2011年 2月 のアーカイブ

漢字の現在:漢字の音義の一人歩き

2011年 2月 15日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第83回 漢字の音義の一人歩き

 前々回に触れた、江戸時代の70画台の「字」は、恋川春町の『廓竹×愚費字尽(さとのばかむらむだじづくし)』(天明3(1783)年刊)という戯作本に登場する。かの蔦屋重三郎の手がけた黄表紙で、そこには79画とも数えられる形に「おういちざ」(おおいちざ)と読みが添えられている【図】。この本の元となったものが『小野篁哥字尽』で、影響力も大きく、何種類もの亜種、中には目を疑うような語をも扱った異種までが派生した。


【図】

 「今昔文字鏡」など、正方形にデザインするものがあったが、その実物は細長く、とても一字としてのまとまりを持たないもので、さらにその次に並ぶ「字」は、方形にまったく収まっていない。「おういちざ」とはむろん大一座のことであるが、『異体字研究資料集成』には本文だけが影印されていたため、従来いろいろな意味が推測されてきた。

 これは、原文の挿絵と、そこに記されている科白などまでを確認すれば、団体客のことを指していて、その「字」に含まれている「敵」は敵娼(あいかた)たちであることが分かる。その中で、悪酔いした「客」の一人が「吐」いてしまっている、という困った状況を表すことは、『別冊太陽』89(1995)で、鈴木俊幸氏が解説しているとおりであると考えられる。

 84画の字もそうであったが、紙の本や活字の辞書が典拠となって、WEBに情報が転記されたり、テレビでも取り上げられたりする。多くの人にとって面白い情報は、情報化社会の中で循環しつつ、拡散していくものである。84画の字については、姓としてはなくなっているが、それを元にした名としては実在する、といった都市伝説のたぐいをいくつか耳にし、実際に確認に遠路走ったこともあった。それとともに、意味内容や裏話のようなものが膨らんでいくことも常である。

 字義が忘れられ、字面から得られるイメージの良さから、人名に用いたいという要望が複数あることが見つかった「腥」という漢字の読み方も、かつて調査に当たったときには、「セイ」しか確認していない。私は、そのようにしか述べたり書いたりしていないはずだが、今ではこの話にまつわり、種々の「名乗り訓」が流布しだしている。ほかにもし確かな出所がないとすると、「セイ」よりもそれらしい和語の方が想起しやすく、あるいはピンと来るためであろうか。

 名付けで大きな話題となり、有名となった「悪魔」という届け出も、あの読みは「デビル」だった、と複数の学生が述べるようになった。それでは結局「亜駆」とされたということの意味が半減するが、何か別の話題と混じながら、より驚きの勝る方へ話が増大したのであろう。

 JIS漢字の幽霊文字として知られるようになった「妛」は、もとは「𡚴」(あけび 合字 第3水準として採用)であったが、「あけんばら」に対する本来的な代用による使用を経て、種々の新たな読みでHN(ハンドルネーム)などにも使われるようになった。「安」を誤植した例から、実は姓に使われていた字であったという話までも、まことしやかに流れたことがあった。

 偶然に字体が一致する例さえも見つかっていない「彁」までが、JIS漢字に採用され、典拠不明と一部で注目されるようになってからは、面白がって使われ、独自の音義を与えられ、新たな用例を蓄積してきている。こうした立派な幽霊文字が新たに関係のない魂を注入されることで、個人文字、さらには位相文字へとなっていく過程を目の当たりにできそうだ。それらには、漢字、国字というレッテルが後付けながら貼られることになるであろう。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「64画以上の字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(45)

2011年 2月 15日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(45) 翁丸事件~長徳の変の記憶~

 今内裏を舞台とした章段で、天皇が可愛がっていた猫の紹介から始まる一風変わった話があります。その猫は宮中に伺候するために5位の位を得て、「命婦(みょうぶ)のおとど」という名を与えられ、人間の乳母が付けられ大切に世話されていたというのですから、やや尋常ではありません。『小右記』によれば長保元年9月19日に誕生し、猫付きの乳母が人々の笑いの種になっていたようです。

 長保2年の春には生まれて半年程になるこの子猫が縁側に出て寝ていたところ、乳母が「まあ、はしたない、中に入りなさい」と人間扱いをして呼びます。しかし相手は猫、当然ぐっすり寝ています。そこで乳母は犬に命じて猫を脅し入れるという強硬手段に出ます。犬は猫に走りかかり、猫は怯えて簾の中に駆け込むのですが、それを天皇がご覧になっていたから大変です。犬は打たれて島流しに、乳母は更迭という厳罰が下されます。

 この時、蔵人たちに打たれ追放された哀れな犬が、翁丸という名のこの章段の主人公です。翁丸は普段から今内裏に出入りして、女房たちにも顔なじみの犬だったようで、清少納言もその身の上を案じます。夕方、身体中を腫れあがらせた犬が震えながら歩いているのを見て、清少納言が「翁丸」と呼びますが、犬は返事をしません。食べ物を与えても食べないので、皆、確信が持てないままに、翁丸はもう死んだというから違う犬ではないかということになりました。

 次の朝、定子の身繕いに奉仕していた清少納言が、柱の下にうずくまっている昨夜の犬を見て、「ああ、昨日は翁丸をひどくたたいて、死んでしまったのは可哀想だった。生まれ変わって今度は何の身になったのだろう。どんなに辛かっただろう」と言った途端でした。犬がぶるぶる震えて涙を落したのです。やはり翁丸だったのか、昨夜は正体を隠していたのかと納得して、「翁丸か」と呼ぶと、ひれ伏してひどく鳴きます。それを聞いた天皇もこちらに来て、犬にもそのような心があったのだとお笑いになります。天皇付きの女房たちも皆集まって来て翁丸を呼ぶと、今度は反応するのでした。その後、翁丸は罪を許されたということです。

 この章段では定子の姿はほとんど描かれません。清少納言と共に翁丸の身の上を心配し、翁丸が正体を明かした時には安心して笑ったと書かれるのみです。犬を主人公にしたこんな不思議な話が、なぜ『枕草子』に書き留められたのでしょうか。この話は読者に何かを連想させます。翁丸は、乳母に命じられて何の考えもなく、天皇家の猫を脅したために、島流しの宣旨を受けてしまいました。女房たちは翁丸に同情して憐れむのですが、何一つできないまま事の成り行きを見守るしかありませんでした。そんな事態が歴史的なある事件と重なります。この章段の時点から4年前、定子の目前で伊周・隆家が左遷された長徳の変の出来事です。

 しかし、中関白家の失墜を招いた不幸な事件を、当家に仕える作者が取り上げることなどできたのでしょうか。いろいろな見解が取り沙汰されています。これについて、次のように考えてみてはどうでしょう。事件から、さらに定子崩御からかなりの時間が経過した時、作者にはどうしても目撃した事を書き留めておきたいという思いが残っていた。しかし、作者の立場では、こんな形で触れるのが精一杯だったのだと。
 
 奇特な動物譚として語り終えられるこの章段が、これまでと異なる作者の語りの位置を示しているように思われてなりません。それは後宮女房という役目の枠を越えた、歴史の生き証人としての位置だったというのは言い過ぎでしょうか。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

耳の文化と目の文化(26)―正書法を乱すもの(2)―

2011年 2月 14日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(109)

ドイツ語の正書法を乱すものとして他には外来語がある。外国語にはドイツ語にない音の語や同じアルファベットで書かれていても読み方、発音が異なる語がある。

Restaurant [rɛstorã:]「レストラン」やToilette [toalɛtə]「トイレ」はフランス語からの外来語であるが、綴りも発音も原語のままである。au はドイツ語の正書法では [au] の音を表しているが、[o] と発音し、rant は [rant] ではなく、鼻母音のまま [rã:] である。また、oi もドイツ語正書法では [oi] と読むところであるが、[oa] と発音される。

Friseur [frizø:ɐ]「美容師」もフランス語からの外来語である。eu はドイツ語では [ɔy] の音を表すが、原語のままに [ø:] と読まれる。しかし、[ø:] はドイツ語にもある音であり、ドイツ語では ö と表記するので、Frisör と綴ることも認められている。また、Büro [byro:]「事務所」もフランス語の bureau から来ており、発音は強勢が後にあるなどフランス語のままであるが、表記は完全にドイツ語化している。

Streik [ʃtraik]「ストライキ」は英語の strike [straik] から来ているが、語頭の st を [ʃt] と発音し、英語の i [ai] を ei と表記し、語尾の e を省略して、完全にドイツ語化している。

Café [kafe:]「喫茶店」(フランス語)、Cello [tʃɛlo]「チェロ」(イタリア語)、Computer [kɔnpju:tɐ](英語)は原語の書法と発音が保持されている。c はドイツ語では使われないから、これらは外来語であることがすぐわかる。

Violine [vIoli:nə]「ヴァイオリン」(イタリア語)、privat [priva:t]「私的な」(ラテン語)などのv、また、Journalist [ɜUrnalIst]「ジャーナリスト」(フランス語)、Job [dɜɔp]「アルバイト」(英語)などのjはドイツ語の正書法ではそれぞれ [f], [j]の音を表すが、これらも原語の音が保持されている。

Chaos [ka:os]「混沌」(ギリシア語)、Chef [ʃɛf]「主任」(フランス語)、Couch [kautʃ]「寝椅子」(英語)などのchはドイツ語では [ç, x]の音を表すが、これらは原語の音をほぼ保持している。また、Philosophie [filozofi:]「哲学」、Thema [te:ma]「テーマ」、Rhythmus [rYtmUs]「リズム」などはギリシア語であり、ph, th, rh は本来、気音を伴った p, t, r であるが、ドイツ語では [f, t, r] となっている。ただ、表記はギリシア語のままである。しかし、Mikrophon [mikrofo:n]「マイク」などの -phon は Mikrofon のように f で書いてもよく、Telephon [telefo:n]「電話」は古形であり、Telefon と書くとされる。また、Panther [pantɐ]「豹」、Thunfisch [tu:nfIʃ] 「マグロ」は Panter, Tunfisch と書いてもいい。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 47

2011年 2月 13日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 46

Expression characters and the unnaturalness of “tatazume

The link between language and character is varied, having at least three forms of connection (see part 43). However, the first (part 44) and third (parts 45 and 46) types of connection are seen when a character is connected with things other than actual language.

This time I will discuss the second type of connection. In this connection “language that expresses an action, also indirectly expresses the character that is performing that action.” For example “to chuckle gloatingly” is not just a laugh, it is a “bad guy’s” laugh. In this connection the existence of person doing the expressing comes to the forefront; this connection is not visible except in language.

The imperative form of the verbal phrase “nitari-to hokusoemu (i.e. chuckle gloatingly)”—“nitari-to hokusoeme! (Chuckle gloatingly!)” —is unnatural. Why? The act of chuckling gloatingly is not merely the act of laughing. It contains a feeling of gloating, and as this cannot be intentionally controlled, the imperative is not appropriate. One can make one’s face red by rubbing it or drinking alcohol, but one cannot dredge up a sense of embarrassment intentionally “to blush.” So it would be similarly unnatural to use the imperative—“Blush!” While this explanation seems plausible, it is rather dubious.

It would make perfect sense to tell someone, “I know you are always gloating inside, even though you never show it on your face. Go ahead and try laughing gloatingly. Just once.” That is, you could tell someone to try to “laugh while thinking gloating thoughts.” The explanation that just because people cannot control their gloating feelings, you cannot order them to do so, contains a logical leap.

The unnaturalness of the imperative “Chuckle gloatingly!” stems from the fact that the verbal phrase expresses not just the act of laughing (a behavior), but also the “bad guy” character of the person doing the laughing (the performer of the behavior).

Character cannot be intentionally controlled outside of the context of play. As “to chuckle gloatingly” is not just a behavior, but a verb that specifies the character of the behavior’s performer in an obvious way, the imperative “Chuckle gloatingly!” is unnatural because it demands that the listener control his or her character.

Let’s look at the verb “tatazumu” (to stand still)(1). It would not be particularly unnatural to use the imperative of “jitto tatte iru” (to stand still) i.e. “Jitto tatte iro” (Stand still!). But, the imperative form of the verb “tatazumu”—“Tatazume!”—is unnatural. This time we cannot blame this unnaturalness on the feelings of the performer. The verb tatazumu does not imply any specific feeling such as gloating or shame.

The unnaturalness of the imperative “Tatazume!” stems from the fact that the verb tatazume expresses not just the act of standing still (a behavior), but also that the character who is standing (the performer of the behavior) is an “adult” character. If it were possible to use “tatazume” in exceptional cases, it would be in the context of an acting director giving instructions to an actor—“No, you need to stop a little more suddenly. Freeze (tatazume) on this spot.” In other words it would be in the context of “acting” in which one is permitted to control one’s character.

Let’s call language such as “chuckle gloatingly” “character behavior expressions.” Further, let’s call labeled characters that are expressed through such character behavior expressions, like the “adult” character, “expressive characters.”

What’s that you say? Didn’t I called these “behavior characters” in an essay I wrote a long time ago? Did I really? This humble, shabby fellow can’t recall. My, that cloud has an interesting shape!

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(1) See the footnotes in part 43 of this series for comments on the verb tatazumu.

An Unofficial Guide for Japanese Characters 48 >>

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 47

2011年 2月 13日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 46

行为角色与“伫立!”的不自然

语言与角色形象的结合方式多种多样,至少有三种(第43节)。但是,在第一种结合方式(第44节)、第三种结合方式(第46节第45节)中,其实语言以外的其他形式也可以与角色形象相结合,这是我们之前谈到的。

在这节中我们来谈谈第二种结合方式。像“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu狞貌窃笑)”这一词并不只是表示简简单单的微笑而是表示“坏人”角色的微笑一样,第二种结合方式是指,“语言在表示动作时,可以暗示出此动作行为人的角色形象”这种结合方式。这种结合方式中行为表现人的存在完全被突出出来,语言以外的其他形式与角色形像相结合的现象在这种结合方式中也是观察不到的。

“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu狞貌窃笑)”这一动词短语的命令形“ニタリとほくそ笑め (nitari-to hokusoeme狞貌窃笑!)”很不自然,这是为什么呢?有的人这样解释,狞貌窃笑这一动作本身不是单单做出微笑,还包含着“しめた!(shime-ta 太好了!)”这样的心理活动,这种心理活动是意志难以控制的,所以与命令不合,就好比虽然擦搓脸部或者喝酒可以使脸变红,但是羞耻心不是意志可以控制引起的,所以意图性的“顔を赤らめる (kao-o akarameru 脸红)”是不可能的,所以命令形“顔を赤らめろ (kao-o akaramero 脸红!)”是不自然的,“ニタリとほくそ笑め (nitari-to hokusoeme狞貌窃笑!)”不自然也是同样道理—这种解释看上去非常有道理,但是却不能不让人产生怀疑。

“你总是心里想着‘太好了’却一点儿也不表现在脸上,什么时候就一次也行,心里想着‘太好了’的时候,笑一笑!”这样的话是成立的。就是说,“想着‘太好了’的时候,笑一笑!”这样的命令是可以说的。“太好了!”这样的心理活动虽然是不可控制的,但是由此导出不可以命令,这种解释是不合理的。

命令句“ニタリとほくそ笑め (nitari-to hokusoeme狞貌窃笑!)”不自然,倒不如说是因为“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu狞貌窃笑)”这一动词短语不仅仅是一个微笑 (动作),它还表示了微笑人 (动作的行为者)是一个“坏人”角色。

像前面也曾多次提到那样,与开玩笑 (玩儿玩儿)不同,角色形象是不可以进行意图性控制的。“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu狞貌窃笑)”的命令形“ニタリとほくそ笑め (nitari-to hokusoeme狞貌窃笑!)”不仅仅向听话人指定了动作,还明确指定了动作行为者的角色形象,要求听话人做角色形象的控制,所以才让人觉得不自然。

在这里谈一谈“たたずむ (tatazumu 伫立)”。“じっと立っている (jitto ta-tte-iru 站着不动)”的命令形“じっと立っていろ(jitto ta-tte-iro 站着别动!)”没有什么不自然。但是,动词“たたずむ (tatazumu 伫立)”的命令形“たたずめ (tatazume 伫立!)”却很不自然,并且这种不自然的原因并不是心理活动造成的。这是因为伫立这一动作并不是像“太好了”这种心里感觉或羞耻心的产生那样包含着特定的心理活动。“たたずめ (tatazume 伫立!)”不自然的原因倒不如说是“たたずむ (tatazumu 伫立)”这一动词不仅仅表示站着不动 (动作),还表示站着不动的人(动作行为者)是“大人”角色。如果“たたずめ (tatazume 伫立!)”作为例外可以成立的话,那是像导演给演员做演技指导时说“不对!止步要再快一点儿,在这个位置伫立!”,在这种情况下,就是说在允许对角色形象进行控制的演戏情况下是可以的。

我把 “ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu狞貌窃笑)”这样的词语 (语言)称之为“角色动作的行为(表现)”,把由这些角色动作的行为(表现)显示出的像“大人”角色这样贴上标签的角色形象称之为“行为角色 (形象)”。

什么?“你在以前的论文里不是称之为‘动作角色’吗?”,啊,有那么回事儿来着吗?我这老糊涂什么也想不起来喽~,啊~ ,那朵云很有点儿意思。

角色大世界――日本 48 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第137回 Googleマップによる日中の「亮月」の方言

2011年 2月 12日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第137回「Googleマップによる日中の「亮月」の方言」
Japanese and Chinese dialectal “bright moon” by Google maps

 インターネットのGoogleマップを使うと、言語地図が簡単に作れます。今回は、中国の方言と日本語についての複雑微妙な関係について考えてみましょう。

 中国語の方言差が大きいことはよく知られています。最近日本の岩田礼さんが、中国語の方言地図集『漢語方言解釈地図』(白帝社)を出しました。その目次は中国語と英語だけですが、以下のホームページで日本語訳も見られますから、使いやすくなりました。見本の地図も見られます。

 ⇒岩田礼さん『漢語方言解釈地図』Sample Mapsのページへ

 『漢語方言解釈地図』のおかげで、どの程度ことばが違うかの見当がつきました。「太陽」や「月」という基本的単語でさえも、方言差があります。「Google翻訳」では、世界59言語の相互翻訳ができますから、英語の“moon”を入力して中国語に翻訳したら、「月亮」と出ました。『漢語方言解釈地図』をみると、確かに「月亮」は中国北部はじめ全土で使われます。しかし他の言い方も多く、例えば「亮月」が江蘇省のあたりで使われます。

(画像はクリックで拡大します)
図 Googleマップによる日中の「亮月」
【図 Googleマップによる日中の「亮月」】

 「亮月」はどこかで見たことばです。Googleマップで検索したら、日本の料亭の名前で出ていました。また中国の各地でも使われます。またGoogleで画像を検索したら、旅館や製作所の看板も出ました。人寄せにも使われる、経済価値のあることばです。

 「亮月」は日中で共通の言い方ですが、日本の漢和辞典で調べると、「明るい月、明月」の意味です。中国語でも本来この意味だったんでしょう。しかし『漢語方言解釈地図』によると、のちに古都南京あたりで「月」の意味で使いはじめたのです。たぶん単に「月」というと短いし、年月日の「月」と区別がつきにくいので、「月亮」「亮月」のように別の要素を付けたのでしょう。日本語でもただ「な」というと分かりにくいので、「名前」「菜っぱ」「さかな(=酒+菜)」のように長くして区別しやすくしました。

 「月亮」は普通話(標準語)ですが、「亮月」は南京付近の方言です。でもGoogle マップの「亮月」は、『漢語方言解釈地図』の「月」の意味の分布より広くて、台湾やウイグル自治区でも使われています。地図左の一覧表をみると、主に店名や地名です。日本も含め、漢字圏周辺部では、本来の「明るい月」の意味で使われているのでしょう。

 Google マップで漢字を入れてみると、意外なことばが日中で共通に使われていて、楽しめます。なお、付図のような形で地図を出す知恵について、またGoogleマップの画面の保存については、第127回「Googleマップで見る関西弁の世界進出」をご覧ください。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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人名用漢字の新字旧字:「翆」と「翠」

2011年 2月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第81回 「翆」と「翠」

新字の「」と旧字の「」の関係は、かなり複雑です。羽の下に卆の「」、羽の下に卆の「翆」、羽の下に卒の「翠」、羽の下に卒の「」、の4種類がありうるからです。

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これら4つのうち、子供の名づけに使えるのは、羽の下に卒の「翠」だけです。残りの3つは、現在は使えません。でも、過去には使えた時代もあったのです。

当用漢字1850字と人名用漢字92字では子供の名づけに足りない、という国民の声を受けて、法務省民事局は昭和50年7月、子供の名づけに使える漢字として追加すべきものを、全国の市区町村を対象に調査しました。さらに法務省民事局は、法務大臣の私的諮問機関として、人名用漢字問題懇談会を発足させ、人名用漢字に新たに28字を追加すべきだ、という結論を得ました(昭和51年5月25日)。この28字に、羽の下に卒の「」が含まれていたのです。そして昭和51年7月30日、この28字は、人名用漢字追加表として内閣告示されました。この時点では、羽の下に卒の「」だけが子供の名づけに使えて、「」「翆」「翠」はダメでした。

3週間後の昭和51年8月20日、法務省民事局は、羽の下に卒の「翠」も子供の名づけに認める旨を、全国の市区町村に通知しました。同時に、旧字の「」の下の「十」を「丅」に変えた俗字(下図参照)も、子供の名づけに認めたのです。この結果、羽の下に卒の「」、羽の下に卒の「翠」、そして下図の俗字、の3種類が子供の名づけに使えるようになりました。

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ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、羽の下に卒の「翠」は子供の名づけに使えるが、羽の下に卒の「」はダメとなっていました。もちろん、上図の俗字もダメです。羽の下に卆の「」も、羽の下に卆の「翆」もダメ。昭和56年10月1日に戸籍法施行規則が改正された結果、羽の下に卒の「翠」だけが、出生届に書いてOKとなりました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。羽の下に卆の「翆」は、JIS第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が1回しかなかったため、追加候補になりませんでした。羽の下に卒の「」は、出現頻度数調査の結果が32回だったのですが、JIS X 0213に収録されていなかったため、審議の対象になりませんでした。羽の下に卆の「」は、出現頻度数調査の結果が0回で、JIS X 0213に収録されていなかったため、やはり審議の対象になりませんでした。

この結果、羽の下に卒の「翠」だけが、人名用漢字として残されました。それが現在も続いていて、「翠」は出生届に書いてOKですが、「」も「翆」も「」もダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

漢字の現在:幽霊文字からキョンシー文字へ?

2011年 2月 8日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第82回 幽霊文字からキョンシー文字へ?


【図1】

 画数の最も多い漢字として、84画の字がある、といわれることがある【図1】。


【図2】

 昭和のある日、とある大手証券会社に大金を持って表れたその人物が、名刺に残していったと伝えられる。その字体は、

【図2】のように印刷した資料もある。

 当人は、その時に「たいと」と名乗ったそうだ。ただ、電話帳など他の姓のデータには見いだすことができず、当時は用いることが可能であった仮名(かめい)ではないかと推測される。

 読み方は、「だいと」「おとど」として転載する名字や国字の辞書なども現れている。「おとど」とは、大臣を表す古語であろうか。伝聞が転化したものにしては、いささか差が大きい。

 私は、タイという音を持つと、トウという音を持つという2つの漢字を並べて用いた、2字からなる仮名(かめい)だったのでは、と考えている。それが、情報として一人歩きをしていくなかで、1字として認識されるようになり、姓の辞書にも転載され、世界最大の画数を有する国字として、一部で知られるようになった、ということではなかろうか。

 2字からなる仮名(かめい)がいつしかくっついて、1字の国字とされるに至る。もともと存在しない字を幽霊文字と呼んでいる。辞書学でいう、辞書においてまれに誤って生じていつの間にか載ってしまった「ゴーストワード」つまり幽霊語からの類推であった。

 JIS第2水準にあり、ケータイでも「シ」という、JIS採用経緯とは無関係の音で変換される「妛」は、タモリの出るテレビ番組でも紹介されたそうだ。限界集落と名付けられる地で用いられていた「山女」の合字を作字して印刷する際に、写った影を「一」と誤認した人がいたことから生じたものであった。幽霊文字の典型といえる(字体のみがたまたま一致する古い例はある)。

 ゴーストタウンとまではいえないものの住民も僅かなその地からの情報が、JIS公布以降全く寄せられていなかったことは分かるが、それと比べ、姓として「たいと」は、繰り返し報道がなされる情報社会の中で未だ実在の記録が現れない点から見ても、その類ではないかと思われる。

 幽霊文字は、何かに載せられると、第三者によって文字としての意味・用法を与えられる傾向がある。「妛」もそうだが、すでに幽霊ではなく、ゾンビのごとく復活をするのだ。キョンシーのように一人歩きをしはじめる。キョンシーとは、映画で有名になった死体が甦った妖怪で、「殭(歹+彊-弓)屍」を広東語で読んだものであり、大陸では「僵尸」と書く。

 84画のその幽霊文字とおぼしいものは、去年から新たな固有名詞としての使用を獲得した。千葉県松戸市の北松戸駅前で「おとど」と読むラーメン屋の店名となったのだ。正式な登録がどうなったのかはともかく、看板や暖簾に図1の形が大きく明示され、店内には「国字」を用いた店名の独自の由来まで記されている。画数に合わせて84食限定とも聞く。賑わっているようだが、どうしてこの字を知ったのかなど、ラーメンを食べながら詳しくお話をうかがいたいと願っている。

 ここに用法を得たこの84画は、ついに使われることで字としての位置を得た。少なくとも個人文字や位相文字であるともはや認めざるを得ないものとなったといえる。この「字」は、キョンシー文字とでもいえよう。「字」は個人の作であっても、そこに何らかの必要性や表現力など魅力が感じ取られれば、こうして使用の循環と情報の広がりを生み出すものである。語が先にあるとは限らないのが、漢字圏の命名だ。

 そういう一人歩きの例を次回、またいくつか紹介したい。

* * *

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「64画以上の字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

耳の文化と目の文化(25)―正書法を乱すもの(1)―

2011年 2月 7日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(108)

これまで見てきたドイツ語正書法は現代ドイツ語を文字によって体系的に表そうとする規則の集まりである。その意味で、不統一があるにしても、規則と呼ぶことができる。しかし、これをさらに乱すもののひとつに歴史的綴りがある。ドイツ語に限らず、あらゆる言語は時代とともに絶えず変化するものであるから、発音も変化する。しかし、文字表記されたものは長い間、慣れ親しんでいるから、発音を表しているというよりは表語的なものと感じられ、それを変えるのはどうしても抵抗感が生じる。

例えば、[f]はfで表すのが普通だが、Vater「父親」、vier「4」、von「…の」、Frevel「不法行為」などの語ではvで表されている。これらは中世以来の書法を守っているのである。また、現代語のSchnee「雪」、schlafen「眠っている」、schmal「細い」などは中世語ではsnê, slâfen, smalであり、語頭のsは[s]であったが、その後[ʃ]に変化したために表記もschと変わった。ただ、語頭のsp, stだけは発音の変化にも関わらず、中世語のままsprechen「話す」、Stein「石」などと書かれる。

現代語は[i:]をieと書くことがあるのも歴史的綴りである。中世語では bieten「提供する」、 lied「歌」などは文字通り[biətən], [liət]と発音されていた。これらの語は近世になって[bi:tən], [li:t]と発音されるようになったが、綴りはそのまま残ったために、ieのeは長音記号と解釈されるようになった。これによって、中世語のligen「横たわっている」、siben「7」などの本来eがなかった語も現代語ではliegen, siebenのように綴られるようになった。

中世語ではsehen「見る」、zehen「10」などの語のアクセントのないeはしばしば脱落して、[se:n], [tse:n]と発音されたので、その結果、hは長音記号と解釈されるようになった。これによって、中世語gên「行く」、stên「立っている」などの本来hのない語も現代語ではgehen, stehenなどと綴られるようになった。また、Aal「ウナギ」、Meer「海」、Boot「船」のように、長音の[a:], [e:], [o:]をaa, ee, ooと表記するのも歴史的綴りである。

現代語では二重母音の[ai], [ɔy]をei, euと表記するが、これも歴史的綴りである。ただ、ふつう[ɔy]はeuと書くだけで、oiと綴ることはないが、[ai]は Kaiser「皇帝」、Mai「五月」のようにaiと書く語もあるから不統一である。

これらの不統一が残っている原因として種々のことが考えられるが、ひとつは同音異義語の区別に使えることである:Wagen「車」-Waagen「秤(複数形)」、leeren「空にする」-lehren「教える」、Moor「泥地」-Mohr「ムーア人」、Saite「弦」― Seite「側」。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 46

2011年 2月 6日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 45

Verbal characters (Part Ⅱ)

When we can imagine a specific profile (age, gender, occupation, status, era, features, appearance personality, etc.) from a specific language usage (vocabulary, wording, expressions, intonation, etc.), or when we are presented with a specific profile and can imagine the type of language people of that profile will probably use, this is called Role Language (yakuwarigo).

[KINSUI Satoshi, “Va–charu Nihongo Yakuwarigo no Nazo” (Iwanami Shoten 2003)]

This is Dr. Kinsui’s definition of “Role Language,” a topic we have taken up before (see part 28). Although the expression “Role Language” contains the noun “role,” the concept is defined in a form removed from teleology. As I am ever vigilant against teleology (see parts 35, 36 and 37 of this series), I can accept this definition with little resistance. It is under Dr. Kinsui’s influence that I refer to “washi” (I) as “Role Language.”

While I follow Dr. Kinsui’s example in using the expression “Role Language,” I do not generally refer to what he calls “personal representation” as such; rather, I usually call it “character.” As an example, we will look at an educational comic:

Cat: You can find a kanji’s radical by taking it apart, nyan!

Dog: Why would you take it apart, wan?!(1)

[MANGA Jukutaro (Author) & ODA Etsubou (Illus.) “Manga dakedo Honkakuha: Kanji no Oboekata Kanwa Jiten [Bushu] Kooryakuhoo” (1997, Taiyou Shuppan) p. 15]

I was worried by the use of the word “personal,” as it is not always easy to call the entities who use this language “people” in the world of manga, like the cat (“You can find…nyan!”) or the dog (“Why… wan?!”), or furthermore the caterpillar Kemunpasu in Osomatsu-kun(2) who introduces himself “Kemunpasu de yansu” (I’m Kemunpasu).

But a larger consideration is that the connections between language and “personal representation” are not limited to this third connection (which is expressed by Dr. Kinsui’s definition); there are various kinds of connection. I adopted the term “character” in order to address these connections as a whole, while also distinguishing them individually.

Let’s arbitrarily call characters labeled as a result of their speech behavior, like the “senior citizen” that is indirectly expressed through Role Language, “speech characters” to distinguish them from the simple “labeled characters” and “expression characters,” which are related to the second kind of connection and which we will address next time. Dr. Kinsui focuses particularly on the [speech behavior/performer of speech behavior] connection (the third type), in which Role Language and “Speech Characters” are defined as a set.

* * *

(1) For an explanation of nyan see part 1 of this series. Wan is the Japanese interjection for the cry of a dog (i.e. “woof,” “bow-wow” etc.).
(2) Another of Fujio Akatsuka many popular manga series.

An Unofficial Guide for Japanese Characters 47 >>

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 46

2011年 2月 6日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 45

话语角色(下)

人们一听到某些特定的语言表达(词汇、语法、措辞、语调等),就会联想到某类特定的人物形象(年龄、性别、职业、阶层、时代、姿容、风度、性格等);或者,一提到某类特定的人物形象,马上就会联想到该人物形象会使用的某些特定语言表达。我们将此类语言表达称作“役割語(yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”。

[金水敏《ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (Vaacharu Nihongo Yakuwarigo-no-nazo 假想世界的日语 角色语言的奥秘)》(2003年 岩波书店)]

这是以前(第28节)提到的、金水敏先生对“役割語 (yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”的定义。虽然使用了“役割 (yakuwari社会角色及作用)”这一词,但这却是与目的论相割离的定义。就连总是爱对目的论抱有警戒心的我 (参照第35节第36节第37节),也能很容易地接受这个定义。仿效金水敏先生把像“わし (washi 第一人称)”这样的词语(语言)称为“役割語 (yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”正是这一原因。

在沿用“役割語 (yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”的同时,对于金水敏先生所说的“人物像 (jinbutsuzoo 人物形象)”,我却不太使用,而经常使用“キャラクタ (kyarakuta 角色(形象))”这一用语,原因之一也许是我太在意漫画世界里难以称之为“人物”的角色的话语。像下面的漫画学习参考书的例子那样,猫会说“会找到喵~”、狗会说“怎么办汪~”,另外,在《OSOMATSU KUN》中登场的毛毛虫Kemunpasu会说“ケムンパスでやんす(Kemunpasu-de-yansu 我是Kemunpasu-yansu)”,总是在每句话句尾加“やんす(yansu)”。

猫:拆开来看就会找到部首喵~

狗:拆开以后怎么办汪~

[Manga塾太郎(著)・小田悦望(画)《マンガだけど本格派 漢字のおぼえ方 漢和字典[部首]攻略法(Manga-da-kedo Honkakuha Kanji-no Oboekata Kanwajiten [bushu] Kooryakuhoo 漫画也正式 汉字的记法 汉和字典[部首]攻破法)》 (1997年 太阳出版) p.15]

但是,更为重要的动机还是和语言与人物形象结合方式的多样性有关。像我们谈到的那样,语言与人物形象的结合方式不仅仅限于第三种结合方式(金水敏先生定义中出现的是第三种结合方式),还存在着其他多种多样的结合方式。导入“キャラクタ (kyarakuta 角色(形象))”这一用语,正是为了能够把握这些结合方式的全貌,而同时又能够进行个别区分。

像“役割語 (yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”所暗示的“老人”那样,贴上作为话语动作行为者标签的角色形象,我们适宜地称之为“话语角色(形象)”,这要与单单“贴上标签的角色(形象)”和要在下节提到的第二种结合方式的角色形象(行为角色)相区别。金水敏先生在语言与角色形象的结合方式中,特别着眼于“话语动作—话语动作的行为者”这一结合方式(第三种结合方式),是将“役割語 (yakuwarigo人物形象语言或角色语言)”与“话语角色(形象)”作为一个组合进行了定义。

角色大世界――日本 47 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第136回 大雪に負けない方言看板と方言メッセージ

2011年 2月 5日 土曜日 筆者: 田中 宣廣

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第136回「大雪に負けない方言看板と方言メッセージ」

 夏が暑かったとき,そのすぐ後の冬は寒くて雪が多いと言われます。今シーズンは,それがよく当てはまっています。この冬は,全国的に寒く,しかも,積雪量の観測最大値を更新した地点が多く出ているくらいの大雪です。

【写真1 酒飲み運転は許さない】
【写真1 酒飲み運転は許さない】

 そういうなかでも,方言看板は,がんばって交通安全を呼びかけています。

 秋田県仙北郡美郷町の国道13号線沿い(横手から大曲方向に北上する車線の左側)に,「なんぼ言えばわがる 飲んだら乗るな」(何回言ったら理解できるのか。「(酒を)飲んだら,(自動車に)乗るな」)の,とても大きな看板があります。【写真1】=《付記》に撮影に関する説明=

 美郷町のある秋田県の内陸部は,もともと雪の多い地方です。その中心地は,美郷町の南隣で,「かまくら」で有名な横手市です。街中すら除雪が追いつかないほどの大雪です。

 看板も,雪まみれになりながらも文字をしっかり見せてその役目を立派に果たしています。飲酒運転による悲惨な事故が,たびたび報道されています。皆さんも,酒飲み運転は絶対にしないでください。

 「なんぼ言えば…」は,非営利的な言語の拡張活用ですが,雪の中,商業的利用の方言メッセージも頑張っています。

【写真2 ちょっと寄りたくなる方言メッセージ】
【写真2 ちょっと寄りたくなる方言メッセージ】

 美郷町の北隣の大仙市の国道105号線沿いの「道の駅なかせん」に「よってたんせ きてたんせ!」(寄ってください。来てください!)の歓迎メッセージがあります。【写真2】

 なお,「なかせん」は,漢字では「中仙」で,平成の大合併で大仙市になる前は,中仙町だった地区です。年配者には懐かしい「ドンパン節」が生まれたところで,この道の駅も,愛称を「ドンパン節の里」としています。

 方言看板も方言メッセージも,雪の中,ますます元気です。皆さんも,寒さを吹き飛ばして頑張りましょう。

* * *

《付記》
 今回の2枚の写真は,私のゼミの学生で,大仙市出身の者に撮影してきてもらったものです。第126回で,この地域の方言みやげなどを紹介しましたが,私は,今回の2例とも,その取材の時に見付けたものの,事情により写真の撮影ができませんでした。そういうところ,学生の冬休みの帰省のときに卒業論文の資料収集を兼ねて撮影をしてくれました。ここに記して感謝の意を表します。

* * *

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』田中宣廣(たなか・のぶひろ)
 岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

コメント表現2―『英語談話表現辞典』覚え書き(39)―

2011年 2月 3日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前回は相手の意見、主張などに対して積極的に賛意を示す表現をみてきました。今回は単語 idea が使われているコメント表現を考えみます。

まず、よく耳にする表現に ‘(That’s a) good idea.’ があります。本辞典では立項していませんので、三省堂コーパスから用例をみてみましょう。

‘What are your plans tomorrow?’ ‘I want to go into Manhattan.’ ‘That’s a good idea. It’s a great town, New York.’ 「明日の予定は?」「マンハッタンの街の中を見てみたいんだ」「それはいい。すごい町だからね、ニューヨークは」/‘Why don’t we have lunch together?’ ‘Good idea. Shall we say 12:30 at the reception?’「昼食をご一緒にどうですか」「いいね。じゃあフロントのところに12時半ということでどうでしょう」

この表現はおもに相手の主張、提案などに対する賛意を示します。ちなみに、questionを用いた ‘(That’s a) good question.’ は文字通りの意でコメントすることに加え、その質問が答えにくい、痛いところをついた質問であることを示唆するコメント表現です。本辞典からの引用です。

2 (即答するには)難しい問題だ “Will the boss allow you to do that?” “That’s a good question! … I don’t know.” 「部長はそれをあなたにやらせてくれますかねえ」「難しい問題だねー. 私にはわからないよ」 (◆時間を稼ぐために間を置くことが多い)
3 〈質問に答えられずに〉いい質問をするねえ “Why didn’t you ask for his permission?” “Good question.” 「なぜ彼に許可を求めなかったんですか」「いい質問をするねえ」

idea に戻りますが、‘That’s an idea.’ は相手が言った主張、意見が考慮に値するものであるという含みをもっています。以下は本辞典からの引用です。

1 〈相手の提案を受けて〉それはいい考えだ, そうだね “Where can I find a plate like this broken one?” “Couldn’t your sister still have some?” “That’s an idea!” 「この割れたのと同じお皿, どこに行けば見つかるかな?」「妹さんがまだ何枚か持っていないかしら」「おーっ, そうだな」.
2 〈前向きに納得して〉それもそうだね 《家族団らんの場で》 “Do you have any good plans for the holiday this summer, daddy?” “Well, for now I have no idea.” “Then how about going to Australia?” “Ah …. That’s an idea.” 「パパ, この夏休みのプラン考えている?」「そうだなあ, 今のところは何も」「じゃあ, オーストラリアへ行くっていうのはどう?」「あー, それもいいな」.

他方、同じく単語 idea を使うのですが、相手のことばに否定的な気持ちを表すコメント表現に ‘The very idea (of it)!’ があります。本辞典からの引用を示します。

1 〈相手の言動に対して〉何てばかな!, とんでもない!, ひどい! The very idea! Playing in the snow in your bare feet! You’ll catch your death of cold! まあ, あきれたわ! はだしで雪の中で遊ぶなんて! ひどい風邪をひいちゃいますよ / You can’t go outside wearing that. The very idea of it! それを着て外へは出られませんよ. とんでもない!
2 〈第三者の言動に対して〉ひどい!, とんでもない! “The children want you to take them to school in your car.” “The very idea!” 「子どもたち, あなたの車で学校に送ってほしいんですって」「何言ってるんだ!」 / That woman never guesses my feeling. She asked me to work on Saturdays and Sundays. The very idea of it! あの人には, 私の気持ちなんてわかんないわよ. 土曜日も日曜日も働けって. ひどいわ!

いずれも very を用いて「とんでもない」という気持ちを強めています。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。

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