2010年 6月 のアーカイブ
人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第1回)
2010年 6月 17日 木曜日 筆者: 安岡 孝一常用漢字表の改定と人名用漢字(第1回)
平成22年6月7日、文化審議会は改定常用漢字表を答申しました。改定された常用漢字表は、年内に内閣告示される予定です。では、常用漢字表の改定は、人名用漢字にどのような影響を及ぼすのでしょう。その概要を、全4回で書き記すことにいたします。
常用漢字表の改定の概要
現在の常用漢字表は、昭和56年10月1日に内閣告示されたもので、1945字を収録しています。これに対し、改定常用漢字表は2136字を収録しており、うち1940字が常用漢字表を引き継いでいます。つまり、常用漢字表から5字を削除し、代わりに196字を追加したものが、新しい常用漢字表だといえます。削除されるのは「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」の5字、追加されるのは以下の196字(角カッコは許容字体、丸カッコは康煕字典体)です。

角カッコに入った許容字体
常用漢字表と改定常用漢字表との間で特筆すべき変更点は、「餌」「遡」「遜」「謎」「餅」の5字に対して、角カッコに入った許容字体が添えられていることです。これまでの常用漢字表では、「進」のような1点しんにゅうや、「飲」のような新字の食へんが標準字体でした。ところが新たに追加される196字では、2点しんにゅうや旧字の食へんが標準的な字体として採用されたのです。ただし、この措置は、新たに追加される196字だけで、これまでの常用漢字表を引き継いだ1940字に関しては、これまでどおり1点しんにゅうや新字の食へんが使われています。なぜ、こんな妙なことになってしまったのでしょう。
実は、新たに追加される196字の字体は、国語審議会が平成12年12月8日に答申した表外漢字字体表を、基本的に引き継いでいます。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したものでしたが、その字体はいわゆる旧字体でした。「餌」も「遡」も「遜」も「謎」も「餅」も、表外漢字字体表では2点しんにゅうや旧字の食へんで示されており、改定常用漢字表でもそれを引き継いだのです。しかしそれでは、これまでの常用漢字表とは字体がかけ離れてしまうことから、許容字体と呼ばれる新字体を、角カッコに入れて添えておくことにしたのです。
新しい常用漢字表は、今年中に内閣告示される予定です。また、新しい常用漢字表の内閣告示と同じ日に、戸籍法施行規則の改正という形で、人名用漢字も変わる予定です。では、人名用漢字はどのように変わるのでしょう。
(第2回「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」につづく)
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
国語辞典入門:辞書の例文(実例や不自然な例)、表記
2010年 6月 16日 水曜日 筆者: 飯間 浩明第22回 例文の扱い方にもいろいろ
学習国語辞典(学習辞典)の中には、例文を一番最初に持ってくるという、独特の編集方法をとるものがあります。『くもんの学習国語辞典』(くもん出版)、『小学新国語辞典』(光村教育図書)がそうです。たとえば、「うすうす」を引くと、こんな具合です。
〈うすうす【薄薄】(例文)そのことは薄薄知っている。(意味)はっきりとではないが、ぼんやりとわかっているようす。〉(くもん)
〈うすうす【薄薄】[例]友達の気持ちにはうすうす気づいていた。 [意味]はっきりしないが、なんとなく。かすかに。《参考》ふつう、かな書き。〉(小学新国語)
私は、これはなかなかおもしろい試みだと思います。ことばの意味を知るということは、同時に、ことばの使い方を知ることでもあります。とすれば、使い方を示す例文を重視して、前に持ってくるという行き方は、たしかに理屈に合っています。
ただし、引くたびにまごつくことも事実です。「例文」「例」とは表示してあるものの、一般の辞書に慣れた目には、その例文が語釈のように見えます。いちいち、「そうだ、この辞書は最初に例文が来るんだっけ」と、ルールを思い出さなければなりません。
しかも、中には例文のない項目もあって、その場合はすぐに語釈になるのですから、混乱します。『くもん』で「薄曇り」を引くと、〈空全体にうすい雲がかかって……〉とあるので、これが例文かと思うと、〈……かかっていること。また、そのような天気。〉と続き、語釈だったことに気づきます。もう少し、使い勝手に配慮がほしいところです。
このことは、デザインをくふうすれば解決できるはずです。『くもん』も『小学新国語』も、「例文」「例」と「意味」の表示が同じデザインなので、ほとんど区別がつきません。それぞれの違いが際だつようにすればいいのです。例文を「 」に入れるだけでも、だいぶ違います。改善案の一例を示します。
うすうす【薄薄】「そのことは薄薄知っている。」▽意味 はっきりとではないが、ぼんやりとわかっているようす。
かなり読みやすくなったと思いますが、どうでしょうか。例文が最初にあるのがよくないのではなく、例文と語釈とがまぎらわしいのがよくないのです。
見慣れない表記、不適切な例文
例文については、ほかにも注目したい点があります。ひとつは、表記の問題です。「うすうす」は、見出しでは「薄薄」とあります。一方、例文では「薄薄」「薄々」「うすうす」など、いろいろです。これでは、どの表記に従えばいいのか分かりません。
ふつう、「薄薄」と漢字を重ねることは少なく、「薄々」と書きます。「薄薄」式の辞書の表記には疑問を呈する発言もあります(小駒勝美氏)。そもそも、「うすうす」のような副詞は、ひらがなで書くのが標準的です。そこで、見出しには「うすうす・薄々」の2つを掲げ、例文では「うすうす」を使ってはどうでしょう。たとえばこんな感じです。
うすうす【うすうす・薄々】「そのことはうすうす知っている。」
こんなふうに実際の表記を反映した辞書は、一般の国語辞典にもまだ多くありません。実際の表記をどのように取り入れるかは、すべての辞書にとっての課題です。
もうひとつの注目点は、例文に適切な文を選んでいるかということです。「そのことは薄薄知っている」という『くもん』の例文は、この点で不満を残します。
辞書の例文は、語釈で表現しきれないニュアンスなどを示すものです。「うすうす」は、事情・実情・真相などをぼんやり知る場合に使います。例文をつけるなら、「事情はうすうす察していた」など、何を察するのかが分かるように書くべきです。
用法が不自然な例文も、学習辞典には散見されます。たとえば、『チャレンジ小学国語辞典』(ベネッセ)の「何くれとなく」の項には、次の例文が出ています。
〈おじさんは何くれとなく相談相手になってくれる。〉
「何くれとなく」は「あれこれと。いろいろと」という意味ですから、一見、これでもよさそうです。でも、ふつうは「何くれとなく世話を焼く(面倒を見る)」の形で使うものです(他辞書の例文は、おおむねそうです)。上の例文は、間違いとは言えないまでも、少なくとも不自然です。頭の中だけで例文を考えると、えてして、不自然なものが生まれます。例文は、実例に基づいて作ることを基本にすべきです。
学習辞典には、例文の中に、やたらに父母や兄弟が出てくるものがありますが、あまり感心しません。「妹が友だちとむつまじく遊んでいる」などとあると、「そんな言い方するだろうか?」と思います。こういうものも、頭で作り出した例文のようです。
◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ
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◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ
◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 14
2010年 6月 13日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 13
Reality and image: the Heian aristocracy and the “Heian aristocrat” character
Unlike people in manga, we cannot, barring surgery, actually change our physical appearance for short periods of time. However, as we discussed last time, physical appearance is ambiguous. For example, a person with a sturdy physique could be seen either as an “oaf” or a “reliable boss,” depending on our perception. These characters, “oaf” and “reliable boss,” are from the beginning predicated on perception.
In part 10, I mentioned the expression “ojaru,” which is in use on the Internet. This word (popularized recently by the protagonist of the anime series Ojaru Maru) is used by the “Heian aristocrat” character. However, as I hinted at the end of that essay, “ojaru” is not a word that the Heian aristocracy actually used. As discussed by Satoshi Kinsui in Vaacharu Nihongo Yakuwarigo no Nazo (Virtual Japanese: The Mystery of Role Languages) (Iwanami Shoten Publishers, 2003), “ojaru” is a word that was used by commoners in Kyoto during the Muromachi and Edo eras. The idea that “Heian aristocrats said ojaru” is not reality, but rather a misconception about Heian aristocrats we hold in modern Japanese society.
This is not a foolish misconception. It is because of this misconception that this expression is, after a fashion, still in use in modern Japanese.
A similar phenomenon can be observed in intonation. What do you notice when saying or writing “Ano sa-a, Heian kizoku ga sa-a kotoba o sa-a…” or “Ano yo-o, Heian kizoku ga yo-o kotoba o yo-o…,” as you would say or write “Ano-o, Heian kizoku ga-a kotoba o-o…” (Umm… Heian aristocracy, ya know? Their language, ya know…)? In this intonation, an abrupt rising intonation is added to the “no,” “ga,” and “o” of each part of the sentence—“Ano,” “kizoku ga,” and “kotoba o”—and the final vowel sounds “o,” “a,” and “o” are lengthened while the speaker’s voice trails off (this has various names, but I refer to it as the “returning rising final” intonation).
This intonation has been shown by Kaori Hara, Shiro Kori, and Fumio Inoue, to be associated with unfavorable impressions, such as “childishness,” “lack of intelligence,” “spoiled,” and “bratty.” In a word, it is often seen as the “youth’s way of speaking” which tends to irritate their elders. Kazue Akinaga described in her 1966 essay Seijika no Enzetsucho (Oratorical Styles of Politicians), that this intonation is in fact quite ancient, and was used in Japanese society by adults when debating, and that “upon investigation, it has been found to appear in the speech of the elderly even today.” However, despite such assertions, there is no indication that people’s perception of this intonation as a “style of speaking used by youths” is changing. This is why I say that this is a “youth” character intonation.
Actually, three years ago during a planning meeting for a lecture, I got into a discussion with the organizers, and remember someone saying that “Junichiro Koizumi would never use this intonation, but I suspect that Shinzo Abe had used it somewhere.”
Then I told that person “Your impression might show that Mr. Koizumi has a “boss” character, while Mr. Abe does not. Mr. Indeed Abe is taking quite a beating from his own character,” and oddly enough, Mr. Abe resigned from his position as Prime Minister the next morning.
The fact that characters are predicated on our perceptions also means that they are colored by our various biases. In recording my observations about characters, I hope not to be carried away by such prejudices.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 14
2010年 6月 13日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)现实与印象、平安贵族与“平安贵族”形象
与漫画不同,现实生活中我们的(体格)外表只要不做手术,短时间内是不会发生变化的。但是如上节所讲的,(体格)外表本身给人的印象却并不是唯一的。比如,一副体格强壮的外表,在我们的印象中,它可以属于头脑简单四肢发达的“脑筋迟钝的人”、同时也可以属于有安全感的“可以依靠的老大”。而“脑筋迟钝的人”、“可以依靠的老大”这样的角色形象,往往也是以我们的印象为基础塑造出来的。
在第10节中,我提到在网上可看到“おじゃる(ojaru 是)”这样的的留言,我说这是“平安贵族”这样的角色形象所使用的语言(虽然是通过动漫《反斗小王子》的主人公邪留丸而被人们所熟知的)。但是我在第10节的最后已经稍有暗示,事实上“おじゃる(ojaru 是)”并不是平安贵族使用的语言。金水敏所写的《ヴァーチャル日本語 役割語の謎(Vaacharu Nihongo Yakuwarigo-no Nazo 虚拟日语 形象用语之谜)》(岩波书店,2003)中指出,“おじゃる(ojaru 是)”是室町时代到江户时代这段期间,京都平民使用的语言。平安贵族使用“でおじゃる(deojaru 是)”并不是事实,这只不过是现代日语社会中的我们对平安贵族持有的错误印象而已。
但不要小看这种印象,因为正是这种错误的印象,才使得“おじゃる(ojaru 是)” 这一词在现代日语社会中还能够勉强存在并被使用。
在语调方面也可以看到类似的情况。比方说,和“あのさぁ、平安貴族がさぁ、ことばをさぁ……(ano-saa、heiankizoku-ga-saa、kotoba-o-saa……那个吧、平安贵族吧、语言吧……)” 或“あのよぉ、平安貴族がよぉ、ことばをよぉ……(ano-yoo、heiankizoku-ga-yoo、kotoba-o-yoo……那个嘛、平安贵族嘛、语言嘛……)”的语调一样(语气词“さぁ(saa)”、“よぉ(yoo)”i的发音最开始比较高,然后降下拉长,很像汉语的第4声调先高后低,然后拉长) ,“あのぉ、平安貴族がぁ、ことばをぉ(anoo、heiankizoku-gaa、kotoba-oo 那个——、平安贵族——、语言——……)”各句节的“あの(ano)”、“平安貴族が(heiankizoku-ga)”、“ことばを(kotoba-o)”的最后一个发音“の(no)”“が(ga)”“を(o)”最开始突然升高,然后降下(很像汉语的第4声调) 拉长,拉长后的“ぉ(o)”“ぁ(a)”“ぉ(o)”调子降低,最后回到原状(这种语调有很多种名称,我称之为“戻し付きの末尾上げ(modositsuki-no-matsubiage 回降型句尾升高)语调”)。
对于这种语调,原香织女士、郡史郎先生、井上史雄先生的研究指出,使用这种语调给人以“幼稚”、“无知”、“撒娇”、“目中无人”等不良印象。简单地说就是,很多人认为这种语调是一种容易让长辈感到反感的“年轻人的说话方式”。但是在“秋永一枝先生1966年的论文《政治家的演讲腔调》里却指出,现实中,这种语调在日语社会里,从很久以前开始、并且是作为成人的说话方式就存在着。如今的调查显示,在老年人的对话中,仍然有这种语调出现,虽说如此,我们现在对于这种语调持有的印象,即“这是年轻人的说话语调”这一印象还是不会有改变的。因此,我把这种语调称之为(印象中的)“年轻人”的角色形象语调。
记得三年前(2007年),与某学术会举办方商量讲演事宜时,涉及到“回降型句尾升高语调”这一话题,大家都认为“小泉纯一郎应该不用这种语调说话,但安倍晋三,似乎有可能使用这种语调说话”。
“如果真有这样的印象的话,这也许说明小泉有‘老大’形象,而安倍却没有。看来,安倍在角色形象上是很吃亏的。”没想到,在我说完这话的第二天早上,安倍就辞去了首相一职。
角色形象是在我们的印象基础上形成的,所以有时候我们也会把我们的各种偏见附加与角色形象上。在对角色形象的观察记述中,注意不要受到这些偏见的影响是非常重要的。
* * *
(i)在这里,虽然把日语的终助词(语气词)“さぁ(saa)”译为“吧”、“よぉ(yoo)”译为汉语的“嘛”,但是在用法和语气上并不能说是完全一致的。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
日本語社会 のぞきキャラくり 第94回
2010年 6月 13日 日曜日 筆者: 定延 利之権威のある有名どころの不自然な文章(下)
前々回・前回と見てきたように、夏目漱石の『行人』では弟が兄に「~ですぜ」「~でさあ」と言う。坂口安吾の『不連続殺人事件』では名探偵がやはり「~でさあ」「~ませんぜ」と言い、女中が「奥様、お嬢様はゲロはいて、~」と言うのであった。壺井栄の『二十四の瞳』では、ヒロインが「~ますな」と言い、にやりと笑ったりするのであった。いくら権威ある有名どころの文章とはいえ、このような不自然な表現を含んだものを取り上げていくことは、日本語とキャラクタの関わりを見る目をかえって曇らせ、両者の関係を歪ませることになりはしないか?
たしかに、そういうことはあるかもしれない。だが、そんなことはあまり心配しなくていい。なにしろここで私たちが問題にしているのは、現代日本語という、私たちがそれなりに直感を利かせることのできることばの世界なのだから。
『行人』の弟や『不連続殺人事件』の名探偵が「~ですぜ」「~ませんぜ」「~でさあ」と言うこと、『二十四の瞳』のヒロインが「~ますな」と言うことは、たしかに現在のことばとしては不自然である。だが、それは私たちが直感でわかることである。これらは現在の日本語の例としては認めなければいい。それだけの話である。
他方、『不連続殺人事件』における女中の発言「奥様、お嬢様はゲロはいて、苦しみなすっていますが」は、「奥様」「お嬢様」ということばの上品さや「ゲロはいて」ということばの下品さに対して鈍感な、或る種の『田舎者』キャラの言動として、現在でもそれなりに理解できる。
また、『二十四の瞳』のヒロインが「にやり」と笑うのは、これが直前の章から八年後の場面冒頭であって、このヒロインがヒロインとしてではなく、正体不明の女として登場しているということからすれば、現在の感覚からしても、もっともなことだろう。
だから、「お嬢様はゲロはいて」や「にやり」は、現在ではもう古すぎて通用しないとして片付けるわけにはいかない。現在でも通用する日本語、但し話し手や場面に一ひねりある例として認めればいい。
こういうことは、私たちは直感的にわかるから、話はかんたんである。直感を使うべきところで、使わない手はない。
言語コミュニケーションの根本問題、つまり私たちが集まってことばで何をしているのかという問題に対する私たちの理解は、残念ながらごく部分的なものにとどまっている。或る特定の言動が、言語コミュニケーションの世界全体の中でどのような位置を占めているのか、それを知ることさえ、私たちにはまだまだ難しい。位置を知りたくても、そもそも言語コミュニケーションの世界の極点や赤道がまだ発見されておらず、経度や緯度が割り出せない。それぐらい、私たちは言語コミュニケーションの世界をわかっていない。
このように言語コミュニケーションに対する私たちの理解が限られているのは、そもそも言語コミュニケーションにおける「意味」というものが、その世界に生きる者が直感によって生み出すものであって、世界の「外側」から客観的に計測し尽くせるものではないということによるのではないか。何かを正面きって考察しようとする際には、直感は、とかく排除されてしまいがちだが、私たち自身の言語コミュニケーションを考察する場合にかぎって言えば、直感は客観的計測とは別に、重要な一つの手段たり得るのではないか。
「日本語社会の考察には、キャラクタという概念が必要」ということを主張するのに、私がややこしい数式やグラフを持ち出さず、名だたるものとはいえ、文学作品の断片ばかりを取り上げているのは、読者に、キャラクタというものに直感で思い当たってもらうことがベストだと考えているからである。
ま、これって結局、「そういう作品が好きだから」ってことかもしんないけどね。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第103回
2010年 6月 12日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第103回 『方言検定本』~鹿児島と出雲~
近年、地元のことを、楽しみながら、より深く確かに知ってほしいと、「ご当地検定」が各地で実施されていることは、以前、この連載の第68回でも紹介しました。
そのうち、「方言」に絞った検定用の本(問題集と教科書)が、私の知る限りでは、鹿児島県と出雲(島根県)で出ています。
第1回「鹿児島弁検定」は平成21年8月16日に開催され、小学生から90代までの幅広い世代の650人が受検し、特に若い女性が多かったとのこと。(それに先立ち、3月には270人が受検して模擬検定も行われました)
『鹿児島弁検定問題集』は、それを踏まえて発行されたもので、鹿児島弁検定実行委員会の編集・発行で、ことし平成22年1月に出版されています。
検定は初級・中級・上級に分かれており、初級は「鹿児島弁の楽しさを感じてもらう」、中級は「鹿児島弁のすばらしさを感じてもらう」、上級は「鹿児島弁の奥深さを感じてもらう」ことをねらいとし、それぞれ70点以上が合格で、合格率は、初級の「学士」が92%、中級の「修士」が73%でしたが、上級の「博士」は難関で11%しか合格しなかった由。
初級の問題は、寸劇を見て鹿児島弁の意味を共通語になおす(20問)、いかにも鹿児島弁らしい語を記す(20問)、鹿児島弁の語の意味を選択する(60問)、共通語の会話文を鹿児島弁になおす(5問)、鹿児島弁の俗謡「茶碗蒸しの唄」を共通語訳する、など。
中級は、ビデオを見て鹿児島弁の会話を共通語に訳す(21問)、いかにも鹿児島弁らしい語を記す(20問)、鹿児島弁の語の正しい意味を選択する(50問)、適切な擬声語・擬態語を書く(11問)、「シンデレラ物語」を鹿児島弁で書く(10問)、など。
上級は、ビデオを見て鹿児島弁の会話を共通語訳する(30問)、鹿児島弁の語の正しい意味を選択する(20問)、鹿児島弁の語源を書く(15問)、鹿児島弁のことわざの意味を書く(10問)、鹿児島弁に関する本や人物などに関する説明の中から正しいものを選ぶ(10問)、など。
以上のように、各級のねらいや難易度に合わせて、多彩な問題が出題されています。
同書から、そのうちのいくつかの問題を紹介しましょう。【 ⇒ 解答は後述】
初級:次の鹿児島弁の意味を書きなさい。
とぜんね( )、はんとくっ( )、あばてんね( )
中級:鹿児島弁らしい擬声語・擬態語を書きなさい。
「のろのろ歩く」、「頭がくらくらする」、「この魚はぴちぴちしている」
上級:次の鹿児島弁の語源を書きなさい。
「がんたれ、ぐらしい、きらす、ひやなっ、…」
ことしの第2回検定は、今月6月の下旬に行われます。詳しいことは、鹿児島弁検定協会のホームページ http://kagoshimaben-kentei.com などを参照してください。
もう1冊、島根県では『出雲弁検定教科書』(有元光彦・友定賢治 編集、宍道・出雲弁保存会 協力)という本が、CD付きで、平成20年10月に発行されています。
が、これは方言研究者による出雲弁の解説書とでも言うべきものです。その理解度と学習の成果を確認する意味で、第3章に「出雲弁検定試験」の問題が載せられています。
ですから、こちらは一般の人々を対象にして、実際に「出雲弁検定試験」が行われているというわけではありません。
なお、インターネット上には、「北海道方言検定、北海道弁検定、あきた(弁)検(定)、山形弁検定その1・その2・その3、方言けんてー栃木編、方言検定栃木県の方言、千葉県方(言)[房州弁]けんてー、房州弁検定だっぺ、新潟弁検定、名古屋弁検定、名古屋(方言)検定、方言で奇面組検定[名古屋弁?]、三河弁検定、関西弁検定!・同02!、難解?私の地元の言葉[山陽山陰]検定、岡山弁検定・同2、広島弁検定、山口県の方言(検定)、伊予弁検定、土佐弁検定、博多弁検定、(福岡県)八女弁検定、佐賀(弁)検定、鹿児島(弁)検定、難解方言~鹿児島弁~検定、おきなわ(弁)検定、沖縄語けんてい、沖縄の方言(検定)、宮古島検定方言編」の、都合33件があります。問題数は3問から10問までの間です。
注:平成22年6月7日現在。( )や[ ]はわかりやすくするために補足しました。
全国的に見ると、北海道(2)、東北(4)、関東(4)、中部(5)、関西(2)、中国(5)、四国(2)、九州(5)、沖縄(4)という数で、関西と四国がやや少ないと言えるでしょうか?
今後、あちこちでさらに増えそうです。
《参考》『出雲弁検定教科書』については、http://oneline.main.jp/oneline.htm を参照。インターネット上にある各種の検定を知るには、「けんてーごっこ」http://kentei.cc/ で、また全国各地で実施されている多様な「ご当地検定」は、「ご当地検定の森」http://www.1gotouchi.com/ などで検索することができます。
【「鹿児島弁検定」の解答】
初級:とぜんね(寂しい)、はんとくっ(転倒する)、あばてんね(たくさん)
中級:「(ノロンクヮラン)あるっ!」「びんたが(クランクラン)すっ!」「こん魚は(ピッチンピッチン)しちょい!」
上級:(粗悪品=贋垂れ、不憫=業らしい、おから=切らず、花火=火柳)
◆この連載を続けてお読みになる方は
⇒「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」アーカイブへ
◆記事のタイトルからお探しになる方は
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:PISA型読解力のような力は必要か
2010年 6月 11日 金曜日 筆者: 北川 達夫第39回 PISA型読解力への疑義あるいは異論1
最近、二人の作家と「PISA型読解力」について話す機会があった。一人は猪瀬直樹さん、もう一人は石田衣良さんである。話の内容については週刊東洋経済の連載(1)でも少しふれたが、ここでは別の観点から論じることにする。
今回は猪瀬さんとの話から。ここでの猪瀬さんは作家というよりは、東京都副知事という立場である。石原慎太郎という作家が知事、猪瀬直樹という作家が副知事を務める東京都においては、昨今の活字離れの風潮をなんとかし、それによる言語力の低下をなんとかしようということになった。「活字離れ」と「言語力(読解力)の低下」が単純に結びつくかどうかは難しいところであるが、PISAの読解力調査(2000年のもの)を含む、さまざまな調査において何らかの相関関係がありそうなデータが示されてはいる(2)。とにかくなんとかしようということで、まずは都庁職員から意識改革をしようということになり、その第一回勉強会(4月16日)に私が講師として招かれ、また、猪瀬さんとテレビで対談するなどしたのである(3)。
このような経緯があるため、猪瀬さんとの話は、基本的には「PISA型読解力のような力は必要だ」という雰囲気の中で進んだ。ただ、猪瀬さんに「作家としての立場から」というふうに水を向けたとき、やや含みのある答えが返ってきたのである。
たとえば「AはBだ」ということを言いたいとき、いわゆる「ぴざ的」な発想からすれば、AとBを線でジリジリと結びつけていくような、言葉を尽くして、論理を組み上げて、誰でも理解できるように納得できるように表現することが求められる。猪瀬さんも、確かにそういう力は必要だ、という。だからこそ、「AはBだ」ということを言うだけのために、一冊の本を書くことになってしまうこともあるというのだ。
ただ――と、猪瀬さんは話の流れを一時押しとどめ、俳句や短歌のように一瞬の言葉の閃きで、すべてを表現する場合もある、と釘を刺した。
「AはBだ」ということを言いたいとき、AとBとを線でジリジリと結びつけていくのではなく、AとBの間にある点、あるいはぜんぜん関係ない(ように見える)ところの点を示唆することにより、聞き手あるいは読み手の頭の中でAとBとを一瞬で結び付けさせてしまうという、考えようによっては、たいへんな荒ワザである。だが、文学にはそういう面もあるということだ。
PISA読解力調査のテキストには、説明文や意見文(これは滅多にないが)はもちろんのこと、物語文であっても、「AだからB、BだからC、CだからD」というように、ジリジリと線をつないでいくような論理性が求められる。もちろん、特に物語文の場合は、この流れは必ずしも明示的なものでなくてもよく、暗示されているだけの部分があっても構わない。いずれにしても、この論理性があるからこそ、「A・B・Cの情報から、何が成り立つか?」(原因から結果の推論)や「Dを成り立たせるには、どのような情報が必要か?」(結果から原因の推論)という問いに、「文章にふれながら」答えさせることが可能になり、かつ自由記述であっても、わりと機械的かつ客観的に評価することが可能になるのである(4)。このようなPISA読解力調査で求められるような力も必要であるが、それ以外の力――一瞬の言葉の閃きを感得するような力も必要であるというのだ。
坂口安吾は「FARCEについて」において、五十嵐力の著書からの引用として「古池や蛙飛び込む水の音 さびしくもあるか秋の夕暮れ」という短歌をあげている(5)。芭蕉の有名な句に下の句をつけた格好だ。気分と季節と時間帯が加わっているのである。これを見てびっくりしたのは、まず「さびしい」という気分。次は「秋」という季節。そして「夕暮れ」という時間帯。この解釈が正統的なものかどうかは知らないが、少なくとも私は芭蕉の句からぜんぜん違う光景を想像していた。それはともかく、坂口安吾は、この短歌が、言葉を費やしてまんべんなく説明しようとしたために、「結局芭蕉の名句を殺し、愚かな無意味なもの」にしてしまっていると批判している。一瞬の言葉の閃きに、点と点を結ぶ線は無用のようだ。だが、この芭蕉の句が欧米の言語に翻訳されると、「静かな池に、蛙(複数)が飛び込んだので、ボチャンと音がして静けさが破られたが、しばらくしてまた静けさが戻った」というように、言葉をまんべんなく費やして奇妙に論理的なものになってしまう。そうでなければ欧米人は理解できないのだという。まあ、このように翻訳されれば、芭蕉の名句もPISA読解力調査のテキストにも使えそうだが。
猪瀬さんは、それ以外の力の必要性にふれながらも、「ぴざ的な力」の必要性も認めてくれた。ところが、石田衣良さんには真正面から否定されてしまう。これについては次回。
* * *
(1) 週刊東洋経済「わかりあえない時代の『対話力』入門」第52回(2010年5月29日号)と第55回(2010年6月19日)
(2) たとえば「生きるための知識と技能―OECD生徒の学習到達度調査PISA2000年調査国際調査結果報告書」国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2002年など
(3) 東京MXテレビ「東京からはじめよう」(2010年5月1日放映)
(4) PISAの問いについては、第7回と第8回を参照。
(5)『堕落論』p.17/坂口安吾/新潮文庫
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
* * *
【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。
つなぎ語:話題の転換―『英語談話表現辞典』覚え書き(22)―
2010年 6月 10日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回と前々回は新しい話題を導入するときに用いられる典型的な表現を取り上げました。今回は話しているなかで話題を換えるときに用いられるものを考えてみます。
間投詞wellはいろいろな会話の変わり目に用いられますが、軽く添えるだけで唐突さを避けることができる便利な語です。本辞典では語義5が該当します。
5 〈話題を転換して〉さて, ところで(◆上昇調で): 《娘と母親の会話》 “Is there anything to help you?” “Thank you, but I can manage at the moment. Well, have you finished the homework?” 「何かお手伝いすることある?」「ありがとう. でも, 何とか大丈夫よ. ところで, あなた宿題は終わったの?」.
by the wayの使い方も多岐にわたりますが、典型的なもののひとつに、話をしている途中で話題を換える用法があります。次は本辞典からの引用です。
1 〈会話の途中で新たな話題を導入して〉それはそうと, ところで:街角で偶然出会った友人に自分の近況を話した後で》 By the way, Tom, what are you doing here? ところで, トム, あなたはここで何してるの? // “Are you ready for breakfast?” “No, Mom. I have to make my bed first.” “OK, but hurry up. By the way, what do you want for lunch today?” 「もう朝ごはんにしてもいい?」「まだだよ, お母さん. 先にベッドを整えないと」「わかったわ, でも早くしなさい. それはそうと, 今日のお弁当は何がいい?」.
日本語では「ところで」をあてることが多いのですが、by the wayとは合わないところがあります。つまり、「ところで」はあいさつなどの後で直接本題に入るときにも使いますが、by the wayにはそのような用いられかたはなく、それまでに話していたことから話題を転換させるときに使うのが原則です。
anywayにも会話の節目に用いられる用法があります。
1 〈新たな行動や話題に移って〉とにかく, それはそうとして:《行くか行かないか思案しているときではなく》 Anyway, let’s go. とにかく行きましょう / 《これまでの話題を変えて》 Anyway, I met my old friend the other day. それはそうと, 先日昔の友人に会ったんです.
ここでは第2例がこの用法に相当しますが、しばしば前の話題を終えてしまいたいという含みが生じることがあります。
now thenにも同じ用法があります。
1 〈話題を変えて〉ところで, それで(◆nowだけでも可):Now then, what did you want to tell me? ところで, あなたは私に何を言いたかったの// Now then, where did you say the pain in your leg was? ところで, 脚のどこが痛いと言ってたの.
このように、本辞典では疑問文が続く例をあげていますが、次は形は疑問文ですが、「要請」の発話行為と解釈できる例です。三省堂コーパスを修正したものです。
‘Attention!’ ‘Excellent, at ease. Now then, where would you like me to sit?’「気をつけ!」「よろしい、直れ。で、私はどこに座ったらよいのかな」
さらに、あいさつなどのあとで本題に入るときのnow thenも付け加えておきます。
‘How are you feeling?’ ‘Fine.’ ‘Good. Now then, I want you to come into this room with me.’「ご機嫌はいかがですか」「いいですよ」「それはそれは。それでは一緒に部屋にお入りいただきたいのですが」/‘The Transport Minister Gavin Strang is in our Edinburgh Studio. Good afternoon.’ ‘Good afternoon.’ ‘Now then, you’ve accepted that this is a massive problem, . . . .’「運輸大臣のギャビン・ストラング氏がエジンバラのスタジオにいらっしゃいます。こんにちは」「こんにちは」「ところで、大臣はこのことは大きな問題だと認めておられますが、…」
ここでのnow thenは上で言及した、あいさつなどから本題に入る日本語の「ところで」の用法と似ているところがあります。
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。
学会情報:第37回語彙・辞書研究会
2010年 6月 10日 木曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部第37回 語彙・辞書研究会 研究発表会のお知らせ
語彙・辞書研究会の第37回研究発表会が下記の通り開催されます。
日時:2010年6月12日(土) 13:30 ~ 17:00
場所:新宿 NSビル 3階 南308会議室
(新宿区西新宿2-4-1) 電話03-3342-4920[研究発表]
- 原田 幸一 [一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程]
- 「大学生の日常会話における『たしかに』の意味・用法」
- 石川 慎一郎 [神戸大学]
- 「日本語複合動詞「だす」と「でる」について:コーパスを用いた辞書記述の精緻化」
[講演]
- 佐藤 亮一 先生
- 「方言における意味認識について」
参加費:1,800円(会場費・予稿集代等を含む)。
ただし、学生・院生は1,200円。
* 事前のお申し込みは必要ありません。当日会場受付でお手続き
ください。
* 予稿集のみをご希望の方は事務局にお問い合わせください。
(事務局) 〒101-8371 東京都千代田区三崎町2-22-14
三省堂出版局内 語彙・辞書研究会事務局
詳しくは、語彙・辞書研究会のウェブサイト(http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/index.html)をご覧ください。
国語辞典入門:小学生向け辞典 語数と子どものことばの発達
2010年 6月 9日 水曜日 筆者: 飯間 浩明第21回 学習辞典は何万語必要か
国語辞典を買うとき、何万語のものを選べばいいかということは、常に読者の関心事となります。学習国語辞典(学習辞典)も、事情は同じです。
先に、国語辞典というものは、必ずしも語数が多ければいいわけではないと述べました(第4回、第10回)。もし、語数が辞書の良し悪しの尺度になるなら、語数が6万語台で比較的少ない『岩波国語辞典』や『現代国語例解辞典』(小学館)は、8万語以上を擁する『新選国語辞典』(小学館)や『旺文社国語辞典』にかなわないことになります。でも、実際は、『岩波国語』も『現代国語例解』も、すぐれた代表的な国語辞典です。
語数と辞書の優劣が一致しない理由について、なお念を押しておくなら、こんな言い方もできます。けっこうな読書家でも、ふだん疑問に思って辞書で調べることばの大部分は、せいぜい6万語の範囲に収まります。そのため、それ以上の語彙を載せても、乱暴な言い方をすれば、あまり大勢には影響がないのです。6万のことばをしっかり説明してあれば、それだけでも、その辞書はきわめて有用な辞書になります。
では、学習辞典はどうでしょうか。学習辞典の収録語数は、1万数千語から3万数千語までの幅があります。このうちどれを選ぶのがいいかは、子ども本人の持つ語彙量(理解できることばの数)に応じて異なってきます。
子どもの語彙量の発達については、実は、ほとんど研究がありません。よく利用されるのは、戦前の1937年の調査結果です(坂本一郎『読みと作文の心理』牧書店)。それによれば、子どもは9歳頃までに約1万語の語彙量を獲得します。その後、12歳頃までに約2万語、15歳頃までに約4万語、18歳頃までに約5万語の語彙量に達します。
この数字は参考にはなりますが、人によって個人差が大きいことも事実です。今の子どもは、これよりもさらに多くの語彙量を持っていると思います。その子にとって、「やや語数が多いかな」という程度の辞書を選んで、ちょうどいいくらいでしょう。
私が小学校高学年の頃、大人向けの実用辞典を使っていたことは記しました(第1回、第2回参照)。べつに、私がひねくれていたのではありません。この年頃ともなれば、中高生向けから一般向けの辞書に進んでも、決して早くないと考えます。
開始年齢を前倒ししてもいい
小学生用の学習辞典は、従来は、小学3年生頃から卒業まで使うことが想定されていました。でも、今では、使用開始の年齢をもっと前倒しして、1年生から使ってもまったく問題ありません。このことは、中部大の深谷圭助さんの報告でも明らかです。
小学1年生で使う学習辞典は、何万語のものでもいいと思いますが、1万数千語もあれば十分です。このレベルの辞書は、幼稚園の年長組からでも使えます(そういう早期教育がいいかどうかは、別問題です)。
やがて、子どもの語彙量は、1万語、2万語と増えていきます。本を読んでいて、辞書を引いてもないことばが多くなれば、その辞書は買い換え時期を迎えたことになります。
たとえば、大石真さんの児童文学の傑作『ミス3年2組のたんじょう会』(偕成社文庫、原著は1974年)を読むと、次のようなことばが出てきます。
うら道 大通り おめかし かくれんぼ 立会人 ビフテキ もうちょうえん
2万数千語収録のA辞典には、これらは載っていません。3万数千語収録のB辞典には載っています(ただし「立会人」はなく「立ち会い」が載っている)。そうすると、そろそろA辞典は卒業で、B辞典に移ろう、ということになります。
ただ、B辞典を買っても、やはり載っていないことばがあります。
かいぞえ人 ごきげんとり 五目そば たなご でめきん 番台 まるがり
これらは、この作品にあって、B辞典には見当たらないことばです。
こんなことを言うと、「なんだ、B辞典もだめではないか」と速断する人がいます。でも、大人の小説だって、大型辞書にもないことばが何十語も出てきます(第5回)。書物の扱う世界は広く、1冊の辞書で覆いきれない部分はどうしても出てきます。「五目そば」などは、一般向けの辞書にもあまり載っていません。
本を読んでいて、辞書にないことばが数語にとどまっているうちは、まだその辞書は現役で使えます(上に7つも「ない語」の例を挙げたのは、私がしらみつぶしに調べたからで、ふつうはこんなには見つかりません)。また、語数の多い辞書に切り替えてからも、古い辞書を捨てるには及びません。2つの辞書の説明を比べながら使うことによって、多くの発見があるからです。
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◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ
◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ
◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
国語辞典入門:小学生向け辞典 語釈と語数の関係
2010年 6月 9日 水曜日 筆者: 飯間 浩明第20回 語数を減らせば、語釈が親切に?
先に、語釈の不親切な学習国語辞典(学習辞典)は困る、という話をしました(第17回)。語釈をより親切にすることに反対する人は少ないはずです。でも、親切な説明をすれば、それだけ字数・行数が増えるのではないか、と心配する人はいるかもしれません。辞書の編集にくわしい人ほど、この点が気になるのではないかと思います。
たとえば、「提唱」ということばを次のように説明する学習辞典があります。
〈意見や考えを言いだすこと。〉
これでも間違いではありませんが、不親切です。「提唱」というのは、今まで言われなかった新しいことを世間に提案することです。そこで、次のように改めてみます。
〈意見や考えを発表して、人々に呼びかけること。〉
これなら合格です。ところが、もとの13字が22字になり、1.7倍に増えてしまいました。この調子で、すべての項目の字数を増やせるかというと、どうもむずかしそうです。
もし、全体の字数を1.5倍程度に増やしたとすると、単純計算で、1000ページの辞書は1500ページになります。学習辞典の本文はせいぜい1300ページが限界で、それを超えると、分厚くて重くて、実用的でなくなります。すでに1000ページを超えている辞書が、項目当たりの記述を1.5倍とか2倍とかに増やすのは、現実には困難です。
ページ数に上限を設けて、その中で語釈をくわしくしようとするなら、収録語数を減らすという方法が考えられます。かりに、同じページ数で3万語の辞書と2万語の辞書があったとすると、これも単純計算では、後者のほうが項目当たり1.5倍のスペースが確保できることになります。
書店に行って比べてみると、ページ数はほぼ同じでありながら、収録語数が3万数千語の辞書もあれば、2万数千語の辞書もあります。実に1万語の開きがあります。字の大きさなどの条件が同じだとすれば、後者のほうがくわしい記述をしているのではないかと、ふつうには思われます。
もしそうだとすると、語釈の親切さで学習辞典を選びたい子どもには、収録語数の少ない辞書を薦めたくなります。本当のところはどうなのでしょうか。
語数と親切さに関連なし
実際に、収録語数の少ない辞書は語釈が長くなるかどうか、調べてみます。約3万5千語を載せるA辞典(本文約1200ページ)と、約2万5千語を載せるB辞典(本文約1100ページ)とを取り上げます。2冊に共通する192項目を選び、語釈をパソコンに入力します。それから、字数を自動的に計算させます。
結果として、A辞典の語釈は平均30.8字、B辞典の語釈は平均31.1字でした。どちらもほとんど同じ字数です。このことから、必ずしも、収録語数が少なければ語釈が長くなるとは限らないことが分かります。
ページ数がほぼ同じで、1万語の開きがある2冊を比べて、語釈の字数があまり変わらないのは不思議です。これは、主に、1行の字数や1ページの行数など、レイアウトが微妙に違うことが理由でしょう。また、用例の長さなども関係しているようです。
収録語数が少なくて、語釈のくわしい辞書も、もちろんあります。その一方、語数が多くて、なおかつ語釈に力を入れている辞書もあります。収録語数が多いか少ないかということと、語釈が親切かどうかには、関連がないのです。
根本的なことを言えば、語釈を短く切りつめたからといって、不親切になるわけでもありません。今回は、「親切な説明のためには、多くの字数・行数が必要」という前提で話をしたのですが、実は、その前提があやしいのです。私は、これまでも、簡単な語釈だからといってだめな語釈だとは言えない、と繰り返してきました(第8回など)。
先に掲げた「提唱」の語釈は、くわしく書き換えると1.7倍に増えました。でも、同じ字数で、より的確に書き換えることもできます。別の辞書の「提唱」はこんな語釈です。
〈新しい考えを言いだすこと。〉
先の辞書では〈意見や考えを……〉でしたが、ここでは、〈新しい考えを……〉になっています。この「新しい」という要素を入れただけで、「提唱」の語釈としては、簡潔ながら十分なものになりました。
このように、「親切な語釈」は、辞書の収録語数や語釈の字数にかかわらずに実現できます。「それなら、語数を少なくする意味がない」と言われそうですが、低年齢の児童のためには、語数を抑えた辞書も必要です。このことについては、次回に考えます。
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◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ
◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(28)
2010年 6月 8日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(28) 定子の職曹司参入
長徳2年6月に里邸二条宮が焼失して以降、記録類に定子の記事が再び現れるのは、長徳3年6月22日の職曹司(しきのぞうし)参入の記事からです。それに先立つ3か月前、東三条院詮子の病気平癒のために大赦が行われ、伊周・隆家の罪も許されることになりました。長徳3年4月に、まず隆家が入京し、伊周は同年12月に入京することになりますが、そのような情勢を受けて定子の謹慎も解けたものと思われます。
それでも定子が大内裏の職曹司に参入することについて、世の人々は快く思わなかったと『小右記』には記されています。長徳の変の騒動で定子が一度髪を切っていることが問題になったのです。しかし、中宮方では定子は出家していないと主張し、職曹司参入を果たしたようです。この時、定子参入を後押ししたのは、一条天皇だったのではないでしょうか。長徳2年12月に生まれた第一皇女も6ヶ月の可愛い盛りになっていたはずです。
職曹司は中宮に関わる公務を司る役所です。実は、定子はこれまでにも何度かここを臨時の滞在場所として利用してきました。しかし、今回は2年強にわたる長期間の滞在になります。この間の定子後宮の出来事を扱った章段が『枕草子』に9段もあり、職曹司時代の章段群を形成しています。そのうち、参入して間もない頃のものと思われる一段を見てみましょう。
職御曹司におはしますころ、木立などのはるかにものふり、屋のさまも、高うけ遠けれど、すずろにをかしうおぼゆ。……近衛の御門より左衛門の陣にまゐりたまふ上達部の前駆ども、殿上人のは短ければ、大前駆、小前駆とつけて聞きさわぐ。あまたたびになれば、この声どももみな聞き知りて、「それぞ、かれぞ」など言ふに、また、「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ひ当てたるは、「さればこそ」など言ふも、をかし。
(中宮様が職御曹司にお住まいのころ、そこは木立が鬱蒼と茂り、建物の様子も高くてよそよそしいのだが、なぜか妙に面白く感じられる。……大内裏の近衛門から内裏入口の左衛門の陣に参上なさる公卿の前駆たちの声が聞こえ、それより殿上人の前駆の方が短いので、女房たちは、それぞれ大前駆、小前駆とつけて聞きつけて騒ぐ。それが何度も重なると、誰の前駆の声かを皆聞き分けて、「それは誰よ、彼よ」と言うと、別の女房が「そうじゃない」と言うので、人をやって確かめなどするが、言い当てた女房は、「だから言ったでしょう」など言うのも面白い。)
職曹司は住み慣れた寝殿造りの建物と異なって、背が高く物慣れない感じがするのですが、それがかえって面白いと作者は記しています。また、大内裏から内裏に参上する男性貴族たちの先払いの声が聞こえてくる位置にあるので、宮中に出入りする人々の動きを間近に感じることができます。滞在が長期にわたったために、女房たちは先払いの声が誰の従者なのかを聞き分けるまでになっています。
それにしても女房たちの騒ぎようは尋常ではありません。この後、有明の月が照らす庭に下り立った女房たちは、さらに内裏の左衛門の陣まで探索に行くという大胆な行動に出ます。その時、ちょうど退出してきた殿上人たちと鉢合わせして大慌てで逃げ帰り、職曹司で殿上人たちに応対します。これに続く章段末尾は、殿上人が昼も夜も絶えることなく職曹司を訪れ、上達部まで訪れたという文章で閉じられます。この末尾からは何となく不自然な印象を受けるのですが、それは、中関白家隆盛時ならあえて書かなくていいことだったからです。逆に言えば、そこに没落期の定子後宮を盛りたてようとする作者の気概が感じられるのです。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
An Unofficial Guide for Japanese Characters 13
2010年 6月 6日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 12
Living with an ambiguous body and multiple characters
Last time, we looked at the “physical transformation technique” used in manga and discussed the link between physical transformation and character. This is related to how some of our characters are suitable and accepted, and others not, by those around us depending on our body type.
In Tomiko Miyao’s Kantsubaki (2002), there is a scene in which a “young man,” who has come to a brothel as its new manager, “straightens up his diminutive body in an attempt to look dignified.” Given the way this is phrased, we can imagine that the man fails to gain the respect of the prostitutes, and quickly withdraws. In order to deploy a “boss” character by straightening up and looking dignified, one must have a suitable physical presence.
Even so, this is only a matter of “suitability” and “ease of acceptance.” Our bodies do not completely determine our characters.
Our bodies are not, to begin with, without ambiguity. Aside from being associated with the “boss” character, physical presence in and of itself is ambiguous, and could be linked with “oafishness,” “dull-wittedness,” “warmth of personality,” “wealth,” “authoritarianism,” “Epicureanism,” etc. This is expressed well by the “double life” of a spa attendant named Kijuu in Masu Ibuse’s Kakemochi (1940).
In Shinozasaya, an inn in the Yunomura spa area of Koushu where he works, Kijuu never drinks or smokes and meekly goes about his duties, carrying the futons and pillows to the rooms, washing the customers’ backs, and even helping with the cleaning. Despite this, the female staff members tease him, with the head woman actually driving him to tears at one point. Having nothing in particular to recommend him, at the end of each season, he alone among the three attendants, is sent away. In other words, he is a “loser spa attendant.” With no hometown to return to, he holds a second attendant job at an inn located in Yatsu Izu.
However, “peculiarly, when living at the Touyoutei inn at Yatsu spa, Kijuu received utterly different treatment.” The proprietress and female staff call him “Mr. Uchida” instead of “Mr. Kijuu,” and he is seen as an impressive “sophisticated, elegant attendant.” The high opinion of him others hold is unchanged, even when he casually lounges around the corridors smoking, reads newspapers and novels at the counting room desk with his chin propped on one hand, goes out drinking and stays away all night, or lets his beard grow out.
His change at Touyoutei and Shinozasaya begins with his clothes. When traveling between Izu and Koushu, he stops over in Atami. When traveling to Koushu, he changes into spa attendant attire, but when traveling to Yatsu, he dresses fashionably. “It is human nature that, having initially appeared in fashionable clothes, he wanted to stay always fashionably dressed. It is also human nature that, while dressed up nicely at Touyoutei, he did not wish to see the faces of any of the customers whose backs he had deferentially washed at Shinozasaya. While in Koushu, he never breathed a word about conditions of the fishing grounds to people in Izu.”
That is, he wanted to spend his time in Izu as a “sophisticated, elegant attendant” character, completely separated from his life in Koushu. He wanted to make his physical appearance match this character. However, he could not return to Koushu with his “sophisticated, elegant attendant” character’s appearance. In Koushu, Kijuu is fully aware that he is a “loser spa attendant,” and has a separate, suitable appearance, but what is important here is that this dual-character lifestyle is not something he himself devised; it began exogenously. Although his physical appearance is the same in both places, the people in Koushu and Izu created completely different characters for Kijuu.
Consider the girl who is the clumsy imouto character on her school sports team. But at her part-time job, perhaps she is an anego character, freely giving her coworkers a piece of her mind. In modern society too, one finds “Kijuus” living with multiple characters everywhere.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 13
2010年 6月 6日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)难以定论的外表与多重角色形象的人
在上一节中,我提到了漫画作品中的“变身技法”,指出了角色形象和外表具有关联性这一问题。生活中,我们每一个人的(体格)外表是不同的,而与外表相称的角色形象就会很容易被大家所接受,反之,与之不相称角色形象就不会那么容易被大家所接受。
宫尾登美子的《寒椿》(2002)中有一个这样的场面,作为新老板来到妓院的“年轻男人”在妓女们的面前总是“挺着矮小的身体,作出一幅威严之相”。从这样的描写中,我们就可以知道这个男子不会得到妓女们的尊敬,果然不久他就销声匿迹。这是因为要挺胸耸肩,作出一幅威严状的“老大”形象,还需要有一幅与之相称的宽厚威风的体格。
而就外表本身,给人的印象并不是唯一的。宽厚威风的体格除了可以给人一种“老大”印象以外,还可以给人“脑筋迟钝”、“愚笨”、“温暖踏实”、“有包容力”、“有钱”、“当权者”、“享乐主义者”等印象。所以外表是与多种印象相关联、难以定论的东西。井伏鳟二的短篇小说《兼职》(1940)里描写的一个叫喜十的领班的“双重生活”就明显地显示出了这一点。
在甲州(今山梨县内)汤村的一个叫筱笹屋的温泉旅馆里,领班喜十既不喝酒也不抽烟,温顺老实,搬被褥和枕头,在浴室给客人搓背、还帮助别人打扫,但是却被女佣看不起,甚至被女佣的头头儿气哭过。因为什么长处也没有,所以一过旺季,三个领班中,只有喜十一个人被迫放假,也就是说喜十是一个“无能的领班”。他没有家,所以整个8月和12月到3月之间的这段日子里,就只好去伊豆(今静冈县)谷津的一个旅馆打工,做兼职领班。
然而“很奇怪的是,喜十在谷津温泉东洋亭的这段时间,接受的简直是完全不同的待遇” 。从老板娘到下面的女佣们都不叫他的名“喜十”,而是用他的姓“内田” 称呼他,并且大家都认为他是位有风度的“办事周到帅气潇洒的领班”。他有时悠然地叼着烟在走廊里溜达,有时在账房的桌前托着腮看报上登载的小说,有时出去喝酒,有时整夜在外玩乐不归,而且还留了胡子,即使这样,周围人对他的评价也丝毫没有改变。
于是,喜十在筱笹屋和在东洋亭时的穿着打扮也变得不一样了。喜十在往伊豆和甲州的往返途中,要在热海(静冈县东部)过一夜,在去甲州汤村时一副佣人似的打扮、而去谷津温泉时就会改成绅士一样的装束。小说里有这样一段话:一旦让人觉得自己有绅士风度的话,就想自始至终保持这种绅士风度,这是人之常情;在东洋亭摆出那副帅气潇洒的样子时,他绝对不想见到在筱笹屋时巴结奉承过的,为其搓过背的客人,这也是人之常情。而在甲州的时候,他也决不会告诉别人自己在伊豆时的好光景。
就是说,喜十在伊豆时,就想完全撇开甲州的那个“喜十”、自始至终做一个“办事周到帅气潇洒的领班”,因此也想把外表打扮得和这种形象相称。但是,就这样以“办事周到帅气潇洒的领班”这一角色形象的外表是不能回甲州的。甲州的是一个“无能的领班”,所以必须得有与之相称的另一个外表,这一点,喜十是非常清楚的。但是需要注意的是,这种双重角色形象的生活,并不是喜十自己特意谋划出来的,而是由外部环境制造出来的。体格外表即使相同,但是就喜十而言,是甲州和伊豆的人成就了他形成了这两种完全不同的角色形象。
“在班级活动里是错误百出的‘小妹’形象,但在打工的地方却变成很有影响力的‘大姐’形象”,像这样,现代社会中,持有多重角色形象的“喜十”难道不是到处可见吗?
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
日本語社会 のぞきキャラくり 第93回
2010年 6月 6日 日曜日 筆者: 定延 利之権威のある有名どころの不自然な文章(中)
前回取り上げた坂口安吾の『不連続殺人事件』は、数件の殺人事件とは別に、もう一つの衝撃的な「事件」が女中の口から語られる点でも忘れがたい作品である。それは「お嬢様ゲロはき」事件である。
泣き出した珠緒さんを抱くようにして、あやかさんが連れ去る。十分ほどして戻ってくると、追っかけて女中がやってきて、
「奥様、お嬢様はゲロはいて、苦しみなすっていますが、海老塚さまに」海老塚はムッと顔をあげて、
「バカな。ヨッパライの介抱に医学者が往診するなんて、女王様だってありゃせん。さがれ」凄い見幕だった。[坂口安吾(1947-48)『不連続殺人事件』]
うーむ。果たして「お嬢様」が「ゲロはいて」よいものであろうか。発話キャラクタと同様(第56回)、表現キャラクタに関しても、一貫した形で現れるのが通例だとすると、「お嬢様は」と来れば、それに続くのは「ご体調を崩されて」ではないだろうか。うんとリアルに述べたところで「召し上がったものをお戻しになって」あたりであって、「ゲロはく」はないだろう。逆に、どうしても「ゲロはいて」と言いたいのなら、その主体は「お嬢様」ではなくて、特に取り立てて「品」が感じられない「珠緒さんは」、あるいは「あの人は」ぐらいで表現されるのがふつうではないか。
権威ある有名どころの文章が不自然だという例はまだまだある。たとえば壺井栄(1952)『二十四の瞳』では、三児の母とはいえ、まだ若いヒロインが「こまりますな」としゃべっている。「~ますな」だって。おまけにこのヒロインったら、「にやり」と笑っているぞ。正義の味方が「にやり」と笑っていいのか。
おたがいの品物をなげくようにいうと、そうだというようにおじいさんは首をふり、
「やみなら、なんぼでもあるといな。」
そして、はっはっとわらった。おく歯のないらしい口の中がまっ暗に見えた。女は目をそらしながら、
「きょう日(び)のように、なんでもかでもやみやみと、学校のかばんまでやみじゃあ、こまりますな。」
「銭(ぜに)さえありゃあなんでもかでもあるそうな。あまいぜんざいでも、ようかんでも、あるとこにゃ山のようにあるそうな。」
そういって歯のない口もとから、ほんとによだれをこぼしかけたところは、あま党らしい。口もとを手のひらでなでながら、てれかくしのように、むこうがわをあごでしゃくり、
「ねえさん、あっちでまとうじゃないか。日なただけはただじゃ。」
そういってさっさと反対がわ乗り場の方へ道をよこぎった。ねえさんとよばれて思わずにやりとしながら、女客もあとを追った。[壺井栄(1952)『二十四の瞳』]
再び言おう。権威ある有名どころの文章を取り上げていけば、こういう不自然なものをデータとして認めなければならないハメに陥るのではないか。それは、日本語とキャラクタの関わりをかえって分からないものにしてしまわないだろうか?(つづく)
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第102回
2010年 6月 5日 土曜日 筆者: 井上 史雄地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第102回「ハワイの英語ピジン方言をみる」
Watching English Pidgin dialect in Hawaii
ハワイの英語はアメリカ本土の英語と違います。地元ではハワイで発達した独特の英語をPidginと呼びます。言語学では厳密な定義のもとに術語として使っていますが、ハワイでは現在の英語ハワイ方言の名称なのです。1970年にWilliam Labovがハワイに滞在して、若い世代の談話の録音を試みましたが、大研究には発展しませんでした。その後大きな変化があり、今は研究グループが活躍しています。ホノルルの短期滞在の間にそのPidgin Coupの研究会があるというので、参加して、情報を交換しました。ホームページでも、基本情報が得られます。
http://www.hawaii.edu/sls/pidgin.html
今のハワイの若い世代のふだんのことばは、アメリカ本土の英語と、文法も発音も単語も違います。インターネット経由でそのピジン英語を聞く(見る)こともできます(会員の古川さんのご教示によります)。
(1) Talking Story about Pidgin: Exploring the creole language of Hawai‛i
http://sls.hawaii.edu/Pidgin/
高校の社会科の先生を対象にした授業補助を目指して構築中のウェブサイト。
“Pidgin in Public”では、街角のハワイピジンの写真が見られます。
(2) Ha Kam Wi Tawk Pidgin Yet? 1 of 3
http://www.youtube.com/watch?v=NesfQ2oNBcA
ワイアナエ高校の生徒が作成したドキュメンタリー。他の番組もYou Tubeで見られます。
(3) Pidgin: The voice of Hawai‛i
http://pidginthevoiceofhawaii.com/buy-the-dvd/
昨年発表されたドキュメンタリー作品を注文できます。
また街にはちゃんと方言みやげもありました。グリーティングカードがピジン英語で書かれています。【図1】
店とそのブランドの名前でもDa Kineというのがあります。The Kindのピジン発音「ダカイン」を写したもので、日本語のアレとかナニのように、思いつかないことばを仮に言うときに使います。【図2】
ハワイのピジン方言は、日本の方言と同じように、撲滅、記述、娯楽の三段階を経ました。人々の見方が変わると、同じ方向に動くのでしょうか? 方言グッズを手がかりにすると、世界のことばの動きが分かります。
* * *
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)、『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。
* * *
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。











![『新明解国語辞典 第七版[机上版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の机上版。判型は並判より大きいA5判で、さらに文字が大きく見やすい。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[机上版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kijo.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[革装版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の革装版。丈夫で使うほどに手になじむ。判型は並版・特装版と同じB6判。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[革装版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kawaso.jpg)
















































































































































2007年









