2011年 3月 のアーカイブ
同情表現2―『英語談話表現辞典』覚え書き(42)―
2011年 3月 17日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回は聞いたことや相手がおこなったことなどに同情する気持ちを表す表現をみましたが、今回は相手に残念な気持ち、同情の気持ちを伝える表現を考えてみます。
代表的な表現に shame や pity を使った、‘It’s a shame/pity (that) . . . .’や‘It’s a shame/pity to do . . . .’があります。いずれも it は that 節や to 不定詞以下を受ける形式主語として働きます。本辞典から shame を引用します。
1 〈困惑して〉…は残念だ, 遺憾だ:It’s a shame they filed for bankruptcy and had to sell the place. 彼らが破産申請をして, あの土地を売らなければならなかったのは残念だ 《仕事の先行きを考えて》 It would be a shame to see all these years of work go to waste. ここ何年間もかけてきた仕事が無駄となると残念だろうなあ 《会議の前に》 “Our boss is late again.” “Good grief! It’s a shame for him to be unpunctual.” 「ボスはまた遅刻だよ」「あーあ, 上司が時間を守らないとは困ったものだ」.
次に pity を引用します。(次のようにaが省略されることがありますが、通例不定冠詞を伴います。)
1 …は残念です, 遺憾である:It is pity that you can’t come. あなたが来られないのは残念です Pity you don’t understand me. あなたが理解してくれないのは残念だ.
2 お気の毒です, かわいそうです 《訃報を聞いて》 It is pity that his son died in a traffic accident. 彼の息子さんが交通事故で亡くなったなんてお気の毒です 《悪い結果を聞いて》 It is pity that Elizabeth failed the entrance examination. エリザベスが入試に失敗したなんて, かわいそうだ.
shame の場合も pity もいずれも残念な気持ちや遺憾な気持ちが述べられていますが、必ずしも同義ではありません。その差はそれぞれの語の基本義の差です。shame はもともと恥とか不名誉を表す語で、そういったことから起因する残念な気持ち、遺憾の意を伝える言い方です。たとえば、上の第一例では破産をするのは恥であり不名誉なことです。また、pity は元来憐みの気持ちを表す語であり、その残念な気持ちから生まれる同情の念を伝える語です。pity の語義2がその典型的な使い方になります。
また、よく用いられる言い方に‘What a shame/pity!’があります。この表現はit形式主語構文の強調表現として‘What a shame/pity that . . . .’の形で使われたり、相手のことばを受けて‘What a shame/pity!’単独で用いられます。以下は単独用法です。
1 〈相手の発言や目の前の状況から〉何てひどいこと!, あら大変!:“Joey has broken his new bike.” “What a shame!” 「ジョーイが新しい自転車を壊しちゃったんだって」「何とまあ」 “I had my wallet stolen in the train on the way home yesterday.” “What a shame! But I can lend you some until your pay-day.” 「昨日帰りの電車の中で財布を盗まれたの」「何てひどいこと! でも, 給料日まで少しくらいなら用立てるよ」 《レストランの入り口で》 What a shame! So many people are waiting! 何てことだ! たくさんの人が待っているじゃないか 《冷蔵庫の中を見て》 This meat is stale! What a shame! この肉腐っているわ! 大変!
2 〈同情して〉残念だ, 遺憾だ:“Bill lost his job and had to sell his property.” “What a shame!” 「ビルは失業して家屋敷を手放さなくてはならなかったんだって」「大変だな」.
次例は‘What a shame!’の下囲いからのものです。
《友人を励まして》 “I failed in the job interview again.” “What a pity! But better luck next time.” 「また面接試験に落ちたよ」「それは残念. でも次は大丈夫だよ」 “Her husband died the other day, leaving two small children behind.” “What a pity! I have no words to express my feeling.” 「彼女のご主人は先日2人の小さな子どもを残して亡くなられたのよ」「お気の毒に! 何と言ったらいいか, ことばもないわ」.
たとえば、‘What a shame!’では語義2の例、‘What a pity!’では第2例にそれぞれの基本的な意味の差が顕著にでています。
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
人名用漢字の新字旧字:人名用漢字の源流(第3回)
2011年 3月 16日 水曜日 筆者: 安岡 孝一人名用漢字の源流(第3回)
(第2回からつづく)
今月24日に『新しい常用漢字と人名用漢字』が発売されます。出版記念と言っては何ですが、第1章「常用漢字と人名用漢字の歴史」の内容を要約したり、あるいはちょっと脱線してみたりしながら、人名用漢字の源流を全6回で追ってみたいと思います。
戸籍法の全面改正
当用漢字表が内閣告示された頃、司法省民事局では、戸籍法の改正作業がおこなわれていました。それまで家を単位としていた戸籍を、夫婦を基本単位とする戸籍に変える、というのが戸籍法改正の主眼で、日本国憲法の施行に間に合わせるべく全力で作業がおこなわれていました。そんな中、文部省教科書局国語調査室から「氏名等を平易にする法律試案」が持ち込まれたのです。民事局の青木義人は、この時のことを、のちにこう回想しています(『戸籍』昭和57年9月号47頁)。
この案を持ってこられたときには、ぼくも相当消極的だったんです。住所とか人の姓など従来のものはそのままにしておいて、将来の子供の名ばっかり問題にするのは、全然つり合いがとれんじゃないかと。読みにくくて困るのは、むしろ市町村や字の名前と人の姓なのに何で子供の名前だけ目のかたきにするんだと言って。(笑)それに当用漢字だけでは窮屈過ぎやせんかとかなりやり合ったわけだけど、国語審議会はなかなか強硬なんですね。局内でもずいぶん議論をしましたけど、結局受け入れざるを得ないということになってきました。
ところが、戸籍法改正とセットでおこなわれる民法改正は、翌年(昭和22年)3月になってもGHQ民政局を通過せず、5月3日の日本国憲法施行には間に合わない状況になってきました。そこで、昭和23年1月1日を民法および戸籍法改正の施行期日として、作業を仕切り直すことになりました。昭和22年8月8日、民事局がGHQに持ち込んだ戸籍法全面改正案には、以下の条文が含まれていました。
第七十七条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。 常用平易な文字の範囲は、政令でこれを定める。
この後、GHQとのやりとりは11月7日まで3ヶ月間も続くのですが、この条文に関しては、第50条に移動した上、「政令」が「命令」に変わっただけで、ほとんど議論されることなくGHQを通過しています。そして、この戸籍法改正案は、11月28日に衆議院を通過、12月6日に条文を一部変更して参議院を通過、12月9日に衆議院が修正同意可決をおこなって、12月22日に官報公布されました。官報公布された戸籍法の第50条は、以下のようになっていました。
第五十条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。 常用平易な文字の範囲は、命令でこれを定める。
また、昭和22年12月29日には戸籍法施行規則が、司法省令として官報公布されました。戸籍法施行規則の第60条は、以下のようになっていました(原文縦書き)。
第六十条 戸籍法第五十条第二項の常用平易な文字は、左に掲げるものとする。 一 昭和二十一年十一月内閣告示第三十二号当用漢字表に掲げる漢字 二 片かな又は平がな(変体がなを除く。)
3日後の昭和23年1月1日、改正戸籍法と戸籍法施行規則が施行され、子供の名づけに使える漢字が当用漢字表1850字に制限されました。この日をもって、出生届に書ける漢字は、いきなり1850字に限定されることになったのです。
(第4回「衆議院の戸籍法第50条改正案」につづく)
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
漢字の現在:位相表記の地域差
2011年 3月 15日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第87回 位相表記の地域差
旅の者として愛知県で過ごした数日間は、休暇ではなかったが、身辺の窮屈な雑事を忘れられる束の間の日々だった。
名古屋出身の女性が、以前、ある研究室に配置されていた「デラべっぴん」とかいう名の雑誌を見て、この「デラ」は名古屋弁からでは、と喜んで語ってくれたことも思い出した。都内の人間には、思いも寄らぬ新しい解釈だった。
なお、第84回に触れた「杁」という字は、杁ヶ池の地にもあったが貯水池に設けられた「いり」(用水路・水門)のほか、農具の「えぶり」と読まれることもある。その字を用いた山がある新潟の方からもその情報を寄せて頂いた。これは、漢字の「朳」が本来の字であるが、形が似ているため古くから混同されてきた。ことにJIS漢字の第2水準に、「杁」しか採用されなかったために、これで代用されることが増えたものであった。
愛知県内の大学で回収した用紙に「覚わる」と書いてきた学生がいた。最初、何かの書き損じかと思って尋ねてみたら、「覚えることができる」という意味だという。この語は、地元の方たちによると、さすがに論文などでは用いないそうだが、皆、方言だとは認識していないのだそうだ。生徒たちは作文の添削でも直されることなく、よく用いているとのことだった。発音が私には、フランス語のような響きさえ感じられ、何だか新鮮だ。
こうした、派手さはないが「気付かない方言」が漢字交じりの表記で現れてくることがある。WEBで検索をかけてみると、やはりその辺りの地域から、方言だと気付いたといった書き込みが多く見られる。また、これは漢字変換がなかなかうまくいかなかったことと思われるが、ブログやツイッターなどで使用している例も確認できる。
女子は中学生のころ、名前の後ろに付ける敬称の接尾語である「ちゃん」には「ⓒ」、「さん」には「ⓢ」、「くん」には「ⓚ」、ついでに先生には「T」や「t」という表記を、手紙などに記して使っていたという。筆記経済に、かわいさや、かっこよさが加わり、使用者間の結束を強めるとなれば、もうその場面では必須のものとなる。一方、男子生徒の中には、「女子は名前の後にⓒと一々書いて、何で人の名前に著作権を主張しているのだろう」などと勘違いする向きもあり、使用と受容、そこから生じる意識には性差も認められる。
それらの若年女性の間で行われる位相表記は、どうやら全国共通のようだ。「それならば、「先輩」を「sp」と書くこともあるでしょ?」と念押ししてみた。しかし意外そうな笑いが起きた。先輩は「先輩」や「先パイ」などと書いていた、という。「sp」の類はほとんどが見たことがなく、スペシャルとしか読めない、とまでいう。位相表記に地域差があるようだ。そして個人差、個人でも場面差があり、この全国の状況は共時的にはとらえにくいのかもしれない。私よりも上の世代では、先輩と読ませる「sp」をやはり知らないという。そうしたもの全体の流行に、時代ごとに変化が起きるのは当然のことである。
もしかしたら、東京でも、今では「sp」は中高生の間で古くなったのだろうか。いや、筆記経済の観点からは、煩瑣でよく使うものは簡易化され、一度略されればほぼそのまま定着し、しかもそれがお洒落でかわいい、かっこいいものとして共有されれば、愛用されていく傾向があるものだ。時代差も関わるのか、気になってきた。
* * *
今回の大地震により、東日本、とくに東北地方の日本海側を中心に激甚な被害が生じている。私もちょうど福島県内にうかがう予定だったが、交通も通信も寸断され、叶わなくなってしまった。状況は極めて痛ましい。一日も早く、穏やかな日々が戻ってくることを心よりお祈り申し上げます。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「方言と漢字」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(47)
2011年 3月 15日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(47) 定子と乳母との別れ
『枕草子』の三巻本系の本が三条宮の段の次に語る、一つの短い章段を紹介しましょう。定子の傍に乳母として長年仕えてきた女房が、地方に下ることになった話です。これが、いつ、どこでの出来事なのかは示されていませんが、乳母が定子の元から去らねばならない状況を考えると、やはり中関白家没落後の話ではないかと推測されます。
大輔の命婦(たいふのみょうぶ)と呼ばれるその乳母との別れに際して、定子は扇を贈りました。扇の片面には、日がうららかに差している田舎の家々の風景が描かれており、反対側の面には、都の立派な御殿に雨がたくさん降っている風景に次の歌が書かれていました。
あかねさす日に向ひても思ひ出でよ都は晴れぬながめすらむと
(明るく輝く日に向かって旅立っても、思い出してください。都では晴れぬ長雨の中で物思いに沈んでいるであろうと)
大輔の命婦が旅立つ先は、現在の宮崎県に当たる日向(ひゅうが)の国でした。明るくのんびりとした南国へ行っても、都で物思いをしている私の事を忘れないでね、と最後に乳母に甘えた定子の気持ちが素直に歌われています。注目したいのはこの歌の後、章段末尾に記された作者の言葉です。
御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。
(中宮様の御直筆でお書きになっているのは、本当にしみじみと悲しいことです。このような主人の様子を拝見して、そのままお置き申し上げて行くことなど、どうしてできるでしょうか)
『枕草子』の中で、清少納言が定子に対して「あはれ」という語を使った唯一の例です。先行き不安定な主人にこのまま仕えているより、地方官の役職が決まった夫と堅実な生活を送る方を選択するのは、当時の中下流階級の女性が生きていくために当然の判断だと思います。時勢の流れとはいえ、最も親しい乳母からも見捨てられた定子の悲しみを傍で感じ、清少納言は思わずこれまで抑えてきた思いを吐き出してしまったのでしょう。自分だけは最後まで定子の傍にいる、決して離れはしないという決意表明とも見られるところです。
かつて清少納言にも宮仕え継続を迷った時期がありました。長徳2年の事件に付随して清少納言の周辺に渦巻いていた不穏な空気に耐えきれず、長らく里居生活をしていた時です。そんな時、定子は彼女らしい気転の利いた方法で、直に清少納言に働きかけてきました。定子の気持ちに感動し、再出仕を決意してからの清少納言は、もう、迷うことなく自分の行くべき道を定めていたのでしょう。
ところで、この段で作者が漏らした言葉は、『枕草子』がこれまで描いてきた定子と作者の関係を崩しているようにも思われます。いかなる時にも悲しみを表面に出さず、女房たちを導いてきた主人を作者は描いてきたのではなかったでしょうか。しかし一方で、最後まで明るさを演出し続けた『枕草子』の底流に、定子の運命を悲しむ作者の真実の思いがあったことも確かでしょう。その思いは、育て親との別れを悲しむ定子の心情に作者の心が共鳴した際に思わず発動し、作品本来の意図を外れて筆が動いてしまったと推測することができます。
悲運な主人への忠誠を改めて誓った清少納言ですが、その後、間もなく訪れる定子との永遠の別れを、この時は予想もしていなかったに違いありません。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
人名用漢字の新字旧字:人名用漢字の源流(第2回)
2011年 3月 14日 月曜日 筆者: 安岡 孝一人名用漢字の源流(第2回)
(第1回からつづく)
今月24日に『新しい常用漢字と人名用漢字』が発売されます。出版記念と言っては何ですが、第1章「常用漢字と人名用漢字の歴史」の内容を要約したり、あるいはちょっと脱線してみたりしながら、人名用漢字の源流を全6回で追ってみたいと思います。
氏名等を平易にする法律試案
昭和21年5月8日、国語審議会は、常用漢字に関する主査委員会を発足させました。主査委員会の顔ぶれには、吉田澄夫が含まれていました。吉田は文部省教科書局で、国語調査官として働いていたのです。そして、9月25日の主査委員会には、林徹がゲストとして招かれました。主査委員会は、固有名詞に対する漢字制限を視野に入れており、そのためのヒアリングをおこなっていたのです。『標準名づけ読本』の500字を、どのように常用漢字に取り込むか、主査委員会は議論を重ねていたのです。
さらに10月1日の主査委員会には、「氏名等を平易にする法律試案」が提出されました。

審議中の常用漢字表による漢字制限を、氏名全般に及ぼしたい、とする法律案でした。しかし、この「氏名等を平易にする法律試案」には、各委員の賛同が得られませんでした。固有名詞を常用漢字表で制限するのは無理がある、という意見が大勢だったのです。これに対し、文部省教科書局国語調査室の三宅武郎は、最小限の要求として新しく生まれる子供の名前だけは常用漢字表の中から選んでほしい、と食い下がりました。その結果、主査委員会としては「固有名詞はこの表によらなくてもよい」と明記した上で、戸籍法改正については別途はたらきかける、ということになりました。また、この日の主査委員会で、表の名称を、当用漢字表とすることが決まりました。
昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表を文部大臣に答申しました。この時点の当用漢字表は、手書きのガリ版刷りで1850字を収録していました。当用漢字表は、11月11日の次官会議に持ち込まれ、さらに11月12日の閣議に持ち込まれます。そして、昭和21年11月16日、当用漢字表は内閣告示されました。こうして日本の漢字は、当用漢字表の1850字に制限されたのです。しかし、当用漢字表のまえがきには、「固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考えることとした。」という一文がありました。この時点では、子供の名づけに対する漢字制限は、まだおこなわれていなかったのです。
(第3回「戸籍法の全面改正」につづく)
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
三省堂デュアル・ディクショナリーのサーバー停止について
2011年 3月 14日 月曜日 筆者: yama日頃、三省堂デュアル・ディクショナリーをご利用いただきまして、ありがとうございます。
3月14日、東日本大震災にともなう計画停電が予定されるとのことで、停電の対象となる地域にデュアル・ディクショナリーのサーバーがあることから、緊急にサーバーを停止いたしましたが、通電再開後、再起動し、ふたたびサービス可能になっております。
今後、4月まで計画停電が予定されているとのことで、サーバー設置地域の停電に合わせて、サービスをご利用になれない時間が発生いたします。
ご利用の読者の方々には、まことに申し訳ありませんが、事情を鑑み、ご理解をいただけますようお願い申し上げます。
対象となるサービスは、以下です。
- Dual 大辞林
- Dual WISDOM 英和辞典
- Dual WISDOM 和英辞典
- 三省堂用例コーパス
- Dual 必携類語実用辞典
- Dual ビジネス実務総合英和辞典
- クラウン仏和辞典第6版小型版用音声サービス
今後、停電に影響されないようなシステム構築を早急に模索してまいります。
今後とも、どうか三省堂デュアル・ディクショナリーにご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
ルバーブ
2011年 3月 14日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(112)
恥ずかしい話だが、ルバーブRhabarberというものを私はドイツで初めて見た。今から二十年以上前の話である。スーパーマーケットの果物の棚に、蕗のような長い太い茎が並べてあって、見たことのない名札がついていた。勇を鼓して、隣にいた老婦人に、これはどうやって食べるんですか、と尋ねたら、砂糖と一緒に煮つぶして食べるんです、毒じゃありませんよ、と諭すように丁寧に教えてくれた。
そう値段の高いものでもなかったので、早速買って帰って、言われたとおりに調理してみたら、見るからに繊維質の多い、酸味の強い、赤いきれいな色のジャムができた。独特の風味で、悪い味ではなかったが、何しろ大皿いっぱいできてしまい、そんなに一度に食べられるものでもなかったので、始末に苦労した覚えがある。後で聞いたら、ヨーグルトに入れたり、パンに塗ったり、パイに入れたりして食べるものだそうだ。大黄(だいおう)という漢方薬と同じ種類で、独特の風味はそのせいらしいのだが、お通じにきくそうで、食べ過ぎると副作用もあるようだ。
一つ不思議なのは、あの時こちらの質問に親切に答えてくれた老婦人が、なぜ「毒じゃありませんよ」とわざわざ真剣な顔をして付け加えてくれたのか、ということだった。しきりと首をかしげていたら、私のドイツ語力の低さを哀れむように、さる同僚が教えてくれた。それはお前が、「どうやって食べるのですか」という質問に、essenを使ったからだ。そういう場合はgenießenを使うものだ。essenできるかどうかとは、食べ物かそうでないか(つまり毒か)ということであり、genießenできるかどうかとは、おいしく食べられるかどうかということになるのだと。同じ「食べられる」でも、essbarとgenießbarの違いもそこだ。
こう教えられて私はすっかり恐縮してしまった。あの善意の老婦人に、私はとんでもない心配をかけてしまったのではあるまいか。
最近はドイツのスーパーマーケットでルバーブを見かけない。ドイツでもあまり食べられなくなったのだろうか。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 51
2011年 3月 13日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 50
From “high” to “low”? (Part I)
About 100 years ago, the ship Ejima Maru left Yokohama for Seattle, carrying Yoko Satsuki and the famous Dr. Tagawa and his wife on the boat. By choice, Yoko decides to assume the role of “inferior” in dealing with Dr. Tagawa’s haughty wife, and treats thus Mrs. Tagawa as her “superior.” These events take place in Takeo Arishima’s(1) novel “Aru Onna.”(2)
(Oh dear… there are going to be some pretty long quotations in this and the next column, but please bear with me. Next time, I promise our discussion will be as fresh as a cool evening.)
As the purser was removing his cap and attempting a greeting, Mrs. Tagawa, in her European clothes, made a beeline for Yoko. Silk skirts rustling, she sidled up to Yoko, peering at her sharply from the depths of her spectacles with small bright eyes, and said: “So you’re the one Mrs. Isogawa has been gossiping about. She said your name was something or other.”
By saying “she said your name was something or other,” Mrs. Tagawa had clearly indicated that she was condescending to talk with this anonymous person. Yoko, who had been unusually passive in front of the purser until then, came to her senses, jolted awake by these words. With what attitude should she respond? Like a cornered mouse, her mind raced frantically. Yoko quickly decided and answered extremely humbly and plainly. She made a startled noise—“Oh!”—then bowed her head low.
“Thank you for coming all the way over here to talk to me. My name is Yo Satsuki. Although I am unaccustomed to traveling, here I find myself traveling alone…”
She immediately turned to Dr. Tagawa, and said:
“I apologize for taking your time, but I’m pleased to make your acquaintance.”
Then she bowed her head again.
[ARISHIMA Takeo “Aru Onna” 1911–1913.]
Editor’s note: emphasis removed.
As Mrs. Tagawa had a perfectly “superior” attitude, the relationship between Yoko and Mrs. Tagawa appeared to be stable in its form of “inferior and superior.”
The others, whether Japanese or foreign, turned their eyes from Yoko to Mrs. Tagawa.
“Pardon.” said Dr. Tagawa, as he withdrew.
Mrs. Tagawa nodded curtly to him, then said to Yoko in a clear voice loud enough for everyone to hear:
“We were concerned as you haven’t come to the dining-room at all. Are you feeling seasick?”
With these sophisticated, clever words, she demonstrated that she was a person of importance, used to standing above others. Yoko just nodded and smiled silently, feeling no discomfort at the reduction of her own position.
[ARISHIMA Takeo “Aru Onna” 1911–1913.]
However, things are not what they seem here.
During this isolated, long sea voyage, lasting dozens of days, a new order rears its head to replace the order of reputation and learnedness—which is meaningless in the absence of the external world. Amidst this, Yoko’s overwhelming beauty is gradually perceived by the others, and buoys her status. (To be continued)
* * *
(1) 1878–1923 Japanese author.
(2) English title: A Certain Woman
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 51
2011年 3月 13日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)由上到下?(上)
这是距今大概一百年前的故事。坐上从横滨到美国西雅图“绘岛丸”号船的早月叶子,在船上遇到了著名的田川博士和他的夫人。对于盛气凌人的田川夫人,叶子主动把自己作为“下等人(地位低的人)”,把田川夫人作为“上等人(地位高的人)”来对待。这是有岛武郎的《一个女人》中的一个场面。(啊,和朋友们说一下,这节和下节的引用都稍微有些长,请大家一定要耐心地看下去。我保证下节会让大家有一种冷丝丝的纳凉之感。)
事务长刚要脱帽打招呼的时候,一身洋装的田川夫人伴着裙摆的擦蹭之声毫无顾忌地径直向叶子走来,眼镜后面那小而有光的眼睛盯着叶子边看边说,
“五十川先生所说的那个人就是你吧,叫个什么名字来着?”
这句“叫个什么名字来着”,让人充分感觉到她似乎是在怜悯地看待一个没有名字的东西。至今在事务长面前,处于少有的被动状态的叶子,听了田川夫人的话像受到了强烈的冲击一样回过了神来。用什么态度来回答她呢?叶子脑子像小家鼠一样飞速地转动之后,决定以非常非常谦逊的柔顺的态度来应对。在发出“啊”的似乎惊讶之声后,有礼貌地深深低下头说,
“在这里相遇……真是不好意思。我叫早月叶,本不善于旅行这次却是一人之旅……”
目光像闪电一样转向田川博士接着说,
“也许会添不少麻烦,还请多多包涵”
然后又低下了头。
[有岛武郎《一个女人》1911-1913.]
编辑部注:原文的着重点符号省略
田川夫人也习惯了自己作为“上等人”的待人方式,叶子与田川夫人看上去似乎已经定位在了“下等人”与“上等人”这一关系上。
一座的人,不分日本人还是外国人,都把集中在叶子身上的目光投向了田川夫妇。田川夫人向停住话语的田川博士说声“不好意思”稍微点下头之后,用大家都能听到的清晰透彻的声音对叶子说,
“你一直没来餐厅,让我很担心。这坐船让你不习惯吗?”这不愧熟谙世故锋芒外露的话语,让人感觉到了她位为人上的重厚之感。叶子微笑不语颔了一下首,对降低自己的地位点头示意似乎也不觉得有什么不愉快。
[有岛武郎《一个女人》1911-1913.]
但是,其实并不是这样。
在几十天的长时间与外界相隔绝的船上生活中,与外界没有联系就毫无意义的身份、学历等被取而代之,新的秩序冒出头来。现在、船中,叶子那压倒群芳的美貌,渐渐抓住了人们的心,使她的地位渐渐高了起来。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第141回 『いちびり精神』による天保山登頂記
2011年 3月 12日 土曜日 筆者: 田中 宣廣地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第141回「『いちびり精神』による天保山登頂記」
「日本一の山」はどこか? の質問に,多くの人は「日本一『高い』山」(また『美しい』)の意で「富士山」と答えるでしょう(80歳以上では,つい新高山と言うかも……)。
それでは皆さん,「日本一『低い』山」はご存知でしょうか?テレビその他で取り上げられて意外と有名です。大阪市港区の「天保山(てんぽうざん)」で,現在の標高は4.53mです。(「現在の~」というのは,以前の高さから削られたり地盤沈下で低くなったからです)
天保山の頂上には「二等三角点」【写真1】が設置されていて法的に「山」なのです。「山岳会」もありますし,万一に備えて「山岳救助隊」も編成されています(http://www5.ocn.ne.jp/~tenpo45/参照)。
私も先頃,長年の念願叶って登頂に成功しました。また,山岳会より「登山証明書」【写真2】の発行を受けました。この証明書が,大阪方言の方言グッズになっています。後半に「よって,その快挙を称えあなたを「いちびり精神」の持ち主であることを証明します。」とあり,天保山登山=いちびり精神の持ち主=の証明となっています。
「いちびり」について山岳会の橋本会長から「大阪弁で,ふざけて,はしゃぎまわる という意味です」とのご教示を戴きました。あり得ないと分かっていても,それをあえて受け入れることのユーモアを楽しむ心です。大阪方言の言語行動の思想的基軸をなすとも言えましょう。インターネット検索でヒット件数,約354,000件でした。
天保山は,上で紹介した標高で,全体が公園です【写真3】。一般に理解される山の遭難もほぼありません。そこを『山』として楽しむのが,この場合の「いちびり」です。
私も,登山証明書発行申請書では,一行を「登山隊」,宿泊ホテルを「ベースキャンプ」,安倍川の対岸からの大阪市営渡船の天保山渡船場を「ファイナルキャンプ」,三角点まで歩くのを「頂上アタック」などと,登山用語を使いました。登山隊員の一人(長女)が,旅行後に少し熱を出したのは「低山病」(高山病でなく)と書いたりしました。山岳会からの添え状も,「田中登山隊様」(「登山隊」は印刷)の宛名で,別に「下山後の苦難の数々……涙なくしてお便り拝見できませんでした」とのお手紙も戴きました。
《付記》
天保山山岳会より,登山証明書発行時に本文に示したご教示を賜りました。ここに記して感謝の意を表します。
* * *
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
田中宣廣(たなか・のぶひろ)
岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
人名用漢字の新字旧字:人名用漢字の源流(第1回)
2011年 3月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一人名用漢字の源流(第1回)
今月24日に『新しい常用漢字と人名用漢字』が発売されます。三省堂ワードワイズ・ウェブでの3年3ヶ月に渡る連載が、ようやく書籍の形で結実することとなりました。でも、実際に書籍として執筆してみると、ウェブ連載では書かなかったアレやコレやのネタを盛り込みたくなってしまい、結局、第1章「常用漢字と人名用漢字の歴史」は完全に書き下ろしとなりました。出版記念と言っては何ですが、第1章の内容を要約したり、あるいはちょっと脱線してみたりしながら、人名用漢字の源流を、昭和26年まで追ってみたいと思います。
名のつけ方委員会と『標準名づけ読本』
昭和13年7月11日、国語協会が主催した第1回国語運動懇談会では、漢字制限に関する様々な議論がたたかわされました。中でも東京高等学校の宮田幸一は、子供の名づけに関して、以下のような提案をおこないました(『国語運動』昭和13年9月号671頁)。
私は国語協会が命名問題について委員を設けて調査し、その結果を広く社会に訴えられることを提案する。漢字の制限整理の問題を最も困難にするのは固有名詞である。地名については別に考えることとし、人名の中、姓は変えることが困難だが、名は名づけの際自由にきめることができるし、今ついている名も長くて50年であるから、将来の名づけについて適当な案を立てたい。私も名として適当なやさしい、美しい字500くらいを選んでみたことがある。その解決には立法的な手段もあるだろうが、まず協会の調査の結果とその趣旨を力説したパンフレットを作って、社会の各方面に宣伝し、子供の名づけについて世間の注意を求めたいと思う。
この提案を受けて、国語協会は、名のつけ方委員会を組織しました。委員会の委員は、国語協会常務理事の岡崎常太郎、司法研究所の垂水克己と林徹、日本女子高等学院の吉田澄夫、そして、宮田幸一の5人でした。名のつけ方委員会は、昭和13年9月29日から昭和15年9月17日まで18回の会合を開き、昭和15年12月15日に『標準名づけ読本』を発表しました。子供の名づけに使うべき500字を、国語協会として選定したのです。

これら500字は、『日本紳士録』(交詢社)から男性名を、『婦人年鑑』(東京聯合婦人会)と実践女学校の卒業生名簿から女性名を集め、そこから5人の委員の取捨選択によって決定したものでした。ただし『標準名づけ読本』の500字は、あくまで国語協会が発表したものであり、公的な拘束力はありませんでした。
(第2回「氏名等を平易にする法律試案」につづく)
—
【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
漢字の現在:方言と漢字
2011年 3月 8日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第86回 方言と漢字
愛知県内では、名古屋辺りで、女子学生が友達同士で、「でら楽~」としゃべっていた。「ど+えらい」が「どえりゃあ」のように変化し(実際には仮名では対応できない母音を含む)、それがさらに縮まって「でら」となったものなのだろう。ただ、「でら」は外来語の「デラックス」から生まれた語ではないか、という俗解もなされる。トリプル選挙を勝利に導いた市長の話すような流暢な名古屋弁は薄れつつあった。
それでも、国語学の教科書にあるような語尾につく「りん」も、三河の子などは、
「来(こ)りーん」「食べりん!」
と、実際に「り」の音も明瞭に滑舌良く喋る。だんだんと、以前に見聞きしたことを思い出してきた。
文字にはほとんど現れないが、口頭語では、イントネーションやアクセントに特徴があった。三河や尾張の発音と方言は、静岡のそれとも微妙に異なっていた。テキストを読みあげてもらうと、アクセントが部分部分で東京と異なるほか、外来語の「メーカー」も、
「メ~カー」
のように、なぜか波打って聞こえる。
語彙では固有名詞に関わる有名どころで、「めいだい」と言えば「明治大学」ではなく、やはり「名古屋大学」を指すとのこと。「名駅」、「メ~テレ」も同じく「名古屋」の頭文字「名」を音読みさせたことからできた略称だ。このテレビ局名の長音符的な「~」は、もしやこの辺りの口語での独特な抑揚を表すのでは、と想像してみたが、これはそうではなかった。
名古屋周辺では、学校での休み時間は「放課」と称されているので、テレビアニメで「放課後」と出てきたときに、何のことか分からなかったとのこと。「模造紙」も、全国で「B紙(し)」という名称なのだと、固く信じていた(皆の話では、B1判のことだそうだ)。学校で使う用語には地域差が大きいことは、黒板消しの「ラーフル」(宮崎など)でも有名だ。
講義の初めに、大学での講義の1時間目のことを東京などと同様に「1限」というのかどうか、恐る恐る聞いてみた。これはそうだといい、安堵する。ケータイで「1限」がなかなか漢字変換されなかったということは、これが全国的、普遍的な語ではないためか、辞書に載らないことがあり、かつ社会人になると忘れてしまいがちな語であることが関連していたのではなかろうか。北海道に行った時には、「1限」でも通じはするのであろうが、たしか「1講時」と言っていた。
「「かんぴんたん」って知っている人?」
一人だけだが、やはりいた。隣の三重県の出身という。「田んぼの脇で、蛙や蜥蜴がかんぴんたんになっている」、「ご飯がかんぴんたんになる」というように干からびている状態のものに使うとのこと。漢字は知らないが、標準語だと思っていたそうだ。いわゆる気付きにくない方言であるわりに、なんとも愛嬌のある発音である。そして、なんのためにそんなものに命名がなされたのか、気になる。
乾物屋の看板に「かんぴんたん」と大きく書いてあるところもあるそうで、人によって使用範囲に差があるようだ。「素寒貧」と同源で、その意味で江戸時代には広く用いられていた。「寒貧短」と貧相な字が並ぶこともあった。語源がこれらの漢語でないとすれば当て字ということになろう。千葉でもニュアンスが似た意味で使うとのこと。登校時に、授業での収穫をさっそく友達同士の会話で、いきいきと使っている女子の声が耳に届いた。
方言は漢字で表記されることは少ないが、漢字表記があるからといって共通語とも限らないのである。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「中京圏の漢字」でした。
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【イベント中止情報】深谷圭助先生の辞書引き学習体験会(3月20日)
2011年 3月 7日 月曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部イベント中止情報
下記イベントは、今般の大地震にともなう交通機関等の問題で中止いたします。お申し込みいただいた皆さまには、お詫びを申し上げます。(2011年3月14日)

■日 時:2011年3月20日(日) 14:00~
■場 所:丸善丸の内本店3階 日経セミナールーム
東京都千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ
■講 師:深谷圭助先生(中部大学准教授)
■対 象:小学校1年生から3年生までの児童と保護者のペア(2名1組)
■定 員:30組60名様まで
■参加費:1組様 税込1,500円(資料代込)
※授業で使用した辞典はお持ち帰りいただけます。
■主 催:丸善丸の内本店
■参加方法:
丸善丸の内本店にて、イベント参加ご希望の先着30組60名様に、3階インフォメーションカウンターにて、イベント参加整理券を販売いたします(イベント参加整理券がなくなり次第、販売終了となります)。電話予約可。
■お問い合わせ・電話予約:
丸善丸の内本店 和書グループ 電話03-5288-8881»詳細ホームページへ
*参加整理券は、親子2人1組のお値段です。
1枚の整理券でお子様2人はご参加出来ませんので、予めご了承ください。
(お子様2人ご参加の場合は、2組分の料金を頂戴しております)
一昨年に三省堂書店成城店主催で行われたイベントの模様を以下で公開しています。
⇒深谷圭助先生の「辞書引き学習体験会」のご紹介
* * *
【編集部からのお知らせ】
■最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
⇒辞書引き学習についての情報
■「辞書引き学習」基本のステップは五つ! 今すぐ始めたい方はこちらをご覧ください。
⇒「辞書引き学習」とは(監修:深谷圭助)
「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み―先生方・保護者の方へ―
■このウェブサイトにて、深谷先生のインタビューを掲載しています。以下をご覧ください。
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》
■編集部で立命館小へうかがいました。以下に訪問記を掲載しています。
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記1
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記2
★深谷先生から推薦をいただいております
例解小学国語辞典 第五版
編者:田近洵一
B6判 1,248ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13827-5
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13828-2
例解小学漢字辞典 第四版
監修者:林 四郎・大村はま 編者:月本雅幸・濱口富士雄
B6判 1,184ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13958-6
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13959-3
An Unofficial Guide for Japanese Characters 50
2011年 3月 6日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 49
From “low” to “high”? (Part II)
In Toyoko Yamazaki’s “Shiroi Kyotou,” the behavior of the vendor Mr. Nomura towards the Sasaki Store, compared with when the store was thriving, completely changed once the owner died and the store went into decline. Even when confronted with the fact that he used to rub his hands together unctuously, while bowing low when visiting the store, he unconcernedly replies to the effect that “that was then, this is now.”
Those receiving the brunt of such bad manners might point out this character change to the performer of the bad manners: “You’re quite cheeky. When did you get such a big head? Up until now, you were a ‘lackey’ character.” As I have been saying all along, it is unseemly for one’s character to change, except in the context of play.
The perpetrator of said bad manners might excuse himself by saying: “When I was relying on you, I addressed you in a ‘lackey’ style. Now, I no longer rely on you. Therefore, I will no longer address you in a ‘lackey’ style. I just changed my ‘style’ to suit the change of situation.” If there is any logic supporting Nomura’s “unconcerned” attitude it would be this.
When talking to one’s superiors, one uses a certain way of speaking; and when talking to one’s inferiors, one uses another way of speaking—this is exactly the case here. However, when switching between ways of speaking for a superior or inferior, it is quite rare for this to be just a change in style; it also often implies a change of the person (character).
However, the point at which this can be clearly recognized is a thorny issue.
For example, from the point of view of the customer, it is not pleasant to think that the shopkeeper’s low bow is being made not to her, but to her wallet, and is dictated by the situation—this person is my customer now, and is going to pay me money. While it might be overdoing it to speak of “respect for human dignity,” we do tend to expect a bit more than situation and style. However, just because the shopkeeper initially acted humble, it would probably rankle him, even if he wasn’t as bad as Nomura, to be considered an “inferior” by the customer for the rest of his life, even should his customer go bankrupt or he close down his shop to do something else.
Of course, in “Shiroi Kyoto” Nomura is the villain, and is therefore portrayed unsympathetically. However, the principals of Nomura’s behavior are not so far removed from us. There are those who may or may not think that (the romanticized myth that) “in the West, unlike in Japan, the customer and shopkeeper are on an equal footing” is a positive thing. There are also those who might or might not sympathize with the youth who gripes: “I met a customer from my part-time job while jogging, and greeted him without thinking about it. That’s so annoying! Maybe I’ll change my jogging course.”
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 50
2011年 3月 6日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)由下到上?(下)
山崎丰子《白色巨塔》中出现的人物野村,在佐佐木商店生意兴旺时和店主病逝店里生意不好以后,言谈举止完全不同。但当他被责问“你以前不是总是弯腰搓手,点头哈腰地出入于店门吗?(现在怎么都变了?)”他却像是说“那以前是以前,现在是现在”一副满不在乎的样子。
“你怎么这么说话! 什么时候你变得这么了不起了! 本来一直是个‘地位低下’的角色形象,现在却这样!”被对方超越的人这样数落对方角色形象的变化。之前,我说过,角色形象,除了开玩笑(玩儿玩儿)以外,如果做了改变就会很不像话让人难以接受。
“那是因为一直承蒙你照顾,所以用‘地位低下’的方式(样式)与你交往。现在已经没有你的照顾了,所以就不需要用‘地位低下’的方式(样式)与你交往了。我只不过是按照情况的变化改变了自己的‘方式(样式)’而已。”超越对方的人想把自己的变化解释为方式(样式)的变化。如果说有一种想法支撑了野村的“满不在乎”的话,那应该就是这个吧。
和上面的人有和上面的人的说话方式,和下面的人有和下面的人的说话方式—确实如此。但是,对上面的人和对下面的人,转换说话方式时,仅仅是方式(样式)的改变还是少见的,其中往往包含着人(角色形象)的改变。
虽说如此,但是对于这种改变能明确地承认多少又是一个微妙的问题。
例如,对于顾客来说,如果认为商方的深鞠躬只不过是在对自己的钱包低头,只不过是在“现在这个人作为顾客要向自己付钱”这一情况意识下做出的动作,就不会有什么愉快之感。作为顾客,希望商方对自己有“作为人的敬意”这样说会有些夸张,但是却很容易期待其中有超越某种情况超越样式的东西。但是,虽说商方做出了一时的谦逊的态度,顾客即使破了产,商方店铺即使关了门,商方却被认定一辈子处于“低下”地位,即使不是野村,也是很难忍受的。
当然,野村在《白色巨塔》中是个反面人物,很难引起我们的共鸣。但是野村的行为原理本身对我们来说并不陌生。特别是对于“与日本不同,在欧美,店员与顾客是对等关系……”这种(夸张、美化的)说法持肯定态度的人,对于某些年轻人的“在外面慢跑锻炼身体时,遇到了打工店里的客人,不由得露出微笑说了客套恭维话。不知怎么就和自己有点儿生气! 看看改了跑步路线算了”这样的牢骚稍有同感的人,应该更不会感到陌生。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。










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