『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(41) 生昌邸行啓~車の入らない門~

2010年12月7日

長保元年8月9日、中宮定子は第2子出産のため、職曹司から出御することになります。通常、懐妊した后は里邸に入るのですが、定子の里邸の二条宮は長徳の変後に焼失してしまいました。中宮が参入するのに相応しい邸を持った貴族たちには、道長方の無言の圧力がかかっていたと思われます。出御先となった所は、当時、中宮職の大進だった平生昌の自宅でした。中宮職は中宮に関する事務を行う役所で、大進はその三等官、大臣と音は同じですが、地位は比べようもありません。

一方、生昌にとっては、自分の家に中宮が滞在するなど思ってもみなかった一大事で、定子を迎え入れる準備に大奮闘したことでしょう。しかし、定子行啓が決まった時点から、ある問題が起こります。生昌宅には皇族が入るための門が備えられていなかったのです。

そこで、「東の門は四足になして、それより御輿は入らせたまふ(東側の門は四足門に改造して、そこから中宮の御輿はお入りになる)。」ということになりました。四足門とは、門の2本の柱の前後に柱をさらに2本ずつ設けた格式の高い門です。すなわち中宮行啓のために東の門を改造したということですが、『小右記』には、「件宅板門屋、人々云、未聞御輿出入板門屋云々」とあり、生昌宅は板門屋で、人々は御輿が板門屋に出入りするなど聞いたことがないと言ったと記されています。

『小右記』の筆者である藤原実資(さねすけ)は、当時の時勢下にあって道長におもねることなく、批判的な目を向けた人物でした。彼は、行啓当日に道長が早朝から人々を引き連れて宇治遊覧に出かけたことを記し、行啓を妨害する行為だと憤慨しています。定子の懐妊を無視しようとする道長と、道長に追従する貴族たちの動静を、最も敏感に感じ取っていたのは定子サロンの女房たちでした。孤立無援に等しい立場で必死に主人に仕え、中宮女房としてのプライドを保っていたと思われます。

実際は四足門の体裁だけを整えた俄作りの板門だったけれど、中宮定子が板門の家に入るなど、清少納言には書くことができなかったのではないでしょうか。その代り、『枕草子』では、女房たちが入ろうとした北側の門が小さかった一件を大きく取り上げています。

女房たちは車を屋敷内まで乗り入れるものと思って身なりを整えていなかったのに、門に車が入らなかったために下車して敷物の上を歩かねばならず、人々に見苦しい姿を見られてしまったのです。それが大変腹立たしかったと訴える清少納言に、定子は、どうして油断して身なりを整えなかったのかと諌めます。それでも気持ちが納まらない清少納言、そこに折悪しく現れた当家主人の生昌との会話を簡単に訳してみましょう。

清少納言:「おや、ひどい方がいらした。どうしてこんな狭い門の家に住んでいらっしゃるの」
生  昌:「家の程度を身分の程度に合わせているのでございます」
清少納言「でも、門だけは高く造った人もあるということよ」
生  昌:「これは、恐れ入った。それは于定国(うていこく)の事ですね。学問を積んだ者でないと知らない故事ですよ。私はたまたま漢学の道に入っていたのでなんとか理解できますが」
清少納言:「その道もご立派ではないようで。道に敷物を敷いても、皆、落っこちて大騒ぎしたんだから」
生  昌:「雨が降っていたので、そんなこともあったでしょう。いやはや、これ以上責められないよう失礼します」

于定国は子孫の出世を予言して門を大きく建てた中国前漢の人です。中宮女房としての教養を見せつけながら生昌を退散させてしまった清少納言。この時、彼女が本当に抗議したかったのは、定子の門の一件だったと思います。でもそれは生昌に言っても仕方のないことです。この後も女房たちの鬱憤は生昌へと向けられていきます。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。