2011年 1月 のアーカイブ
イチゴ
2011年 1月 31日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(107)
いわゆる木の実で、汁気たっぷりのものをBeere(漿果)といい、乾いたものをNuss(ナッツ)といって区別するのはヨーロッパに広くある習慣であることはよく知られている。ナッツ類は保存がきき、輸送が可能なので、日本にいてもかなり珍しい外国産のものを愉しむことができ、なじみのものが多いが、Beereの方はそうは行かないので、はやり産地に行かないと分からないようだ。
私などまだ子供の頃には、都会の住宅街でもあちこち近所の庭にスグリやユスラウメ、グミなどが植わっていて、良く実って色づいたやつを生け垣越しに失敬してもさして叱られもしなかった。むしろ調子に乗って食い過ぎると腹をこわすと、そちらで注意されたものだ。ドイツではHimbeere(キイチゴ、ラズベリー)やBrombeere(クロイチゴ)が、道ばたや駐車場の端に大きな茂みになっていたりする。もちろん季節になると実り放題だが、場所からしてあまり清潔そうでもないからか、誰もつまんでいく様子がない。私は喜んで賞味したが、勧めても家族は手を出さなかった。キイチゴ類はイラクサ風にトゲを持った蔓で絡みながら、ああ見えて結構憎々しげに太くなって繁茂するので、ドイツで昔は農地の境界によく植えたものなのだそうで、その名残であちこちの道ばたで見かけるのだという話を聞いたことがある。
あるときドイツでバスの中から、畑の真ん中に巨大なイチゴErdbeereがあるのが見えた。何事だろうと思って行ってみると、イチゴ農家の直販店だった。大きな箱に新鮮だが、サイズや形を揃えるなどということはおよそ考えたこともないような様子の不揃いなイチゴをぶち込んで売っている。洗いもせずそのまま口にすると、ほどよく冷たくて、おいしいなんてものじゃない。店番の女性もしきりとつまみながら売っていたが、こちらも家族でつまみながら帰る。そのほかに、HimbeereやBrombeereやJohannisbeere(スグリ)やStachelbeere(セイヨウスグリ、グズベリー)やKirsche(サクランボ)も箱詰めで売っていた。どれも新鮮でおいしかった。ドイツのあちこちで季節になるとこういう店を見かけた。もういいや、というほど子供たちに好物のおいしいイチゴやサクランボを食べさせてやれて、こちらもうれしかったものだ。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 45
2011年 1月 30日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 44
Verbal characters (Part Ⅰ)
Here, we will continue to talk about the connection between language and characters.
Last time, I said that the word “botchan” is a character label that expresses a strongly childish male character. This is the first type of connection between language and character (see part 43). For convenience, this time I will discuss the third type of connection rather than the second. In this connection, “language, regardless of its meaning, indirectly expresses the character that is using that language.” For example, the first-person pronoun “washi” (I) is a word used by the “senior citizen” character.
In the third type of connection, like the first type, character can be connected with things other than actual language. To understand this, you first must be aware that language is itself a form of behavior.
For example, the first-person pronoun “washi” constitutes a series of behaviors: first pronouncing “wa” with a low intonation, then “shi” with a higher intonation, while pointing at oneself. Perhaps we tend to think of “signs” and “symbols” etc. as complete objects, but on further consideration, it is plain that language exists first and foremost as such behaviors and activities. We say that “washi” is a first-person pronoun used by the “senior citizen” character because people who perform the behaviors of first pronouncing “wa” with a low intonation, then “shi” with a higher intonation, while pointing at themselves, are “senior citizen” characters. The third [language/character] connection is a [speech behavior/performer of speech behavior] connection; in other words, it is a [behavior/performer of behavior] connection in which the connection is specialized in speech behavior.
From this, it is already clear that there must be other observable phenomena that resemble this third type of connection.
For example, “the vertical one-handed wave,” in which the arm is waved left and right in front of the body from the elbow, is essentially a method of refusal used by “adult” characters (see part 32).
Furthermore, the “A-Posture,” in which both elbows are placed on a surface with the wrists and hands forming a letter “A” (see part 34), is generally performed by a “middle aged male” character of authority.
One more example is the “two-handed alternating pound.” That is, the speaker raises her fists, arms bent at the elbows, then drums them back and forth from the elbows to lightly pound the other person (with the pinky-finger side of the fist), or the air. This is a technique used by “young ladies,” generally while saying “Ooh! Idiot, idiot, idiot!” when playfully remonstrating the other person. Any man thus attacked will grin and do whatever the “young lady” says. Stay on your guard everyone. This is an unbeatable technique, and should be feared.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 45
2011年 1月 30日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)话语角色(上)
这节我们继续讨论语言与角色形象的结合方式这一话题。
在上节中,我对例如“坊ちゃん(botchan公子哥儿)”这一语言(词)表示非常幼稚的男性角色形象,是角色形象的标签这样的问题进行了阐述。这是语言与角色形象的第一种结合方式(第43节)。便于阐述的需要,这节暂且不谈第二种结合方式,先对第三种结合方式做一下讨论。第三种结合方式是指,像日语的自称词“わし(washi)”是“老人”角色形象的语言一样,“语言可以暗示使用此语言的话者的角色形象”。
在上节的第一种结合方式中,我们看到,语言以外的其他形式(例如动作)也可以直接表示角色形象,成为角色形象的标签。与第一种结合方式相同,在第三种结合方式中,我们其实也能够观察到语言以外的其他形式同角色形象相结合的类似情况。要理解这一点,首先必须注意的是:语言本身就是一种动作。
例如自称词“わし(washi)”,首先“わ(wa)”的发音放低,接着抬高“し(shi)”的发音,即表示自己的“わし(washi)”是由一连串的动作构成的。把语言说成“符号”“表象”,也许很多人认为这已经是定论,但是,语言首先是作为动作、事件而存在这种认识,想来却应该是理所当然的。说自称词“わし(washi)”是“老人”角色语言是指,首先把“わ(wa)”的发音放低,接着抬高“し(shi)”的发音,用“わし(washi)”来指自己的这一连串动作的行为者是“老人”角色。“语言—角色形象”这第三种结合方式是指“话语动作—话语动作的行为者”这一结合方式,即“动作—动作的行为者”这一结合方式中的动作特化为话语动作。
至此,我们应该可以发现,与第三种结合方式中相类似的(也可以包括在第三种结合方式中)、语言之外的其他形式暗示角色形象的情况也可以得到观察。
例如,把自己单手从肘部到指尖的前臂竖起不停地在面前左右摆动,这一“单手竖起左右摆动”的动作基本上是“大人”角色特有的否定动作(第32节)。
再比如,双肘伏案双手做成“A”字形这一“双肘伏案双手呈A形姿势”(第34节)的行为者是有权威的“中年男士”角色。
如果要再举一例的话,除了“双肘至前臂竖直双手握拳交替敲打”这一动作以外就再也没有更合适的了。即双手从肘部到手部呈竖直状态以后双手握拳,从肘部到拳部部位交替或是前后做小的摆动,用拳头的下部(小拇指方向)轻轻敲打对方或是假作敲打之状。这是“年轻的女孩子(少女)”角色在做出“哎呀,坏蛋坏蛋坏蛋”这种撒娇式抗议时的绝招。吃了这一绝招的男同胞们乖乖面带微笑,对“少女”百依百顺,啊,让人同情可怜哟~!各位可千万不要大意!这可是可称之为必杀绝招的、可怕的招数哟~!
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第135回 手作りポスターがパワーアップ(新潟県村上市)
2011年 1月 29日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第135回「手作りポスターがパワーアップ(新潟県村上市)」
むらかみ行革プロジェクト
前年度(第90回で紹介)に引き続き、2回目となる「村上ことばポスター展」が開催されました。
新潟県村上地域振興局内におかれた「行政経営改革おもてなし班」が手がける「むらかみ行革プロジェクト」によるもので、村上方言をとおし、村上に愛着を持たせる取り組みの一環です。
方言ポスターの増加
前年度作成の25枚に、今回作成の47枚が加わり、ポスターは72種類に増加。
見せ方も、のぼり・掛け軸・絵馬をかたどったもの等が作られ、多彩になっています。
表現された「村上ことば」を見ると、おいしい食べ物(「いよぼや[=鮭]」「はらこまんま[=いくらご飯]」など)が豊富にあって、地元の方が、自然や町並みとともに、それを誇りにされていることがうかがわれます(特に其の十一・十四など)。
ポスターの活用
展示されたポスターは、村上市内中心部のお店や瀬波温泉のホテル・旅館などに配られ、観光に訪れた多くの人々の目に留まることが期待されています。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
近刊案内(2011年2月)
2011年 1月 28日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部三省堂 現代新国語辞典 第四版
市川孝(編集主幹)
見坊豪紀・遠藤織枝・高崎みどり・小野正弘・飯間浩明 編
B6判 1,522ページ ¥2,835
ISBN 978-4-385-14061-2
販売会社搬入日 2月10日
高校国語教科書を調査してことばを採録するただひとつの学習国語辞典。
29年ぶりに改定された【新・常用漢字表】(内閣告示)に完全対応!
新語・カタカナ語・ABC語略語など1900語を追加して7万4千語収録!
全訳 漢辞海 第三版
戸川芳郎 監修
佐藤進・濱口富士雄 編
B6判 1,936ページ ¥3,045円
ISBN 978-4-385-14047-6
販売会社搬入日 2月10日
一層進化を遂げた「小さな大漢和」!
漢文学習・読解情報を一層強化。最新の現代漢字情報に完全対応。
収録親字数1万2千5百、熟語8万。
人名用漢字の新字旧字:「媛」と「媛」
2011年 1月 27日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第80回 「媛」と「媛」
新字の「媛」は、常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「媛」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。つまり、新字の「媛」は出生届に書いてOKですが、旧字の「媛」はダメ。では、愛媛県はどうだったのでしょう。
昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、常用漢字1134字、準常用漢字1320字、特別漢字74字、の合計2528字を収録していました。この準常用漢字の中に、旧字の「媛」が収録されていました。ところが、昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表には、新字の「媛」も旧字の「媛」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限され、新字の「媛」も旧字の「媛」も子供の名づけには使えなくなってしまいました。
昭和53年1月1日に制定された漢字コード規格JIS C 6226では、旧字の「媛」が第1水準漢字でした。ところが昭和58年9月1日の規格改正で、旧字の「媛」に代わって、新字の「媛」が第1水準漢字になりました。旧字の「媛」は、JIS漢字コードの規格票からは消えてしまったのです。一方、民事行政審議会は平成2年1月16日、新たに人名用漢字に追加すべき漢字として、118字を答申しました。この118字には、新字の「媛」が含まれており、旧字の「媛」は含まれていませんでした。平成2年3月1日、戸籍法施行規則は改正され、新字の「媛」を含む118字は全て人名用漢字になりました(平成2年4月1日施行)が、旧字の「媛」は人名用漢字になれませんでした。
これらの動きに対し、愛媛県は、微妙な態度を取り続けていました。法令や公用文書に関しては旧字の「媛」による「愛媛県」を正式名称とする一方、住所表記やその他の印刷物に関しては新字の「媛」でも旧字の「媛」でもよい、としていたのです。ところが、平成20年7月15日に、文化審議会国語分科会の漢字小委員会が188字の常用漢字表追加案を発表したことで、風向きが変わり始めました。この追加案188字に、新字の「媛」が含まれていたのです。常用漢字表は、法令、公用文書における漢字使用の目安なので、新字の「媛」を常用漢字に追加するような改定がおこなわれたら、法令や公用文書には、旧字の「媛」より、むしろ新字の「媛」を使うべきだ、ということになります。
平成22年6月7日、文化審議会が答申した改定常用漢字表には、新字の「媛」が含まれていました。平成22年11月30日に内閣告示された新しい常用漢字表にも、新字の「媛」が収録されていて、旧字の「媛」は含まれていませんでした。この結果、子供の名づけにも、法令や公用文書にも、新字の「媛」は使ってOKですが、旧字の「媛」はダメなのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
「一太郎2011創」に『大辞林』『敬語のお辞典』!
2011年 1月 26日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部「一太郎2011創」に『大辞林』『敬語のお辞典』がバンドルされます!
定評ある日本語ワープロソフト一太郎が生まれ変わり、「一太郎2011創」として来月発売されます。その「プレミアム」「スーパープレミアム」のパッケージに、「スーパー大辞林 for ATOK」「敬語のお辞典 for ATOK」がバンドルされます。
⇒「一太郎2011創 プレミアム」紹介ページ(ジャストシステムの一太郎情報ポータルへ)
また、これにともなって、ジャストシステム様から大辞林編集部が受けたインタビューも掲載されています。
⇒「プレミアム搭載ツール緊急インタビュー:日本語の現在(いま)を映す辞典が『大辞林』です。」
『大辞林』『敬語のお辞典』については、以下の情報も合わせてご覧くださいませ。
漢字の現在:64画の漢字による当て字
2011年 1月 25日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第80回 64画の漢字による当て字
一般に関心をもたれがちなことなので、60画台の字について述べておこう。中国では、辞書に「龍」を4つ書く字【図1】と「興」を4つ書く字【図2】とがある。いずれも64画に達する印象に刻まれやすい字であるが、どこか様になっている。とくに「龍」は、1字だけでも字体、字音、字義にインパクトがあるようで、それが4つも重ねられた字は、「奥深い」漢字の世界の最多画数の座を飾るにふさわしく感じられるようだ。漢字の蘊奥を感じ取る素材として十分な存在となっているようだ。

【図1】

【図2】
前者【図1】は、テツ・テチという音読みで、多言、つまりよくしゃべる、おしゃべりというような意味で、かつては、かの『ギネスブック』にも掲載されていた。後者【図2】は、セイという音読みしか伝わっておらず、字義は「政」という字音がほのめかしているようだが、明確ではない。
前者は、中国の古い道教の書籍にそれらしい使用例を見たが、もとより文脈がとれるような文章ではなく、中国古典で実際の言語を表そうとした使用例は見出しがたい。
ただ、人名としては、この字が使用されることがある。辞書に載るということは、そうした応用を生む契機ともなるのである。以前に岩波から出した新書に示した幕末の例のほかにも複数の例が存在し、また台湾では「龍
」さんという若者がいる、と報道されたことがあるそうだ。これは、16画×9回で、140画を優に超える人名だ。

【図3】
ともあれ、このインパクトのある字の由来を考えておこう。まず、「龍龍」と「龍」を二つ並べて2匹の龍が飛ぶ様を表す字があり、それを声符とした、右の字【図3】が作られた。これがさらに「龍」ばかりが増殖し、「言」を同化して生じた字だと考えられる。
これと「興」4つは、なぜちょうど64画という数字で頭打ちになっているのだろうか。実はもう1つ、説明の難しいほど様々な字を寄せ集めてできた64画の字も見つかっている。また50画台の字がほとんどない割に、なぜ64画の字ばかりが3つもあるのだろう。かつて古書の記述を調べたり、あれこれと考えたりした結果、中国で古くから根強く存在する六十四卦の思想を元に、漢字でも最小の「一」画があるので、最大の「六十四」という画数を押さえて、両端を埋める必要が意識されるようになり、作成されたものではないかと、書いてみたことがある。
『当て字・当て読み 漢字表現辞典』には、耳に入りやすく記憶に残りやすい「鬱」(前回参照)と「龍4つが漢和辞典に収められていたこと」ばかりが喧伝される画数にまつわる「常識」を打ち破るべく、あえてこのたぐいもいくつも載せてみた。たとえば64画の「龍」4つの字を、店名に用いた喫茶店までが和歌山にある。何とその地で使われている方言「てち」に、同音のこの漢字を当て字して、実際に看板などで使っていたのだ。漢字の源泉に喩えうる中国と、海を隔てた日本の細かい河川のような様子とを、ここにも見た思いがする。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「画数の多い漢字による表現」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
ドイツ語の地域差と独和辞典
2011年 1月 24日 月曜日 筆者: 飯嶋 一泰クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(106)
日本語と同じようにドイツ語にもさまざまな方言がある。それらは大きく、北ドイツの低地ドイツ語、中部ドイツの中部ドイツ語、南ドイツ・オーストリア・スイスの上部ドイツ語に三分され、そこからさらに各地域の諸方言に枝分かれしていく。隣接する方言、たとえば南東ドイツのバイエルン方言と南西ドイツのシュヴァーベン方言は相応の類似性を示すが、北ドイツの話者とスイスの話者が各々の方言で理解しあうことはきわめて難しい。もちろん、今日では大部分の人々が標準語を話せるので、ドイツ人とスイス人の間で通訳が必要になることはないし、我々も教科書で習ったドイツ語で不自由なく旅行したり暮らしたりすることができる。
とはいえ、実際にドイツ語圏に赴いてみると、方言はともかく、各地で話される「標準語」(ないし標準語に準ずる日常語)にもかなりの相違があることが実感される。一番目立つのは発音で、たとえば語末の-ig [ıç]は、ドイツ語圏の南部では[ık]となる。また、rは口蓋垂(のどひこ)の[R]が優勢であるが、バイエルン州とオーストリアなどでは巻き舌の[r]が用いられる。このような発音上の偏差は、「習うより慣れよ」で、特に意識しないでも自然に耳に馴染んでくる。
しかし、問題は発音にとどまらない。語彙や表現においてもドイツ語には少なからぬ地域差が見られる。ドイツ語学習者が一番はじめに習う挨拶Guten Tag!「こんにちは」からして、ドイツ語圏の南半分ではGrüß Gott!(南ドイツとオーストリア)、あるいはGrüezi!(スイス)という(ともに「神があなた[がた]に挨拶してくれるように」の意)。もちろん、南部でGuten Tag!といっても十分に通じるが、土地の流儀で挨拶をした方が好感を持たれるであろう。この挨拶表現に関しては、次のサイトに興味深い言語地図が掲載されている。
http://www.philhist.uni-augsburg.de/de/lehrstuehle/germanistik/sprachwissenschaft/ada/runde_2/f01/ [Atlas zur deutschen Alltagssprache]
さて、『クラウン独和』ではこれらの表現に対してどのような説明がなされているであろうか。Grüß Gott!については、grüßenの項に「GrüßI [dich/euch/Sie] Gott!《南部・オーストリア》おはよう;こんにちは;こんばんは;さようなら」とある。この挨拶は四六時中使えるため多数の訳語が並べられているが、「おはよう」は実は南部でもGuten Morgen!ということが多い。また、「さようなら」の意味での用法は(方言を除いて)稀であると思われる。スイスドイツ語のGrüezi!はそのまま見出し語になっており、同様の訳語が配されている。
もう1つ例を挙げよう。朝食として好まれる小型の白パンをBrötchen(<Brot「パン」+縮小語尾-chen)というが、これも全ドイツ語圏で使用される語ではない(「理解」はされるが)。地域ごとに(たとえ標準語で話すときでも)、Semmel、Wecken、Rundstück、Schrippeなど区々な呼称がある。クラ独で調べると、SemmelとWeckenは《南部・オーストリア》、Rundstückは《北部》、Schrippeは《ベルリン》となっている。これらの記述は一見マニアックと思われるかもしれないが、実は有益な情報である。かつて旧東独の教授から次のようなエピソードを聞いたことがある。彼が地元のギムナジウムを卒業して、ベルリンで大学生活を始めたころにパン屋で「Brötchen」を求めたところ、店員に「Schrippeですね」といわれたとか。まあ「おのぼりさん」であることが露呈しても特に損をするわけではないし、まして我々外国人がそこまで見栄を張ることもないかもしれないが、現地での暮らしに馴染むために多少の勉強が必要ではある。
このように各地で耳新しい表現に出会ったら、ぜひクラ独で調べていただきたい。「地域限定版」の語彙・語法には、通用域の記載とともに、類義語として「メジャー」な対応語が挙げられている(たとえばSemmelやSchrippeには(→Brötchen)といった形で)。一方、逆方向での(つまり「メジャー」な語から「地域限定版」への)類義語指示は原則としてなされていない。しかし、特に重要な情報は♦印の注として盛り込まれている。ちなみに、Brötchenの項には「♦南部・オーストリアではSemmelという」とある。このような言語上の地域差を、ドイツ語圏文化の多様性の一事例として楽しみながら学ばれてはいかがだろうか。
クラ独は大辞典ではないし、方言辞典でもない。しかし、ドイツ語の標準語~日常語に地域差が存在する以上、学習者に役立つ最低限の情報は提供されてしかるべきであろう。このような点で、クラ独の記述は中型辞典としては充実していると自負する。飽き足りない方は、上述のサイトや、W. König: dtv-Atlas Deutsche Sprache. München (Deutscher Taschenbuch Verlag) 142004をご覧になるようお勧めしたい。同書にはBrötchenの言語地図も収録されている。
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【筆者プロフィール】
飯嶋一泰
早稲田大学文学学術院教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員
—
【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 44
2011年 1月 23日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 43
Character labels
As I began to say last time, the link between language and character is varied and has at least three forms of connection.
First, language can directly express character, as in the case of the word “botchan” which is used to express a strongly childish male character.
However, this connection can be seen in things other than language.
For example, when asked: “Why doesn’t he get married?” The other party might say, “Uh, actually he’s…” then make a gesture I’ll call the “one-hand-by-the-mouth” sign. That is, she would hold up her right hand, wrist and fingers straight, and place the edge of her index finger against the left side of her mouth (or she would hold up her left hand to the right side of her mouth) while smiling, so as to tell the questioner: “He’s an okama,(1) so he won’t be taking a wife anytime soon.” Here, the “one-hand-by-the-mouth” sign expresses a direct connection to the “okama” character. This is identical to how the word “botchan” expresses a strongly childish male character. Even so, these kinds of gestures are few compared with words.
I call things that express character, like the word “botchan” and the “one-hand-by-the-mouth” gesture, “character labels.” I call the things expressed by them, like the strongly childish male or okama characters, “labeled characters.”
While there are gestures that act as character labels, words are far more numerous.
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If someone says, “Those kinds of words and actions are unthinkable of Mr. Tanaka,” we know that there is a real, individual character, a “Mr. Tanaka character.” For example: “Mr. Tanaka is basically pretty ‘spacey,’ but recently he has shown a surprisingly ‘passionate’ side of himself…” That is, his character, which fundamentally shouldn’t change, has these contrary, coexisting properties which grate against one another. This is what human life is. Mr. Tanaka is “spacey” and “passionate” and whatever else he happens to be; all this fits into the framework of a single character, and nobody can describe that character completely.
There are many kinds of people around me. While it would be fun to examine each of their characters, one at a time, I would probably end up getting sued, and moreover I’m not confident that my readers would be able to follow me (this gives you an indication of how subtle these people are; no, really!).
In any case, labeled characters that use proper nouns, such as the “Mr. Tanaka character,” are less common than labeled characters which use general nouns that indicate the basis of the individual character—“okama,” “spacey,” “passionate”—so it probably wouldn’t hurt to develop our observations on them. I know it’s rather late in the game, but this is how I will proceed.
Coincidentally, here I used “okama” instead of “homosexual” etc. This is because, I think that in our evaluations of others, “okama” is more common than “homosexual.” Perhaps the word “okama” has a discriminatory ring to it. If this is so, it indicates that prejudice against homosexuality exists. General nouns that are used as character labels reflect various aspects of consciousness. Examining character brings this consciousness out into the light.
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(1) Okama is slang for a man who is gay or transgendered, or a man who is (ostensibly) straight, but very feminine in his mannerisms. The hand gesture described in this paragraph is roughly analogous to the “limp wrist” gesture used in the West.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 44
2011年 1月 23日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)角色形象的标签
从上一节开始提到的是,语言与角色形象的结合方式多种多样,其中至少有三种。
第一种结合方式是指,就像“坊ちゃん (botchan 公子哥儿)”这一语言(词)表示非常幼稚的男性角色形象一样,语言直接表示角色形象这样的结合方式。
但是,这种结合方式,其实不仅仅限于语言。
例如,对于对方提出的“他还没结婚?”这一问题,就像要制止似的说“没有没有,他是……”之后,用“单手绷直放到相反嘴边稍做微笑”这一动作来补充省略的话。具体地说就是,右手的手腕到指尖向手背方向绷直之后放到左嘴边然后稍作微笑,或是左手也呈相同状态放到右嘴边然后稍作微笑。这个动作传达了“他是‘同性恋’不结婚”这一意思。这里的“单手绷直放到相反嘴边稍作微笑”这一动作直接表示了“オカマ(okama 男性同性恋)”角色形象。与“坊ちゃん(botchan 公子哥儿)”这一语言表示非常幼稚的男性角色形象是相同的。虽说如此,动作直接表示角色形象的这种结合方式比起语言来是少之又少的。
像“坊ちゃん(botchan 公子哥儿)”或是“单手绷直放到相反嘴边稍作微笑”,这种表示角色形象的语言或动作,我称其为“角色形象的标签”, 把由它们所表示的对象,像非常幼稚的男性角色形象、男性同性恋角色形象,称之为“带有标签的角色形象”。作为角色形象的标签,可以是动作,但是语言要远远多得多。
“从田中的角色形象来看,是难以想象他会做出这种言行的”这句话中的“田中的角色形象”,即现实中的每个人的角色形象,比方说“田中这个人基本上是个‘おとぼけ者(o-tobokemono 呆子)’,但是最近不知为什么,去让大家吃惊地看到了他‘熱血漢(nekketsukan 热血男儿)’的一面……”,像这样,本来应该是不可以变换的两个角色形象,却可以在同一个体中相互碰撞,在矛盾中共存。活生生的人也许就是这样吧!“呆子”也好“热血男儿”也好其他的也好,完完全全地被框在一个角色形象的框架里,用一个角色形象就可以完全诠释的人是不存在的。
我的周围其实也有各种各样的人。在这里把他们每个人的角色形象描述出来虽然也是很有意思的,但是,如果真正写出来了,说不定会变成诉讼事件,而且,无论怎么说对于我的描述读者能理解多少,我还是没有信心的 (他们就是这样怪异的人,真的!)。
总之,比起观察像“田中的角色形象”这样贴上专有名词标签的角色形象,倒是观察以他们每个人为底色的“坊ちゃん(botchan 公子哥儿)”“オカマ(okama 男性同性恋)”“おとぼけ者(o-tobokemono 呆子)”“熱血漢(nekketsukan 热血男儿)”这样贴上一般名词标签的角色形象却是不会有什么损害的。啊,虽说都到了这个时候了,还是就按这个方针写下去。
另外,在这里我没有用“ホモセクシャル(homosexual)”而用了“オカマ(okama)”,是因为我认为作为人物评价的语言,“オカマ(okama)”比“ホモセクシャル(homosexual)”更具有一般性。“オカマ(okama)”这个词也许会有一些歧视的意味。如果有,那就是我们对男性同性恋者的一种歧视意识的表现。一般名词的角色形象标签反映着我们各种各样的思想意识。论述角色形象,也就不可避免地会把这些思想意识公开化。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第134回 おいしい方言(奈良県)
2011年 1月 22日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第134回「おいしい方言(奈良県)」
奈良県では、京都や大阪に近い方言を使うことから、なかなか方言の使用例を見つけるのは、難しいとされていました。ところが、2010年に、平城京遷都1300年を記念して、さまざまな記念行事が行われ、多くの観光客が奈良を訪れるようになりました。経済効果があって方言の使用が見られました。

【写真1 「奈良へ行ってきましてん!!」】


上:【写真2 「よばれや」の店の看板】
下:【写真3 「よばれやの夏ごはん」の宣伝】

左:【写真4 「えんぎもんや」】
右:【写真5 「奈良、たのしかったで~」】
最初に紹介するのは、「奈良へ行ってきましてん!!」(奈良へ行って来ましたよ【写真1】)です。「~てん」「~ねん」は、話し手の見解や意志を伝達します。「~てん」は、「あの店で買いましてん」のように、過去に使います。それに対して、これからのことは、「来月、また旅行に行きますねん」のように言います。「先、行ってんか」(先に行ってください)のように相手に依頼するときにも「~てん」が使われます。
【写真2】は、「よばれや」の店の看板です。そして、【写真3】は、「よばれやの夏ごはん」の宣伝です。「奈良のおいしいもんと創作おでん」と書いてあります。
「よばれや」の「よばれる」は、動詞の「食べる」の意味ですが、もともとは、「食事に招かれる」という意味でした。「よばれ屋」という店の名前と、「食べなさい」という意味をかけています。「はよ、よばれや」(軽い命令)、「たくさん、よばれや」(勧誘)のように「や」は、そのほか、禁止、依頼などにも使います。
「えんぎもんや」【写真4】は、おなじみのキティーちゃんですが、赤い座布団に座って、「福」をかかえています。キティーちゃんのまわりには、小判がちりばめられています。この「~や」は、断定の表現です。つまり、「縁起ものだ!」と断定しているのです。奈良県では、南部で「~や」が「~じゃ」になる地方もあります。
最後の「奈良、たのしかったで~」(奈良、楽しかったですよ【写真5】)の「で~」は、「で」と短くなったり、「や」とともに「やで」の形をとることもあります。標準語の「~よ」「~ぜ」に相当します。文末につけて念押しをしたり、「ほんまやで」のように断定の意味を伝えます。
以上の例は、平城京遷都1300年記念祭に訪れた観光客がもたらした経済効果と、方言みやげの関係を「地域語と経済の関係」として考えるよい例です。方言みやげは、経済だけでなく、奈良県人みずからのアイデンティティを反映する役割も果たしています。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
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2007年









