2010年 9月 のアーカイブ
つなぎ語:反論―『英語談話表現辞典』覚え書き(29)―
2010年 9月 16日 木曜日 筆者: 内田 聖二今回から反論にかかわる表現を考えてみます。「反論」というと、議論を思い浮かべますが、ここでは広く相手の意見、主張になんらかの異議を唱える言い方をいうことにします。もっとも直接的で端的な語句はbutです。以下は本辞典からの引用です。
2 〈不同意や不信感などの感情を表して〉でも:“I don’t think I should stay in this house.” “But why?” 「この家にいるべきじゃないと思うんだ」「でもいったいどうして」/《ルームメイトとのやりとり》 “Somebody wants you on the telephone.” “But who knows I’m here?” 「誰かからあなたに電話よ」「でも誰が? 私がここにいることは誰も知らないのに」.
第1例では ‘You should stay in this house.’ と思っている話し手が相手の意見と合わないことを but で表現しています。第2例は「ほかの誰も知らないはず」という前提と実際に電話がかかってきたことの矛盾に対して疑問を呈している例です。
相手の言っていることが文字通りわからないということは I don’t understand で表すことができます。
1 (相手の発言の意図が)わからないな, どういうこと?:“She must turn herself in.” “I don’t understand.” “She’s committed a crime.” 「彼女は自首すべきよ」「わからないな, どういうことだ」「彼女は罪を犯したのよ」/ “I can’t understand what you say. Wait a minute. I don’t understand.” “What don’t you understand?” 「僕には君のいうことがわからないな. ちょっと, 待ってよ. どういうことなんだ」「何がわからないんだ」.
この場合、相手の発言内容や発言意図がわからないことを伝え、ときには相手への不信感、疑念、さらに挑戦的な態度を表明することがあります。ちなみに、次例は相手に対してではなく、自分自身の考え方がまとまらずに自問自答しているものです。
3 〈反論や疑問を述べる前置きとして〉どうもわからない(んだけど) (◆しばしばbutを伴う):《殺人現場で》 But I don’t understand. Why did he draw the circle there? どうもわからないな. ホトケはどうしてあそこに円を描いたんだろう.
また、やや間接的に、What are you saying? と問うことも可能です。これは聞き取れなかったことを問い返しているのではなく、相手の真意、意図を問う言い方です。
1 〈相手の発言意図がわからずに〉 (いったい)どういうことなの:《夜のデートで別れるときに》 “I’ll see you in the morning.” “I won’t.” “What? Why? What are you saying?” “I’m saying goodbye.” 「じゃあまた明日」「それはないわ」「え? なぜ? どういうこと?」「これっきりにしましょうと言ってるのよ」/ 《娘が両親に》 “I’m leaving tomorrow.” “What are you saying? Are you saying that you are going to live alone away from us?” 「明日出ていくわ」「何て言ったの? つまり, うちを出てひとり暮らしを始めるということ?」 (◆このように, Are you saying that . . . ? を用いて, 相手が言いたかったことを推測して聞き返すことがある)
上の2つの例とも相手のことばははっきり聞き取れているが、その意図するところが理解できなかったことを表しています。「反論」とまではいきませんが、いずれも話し手が思っていることとは違う話の展開になっていることに注意しましょう。次例では相手の意見、主張に真っ向から異議を唱えている言い方になっています。
2 〈異議を唱えて〉何(ばかなこと)を言ってるのか, いったいどういうことですか:“I think we should have a change of headmaster.” “What are you saying? He’s the best headmaster we’ve had for years!” 「校長を替えるべきだと思います」「何を言ってるんですか. 彼は(我が校の)長い歴史の中でも最も優秀な校長ですよ」/ 《息子のことで口論して》 “He didn’t study seriously. That’s why he failed the test.” “What are you saying? He prepared enough for the test.” 「彼は真面目に勉強しなかったからテストに失敗したんだよ」「何を言ってるの. 試験勉強はたっぷりしてたわよ」.
さらに、What’s your problem? と相手の話のポイントが把握できない旨の言い方もあります。
1 〈相手の言ったことに対して〉何が問題なのか, 何が気に入らないのか:《戦闘機のパイロットと上官との会話》 “You two really are cowboys.” “What’s your problem?” “You’re everyone’s problem. That’s because every time you go up in the air, you’re unsafe.” 「君たち2人は本当に無謀なやつらだな」「それがどうしたって言うんです?」「問題だよ. 君たちが空中にあがるたび, 無茶ばかりやらかしてくれるのだから」.
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(35)
2010年 9月 14日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(35) 行成と清少納言の交流
他人に迎合しない行成は、清少納言以外の女房たちからは敬遠されがちです。若い女房たちが、「行成様は本当にお付き合いしにくいこと。他の男性のように歌を歌って楽しんだりもせず、ちっとも面白くないわ」などと非難するのを聞いて、他の女房たちには声もかけません。そして、清少納言に向かって次のように言うのです。
まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、頤(おとがひ)の下、頸(くび)清げに、声にくからざらむ人のみ思はしかるべき。
(ぼくは、目は縦向きに付き、眉は額の方に生え上がり、鼻は横向きであっても、ただ口元が魅力的で、あごの下や首がきれいで、声の感じのよい人だけに心ひかれるようだ。)
これは行成の口説き文句です。ということは、この描写のどこかに清少納言の容貌について言っている部分があると思われます。
この時、清少納言はまだ、行成に顔を見せるほど気を許してはいません。前半の目鼻立ちについては、行成が単に当時の美の基準と反対のことを言っているのだと考えます。縦向きについた大きな目と、額の方に生えあがった大胆な眉の造作は、平安美人とは程遠い顔立ちです。
それに対して、口元と声の魅力を褒める後半は、清少納言について言っていると考えてもよさそうです。貴族女性は普段、扇で顔を隠していますから,顔の中心部分は見えません。それで、扇の下から見える口元やあご、首、そしていつも聞いている声を取り上げて褒めたのです。ちゃんと確認したものだけを褒める、行成らしい口説き文句です。清少納言も悪い気はしなかったでしょう。ただ、これでは、清少納言の顔立ちの全体像がいっこうに浮かばないのが残念です。
さて、行成は中宮定子への取次役として、常に清少納言を呼び出していました。自室に下がっているときも御前まで上らせ、里下がりしているときには自ら里に足を運んでまで取次を申し入れます。清少納言が何を言っても、まったく聞く耳を持ちません。年上の宮仕え人として、清少納言が諭そうとしているうちに言い争いになり、行成が、「本当に、にくらしくなった。では、顔を見せるなよ」と言って、絶交状態になってしまいます。
二人の交渉再開のきっかけは、仲むつまじく過ごす天皇と定子の姿でした。ある朝、一条天皇と連れ立って登場した定子に見とれていた清少納言の寝起きの顔を、行成が偶然見てしまい、それから後は、清少納言の部屋の簾をくぐって中に体を差し入れなどして話をするようになったと、書かれます。ちなみに簾の中に体半分を差し入れて話をする男性と、簾の中の女性の関係はかなり親しいと言えますが、それ以上の関係は推し量れません。
ところで、この章段で作者が書きたかったことは、行成との交流の他にもう一つあったという見方ができます。行成と清少納言の絶交は、定子の久々の内裏参入を示す場面で解決していますが、この時期の定子の内裏参入は、世間から注目される事件でした。作者はその定子の姿を、行成と清少納言の交流を利用して描いたと見ることができると思われます。行成は、定子と一条天皇同席の場に肯定的な態度で伺候する人物として、この場面に最もふさわしかったのです。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
An Unofficial Guide for Japanese Characters 27
2010年 9月 12日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 26
Beyond common linguistics
In Japanese, turtleneck and high-neck clothes are called “tokkuri” (bottlenecks) by “adults.” “Adults” also use “yoo suru ni” in place of “kekkyoku”. Or “hikkyou(1).” They even babble phrases such as “Seezon kampu kyuufukin tsuki no shuushin iryoo hoken ga….” (About my lifetime health insurance with subsistence pension…); a “child” can do none of these things. “Adults” have a monopoly on the use of out of fashion, old fashion and tedious language. This is because, “adults” are by nature inclined to (or must) use out of fashion, old fashion or tedious language.
In fact, polite language that shows concern for others, such as “you look after yourself too,” are also “adult” patterns (Part 22). This is because “adults” are naturally concerned for others. These facts do not merit being stated; they belong to the realm of the ordinary.
However, this sort of explanation offered by “common linguistics,” that “naturally ‘adults’ use this sort of language because they are thus and so” cannot completely address “adult” speech. We have already partially seen this.
For example, unlike “fuun,” and “hee,” “haa” and “hoo” are used in “adult” speech (Part 23). There is no prospect of building a common-sense explanation of this fact based on the argument that “naturally ‘adults’ are thus and so.”
A further example is that “ara” when said with a falling, as opposed to a rising, intonation is the sort of speech used by a “madam,” which is a certain kind of “adult”(Part 26). This fact cannot be completely explained by any common-sense “adult” theory or “madam” theory.
When someone chops up a list with the conjunction “to” (and), for example “Tanaka-san too, Sato-san too, Suzuki-san too, Yamada-san…” (Tanaka-san and Sato-san and…), instead of saying, “Tanaka-san, Sato-san, Suzuki-san, Yamada-san…” it sounds “childish” (especially when the “leap-and-fall” intonation (Part 14) is used, and the syllable “to” is given a particularly high intonation, while the “-o” is lowered). This phenomenon appears to be open to the simple common-sense explanation that “children” tend to begin speaking before thinking over what they are going to say, and have to think as they speak. This explanation seems even more certain if one considers that in English too, saying “A, and B, and C, and D…” instead of “A, B, C, D, …” is considered childish.
However, we mustn’t forget spoken expressions such as “Rusu no aida ni Tanaka-san dakke, hito ga kita yo” (While you were away, someone —Tanaka was it?— came by) and “Otoko no hito ga hachi-nin datta ka, nimotsu wo todoke ni kita” (Some men … about 8?… delivered the items). Starting to speak before being able to remember certain information—what was the name of the person who came while you were away? how many men delivered the items?—and thinking while speaking is a pattern used by “adults” not “children.”
Beginning to speak before thinking over what one is going to say is not only the act of an unskilled “child,” but also of an unworried, lax “adult.” In terms of structure, the two differ in that the “child” displays this phenomenon in parallel structures—“Tanaka-san, and Sato-san, and Suzuki-san, and Yamada-san…”—while with the “adult” it appears in parenthetical structures—“Tanaka was it?” and “About 8?”
Furthermore, while “children” don’t use parenthetical structures, such as “While you were away, someone—Tanaka was it?—came by,” it isn’t uncommon for them to laxly say, while lolling around at home for example, “Maada tabetenuai nodaaa” (I haaaaven’t eeeeeaten yet). So there are various types of laxness. On the other hand, in parallel structures such as “Tanaka-san, too Sato-san, too…” too, children don’t say “Tanaka-san to da, Sato-san to da…” (this is an “adult” pattern, one used specifically by the “middle aged man”). This problem cannot be addressed by the common-sense explanation that “children” tend to begin speaking before sufficiently thinking over what they are going to say.
It is necessary to go beyond common sense and re-question what are parallel structures, what are parallel structures with an appended “da,” what are parenthetical structures, how are they “lax,” how is this “laxness” different from sentences like “Maada tabetenuai nodaaa,” and what do we mean by “child” character and “adult” character? The deepening of the mutual understanding between structure and character on the “common sense” level by extracting clues from language usage is indeed the entire point of our research.
* * *
(1) “Yoo suru ni,” “kekkyoku,” and “hikkyou” all essentially mean “in short” or “in the end.”
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 27
2010年 9月 12日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)超越常识语言学
把“タートルネック(turtleneck 高翻领)”、“ハイネック(high-necked 高领)”说成“トックリ(tokkuri 酒壶(细脖领))”;本来说“けっきょく(kekkyoku 结果、最后)”就可以,却要用“要するに(yoosuru-ni 归根到底、总之)”;动不动就使用“畢竟(hikkyoo 毕竟、总之)”;最后顺口就能说“生存還付給付金付きの終身医療保険が……(Seezon kampu kyuufu kin tsuki-no shuushin iryoo hoken-ga…… 带有被保险人生存返还奖金的终身医疗保险是……)”这样的话—以上这些都是“小孩子”做不到的。过时的措辞、陈腐的措辞、难懂的措辞都属于“大人”的专利。之所以如此,是因为“大人”本身就是赶不上潮流、陈腐的,喜欢说(或是必须说)让人一些难懂的事情。
其实,“你也要注意身体”这样关心对方的礼节性话语也是“大人”所特有的(第22节)。这也是因为“大人”能够考虑担心他人。这些似乎是已经没有必要提及、属于常识的事情。
但是,“大人”的说话方式用“因为‘大人’本来是这样这样的人,所以说这样的话”这种“常识语言学”来解释,是不能完全解释清楚的。这其中的一部分我们已经有了关注。
比方说,与“ふーん(fuun)”“へぇ(hee)”不同,“はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”属于大人的说话方式(第23节)。把这个解释成“‘大人’本来就是这样的人”,这种从常识来解释的观点是站不住脚的。
再比方说,与升调的“あら(ara)”不同,降调的“あら(ara)”是“贵夫人”、即一种“大人”的说话方式(第26节)。这也是用常识性的“大人”论或“贵夫人”论不能完全解释清楚的。
本来说成“田中さん、佐藤さん、鈴木さん、山田さん、……(Tanaka-san、Satoo-san、Suzuki-san、Yamada-san、…… 田中、佐藤、铃木、山田、……)”就可以,却要在姓名之间逐一加上“と(to 和)”,“ 田中さんとぉ、佐藤さんとぉ、鈴木さんとぉ、山田さんとぉ、……(Tanaka-san-too、Satoo-san-too、Suzuki-san-too、Yamada-san-too、…… 田中、和佐藤、和铃木、和山田、……)”分段说(特别是用回降型句尾升高语调(请参照第14节),“と(to)”特别高,在“ぉ”处降低),这被认为是“孩子”的说话方式。而且,这似乎可以用常识简单地解释成“‘孩子’总是在没有想好的情况下就开始说话,所以总会边说边想”。英语中本来可以说成“A, B, C,…”,但是却在各个字母之间逐一加上“and”,说成“A, and B, and C, and D”,这样的说话方式也很像孩子。这样看来,“‘孩子’总是在没有想好的情况下就开始说话,所以总会边说边想”这种解释似乎是完全正确的。
但是,“你不在家的时候,有个人,是叫田中来着吧,来了”“几个男的,好象是8个人来着,把行李送来了”这样的说话方式也不能忘记。没有完全想起“听话人不在家时来的人是谁”“来送行李的男的是几个人”就开始告知对方,在说的过程中考虑,这样的说话方式不是“孩子”、而是“大人”特有的。
就是说“在没有完全考虑好的情况下就开始说话”这种行为,其实既是“孩子”稚嫩的表现,也是“大人” 一种带着从容的松弛表现。两者在句式的表现上有着不同,“孩子”是在“ 田中さんとぉ、佐藤さんとぉ、鈴木さんとぉ、山田さんとぉ、……(Tanaka-san-too、Satoo-san-too、Suzuki-san-too、Yamada-san-too、…… 田中、和佐藤、和铃木、和山田、……)”这样的并列句中表现,大人则是在“是叫田中来着吧”“ 好象是8个人来着”这样的插入句式中表现。
再进一步说,“孩子”不会说“你不在家的时候,有个人,是叫田中来着吧,来了”这样带有插入语的话语,但是在家里松弛散漫地说“まぁだ食べてぬぁいのだぁあ(Maada tabe-te-nuai-no-daaa 还~没(mo)~有吃(饭) ~呐~)”,这种说法却并不少见。可见松弛也是各种各样的。另外,“孩子”虽说使用“ 田中さんとぉ、佐藤さんとぉ、……(Tanaka-san-too、Satoo-san-too、…… 田中、和佐藤、……)”这样的并列句,却不会使用“ 田中さんとだ、佐藤さんとだ、……(Tanaka-san-to-da、Satoo-san-to-da、…… 田中、和佐藤、……)”这种带有“だ(da)”的并列句(这是“中年男子”和“大人”所特有的)。这已经不是用“‘孩子’总是在没有想好的情况下就开始说话,所以总会边说边想”这样的常识性解释所能解决的问题。
我们需要做的是,“并列句是怎样一种句式?”“带有‘だ(da)’的并列句不同在哪里?”“插入语句式是怎样一种句式?其所表现的是哪种意义上的‘松弛’、与‘まぁだ食べてぬぁいのだぁあ(Maada tabe-te-nuai-no-daaa 还~没(mo)~有吃(饭) ~呐~)’所表现出的‘弛缓’究竟有怎样的不同?”,并且“在这里称为‘孩子’的角色形象、称为‘大人’的角色形象究竟是什么人?”这种超越常识的再思考。以说话方式(语言措辞)为线索,对句式和角色进行超越常识的进一步深入理解,研究的妙趣正在于此。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第116回 大阪弁の威力
2010年 9月 11日 土曜日 筆者: 田中 宣廣地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第116回「大阪弁の威力」
1993年から放映されたテレビCMのキャッチコピー「勉強しまーっせ。引っ越しのー○○○。」は,かなりのインパクトをもって全国に届きました。出演していた俳優さんも,その後多くの映画やテレビドラマで大活躍していますが,今でも「引っ越しの○○○の人」と言えば分かってもらえるくらい,多くの人の記憶に残っています。
(注)「勉強する」は,商業やサービス業で「値引きする」意です。関西発祥の表現ですが,現代では他地方でもよく使われています。
このインパクトの強さの理由は,いくつかあると思いますが,やはり,このCMコピーが大阪弁=大阪方言であったこともそのうちの重要な一つであると思います。
この会社は,たしかに大阪で発祥しましたが,このCMは大阪の人だけに向けたものではなく,また,特に大阪に引っ越して来てほしいというわけでもありません。
つまり,大阪方言に「全国の人に強い印象を植え付ける」効果を認めることができるのです。CM作者がこういう大阪方言の使用目的を持っていたかどうかは確認していませんが,結果として,この効果が出ているのは確かです。
この大阪方言の使い方は,上で述べたとおり,方言メッセージの基本の使い方とだいぶ異なるもので,大阪方言の威力が認められます。今回は,このような例を紹介します。
まず,東京で見つけた大阪方言のメッセージ2例です。新宿駅近く(想い出横丁付近)の金券ショップの案内「…ありまっせ!!」【写真1】と,JR高田馬場駅戸山口(新大久保寄りの小さな改札口)すぐそばの飲食店の案内「…あげてまっせ」【写真2】です。東京で大阪方言のメッセージは,確かに目立ちますね。
次は,明星食品株式会社のカップ麺の方言ネーミング「○○でっせ」です【写真3】。6種類あります>>【写真3】をクリック。「すうどん」は,関西料理ですが,他の5種類は,麺自体の名称は全国共通のものですし,この6種とも関西地域限定販売ではありません。名称とともに,「麺もスープ[つゆ]もめっちゃ旨い!」という説明も大阪方言です。
もう一つ,山崎製パン株式会社のパンの方言メッセージ「うちら…ええ感じに…ってなんでやねんっ!」【写真4】も紹介しておきます。このシリーズで,他のものは,共通語が使われているようですし,やはり,全国販売品です。
この“大阪弁の威力”,ものすごい!と思いますが,皆さん如何でしょう?
* * *
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
田中宣廣(たなか・のぶひろ)
岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
NHKドキュメント20min 「恋して!漢字」
2010年 9月 10日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部9月12日(日)深夜(0:10~0:30) NHK総合「ドキュメント20min.『恋して!漢字』」に、近刊の『当て字・当て読み 漢字表現辞典』の編者 笹原宏之先生 が登場されます。
NHKドキュメント20min. 「恋して!漢字」 番組紹介ページ
近刊案内(2010年10月)
2010年 9月 10日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部当て字・当て読み 漢字表現辞典

笹原宏之 編
A5判 912ページ ¥3,675
ISBN 978-4-385-13720-9
運命(さだめ)・時代(とき)・秋桜(コスモス)・本気(マジ)・豆富・夜露死苦など、現実に流通していながら辞書には載りにくい表記を多数採録。見出し約11,000、当て字表記約23,000。
グランドセンチュリー和英辞典 第3版

小西友七 監修
岸野英治 編
B6変型判 1,760ページ ¥3,045
ISBN 978-4-385-10739-4
全国の高校で推薦ナンバーワンの学習和英辞典が全面改訂、待望の第3版。入門期から受験準備までこれ一冊で。
英作文に役立つ「ライティングのヒント」欄を新設。日常語を強化し、総収録項目数4万3千。
人名用漢字の新字旧字:「点」と「點」
2010年 9月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第71回 「点」と「點」
新字の「点」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「點」は子供の名づけに使えません。「点」は出生届に書いてOKですが、「點」はダメ。でも、俗字の「奌」も議論されたことがあったのです。
昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、常用漢字1134字、準常用漢字1320字、特別漢字74字、の合計2528字を収録していました。この常用漢字の中に、新字の「点」が含まれていました。「点」の直後には、カッコ書きで「點」が添えられていて、「点(點)」となっていました。国語審議会は、旧字の「點」ではなく新字の「点」を使うべきだ、と答申したのです。
昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字でも、新字の「点」が収録されており、カッコ書きで旧字の「點」が添えられていました。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要する、と判断しました。それにともない、昭和21年6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。さらなる検討をおこなうべく、文部省教科書局国語課は8月2日、「點」に対する新たな簡易字体として「奌」を提案しました。「点」より「奌」の方がよく使われていたのです。これに対し、主査委員会は8月27日、「點」の簡易字体として「点」を選択し「奌」を棄却しました。また、10月1日の主査委員会では、表の名称を、常用漢字表から当用漢字表へと変更しました。
昭和21年11月5日、国語審議会は文部大臣に当用漢字表を答申しました。この時点の当用漢字表1850字は、手書きのガリ版刷りでしたが、新字の「点」が収録されていて、直後にカッコ書きで「點」が添えられていました。つまり「点(點)」となっていたわけです。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表でも、やはり「点(點)」となっていました。
昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「点」が収録されていたので、「点」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし旧字の「點」は、あくまで参考として当用漢字表に添えられたものでしたから、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「点」は常用漢字になりましたが、旧字の「點」は人名用漢字になれませんでした。それが現在も続いていて、新字の「点」は子供の名づけに使ってOKですが、旧字の「點」はダメなのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
近刊・新刊案内(2010年9月)
2010年 9月 6日 月曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部三省堂の辞書・事典、2010年9月に発売が予定されているのは…
デイリー 4か国語辞典 日英中韓

三省堂編修所 編
B6変型判 800ページ ¥2,310 ISBN 978-4-385-12247-2
多言語を楽しもう! 日本語・英語と東アジアのメジャーな言語、中国語・韓国語が並んだシンプルな4か国語辞典。見出しの日本語には総ルビ、中国語と韓国語にはカタカナ発音付き。さらに、中国語にはピンイン、韓国語には対応する日本漢字付き。旅行に、ビジネスに、学習に便利。総項目数約1万1千、2色刷。
デイリー 6か国語辞典 日英独仏伊西

三省堂編修所 編
B6変型判 832ページ ¥2,310 ISBN 978-4-385-12248-9
多言語を楽しもう! 日本語・英語とヨーロッパの人気言語、ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語が並んだシンプルな6か国語辞典。見出しの日本語には総ルビ、独・仏・伊・西語にはカタカナ発音付き。互いに似通う五つの言語をまとめて覚えられ、旅行に、ビジネスに、学習に便利。項目数約1万、2色刷。
漢字・七つの物語 中国の文字改革一〇〇年

松岡榮志 著
四六判 208ページ ¥2,520 ISBN 978-4-385-36495-7
魯迅はかつて「漢字が滅びなければ、中国は滅びる」と喝破した。しかし漢字は今やインターネットで世界中を駆け巡るまでの存在となった。漢字はなぜ生き残ったか。中国一〇〇年の漢字政策の流れを、人々のドラマを織り交ぜつつ語る、七つの物語。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 26
2010年 9月 5日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 25
Surprised with rising/falling intonation
Something I had taken for granted turns out to be wrong. “Are!” (Eh?!) I shout, without thinking. Usually, the syllable “a” in “are” is pronounced with a lower intonation than the “re.” In other words, one’s voice rises across the syllables “a” and “re.” It has a rising intonation.
However, in expressions such as, “Are, sono yoona koto o. Narimasenu, narimasenu.” (Eh? That’s impossible…please stop it) the “a” is pronounced with a higher intonation than the “re.” In this case, one’s voice drops across the syllables “a” and “re,” it has a falling intonation.
The former style of saying “Are!” with a rising intonation is used by many people. On the other hand, saying “Are, sono yoo na koto o…” with a falling intonation is a specialized way of speaking used by “young women in historical dramas.” (Unlike the “Maro wa … de ojaru” of the “Heian aristocrat” character, this intonation is associated with no specific historical era, so we will just call it the “historical drama” style here.)
In other words, when “are” is said with a rising intonation to express surprise, it is difficult to determine the speaker’s character, but when it is spoken with a falling intonation to express surprise, it is easy to determine the speaker’s character.
This can be observed in “ara,” a word which closely resembles “are.” When something that had been taken for granted turns out to be wrong, many people say “Ara!” The intonation rises across the syllables “a” and “ra.” The style of dropping the intonation across the “a” and “ra,” as in the expression “Ara, shiranakatta wa,” (Oh, I didn’t know that) is specifically the manner of speaking used by the “madam” character.
The expression “oya” is a bit more subtle. There are no tendencies that make it difficult to determine the speaker’s character when it is said with a rising intonation, but easy to determine the speaker’s character when it’s spoken with a falling intonation. “Oya” is not by nature a children’s word, but it becomes somewhat “childish” when said with a rising intonation. For example, consider the following conversation from a children’s educational science show featuring a “Professor” and “Child.”
Professor: Look at the litmus paper that we soaked in the liquid.
Child: Yeah. …Oya (huh?), the red litmus paper turned blue.
In this use of “oya,” the syllable “o” is said with a lower and the “ya” with a higher intonation. If the same word is said with a falling intonation, it is not in the least “childish.”
In the expression “maa” (well…/oh…) the “ma” is higher and the “a” lower, giving this word a falling intonation; this word cannot be said with a rising intonation. On this point, “maa” differs from the interjections we’ve looked at so far. Given that this word’s falling intonation evokes expressions used by the “madam” character, for instance “Maa, sou na no” (Oh, is that so?), we can say that the above tendency (in this case, that the speaker’s character is easy to determine when the falling intonation is used) holds true. Please note that the use of “maa” to mean that you are leaving some minor reservations out of your judgment, as in the expression “Maa, gookaku ni shitokimasu” (Well, I’ll give you a passing grade)—implying, “you made a variety of minor mistakes, but I’m passing you anyway”—is not typical of the “madam,” but in such cases “maa” is not being used as an interjection expressing surprise, which is the topic at hand.
Another interjection always pronounced, like “maa,” with a falling intonation is “nanto” (Oh my!), which is limited to the “senior citizen” and “historical drama adult” characters.
In the above examples, the most important fact is that interjections expressing surprise that are used by a wide variety of speakers are those in which the speaker’s voice rises from low to high. The universality of this rising intonation in expressing surprise is understandable, considering that the speaker is transitioning from a calm state to an excited state.
Next, consider the interjections that are said with a falling (or sometimes exclusively falling) intonation. These do not follow the general pattern for expressing surprise, a fact which is reflected by the ease with which one can determine the characters of speakers who use such expressions.
When impressed by something children say “fuun” or “hee,” but don’t say “haa” or “hoo.” Children don’t use “haa” or “hoo” because they know these are not words their own character uses; they are words used by “adult” characters. (See Part 23.)
If we think of being impressed as a type of surprise, then it is probably easy to understand why expressions used when the speaker is impressed, such as “fuun,” “hee,” or “hoo” can be said with a rising intonation. How about saying them with a falling intonation?
If what we have discussed above is true, then when these are said with a falling intonation it should be easy to determine the speaker’s character. In fact, when said with a falling intonation, “fuun,” “hee,” “haa,” and “hoo” denote an “adult” character. Among these, the ease with which we can imagine the speaker’s character from “fuun” or “hee” said with a falling intonation differs from that of “haa” and “hoo.” Said with a falling intonation, “fuun” or “hee” do not easily call to mind an “adult” who is extremely impressed with something. By comparison, “haa” and “hoo” said with a falling intonation easily call to mind “adult” speech. This indicates the differing extents to which “fuun,” “hee,” “haa,” and “hoo” are words used by “adult” characters.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 26
2010年 9月 5日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)用升调表示惊讶,还是用降调表示惊讶
当知道至今为止认为是理所当然的事情其实并不是如此时,会不由自主地叫到“あれっ!(Are 啊(或什么))”。一般情况下,“あ(a)”低一些,“れ(re)”要高一些,就是说,由“あ(a)”到“れ(re)”声音的高度是递升的,即升调。
但是,在“あれ、そのようなことを。なりませぬ、なりませぬ(Are、sono-yoona-koto-o。Narimasenu、narimasenu 什么,做那样的事情,不可以,不可以 )”这样的台词中,“あれ(are )”的“あ(a)”高一些,而“れ(re)”则要低一些,就是说,由“あ(a)”到“れ(re)”声音的高度是递减的,即降调。
最初举的升调的例子“あれっ!(Are 啊(或什么))”是被多数人所使用的。而“あれ、そのようなことを(Are、sono-yoona-koto-o 什么,做那样的事情)”的降调的“あれ(are )”则给我们一种特殊的印象,即“历史剧中的千金小姐”的说话方式。(我们的印象中,说“まろは~でおじゃる(Maro-wa ~ de-ojaru 我乃~是也)”的人是平安时代的贵族角色形象,但是使用降调的“あれ(are)”不能确定为哪个历史时代的千金小姐角色,所以在这里称为“历史剧中的”。)
综上,用升调的“あれ(are )”发出惊讶之声时,其说话人的角色是多种多样、难以确定的,但是用降调的“あれ(are )”发出惊讶之声时,其说话人的角色形象则是容易确定的。
与“あれ(are )”相似的“あら(ara)”也可以做出相应的观察。本以为是理所当然的但其实并不是这样,一般人发出“あらっ(ara)”这一惊讶之声时,由“あ(a)”到“ら(ra)”是递升的升调,如果由“あ(a)”到“ら(ra)”是递减的降调,如“あら、知らなかったわ(Ara、shira-naka-tta-wa 啊,我(对此事)不曾知晓呀)”这样的说话的人则可以被确定为“贵夫人”角色。
感叹词“おや(oya 唷、哎呀)”虽说有些微妙之处,但是,“升调时,说话人的角色多种多样很难确定,降调时,说话人的角色容易确定”这一倾向是不变的。本来“おや(oya)”不是孩子使用的语言,但是如果一定要用的话,与“孩子”相适应的是升调的“おや(oya)”。比如,假设教育台播放的小学理科节目中,“博士”和“孩子”有如下对话。
“博士”:それじゃあ、溶液に漬けた試験紙を見てみようか。
(Sorejaa、yooeki-ni tsuke-ta shikenshi-o mi-te-mi-yoo-ka。)
(那么,我们来看看浸入溶液的试纸。)
“孩子”:うん。……おや、赤いリトマス紙が、青くなってるね。
(un。……Oya、akai ritomasushi-ga ao-ku na-tteru-ne。)
(嗯。……哎呀,红色石蕊试纸变蓝了。)
这里的“おや(oya)”应该是“お(o)”较低、“や(ya)”较高的升调。如果是降调的话,那么就完全不像孩子了。
“まあ(maa)”是“ま(ma)”较高、“あ(a)”较低的降调,升调是不用的。在这一点上“まあ(maa)”与前面提到的表示惊讶的感叹词有所不同,但是,这个降调的“まあ(maa)”让人想起“まあ、そうなの(Maa、soo-na-no 唷,是吗)”这种“贵夫人”的说话腔调,这样看来,上面指出的倾向是成立的(即降调时,说话人的角色容易确定)。当给予是否合格的判断时,以“细微之处还存在各种各样的问题,但结论还是给予合格”的心情说“まあ、合格にしときます(Maa,gookaku-ni shi-toki-masu )”,这种不追究细微之处而进行判断时的“まあ(maa)”与“贵夫人”不相符,但是,需要注意的是,这里的“まあ(maa)”并不是我们所讨论的表示惊讶的感叹词“まあ(maa)”。
与“まあ(maa)”相同只能作为降调来使用的“なんと”也只有“老人”角色和“历史剧中的大人”角色才使用。
以上总结起来有两点。第一,多数说话人在表示惊讶的感叹词的使用上,一般情况下都是由低向高、使声调逐渐升高。人在惊讶时,一般是由平静状态到兴奋状态的变化,因此升调是具有一般性(普遍性)的,这也是很容易理解的。
第二,有的感叹词,可以作为降调(或只作为降调)来使用。这种表示惊讶的说话方式不具有普遍性,当然也就成为说话人的角色形象容易确定的原因。
在发出感叹时,小孩子会使用“ふーん(huun)”“へぇ(hee)”,不会使用“はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”。因为小孩子知道“はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”不是自己的角色形象应该使用的词,而是“大人”角色使用的词。――这在第23节中已经提到了。
如果我们把感叹作为惊讶的一种来考虑,感叹词“ふーん(huun)”“へぇ(hee)” “はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”以升调形式来表达是很容易理解的。那么,如果是降调呢?
如上所述,如果是降调的话,说话人的角色形象是很容易确定的。使用降调的“ふーん(huun)”“へぇ(hee)” “はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”的说话人可以确定为“大人”角色。虽说都是“大人”角色,但是降调的 “はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”比起降调的“ふーん(huun)”“へぇ(hee)”来,更容易让我们联想到“大人”角色。“ふーん(huun)”“へぇ(hee)”的降调虽然在“大人”的确难以忍受的情况下会出现,但是还是很难让人联想到,与此相比,“はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”的降调则作为“大人”的说话方式容易让人联想到。“はぁ(haa)”“ほぅ(hoo)”也就相应地成为“大人”角色的说话方式。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第115回 方言Tシャツ(長野県・下諏訪町)
2010年 9月 4日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第115回「方言Tシャツ(長野県・下諏訪町)」
ありそうでなかった、信州方言をあしらったTシャツ(スピードファクトリーツイスター(下諏訪町)製)を見つけました。
取り上げられている方言(参考までに、共通語訳をつけておきます)は、
「ごしてぇ」=疲れた だるい
「しゃらごしてぇ」=疲れるだけで益がない
「なから」=だいたい おおよそ ほぼ
「だもんで…。」=それですから。
「ごたっ小僧」=ひどいいたずらに手の負えない子ども
「いただきました」=ごちそうさまでした
「まえで」=前の方 前面
「飛んできます」=走っていきます
「「ずく」有ります」(ずく=やる気 活力 根気)
などの語があります。色も、ホワイト・ブラック・オレンジ・ライムグリーンの4色から選べます。
信州らしい方言(ずく・まえで)はもとより、メーカーのある諏訪特有の語(しゃらごしてぇ・ごたっ小僧)に加え、気づかれにくい方言(共通語と形は同じだが、意味・用法の違うもの:いただきました・飛ぶ)が選ばれているのが心にくいところです。
メーカーのお話では、沖縄など他県には方言Tシャツがあるのに、地元にはないことから、遊び半分で作って仲間うちに見せたところ大ウケしたので、製品化したとのこと。
方言については、一目見てわかり、かつ思わず笑ってしまうようなコトバを選び、隠語的な意味を含むものは避けたそうです。
各種のイベント等にも出店、先日の御柱祭でも大変な好評だったそうで、地元の「ごたっ小僧」の写真を提供していただきました。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
つなぎ語:言い換え―『英語談話表現辞典』覚え書き(28)―
2010年 9月 2日 木曜日 筆者: 内田 聖二今回はつなぎ語のなかの言い換えに用いられる表現を考えてみます。代表的な語句はin other wordsです。言い換えの基本は自分の発言の中でより正確な言い方に換えることです。次は本辞典からの例ですが、前に言ったことを具体的にわかりやすく説明しています。
1 〈自分の発言を〉言い換えると, つまり:France is like China. In other words, the French are constantly eating, drinking, and talking about food. フランスは中国に似ている. つまり, フランス人はのべつ幕なしに食べ, 飲み, そして食べ物の話をしているのです.
また、相手のことばを要約して「…ということですね」という確認にも用いられます。
2 〈相手の発言を受けて〉要するに, つまり:“I’m afraid there isn’t much we can do to help.” “In other words, you can’t be bothered.” 「あまり多くはお手伝いできないんじゃないかしら」「つまり, ごめんこうむるってことなんですね」 / OK. I have listened to a whole lot of excuses. In other words, you didn’t want to come with me. Why didn’t you say so in the first place? わかったわ. 言い訳はすべて聞かせてもらいました. つまり, あなたは私と一緒に来たくなかったのね. どうして最初にそれを言わなかったのよ.
第2例は具体的な相手の発言が出ていませんが、いろいろ聞かせられた「言い訳」から相手の真意を代弁する言い方になっています。
or rather も言い換え表現の代表格のひとつです。この語句の基本は語句の言い換えです。本辞典では、理解してもらうためにより妥当な言い方に換える場合とより正確で精密な言い方に換える場合の二つに分けています。
1 〈より適切な言い方に言い換えて〉…というよりはむしろ…:Father came home last night, or rather very early this morning. 父は昨夜, というよりむしろ今朝とても早く帰って来た / Tipping—or rather not tipping is a good way of showing your disapproval as well as your appreciation. チップを渡すこと―というより, チップを渡さないということは, 感謝の気持ちのみならず不満を表現するうまい方法である.
2 〈より正確な言い方に言い換えて〉もっと正確に言うと:We used to tease George about his height, or rather his lack of height. 僕たちはよくジョージの背丈というか, もっと正確には, 背の低さをからかったものだ / It was a beautiful day. I spent hours sitting in the garden, or rather lying on a bench. よく晴れた日であった. 私は庭で腰をおろして, というか, もっと正確に言うと, ベンチで横になって, 何時間も過ごしました.
たとえば、語義1の第1例は ‘last night’ と言うよりも ‘very early this morning’ のほうが状況を言い表すより妥当な言い方ですが、語義2の第1例は無標な ‘height’ という単語をより正確な ‘lack of height’ という言い方に言い換えたものです。また、言い換える「正確な」表現には、語義1の第2例や語義2の第1例からもわかるように、見方によっては正反対の意味の語がくることもあります。次は三省堂コーパスの用例を改変したものですが、その「反対」ということが「態」の違いで表わされています。
When I am at Bill’s place, I always wake in the night, or rather is woken. This is because of Bill’s talking in his sleep. ビルのところに泊ると、いつも夜は起きている、というか起こされるんだ。というのもビルが寝言をいうのさ。
また、or rather は in other words 同様、文の言い換えにも用いられます。
《精神科医の診療について》“What does he do?” “Talks. Or rather, I talk. He listens.” 「先生はどうされるのですか」「お話しされます。というか、私が話して先生が聞き役です」
—
【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
—
【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。













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2007年









