2010年 7月 のアーカイブ

「辞書引き学習」とは(監修:深谷圭助)

2010年 7月 16日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部
「辞書引き学習」とは

深谷圭助先生(⇒プロフィール)が開発した、辞書を最大限に活用して、子どもが自ら調べ・自ら学ぶ習慣と能力とを身に付け、子どもの可能性を最大限に引き出すための画期的な学習方法です。

 

「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み
―先生方・保護者の方へ― 監修:深谷圭助

◎「辞書引き学習」へのステップ(0) ―準備するものは3つ―

◎「辞書引き学習」へのステップ(1) ―辞書は身近に置く―

◎「辞書引き学習」へのステップ(2) ―できる限り低年齢のうちに始める―

◎「辞書引き学習」へのステップ(3) ―知っていることばを引く―

◎「辞書引き学習」へのステップ(4) ―調べたことばに付箋を貼る―

◎「辞書引き学習」へのステップ(5) ―とことん、ほめる―

 この取り組みが、子どもの可能性を最大限に引き出すことにつながって行きます。
「辞書引き学習」は、無限の可能性を秘めた画期的な学習法です。

 

解説編 「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み


「辞書引き学習」へのステップ(0)―準備するものは3つ―

 「辞書引き学習」では、準備はとっても簡単、用意するものは次の3つです。

これだけで、お子さまの前に無限の可能性が広がります。


「辞書引き学習」へのステップ(1)―辞書は身近に置く―

 用意した辞書は、お子さまが調べたくなったときにすぐ手が届く範囲に置いておくこと。当たり前ですが、このことが最も大切です。本棚にしまっておくのではなく、まずは机の上などすぐ身近なところに置いておき、いつでも手軽に調べられるようにしてください。

→ケースやカバーも、本来は辞書の本体を保護するためにご用意しているものですが、辞書を引くためには不要なものでもありますから、すぐにはずしていただいて結構です。


「辞書引き学習」へのステップ(2)―できる限り低年齢のうちに始める―

 小学校では、ふつう3年生または4年生で辞書の引き方を学びます。

 しかし、深谷先生によれば、低学年の児童のほうがことばや知識に対する好奇心や吸収力がより強く、「辞書引き学習」にも無心に取り組んでいくことができるとされています。引き方を詳しく教えることさえ必要ではありません。お子さまもすぐに辞書を引けるようになります。

 できる限り小さいうちに、できれば小学校1年生から、取り組みを始めることが重要です。

→漢字が分からない小さいお子さまでも、ひらがなさえ読めれば、心配なく「辞書引き学習」に取り組むことができます。(⇒三省堂のお薦め『三省堂 例解小学国語辞典』紹介ページ


「辞書引き学習」へのステップ(3)―知っていることばを引く―

 一般に、辞書とは知らないことばを引くものである、と思われることが多いですが、「辞書引き学習」では、そのような先入観を裏切る、「知っていることばを調べる」ことから始めます。

 たとえば、今日のお昼に食べた「スパゲティ」を引いてみてください。その説明を読むことで、今食べたばかりのおいしいスパゲティのことが「ことば」としても理解できるようになるでしょう。そして、たとえば「スパゲティ」を引いたお子さんは、その解説の文章から、「細長い」「西洋」「ソース」などの様々なことばを見つけ出して引くことができます。さらに、「ソース」を引いたお子さんは、「調味料」→「砂糖」→「さとうきび」……と引き続けて行くかもしれません。

 そのような繰り返しから、少しずつ辞書に親しんでいただくということが、「辞書引き学習」の大きな特色の一つです。


「辞書引き学習」へのステップ(4)―調べたことばに付箋を貼る―

 調べたことばを付箋に書き込んで辞書に貼っていくということも、「辞書引き学習」の大きな特色の一つです。

 はじめのうちは、付箋には鉛筆で順番に番号をふっておき、そこに調べたことばを書き込んで、辞書のページの上のほうに貼っていくようにしましょう。すぐに辞書の上部に付箋がたくさん“立った”状態になります。これを繰り返していくと、見る間に付箋が貼り重ねられ、早いお子さまでは数カ月もすると、ブロッコリーのように上部が大きく膨らんだ辞書になります。

 そのようにして貼られたたくさんの付箋は、お子さまにとって、自分が取り組んできたことの目に見える成果として映り、学びに対する自信にもつながってゆくでしょう。


「辞書引き学習」へのステップ(5)―とことん、ほめる―

 「辞書引き学習」が成功するか否かは、先生方・保護者の方のサポートにも大きく依拠しています。お子さまの辞書に付箋が立ち始めたら、積極的にほめてあげるようにしましょう。お子さまも、ほめられることで、自分の取り組みが正しく評価されていることを実感し、さらに努力をしていこうという気持ちを強めていきます。

 付箋でふくらんだ辞書は、多少見栄えはよくないかもしれませんし、かえって引きにくいのではないかと思われるかもしれません。しかし、お子さまにとってはそのような辞書こそが、自分の努力の証明であり、勲章なのです。決してあせらず、根気強く、お子さまの学ぶ気持ちを育ててゆけるよう、大らかに導いてあげてください。

 

「辞書引き学習」無限の可能性

 このように「辞書引き学習」は、辞書という昔から私たちの身近にある手頃なツールを手掛かりにして、子どもたちのなかに学ぼうとする意欲を芽生えさせ、調べる方法を身に付けさせ、達成感を実感させる学習法です。

 小学生向けの国語辞典は、このような「辞書引き学習」によって導き出されるお子さまの好奇心に十分に応えられるように編集されています。

 辞書に収録された数万のことばは、そこから広がる無限の世界への入り口であるということもできるのです。

 そして、国語辞典を引いて調べる楽しさを味わったお子さんは、たとえ1年生であったとしても、すぐに漢字辞典も難なく使いこなして漢字の学習に取り組んでいけるようになるでしょうし、より上級の辞書を調べるようになったり、辞書の枠も越えて、図鑑や百科事典・インターネットなど様々な場で、自らすすんで学んでいこうとするようにもなるでしょう。

 そのような取り組みのなかで、お子さま自身の個性や好奇心の向かう方向もだんだんと定まり、学習に必要な集中力も養なわれることが期待できます。

 「辞書引き学習」は、そのような無限の可能性を秘めた画期的な学習法です。

 

「辞書引き学習」に最適な辞書の選び方

 深谷先生によれば、「辞書引き学習」で利用できる辞書の条件は、

1)新しいこと
2)語数が多いこと
3)すべての漢字にふりがながついていること

の3つとされています。

 三省堂では、上記の条件にぴったりと合った『三省堂 例解小学国語辞典』をご用意しております。是非一度ご覧ください。(⇒紹介ページ


【深谷圭助先生プロフィール】

深谷圭助(ふかや・けいすけ)

1965年生まれ。愛知教育大学卒業。名古屋大学大学院博士後期課程修了。博士(教育学)。
1989年愛知県刈谷市立亀城小学校に着任。国語辞典を学校生活のさまざまな場面で取り入れることで、児童が主体的に学ぶ指導法(辞書引き学習)を展開。この実践を『小学校1年で国語辞典を使えるようにする30の方法』(明治図書)にまとめ、教育界の注目の的に。
2005年立命館小学校の設置メンバーとなり、06年4月から同校教頭、08年4月には校長に就任。辞書引き学習の普及にと、校内だけでなく全国各地を飛び回りながら、学習法のさらなる向上のため、現在は中部大学准教授として研究活動に没頭する毎日。
おもな著書に『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』(すばる舎)、『辞典・資料がよくわかる事典―読んでおもしろい もっと楽しくなる調べ方のコツ』(PHP研究所)、「辞書引き学習自学ドリル」シリーズ(MCプレス)などがある。

【編集部からのお知らせ】

■最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
 ⇒辞書引き学習についての情報

■三省堂では、書店さんといっしょに「辞書引き学習」の体験会を考えました。活動のもようは以下をご覧くださいませ。
 ⇒深谷圭助先生の「辞書引き学習体験会」のご紹介

■編集部で立命館小へうかがいました。以下に訪問記を掲載しています。
 ⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記1
 ⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記2

★深谷先生から推薦をいただいております

例解小学国語辞典 第四版
編者:田近洵一
B6判 1,216ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13821-3
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13822-0

 

例解小学漢字辞典 第三版 新装版
編者:林 四郎(主幹)・大村はま
B6判 1,152ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13817-6
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13818-3

 

★立命館小学校で使われています

クラウン学習国語百科辞典
監修:金田一春彦 編者:三省堂編修所
A5判 1,200ページ 3,990(本体3,800)円
ISBN 978-4-385-15048-2

 

明解PISA大事典:PISA型読解力への疑義あるいは異論2―そんな力、本当に必要なの?

2010年 7月 16日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第40回 PISA型読解力――そんな力、本当に必要なの?

 このところ2回連続して、作家の石田衣良さんとシンポジウムでご一緒する機会があった(1)。いずれも読書振興に関するシンポジウムである。みんなすっかり忘れているが、あるいはまったくご存じないが、今年は国民読書年(2)。読書活動を推進するような講演会やシンポジウムが、あちこちで(しかし細々と――なにしろ関連の基金が事業仕分けされてしまったのだ!)開かれているのである。

 石田さんとのシンポジウムはエキサイティングである。読書振興が目的の会のはずなのに、「本を読んで、いったい何の役に立つんでしょうねえ」とか、「本ばかり読んでる、気持ち悪い人もいますよねえ」とか、「読み聞かせなんて、ボクは絶対にやりません」などと、実に凄まじいことを言うのである。そこに、いとうせいこうさんや私が加わって、ぐちゃぐちゃの議論というか放談を繰り広げるものだから、読書振興を目指している真面目な主催者にしてみれば、傍で見ていて気が気でなかったことだろう。

 1回目のシンポジウムでは私が基調講演し、2回目のシンポジウムでは石田さんが基調講演した。私の基調講演は、例によってPISA型読解力に関するものである。ただ、最近では「PISA型読解力」という言葉はあまり使われず、「言語力」という、さらに定義の曖昧な言葉が使われるようになっている(しかし『言語力』といったほうが、『PISA型読解力』というよりも分かりやすい感じがするのだから不思議だ)。

 私の基調講演のあとのシンポジウムで、なんとなく「PISA型読解力は必要だ」という感じで話が流れていた時のこと、いきなり石田さんが「そんな力、本当に必要なんですかねえ」と言い出した。

 もちろん、何の理由もなく言っているのではない。

 これまでにも述べてきたことであるが、PISAとは多様化・複雑化・グローバル化した世界を背景に、グローバル労働市場において人材に求められる能力を測るテストである。確かに、現代が多様性の時代であることは認めざるをえない。だが、日本人の強みは多様性の強みではなく、むしろ画一性の強みなのではないか。多様化する世界において、多様性を活かせる人材が必要なのは認めるが、別に日本人がそれに合わせる必要はないのではないか。ほかのアジアの国々のように上り調子で、これから世界で勝負しようというのなら話は分かる。だが、日本は下り調子で、しかも上り調子に転じる見込みもないのだから、無理しなくてもいいのではないか。

 そういえば、石田さんの基調講演には「坂の下の湖」というタイトルが付けられていた。いま日本人は「坂の上の雲」(3)を目指すのではなく「坂の下の湖」を目指すべきなのではないか。いま必要なのは「攻め」の姿勢よりも、むしろ「守り」の姿勢。PISA型読解力は「守り」においても有効かもしれないが、その習得を目指すことで失われるものはないか? 失われるもののほうが大きいのではないか? だいたい、本を読むのに、目に見える根拠だけをチマチマ拾って、それだけを手がかりに益体もない議論をするなんて気持ち悪い――。

 「なるほどねえ」と、私も受けてしまったものだから、それからはスローな読書、耽美的な読書をテーマに、ゆるやかな話が続いた。人生において下降線を辿っている人間にとって、読書が格好の「避難所」になることについて。まさに「守り」の姿勢だ。

 読書振興を図るためのシンポジウムであるにもかかわらず、読書について前向きの議論にならないものだから、さすがに気が引けたのか、石田さんが最後に付け加えた。

 「本を読むと、モテますよ」

 本当か?

* * *

(1) ひとつは「子どもの読書活動推進フォーラム」(4月23日・於国立オリンピック記念青少年総合センター)、もうひとつは「近畿大学国民読書年フォーラム」(5月29日・於近畿大学)。
(2) 平成20年6月6日、衆参両院において、平成22年を「国民読書年」とすることが決議された。決議の内容については、以下のサイトを参照。
 http://www.mojikatsuji.or.jp/link_5dokushonen2010.html
(3) 言わずと知れた司馬遼太郎の名著(文春文庫・1999など)。欧米という「一筋の雲」を目指して、日本が「坂」を一生懸命に登っていたころのお話。

* * *

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

人名用漢字の新字旧字:「聡」と「聰」

2010年 7月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第67回 「聡」と「聰」

新字の「聡」は人名用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、旧字の「聰」は子供の名づけに使えません。「聡」は出生届に書いてOKですが、「聰」はダメ。でも、旧字の「聰」がOKだったこともあるのです。

昭和26年5月14日、国語審議会は人名漢字に関する建議を発表しました。この建議は、子供の名づけに使える漢字として、当用漢字以外に92字を追加すべきだ、というもので、この92字の中に新字の「聡」も含まれていました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、新字の「聡」が子供の名づけに使えるようになりました。

これに対し、琉球政府は6年後の昭和32年2月22日、人名用漢字表を告示しました。この人名用漢字表は92字を収録していましたが、本土の人名用漢字別表とは微妙に違うものでした。新字の「聡」ではなく、旧字の「聰」を収録していたのです。この違いに気づいた琉球政府法務局は、昭和33年7月29日に以下の正誤訂正を公示しました。

1957年告示第35号人名用漢字表中「聰」を「聡」と訂正する。

しかし、この正誤訂正は必ずしも徹底されなかったため、沖縄では旧字の「聰」と新字の「聡」の両方が子供の名づけに使える状態でした。

一方、本土においては、旧字の「聰」は子供の名づけに使えない、と思われていました。これに対し、昭和36年12月15日、当時の栃木県今市市の戸籍事務担当者は、今市市長経由で宇都宮地方法務局長に対し、旧字の「聰」を名に含む出生届を受理してよいかどうか、照会をおこないました。法務省民事局長の回答(昭和37年1月20日)は、旧字の「聰」も受理してさしつかえないが、なるべく新字の「聡」で出生届を提出させるよう指導してほしい、というものでした。昭和47年5月15日、沖縄は日本に復帰し、同時に琉球政府の人名用漢字表は無効となりました。この結果、沖縄では新字の「聡」があらためて人名用漢字となったのですが、これまでの経緯を考慮して、旧字の「聰」も出生届に書いてOKという形になりました。

しかし、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申は、これらの経緯を覆すものでした。旧字の「總」は子供の名づけに使えないのに、旧字の「聰」が子供の名づけに使えるのはおかしい、新字の「総」と「聡」だけに限って認めるべきだ、というのです。昭和56年10月1日の常用漢字表内閣告示と同時に、戸籍法施行規則が改正され、新字の「聡」だけが人名用漢字になりました。旧字の「聰」はこの日をもって子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いていて、「聡」は出生届に書いてOKですが、「聰」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

国語辞典入門:辞書の使い方 辞書の置き場所

2010年 7月 14日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第26回 国語辞典をどこに置くか?

 国語辞典を買って帰り、背割れ防止などの、使い勝手をよくする作業はすみました。ところで、読者は、この辞書をどこに置きますか。

 「どこに置こうが、私の自由でしょう」と言われれば、そのとおりです。でも、置き場所によって、国語辞典が活用されたり、されなかったりということがあります。

 ワンルームに住む学生にとっては、どこに置くも何も、置く部屋は1つしかないのですから、問題になりません。勉強机の前か横の、0.5秒で手に取れる場所にスタンバイさせておくのが理想です。外箱は取っておきます。

 問題になるのは、家族で国語辞典を共有する場合です。

 さる家庭を訪問した時、国語辞典が、リビングのガラス戸棚に安置してありました。もちろん箱に入れて、うやうやしく祀ってあります。これはもったいないと思いました。

 辞書は、戸棚なんかには入れないほうがいいのです。何か調べたいことばがあったとき、戸棚の前まで歩いて行って、扉を開け、辞書を手に取り、外箱を外し、ページを開くという動作を経なければならないのは、面倒くさすぎます。いきおい、「まあ、調べるのはやめておこう」となってしまいます。

 「なるほど、ごもっとも」。その家の人はうなずきました。国語辞典を戸棚から出し、テレビの横に置きました。これなら、テレビや新聞で分からないことばがあったときも、すぐに調べられます。私は、自分のアドバイスに満足しました。

 ところが、ずっと後に、ふたたびそのお宅を訪ねると、国語辞典は元の通りガラス戸棚に納まっていました。私は驚きましたが、もう黙っていました。

 その家庭では、ことばを調べる必要性を感じることが、ふだんあまりないのでしょう。それならば、テレビの横に国語辞典があったって、じゃまなだけです。

 でも、ことばに関心のある家庭に対しては、私は強くお勧めします。たとえ目障りであっても、国語辞典は、家族がすぐ手に取れる所に置くべきです。わが家でも、辞書はテレビの下の棚にいつも置いてあります。私は仕事がら当然として、妻も、分からないことばがあるたびに、その辞書に手を伸ばします。

疑問に思ったらすぐ調べる

 誰しも、1日のうちに、いくつもの知らないことばに出会います。いくつもはないだろう、と思うかもしれませんが、意識していないだけです。それらのことばを、できるだけ気に留めて、調べてみるということは大事なことです。

 夫婦で近所に出かけた時のことです。妻が文房具店の日よけを見上げて、ファンシーとは何か、と尋ねました。見ると、〈文具・事務用品・ファンシー・印章・印刷〉と書いてあります。ごく当たり前のことばで、ふつうなら見過ごしてしまうものです。

 私には、とっさに返事ができませんでした。「ファンタジーみたいなもんだよ。ファンシーグッズとか言うでしょう」。これでは、答えになっていません。

 家に帰って、主な国語辞典を引いてみました。「ファンシー」が載っていない辞書もけっこうありました。『新選国語辞典』の語釈が、私には最もしっくり来ました。

 〈普通と変わっていて、デザインなどがしゃれているようす。「―なバッグ」〉

 もっとも、この語釈は形容動詞としてのものです。店の日よけの「ファンシー」は、名詞として使ったのでしょうから、やや特殊な使い方かもしれません。

 こんなことばは、疑問に思ったらすぐ調べなければ、やがて忘却のかなたに消えてしまいます。散歩中のことばだけでなく、放送や活字で目にすることばも同様です。たとえ目障りでも、手近に国語辞典を置いておくことが必要なゆえんです。

 ここから一歩進んで、各部屋に専用の国語辞典を置いておくのも、決して非常識ではありません。寝室で本を読んでいて、分からないことばがあったとき、わざわざ別の部屋へ辞書を取りに行くのはおっくうなものです。書斎のほか、リビングと寝室あたりに辞書があれば、たいへん便利です。部屋ごとに種類の違う辞書を備えておけば、それぞれの特徴を知ることもできます。

 疑問に思ったことをすぐ調べるためには、辞書が素早く引けることも必要です。英語学者の関山健治さんは、早引きのためには、アルファベット(国語辞典なら「あかさたな」)の相対的位置関係を頭に入れておくことが基本だと言います(三省堂辞書サイト 英語辞書攻略ガイド(2) 電子辞書より速く冊子辞書を引く方法)。あとは、ゲーム感覚で練習を積むことです。関山さんは〈使い慣れた冊子辞書は電子辞書よりもはるかに速く引ける〉と断言しています。

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◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 18

2010年 7月 11日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 17

Individual and collective origins

In the last three installments (parts 15, 16, and 17), we have addressed characters—the “Tokyo native” and “Osaka native”—that originate collectively (in Tokyo’s and Osaka’s societies).

We noted that characters which have communal origins are not visible until they step outside of their communities. For example, the “Tokyo native” character is “normal,” and thus invisible, within the Tokyo dialect using society. Smart, or perhaps flashy, “Tokyo native” characters first become visible only when they step outside of their community.

However, this essence, which “is normal within one’s own community, and visible from without,” is not peculiar to characters which have communal origins. Let’s think back to the beginning of this series.

Humans are social animals that spend each day among groups. We survive among these groups by making judgments about one another. Not only do we make arbitrary judgments about others, for example “this person is a ‘rich kid’” or “that person is ‘nice’,” we live our lives swinging between joy and depression due to the judgments handed down on us by others.

Such “judgments of us as people,” which can safely be called the greatest concern for the majority of us, are unaccustomed to intention (parts 2 and 3). For example, the person we call a “rich kid” is simply behaving “normally,” but is perceived as a rich kid when observed by others. Similarly, the “nice” person is just behaving “normally,” but his/her behavior is perceived as nice by others. The subjects themselves are consistently acting “normally;” they have no intention of making others think they are “rich kids” or “nice.” Well, actually, they may have such intentions, but these intentions must not be visible to others.

In part 3 we talked about a male character in Junichiro Tanizaki’s Sasameyuki (vol. 2) whose intentions are detected to his detriment. Sachiko dismisses Okubatake as “unpleasant” because he “intentionally” speaks slowly in an effort to project a “rich kid” character.

In Sasameyuki there is one more character who incurs low opinions of others due to his intentions being detected. Shoukichi was the first to visit Sachiko after a flood occurs, taking great trouble to rush to Ashiya from Osaka without even bringing his luggage. Furthermore, upon seeing that Sachiko is safe, he says tearfully, “My dear girl, I am so glad.” These can only be the actions of a “nice” person, but Sachiko is given the impression that this “man who was usually so chatty, and talked animatedly” was “speaking in a fabricated voice, as if he had intentionally blocked up his nose.” Although he was relieved at seeing the younger woman safe, this is no excuse for Shokichi to blatantly alter his voice to sound tearful.

The quite feasible argument that he was “altering his voice in order to express his feelings to the other person” is far from perfect. This is precisely why we must consider “character,” which is alien to intent, separately from “style” which the speaker can intentionally change to suit the occasion, in observing the communication we use and words we exchange every day. The “rich kid” and “nice” characters we looked at above have their origins not in communities, but in individuals.

Thus, this essence, which “is normal within one’s own community, and unintentionally transmitted, and only visible from the outside” applies not only to characters with communal origins, but to those with individual origins as well. Of course the word “within” differs depending on whether one is speaking of “within an individual” or “within a community,” but both are fundamentally similar.

An Unofficial Guide for Japanese Characters 19 >>

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 18

2010年 7月 11日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 17

来自于个人与来自于群体

在之前的3节(第15节16节17节)中,对“大阪人”“东京人”等来自于群体(东京方言圈、大阪方言圈)的角色做了讨论。

其中指出,对来自于群体的角色形象,只有设身于群体之外才能看到。例如“东京人”这一角色形象在东京方言圈的内部是“平平常常”看不到的。当离开这个群体之后,就会看到(感觉到)或是潇洒或是装腔作势的这一东京人角色。

但是,“设身于内部觉得平平常常,设身于外部就会看到其特点”这不仅仅是来自于群体的角色所特有的性质。我们先回顾一下此连载刚开始时的话题。

人是社会性动物,每一天都在群体中生活,那么,在群体中怎样生活呢? 答案是在相互之间的评价中而生活。像“他是个‘少爷’”“他是个‘好人’”等,我们不但随便对他人进行评价,而且也会因他人给自己的评价或欣喜或气馁,时喜时忧。

另外,如果说我们最关心的事情是每个人的“人物评价”虽然似乎并非言过其实,但是需要注意的是“人物评价”与我们的意图却不相容(第2节第3节)。例如,当评价一个人说“他就是个‘少爷’”时,被评价的当事人其实只是做着他“平平常常”的举动,而在旁边侧观者看来那就是“少爷”的举动。同样,被称为“好人”的人也是做着他(她)“平平常常”的举动,但是在他人看来那就是“好人”所具有的举动。对于当事人来说是再“平平常常”不过的事情,并没有“让他人认为自己是‘少爷’或‘好人’”这种意图,即使有也绝不能把这种意图显露于外表让他人看穿。

在连载的第3节中曾提到,谷崎润一郎的《细雪》中描写了一个把意图显露于外表结果适得其反的男子。富家少爷奥畑让幸子感到“不愉快”对其不屑一顾的原因是,他为了显示自己“少爷”这一身份角色而故意(有意图地)慢条斯理地讲话。

《细雪》中,还有一个男子因意图显露而不得不心甘情愿地接受他人的低评价。在发生洪水之后,便第一个不顾一切急急忙忙地从大阪赶到芦屋来探望幸子一家的庄吉,问候了幸子,在看到幸子的女儿平安无事时,就用含泪欲哭的声音说“啊,孩子也平安无事太好了”。庄吉庆幸幸子的女儿平安无事而含泪欲哭的行为,可以肯定地说一种“好人”的举动,但是在幸子看来,这却是“平时话多、表情丰富的男人,在故意作鼻塞状装出哭声来说话”。庄吉虽说是为幸子的女儿平安无事而高兴,但是却很露骨地调节自己的声音作含泪欲哭状,竟然遭受到了幸子如此之低的评价。

《细雪》的例子告诉我们,“说话人调节自己的声音,把自己的感情传达给对方”这种看上去似乎是的的确确非常有道理的想法,实际上并不是无懈可击的。由此可见,我们在观察日常生活中的人际交往和交际中的语言使用时,除了“说话方式”这个说话人可以有意图地转换并运用自如的问题需要重视之外,还需要重视与意图不相容的“角色形象”这一问题。另外要注意的是,以上所例举的“少爷”“好人”不是来自于群体而是来自于个人的角色形象。

像这样,“在内部本是平平常常的事情,即没有刻意传达的意图,但外部的人只是如此感觉而已”这种性质,不仅仅与来自于群体的角色相合,与来自于个人的角色也是相合的。“内部”虽有个人内心与群体内部的区别,但是两者在根本上是没有差异的。

角色大世界――日本 19 >>

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《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

日本語社会 のぞきキャラくり 第98回

2010年 7月 11日 日曜日 筆者: 定延 利之

なぜキャラクタを考えるのか?(上)

 「行き当たりばったり」をモットーとする私でも、時にはハッと我に返ってしまうことがある。なんと、連載が100回に達しようとしているではないか。ひゃ、ひゃっかい。おそろしい。いったい私はここで何をしているのだろう?

 発端は2年前、日本語教育学会のシンポジウムでキャラクタについて講演したことである。聞いて下さっていた三省堂のOさんから連載のお話を頂いて、これを軽~いきもちでお引き受けし、毎週毎週行き当たりばったりに、ちょろちょろと書きつけてきたのだ、私というやつは。それが100回になろうとしているのだ。おそろしい。

 では、なぜ私は日本語教育学会でキャラクタについて講演したのか?

 それは、外国人が日本語を学ぶ際に、キャラクタが大きな問題になるからである。これは、「なぜおまえはキャラクタを考えるのか?」と人から問われたら、私自身がおそらく真っ先に答えることでもある。

 日本語能力1級試験を突破して日本に留学してきた、若い優秀な女子学生、Lさん。「明日は晴れますかな」と真顔で言われた時の脱力感は未だに忘れられない。Lさん、『老人』になるのはまだ早いよ。

 「ダメネェ」「暑イワァ」などと『女』のことばを連発されていた、故・T先生。ご自分が日本人の奥様から何を学ばれたのか、最期までよくわかっていらっしゃらなかったのではないだろうか。

 これまた若い優秀な女子留学生、Hさん。日本の大学院に来て、たまたま見かけた日本人の男子学生I君に、こう話しかけたという。

 「ボク、ボク」

 かわいそうに、I君は『幼児』扱いである。この2人がやがて夫婦になっちゃうんだから、世の中わかんないんだけどね。

 キムタクがドラマで「オレ」と言っているからといって、教室でもどこでも「オレ」で通そうとしていたキミ。お疲れさま。日本語社会の壁は厚かったでしょ。

 相手のことを「おまえ」って呼ぶのは、ふだん自分が『男』たちに「おまえ」って呼ばれてるからですよね。お姉さんの仕事、なんとなくわかっちゃったヨ。

 いやいや、発話キャラクタだけではない。表現キャラクタの例も挙げておこう。たとえば小説の一節に「Aは目をむいてそう言った」とあるとする。これだけで、私たちは、Aは「品」があまり高くないと見当をつけることができる。しかし日本語学習者は、相当勉強している人でもこれがわからない。もちろん、「目をむく」とは驚きや怒りのために目を大きく開くことだ、ぐらいは知っている。しかし、『奥様』が驚愕のあまり「目を見開いてそう仰る」ことはあっても「目をむいてそう仰る」ことはふつうないということは知らない。

 こういうことは、日本語を学ぶ者にとっては重要な問題のはずだが、日本語の先生はなかなか教えて下さらない。つまり、現在の日本語教育はこういうことに対応できていない。

 なぜ日本語教育が対応できていないのか? もちろん、その一因は日本語教育界の事情に帰されるべきである。いまの日本語教育界には、「外国人が日本語を学ぶ際にキャラクタが大きな問題になる。だから何とかしなければならない」という認識がまだまだ欠けている。私の講演も、実は行き当たりばったりなもので、よく覚えていないが、きっとそのあたりに焦点があったのだろう。そうに違いない。

 しかし、現在の日本語教育がキャラクタ教育に対応できていないことには、別の原因もある。日本語の先生がキャラクタについて教えられないのは、そもそもキャラクタというものがまだよく解明されていないから、つまりそのあたり研究が進んでいないからでもある。問題の根は日本語教育だけでなく、日本語研究にもあるということである。

 キャラクタというものを私がことさらに取り上げているのは、一つにはこういう日本語教育上の必要性や利点を考えてのことである。

 だが、日本語教育との関連を抜きにしても、キャラクタ、特に発話キャラクタを考えることは、言語研究にとって有益である。(つづく)

* * *

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第107回

2010年 7月 10日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第107回「スコットランドの英語方言と赤いヒース」
English dialect in Scotland and red heath

 1990年イギリス滞在中に、イギリス各地の方言についての資料を集めました。スコットランド方言のカセットテープが目についたので、発行元Scotsounを訪問することにしました。尋ねあてたら、住宅地の一角の個人の家でした。いろいろ話をうかがい、「経済的に成り立ちますか」と尋ねたら、「興味深い質問です」と答え、具体的な説明をしませんでした。個人の資金をつぎ込んでいるだろうと判断しました。

 お別れの記念にヒースの赤い花をくれました。『嵐が丘』でも登場するヒースの花は、実物を確かめたかったのですが、もう季節を過ぎていて、車窓からは見えませんでした。単純に喜んで、ありがたく頂戴し、「赤いヒースは珍しい。大事に飾る」と言ったら、説明してくれました。赤いヒースを手にした人はもう一度その地を訪れることになるそうです。でもその後スコットランドに足を伸ばす機会はありませんでした。

 今インターネットでScotsounを検索すると、組織は大きくなり、Scots Language Societyのホームページ(Hame Page)の中にあります。ScotsounはScot soundの方言風のつづりです。解説文のつづりもスコットランド英語を写しています。
   http://www.lallans.co.uk/audio_cds.html

 たくさんのCDが出て、しかもマークのあるCDをクリックすると、スコットランド方言の音声が聞けます。例えば下のページです。
   Largo by Sydney Goodsir Smith, read by Neil MacCallum (from SSC 142)
   http://www.lallans.co.uk/sscd%20069%20-%20Lang%20Syne%20in%20the%20East%20Neuk.html

 Scotsounのホームページの中に人物写真がありました。その人に見覚えがあります。20年後にインターネット経由でその地を訪れたわけです。一方的ですが……。

 ちなみに、スコットランドの方言みやげも、Googleで“Scottish dialect”と入力して「画像」をクリックすると、実例が見られます。ティータオル、コースター、マグカップ、エプロンなど色々あります。

 スコットランドの方言グッズは手元に適切なものがないので、代わりに北アイルランド、ベルファストのTシャツをお目にかけます。全体と拡大版です。

北アイルランド、ベルファストのTシャツ 北アイルランド、ベルファストのTシャツ イラスト部分の拡大

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

つなぎ語:元の話題に戻る―『英語談話表現辞典』覚え書き(24)―

2010年 7月 8日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前々回は新しい話題の導入にかかわる表現、前回は脇道にそれるときの標識となる表現を取り上げました。今回は脇道にそれた話題を元に戻す時に用いられるものを考えてみます。

anywayにはいろいろな用法がありますが(本辞典では10の語義に分けています)、よくみる使い方に元の話題に戻るものがあります。次例は本辞典からの引用で、「e-mailで送ってほしい」という要請に対して、コンピュータの問題があることをまず述べ、そこから元にもどって要請に答えることを示す標識としてanywayを使っています。

2 〈話題の本筋に戻って〉とにかく: “Can you send your CV by e-mail?” “Well, my computer doesn’t work properly. I’m thinking of buying a new one. Anyway, I’ll try to send it.” 「履歴書をメールで送ってくれませんか」「実は, コンピュータの調子が悪くてね, 新しいのに買い換えようと思っているんだ. ま, とにかく, 送ってみます」.

by the wayは過去2回でも取り上げましたが、今回も登場します。語彙項目ごとに記述していくと一緒に述べることができるのですが、このようにテーマごとにまとめると、煩瑣ですが、それぞれのところで記述せざるを得ません。いずれにしましても、by the wayは話題の導入、転換にかかわる語句で、次は前置きの話から本来の主題に移る用法です。

4 〈会話の本題に入るときに〉さて, ときに, ところで; 《会議の始めに》 It’s good to see you again. By the way, what’s become of the matter we spoke of? こんにちは, みなさん. ときに, 前回話し合った例の件はどうなりましたか? / 《採用試験面接官が雑談の後で》 Oh, by the way, do you have any special skills? さて, 何か特技はありますか?

また、文字通りの意味から元の話題に戻る言い方もあります。代表例がas I was sayingです。

1 〈話題を元に戻して〉前に言ったように, 先ほどの話だけど: Yes, honey, as I was saying, what would you like to do this summer holiday? そうそう, あなた, さっきの話だけど, この夏休みはどうするの? / 《コンピュータの話をしていて電話で中断した後で》 Well, as I was saying, the switch is turned on here. えーと, さっきのことだけど, スイッチはここだよ.

三省堂コーパスから元の話題が明示されている例を付け加えておきます。

《テレビを見ている夫に》‘Breakfast is served. Oh, I hate boxing.’ ‘There’s nothing wrong with boxing. It’s just sport, like any other.’ ‘But they’re just hitting one another.’ ‘Two highly trained athletes trying to outwit each other in a ring of combat.’ ‘Whatever you say. As I was saying, breakfast is served.’「朝ごはんの準備ができましたよ。うわ、ボクシングは嫌いだわ」「ボクシングのどこが悪いんだ。スポーツだよ、他のスポーツと一緒じゃないか」「だって殴りあっているだけじゃない」「2人の鍛え抜かれたアスリートが闘いのリングの中で互いに頭を使って勝とうとしているんだよ」「そうですか。とにかく食事ができてますから」


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

国語辞典入門:辞書の使い方 ケース カバー 装丁

2010年 7月 7日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第25回 辞書を買ってきたら

 これまで、子ども向けの学習国語辞典に重心を置いて話を進めてきましたが、今回から、一般向けの国語辞典を中心とした話に戻ります。

 どんな国語辞典を買うべきかという問題について、私は、「辞書は1冊には決められない。複数の辞書をそろえて、比べながら使うべきだ」ということを何度も述べてきました。結論を避けていると思われては困ります。これが私の結論なのです。

 そうは言っても、いきなり何冊も買わなくたってかまいません。この連載の内容も参考にして、まずは辞書を1冊買って帰ったという前提で、話を進めます。

 井上ひさしさんは、辞書などの厚い本を買ったら、まずすることがあると言います。

 〈机に背をつけて立たせ、表紙と裏表紙をおろす。次に表と裏から二十頁ぐらいの分量で、交互におろして行く。これを数回行えば背割れが生じない。〉(『本の枕草紙』)

 背割れとは、本の背をかためたのりが縦に割れることです。薄い文庫本でも、ときどき、ぱきっと2つに割れることがあります。背割れに強い辞書もありますが、それでも、特定のページが開きやすいように癖がついたりします。これを防ぐには、背の部分にいくつもの折れ目をつけておくといいのです。こうすれば、辞書を開いた時、のど(左右のページの合わせ目)の奥までよく見えるというメリットもあります。

 辞書はていねいに扱いたい、できれば買った時のままの状態を保ちたいと言う人がいるかもしれませんが、それだと、どうしても辞書を使う機会が減ってしまいます。使い勝手をよくするには、背割れの防止以外にも、いろいろやるべきことがあります。

 辞書の外箱は、断固捨ててしまいます。この外箱は、主として流通上の必要からつけてあるものですが、辞書を引く時には、いちいち箱から出していては能率が落ちます。美しいデザインの外箱でも、涙をのんで捨てます。

 表紙のビニールカバーは、汚れを防ぐためのものですが、やはり捨てたほうがいいと思います。表紙を支える指がすべって引きにくいし、音がくしゃくしゃうるさいからです(『岩波国語辞典』など、カバーのない辞書もあります)。もっとも、カバーを捨てると困ることもあります。使っているうちに、表紙の金文字がこすれて消えてしまうのです。

消えない金文字にしてほしい

 表紙の文字が消えやすいのは、実用上、大きな支障があります。このことは、辞書のデザイン担当の方々に対し、声を大にして訴えます。

 私は、学生時代から、辞書を買ったら必ずカバーを外して使っていました。ところが、少し経つと文字が消えて、何の辞書だか分からなくなってしまいます。

 やむをえず、金色の顔料のペンでなぞって、「○○辞典」と書きます。うまく書いたつもりでも、顔料はじきに薄汚れて黒くなり、やがて消えてしまいます。

 このあたりから、私の試行錯誤が始まりました。

 図書館の本のように、表題の上に接着剤を塗ればいいのではないかと思いつきました。大学図書館で聞くと、あれは酢酸ビニール系接着剤(木工用ボンドの類い)を塗ってあるそうです。ただ、これは、硬い表紙にはいいのですが、辞書のビニールの表紙には向きません。使っているうちに、ぱりぱり剥がれていきます。

 もう少し粘度のあるほうがいいかと考えて、黄色い合成ゴム系の接着剤を塗ってみたこともあります。これは、ぱりぱりではなく、ダマになって、ぼろぼろ剥がれました。

 塗装に使うラッカーの類いも同じで、結局は剥がれました。

 コーティングフィルムも貼ってみました。表紙が硬くなって引きにくくなりました。

 さあ、こうなると、もう私にはアイデアはありません。話は振り出しに戻り、辞書はビニールのカバーをつけたまま使うスタイルになりました。

 辞書によっては、表紙の文字を型押しして、そこに金文字を入れたものもあります。これなら、金色が消えたあとでも、型だけは残るので、目を凝らせば何の辞書かは分かります。『集英社国語辞典』の表紙などは、かなりくっきりと型押ししてあります。

 あるいは、消えやすい金色・銀色ではなく、他の色を使う辞書もあります。『旺文社国語辞典』は、白い表紙に青い大きな丸を印刷し、黒字で表題を書いてあります。これは比較的耐久性がありそうです。

 私の好みを言えば、やはり、型押ししない金文字の表題です。これが簡単に消えないようにさえなっていれば、私は断然、ビニールのカバーは外して使います。デザイナーの方々に何とかくふうしていただけないかと、切に願います。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(30)

2010年 7月 6日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(30) 職曹司時代「5月の御精進のほど」~卯の花車~

 ホトトギスを尋ねて京郊外に出かけた清少納言たちは、高階明順宅での目新しい接待を十分に楽しみ、詠歌の使命が果たせないまま帰途につきます。その帰り道には、清少納言たちを夢中にさせるさらなる誘惑が待ち構えていました。今が盛りと咲き誇る民家の垣根の卯(う)の花です。女房たちは満開の卯の花を折って、最初は牛車の簾や脇の方に差していたのですが、そのうち供の男たちも一緒になって、屋根に枝を葺いたように差していった結果、卯の花の垣根を牛にかけたような状態になってしまいました。

 これを見た人はなんと言うだろうと清少納言は期待しながら帰路を進みますが、話し甲斐のある貴族は一人も通りがかりません。大内裏の入口の門が近づき、卯の花車を誰にも見せられないのを残念に思った清少納言は、一条大宮の藤原為光邸に立ち寄ります。そして、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰る(侍従殿はいらっしゃいますか。私たちはホトトギスの声を聞いて、今帰るところです)」と、使者に声をかけさせます。
 
 侍従殿は藤原公信(きんのぶ)です。為光の六男にあたる二十歳過ぎの若者で、あの斉信の弟です。宮中の精進期間ということで、気を抜いてくつろいでいた公信は、突然の清少納言の訪問に驚きます。大急ぎで袴をはいて身づくろいしますが、それを待たずに清少納言は車を走らせます。袴の帯を結いながら牛車を追いかけてくる公信を見て、ますます車を急ぎ走らせるのです。わざわざ公信を呼び出しておいて、これは少しすげない仕打ちです。

 さて、門の所でやっと追いついた公信は、息をきらせながらも、まず卯の花車にひとしきり笑い興じます。この一興を語り伝えてほしいという清少納言の要望は公信によって叶いそうですが、その彼から、「歌はいかが。それ聞かむ(詠んだ和歌はどんなですか。それを聞きましょう)」と問いかけられます。ホトトギスの声を聞いて帰るからには、和歌の一つも詠じているはずというのが、貴族社会の常識だったのですね。しかし、清少納言たちはまだ和歌を詠んでいませんでしたから、「今、御前に御覧ぜさせてこそ(まずは中宮さまに和歌をお見せして、その後で)」とごまかしてしまいます。

 そのうち雨が強く降ってきました。門の下で雨宿りをしたいところですが、あいにくそこは屋根のない造りの土御門(つちみかど)だったので、濡れてしまいます。門の中へ入る牛車を引き留める公信に、「いざ、給へかし。内へ(さあ、いらっしゃいな。宮中へ)」と呼びかける意地悪な清少納言。公信が普段着のまま走って追いかけてきたので、そのまま宮中に入れないことを見越して言っているのです。

 雨はとうとう本降りになってしまいました。清少納言たちの牛車は大急ぎで門内に引き入れられ、残された公信は、家来が持ってきた傘をさして、後ろを振り返りながらのろのろと憂鬱そうに引き上げます。その手には牛車にさしてあった卯の花が一本握られていました。

 さて、定子後宮に帰還した清少納言たち一行は、定子の要請に応じて、早速、散策の一部始終を一同に語り聞かせます。ホトトギスがたくさん鳴いていたことや高階明順宅でのもてなし、最後に公信が車を追いかけてきた時の醜態で笑わせてオチをつけていますから、清少納言の彼への仕打ちは意図的なものだったと推測されます。公信は定子後宮の談笑のだしに使われたのです。

 ひとしきり報告が終わったところで、定子からホトトギスの歌を問われ、清少納言たちは肝心の和歌を詠みそびれたことを告白するしかありませんでした。今すぐにでも詠むようにと定子に言われ、乗車組四人は反省しながら詠歌を試みるのですが、そこにまた邪魔が入ってきます。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

An Unofficial Guide for Japanese Characters 17

2010年 7月 4日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

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In and out of the garlic room

Although Sachiko reacts to Mrs. Sagara, the intensely “Tokyo” character, by becoming an “Osaka native,” Mrs. Niu is easily induced to become a “Tokyo” character. Why?

This is because Sachiko is not very good at the Tokyo dialect, whereas Mrs. Niu is. Or, we could say that because Sachiko reacts to the Tokyo dialect, she is not good at it. Because Mrs. Niu allows herself to be induced by the Tokyo dialect, she is good at it. Which is the cause and which the effect, we cannot be sure.

Let’s try to explain this with a garlic analogy. Suppose everyone is eating some garlicky food. Because everyone is eating it, no one finds it smelly. The only people who will find it smelly are those who enter the room from outside.

The Tokyo dialect is like garlic. The cultural community that uses Tokyo dialect is like the room where everyone is eating garlics—the garlic room, if you will. Nobody in this room thinks it smells of garlic.

Mrs. Sagara is right in the middle of this room. So, she does not smell the garlic. She is merely speaking and behaving as usual. However, to Sachiko, who is outside the garlic room, Mrs. Sagara’s “normal””state of being is unbearably garlicky. She cannot overcome her perception that Mrs. Sagara is flashy and indecent.

Mrs. Niu, herself an Osaka native, must have been initially disgusted by this “smell” too when she first went to live in Tokyo as a student. But now, she too is a part-time resident of the garlic room, and is almost completely acclimated to its odor. It is “normal.” She can leave and enter the garlic room at will. Thus, she has mastered the garlic, or rather Tokyo, dialect.

Osaka dialect, like the Tokyo dialect, is garlic. In fact, Mrs. Sagara asks her friend Mrs. Niu to “show her a genuine Kansai lady,” so she takes her to meet Sachiko. From Mrs. Sagara’s point of view, it’s Sachiko who dwells in the garlic room. Even today, “Osaka Experience narratives” of Tokyo natives, who make comments such as “When I went to Osaka, I saw people actually speaking in Osaka dialect,” and “It was as if everyone was doing stand-up comedy(1),” are not uncommon. However, the speech and behavior in Sachiko’s Kansai cultural community of over half a century ago must have had an even stronger smell of garlic.

Everything I have discussed here applies completely to dialects, but also applies to language as well.

Whether English, Chinese, or French, they all smell of garlic to me. Only Japanese has no smell. However, if I go abroad and get used to living in another country, should I happen to see or hear Japanese tourists there, they would seem to reek in the extreme of Japan.

To learn another language is to enter fully into that language’s “smell.” Whether or not you are induced by and can adjust to the smell until it becomes “normal” is the key to language acquisition.

* * *

(1) A number of Japan’s comedians come from the Kansai area, so the dialect has to some extent become associated with humor and comedy.

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Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 17

2010年 7月 4日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

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大蒜房间的里面与外面

对于“东京人”角色浓重的相良夫人,幸子产生排斥、保持了她的“大阪人”角色,但是丹生夫人却很容易地被吸引,成了“东京人”角色,这是为什么呢?

这是因为幸子的东京话说得不太好,而丹生夫人的东京话却说得很好。反过来也可以说,幸子因对东京话有排斥心理,所以东京话说得不好,而丹生夫人因受东京话的吸引,所以东京话说得很好。很难说哪个是因哪个是果。

在这里用大蒜为例来解释一下。假设大家一起吃了有很多大蒜的菜,因为每个人都吃了,所以谁也不会觉得有蒜臭味,而感觉到蒜臭味的应该是从外面进来的人。

把东京话比喻为大蒜,东京话的文化圈就是大家一起吃了这些大蒜的房间,即大蒜房间。在房间里的人,互相之间感觉不到蒜臭味。

相良夫人就在这个大蒜房间的正中间,所以她感觉不到有大蒜的臭味儿。只是平平常常地说话,平平常常地行动。但是这个“平平常常” 却让大蒜房间外的幸子感到“臭”得难以忍受,对相良夫人所产生的装腔作势、令人讨厌的印象难以改变。

丹生夫人虽说是大阪人,但是女子学校却是在东京上的,刚开始在东京生活时,对于这种“蒜臭味”也许也是畏缩不前的。但是现在她已经算是大蒜房间的半个居民了,所以几乎感觉不到“臭”了,也就是说已经成为“平平常常”的事情了。因此她可以毫不犹豫地出入于这个大蒜房间。所以她的大蒜话,不,东京话越来越好。

与东京话一样,大阪话也是“大蒜”。实际上,是相良夫人对朋友丹生夫人请求说“让我看看关西风格的夫人”,于是才有了与幸子的见面。在相良夫人眼里,幸子才是住在大蒜房间的居民。“上次去大阪,那里的人真的都说大阪话呢”、“我还以为他们在说相声呢”等等东京人的这种“大阪体验之谈”即使现在也并不少见,那么,半个多世纪以前,关西文化圈的幸子的一言一行,也许也让相良夫人感觉“臭气难忍”吧。

在这里所说的一切不仅适用于所有的方言,而且也适用于所有的语言。

对日本人来说英语、汉语、法语都有臭味儿,没有臭味儿的只有日语。但是,如果已适应了国外的生活,在当地偶然耳闻或目睹到日本游客的所作所为时,日本所特有的“臭味”就会扑鼻而来。

学习某种语言就是进入该语言的“臭味”世界中,是否被吸引并且习惯、是否对“臭味”变得迟钝、是否能成为“平平常常”的事情,这可以说是语言学习的关键。

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《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

日本語社会 のぞきキャラくり 第97回

2010年 7月 4日 日曜日 筆者: 定延 利之

「あなた」と呼ばれたい?

 話し手自身を指すことば(自称詞)を前回取り上げたついでに、相手を指すことば(対称詞)にも触れておこう。

 留学生にたどたどしい発音で「アナタワ、センセイデスカ?」なんて言われても、私はそんなに腹も立たない。が、日本人学生に「あなたは先生ですか?」と言われたらむかついてしまう。それを言うなら「あのぅ、、、先生でしょうか?」あたりだろうが失礼な。いや、むかつくよりも警戒するかな。学生が先生らしい人間を「あなた」呼ばわりするということは、もはや状況は訴訟寸前のところまで来ているのかもしれない。あなたはそれでも先生ですか、いい加減にしなさい、何なら出るところへ出ましょうか、みたいな、ね。

 「あなた」ということばは「わたし」とペアになって、日本語の教科書の最初に出てくる。外国人は誰に対しても「あなた」でオーケーである。が、それはあくまで『外人』キャラのことばでしかない。

 たしかにテレビでコマーシャルを観ても、街角でアンケートを受けても、「あなたの肌年齢を若返らせる!」「あなたはどんな国に行ってみたいですか?」のように、「あなた」はよく現れる。だが、だからといって「あなた」がいつでも問題なしということにはならない。そもそもコマーシャルやアンケートというものは、見ず知らずの不特定多数の人々に向けられたもので、発信者側は受信者側と人間関係を築いていない。だからこそ「あなた」でよいのだろう。

 知り合いに囲まれて暮らしているかぎり、相手を「あなた」と言う状況はなかなか出て来ない。私なんか、人を「あなた」と呼んだことは、少なくとも年が明けてからまだ一度もないもんね。不遜だもん。「あなた」は丁寧なことばだけど、基本的に『格上』が発する丁寧なことばだから。大学の法学部を卒業して、どこへ行く当てもなく、文学部に学士入学する試験を受けた時、面接で教授に「なぜあなたはこんな就職のないところにわざわざ来るんですか」と叱られたけど、あれぐらいの先生でないと「あなた」とは言えない。あっしなんざ、まだまだでさぁ。

 もちろん、冒頭でも述べたように、法廷やその一歩手前といった公的な状況では、「1人の人間として誰もが平等に有する尊厳」とやらのせいだろうか、幾らかは人を「あなた」呼ばわりしやすくなるようではある。だが、容疑者は「あなた」と呼びやすい一方で、裁判長は「裁判長」であって「あなた」とは呼びにくいとしたら、「あなた」は結局そういう状況でも『格上』のことばらしさを保っているということになる。

 え? マンガ『サザエさん』なら、サザエさんが「あなた、お弁当忘れてるわよ」なんて夫のマスオさんに言いそうだって? その時、サザエさんはマスオさんを見下しているのかって? もちろんそんなことはないだろう。この「あなた」は、婚姻関係あるいは恋愛関係にある者(多くは女性)が、その相手に対して発する「あなた」である。いまどきの若い女性にはあまりなじみのないものかもしれないが、たとえば山本周五郎は江戸時代の男女に次のような会話をさせているし、

「[前部省略] おらあ弥六ってえ者だ、これからあ、そう呼んで貰えてえ」
「あらいやだ、女房が亭主の名を呼ぶ者があるかしら、御夫婦と定(きま)ればあなたアって呼ぶわ、そう呼ばせてくれるウ」

[山本周五郎『ゆうれい貸家』1950.]

ちょっと前の流行歌にもこれが実によく出ていた。「親しい関係にあるということは、お互いに『格上』として振る舞えるということである」と考え、さらに「男性が『格上』でぞんざいに「おまえ」と呼んだりするのに対して、女性は『格上』でも丁寧に「あなた」と呼ぶ」と考えれば、この「あなた」も上で述べた『格上』の丁寧な「あなた」とつながるのかもしれない。詳しいことはさらに調べてみなければわからない。

 だが、この恋人宛ての「あなた」の扱いがどうであれ、今の段階ではっきりしているのは、「あなた」が、丁寧なことばのはずなのに、人によっては失礼と感じられてしまう状況がいろいろとあるということである。相手のことをぞんざいに「おまえ」「きさま」「てめえ」などとは呼ばず、丁寧に「あなた」と呼んでいるのに感じられる失礼さとは、そもそも話し手が本来の分を超え高位者として振る舞っているという、話し手のキャラ(『格上』)に由来するものではないだろうか。私が言いたいのはそういうことである。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
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【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第106回

2010年 7月 3日 土曜日 筆者: 田中 宣廣

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第106回「『方言』と『しゃれ』のコラボ」

 北国の北海道は涼しいはずですが,先月6月のおしまい,北海道の暑さはすさまじいものでした。特に26日には30年ぶりの記録更新となる足寄の37.1℃をはじめ,帯広,北見など15地点で最高気温35℃以上の「猛暑日」を記録しました。

 これで思い出したのが,今から十数年前の夏のことです。1997年7月末,北日本は連日の猛暑に襲われました。そのときの『北海道新聞』の大見出しが「あついっ暑」でした。北海道方言の代表のような,確認の「―ッショ」と「暑」が掛けられているのは,北海道の人ならすぐに分かりますね。

 今回は,このように,『方言』と『しゃれ』を併せて使用した方言の有効活用例を取り上げます。

【写真1】じっ茶ばっ茶
【写真1】じっ茶ばっ茶
(クリックで全体を表示)

 岩手県の方言で,おじいさんを「ジッチャ」,おばあさんを「バッチャ」と呼ぶ地域があります。北部で優勢のようです。

 これを,ペットボトルのお茶の名にした商品が,岩手県岩泉町の株式会社岩泉産業開発から発売されています。その名も「じっ茶ばっ茶」【写真1】です。内容は,岩手県産の豆や雑穀を焙煎した烏龍茶です。

【写真2】いずこ…えずこ
【写真2】いずこ…えずこ

 もう一つ,第13回で紹介されている,宮城県の「えずこホール」の関連です。これ自体は施設名の方言ネーミングで,第13回で紹介された例の他にも多数あり,最近では特に珍しくはないものです。

 このホールの『方言』と『しゃれ』は,ホールの紙のパンフレットにある「いずこの人も えずこに来たれ。」のメッセージ【写真2】です。このホールを活動の場にしている多くの住民創造グループへの参加募集のメッセージで,第13回でもリンクしているインターネットの案内には認められないものです。

 また,第43回の「自転車を『降りチャリ、押しチャリ』」も,『方言』と『しゃれ』による,方言看板・ポスター類ですね。

 沖縄県那覇市に「ニーフェーデービル」(那覇の方言で「ありがとう」の意)という名のビル(建物)があるという情報も戴いています。これについては現在確認中です。

 皆さん,言語の商業的利用には,こういう「楽しみ」もあります。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』田中宣廣(たなか・のぶひろ)
 岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

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