2010年 5月 のアーカイブ
地域語の経済と社会 第98回
2010年 5月 8日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第98回 若い女性が方言で愛を告白『方言CD』
若い女性が自分の思いを方言で告げる、ちょっとユニークなCDが発売されています。
日本全国の北から南まで、北海道、福島、群馬、東京、京都、大阪、岡山、徳島、長崎、沖縄の、10の都道府県の方言で、①「好きです。付き合ってください」などと愛の告白をする「甘口バージョン」と、②「もうキライ、大キライ!」などとまったく逆のお叱り「辛口バージョン」の2種類が、2枚のCDに収められています。
制作したのは、Ciffon というレーベルで「妄想ボイスCD」や「お名前CD」などのシリーズを発売している、イベント企画・映像制作・音楽制作などを手がける東京の会社「NRプロ」。
甘口版・辛口版ともに、せりふには共通の基本形(各30の例文)があり、それを各県の方言にしたもの=都合600の表現が、感情をこめて語られています。
声の主は、いずれも各地域出身の若い女性の声優だとのこと。
例文は、例えば「今日はいろんな所に行こうね。○○○と○○○がおすすめ。あなたと一緒に行きたかったの」という文の○○○の個所には、地元の人たちにはおなじみの、各都道府県の代表的なデートスポットが入れられています。「えっ、○○県のお土産を買ってきて欲しい? じゃあ○○○○を買ってきてあげるね」(以上「甘口」)、「○○○○に連れて来てあげたのに感動しないなんて、変なの。信じられない。ちょっと頭おかしいんじゃないの!」「あ~お腹いっぱい。はぁ? 残したの! 私が作った○○○○を残すなんて、絶対許さない!」(以上、辛口)なども、同様に、○○には各地の代表的な場所やおみやげ、食べ物などが入っています。
ただし、方言は同じ県内でも地域によって違いがあるので、ジャケットには「方言は現在進行形で変化している上、同じ方言圏内でも市町村単位で微妙に異なるため、分類は便宜的なものと捉えてください。このCDでの方言は、あくまでもキャラクター表現の一部としてお聴きください」と、わざわざ断わり書きがしてある念の入れようです。
また、帯には「「故郷の方言が聞きてえ!」「可愛い方言で告白されたい! 叱られてみたい!」など、方言に興味がある方、特別な想いを抱いている方に最適。家族や友人に全国の方言を披露して自慢することもできます。まさに一枚で二度おいしい。」とあります。
「方言」は、気取らず飾らずの、地域社会の毎日の暮らしのことば、本音のことばだと言われます。
まして女性のほうから「好きです!」などと打ち明けられたことのない大多数の男性にとって、これは“一見の……”、否、“一聴の価値がある”はず!
はやる気持ちを押さえつつ、全編を聴いた率直な感想は……。
全体にいわゆるアニメ声と言われるもので、そういった発声に慣れた人にはおなじみでしょうが、そうでないオジサンには、実際に若い女性から告白されたり叱られたりするというリアリティーよりは、やはり作品世界での告白を聞いている、という印象のほうがより多く残りました。
期待がちょっと大きすぎたのでしょうか……。「現実は甘くない!」「過ぎたるは及ばざるがごとし……?」
(なお、感想はあくまでも個人的なものであり、作品の効能を云々するものではありません。また甘口バージョンよりも辛口バージョンのほうが身につまされる度合いが大きかったことを告白します)
《参考》「NRプロ」の公式サイトは、http://www.nrpro.co.jp/。また、このCD発売の発表イベント(秋葉原で22年1月22日)の模様は、共同通信の「47(よんなな)NEWS」http://www.47news.jp/video/akiba/post_665.php で見ることができます。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:活字離れと国民読書年
2010年 5月 7日 金曜日 筆者: 北川 達夫第37回 読書力・読解力・言語力
このところ、読書力やら、読解力やら、言語力やらに絡めたイベントが多い。この背景には国民読書年がある。実は今年は「国民読書年」である。改めて言わなければ、ほとんど誰にも通じないあたりが虚しい。
今年を国民読書年とすることは、一昨年の6月6日「国民読書年に関する決議」において衆参両院の全会一致で決議された。この決議では、人類は文字・活字によって叡智を継承・発展させてきた。だが、「活字離れ」という現状がある。そこで、読書振興のため、国をあげて努力する――と宣言されている(1)。
ただ、その実態については、奇しくも「国民読書年」に関連する一大イベント(2)の開催された4月23日に、「とくダネ!」(フジテレビ)で揶揄されていた。国民読書年にかかわる文科省の予算はゼロ。そのため、関連の財団(3)が細々とイベントなどを開催しているだけ。また、子どもの読書活動支援のために創設された「子どもゆめ基金」(4)は事業仕分けで99%縮減されてしまった。国民読書年に、これではいかんのではないか?――というのである。
これではいかんのは確かなのだが、なぜいかんのか? よく「読書は必要だ」といわれるが、なぜ必要なのか? そもそも読書とは、どのような行為を指していうのか? マンガを読むのは読書なのか、それとも読書ではないのか? これだけメディアの発達した時代において、紙媒体でなければ読書ではないのか? 新聞紙に書かれたニュースを読むことと、ネットでニュースを読むことは同じなのか、違うのか? ケータイ小説は?……このあたりを曖昧なままにしておくと、「読書は必要だ!」と主張したところで、あまり効果はないように思う。「必要だから必要なんだ」という循環論証では、なんの説得力もない。郷愁にとらわれているだけだと思われたり、出版業界のマワシモノではないかと勘ぐられたりするのがオチである。
いまフィンランドでは、日本のストーリー漫画が大流行している。4年くらい前までは英語訳の漫画が本屋に並んでいたものだが、3年くらい前からフィンランド語訳版が並ぶようになって大流行が始まった。最近では駅の売店にまで、最新刊の漫画本が並んでいたりする。学校の落書きにも、漫画の人気キャラクターが目立つようになってきた。特に中学生女子に人気のようで、私がフィンランドの中学校を訪れると、「私は漫画家になりたい。日本に留学して漫画家になる勉強をしたい。どうすればいいのか?」という質問を少なからず受けるようになった。
フィンランドの国語の先生たちは、当初は楽観視していた。「漫画を読むのも読書のうちだ」と余裕を見せていた。ところが、徐々に漫画の恐ろしさ――というか影響力の強さを思い知るようになる。だいたい、それまでのフィンランドでは、漫画といえばムーミン、アメリカ発の幼児向け漫画、あるいは新聞などに掲載される大人向け漫画くらいしか存在しなかった。若者向けの漫画は質・量ともに乏しかったので、若者が漫画にハマるということはなかった。要するに、漫画の恐ろしさ――というか影響力の強さを知らなかったのだ。漫画を読み始めた若者たちは、漫画しか読まなくなった。また、読書の習慣が身についていたはずの若者が、漫画しか読まないでいるうちに、その習慣を失うようになってしまったというのである(5)。
ことここに至って、フィンランドの国語の先生たちも「漫画だけではなく、本を読もう」と言わざるをえなくなった。そのためには、なぜ読書が必要なのか。漫画を読むことと、本を読むことがどう違うのか。なぜ「漫画だけ」ではダメなのか――といった問題を解決せざるをえない。
では、どのように解決したのか? このあたりについては、日本における国民読書年関連のイベント内容にふれつつ、次回以降で説明したい。
* * *
(1) 決議内容については、(財)文字・活字文化推進機構のウェブサイトに詳しく紹介されている。http://www.mojikatsuji.or.jp/link_5dokushonen2010.html
(2) 『子どもの読書活動推進フォーラム―国民読書年を迎えて―』於国立オリンピック記念青少年総合センター 主催は文科省と国立青少年教育推進機構
(3) (財)文字・活字文化推進機構のこと。
(4) (財)文字・活字文化推進機構が「細々と」行なっているイベントは少なからず、この基金によっていた。
(5)2009年11月、Pirjo Sinkoフィンランド教育庁国語専門官より聴取。
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
* * *
【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。毎週金曜日に掲載しています。
サーバー停止・メンテナンスのお知らせ
2010年 5月 7日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部いつも三省堂辞書サイトをご利用いただきありがとうございます。
2010年5月8日のサーバー停止・メンテナンスについてお知らせいたします。
停止時間帯: 2010年5月8日(土) 午後2時~午後5時(予定)
電源設備保守点検のため、上記の日程でウェブ・サーバーが停止いたします。これにより、この時間帯は三省堂辞書サイトのご利用ができなくなります。
ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承いただけますようお願い申し上げます。
※無事終了いたしました。ありがとうございました。
人名用漢字の新字旧字:「穣」と「穰」
2010年 5月 6日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第63回 「穣」と「穰」
新字の「穣」は人名用漢字なので、子供の名づけに使うことができます。旧字の「穰」も人名用漢字なので、やはり子供の名づけに使うことができます。つまり、「穣」も「穰」も出生届に書いてOK。でも、「穣」と「穰」の両方が子供の名づけに使えるようになったのには、微妙な歴史が背景にあるのです。
当用漢字表だけでは子供の名づけに足りない、という国民の声を受けて、昭和26年5月14日、国語審議会は人名漢字に関する建議を発表しました。この建議は、子供の名づけに使える漢字として新たに92字を追加すべきだ、というもので、この92字の中に新字の「穣」も含まれていました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、新字の「穣」が子供の名づけに使えるようになりました。
しかし、人名用漢字別表の効力は、沖縄には及んでいませんでした。当時、沖縄はアメリカ軍の軍政下にあり、戸籍制度そのものが崩壊してしまっていたのです。昭和29年3月1日、琉球政府は戸籍整備法を施行し、失われた沖縄県戸籍の再製に乗り出しました。琉球政府は昭和32年1月1日に戸籍法を施行し、さらに昭和32年2月22日には人名用漢字表を告示しました。この人名用漢字表は92字を収録していましたが、本土の人名用漢字別表とは違うものでした。新字の「穣」ではなく、旧字の「穰」を収録していたのです。沖縄では、旧字の「穰」が子供の名づけに使えるようになりました。
本土においては、しかし、旧字の「穰」は子供の名づけに使えない、と思われていました。これに対し、昭和36年12月15日、当時の栃木県今市市の戸籍事務担当者は、今市市長経由で宇都宮地方法務局長に対し、旧字の「穰」を名に含む出生届を受理してよいかどうか、照会をおこないました。法務省民事局長の回答(昭和37年1月20日)は、旧字の「穰」も受理してさしつかえないが、なるべく新字の「穣」で出生届を提出させるよう指導してほしい、というものでした。
昭和47年5月15日、沖縄は日本に復帰しました。同時に琉球政府の人名用漢字表は無効となり、本土の人名用漢字別表が適用されることになりました。沖縄でも、新字の「穣」が子供の名づけに使えるようになったのです。さらに、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、新字の「穣」も旧字の「穰」も、どちらも子供の名づけに使えるべきだ、ということになっていました。法務省民事局長の回答を踏襲する形になっていたのです。昭和56年10月1日に戸籍法施行規則が改正され、新字の「穣」に加え、旧字の「穰」も人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、「穣」も「穰」も出生届に書いてOKなのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 08
2010年 5月 2日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 07
You’re using my character!
Until now, the unseemliness of character inconsistency has been touched upon.
For example, perhaps the guy who is now a total “boss” character and uses rough and ready language, can be seen in a video of his first job interview, putting up an innocuous “nice guy” character, nervously introducing himself, and nodding vigorously at whatever the other person says. Both the boss and any people watching this video of him would feel embarrassed by it.
Even so, it shows him at a time when he was still a “nice guy” character. How did he grow up to become that “boss” character?
The answer is in our daily exchanges. In discussing various topics with him, sounding each other out in conversation, casually listening to him talk frankly whenever the opportunity arose, and listening to him explain his vast store of knowledge, we implicitly recognized that “he is higher than us,” and he became a “boss” character. Can we say we have no memory of holding him up and celebrating him? Can we say we never thought, “Let’s just let him be the boss. It’s easier for me to be the nice guy. All I have to do is look impressed and grunt at whatever he says”?
Of course, the characters we create are to some extent shaped by our personalities, but they are also adjusted and determined within these interactions. This is the largest reason for us being unable to maintain consistent characters.
Within a group of anemone fish, the largest fish is the lone female, while the second largest fish is the lone male (the rest are sterile). If the female dies, the male becomes a female, and the largest of the sterile fish becomes the new male. In that our characters are determined while adjusting to others, they somewhat resemble the male and female anemone fish.
Some years ago, I asked total strangers to make small talk with one another in order to collect data on conversations. While watching a video of these conversations, a female graduate student said nonchalantly,
”This woman has taken on the anego character.” The anego character? After seeing just the beginning of the couple’s conversation, she understood which woman had assumed the “anego” role. “That one is the imouto character.”(1)
Surprised, I re-watched the video, but even when listening to the audio and watching the gestures, I couldn’t understand it. I guess it is only clear to someone of the same gender. As much as I’d like to investigate this further, the one thing that is clear to me is that it is no good for two “boss” characters to sit side-by-side, neither adjusting to the other. This is something every high school girl who has cried “Yada, kyara kabutteru jan(2)” (Oh no! You’re using my character!) knows.
(What of our carpet salesman, you say? I’ll write about him next time.)
* * *
(1) The words anego and imouto literally mean “elder sister” and “younger sister” respectively. Apparently, these words also refer to a sort of social relationship in which the anego is the wiser, more experienced woman who advises the younger women (imouto) around her.
(2) In Japanese, kyara kaburi refers to a situation in which two or more people belonging to the same group (e.g. of friends, classmates, etc.) have similar roles or personality-types. For example, both are leaders, both are smart-alecks etc. The expression “kyara kabutteru” has a nuance somewhat similar to the English phrase “this town ain’t big enough for both of us.”
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 08
2010年 5月 2日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)“角色形象一样呀”
在之前的几节里,反复提到的是,角色形象如果不能始终如一,就会让人难以接受。
原来不相识的两个人通过几次对话录像熟悉以后,其中的一个完全做起了“老大”角色,说话时用起了对同辈以下才使用的第一人称代词“オレ(ore)”、开口闭口都是带着几分霸道的上对下口气“オレはな(Ore-wa-na (我告诉你!)我……)”,但是他们第一次录像时,这位“老大”在自我介绍时,使用的却是非常客气的第一人称代词“私(watashi)”,并且说话语气也是怯生生的 “あ、あの私、○○です(A、ano watashi、○○-desu 嗯……那个……我……我叫○○)”。而且在对方说话时,总是不断的点头,一幅无可非议的“好人”(角色)形象。不用说其本人,就是看这第一次录像的人也会感到相当难为情吧。
那么,这个人在初次录像时还是“好人”(角色)形象,到底是从什么时候开始转变成为“老大”(角色)形象了呢?
其实,这个答案就隐藏在我们的日常交往中。认识后围绕各种各样的话题聊天时,有个人在某瞬间抓住机会,非常自然地使用了随便的口气,或显示了自己丰富的学识、在高谈阔论中,让我们默认了“他比我们强”,从而登上了“老大” 的地位。但是难道我们就没有起到推波助澜的作用吗?比方说,“(他喜欢逞强)就让他当‘老大’好了,我们做‘好人’,随便表表佩服之意,随声附和附和,那多轻松呀。”这样的想法我们是不是也有过呢?没有反驳、连抬带捧,其成为“老大”当然也就顺理成章了。
我们所塑造的角色形象,虽然某种程度上是由我们的人格(性格)决定的,但这并不是全部,还有一些是如上面这样在交往中调整决定的。这就是形象很难自始至终保持不变的最大原因。
据说在小丑魚鱼群之中最大的一只是雌性,其次大的为雄性(其它的小丑鱼都为中性)。雌性死了的话,雄性就变成雌性,然后中性鱼群中最大的那条再成为雄性。在相互之间的比较调整中决定性别。我们的角色形象似乎和小丑魚世界中的“雄性”和“雌性”多少有点儿相似。
几年前,为了收录会话资料,有几次让互不相识的人在一起闲谈并录了像。一个女研究生在观察完这些会话录像后,就轻而易举地说:
“这个女生基本上是‘大姐’形象,另一个基本上也是‘大姐’形象。但在会话刚开始不久,她们俩相互稍微衡量一下后,这位保持了‘大姐’形象,这位变成了‘小妹’形象。”
我听了很吃惊,又重新看了一遍录像,可无论是从声音还是表情都难以分辨。不过对同性来说,这好像是一目了然的事情了。今后还需要再仔细调查调查,但我想持有“老大”这一角色形象的两个人如果相互之间没有调整就真的同席而坐是不好的。这是把“讨厌,形象一样(怎么)啊”作为口头禅的高中女生都知道的事情。
(嗯? 某国的地毯店? 这个下次再写吧。)
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
日本語社会 のぞきキャラくり 第88回
2010年 5月 2日 日曜日 筆者: 定延 利之「品」を語れない話し手たち
前回述べたのは、『幼児』や『若者』は「格」の上下を意識しない『ごまめ』になりがちだということ、そして、それを期待する部分が周囲にもあるということである。このように「大人たち(『年輩』『老人』)が意識することを、子供たち(『幼児』『若者』)が意識しない」ということになっているのは、「格」だけではない。「品」についても、似たことが観察できる。
たとえば、「女の人がね、ゆっくり、歩いてきてね、……」と子供が言うのはわかる。だが、「女の人がね、しずしずとね、歩いてきてね、……」と言うのは、子供(少なくとも『幼児』)のわざではないだろう。
「しずしずと歩く」とは、単に静かにゆっくり歩くことではない。「しずしずと歩く」とは、『上品』な人物、それもふつう『女』が静かにゆっくり歩くことである。それは『老人』の「よたよた」とした足取りとは違っている。また、『幼児』の「よちよち」とした歩みとも違っている。
いやいや、『幼児』の歩行をここで問題にしたいわけではない。いまここで問題にしたいのは、歩き手(表現キャラクタ)ではなく、話し手(発話キャラクタ)としての『幼児』である。『幼児』は、『上品』な『女』の動作を見ても、それを「しずしずと歩く」と表現することがない。つまり『幼児』は「品」を語れない。もちろん現実には幼児だってそれなりに上品~下品を感じる。それは私たちの幼年時代を思い起こしてみればわかるだろう。だが「『幼児』キャラ」というものは、「品」を意識せず、「品」を語らないものになっているようだ。
えっ、それは単に、「しずしず」ということばを学校で教わるのが遅いというだけのことじゃないのかって? う~ん、そうかなあ。『上品』な『女』の歩きを「しずしず」と表現する話し手としては、「大人たち」(『年輩』『老人』)を思い浮かべやすいんじゃないですか。『幼児』だけでなく、「しずしず」という言葉を知っているはずの『若者』も、思い浮かべにくいんじゃないですか。
あの、突然ですけど、神サマって、お告げとかで「女王はその時、台座へ向かって静かに歩くだろう」とは言っても、「台座へ向かってしずしずと歩くだろう」とは言わないんじゃないですか?(言うとすれば、おごそかな『神』キャラじゃなくて、かなり人間くさい神サマですよね。)
『神』が『上品』な『女』の歩きを「しずしず」って表現しないのは、『神』が「しずしず」ってことばを知らないからじゃなくて(そんなの当然知ってますよね。『神』だもん)、キャラの問題、つまり『神』は「格」が『特上』だから「品」の良し悪しを語るような俗っぽいことはしないってことじゃないでしょうか。
「品」を語るのは俗世間の人間ども、とりわけ、世俗にまみれた「大人たち」(『年輩』『老人』)のおハコであって、「子供たち」(『幼児』『若者』)にはあまりふさわしくないってことじゃないでしょうか。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
近刊案内(2010年5月)
2010年 5月 1日 土曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部クラウン日中辞典

杉本達夫・牧田英二 共編
B6判 1,344ページ ¥5,040 ISBN 978-4-385-12182-6
最新の日中辞典。すべての中国語にピンイン付き。「場面別ビジネス会話」約460例収録。
ホトトギス新歳時記 第三版

稲畑汀子 編
A6変型判 1,040ページ ¥4,410 ISBN 978-4-385-34275-7
[ホトトギス新歳時記 第三版 革装]A6変型判 1,040ページ ¥5,460 ISBN 978-4-385-34276-4
[大きな活字の ホトトギス新歳時記 第三版]A5変型判 1,040ページ ¥5,880 ISBN 978-4-385-34277-1
日本人の美意識に磨きぬかれ、四季折々の詩情豊かな季題を網羅して集大成した歳時記の最高峰!革装、大きな活字版と3点同時発売。
地域語の経済と社会 第97回
2010年 5月 1日 土曜日 筆者: 井上 史雄地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第97回「ハワイで見た日本語方言」
Japanese dialects observed in Hawaii
またハワイに行きました。ハワイの日本語は、日本国内のことばと様々な点で違っています。目に見える日本語の方言としてアンダギを写真に撮りました。サーターアンダギーと書くこともあります。沖縄方言で「砂糖油揚げ」を発音するとこうなるのです。ハワイで出版された沖縄語辞典 Okinwan-English Dictionary には、saataa’ andaagii と書いてあります。ドーナツと同じ材料をゴルフボールのような丸い玉の形に揚げたものです【図1】。
他にも、共通語と同じ名の「ダンゴ、マンジュー、モチ」などが売られていますが、中身は東京人が考えるものと違います【図2】。
これらの材料の一つがモチコです。かつてハワイの日本語の語彙集を作ったときには現地の人の解説をもとに「もち米の粉」と書いておきました。
(注)ハワイ方言語彙集 Glossary of Hawaiian Japanese は、インターネットの以下のサイトから印刷できます。http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/
そのころ、モチコは大辞典にも方言辞典にも出てきませんでした。しかし今はインターネットで検索できます。下のホームページによると、「もち粉」は「白玉粉」と材料が同じで、製造の手間の少ないものをいうようです。モチコは広島の方言かと思ったのですが、日本国内では専門語、ハワイでは日常語なのです。ラーフル(黒板消しの専門語、鹿児島などの日常語)と似ています。
http://siratamako.com/Q_siratama/index.html
ハワイのモチコについては次のページにも詳しく書いてありました。ほかにも大勢がハワイのモチコチキンなどについて書いています。こんなに情報が得られるとは、便利な世の中になったものです。
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/shokutaku/051201/
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)、『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。
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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。










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2007年









