クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

101 イノシシの肉

筆者:
2010年12月6日

ローマ時代の不屈のガリア人を主人公にした有名なマンガ「アステリクス」は私も留学中は夢中になって読み、ドイツ語版はもちろん全巻揃え、フランス語の原版や、各国語の翻訳版を集められるだけ集めたものだった。当時はマンガなんてゴミ扱いで、なかなか系統的に入手できなかった。色々な国を旅行するたびにキオスクの雑誌売り場をあさり、少しずつ「アステリクス」を見つけていったのである。言語学関係であのマンガに興味を抱いた人は皆同じような苦労を経験しているようだ。

しかし言語学的な関心ばかりではない。あのマンガを見ていると、日本で今流行りの「マンガ肉」ではないが、イノシシWildschweinの肉がどんなに美味しいのか是非試してみたくなる。私のそんな気持ちをよく知っているドイツ人の友人が、数年前に田舎の伝統あるレストランへ連れて行ってくれた。イノシシのステーキを食べさせてくれる店である。昔ながらの雰囲気を残している店だから、まず量がすごい。一人分の皿が大ぶりのフライパンくらいあって、その大皿を覆い尽くす勢いの大きさで肉が載っている。なるほど、じっとりとコクを付けたブタの香りである。私がわくわくしながらイノシシの肉にナイフを入れたとたんに、辺り一面に濃密な血のにおいが広がり、周りにいた家族全員手を止めて私の方を見たものだ。ミディアムで食べるものらしい。おまけに野趣というのか、血のにおいも濃いのである。たいへん美味しくいただいたが、続けて食べると体調を崩すような気がする。やはりあれは日本人の食べ物ではないようだ。

ボン近郊にイノシシ牧場があり、色々な「山のけものWild」を飼っていて、自然動物園になっている。子供たちが好きで何度か行った。イノシシの餌も売っていて、それをイノシシにやるのが子供たちのお気に入りだった。住んでいた家の近くには丈高いハシバミHaselの並木道があり、季節になるとヘーゼルナッツHaselnussが道を覆うほど落ちていた。それをスーパーのレジ袋にどっさり拾い集めて、その動物園に持ち込み、くだんのイノシシにやると、ものすごく喜んで音を立ててむさぼり食った。いつもの餌よりうんとうまかったらしい。リンゴ狩りと並んで、ドイツで最も楽しかった家族連れのレジャーだった。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 石井 正人 ( いしい・まさと)

千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)