『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(36) 笑われ者登場~源方弘(まさひろ)

2010年9月28日

職曹司時代の章段を中関白家隆盛期の正暦5年頃の章段と比べてみると、ずいぶん印象が違うことに気づきます。その理由として、第一に登場人物が変化したことが挙げられます。

正暦5年頃の章段では、関白道隆の下で栄える一族の伊周や隆家などがよく登場していました。そこでは華やかな衣装をまとった上流貴族たちが漢詩や和歌の教養を披露し、それに対して作者の最上級の称賛が贈られていました。一方、職曹司時代では、中関白家の人々の姿はすっかり消えています。栄華の世界から離れた定子を中心に、清少納言らサロン女房たちが日常的な生活の中で見聞きした些細な事件を取り上げ、題材にしています。

そんな職曹司時代の章段で活躍するのは中下流階級の人々です。上流貴族が称賛の対象であったのに対して、中下流階級の人々は、貴族社会にそぐわない言動によって笑われる対象となります。今回は、「方弘は、いみじう人に笑はるる者かな」と章段の冒頭で紹介される源方弘の話をしましょう。

方弘は、長徳二年正月に蔵人となり、宮中に出入りするようになった中流貴族です。彼は、『枕草子』の中で2つの章段に登場しますが、どちらの話でも笑われ者になっています。方弘のどういうところが笑われるのかというと、まずは奇妙な言葉遣いや言い回しです。それに、自らの失敗をつつみ隠さず大声で披露してしまうこと、立ち居振る舞いに注意が足りず、灯台をひっくり返したりして騒動を起こすことなどが加わります。

言葉遣いに対して敏感なのは作家として当然のことでしょう。他の章段で、ある人物の田舎訛りを清少納言自身が直接からかう場面がありますが、方弘については、殿上人がさんざん彼を笑っている状況を第三者の立場で記しています。

地方育ちの人間が、都会に出てきた当初、方言を使って笑われるのは現代社会でもよくあることです。方弘自身は自分が失態を演じているという自覚はなく、一生懸命に仕事をしていたのだと考えられますが、彼が頑張れば頑張るほど、周囲の失笑を買い、《笑われ者》のレッテルを貼られてしまうのが京の都の上流社会だったようです。

しかし、どんなに笑われても、部下が人々から「どうしてあんな主人に仕えているのか」とまで言われても、方弘はめげません。体裁を気にして出仕できなくなるのは上流貴族のお坊ちゃまであり、受領階級出身の成り上がり貴族は骨太で逞しいのです。

清少納言が方弘の噂をどんな風に受け止め、どう思っていたか、彼に対する作者の具体的なコメントは記されません。けれど、粗忽者方弘の人物像がなんと生き生きと描かれていることでしょう。この後、職曹司時代の章段には、方弘よりさらに下の階級の人物が登場し、定子サロンの生活の中に入り込んできます。上流貴族ばかりを見つめていた作者の視線が、時代背景の変化と共に変わり、その中で、《笑われ者》の役割が新たな作品形成の要として機能していくのです。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。