵から取り出せる情報も多い。挿絵と文章の情報を統合して一つの物語を創っていくことを重視しており、その意味では絵本の読解に近い。また、この段階では、挿絵においても、文章においても、人間と動物が同等の存在として登場してもよいことになっている(2)

3~4年生の教科書では、挿絵の比率がやや低くなるものの、「物語性のある挿絵」を付することになっており、依然として挿絵から取り出せる情報は多い。挿絵から取り出せる情報と、文章から取り出せる情報の比較が重要であるため、「挿絵からは分かるが、文章からは分からないことは何か」という課題が定番である。この段階から、文章においては人間と動物が同等の存在として登場することは許されなくなる。物語の内容が現実にありうることか、現実にはありえないことかをクリティカルに判断させるためである。ただ、移行をゆるやかにするため、3年生の前期(秋学期ともいう。8月末~クリスマスまで)の単元では、挿絵でのみ人間と動物が同等の存在として登場している教科書も存在する(3)

5年生以上の教科書では、挿絵は抽象的なイラストとなり、登場人物や場面のようすがうかがわれるような挿絵はほとんど用いられなくなる。文字情報だけを手がかりにして、登場人物や場面のようすを推論する技能を重視するためだ。ここから、挿絵や写真や図表やグラフなど、視覚的な素材から情報を取り出す技能は、メディア教育の単元へと移管されていくのである(4)

このようなプロセスを経て成長してきたのに、ティーンになって漫画ばかりを読むのは、最初の絵本の段階に逆戻りするようなものだ、とバレ先生は言う。漫画しか読まなくなると、本を読まなくなる、さらには本を読めなくなるというのは、そのあたりにも原因があるかもしれないと言う。もちろん漫画を読むこと自体が悪いのではない。漫画だけしか読まないというのがいけないのだ、と改めて強調しつつ――。

こういった議論を聞くと、なんとなく懐かしいような感じがする。いまの日本は、本も売れず、漫画も売れない時代に突入しているからである。フィンランドの漫画をめぐる議論自体は、特に日本の参考にはならない。だが、これをViewingとReadingの議論として眺めると、実に興味深いのである。

* * *

(1) メルヴィ・バレ先生については第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ

(2) 『フィンランド読解教書』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2008年)を参照。

(3) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』『フィンランド国語教科書 小学4年生』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年・2005年)を参照。

(4) 『フィンランド国語教科書 小学5年生』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2007年)を参照。

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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