日本語社会 のぞきキャラくり

第93回 権威ある有名どころの不自然な文章(中)

筆者:
2010年6月6日

前回取り上げた坂口安吾の『不連続殺人事件』は、数件の殺人事件とは別に、もう一つの衝撃的な「事件」が女中の口から語られる点でも忘れがたい作品である。それは「お嬢様ゲロはき」事件である。

 泣き出した珠緒さんを抱くようにして、あやかさんが連れ去る。十分ほどして戻ってくると、追っかけて女中がやってきて、
「奥様、お嬢様はゲロはいて、苦しみなすっていますが、海老塚さまに」海老塚はムッと顔をあげて、
「バカな。ヨッパライの介抱に医学者が往診するなんて、女王様だってありゃせん。さがれ」凄い見幕だった。

[坂口安吾(1947-48)『不連続殺人事件』]

うーむ。果たして「お嬢様」が「ゲロはいて」よいものであろうか。発話キャラクタと同様(第56回)、表現キャラクタに関しても、一貫した形で現れるのが通例だとすると、「お嬢様は」と来れば、それに続くのは「ご体調を崩されて」ではないだろうか。うんとリアルに述べたところで「召し上がったものをお戻しになって」あたりであって、「ゲロはく」はないだろう。逆に、どうしても「ゲロはいて」と言いたいのなら、その主体は「お嬢様」ではなくて、特に取り立てて「品」が感じられない「珠緒さんは」、あるいは「あの人は」ぐらいで表現されるのがふつうではないか。

権威ある有名どころの文章が不自然だという例はまだまだある。たとえば壺井栄(1952)『二十四の瞳』では、三児の母とはいえ、まだ若いヒロインが「こまりますな」としゃべっている。「~ますな」だって。おまけにこのヒロインったら、「にやり」と笑っているぞ。正義の味方が「にやり」と笑っていいのか。

 おたがいの品物をなげくようにいうと、そうだというようにおじいさんは首をふり、
「やみなら、なんぼでもあるといな。」
 そして、はっはっとわらった。おく歯のないらしい口の中がまっ暗に見えた。女は目をそらしながら、
「きょう日(び)のように、なんでもかでもやみやみと、学校のかばんまでやみじゃあ、こまりますな。」
「銭(ぜに)さえありゃあなんでもかでもあるそうな。あまいぜんざいでも、ようかんでも、あるとこにゃ山のようにあるそうな。」
 そういって歯のない口もとから、ほんとによだれをこぼしかけたところは、あま党らしい。口もとを手のひらでなでながら、てれかくしのように、むこうがわをあごでしゃくり、
「ねえさん、あっちでまとうじゃないか。日なただけはただじゃ。」
 そういってさっさと反対がわ乗り場の方へ道をよこぎった。ねえさんとよばれて思わずにやりとしながら、女客もあとを追った。

[壺井栄(1952)『二十四の瞳』]

再び言おう。権威ある有名どころの文章を取り上げていけば、こういう不自然なものをデータとして認めなければならないハメに陥るのではないか。それは、日本語とキャラクタの関わりをかえって分からないものにしてしまわないだろうか?(つづく)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。