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『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(46)

2011年 3月 1日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(46) 三条宮での端午の節句

 長保2年春、今内裏に1ヶ月余り滞在した定子は再び平生昌邸に移御します。その時、定子は3人目の御子を宿していました。初めて移御した際に清少納言が散々文句を付けた生昌邸は、定子の最終的な滞在場所となり、三条宮と呼ばれます。

 『枕草子』の日記的章段の中で、年時がはっきりしている最後のものが、この三条宮での端午の節句の記事です。長保2年5月5日、三条宮には定子と二人の子供たち、それに道隆四女で定子の妹にあたる女性が同居していました。御匣殿(みくしげどの)と呼ばれるこの女性は、定子から幼い皇子・皇女の養育を託され、定子崩御後に子供たちを引き取ったようです。そのうち一条天皇に寵されるようになり懐妊しますが、出産を待たずに亡くなってしまう薄幸の女性でした。この時も妊娠中の姉の代わりに、姪と甥の着物に薬玉を付けるなどの世話をしています。

 さて、端午の節句の献上品の中に、風雅な薬玉と一緒に、「青ざし」という、青麦の粉で作った菓子がありました。清少納言は、お盆代わりの美しい硯の蓋に青い紙を敷いて、その上に「青ざし」をのせ、「これ籬(ませ)越しに候ふ」と言って定子に献上しました。清少納言の言葉には、『古今和歌六帖』という歌集に載る次の歌が踏まえられています。

ませ越しに麦はむ駒のはつはつに及ばぬ恋も我はするかな
(垣根越しに麦を食べる馬がほんのわずかしか食べられないように、手の届かない恋を私はしていることよ)

 これが麦の歌なので、麦でできた菓子に掛けたことは分かりますが、清少納言がこの歌で言いたかった事は何だったのでしょうか。第三句の「はつはつに」が、「ほんのわずかに」という意味を表すので、単に「わずかではありますが…」という言葉を添えたと考えることもできます。しかし、定子の反応はそこに留まっていませんでした。「青ざし」の敷き紙の端を破って、清少納言に次の歌を返したのです。

みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける
(人々がみな花よ蝶よといそいそ浮かれるこの日も、私の心の中をあなただけは分かってくれていたのですね)

 定子のいう「わが心」に先の『古今和歌六帖』の下句を響かせると、「私はなかなか手の届かない恋をしている」ということになりますが、これに当時の定子周辺の状況を照合してみると、一条天皇となかなか会えない辛い気持ちを清少納言に打ち明けたものとも読める歌になります。

 そんな定子の思いを無視して、「花や蝶や」といそいそ浮かれている「みな人」は、新中宮となった道長の娘の彰子に追従している世の人々になるのでしょうか。しかし、『枕草子』が定子の悲境に関わる歴史的状況をそこまで明確に記すとは思えません。ここはあえて歴史的背景を反映させない読みをしておきたい、というのが私の考えです。
 清少納言が「ほんのわずかですが…」という意味で添えた引用句に対して、定子は節句の行事に勤しむ妹や子供たち、女房たちを引き合いに出し、「みなが浮かれている中で、私に気を使ってくれるあなたこそ信頼できるわ」と、半ば冗談のように歌を返したとみます。そのように読むと、定子の和歌に対して記された「いとめでたし」という作者の賛辞が生きてきます。

 この段は、年時的に最後の章段であると同時に、今内裏に取材した他の長保2年の章段とは異なり、定子の姿がクローズアップされる唯一の段です。辛い状況の中でも決してめげず、女房たちの前ではあくまで主人としての姿を保っていた定子を、『枕草子』は最後まで描き続けたのだと思うのです。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

2011年 3月 1日