2010年 6月 のアーカイブ

国語辞典入門:小学生向け辞典 選ぶ観点 基準

2010年 6月 30日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第24回 学習辞典を特徴づける対立軸

 学習国語辞典(学習辞典)を選ぶときに、どういう点に注目すればいいかについて、基本的なところを述べてきました。この話題のしめくくりとして、主要な点について、対立軸を設定してみます。実際に辞書を選ぶ時の参考にしてください。

 ●デザイン――マンガが多いか、少ないか
 デザインは学習辞典ごとにくふうをこらしていますが、あえて対立軸を設けるなら、紙面にマンガやキャラクターの絵が多いものと、少ないものとに分けられます。前者は、低年齢の子や、学習習慣の不十分な子にはいいかもしれません。そうでない子には少々うるさいでしょう。そのほか、大きさや重さ、表紙の材質なども判断材料になります。

 ●本文書体――教科書体か、ほかの書体か
 本文には、筆写体に近い教科書体を使うのが、多くの学習辞典の方針です。私はこれがいいと思います。デザインの面では、もっとかっこいい書体もあり、それを使う辞書もありますが、字形の学習にはふさわしくありません。学習辞典は、子どもが文字を書くときの規範になるべきです。手書きの楷書体を添えてもいいと思います。

 ●ルビ――総ルビか、パラルビか
 目下の情勢としては、学習辞典はみな総ルビ方式に向かっており、パラルビ(部分ルビ)方式は消えつつあります。ただ、総ルビにしさえすればいいと、いささか安易に考えられているふしもあります。同じ総ルビでも、内実はいろいろであることは述べました。また、高学年になれば、パラルビのほうが読みやすいと思う子もいるはずです。

 ●漢字表記――表外字を仮名にするか、漢字で書くか
 多くの学習辞典の表記欄では、常用漢字表に入っていない漢字(表外字)は仮名で書き、必要に応じて漢字を添えています。どういう場合に「必要」と考えるかは、辞書によって微妙に異なります。一方、表外字であってもすべて漢字で示す辞書も、少数ながらあります。むずかしい漢字を知りたい子にとっては、このほうが役に立ちます。

 表記欄では、学習漢字は無印、常用漢字は「○」、表外字は「×」など、区別を示してあるのがふつうです。こうしてあれば、どの漢字から学べばいいかが分かり、便利です。

複数の辞書を比べながら使うといい

 ●語釈――多くの行数を取るか、短くまとめるか
 辞書の語釈は、一般に、長く書いてあるものが好まれます。でも、語釈にまず求められるのは、その事物を的確に定義することです。誰にもぱっと分かる語釈なら、短くても十分だし、要点をつかんでいない語釈なら、長く書いてもだめです。ある辞書の「オーストラリア」の項目で、タスマニア島にまで言及していることを評価する人がいます。でも、タスマニア島に触れなくても、オーストラリアを定義することは十分できます。

 その辞書の語釈の傾向を知るには、「比較語リスト」が有効です。私の示した例も参考に、できれば10語以上のリストを作って、辞書売り場に持って行くといいでしょう。

 ●語数――多くを求めるか、抑え気味にするか
 どのくらいの語数の入った学習辞典が適当かということは、子どもの持つ語彙量によって変わります。学校や日常生活で出合うことばを引いて、載っていれば、その辞書はまず問題なく使えると考えていいでしょう。幼稚園の子が見るアニメに「あこぎ」「戦歴」「討伐」などのことばが出てきて、それが学習辞典にないと指摘する人がいます。これはアニメが学習範囲を超えているのであって、辞書を批判するのは酷な面もあります。

 ●例文――最後に示すか、最初に示すか
 ほとんどの学習辞典は、例文を最後に示しています。ことばの使い方を示すのも辞書の大切な役割であることを考えれば、例文を最初に示す行き方はあっていいと思います。ただし、語釈と例文とが紛れないように、デザインを十分くふうすべきです。

 以上のような対立軸について学習辞典をチェックしてみると、すべての点で望みどおりの辞書を得ることは、なかなかむずかしいものです。そこで、1冊だけではなく、複数の辞書を使うという方法が有効になります。

 最初は1冊の辞書をとことん使い込むべきことはもちろんですが、やがて不満も出てきます。その頃に、もう1冊の辞書を加え、両方を比べながら使うといいでしょう。

 何かの研究発表をする時、1冊の辞書に基づいて説明するだけでは、丸写しになります。でも、2冊の辞書を比べて、どちらがより適当と考えるかを述べれば、それはささやかながらも「考察」です。複数の辞書を使うことには、こんな学習上の効果もあります。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 16

2010年 6月 27日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 15

Inducement and reaction

Mrs. Niu, who had always spoken in a graceful Osaka dialect, now talks a blue streak in the speedy Tokyo dialect. Seeing this, Sachiko feels that “her personality has suddenly worsened somehow.” Why does Mrs. Niu now speak in a Tokyo dialect and deploy a “Tokyo native” character, even though it makes a bad impression on others? This is the question I asked last time.

Part of the answer to this problem can be found in my previous entry.

The reason Mrs. Niu is good at using the Tokyo dialect is that she had a lot of Tokyo friends, and Mrs. Niu continues to use Tokyo dialect now because she has a conversation partner named Mrs. Sagara, who is “a consummate Tokyo lady.” Like Mrs. Niu, we are often attracted by our conversation partners’ ways of speaking, and carried away by it.

In fact, Sachiko, upon hearing Mrs. Niu blazing away in Tokyo dialect, later says that she was “somewhat pulled into speaking Tokyo dialect” herself (Sasameyuki Vol. 3, 1947–8). Sachiko is very easily induced to speak like others. After a flood, her German neighbor Mrs. Stolz says to her, “[I hear your daughter’s school is safe.] Anata anshin desu ne” (You must be relieved) and “[I heard your younger sister went missing.] Anata no shinpai, watashi wakarimasu. Watashi, anata ni doujou shimasu,” (I understand how worried you are. I sympathize.) in halting Japanese. Sachiko replies, also in halting Japanese, “Arigatogozaimasu” (Sasameyuki Vol. 2, 1947).

In the conversations exchanged with Mrs. Sagara, Sachiko is not induced to speak in Tokyo dialect. On the contrary, she found that Mrs. Sagara “made her feel self-conscious, or rather made her feel that the Tokyo dialect was itself somehow sordid, and she intentionally tried to moderate her use of it, and use her local dialect instead.”

We will call this behavior—doing the opposite of what the other person does, just as the North end of the compass always points away from the South end—“reaction.” If “reaction” denotes the act of pulling against one another, like the North and South ends of a compass, then “inducement” by contrast is the act of being led to act in the same way as the other person. We can observe examples of “inducement” in our everyday conversation. Suppose the other person comes at you with the anego character introduced in part 8. Well, ok. I’m usually an anego character too, but today I’ll take on the imouto character to avoid clashing with her character. This is a type of “reaction.”

Sachiko is prone to both inducement and reaction with regards to Tokyo dialect. But why doesn’t Mrs. Niu react (at least as far as she is portrayed in the novel) to it, allowing herself to be led along so easily? (Again, to be continued.)

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Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 16

2010年 6月 27日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 15

吸引与排斥

总是温文尔雅地说大阪话的丹生夫人,今天却语速非常快地滔滔不绝地说着东京话,这让旁边看在眼里的幸子感到“她好象人品突然变坏了似的”。为什么今天的丹生夫人不经意地说起东京话,启动“东京人”这一角色形象,让自己的印象变坏了呢?—这是上次提到的问题。

对于这个问题,其实在上节的文章中已经做了一部分回答。

丹生夫人之所以东京话说得流利,那是因为她与东京人有很多的交往,而今天她一直说东京话也是因为与她说话的人是一位叫相良的“彻头彻尾的东京气派的夫人”。象这样,我们在交谈中,有受到对方话语的吸引(影响)而被对方牵着走的情况。

实际上,觉得东京话似乎很粗俗的幸子自己,几天后,在与滔滔不绝说东京话的丹生夫人说话时,也受到对方影响,出现了几次说东京话的场面(《细雪》下卷,1947-8)。幸子这个人本身也是很容易受到别人吸引(影响)的,比方说在一次洪水骚动中,住在隔壁的德国人史托兹(Stolz)夫人用不完整的日语和她说“(听说你女儿的学校平安无事。)你、放心了”或“(听说你不知道你的妹妹是否平安)你的担心,我、理解。我、同情你”,每次幸子也都是用外国人腔調的不完整的日語回答説“謝、謝”」(《细雪》中卷,1947)。

但是,在与相良夫人交谈时,幸子不仅没有受到其东京话的吸引(影响),而且“与其说在这样的夫人面前说东京话感觉自惭形秽,还不如说感觉东京话很粗俗,因此故意不使用东京话,而使用了本地话。”

这样行动方向故意与对方相反,就像磁铁的N极之间或S极之间互相排斥一样,在此将其称之为“排斥”。将如磁铁的N极和S极相互吸引一样,跟着对方的行动方向而行动,在此称之为“吸引”,“排斥”与“吸引”虽然成为鲜明的对照,但在我们日常会话中的却与“吸引”一样,经常可以看到。比方说,在第8节中提到的“如果对方是‘大姐’角色的话,我虽然平时也是‘大姐’角色,这次做‘小妹’角色也行啊”,这样避免‘角色’重复的行为,也可以说是一种“排斥”。

那么,幸子有时会受到东京话的吸引(影响),有时又会排斥,但为什么丹生夫人就没有排斥过(至少在书里没有这样的描写),很容易就被吸引了呢?(待续)

角色大世界――日本 17 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

日本語社会 のぞきキャラくり 第96回

2010年 6月 27日 日曜日 筆者: 定延 利之

家庭で起きること

 前回触れたように、日本の相当数の女性は電話を受ける際、それまでとは別人のように声を高めて(あるいは低めて)しゃべることがある。たしかに、電話の相手はそれでいいかもしれない。だが、傍らの人間にしてみれば、それまでとは打って変わった電話用の声を聞かされ、キャラクタを取り繕う舞台裏を見せつけられるのは妙な気分である。

 こういうはずかしいことをして平気でいられる場といえば、もちろん代表格はウチ(家)だろう。だって、家族って多かれ少なかれ運命共同体だもん。たとえ取り繕われたウソでも、ママは世間的には『上品な奥様』でいてくれた方が、パパもボクもワタシも体裁いいから、ママが電話口で声を高めてもみんな黙認だもんね。ソトヅラはとことん『紳士』だけどウチでは気むずかしい『坊ちゃん』だとか(第92回)、ソトではクールな八頭身だけどウチでは三頭身の『幼児』だとか、コンパでは上品な『お嬢様』だったのがウチに帰ったら靴も服も脱ぎ散らかして、それこそ飲み過ぎてゲロはいてるとか(第93回)、パパやボク、ワタシにしても、叩けばホコリが出たりするけど、ま、お互い目をつぶるところは目をつぶりましょう。

 いや、ウチがキャラ取り繕いの舞台裏として認知されやすい原因は、いま述べた「運命共同体」に尽きるものではないだろう。「人物Aの父親は人物Bの夫でもある」「人物Cにとっての娘は人物Dにとって姉である」というように、ウチには、職場のようなソトにひけをとらない、多様な人間関係の重なり合いがある。しかもそれらの関係は、家族(A~D)が一堂に会することによって、しばしば同時に顕在化する。その「一堂」がウチである。誰に対しても一つのキャラクタで通そうとすることの限界が、ウチではあまりに明らかなのかもしれない。

 前回取り上げたニック・キャンベル氏は、或る日本人女性の数年間にわたる膨大な日常会話データの調査もおこなっている。それによれば、話し手の声の調子は、たとえば娘相手には高い声でしゃべり、夫相手だと硬い声でしゃべるという具合に、相手が家族の中でも誰であるかによって大きく違っていたという。(Campbell, Nick, and Mokhtari, Parham. 2003. Voice quality: the 4th prosodic dimension, ICPhS2003, 2417-2420, http://www.speech-data.jp/nick/feast/pubs/vqpd.pdf)。

 そういえば川端康成の『舞姫』(1950-51)では、21歳独身の主人公・矢木品子が自分のことを「品子」「私」と2通りに呼んでいる。父親の元男(3回中3回)、母親の波子(55回中49回)、母親の助手で品子より3歳年上の、幼なじみの日立友子(7回中7回)に対しては基本的に「品子」である。他方、弟の高男(1回中1回)や、気乗りしない結婚を迫ってくる先輩の野津(5回中5回)、それから母の恋人の竹原(1回中1回)に対しては「私」と言っている。「私」の例が少なく、はっきりしたことはわからないが、この「品子」と「私」の違いは、「相手が目上か目下か」「相手が身内か否か」といったありきたりの観点では説明できそうにない。むしろ、『子供』キャラの自分を出して甘えられるなら「品子」、甘えられない、あるいは甘えたくなければ「私」と考える方がすっきりする。キャンベル氏のような科学的な手法とは比べものにもならないが、たとえば家の中で、親相手にしゃべる場合と弟相手にしゃべる場合で、品子のキャラクタが微妙に変わっているということは、ありそうな話ではないだろうか。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第105回

2010年 6月 26日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第105回「魚沼方言かるた(新潟県魚沼市)」

 魚沼市文化協会は、昨年、設立10周年記念として、「魚沼方言かるた」の作製を企画。市民から応募のあった2818句から45句を選び、同地方の風土や方言をあしらった札がそろいました。

【魚沼方言かるた】 【魚沼方言かるた】
(画像はクリックで拡大表示)

「あ」……足半[あしなか=わらぞうりの一種]と ふうこうかぶり[=頬かぶり]で 盆踊り
「ん」……んまげだの[=おいしそうだのう] 炊きたてまんま コシヒカリ

 取り札の表は、画家・田中博之さん(魚沼市特使)の絵、その裏には、句と解説が付いています。

 また、読み句のCDに、さらにもう一枚「魚沼の昔ばなし」のCDが付き、「狐火事」(堀之内)「まぼろしの鮭」(小出)ほか計6話が収められています。読み手・語りとも、魚沼昔ばなしの会の皆さんが担当。方言を中心に、魚沼地域の民俗文化の継承を願う気持ちが伝わってきます。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

大橋敦夫先生監修の本大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

つなぎ語:話題の転換2―『英語談話表現辞典』覚え書き(23)―

2010年 6月 24日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前回は話題を転換するときの表現を取り上げましたが、今回は脇道にそれることを合図する語句を考えてみます。

by the wayは、前回も述べましたように、話題の転換にかかわる代表的な表現ですが、話題そのものを換えるというより、本筋から離れることを含意する用法もあります。次例は本辞典の記述です。

3 〈本筋とは関係ない情報を付加して〉ついでながら, 話ついでに, ちなみに: He, she and I, by the way, are cousins. ついでながら, 彼と彼女と私はいとこ同士です // What makes a boomerang return? The word “boomerang,” by the way, comes from a tribe in Australia. どうしてブーメランは戻ってくるのだろうか. ついでながら, 「ブーメラン」という語はオーストラリアの1部族に由来するものです.

第1例は、たとえば、「3人がいとこである」という情報は話の本題には直接関係のないことを含意し、第2例の中心となっている話題は「ブーメランはどうして戻ってくるのか」ということです。三省堂コーパスから中心話題に戻る例をあげておきます。

“Do you have fun acting? By the way, you are cute.” “Thank you for the “cute” comment. Acting to me is the fun part.”「演技は楽しいですか。よけいなことですが、あなたはすてきですね」「ほめていただいてありがとう。そう、演技はわたしにとって楽しみなところです」

演技についての話の中に脇道にそれた会話が挿入されており、その合図としてby the wayが用いられています。

incidentallyも基本的に横道にそれることを示す語です。本辞典から引用します。

3 〈本題に付け加えて〉ついでに言うと, おまけに: Mrs. Jones came to the office yesterday, and I took her out to lunch. Incidentally, that brand-new restaurant you told me about was closed, so we had to go to somewhere else. ジョーンズさんが昨日会社に来たので, 昼食に誘ったんだ. ところで, 君が言っていた新しいレストランが閉まっていたので, 別のところへ行かなければならなかったんだよ.

次は、やや長いですが、incidentallyではじまる発話が主たる話題でないことが明らかな例です。三省堂コーパスを改変したものです。

《双子の言語習得が遅れていたことについて》“Their parents got very worried. They even sent the twins to a special school for a while, for handicapped children. But it soon became obvious they weren’t backward or handicapped at all. Incidentally, this language of theirs, they speak it incredibly fast.” “What made you interested in studying this sort of thing?” “I’m a twin myself, one of a pair, identical.”「双子の両親はとても心配になって、しばらくの間障害児のための特殊学校に入れたぐらいだったのです。が、すぐに発達が遅れているとか障害があるということではないということがはっきりしたのです。話はそれますが、彼らのことばは信じられないくらい早口なのです」「このような研究に興味を持たれたのはどうしてですか」「私自身が双子、しかも一卵性の双子なのです」

話題は双子の言語習得ですが、そのことばづかいが早いということは中心的な話題とはなっていません。

なお、by the wayにもincidentallyにもそれまでの話題から新しい話題に転換する用法もありますが、以上のような特徴からいずれも前の話題とは直接つながらないものであるという含みがあります。本辞典から引用します。

2 〈話題を変えて〉いったい, ところでねえ: I didn’t ask you to come. Incidentally, why did you come? 君に来てほしいといった覚えはないよ. で, いったい何しに来たの?

2 〈前の話題とは無関係な話題を思いついて〉話は変わるけれど, そう言えば, ところで:《会話が弾んだところで》 “What does your father do, by the way?” “He is a bank clerk.” 「ところで君のお父さんのお仕事は?」「銀行員です」


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

国語辞典入門:幼児向けの辞典・事典 絵じてん

2010年 6月 23日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第23回 絵じてんで親子コミュニケーション

 学習国語辞典(学習辞典)についての話題も、そろそろ締めくくりに近づいています。このあたりで、絵じてんについて触れておいてもいいでしょう。

 絵じてんとは、カラーのさし絵を使って、ことばの意味を子どもにも分かりやすく示した辞典(または事典)のことです。対象年齢は、ざっと幼稚園入園前の子どもから小学校低学年といったところです。

 私の娘も、幼稚園に通い始める頃から、絵じてんがお気に入りになりました。彼女はほとんど病院に行ったことはありませんが、「びょういん」のページで、「ほうたい」「しっぷ」「ガーゼ」といったことばを、絵とともに覚えたりしています。

 子どもの行動範囲はごく狭く、新しいものごとに触れる機会はわりあい限られています。絵じてんは、子どもの体験を擬似的に広げてくれる道具のひとつです。

 ことば一般を扱う絵じてんとして、『三省堂こどもことば絵じてん』、『三省堂ことばつかいかた絵じてん』、『くもんのことば絵じてん』(くもん出版)、『小学館ことばのえじてん』、『レインボーことば絵じてん』(学研)などがあります。このほか、漢字絵じてん、ことわざ絵じてん、けいご絵じてんなど、各社がアイデアを競っています。

 絵じてんの編集のしかたは、大きく分けて、ことばを意味ごとに分類したもの(分類体)と、五十音順に並べたもの(五十音引き)とがあります。どちらを選ぶかは、子どもの性格や好みにもよりますが、年齢がひとつの目安になります。

 分類体の絵じてんは、ひらがなが読めるか読めないかという年齢の子でも入っていけます。「びょういん」「どうぶつえん」「ごはんを たべる」「かいすいよくへ いく」などと、見開きが1つの絵になっていて、さまざまな事物が描きこまれ、名前が添えられています。じてんという意識もなく、絵本と同じ感覚で読むことができます。

 五十音引きは、もう少し成長した子どもにとって、よりふさわしいでしょう。1ページが8つ程度のコマに分割され、その1つ1つにさし絵つきでことばの説明が載っています。「からだ」「くだもの」「さかな」などの基本的な項目では、絵を大きくして、関連する事物を描き、分類体ふうにしてあるページもあります。

美しく正確なじてんを

 絵じてんに注文したいことは、2つあります。ひとつは、動詞の扱い方です。

 絵じてんでは、動詞は、「たべる」「おきる」などの終止形を見出しに掲げてあります。それはいいとして、絵に添えてある例文までも、「ごはんを たべる」「あさ はやく おきる」など、すべて終止形になっています。ところが、幼児の言語生活では、こういった終止形は必ずしも多く使われません。

 ある絵じてんを見ると、「たべる」の項目に描かれているのは、実際は、子どもがご飯を「たべている」ところです。「おきる」に描かれているのは、子どもが今「おきた」ところです。親が説明するとき、「これは『ごはんを たべる』だよ」と言うよりも、「ごはんをたべているね」と言い直したほうが、子どもにはよく分かります。

 終止形も大事ですが、見出しだけで十分でしょう。例文は、状況に合った語形を使ってほしいと思います。終止形の続く例文は、読んでいて単調でもあります。

 もうひとつは、より重要なことです。絵じてんの絵は、美しく正確であってほしいということです。

 子どもは勉強しようと思って絵じてんを見るのではなく、まずは絵が美しいから、楽しいから読むのです。絵本と同じで、絵の美しくない絵じてんは、子どもの注意を引き止めません。わが家に数種ある絵じてんのうち、娘がいつも読んでいるのは、私の目から見ても絵の美しい本です。

 美しい絵と、正確な絵というのは少し違います。たとえうまく描いてあっても、漫画的に誇張されて、不正確になっている場合もあります。虫や鳥がそんな描き方だと、「これはバッタだよ」と、そのまま教えていいものか、ためらわれます。

 形だけでなく、色も重要です。娘に「オレンジジュース」と書いてある飲み物の絵を指して、「これは何色」と聞くと、「赤」と答えました。たしかに、その色はオレンジよりも赤に近い色です。やむをえず、トマトジュースということにしてしまいました。

 絵が美しく、例文もよく練られた絵じてんを選んだとすれば、あとは、それを生かすも殺すも親次第です。「これは何?」「これは前に食べたね?」などと質問したりして、ことばを媒介に、親子のコミュニケーションを深めていければ言うことなしです。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(最終回)

2010年 6月 22日 火曜日 筆者: 安岡 孝一

常用漢字表の改定と人名用漢字(最終回)

(第3回からつづく)

「呪怨」ちゃんの出生届

「悪魔」ちゃん命名事件は、司法判断上は尻切れトンボに終わったのですが、戸籍行政においては大きな意味がありました。「悪魔」のような名が付けられた出生届を戸籍窓口は受理すべきでない、という先例が法務省によって示された(平成5年9月14日)ことになるからです。

したがって、萎彙咽淫鬱怨苛楷潰諧骸顎毀嗅惧憬股錮喉乞傲痕挫斬恣摯餌𠮟嫉腫呪羞尻脊腺箋狙踪唾綻緻嘲捗溺妬賭貪丼罵剝氾膝訃璧蔑哺麺喩瘍沃拉辣慄賂弄籠(字体は第1回を参照)の66字が常用漢字表に追加されたとしても、「呪怨」ちゃんの出生届を、役場の窓口は受理しない可能性が高い、ということです。あるいは一旦、受付はするものの、出生届の受理は保留し、法務局経由で法務省にお伺いをたてる可能性もあります。

ただし、これら66字を出生届に書けない、というわけではないところに注意が必要です。しかも、出生届が受理されてしまえば、たとえそれが命名権の濫用にあたるとしても、その名が戸籍に登載されることになるわけです。

「龍」の1画目

joyo4-ryu.png改定常用漢字表は、これまでの常用漢字表のうち1940字を引き継いでいますが、丸カッコに入った康煕字典体の中には変更されたものがあります。その中で、微妙に問題になりそうなのが「龍」の字体です。

現在、常用漢字表の「竜」には、丸カッコ書きで「龍」が添えられています。つまり、「竜(龍)」となっているのですが、この「龍」の1画目は横棒です。現時点での人名用漢字においても、やはり「龍」の1画目は横棒です。ところが、改定常用漢字表の「竜(龍)」では、「龍」の1画目は縦棒になっているのです。この結果、人名用漢字の「龍」の1画目を縦棒に変更するか、それとも横棒のままでいくか、という点が、今後、微妙に問題となります。

ただし、法務省民事局は、「龍」の1画目が横棒であっても縦棒であっても「同一字体」とみなして取り扱ってよい(平成17年8月3日)、としていますので、人名用漢字の「龍」の1画目が縦棒になっても、取扱上は変更されないかもしれません。

合計2997字に

結局のところ、常用漢字表の改定にともない、子供の名づけに使える漢字が66字ほど増えることになりますが、でも、それら66字は、名前にはあまりふさわしくなさそうな漢字ばかりです。一方、「痩」と「龍」には微妙な変更が加わる可能性があり、最終的には合計2997字が子供の名づけに使える漢字になりそうです。ただし、改定常用漢字表の内閣告示までには、まだ半年近く時間があります。その間に新たな動きがあった場合には、また、このページでお伝えすることにいたします。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(29)

2010年 6月 22日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(29) 職曹司時代「5月の御精進のほど」~ホトトギスを尋ねて~

 職曹司での長期滞在は、内裏ではなく大内裏にとどまっていた中宮定子の当時の微妙な政治的立場を示していますが、職曹司時代の章段には、清少納言をはじめ定子後宮の女房たちが生き生きと描かれる印象的な話がたくさんあります。その中から、まず、「5月の御精進のほど」で始まる段を紹介しましょう。

 『枕草子』には、5月の描写が多く見えるので、5月は清少納言が好んだ時節だったと考えられています。現代では初夏のさわやかな頃ですが、旧暦の5月は、現在の6月半ばから7月の緑深まる盛夏であり、同時に梅雨の季節にもあたります。天候不順で体調を崩しやすい時期なので、正月、9月とともに精進期間が設けられていました。

 そんな5月の初め頃、清少納言がホトトギスの声を尋ねに行こうと言い出します。ホトトギスは夏を告げる鳥として、古来和歌に詠まれてきました。清少納言はこの鳥が大好きで、「鳥は」の段で、ホトトギスの素晴らしさを力説しています。

 清少納言の提案に、退屈していた女房たちは乗り気になって目的地をあれこれ考えます。誰かが賀茂神社の奥あたりにホトトギスが鳴いていると言うので、そこに行こうということになり、5月5日の朝、車を調達して清少納言たち女房4人が乗り込みました。当時の牛車は4人乗りなので、乗りそびれた女房たちはもう一台、車を要求しますが、それは定子に制止されてしまいます。

 さて、清少納言たちの車は大内裏の北の門から一条大路に出て、左近の馬場で端午の節句に行われる手番(てつがい=騎乗して弓を射る競技の演習)に行き当たり、それを見過ごして進みます。ちょうど1カ月前に葵祭り見物に出かけた道筋だったので、祭りの時の賑わいが思い出されます。

 到着した所は高階明順(たかしなのあきのぶ)の家でした。明順は定子の母方のおじにあたります。そこは京郊外の別荘で、建物の造りや調度類をわざと田舎風の趣向に揃えてあります。折しもお目当てのホトトギスが五月蝿いくらいに鳴き合っています。

 明順は、中宮方から来た訪問客のために余興を用意してくれます。それは、近所の農家の若い男女を招集して行った稲こきの農作業でした。石臼の作業は、清少納言たち女房にとって、「見も知らぬくるべく物(見知らぬくるくる回る物)」であり、「めづらしくて笑ふ」見物でした。貴族女性は普段の生活で庶民の労働を目にする機会がなかったことが分かります。さらに明順は、みずから摘み取った蕨を供応するなど、田舎風の食事を演出し、清少納言たちをもてなしてくれました。

 そのうち雨が降ってきたので、女房たちは急いで車に乗りますが、その時、清少納言が、「さてこの歌は、ここにてこそよまめ(ところで、ホトトギスの歌は、この場所でこそ詠みましょう)」と言っています。つまり、ホトトギス探索に出たからには、当然ホトトギスの和歌を詠んで持ち帰るというのが、定子後宮の暗黙の了解事で、それが代表メンバー4人の使命だったのです。

 この時、同行の女房が、「ままよ、帰り道の途中ででも詠んだらいいでしょう」と言ったので、そのまま車に乗り込んでしまうのですが、その後、次々と詠歌の機会を逸すことになり、ある事件に発展していきます。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第3回)

2010年 6月 21日 月曜日 筆者: 安岡 孝一

常用漢字表の改定と人名用漢字(第3回)

(第2回からつづく)

さて、「呪怨」ちゃんの出生届は受理されるでしょうか。そのヒントとして、平成5年に起こった「悪魔」ちゃん命名事件を見てみましょう。

悪魔ちゃん命名事件

平成5年8月11日、昭島市役所に、子供の名を「悪魔」とした出生届が提出されました。子供の父親は事前に、「悪魔」が受理可能かどうか昭島市役所に問い合わせていて、問い合わせの回答どおり、この出生届は受け付けられました。8月12日、昭島市役所が東京法務局八王子支局に受理の是非を問い合わせたところ、問題なしとの回答を得たので、昭島市役所は「悪魔」を戸籍に登載しました。

ところが8月13日になって、東京法務局八王子支局から昭島市役所に出生届の受理を保留するよう連絡があり、9月14日には法務省民事局から、「出生子の名を『悪魔』として届出された出生届の処理については消極に解すべきであり、届出人に新たな出生子の名を追完させることとし、届出人が追完に応ずるまでの間は名未定の出生届として処理すべき」との回答が戻ってきました。これを受けて、9月27日には東京法務局八王子支局から昭島市長に、出生届を「名未定」として扱うよう正式の指示が来ました。これにしたがって、昭島市長は戸籍の「悪魔」を赤線で抹消し「名未定」とした上、10月4日には父親に対して、名の追完届を提出するよう催告しました。

これに怒った父親は、一旦「悪魔」と名づけた出生届を受理しておきながら勝手に「名未定」として扱われるのは不服である、として、昭島市長に「悪魔」を戸籍に記載させるよう、平成5年10月20日、東京家庭裁判所八王子支部に家事審判を申し立てました。これに対し、平成6年1月31日に東京家庭裁判所八王子支部が下した審判は、非常に変わったものでした。子供に「悪魔」と名づけるのは命名権の濫用であり、本来は出生届を受理されなくてもやむを得ないケースだが、ただし、本件においては出生届は受理されてしまっているのだから、一旦受理してしまった以上は、昭島市長は戸籍に「悪魔」と記載すべきであって勝手に「名未定」にするのは許されない、というのが審判の内容でした。結果だけ見れば父親側が勝ったのですが、内容的には「悪魔」は命名権の濫用である、という判断だったのです。

この命令に対し昭島市側は、東京高等裁判所に即時抗告しました。「悪魔」が命名権の濫用であれば、そもそも昭島市側の判断は間違っていなかったはずだ、という主張でした。「悪魔」ちゃんの出生届をめぐる争いは、高等裁判所の抗告審に移ったのです。

ところが、父親は平成6年3月14日、昭島市長に対して子供の名を「阿久魔」に変更する旨を打診しました。しかし、昭島市長がこれに難色を示したことから、5月30日、父親は子供の名を「亜駆」とした追完届を昭島市長に提出、昭島市長はこれを受理し「亜駆」を戸籍に登載しました。同時に父親は家事審判申立を取り下げ、昭島市長もこれに同意したことから、即時抗告審(東京高等裁判所平成6年(ラ)第134号)は、未決のまま終結することになりました。

(最終回「呪怨ちゃんの出生届」につづく)


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 15

2010年 6月 20日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 14

Mrs. Niu’s change of character

Mrs. Niu, whom she had known for a long time, used to be a gentle soul.

Now, it’s as though she’s a different person. The way she used her eyes, the way her lips curved, even the way she held her cigarette between her index and middle fingers when smoking; Sachiko Makioka, who was with her, felt that Mrs. Niu’s personality suddenly seemed to worsen somehow. These descriptions are from Junichiro Tanizaki’s Sasameyuki (Vol. 1, 1944).

What on earth happened to Mrs. Niu?

In fact, Mrs. Niu began speaking in the Tokyo dialect, possibly due to her friendship with Mrs. Sagara, “a consummate Tokyo lady.”

Among the Hanshin(1) ladies, Sachiko too was able to use the Tokyo dialect fairly fluently. However, Mrs. Niu, while a native of Osaka, spent her school years in Tokyo and through spending a lot of time with her Tokyo friends mastered the art of rapidly speaking in the Tokyo dialect to “such an extent” that Sachiko says “She’s like a different person, and I’m disinclined to relax around her.” She even feels that “the Tokyo dialect is somehow sordid,” and “hearing it spoken irritates me.”

What this example indicates is that words are not simply a media. The argument that only the content of what is being said matters, whether in Tokyo dialect or Osaka, does not work generally.

The question of whether Mrs. Niu speaks in Tokyo dialect or her native Osaka dialect is a matter of her personality. It is a matter of whether or not she becomes “a different person.” In other words, it is a matter of character.

It seems that the “Tokyo native” character that Mrs. Niu deploys was seen as particularly aggressive and unstylish in the Showa-era Hanshin region, and Ashiya, where Sasameyuki is set, specifically. In today’s Hanshin region, one might still find, in certain corners, this sort of reaction to people who speak in the common dialect instead of Osaka dialect, however this is not normally the case any more. The context of this change, which has occurred in the Hanshin region within the last 50-odd years, is the saturation of the region with Tokyo dialect as the major common language, and the accompanying decline in status of the Osaka dialect.

However, I wish to address a different issue here.

Although Mrs. Niu’s standing among others is greatly worsened, why doesn’t she notice, and why does she unconcernedly transform herself from an “Osaka native” to a “Tokyo native” character? (To be continued.)

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(1) Hanshin is another name for the Osaka/Kobe area.

An Unofficial Guide for Japanese Characters 16 >>

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 15

2010年 6月 20日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 14

丹生夫人角色形象的改变

说到丹生夫人,和她交往至今已经有很长时间了,她给人的感觉总是那么温文尔雅。

但是今天,她完全没有了这种感觉。无论是眼神,还是嘴角的蠕动,甚至是抽烟时食指和中指夹烟的方式,都使同席的莳冈幸子不知怎么觉得她的人品好像突然变坏了。这是谷崎润一郎写的《细雪》(上卷,1944)中的一段。

那么,丹生夫人到底是怎么了?

其实,也许是因为陪着一个叫相良的“彻头彻尾的东京气派的夫人”的缘故,今天的丹生夫人说的都是东京话。

幸子在阪神间(以大阪、神户为主的大阪圈)的夫人们之中,也算得上是公认的会说东京话的人。而丹生夫人虽说是大阪人,却是在东京上的女子学校,跟东京人有很多交往,但仅此却能快速地滔滔不绝地说一口纯正的东京话,到了“怎么能说得这么好”这种让人惊讶的程度。这让幸子觉得“她简直判若两人,让人难以亲近”。而且甚至有了“不知怎么觉得东京话好像是很粗俗的”、“听她说话就让人变得焦躁起来”等感觉。

由这个例子可见,语言并不仅仅是传达信息的媒介而已。在传达内容时,东京话和大阪话哪个都可以的这种想法基本上是不可行的。

丹生夫人是说东京话还是说大阪话,这既是与夫人“人品”有关的问题,也是是否变得“判若两人”的问题,也就是角色形象问题。

《细雪》的舞台背景是昭和初期(昭和:1926年~1989年)的阪神地区,而且是富人区的芦屋市,对于那个时代的那里的人来说,丹生夫人所启动的“东京人”角色形象也许显得不甚委婉柔和、毫无气质。现在的阪神地区,很多人在正式公众场合,说的不是大阪话而是普通话、或是有意要说普通话,在这里即使说了东京话,以前那样的对待方式……或许多少有些微妙之处,但一般不会出现。在这半个多世纪里,阪神地区之所以产生这些变化,其背景之一当然是以东京话为基础的普通话向阪神地区的渗透,大阪话地位的随之降低。

但是我在这里想说的,却是另一个问题。

那就是,会让自己的评价大大降低这样重要的事情,为什么丹生夫人没有发现,那么简单地就把自己的角色形象从“大阪人”改变成“东京人”了呢?(待续)

角色大世界――日本 16 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

日本語社会 のぞきキャラくり 第95回

2010年 6月 20日 日曜日 筆者: 定延 利之

電話口で起こること

 「コミュニケーションやことばの研究に、キャラクタという考えを取り入れる必要がある」という新しい考えを、皆(一般の人たちだけでなく、学問的背景を異にするさまざまな研究者や同業者も含む)に理解してもらうには、どうすればよいだろうか?

 私自身は前回述べたように、手を変え品を変え、さまざまな実例を示して、キャラクタという考えの必要性を皆に直感的に「思い当たってもらう」ことこそが現時点の私にできる最善のやり方だと考え、この連載ではまさにこれを実践している。

 だがもちろん、私の考えは私の考えに過ぎない。キャラクタという考えの必要性を「科学的」に示そうとする試みも実は始まっている。たとえば、モクタリ・明子&キャンベル・ニックの共著論文「人物像に応じた個人内音声バリエーション」(岡田浩樹・定延利之(2010編)『可能性としての文化情報リテラシー』(ひつじ書房)所収)は、或る1人の話し手がさまざまな相手と電話で対話した際に発した30個の音声を収録し、この音声を使って行った実験を報告している。その報告を私のことばでわかりやすく言えば、次のようになる。

 実験の被験者として選ばれたのは、この話し手やその対話相手とは何の面識のない人たちである。この被験者たちに「ここに30個の音声があります。これらを一つ一つよく聞いて、音声を話し手別にグループ分けしてください」と指示したところ、もちろん本当はこれら30個の音声はたった1人の話し手の声なので分けようがないはずだが、被験者たちは見事に全員、その30個の音声を複数のグループに分けてみせたという。さらに、「それぞれのグループの音声を発した話し手は、どんな人だと思いますか?」と被験者たちにアンケートでたずねると、被験者たちは、グループごとに年齢層・外見などが異なる話し手像をちゃーんと答えたのだそうだ。最後に「実はこれ、全部1人の人の声です」と告げたところ、被験者たちは皆、大変驚いた様子だったという。

 これらの結果が示しているのは、「1人の話し手が相手に応じて発するしゃべり方のバリエーションが、被験者たちの想像をはるかに超えていた」ということである。逆の言い方をすれば、被験者たちは、「話し手は相手に応じてしゃべり方をさまざまに変える」ということぐらいはおそらく承知していたとしても、そのバラエティを現実よりも遙かに低く見積もってしまっていたということになる。被験者たち、いや私たちは、なぜ、こんなにも現実と合わない、低い見積もりを持つのだろうか?

 それは、私たちがふつう、「良き市民」としてお約束の世界に生き、或る種の考えを受け入れることに慣らされているからではないか。「いま私の目の前でしゃべり、行動しているあなたは、まさにそのような人物なのだ、したがっていつでも、どこでも、あなたはそのような人物なのだと私は信じる。「いま私の前ではこんな感じだけど、私がいないところではどうだか」などとは私は思わない。私のことも、まさにこのような人物なのだと信じてほしい。あなたや私だけではない。人は皆(少なくとも私たちのお知り合いは皆)、それぞれの人格のままに、「素」で行動し、「素」でしゃべっているのだ」という考えを受け入れることにして、「変わらないことになっているだけで、本当は変えられるし、実際しばしば変わる」などといういかがわしいキャラクタの存在はきっぱり否定する、どころか思い至りもしないようにして生きている(社会的に生きるとはそういうことだろう)から、現実と合わない見積もりを平気で保持できているのではないか。

 電話での対話といえば、かかってきた電話を受ける際に、日本の女性(その中心は主婦と言えるだろうか)は、それまでの声とは全く別人のような、ことさらに高い明るいヨソユキの声で「はいもしもし、○○でございます」などと始めることがあるようだ。私ならこの声の変化を持ち出して、キャラクタという考えの必要性を読者に「思い当たってもらう」のをねらうところだが、これは実は「ことさらに低い(落ち着いた)声で話し始める」という逆の女性も少数ながらおり、そう一概には言えないようだ。というわけで今回は、キャラクタに関する「科学的」アプローチの例を紹介するついでもあったことだし、親しい研究仲間のフンドシで相撲をとらせていただいた。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第104回

2010年 6月 19日 土曜日 筆者: 山下 暁美

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第104回「おいしい方言(山形県)」

(写真はクリックで拡大します)
【写真1】「んまい」 【写真2】「なんじょだべ」
左:【写真1】「んまい」右:【写真2】「なんじょだべ」

 今回は、しりとりゲームが終わらない県、山形県の「おいしい方言」をご紹介します。山形県では、しりとりでうっかり「ん」で言い終わっても、「しまった!」とあわてず、つぎの人が、「んまい」【写真1 おいしい】と続ければいいんです。反対の意味を表す「んまぐねぇ」(おいしくない・よくない)でもいいです。ほかに「う」が「ん」に置き換わる例として、「んだば」(それじゃ、さよなら)などがあります。

 山形弁は、鼻音、濁音を多用すると何となくそれらしく聞こえます。というわけで、フランス語と似ているという人もいます。筆者が知っている人で、山形弁とフランス語がじょうずだと自信を持っている人がいて、確かにフランス語の発音で少し得をしているように聞こえます。(しかし、フランス語が通じることとフランス語らしく聞こえることとは違います)

【写真3】「やさいだす」 【写真4】「やさいだす」
左:【写真3】右:【写真4】「やさいだす」
【写真5】「ままけは(飯喰は)」
【写真5】「ままけは(飯喰は)」

 「なんじょだべ」【写真2】は、「いかがでしょうか」という意味です。「なん(何)じょ(ぞ)」は、「どんな」と置きかえることができ、それに「だ(です)」「べ(か)」がついた形と考えられます。

 山形弁の特徴は、ほかにもあって、「し」「す」と「ち」「つ」の区別をしません。「やさいだす」【写真3・4 野菜だし】はその例です。「知らない」が「スらない」となり、「好き」は、「しぎ」と変化します。

 「ままけは(飯喰は)」(ごはんですよ)【写真5】の「け」は「食べなさい」で、一字ですんでしまいます。「け」と言われたら「く」(食べる)と答えたり、「かね」(食べない)と答えたりします。短くて余計なエネルギーを使わないので経済的です。「わらわら」は「急いで・さっさと」の意味です。

 んだば

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『海外の日本語の新しい言語秩序―日系ブラジル・日系アメリカ人社会における日本語による敬意表現』『書き込み式でよくわかる 日本語教育文法講義ノート』山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第2回)

2010年 6月 18日 金曜日 筆者: 安岡 孝一

常用漢字表の改定と人名用漢字(第2回)

(第1回からつづく)

「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」

常用漢字から削除される「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」の5字は、そのままの字体で、人名用漢字に追加されることが予想されます。これら5字は、戸籍法第50条で言う「常用平易」な漢字として認められてきたものですから、新しい常用漢字表が告示されたからといって、ある日、突然「常用平易」でなくなってしまうとは考えにくいからです。つまり、これまでどおり、「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」は出生届に書いてOKとなるでしょう。

人名用漢字から「昇格」する129字

常用漢字表に新たに追加される196字のうち、挨曖宛嵐畏椅茨唄媛艶旺岡臆俺牙瓦崖蓋柿葛釜鎌韓玩伎亀畿臼巾僅錦串窟熊詣稽隙桁拳鍵舷虎勾梗駒頃沙采塞埼柵刹拶鹿袖蹴憧拭芯腎須裾凄醒戚煎羨詮膳遡曽爽捉遜汰堆戴誰旦酎貼椎爪鶴諦塡藤瞳栃頓那奈梨謎鍋匂虹捻箸汎阪斑眉肘阜蔽餅蜂貌頰睦勃昧枕蜜冥冶弥闇湧妖藍璃侶瞭瑠呂麓脇(字体は第1回を参照)の129字は、人名用漢字がそのまま常用漢字になります。つまり、これら129字は、人名用漢字からは削除されますが、今後は常用漢字として子供の名づけに使えるということになります。なお、129字のうち「曽」については、新字の「曽」は常用漢字となるものの、旧字の「曾」は人名用漢字のままで、継続して子供の名づけに使える予定です。

「痩」と「瘦」

微妙な問題を含んでいるのが「痩」です。現在、人名用漢字に収録されているのは旧字の「瘦」なのですが、今回、新たに常用漢字に追加されるのは新字の「痩」なのです。現時点ではっきり決まっているわけではありませんが、新字の「痩」と旧字の「瘦」に関しては、新字の「痩」は常用漢字として、旧字の「瘦」は引き続き人名用漢字として、今後は両方とも子供の名づけに使えることになると思われます。

人名用漢字になかった66字

常用漢字表に新たに追加される196字のうち、残りの66字、すなわち萎彙咽淫鬱怨苛楷潰諧骸顎毀嗅惧憬股錮喉乞傲痕挫斬恣摯餌𠮟嫉腫呪羞尻脊腺箋狙踪唾綻緻嘲捗溺妬賭貪丼罵剝氾膝訃璧蔑哺麺喩瘍沃拉辣慄賂弄籠(字体は第1回を参照)は、これまで人名用漢字に含まれていなかった漢字です。これら66字は、今回、新たに常用漢字表に追加されることで、子供の名づけに使えるようになります。でも、「怨」だの「呪」だの「妬」だの、子供の名前にあまりふさわしくなさそうな漢字ばかり並んでますね。たとえば子供に「呪怨」と命名したとして、その出生届は果たして役場の窓口で受理されるでしょうか?

(第3回「悪魔ちゃん命名事件」につづく)


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

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