2010年 12月 のアーカイブ
漢字の現在:「馬路(マジ)」、そして…
2010年 12月 14日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第75回 「馬路(マジ)」、そして…
関西のテレビ番組で、『当て字・当て読み漢字表現辞典』からクイズ形式で、当て字の読み方を答えさせるコーナーが放送されたそうだ。後で見せてもらったところ、「本気」に対しては「マジ」との答えが正解とされ、続けて「真剣」に対しては、漢字が得意と評されるタレントが「ガチ」と答えた。ところが、答えは「マジでした」と言われ、がっかりするというような場面があった。準備された解答を受け入れ、一問一答式を好むテレビらしさの感じられる一瞬であった。実際には、「真剣」で「ガチ」もWEBなどですでに現れている。
さて、パソコンやケータイで「まじ」を変換させると漢字表記として、「馬路」しか選べない機種が多いことは前回触れたとおりである。それらの機器を辞書のように意識する使い手によって、これが本気などを意味するマジという語の一つの表記と解釈されたり認識されたりして使われることが若年層で広まりつつある。
「馬路」は、実は、島根県大田市仁摩町にある地名「馬路」を打つために設けられた変換候補なのであろう。JR西日本の山陰本線には馬路駅(まじえき)も存在する(なお、高知県の馬路村は「うまじむら」)。ここは、
最盛期の大正期に約3000人を数えた馬路地区の人口は今では約700人。国道9号からの交差点には信号もなく、小さな看板が立つだけ。 (http://hochouki.p-kit.com/page69846.html)
とのことだ。この人口が700人程度ののどかな出雲の地区の名を打つための候補が、漢字表記を変換によって得ようとする一部の若者たちの希求と合致したようだ。WEB上では少なくとも2006年には使用されていた。中学の時にケータイメールでギャル文字のように皆が使っていたとの証言もある。中学生は手紙にも使うという。WEBでは、中学生のブログにも見られる。さらに小学生がプリクラに使うとテレビで放送されたとのこと。
このように「馬路」が本気という意味で使われていることはすでに一部で知られていて、限られた範囲では非常によく使われている様子がうかがえる。ライトノベルでも「馬路(まじ)」と使うものがあるそうだ。
AKB48主演のテレビドラマ「マジすか学園」(2010)では、ヤンキーばかりの「馬路須加女学園(マジ女)」が舞台となった。ライバル校は「矢場久根女子高校」であり、不良の好む当て字というイメージを全面に打ち出している。
この「馬路」という2字を、さらにひねって「うまろ」と言い換える人たちも、WEB上に現れている。こうした二次的な加工はやむことなく、種々に試みられていく。いわゆるギャル文字で、「馬足各」と書く人も、やはりいる。
話すと面白ィし馬足各で大好き×∞なノ★
ケータイはもの凄い速さで普及した。ただ、変換機能は開発が間に合わなかったものもあったようだ。「まじ」と打つと「爻」という字が出る機種がある。この易者が使うような見慣れない漢字は、「まじわる」という訓義をもつために、語幹で「まじ」が変換ソフトに組み込まれていたのだ。もとはそれが何の役に立つのか、むしろその場で求める表記の選択を阻害する候補の一つに過ぎないものであったのであろう。しかし、それさえも、「マジ」の表記に利用されているのである。(続く)
* * *
【編集部から】ついに『当て字・当て読み 漢字表現辞典』が刊行されました! その奥深さを、ほんのちょっと教えていただきたいと編集部がリクエストし、笹原先生に「漢字の現在」の特別編としてご執筆いただくこととなりました。まさに“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』について、数回にわたって、その内容のご紹介や本文におさめきれなかった情報をつづっていただきます。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字の現在:「真剣(マジ)」、そして「馬路」へ」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
ドイツのお菓子(12)―クリスマス菓子(1)―
2010年 12月 13日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(102)
日本ではクリスマスケーキは際物というやつで、十二月二十五日を過ぎたらもう売れないから、二十五日の夜にはあちこちで声をからして売り急いでいる。しかしドイツのクリスマスケーキは感覚が違うようだ。友人のドイツ人に言わせると「クリスマスケーキは焼きたてではまだ美味しくないもので、二十五日過ぎてからだんだんに水分が抜けて美味しくなってくる。一番美味しいのは復活祭の頃」なのだそうだ。後半はドイツ人がよく使う冗談である。しかし、何しろアトヴェントAdvent「待降節」というクリスマス前の約一ヶ月の間徐々に盛り上がりながらお祝い気分が続き、十二月二十五日の降誕祭Weihnachtenそのものが過ぎても、明けて一月六日の「主の公現の祝日」Dreikönige, Dreikönigsfest, Epiphanieまでクリスマスツリーを飾ってお祝いが続く決まりであるから、伝統的なドイツ語圏のクリスマス菓子が日持ちのする焼き菓子で、むしろ作ってから日を置いた方が美味しくなるようになっているのも頷ける。(因みにクリスマスツリーは本来二十五日に飾り付けるものだったのだそうだ)
代表格は何と言ってもシュトレンStollenやレープクーヘンLebkuchenだ。日本でも本格的なものが簡単に手に入るようになった。見かけは地味だが、ドイツの祝い菓子にはこれでもかこれでもかと言うほど、ドライフルーツとナッツと香料が入っていて、日本人は面食らうくらいだ。ドイツでも昔はこういうものが憧れの贅沢品で、祝い菓子でたっぷり楽しんだ様子がうかがえていじらしいような気がする。それに伝統的なドイツの祝い菓子は大きかった。老舗の本格的なレープクーヘンをドイツの友人が送ってくれたことがあるが、ハトサブレくらいの大きなものだった。もうあんな大きなレープクーヘンはドイツでも見かけなくなった。香料も随分おとなしくなった様な気がする。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 40
2010年 12月 12日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 39
Character resides in literature and artwork
Last time, using a “senior citizen” character, we confirmed that “characters are connected to general human behavior,” and as a result, “characters are also connected to ‘traces’ of behavior.” In the previous essay, we saw this specifically in the example of “calligraphy.”
Like calligraphy, literature is also a trace of the behavior of “writing.” So is character related to literature, as it is to calligraphy?
Yes, it is. It is not uncommon for literature that does not reveal the intentions of the author to receive high acclaim. The below is a passage from a biography of Naoya Shiga(1) .
Akutagawa(2) once said to Soseki Natsume: “I couldn’t write like Shiga even if I wanted to. How can I learn to write like that?”
Soseki replied: “He can write like that because he doesn’t try to write literature; he writes exactly what he’s thinking. I couldn’t write like him either.”[AGAWA Hiroyuki(3) , Shiga Naoya no Seikatsu to Geijutsu(4) (1989)]
Here, Ryunosuke Akutagawa and Soseki Natsume, are talking about how good Shiga’s writing is, and Soseki states that the reason for this is the absence of intention: “he doesn’t try to write literature; he writes exactly what he’s thinking.”
Soseki also had this to say regarding works of art in general:
Like the calico of India, or Persian scrolls, which are of value precisely because they have a slightly odd look to them, this floral carpet has an air of artlessness about it. Not only this carpet, but all goods from China lack something. They can only be the invention of a foolish and patient people. The dream-like feeling one gets when looking at it is priceless. The Japanese produce art with the mentality of pickpockets.
[NATSUME Soseki, Kusamakura (1906)]
Please don’t be offended if you’re Chinese. Although Soseki, or rather the protagonist of
Please don’t be offended if you’re Japanese. I don’t believe that all Japanese art is like this. Again, this is Soseki’s belief, or rather that of the protagonist of Kusamakura.
*
In any case, works of art are, needless to say, the traces left by behaviors such as “weaving,” “drawing,” and “carving”—or in other words, of “making.”
I think all of my readers, who are of course extremely intelligent, already know this. In the next essay, I will slightly revise something I wrote long, long ago.
* * *
(1) 1883–1971 Japanese novelist
(2) 1892–1927 Ryunosuke Akutagawa: Japanese short story author. Japan’s most prestigious literary prize is named in his honor.
(3) 1920– Japanese biographer and novelist.
(4) Translated: The Life and Art of Shiga Naoya
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 40
2010年 12月 12日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)角色形象映于文章与美术品
在上一节中,启动“老人”角色,确认的是“角色形象与人的所有行为紧密相连”,而其结果“角色形象也就与行为的痕迹紧密相连”。这些在上节通过“字”得到了具体观察。
与字相同,文章也是“写”这一行为的痕迹。那么,角色形象是不是也像与字一样,与文章紧密相连呢?
答案是肯定的。要这样写或那样写这种意图不让我们感知的文章得到高度的评价并不是稀奇的事情。请看下面对志贺直哉的一段评传。
芥川有一次问他的老师漱石说,
“像志贺先生那样的文章,我想写也写不出来。怎样才能写出他那样的文章呢?”
“不认为自己是在写文章,而是把想的东西自然而然地写出来才会写出那样的文章吧。那样的文章,我也写不出来。”
漱石回答说。[阿川弘之《志贺直哉的生活与艺术》1989年
在这里,芥川龙之介和夏目漱石说“志贺直哉的文章好”,漱石说“不认为自己是在写文章,而是把想的东西自然而然地写出来”,认为写作意图的欠缺反而是文章写得好的原因所在。
对于美术品漱石先生曾经也如下写道。
号称印度的更纱(印花布)、波斯的壁挂等美术品,稍微疏漏之处有着其价值,同样,这张花毯也是不拘小节之处才更有意趣。不仅仅是花毯,支那(中国)所有的器具都有着疏漏,无论如何都不得不让人觉得是傻傻的慢性子人的发明,看着看着使人发呆出神之处却最是珍贵。而日本则是用像小偷掏人腰包时那种谨而甚谨的态度来创作美术品。
[夏目漱石《草枕》1906年]
中国的朋友,请不要生气。漱石先生,不,是《草枕》的主人公虽然用“疏漏”“傻傻的”等来评价,但是并不是在贬斥中国,话虽说有些难听,但其实是在称赞。被贬斥的是简直像小偷一样毫无半点马虎、对一切都留神注意而创作出的日本美术品。
啊!日本的朋友,也请不要生气。我也不认为日本的美术品全是这样。只是漱石先生,不,只是《草枕》的主人公自己过于深信而已,一定是的。
其他姑且不论 ,以上这些美术品是“编织”“绘画”“雕刻”,即“制作”这一行为的痕迹,这也是不言自明的。
聪明的读者朋友也许已经明白了。在下一节中请让我对很久以前写的东西进行一下小小的修改。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第129回「おいしい方言(京都府)」
2010年 12月 11日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第129回「おいしい方言(京都府)」
「おじゃこさん」【写真1】は、京都の店先で見つけたものです。京都で「おじゃこ」といえば、温かいご飯の上にのせていただくちりめんじゃこを指すのが一般的です。京都では、料理の素材や料理名に「お~さん」をつけることが多いです。和風“れすとらん“で「あっ!お豆さんや!」とはじめて豆に出会ったような喜びを表して、豆ごはんをいただく風景が見られます。ほかにも、「おいもさん」「おこうこさん(お香香・漬物のたくわん)」など、京都の味の歴史や伝統を支えてきた食材に「お~さん」がつきやすいといえます。
「お」をつける食材に、「おかぼ(かぼちゃ)」「おなす(なすび)」「おこぶ(昆布)」「おふ(麸)」などがあります。食材以外の例として、「おけそくさん」(お華足さん)があります。仏前に供えるごはん、お餅などをいうのですが、華足は、本来、仏前に置く脚付きの小盆を指します。
「~さん」を人に使う場合の例(本来、人に使うのですが)として、「よそさん」「一見(いちげん)さん」があります。京都で生活するとき、東日本にくらべて、けじめや筋を通すということが重要視されるようです。理屈では、どうにもならない場面で、「うちはうち、よそさんは、よそさん」と割り切るときの表現などに使われます。
「一見さん(いちげんさん・見ず知らずの紹介者のない初めての客)」は、もともとお茶屋ことばであったのが、「一見さん、おことわり」のように一般の店で使用されるようになった例です。お茶屋は、芸者を呼んで、客の代金を肩代わりします。紹介者の保証なしで初めての客を入れることは難しいことから、紹介者のない初めての客をこう呼ぶようになりました。
「おいでやす(いらっしゃい)。うまい貝汁とわっぱのめし、うまおまっせ(おいしいですよ)」【写真2】は、もう少し丁寧度があがると「おこしやす(いらっしゃい)。貝汁とわっぱのごはん、おいしおすえ。」とでもなるでしょうか。「うまおまっせ」は、京都でも男性が言いますが、むしろ大阪方言に近い感じです。「わっぱめし」の「わっぱ」は、杉や檜(ひのき)の薄板を曲げて作られる円筒形の木箱で、「わっぱめし」そのものは、福島や新潟以北で見かけることが多いです。関西と東北のコラボ作品といえます。
「ほんまにおいしいお弁当とおかず」【写真3】は、祇園で見つけた看板です。
次の例は、お酒の倉庫を売りにしている店の看板です【写真4】。「今ある家ん」(今あるやん・今あります)、「配達ならすぐいく家ん」(すぐいくやん・すぐ行きます)と、「や(ん)」に「家」という字をあてて、「いつでもあるではないか」と主張しています。「ほんまやんか」「あんた、きのう、そう、ゆうたやん」など「やん」は、文末につけて強調する意味で使います。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
あいづち2―『英語談話表現辞典』覚え書き(35)―
2010年 12月 9日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回はあいづちのうち、語彙項目となっていないもので、「聞いていますよ」という信号を送る機能をもっている表現を考えてみました。今回は相手の話の文形式に対応することであいづちの働きをする表現をみてみます。
ここでいう「文形式に対応する」というのは、直前の相手のことばを文の形式に従って受けることをいい、さらにそれを疑問文の語順で表現することであいづち表現となります。たとえば、‘You know what? I met Bill in Tokyo.’(あのね、東京でビルと会ったんだよ)(You know what? については本辞典 (Do) you know what? の項参照)という発話に対して、‘Did you?’(そう/それで)というあいづちの打ち方です。前言の主語と動詞を入れ替え、テンスを一致させるのが基本です。通例、下降調のイントネーションを伴います。(以下の用例は映画のシナリオなどを改変したものです。)
‘I hate zoos. I can’t stand them. I want to tear doors off cages and let them all run out.’ ‘Oh, do you?’ 「私は動物園が大きらいだ。じっとしておれず、ケージの扉を開けて動物を逃がしてやりたい」「そうなんだ」/ ‘You know, I am having the best time.’ ‘Are you?’「私は今までに経験したことのない素晴らしい時を過ごしているんだよ」「そう」 / ‘Did you get everything done?’ ‘Yeah, I got a lot of good work done.’ ‘Did you?’「すべて終わった?」「ええ、よい仕事をたくさんしたよ」「そう」
ただし、同じ語順でもイントネーションが変わるとその意味合いもあいづちから変化してきます。次の例では上昇調で発話されると確認疑問文のような働きになります。
‘What does ‘S’ mean?’ ‘Oh, it’s a name. It’s short for Stuart.’ ‘Is it?’ ‘Yes.’「‘S’ってなんだろう。」「そうだ、名前みたいだ。Stuartを短くしたんだよ」「そうか」「まちがいない」/ ‘I always agree, Professor.’ ‘Is that wise?’ ‘I don’t know. Is it?’「先生、私はいつも人の意見に同調するのです」「それは賢いことだろうか」「私にはわかりません。いけないことでしょうか」
また、語順が転倒せず、語順がSVのパタンになると、その場その場に応じたいろいろな表現効果が出てきます。次の例では驚きの気持ちが伺えます。
‘Don’t contact him.’ ‘Well, I’m at his house right now.’ ‘You are?’ 「彼とは接触してはいけないわ」「といっても今その彼の家にいるの」「本当?」
次の事例は同意表現になります。
‘It’s so weird though.’ ‘I know. Very strange.’ ‘It is.’ 「とても気持ち悪いな」「ええ、ほんとに変だ」「そうね」
さらに、次の例の ‘It is?’ には疑問の気持ちが入っていると考えられます。
‘It is most important that I have a wonderful time at the dancing tonight.’ ‘It is?’ ‘Because tonight is the real beginning of my life.’「今夜ダンスで至福の時を過ごしたということが重要なの」「そうなの」「今夜が私の人生の本当の始まりなんだから」
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
漢字の現在:「真剣(マジ)」、そして「馬路」へ
2010年 12月 7日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第74回 「真剣(マジ)」、そして「馬路」へ
「マジ」という語に「真面」という漢字表記が用いられたという話(前回)で触れさせて頂いた、作詞家の阿木燿子さんから、先日上梓したささやかな『当て字・当て読み漢字表現辞典』に対して、推薦のおことばを頂く機会に恵まれた。
数々のヒット曲を世に送られてきた阿木さんには、NHK番組での取材でお目に掛かる前から、画面に溢れる落ち着いた優雅な仕草と、気品ある美しい表情を陶然と拝していた。この辞典の苦しい編纂過程にあった酷暑の夏の日に、実際にお会いできた時には(http://www.yokoaki.jp/news/index.html)、さらに上品なお淑やかさと、時折お示しになるきっぱりとした厳しさが、さらに人を惹きつけるものであると知った(後に引退後の山口百恵によっても、同様の記述がなされていることに気付くことになる)。
その先駆的な「真面」や 「本気」を経て生じた、前回から扱っている「マジ」に「真剣」を当てる表記は、1997年の歌詞に現れる例が古めである。それを歌ったKinKi Kidsが主演したテレビドラマでも「真剣と書いてマジと読む」というような台詞になっていたそうだ。この表記は、今でもゲームや漫画、WEB に登場する。さらに、この2字で「ほんき」と読ませる曲名も出現していた(1989)。『特攻の拓』といった「不良」が描かれた漫画でもこのたぐいを見た。
小学校で男の若い先生が、「まじ」には「本気」「真剣」という3つの書き方があると言っていた、と男子学生が話してくれた。その学生は当時、単語の意味からすると「真剣」がいちばんしっくりきたと言う。印刷所から『当て字・当て読み漢字表現辞典』を届けてもらった昨日まで、辞典と名の付く本で、それを載せたものはなかったかも、と言うと、目を爛(ラン)とさせてくれた。
ラーメン店には、「真風」で「まじ」と読ませるものが吉祥寺にある。沖縄の方言の「南風 (ふぇーかじ)」をふまえているかのようにも見えるが、大きな国語辞書には「まぜ」という西風などを表す語のことととして、この「真風」(まじ)が載っている。「真剣(マジ)」を踏まえるところがあったのだろうか。
「まじ」には、「情熱」の2字熟語を当てる歌詞も現れた(1986)。これは、決して広がることはなかったが、その作品の中でキラリと光るものがあれば、それはそれで十分なのであろう。
そして、電子情報機器が爆発的に普及した時代を迎えてから、「マジ」にも新たな変化が生じた。パソコンでは、「まじ」と打つと、若者が求める上記のいくつもの漢字は候補としてなかなか挙げてはくれない。漢字表記としては、「馬路」というものだけが出る仮名漢字変換ソフトがたくさんある。ケータイも同様だった。
この2字熟語は中国語では、大通りを意味する語だが、むろん中国語とは直接の関連はない。この表記が何であるのか、次回に解き明かしたい。
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【編集部から】ついに『当て字・当て読み 漢字表現辞典』が刊行されました! その奥深さを、ほんのちょっと教えていただきたいと編集部がリクエストし、笹原先生に「漢字の現在」の特別編としてご執筆いただくこととなりました。まさに“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』について、数回にわたって、その内容のご紹介や本文におさめきれなかった情報をつづっていただきます。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字の現在:「真剣(まじ)」の台頭、そして…」でした。
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『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(41)
2010年 12月 7日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(41) 生昌邸行啓~車の入らない門~
長保元年8月9日、中宮定子は第2子出産のため、職曹司から出御することになります。通常、懐妊した后は里邸に入るのですが、定子の里邸の二条宮は長徳の変後に焼失してしまいました。中宮が参入するのに相応しい邸を持った貴族たちには、道長方の無言の圧力がかかっていたと思われます。出御先となった所は、当時、中宮職の大進だった平生昌の自宅でした。中宮職は中宮に関する事務を行う役所で、大進はその三等官、大臣と音は同じですが、地位は比べようもありません。
一方、生昌にとっては、自分の家に中宮が滞在するなど思ってもみなかった一大事で、定子を迎え入れる準備に大奮闘したことでしょう。しかし、定子行啓が決まった時点から、ある問題が起こります。生昌宅には皇族が入るための門が備えられていなかったのです。
そこで、「東の門は四足になして、それより御輿は入らせたまふ(東側の門は四足門に改造して、そこから中宮の御輿はお入りになる)。」ということになりました。四足門とは、門の2本の柱の前後に柱をさらに2本ずつ設けた格式の高い門です。すなわち中宮行啓のために東の門を改造したということですが、『小右記』には、「件宅板門屋、人々云、未聞御輿出入板門屋云々」とあり、生昌宅は板門屋で、人々は御輿が板門屋に出入りするなど聞いたことがないと言ったと記されています。
『小右記』の筆者である藤原実資(さねすけ)は、当時の時勢下にあって道長におもねることなく、批判的な目を向けた人物でした。彼は、行啓当日に道長が早朝から人々を引き連れて宇治遊覧に出かけたことを記し、行啓を妨害する行為だと憤慨しています。定子の懐妊を無視しようとする道長と、道長に追従する貴族たちの動静を、最も敏感に感じ取っていたのは定子サロンの女房たちでした。孤立無援に等しい立場で必死に主人に仕え、中宮女房としてのプライドを保っていたと思われます。
実際は四足門の体裁だけを整えた俄作りの板門だったけれど、中宮定子が板門の家に入るなど、清少納言には書くことができなかったのではないでしょうか。その代り、『枕草子』では、女房たちが入ろうとした北側の門が小さかった一件を大きく取り上げています。
女房たちは車を屋敷内まで乗り入れるものと思って身なりを整えていなかったのに、門に車が入らなかったために下車して敷物の上を歩かねばならず、人々に見苦しい姿を見られてしまったのです。それが大変腹立たしかったと訴える清少納言に、定子は、どうして油断して身なりを整えなかったのかと諌めます。それでも気持ちが納まらない清少納言、そこに折悪しく現れた当家主人の生昌との会話を簡単に訳してみましょう。
清少納言:「おや、ひどい方がいらした。どうしてこんな狭い門の家に住んでいらっしゃるの」
生 昌:「家の程度を身分の程度に合わせているのでございます」
清少納言「でも、門だけは高く造った人もあるということよ」
生 昌:「これは、恐れ入った。それは于定国(うていこく)の事ですね。学問を積んだ者でないと知らない故事ですよ。私はたまたま漢学の道に入っていたのでなんとか理解できますが」
清少納言:「その道もご立派ではないようで。道に敷物を敷いても、皆、落っこちて大騒ぎしたんだから」
生 昌:「雨が降っていたので、そんなこともあったでしょう。いやはや、これ以上責められないよう失礼します」
于定国は子孫の出世を予言して門を大きく建てた中国前漢の人です。中宮女房としての教養を見せつけながら生昌を退散させてしまった清少納言。この時、彼女が本当に抗議したかったのは、定子の門の一件だったと思います。でもそれは生昌に言っても仕方のないことです。この後も女房たちの鬱憤は生昌へと向けられていきます。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
イノシシの肉
2010年 12月 6日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(101)
ローマ時代の不屈のガリア人を主人公にした有名なマンガ「アステリクス」は私も留学中は夢中になって読み、ドイツ語版はもちろん全巻揃え、フランス語の原版や、各国語の翻訳版を集められるだけ集めたものだった。当時はマンガなんてゴミ扱いで、なかなか系統的に入手できなかった。色々な国を旅行するたびにキオスクの雑誌売り場をあさり、少しずつ「アステリクス」を見つけていったのである。言語学関係であのマンガに興味を抱いた人は皆同じような苦労を経験しているようだ。
しかし言語学的な関心ばかりではない。あのマンガを見ていると、日本で今流行りの「マンガ肉」ではないが、イノシシWildschweinの肉がどんなに美味しいのか是非試してみたくなる。私のそんな気持ちをよく知っているドイツ人の友人が、数年前に田舎の伝統あるレストランへ連れて行ってくれた。イノシシのステーキを食べさせてくれる店である。昔ながらの雰囲気を残している店だから、まず量がすごい。一人分の皿が大ぶりのフライパンくらいあって、その大皿を覆い尽くす勢いの大きさで肉が載っている。なるほど、じっとりとコクを付けたブタの香りである。私がわくわくしながらイノシシの肉にナイフを入れたとたんに、辺り一面に濃密な血のにおいが広がり、周りにいた家族全員手を止めて私の方を見たものだ。ミディアムで食べるものらしい。おまけに野趣というのか、血のにおいも濃いのである。たいへん美味しくいただいたが、続けて食べると体調を崩すような気がする。やはりあれは日本人の食べ物ではないようだ。
ボン近郊にイノシシ牧場があり、色々な「山のけものWild」を飼っていて、自然動物園になっている。子供たちが好きで何度か行った。イノシシの餌も売っていて、それをイノシシにやるのが子供たちのお気に入りだった。住んでいた家の近くには丈高いハシバミHaselの並木道があり、季節になるとヘーゼルナッツHaselnussが道を覆うほど落ちていた。それをスーパーのレジ袋にどっさり拾い集めて、その動物園に持ち込み、くだんのイノシシにやると、ものすごく喜んで音を立ててむさぼり食った。いつもの餌よりうんとうまかったらしい。リンゴ狩りと並んで、ドイツで最も楽しかった家族連れのレジャーだった。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 39
2010年 12月 5日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 38
Characters Reside in Characters
I’ve written quite a bit.
So, I have decided to adopt a “senior citizen” character to take a look back at the past.(1) Looking back is something “senior citizens” often do. So using a “senior citizen” character, who specializes in reminiscing fondly about the old days, to reminisce is a fine “play” technique that was also used by Osamu Dazai (see parts 10 and 11).
Besides, of course, the phrase “moo aki ja noo” (part 36) that a “senior citizen” might say to himself, we looked at a “ta” that appeared to be universally usable, but turned out to be the language of a specific character (parts 28 and 29). We saw that character is deeply connected with language, be it Tokyo dialect, Kansai dialect, Japanese or English (part 15).
And it doesn’t end with “language.” Character is also connected with intonation in expressions of surprise and refusal (parts 26 and 32). There’s more. We saw the behavior of “people of authority” as illustrated in the interrupt-and-elongate style of stuttering (“sumai no tame no, ooo gensoku” part 30), and the manner of sucking air through one’s teeth, which is an “adult” behavior (part 31). Such behaviors can, in a broad sense, be included in “language.”
And we shouldn’t forget about “gestures.” We looked at a number of these. For example, Mrs. Niu, whose way of using her eyes, curving her lips, and smoking her cigarettes, gave her a sleazy “Tokyo native” character (part 15), the one-handed vertical wave used by “adults” (part 32), the floppy version of this wave used by “young ladies” (part 33), and the tea-drinking habits of the “adult woman,” “shifty person,” and “honest person” (part 38).
There was also the “A-posture” used by the “middle-aged man” (part 34). The “body” too has complex connections with character (part 13).
Thus, in things related to character, we can discover many things, from general human behavior to posture and the physical body. We truly looked at a lot of topics.
There’s more?!
Yes, there’s more. (We’ve now come to the point where we can no longer say we’re “reminiscing fondly,” and put an end to my “senior citizen” character.)
Perhaps as a result of being connected to human behavior, characters are also connected to “traces” of behavior. For example words are the trace left by the behavior of “writing.” This is why in writing there is an expectation of and respect for the dilution of intention, to which aesthetics work in opposition in avoidance of blatant “purposefulness.”
“No, it’s not that this calligraphy is bad,” Eiji said forcefully. “I used to think that too. Until pretty recently I thought this calligraphy was completely awful. But when I looked really closely, I noticed it wasn’t bad at all… in fact, it’s great.”
The owner of the scroll mounting shop went on at great length about not trying to produce good writing when doing calligraphy. If you try to write skillfully, you end up creating a lie; the calligraphy should express the essence of the person. No matter how well executed, calligraphy wasn’t calligraphy unless it expressed the essence of the person. The owner was always saying that skill or lack thereof wasn’t the problem; you just had to write with honesty, without deceiving yourself.[YAMAMOTO Shugoro(2), Sabu 1963]
That is to say, calligraphy reflects the character of the calligrapher and gains personality only when the calligrapher abandons the intention to “produce good calligraphy.” This “theory of calligraphy” is not found just in fiction.
In any case, unlike style, character is something that must not be intentionally controlled.
* * *
(1) In Japanese, this essay was written in the “senior citizen” dialect described in part 10 of this series, although this is hard to express in translation.
(2) 1903–1967 Alias used by the novelist Satomu Shimizu.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 39
2010年 12月 5日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)角色形象映于书字
“ずいぶん書いてきたのう。(Zuibun kai-te-kita-noo已经写了很多喽~)”
以“老人”角色来写这一节嘛,是想回顾一下过去喽。因为“老人”常思过往嘛。回顾感叹时启动擅长回顾与感叹的“老人”角色,可是那位太宰治先生也曾使用过的绝佳的“游戏”技巧哟 (第10节、第11节)。
回头看一看,再像老人不过的“もう秋じゃのう (Moo aki-ja-noo 已经秋天喽~)”这样的自言自语自不必说喽 (第36节),即使谁都可能用的“た (ta)”,其实啊,也具有着只有特定的角色形象才能使用的一面呐 (第28节、第29节)。根本上说来啊,从是东京话还是关西话、是日语还是英语这一阶段开始,角色形象就已经和语言紧密结合在一起喽 (第15节)。
不,不仅仅是“语言”。角色形象也与吃惊、否定等话语的语调相结合着呐 (第26节、第32节)。还有~!“住まいのための、おー原則 (Sumai-no-tame-no、ooogensoku 居住的(de)、eee原则)”这种停顿延长型的话语不畅是“权威者”才有的特征,“スー(su—)”地吸气是“大人”的话语特征(第31节)。这些,从广义上说可都是包含在“语言”之内的哟~。
“动作”也是不可忘的。丹生夫人的眼神、嘴角的蠕动、吸烟方式让她成为人品不好的“东京人”(第15节), 单手竖起左右摆动就是“大人”(第32节),如果手腕变得软软、摆动弧度不定就成了“少女”(第31节),就是一个饮茶方式也能分出“成熟女人”“狡猾之人”“老实人”,啊哟哟,真是各种各样哟~(第38节)。
双肘伏案双手呈A形这一“中年男士”特有的“姿势”也是有的~(第34节)。“(身体)外表”也是,不,从根本上说“(身体)外表”才是与角色形象错综复杂紧密相连的~(第13节)。
这么一说,我们会发现角色形象关联到的有,人的各种行为、姿势、身体外表等各个方面。嗯,前面真是提到了各~个方面呐。
还有呐!
有~!(已经不是回顾感叹了,但是“老人”角色停不下来喽~!)
角色形象与人的行为相关联,其结果也就与行为的“痕迹”相关联。比方说,角色形象与“写”这一行为相关联,也就与“写”的痕迹—字相关联喽。所以,在谈论书字时,人们期待尊尚意图的疏薄,如果意图表现的太明显,反倒常让人觉得“做作”产生忌拒之感。
“才不是呐!这字一点都不差!”荣二用力说,“我刚开始也那么觉得,直到前一段时间还觉得这字唉呀真是太差了,但是平心静气仔细看来,才发现这字不但不差而且是真正的好字。”
芳古堂的师傅曾经谆谆教导我们说,习字时不要想着写好字。想着写好字,字就不真实,这字是能表现出人的本性的。字写得再好,表现不出写字人的本性,那就不能称其为字。好坏不是问题,不要伪装自己要老老实实地写,师傅以前总是这么说。
[山本周五郎 《SABU》1963]
就是说,在抛弃了“写好字”这一意图之后,写字人的角色形象才能反映在字上,字才有韵味,字本来是这样一种东西。这种“书法论”不仅仅是小说中才有的。
说到底,角色形象与说话方式不同,可不是用意图来控制的东西啊。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第128回 「「トイレはきれいに…」先取りのお礼」
2010年 12月 4日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第128回 「「トイレはきれいに…」先取りのお礼」
観光地など、特に団体旅行で大勢の人が訪れる場所のトイレは混雑します。次の観光ポイントにバスで移動するなど、時間が限られていると非常に慌ただしく、そそくさと用を足さないといけません。「せいては事を仕損ずる」?
きれいに使ってほしいというお願いの掲示はよく目にします。ちょっとひねった、男性の小用への“警告文”=例えば、和歌ふうに「急ぐとも 心静かに手を添えて 外に散らすな 白玉(朝顔)の露」などと短冊に書いて貼ってあるのを、何度か見たことがあります。
方言で書かれたお願いも、まま見られます。旅先で出会った場合には、ちょっとした“旅情”も感じられて、いっそう効果的です。
その具体例、三重県の伊勢神宮の参道近くのトイレにあったのが、次の一文です。何だか、地元の人から、じかにそう語りかけられているような気分になります。
いつもきれいに
つこてもうて、
おおきんな
また、山口市瑠璃光寺そばのみやげもの店で見かけた掲示には、次のように書いてありました。「ようおいでました/うれしゅうあります/ぶち〔非常に〕気持ちがええ」などは、いかにも山口県の方言らしい表現です。
ようおいでました
いっつも綺麗に使うてもろうて、
ほんと嬉しゅうあります。
お客様も皆 喜んじょります。
次ぃ使う時、ぶち気持ちがええ♪
皆様に… 感謝感謝♪♪
いずれも、ただ文章だけでなく、イラストが入っていて目立ちますし、ふっと気分がなごみます。後者には♪まで付いています。しかも使う前から先取りの感謝までされては、ヘタな利用はできません。「トイレはきれいに使いましょう!」
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
人名用漢字の新字旧字:「碍」と「礙」
2010年 12月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第77回 「碍」と「礙」
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表2528字には、新字の「碍」と旧字の「礙」の両方が含まれていました。新字の「碍」は準常用漢字、旧字の「礙」は特別漢字となっており、一般の生活には「碍」を用いるが、皇室典範や帝国憲法などには「礙」を用いることになっていました。ところが、昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表1850字には、「碍」も「礙」も含まれていませんでした。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「碍」も「礙」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「碍」も「礙」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。
平成21年11月10日、文化審議会国語分科会は「改定常用漢字表」に関する試案を発表しました。この試案は、常用漢字1945字に対し、5字を削除して196字を追加する案で、2136字を収録していました。しかし、この試案は「碍」も「礙」も収録していませんでした。国語分科会は11月25日から12月24日まで、この試案に対する意見募集をおこないました。そうしたところ、常用漢字に「碍」を追加してほしい、という意見が86通も集まったのです。「障害者」ではなく「障碍者」と常用漢字で書けるようにしてほしい、という意見だったのです。
国語分科会は、常用漢字に「碍」を追加するかどうかについては、内閣府において発足したばかりの障がい者制度改革推進本部に、ゲタを預けることにしました。これを受けて、障がい者制度改革推進本部は、障がい者制度改革推進会議の配下に、「障害」の表記に関する作業チームを発足させました。作業チームは、平成22年8月9日から11月15日まで、合計6回のヒアリングと会合をおこないました。その中で、「障害」や「障碍」あるいは「チャレンジド」などの表記が議論されたのです。
「障害」の表記に関する作業チームは、平成22年11月22日、障がい者制度改革推進会議に、「障害」の表記に関する検討結果を報告しました。作業チームの検討結果は、『法令等における「障害」について、現時点において新たに特定のものに決定することは困難である』というものでした。作業チームの検討結果を受けて、障がい者制度改革推進会議は、「障害」の表記の見直しについては今後の継続課題とし、法令等における「障害」の表記は、当面の間、変更しないことを決定しました。「障害者」という表記を、とりあえずは使い続けることになったのです。
平成22年11月30日、新しい常用漢字表2136字が内閣告示されました。「障害」の表記をとりあえずは変更しない、という、障がい者制度改革推進会議の決定を受けて、「碍」は常用漢字に追加されませんでした。この結果、新字の「碍」も旧字の「礙」も、子供の名づけには使うことができないのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。














![『新明解国語辞典 第七版[机上版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の机上版。判型は並判より大きいA5判で、さらに文字が大きく見やすい。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[机上版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kijo.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
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2007年









