« 人名用漢字の新字旧字:人名用漢字の源流(第5回) - 人名用漢字の新字旧字:人名用漢字の源流(最終回) »

漢字の現在:位相表記の現在

2011年 3月 22日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第88回 位相表記の現在

 中国の湖南省南部に伝わる「女文字」(女書)についての意義深い集いに、先日うかがった。その地では、以前、若い娘たちが義理の姉妹となる約束をして、彼女たちの間で通じる独特の表音文字を用いていた。中国語の方言を記し、生活上の苦しみ、別れの辛さなどを女性同士で伝え合ったものだ。漢字に由来するものもあるが、刺繍に適したような菱形の個性的な文字であり、70年以上前に祖母(清朝末期の生まれであろう)から指でその文字を教わり、木の棒で地面に書いて覚えた、という事実上最後の伝承者の女性の肉筆を拝見した。そこに込められた思いの一端に触れられたような気がした。

 だいぶ環境は異なるが日本でも、女子には友達と数人のグループを形成する傾向がうかがえる。そこでは独特な文字・表記が発達しがちである。「へ」に「〃」を貫く平仮名は、第54回に触れたように、すでに戦前から女学校で書かれていたそうだ。

 二人で一つ、というほど仲良しな様子をお互いに確認し、それを表明するために、
  2娘1
と書いて「にこいち」と読ませることが流行していると、愛知の女子学生たちが言う。「娘」を「こ」と読ませるのは意外と古くからあり「訓読み」といえなくもないが、それをうまく取り入れている。人数に合わせて「3娘1」で「さんこいち」というものもあるそうで、プリクラにも記されるとのことだ。

 これも以前、少なくとも首都圏辺りでは「02娘01」と、一見不要な「0」が添えられていた。しかも、「0」の中にスラッシュのような斜線(/や\)が書き込まれていて、いかにもコンピューターの時代という趣があった。しかし、局地的に、あるいは全国的に、この「0」はなくなる方向に変わってきたのだろうか。よく書かれるうちに筆記経済が求められた可能性がある。

 このようなものに地域差が現実にあるとすると、その原因は何に求められるだろう。こうした表記の発信源の一つであるファッション雑誌『Hana*chu→』(ハナチュー)の売れ行きに、地域によって差があるのだろうか。あるいは、プリクラの機種に地区による違いがあり、初めから搭載されている表記法に違いがあって、機械的な制約が使用表記に影響を与えているのかなど、検証してみたくなってくる。

 「バイ2」「いろ2」「毎日2」など、繰り返し記号の働きを代行する「2乗マーク」は、1984年に、歌手の小泉今日子のロゴマークとして現れた「Kyon2」から、一気に若年層やマスメディアに広まったものであった。これに関しては、都内の女子大学の職に就いた時に、その記録の意味も込めてひっそりと文章にしたことがあった。これはその後、「いろ×2」、「いろ②」などと進化を遂げ、近年ではやはりスラッシュ入りの「0」の形で、「いろ02」のように姿を変えていた。

 鉛筆やシャープペンシルではなく、インクを使ったペンで字を書いている時、人はどうしても書き間違いを起こす。その字を直す際に、修正テープなどがなかったり、急いでいたりすると、男子はグシャグシャに黒く塗りつぶしがちだ。古来、誤った字を修正する時に行われてきた方法である。二本線などで消す「見せ消ち」のようなことも行われている。

 女子は、友達への手紙の類であれば、その形態に装飾性を帯びさせることが多い。まずは線で上から長細めの●(黒丸)を作るように抹消する。ただ、丁寧な円形ではなくギザギザした粗い横線の集合である。ここまでは昔とそう変わらない。その後に、その塗抹の上か下に、まん丸の目玉を2つ描き添えて、ミノムシや毛虫のようなものに仕上げる。そうすると、汚い書き損じも、かわいらしく感じられるようになるそうだ。むろん古書の書蠹(しょと 紙魚:しみ)や虫損(ちゅうそん)など縁のない層だ。それに各々で名前を付けてあげている人たちもいる。○印や×印にさえなかなか名称を定着させない韓国とは、そうした符号類への思い入れ方が違っているのだろう。

 このミノムシ風の抹消方法もまた、愛知県辺りでも共通なのだそうだ。ただ、首都圏内でしばしば現れる東京ディズニーランドのミッキーマウスのようにはあまり仕立て上げないようだ。見たことのないカニの姿に仕上げたものなど、独特な形が新鮮に映った。

 このように位相表記にも、地域差や時代差がある。アラビア数字や記号など、国語科の規範の希薄な位相的な表記だからこそ、漢字などよりも一層移ろいやすいのであろう。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「位相表記の地域差」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

2011年 3月 22日