2011年 4月 のアーカイブ

地域語の経済と社会 第148回 ACジャパンの新聞用広告~関西弁の迫真力~

2011年 4月 30日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第148回 「ACジャパンの新聞用広告~関西弁の迫真力~」

 テレビを見ていると、ときどきコマーシャルタイムに、社会人として必要なマナーや、この頃おろそかにされがちな公徳心を喚起する短いメッセージなどが流れて、最後に「♪エーシー」と結ぶのを見ることがあります。

 東日本大震災直後の、民放の報道番組では、通常のCMは一斉にこの「♪エーシー」に代わり、繰り返し流れてきました。

 実は、その新聞版もあるのをご存じでしょうか? 京都で手にした新聞に、次のような広告がありました。平成23年4月1日(金)『毎日新聞』夕刊(大阪本社発行)から、ちょっと長いですが、引用します。

「ちょっとACさん、おせっかいはやめてくれへん」

「なぁなぁ、ときどきACのCMって、テレビで見るやん。
 あれってどう思う?」

「エ-シ-♪言うやつやろ。あれなぁ、
 あれってちょっとおせっかいちゃうの」

「なんかええこと言うてんのかも分かれへんけど
 なんであんたに説教されなアカンのって感じやねんなぁ」

「ACってお役所?」

「役所とはちゃうみたいやけどな」

「昨日なんか、部長からやいやいお説教された後、
 やっと家でテレビ見てはぁーってしてるときに
 正しいこと言うねんもん。なんか、むかつくわぁ」

「ときどき上から目線なんよねぇ・・
 ええこと言うてるときもあるねんけどなぁ」

「そやなぁ、けどACのCMがなかったらどないやろ?
 ちょっと寂しいかなぁ」

「ちょっとな・・」

ACジャパンは公共広告を発信する民間の団体です。
おせっかいかもしれませんが、
これからもよろしく、です。

 「ACジャパン」(旧・公共広告機構)の事務局によると、我々がテレビでお馴染みのものは「公共広告」と言い、上記は「ACジャパン」という団体そのものを知ってもらうためのもので、「広報広告」というのだそうです。(なお、これと同じ内容の、ラジオ用の音声での作品もあるとのことです)

【写真 AC自体を取り上げた新聞広告】
【写真 AC自体を取り上げた新聞広告】
(クリックで全体を拡大表示します)

 たまたま関西で手にしたので、関西地域用なのかと思いましたが、そうではなくて、これは今年度の「全国キャンペーン」の作品で、全国の新聞でも見かけることができるものだということです。

 関西弁でのストレートな会話が展開されており、あたかもいま関西の家庭のテレビの前で交わされていそうな、いかにもありそうな会話です。AC自体を俎上に載せて、「おせっかい、お説教、お役所? むかつく、上から目線、…」等々、歯に衣着せぬ、辛辣なホンネトークが、リアリティーいっぱいに繰り広げられています。

 が、最後は「けど、なかったら、ちょっと寂しいかなぁ/ちょっとな・・」と、その存在価値もしっかりアピールして、「おせっかいかもしれませんが、これからもよろしく、です」と結ばれています。
 関西弁のホンネトークの本領発揮、なかなかひねりの効いた広報ではないでしょうか。

《参考》「ACジャパン」のホームページ(http://www.ad-c.or.jp/)には、これまでのテレビ用と、新聞・ラジオ用の作品も収録されています。今年度のテレビ放送分は動画で、これまでの分は代表的なシーンが静止画で示されています。
 また全国版の他に、各地域版というのもあり、その中には方言が活用された作品もあります。

* * *

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
 大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:漢字が好きなベトナムの人たち

2011年 4月 29日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第94回 漢字が好きなベトナムの人たち

 四半世紀以上前に、学部生として、当時は卒業単位にならず、さらに授業料を払って取ったベトナム語の授業は、前年に同じ条件で履修した朝鮮語よりも一層人気がなかった。途中からはマンツーマンの特別贅沢な講義となった。昭和も終わりに近づくその頃、教室で習ったローマ字の短文や文章を、家に帰ってから復習として漢字と字喃(チュノム)に直すことに励んでいた。


路傍には、なぜか「心」の字。(クリックで全体を表示)

 パソコンやネットはもちろんなく、あまり良い辞書もない時代で、越漢辞典まで用いるなど、もろもろ苦戦したが、人生、何が役立つか分からない。ありきたりだし言っても詮ないことだが、もっとたくさん勉強しておけば良かったとも思う。今、その建物の教室で、後悔を含めた僅かな経験から、興味があることは何でもやっておくことを、現在の学生たちに勧めている。

 ハノイの教室内に集まった学生と修士課程の院生たちは、これも単位になるのだそうで、どうやるのか成績も付くらしい。東洋学・ノム字(チュノム)・ベトナムの漢文、日本語・中国語などを専攻・勉強している学生・院生たちだそうで、専攻の関係か女子のほうが断然多い。先生も数名いらして、少し話しづらい。皆、漢字が分かるという。

 漢字の話をするということで、まず「皆さんは、漢字が好きですか?」と尋ねてみた。すると、ニコニコしながら皆がハイと返事をして、続けてなぜか拍手がわき起こった。これは共感を得たということなのだろうか、日本での講義とは雰囲気が違う瞬間だ。漢字が日常から消えて不便はないのか、復活させたいと思っているのか、授業の最後に聞いてみよう。

 日程の都合で、たったの2日間だけだが 午前中にみっちり行われる。授業自体は、朝の7:00から夕方の5:00まで行われているとのこと。ベトナム人は、南国らしいおおらかさと、勤勉さを兼ね備えているようで、学生たちも概して熱心だ。当たり前のことだが、寝たり私語をしたりしない。珍しい外国からのGS(教師)ということもあってだそうだが、礼儀正しく、おしゃべりや居眠り、内職はほとんど見受けられない。ふだんは、いねむり、おしゃべりくらいはあるという。とくに大人数教室ではやはりおしゃべりがあるが、教員が怒って黙ると学生たちも静まる、その秩序がこの地ではまだ生きているのだそうだ。

 漢字のことを「字漢」(トゥーハン)と呼ぶほか「字儒」(チューニョー)と今でも言うとのことだ。前者は当然だが、両方とも使うと確かめられ、さすが儒教の四書五経的世界、とくに宋学を重んじ、科挙による国家公務員登用が中国よりも後まで実施されていた国だと驚いた。

 日本で有名な「ベトちゃんドクちゃん」は学生たちには知られていないようだった。学生たちは「アオザイ」を着ているものがおらず、その漢字・チュノム表記(第39回)も知らない様子だった。日本人も着物は日常は着ないし、「衽」「褄」などの漢字・国字はふつう知らないだろう。

 その一方で、日本人が教科書で習う「安南」はもちろん知っていて、さらに、
  「大」の字に寝る
  「五」の字に足を組む
という表現は、漢字を知らない人でも、今でも使い、正しくその姿をイメージできるのだそうだ。前者は日本でも韓国でも使う表現だが、中国では古くはそのままの表現が見当たらない。後者はベトナム人の発案だろうか。

 漢字を知らない人たちには、これらの表現を使うときに、どういう「字」(?)の像が頭に浮かぶのだろう。単なる慣用句となっていて、日本人が「金字塔」や「そうなればオンの字だ」と言うときに「金」がピラミッドの形であることを意識しない人がいたり、「御の字」であるとは思えなくなっている人がいたりしても、何も問題とならないことと同じと考えれば良いのだろうか。

 江戸時代には、日本からの漂着民がベトナムで筆談をした話もしてみた。これは、「ア~」と納得してくれる。筆談は、かつてそれを目の当たりにしたヨーロッパ人たちを驚嘆させ、漢字を基に「真正文字」を試作せしめたものだ。ただ、江戸時代には漂着民の筆談でも「籾」という字がベトナム人に通じなかったそうだと話すと、今も確かに知らないとのこと、笑いが起こった。これは日本製漢字、いわゆる国字とされるものなので、筆談が不能なのは当然である。

 漢字との距離感が中国とも日本とも微妙に違っていて、さらに個々のテーマごとにも差があるようだ。共通点と相違点を手探りで測りながら、話を続けていく。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「越の国の漢字」でした。

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「百学連環」を読む:総論の構成 その2「学術の方略」

2011年 4月 29日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第4回 総論の構成 その2――「学術の方略」

 私たちは「百学連環」の「総論」の詳しい目次を眺めているところでした。前回は「学術技芸(学術)」までを見てみたので、続きを覗いておきましょう。まずは「学術の方略 Means」です。

 「学術の方略 Means」を当世風に訳せば「学術の手段」とでもなるでしょうか。つまり、学術を行うにあたって、どのような手段(means)があるかということを論じていることが予想されます。そのつもりで小見出しを見てみましょう。

 この項目の下にはさらに次のような小見出しがあります。

 器械 Mechanical instrument
 設置物 Institution
 実験 Observation
 試験 Experience
 Empiric

 以上の五つの項目です。見たところ、ここに並べられているのは、なるほど「手段」と言えそうなもののようです。

 Mechanical instrumentは「機械装置」と言ってもよいでしょう。学術の中には科学技術方面のように、さまざまな装置を使う分野があります。昨今では、自然科学以外の領域でも、コンピュータは欠かせない機械装置の一つでしょう。

 それから、「設置物」と訳されているInstitutionは、おそらく研究所やそうした施設のことだと思われます。これもまた学術活動には必要とされることが多いものです。

 次の三つの項目は、一見すると分かりづらいところ。「実験」と訳されているObservationは、いまなら「観察」と言いたくなるところでしょうか。ただし、「観察」という語は、前回検分したTheoryに当てられていました。

 また、Experienceは、辞書的に言えば「経験」や「体験」と訳される語ですね。これを西先生は「試験」としています。「試験」とはたぶんいまで言うところの「実験」を含意しているのではないかと思いますが、その場合、Experimentという英語が連想されます。

 ここで疑問が浮かぶのは、はてさて、ObservagtionとExperienceとはどう違っていて、お互いにはどういう関係があるのか/ないのか、ということです。これは目次だけからはなかなか見えてきません。

 次に登場するEmpiricは、訳語も充てれないまま置かれていますが、これは現在では英語で「経験主義者」などと訳される語です。ギリシア語に由来する語で、古代ギリシア・ローマの医師で哲学者のセクストゥス・エンペイリコス(経験主義者セクストゥス)の名前も思い出されます。経験もまた、学術を遂行する上で欠かせない手段だという意味でしょうか。

 目下はまだ目次を眺めているところなので、本論の内容を先取りせずに、素直に目次から感じられることや、連想することを疑問として述べています。読者のみなさんも、これまで脳裏に蓄積してきた経験や知識に照らすと、様々な記憶が甦ると思いますので、いまのところは、そうしたことを念頭に置きながら読んでいただければと思います。

 ここまでのところ西周が「百学連環」講義を進めるにあたって、意義、学域、学術技芸というテーマ、その手段について順に述べようとしていることが分かりました。あと2回で目次の残りを見終えることにしましょう。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

注意喚起表現2―『英語談話表現辞典』覚え書き(45)―

2011年 4月 28日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前回は look や watch を用いた注意喚起表現をみましたが、今回は mind を中心に注意を喚起する表現を考えてみます。

look や watch は危険な方向に目を向けて視覚に訴える表現でしたが、mind はどうでしょうか。mind の基本的な意味は、「…に注意する、…に注意を払う」ということです。つまり、目的語には注意すべき部位、場所、物などがきます。相手に注意喚起する場合は命令文が典型です。本辞典では Mind your head. と Mind your back. が見出しで出ています。

1 危ない, 気をつけて, (頭を)打つよ:《車から降りようとしている乗客にタクシーの運転手が》 Mind your head, sir! お客さん, (頭をぶつけないように)気をつけて “Mind your head!” “What?” “Mind your head.” “I’m OK.” 「危ない!」「何だって?」「頭をぶつけるよ」「大丈夫だよ」.
2 (…で)頭を打たないように気をつけて:Mind your head on that cupboard. そこの食器棚で頭を打たないように注意しなさい (◆障害物を明示する場合はonを用いる)

head は首から上を指す語ですが、この表現では文字通り「頭」の部位をいいます。

よく言われることですが、head は「頭部」をいい、日本語の「頭」に比べカバーする範囲が広いので、‘shake one’s head’は「頭を振る」のではなく、「首を振る」、野球やゴルフで‘head up’というと、「あごがあがっている」ことを言います。この‘head up’も注意喚起表現として用いられます。「頭上を注意せよ」ということですが、文字通りの意味は「見上げて注意せよ」ということです。

1 〈上から落ちてくる物体に注意を喚起して〉頭に気をつけろ, 危ない:《2階から物を落とそうとしている人が下にいる人に》 Heads up! I’m about to let go of this. 頭に気をつけて! 今これを落とすからね 《つららの下がった軒先で, すでにいくつか落下しているのを目撃して》 Heads up! Icicles are falling! 危ない! つららが落ちてくるぞ.

次は Mind your back. の例です。

1 〈道を空けるよう警告して〉気をつけてください; (後ろを通ります)ご注意ください, 道を空けてください, 通してください:Mind your back, please. The waiter is coming through with the tea wagon. ご注意願います. ウェイターが軽食用ワゴンを押してまいります 《ポーターが重い荷物を運んでいるときなどに》 Mind your back! 後ろを通りますので, お気をつけください.

back は「背中」ですが、「背後」全体も指します。

mind の目的語には head や back のほかに、いろいろな身体部位や部位を含意する語がきます。次は Mind your back. の下囲いのところからです。

(2) mindの目的語にはbackのほか注意すべき対象がくる:Mind your step! 足元に気をつけて! Mind your eye! よく前を見ろ!

また、障害物や危険箇所もmindの目的語になります。その例が本辞典にはありませんので、三省堂コーパスから修正して引用します。

《医師と看護師の会話》‘Where’s the patient? Anyone seen the patient?’ ‘Ah, here she is.’ ‘Bring her round. Mind the machine!’「患者はどこだ?誰か見かけたなかったか」「あぁ、こちらにいます」「こっちへ連れてきて。機器に気をつけて!」

ほかに、baby, dog, car bike, cup, glass, stairs などがコーパスにありました。

最後に、余談ですが、15年ほど前、ロンドンの地下鉄のホームと電車とのあいだの割れ目のところに‘MIND GAP’(割れ目注意)と書いてあるのを見つけました。ニタッとしたのは、MIND の I に斜線を引いて E としてあったのです。つまり、「(注意せよと言う前に)‘MEND GAP’(割れ目を直せ)」という洒落た落書きだったのです。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。

漢字の現在:ハノイの大学(ダイホック)で

2011年 4月 26日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第93回 ハノイの大学(ダイホック)で

 ハノイ市内で、見慣れぬ黄色い外壁と、若めのちょっとした人だかりに目を奪われると、そこが首相直属の国家大学ハノイ校とのこと。人文社会科学大学と、なにやら私の今の所属と共通点がある。よその大学に入るのは、いつも興味津々だ。いや、学校というものは一体、同じような仕組みで成り立っているものだが、それぞれに経緯や個性があるため微妙な差が見て取れて面白い。異業種ほどの意外さはないが、むしろ似ているもののもつ違い、異質さというものに、私はどうも惹かれるところがあるらしい。


大学の正門(クリックで拡大表示)

 大学が出してくれる乗り心地の良い大きめの車というのは、中国とシステム自体もよく似ている。書類を何枚も書く手間は、やはり面倒そうで申し訳ない。ベトナムではハンコは土産物になってはいるが、ここでは書類はサインだけでよいのだそうだ。渡航費などはともかく、こうした点は至れり尽くせりなことがありがたい。中国でも似た状況となるのだが、日本では社会的な諸事情から、どうしてもその逆にならざるをえないのがいつも歯がゆい。

 教室として使う部屋に入室するや、全員が一斉に、ザッと音を立てて起立して迎えてくれる。日本の高校までのような号令はなく、礼をするわけでもなく、そのまま着席していたのだが、新鮮だ。近所にある北朝鮮系の学校で校庭や授業の開放があって訪問してみたとき、廊下を走ってきた生徒がピタっと立ち止まって一礼し、また走り去っていったのを思い出した。こうしたことは共産圏と儒教のいずれの風習だろう。

 わざわざHPでも告知して下さっていたといい、30名くらいが小さめの会議室で待っていてくれた。

 最初だけでも現地のことばで挨拶をしよう。声調に気をつけて、「シンチャオ・カクバン」と、20年以上前に習ったベトナム語を使って挨拶をしてみた。こういうことは、どこの国でもおおむね好評のようだ。もし夕方からも、という機会があれば、KARAOKEで地元の歌をその国のことばで歌うのも、また日本らしい歌を日本語で歌うのも、交流にとても効果的であるようだ。

 先の挨拶を漢字チュノム交じり表記で書いてみると、
  吀嘲各伴。
というようになる。中国の人に見せても、何のことかきちんとは分からないはずだ。

 今度は、仮に中国からの純粋な借用語である漢越語だけを漢字で書いてみれば、
  Xin chào 各伴.
という「漢字ローマ字交じり文」となる。ローマ字を主として漢字を括弧書きで添えてみると、たとえば次のようになる。
  Xin chào các bạn(各伴).

 最初のxinは、学生時代には「請」だと習った。日本でも「安普請」などではシンと読みはするが、中古漢語などと比すと声調や韻尾のgなどが合わないなと思っていた。ベトナムには古音や訛音もあるので、語源は必ずしも明確になっていないようだが、この語には「吀」というチュノムが使われてきた(『チュノム大字典』など)。2字目の「嘲」は、嘲る・嘲笑という意味ではなく、チュノムでは仮借ないし新規の形声文字として、あいさつ語を表記する。3字目の「各」は漢越語(朝鮮語、日本語と似る)、最後の「伴」も同じく漢越語で、ここでは漢籍にあった友達の意が生きているのである。

 会議室の左前方には、黄金に輝くホーチミン(Hồ Chí Minh)像が安置されている。漢字では「胡志明」、ベトナム建国の父だ。多くの人々に「ホーおじさん」(伯胡 バックホー)と今なお敬われ、親しまれているという彼の姿を描いた大きな看板も市内に立っていたし、永久保存された遺体を展示する広大な廟も設けられていた。それらはローマ字だけで表示されているが、自身は幼くして『論語』を学び、漢詩をよくした。その像に立てかけられていた小さなホワイトボードは、像の金色を少し剥がしてしまっていた。あまり安定せず、薄いマジックで文字を書くたびにボードをカタカタと言わせるのにも、ベトナムの南国らしい大らかさが感じられ、2日目にはすっかり慣れてしまった。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「越の国の漢字」でした。

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An Unofficial Guide for Japanese Characters 57

2011年 4月 24日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

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Direct quotations and the “class” of verbal characters

The consistency of a speaker’s character becomes an issue in particular in direct quotations.

For example, suppose a spy from Country B is sent to observe Country A. Even if the spy reports in the form of a direct quotation, e.g. “Those jerks in Country A are saying: ‘Let’s crush those swine in Country B!’” the spy will not be pressed to explain himself by his fellows (“What do you mean by calling us ‘swine’?”). Responsibility for the quote resides with the originator of the quote (the people of Country A), while the person quoting it (the spy) in “principle” bears no responsibility for it. (This is “principle” only however. In another example from the Rakugo(1) monologue entitled Hyakunenme(The 100th Year), there is a scene in which a large shop’s owner berates the manager’s assistant. “When the manager said to you ‘Tell him I’m coming now, damnit!’ you said to me ‘He told me to tell you he’s coming now damnit!’ The owner scolded the messenger for quoting the manager word-for-word, instead of saying “The manger will be with you in a moment.” Frustration such as that felt by the shop owner can probably be found in places other than the world of Rakugo).

Incidentally, in relation to the verbal character’s class, similar “principles” don’t always apply. For instance, imagine a refined lady asking a vulgar man to do something. Some days after the fact, the vulgar man might tell his friends about the request using an indirect quote (“Bwahaha! That’s right! Her ladyship asked me to do it!”) Or he might use a direct quote (“Bwahaha! That’s right! Her ladyship said: ‘I should like you to do it.’”). However, the lady does not have such freedom when quoting what the man said in response.

She could indirectly quote him (“The gentleman laughed, and followed my request.”) but she could not directly quote him (“The gentleman said ‘Bwahaha! Of course, I’ll hop to it.’”). No matter how much her prince pleaded with her (“Tell me what he said. Tell me exactly what he said without changing his words”) the lady’s character would be destroyed if she repeated the vulgar man’s “Bwahaha!” As a lady, her best option is to just keep quiet and smile sweetly, as if she had heard nothing.

Thus, the ability to quote directly is related to the verbal character’s “class.” A vulgar character can directly quote the words of a refined verbal character using a refined manner of speaking. However, a refined character cannot directly quote the words of a vulgar verbal character using a vulgar manner of speaking. The idea we looked at last time—that the character of the speaker must stay consistent when uttering a sentence—applies often to the content of direct quotations in the limited case in which the verbal character is a refined character.

So, why is this limited to the case of refined characters? It is not so much that refined characters must not say anything vulgar; rather, refined characters must not associate themselves with vulgar people. Refined characters must not loiter in front of signs plastered with phrases such as “SAVINGS EXPLOSION!” nor must they allow themselves to be in the presences of naughty children shouting expletives related to genitalia or scatologia.

However, in reality it is hard to avoid such things, and this in itself has a certain humor to it. Heh heh heh! (To be continued.)

* * *

(1) A form of traditional comedy in which the comedian tells a long, humorous story.

An Unofficial Guide for Japanese Characters 58 >>

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 57

2011年 4月 24日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

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直接引用与话语角色的“品”

说话人的角色的一贯性通常会在“直接引用”上出现问题。

比如说,侦查完A国的B国的间谍以直接引用的说法汇报到,“他们在说:‘把B国的蠢猪们干掉吧’”的时候,不会被B国的人们指责到,“尽敢称我们是‘蠢猪’,你究竟在讲什么”之类的话吧。这是因为使用直接引用的发言的责任权在于引用源(A国的人们),而引用者(间谍)在“原则上”是不需要负责任的。(但是,“原则”终究是“原则”。例如在单口相声(“落语”)《百年目》中,有一段商店的老爷在训斥小伙计的场面。“即使掌柜跟你说,‘いま行くちゅうとけ(ima iku tyuu-toke, 告儿(诉)他我立马过来)’,你怎么可以就那样原封不变地也跟我说,掌柜在说:‘いま行くちゅうとけ(ima iku tyuu-toke, 告儿(诉)他我立马过来)’呢? 为何不说,掌柜在说:‘ただいま参ります(tada-ima mairi-masu 我马上过来)’呢!”。老爷在责骂把掌柜的话过于一成不变地直接引用过来的小伙计(引用者)。这位老爷的想法不只是会在单口相声当中出现的吧。)

可是,关系到话语角色的“品”(品格高雅粗俗)的时候,同样的“原则”未必会成立。比如说,有位高雅的闺秀求粗俗的汉子办事。过几日,粗俗的汉子向同伙们描述这件事情时,即可以间接引用闺秀的话,

“嘿嘿嘿,正是因此啊,大小姐啊,在求俺们嘞”

也可以直接引用闺秀的话,

“嘿嘿嘿,正是因此啊,大小姐啊,说了:‘那就拜托您了’呢”

但是,闺秀在引用这个汉子的回答时,就没有太多的自由可在了。

她可以间接引用地说,

“那个人,笑着答应了”

但,不可以直接引用地说,

“那个人说,‘嘿嘿嘿,当然喽,老子会答应的’”

即便王子一再请求她说,“那个人究竟对你说了些什么? 请不要隐瞒,一五一十地告诉我”。如果这时她说了“嘿嘿嘿”等的话,那么,闺秀的高雅角色就会被毁掉。作为闺秀,在这里或许就应该装作什么都没听见,默默地嫣然一笑才是正确的吧。

总而言之,能不能使用直接引用是关系到话语角色之“品”(品格高雅粗俗)的问题。粗俗的角色可以用直接引用与自己不同的高雅角色的言语,使用文雅的措辞。但是,高雅的角色不可以直接引用与自己不同的粗俗角色的言语去使用粗鲁的措辞。在上回提起的“涉及到语言行为的说话人的角色要贯穿一致”这一想法,只对高雅的话语角色恰当到直接引用的引用内部为止。

那么,为什么,只限于高雅角色呢。那是因为,与其说高雅角色不可以讲粗俗的话,倒不如说,高雅的角色原本就不可以接触粗俗的东西。高雅角色的人们不可以站在《惊爆跌价》的广告牌下,也不可以与戏闹地连呼生殖器和排泄物的名字的家伙们在一起。

不过,话虽如此,现实的困惑和可笑之处还是存在着的吧。嘻嘻嘻。(待续)

角色大世界――日本 58 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第147回 方言店名の盛衰―石垣島のテレビ効果

2011年 4月 23日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第147回「方言店名の盛衰―石垣島のテレビ効果」
Rise and fall of dialect shop names — TV effect in Ishigaki Island

 東日本大震災による地震、津波と原発事故という「三重苦」で、被害を受けた方々をお見舞い申し上げます。津波といえば、石垣島で1771年に高さ85メートルの山肌まで達したと伝えられる大津波があり、住民の半数近くが亡くなりました。今回の東日本大震災でも、石垣市からは多くの義援金が寄せられました。

 その石垣市では方言が元気で、店の名前で方言が目立ちます。アーケード街の商店名簿の方言店名は、20年前の3店(89店中)から、2011年には13店(102店中)に増えました。

 隣の繁華街にも方言店名があります。南山舎という地元の出版社の『やえやまGUIDE BOOK』にはこの美崎地区の地図があります。尋ねて行って、最初の版から、地図のコピーをいただきました。現地と照合し、電話帳で調べ、統計ソフトに入力して整理したら、21世紀に入ってから方言店名が増えたと読み取れました。グラフをごらんください。

【グラフ 石垣市美崎 方言店名店舗数の推移】
【グラフ 石垣市美崎 方言店名店舗数の推移】

 地元の人の話では、NHK連続テレビ小説の『ちゅらさん』のおかげということです。グラフに放送の年(続編を含む)を記しました。観光客数の増加(沖縄県八重山支庁による八重山入域観光客統計概況のPDFへ)とも関係します。

 方言店名については、このシリーズの第127回第132回で世界の分布を扱っています。『明海日本語』16号にも論文が載っています(『明海日本語』のページに論文のPDFが公開されています)。大阪市の方言店名は1980年代に増えたようです。全国の動き、そして世界の動きはどうでしょう。実はUNESCOでは、石垣島を含む沖縄県南端のことばを、絶滅の危機に瀕した言語と扱っています(UNESCO Atlas of the World’s Languages in Dangerのページへ)。だとすると、世界各地の言語復興運動と連動していると、みることができます。

 これから方言店名がどうなるか、追跡したいところです。新たに生まれた方言店名は、住宅地図で探せます。今の店がいつまでもつかは、インターネットの電話帳で分かります。

 そんな趣味の方のために、2011年現在の石垣市美崎町の方言店名(計25種)を(掲載年の古いものから)リストにしました。

【1.今も存在する店名15】 ゆうな マーミヤ ぐるくん亭 まーさん道 ゆくい スブンテ ゆんた ゆらてぃく てぃーだ やいま日和 tilla earth(ティーラアース) ニーランカーナン やーちゅー ふがらっさ SANSIN 
【2.今はない店名6】 ばがー島 かりゆし ウムッシャ とーい なんくる亭 やいま
【3.南山舎から「ある」とご教示いただき、インターネットの住宅地図にもあるが、インターネットの電話帳で出ない店名(集計表に算入)2】 美ら島屋 花ぐるむ
【4.新たに見つけた店名(集合ビルのスナックなど)2】 マヤマヤ にいにい

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:越の国の漢字

2011年 4月 22日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第92回 越の国の漢字

 かつて外務省は、表記法もやや独特な決まりを有し、「ベトナム」 (Việt Nam)を「ヴィエトナム」としていると報道された。「ヴェトナム」は一般にも見られ、内閣告示・訓令の認める範囲にあろう。これは漢字で書けば「越南」であり、日本の新聞などでも、ベトナム訪問は「訪越」、中国とベトナムは「中越」などと省略されることもある。かつての「訪ベト」や「ベ平連」は、漢字離れをした略し方だった。こうした漢字による略記は、日本となじみ深い国であることの証左となる。学生たちは、すでにベトナムのこの1字での略を忘れつつある。国境紛争の記憶も薄れ、新潟の人には新聞見出しの「中越」は、つい新潟中央部の中越地方に見えてしまうと言う。漢字への反応には、国内でも小さめながら地域差がある。

 この国名の漢字表記は、「アメリカ」を「亜米利加」と書くの似ているようだが、これは本来、ベトナム人自体が選択した字と語であり、当て字とは言えない。清朝の時代に、阮王朝の皇帝が建国に際して「南越」という国名にしようと中国皇帝にお伺いを立てた。しかし、歴史的な遺恨もあって認められない。そこで、2字の語順を転倒させてやっと公認してもらえたものであった。日本以外の国は、国号をこうして決めてもらうことがあった。朝鮮王朝も、王朝を立てた李氏が「和寧」と「朝鮮」という二つの候補から、明の皇帝に選んでもらったものだった。

 ただ、ベトナム人にとっては、むしろ修飾語が後置されるこの語順の方がなじみが持てて、好ましかったのかもしれない。ベトナム社会主義共和国も、
  国共和社会主義越南
の順となっている。このうち国だけは固有語で、残りには和製漢語が混ざっている。

 「越」は、周の春秋時代まで遡れば、現在の中国は浙江省周辺にあった国の名でもあり、都は会稽、今の浙江省紹興市だが、当時は漢族とはことばが通じなかった。漢代に漢字で音訳された「越人歌」と称するものも残っており、楚との関係も難しいが、タイ系の言語(中国語と同系ともオーストロ・アジア語族とも)をしゃべっていたのではないかともいわれている。ベトナム語は、それに接した西洋人が、かつてシナ・チベット語族の中国語の一方言であると勘違いしたそうだが、オーストロ・アジア語族に属するという説が強く、クメール語と同系となる。

 広東省を指す「粤(エツ yue4 ユエ)」とも同音の類義語であり、福建(閩越〈びんえつ〉)などを含めた江南以南の人たちのアイデンティティーとして、「越」は共有されているのだ。「鉞」が当てられることもあり、重要なのはその発音だった。これらのさらに南にある地域であるために「南越」や「越南」と呼ばれるようになったものである。きっと、中国南方航空の待合ロビーにおいては、こうした漢字表記が見られるのだろう。

 現地で知り合いになれたチュノムを専門とする研究者の先生から、名刺を頂いた。台湾に知人が多いそうで、名刺の裏面には中国語で、そのまま漢字表記にした中国名(チャイニーズネーム)と、住所として「越南,河内市」「青春區」「阮廌街」などの漢字が印刷されていた。

 「臥薪嘗胆」で名を残した越王の勾践や、「呉越同舟」の語を生んだ周の春秋時代の「越」を建国した諸越、百越の中にいたともいわれる民族は、やがて南下しつつ勢力を強め、越族とか京(キン)族と名乗るようになる。ちなみにこの「諸越」を日本で訓読みして「もろこし」という中国全体を指す語ができ、さらにそこから伝わったと思われた植物としてもう一度「唐」が加えられて「トウモロコシ」(玉蜀黍 トウキビ)などの語を派生した。


ハノイ市内で 木の陰には「望崇山祠」と右から書かれている。

 彼らは、さらに南へと版図を拡大し、チャンパ王国などを構成する異民族を同化し、あるいは山岳地帯に追いながら、人口を増大していった。同時に、中国に取り込まれずに独立国として対抗するために、逆説的ではあるが中国の律令や科挙の制度、儒教、仏教(主に大乗仏教)、道教というまとめていうと三教や文芸などを積極的に採り入れた。そこには常に漢字が存在していた。ベトナム語の語彙を豊かにし、ベトナム語に表記法を与えたのである。

 そのため、文廟つまり孔子廟も、立派なものが1000年以上前に建立されており、今回、その中に入ってみた(詳しくは後の回に)。街中にも、ところどころに寺院のような建物も見られ、決まって扁額と対聯のようなものに筆字風の漢字がやや厳かに連なっていた【写真】。

 ベトナムでは、古典に「イ+文」という略字が使われていた。文人、これは「儒」である。また、「イ+文」という略字も用いられていた。天人、これは「佛」(仏)である。これらは中国で生まれた俗字のようであり、近世に中国から漢字圏各国に広まったものと考えられる。それらの字は、漢字が儒教や大乗仏教とともに伝わり、通俗的にもよく使われた証拠であろう。ベトナムでは、そうした思想や宗教と道教や民間信仰、キリスト教などとが習合し、世俗化することが見られ、外国文化の受容の姿勢に日本と似たところがあるようだ。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「越南(ベトナム)の「行李」」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

「百学連環」を読む:総論の構成 その1「学術技芸」

2011年 4月 22日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第3回 総論の構成 その1――「学術技芸」

 前回は、「百学連環」全体の大きな構成を見ました。今回は、ここで読解してゆく「総論」について、さらに詳しく見てみることにしましょう。全集第4巻には、編者が作成した詳しい総目次がついています。その「総論」に該当する部分を眺めてみようというわけです。

 「また目次か!」と思う読者もいるかもしれません。筆者としても、じらさずにさっさと本文にとりかかりたいところです。でも、込み入った内容の書物を読む際には、ちょっとしたコツがあります。いきなりとりかかるよりも、まず目次を見ておくと、後々よいことが多いのです(ついでに言えば、索引がある場合は索引も先に見ておくと、理解に役立ちます)。

 ささやかな経験から思うことですが、それはちょうど見知らぬ土地へ初めて足を踏みれるとき、事前に地図などを見て大まかな様子を頭に入れておくことに似ています。よく分からないなりに全体をぼんやり見ておいて、後で細部に立ち入ったときに、「ああ、全体図に書かれていたのは、このことだったか」と捉え直すという寸法です。絵を描くときに、いきなりまつげの1本1本から描くのではなく、まずは全体をざっと素描してみるのにも似ています。要するに、物事をマクロとミクロの両方の視点から眺めると言ってもよいでしょう。

 さて、それでは「総論」の目次はどうなっているでしょうか。目次は二段階になっていますが、まずは大きな見出しだけを並べてみます。

 緒言 百学連環の意義
 学域
 学術技芸(学術)
 学術の方略 Means
 新致知学
 真理

 以上の六つの項目があります。「緒言」は「百学連環の意義」という言葉から推察されるように、いったいぜんたいこの講義にはどんな意義があるのかを説こうというものです。

 その上で、「学域」「学術技芸(学術)」という、本講義のテーマ、取り扱う対象について述べられるであろうことが分かります。「学域」とは、おそらく「学問」あるいは「学術」の領域」ということでしょう。

 次の「学術技芸(学術)」という項目からは、それぞれの下にさらに小項目が立てられていますので、それを検分しながら見てみることにします。

 まず「学術技芸(学術)」という言葉です。似た言葉として「学問」が連想されますが、ここでは「学問」ではなく「学術」と見えます。これはどういう含意だろうかと思って「学術技芸(学術)」以下の小項目を見ると、こうあります。

 学と術
 観察 Theory 実際 Practice
 知と行
 単純の学 Pure Science 適用の学 Applied Science
 技術 Mechanical Art 芸術 Liberal Art
 文学(文字、言語)、文章 Literature

 「学と術」、つまり「学術」とは、この二つの言葉が組み合わされたものであることが分かります。ひょっとしたら「そんなのは当然ではないか」、と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。やがて見てゆくように、西周がこうした言葉を使っているのは、いまから140年ほど前のこと。言ってみれば、私たちにとって当然に見える言葉であっても、彼らにとっては自明とは限らないのです。むしろ、私たちは、彼らのおかげでこうした用語を、今日、当たり前のものだと思うようになったと言っても過言ではありません。

 ですから、一見すると当たり前に見える言葉に出会った場合でも、ここではできるだけ当然だと思わずに、検討してみたいと思います。みなさんも、同じように「おや?」と思うことがあったら、ぜひその疑問を念頭に置いてみてください。ここでもさっそく、「学」と「術」はどう違うのか、なぜ組み合わされるのかという疑問を念頭に置くことにしましょう。

 次に「観察 Theory」と「実際 Practice」という対が現れます。漢語に添えられた英語を見ると、いまなら「理論と実践」と書きたくなるところでしょうか。しかし、Theoryを「観察」と訳したのは、その英語の語源に立ち戻って考えてみると、なかなか見事です。それはともかく、意味としては分かります。「学と術」と「観察と実際」の関係を、ここではどう捉えようとしているのだろうか、という疑問が浮かびます。

 さらに三つ目の項目として「知と行」という対が登場します。ここには英語が添えられていませんが、「知ること」と「行うこと」と読めば、先の「観察と実際」に平行している言葉のようにも見えます。「知行」と言えば、日本史の中世・近世辺りに出てくる用語も連想されますが、果たして西先生はどのような意味で使っているのでしょうか。

 「単純の学 Pure Science 適用の学 Applied Science」も、日本語よりかえって英語のほうが分かりやすいかもしれません。当世風に「純粋科学」と「応用科学」と訳したくなるところですが、ここではScienceという言葉が、もともとは「学問」という意味であったことに注意したほうがよさそうです。現在では、「サイエンス」と言えばほとんど「科学」のことを意味しますが、サイエンスという言葉がそのように狭められて定着したのは、比較的最近の出来事でした。字面はともかくとして、この対語も意味としては理解できそうです。

 残るはあと二つ。まずは「技術 Mechanical Art 芸術 Liberal Art」です。この二つの語は、Artが共通してます。昨今「アート」と言えば、これもまた「美術」や「芸術」に対応する言葉に縮められていますが、元来は「技」「術」といった意味を持っていました。MechanicalとLiberalは、この場で解説するには、少し込み入っていますので、後回しにしましょう。ここでは「技術」と「芸術」が「術」という共通項を持つものとして並べられていることに注意しておきたいと思います。

 そして最後が「文学(文字、言語)、文章 Literature」です。ここまでの小見出しは、いずれも「と」で二つの言葉を併置していましたが、ここに来て違う形が現れました。ぱっと見て面白いのは、「文学」という言葉に「(文字、言語)」と添えられているところです。ここまでの語と同じように、現代の感覚で見ると、「文学」とLiteratureは、小説や詩やそれに関する批評のようなものを連想させます。小説も詩も「文字」や「言語」でつくられるものですから、そういう意味では不思議はありません。しかし、「文学(小説、詩)」ではなく「文学(文字、言語)」と書かれていることには注目してみたいところです。

 以上の小項目は、「学術技芸(学術)」という項目の下に置かれたものでした。最後の「文学、文章」の項目を例外として、その他の小項目は、いずれも学術をなんらかの基準で分類するもののようです。ですから、このくだりを読んでゆけば、「百学連環」が取り扱う学術の全体像を一望できると予想されます。

 「学術の方略 Means」以下については、次回検討してみることにしましょう。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

談話研究室にようこそ 第1回 テクストの博物誌に向けて(その1)

2011年 4月 21日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第1回 テクストの博物誌に向けて(その1)

 談話研究室へようこそ。ですが……,まずはモグラの話から。

 モグラはどんな姿をしているでしょうか。サングラスにヘルメットとツルハシというのを漫画でよく見かけますが,現実のモグラはもう少し身軽ななりをしています。こんな感じ(↓)です。

 その特徴を列挙してみます。

(1)a. 前肢は短いがその手掌は大きく,太く長い爪を備える
b. 目が退化している
c. 頭部では鼻が目立つ
d. 皮膚は分厚く,毛皮はもこもことした感じ
e. いきなり地上に出ると脱糞してしまうことがある

 スミマセン,少し調子に乗ってしまいました。(1e)は忘れてください。(その昔,村上たかしの『ナマケモノが見てた』という漫画で読んだのですが……)

 モグラは非常に特徴的な形態をしています。その生息環境に適合した無駄のないかたちと言えるでしょう。

 大きく強い爪をもった前肢は,土を掘るのに適しています。短い脚は狭いトンネル内を方向転換しないで前後に行き来するのに便利です。

 光の届かない地中で生息するため目は退化し,多くの種では皮膚におおわれています。視力を持たなくてもよいのなら,いっそのこと眼裂(瞼の部分)はないほうが,異物が入る心配がなくよいのかもしれません。このあたり,弱いながらも光が存在する夜間に行動する動物――弱い光を集め込むためにたいてい大きな目をしている――と異なります。

 敏感な鼻は,モグラ特有のアイマー器官という感覚器を備え,暗いトンネルの壁から這い出たミミズなどの小動物の微弱な動きを察知して捕食するのに役立ちます。

 分厚い皮膚は地中をはいずりまわる際に体を保護し,毛皮がもこもこふんわりとした印象を与えるのは,ほかの多くの動物とは異なり,毛が皮膚から垂直に生えているためです。モグラはトンネル内を後ろ向きに進むことも多いので,その際の抵抗を考えたときこのような毛のつき方が都合よいのです。(川田伸一郎『モグラ博士のモグラの話』岩波書店, 2009)。

 一言でいえば,モグラは必然を備えた形態をしています。これは自然のことわりとでも呼ぶべきもので,なにもモグラに限ったことではありません。チョウの口が花の蜜を吸いやすいように長いストロー状になっているとか,フクロウの羽根が敏感な小動物に察知されずに近づけるように風切り音を立てない構造になっているとか,そういったことは当該の種が存続する確率を高めています。

 生物の特徴的なかたちには理由があるのです。自然は必然を育む。格言的にまとめるとそう言えるかもしれません。

 さて,自然の風物を観察した記録を博物誌と呼びますが,ここで行ったモグラに関する博物誌的(?)記述には必然の裏付けがありました。形態的特徴にはしばしば生態上の理由が備わるわけです。

 そこで,同様のアプローチがことばに対してできないかと考えました。ことばの産物であるテクスト――コミュニケーションに用いられたことばの実例を,それが書かれたものであれ話されたものであれ,ここではテクストと呼びます――の形態にも,そのテクストが用いられる意図や環境から来る必然が見いだせないだろうか。つまり,私たちが日ごろ用いるさまざまなことばの例は,あるべくして当該の形式を持っているのではないだろうか。とすれば,テクスト分析の新たな見方を提示できるかもしれない。

 「テクストの博物誌に向けて」というこの連載の副題にはそのような意図が込められています。はたしてこの試みが理にかなったものかどうか考えるために,もう少し,モグラとことばの共通性について考えてみましょう。

次回 >>

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

「談話研究室にようこそ」は隔週木曜日の掲載を予定しております。

人名用漢字の新字旧字:「髙」と「高」

2011年 4月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第84回 「髙」と「高」

084taka-new.png旧字の「高」は、常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「髙」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。つまり、「高」は出生届に書いてOKですが、「髙」はダメ。ちなみに「髙」と「高」は、実は新字旧字の関係ではないのですが、ここではあえて、「髙」を新字、「高」を旧字と呼ぶことにしましょう。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、旧字の「高」が収録されていました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案の目的は、当用漢字の部分字体の統一にありました。「面」と同じ部分字体にするために、「回」を「」に、「高」を「髙」に整理することが提案されていたのです。

報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。主査委員会では、ところが、当用漢字の画数を減らす方向で議論が進みました。活字字体整理案で画数が増えてしまっていた「」や「髙」は、「回」や「高」に戻すことになったのです。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「高」が収録されていたので、「高」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「髙」は、子供の名づけに使えなくなりました。そして、昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表にも、旧字の「高」が収録されていました。その後、常用漢字表の時代になっても、旧字の「高」だけが出生届に書いてOKで、新字の「髙」はダメでした。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「髙」は、出現頻度回数調査の結果が288回だったものの、JIS X 0213に収録されていなかったため、人名用漢字の追加候補になりませんでした。

この結果、現在に至っても、旧字の「高」は常用漢字なので出生届に書いてOKですが、新字の「髙」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

漢字の現在:越南(ベトナム)の「行李」

2011年 4月 19日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第91回 越南(ベトナム)の「行李」

 ベトナムのトイレには、「WC NAM」といった表示が目立った。中国でもそういう場所では「男」と1文字での表示があるように、中国とは言語面での共通性を感じることが多い。トイレに付きものの男女のマークは、日本の図柄とよく似ているが、これは万国共通化が進んでいるのだろうか。かつてはあるいは瘴癘(しょうれい)の地などと呼ばれたものの、トイレの中は概してとても「衛生」的に保たれている。

 この「NAM」は、漢字では男(ダン・ナン)であり、韓国や中国の広東などと同じく末尾の「m」音が保持されている。中国の中原での古い発音がそうだったためで、日本でも古くはそのように読んでいた時代があった。漢字では「男子」「男性」などと表示する日本では、1字で表示されていたならば、意味はよく分かるが、「おとこ」と読んでしまい、少々びっくりしてしまうだろう。


小文字でも「行李」が見られたが、日本人には「行李」という
漢字表記でも通じにくくなってきているか。右の表示には
「点出発」(出発(地)点)も見られる。

 飛行場では、トランクを待つ手荷物受け取り所で、表示板に「HÀNH LÝ」とあるのが目に止まった。漢字ならば「行李」で、手荷物だ。中国語でも発音は違うが「行李」(シンリ)が相当する。なお、中国語のhang2にはベトナム語ではhàngが対応する。日本では「柳行李」などとして使っている語だ。漢語のローマ字表記の連続に、惜しいという気持ちがわき上がってきた。

 パスポートに捺された入国許可のハンコも、もちろんローマ字だけで、クオックグウつまり国語といえばこの文字という現実を改めて思い知る。かつて独立・解放のために民族主義と共産主義とが結合し、帝国主義下で普及した敵国の文字という意味が反転し、国民が共有できる簡易な文字として、漢字やチュノムを習得し得ない民衆の間にまで、燎原の火の如くこれが広まり、そして公認されたのだ。

 ついに街に出る。路上にはバイクが多く、自動車も信号が青であっても歩行者に常に優先するかのようだ。クラクションが鳴る。小さい車は「ビービー」と聞こえた。韓国に初めて行った時には「パーパー」と鳴っているように思えたものだ。中国では「ビービー」と私の耳には響くので、中国式か。日本で「ブッブー」というのは単に幼い頃から刷り込まれただけのようにも思えるが、実際にクラクションの機械によって出される音色、音質や音階が異なってはいるようだ。留学生に尋ねると、クラクションの擬音語にも、実際にその差が各国で微妙に現れているとのことだった。数日いると、大きい車は日本のような音を発しているような気がした。

 ハノイを取り囲み、覆うように流れる幅の広いホン河を橋で渡る。漢字で書くと「紅河」である。言われてみると確かに水面が少し紅い。時期が立てばもっと紅くなるそうだ。こうして一つずつ漢字表記まで知ると、その内にある「河内(ハノイ)」の語源まで理解しやすくなる。道端の「公安」も中国語と同じだが、ローマ字表記だ。ここは、インドシナ半島というだけのことはあり、西はインド系の文化が強く、東のベトナムだけが中国色の濃い文化圏にある。

 春のベトナム北部は、日本よりも10度くらい温かく、日中は涼しさもあり快適だった。ハノイの人は寒いと言うが、霧雨の時期も免れて、傘が不要だったのは観察したり撮影したりするのに幸いだった。「ホアンキエム湖」は、漢字だと「湖還剣」(Hồ Hoàn Kiếm)で、かつて後黎朝の皇帝がそこで得た「剣」を使って明軍を撃退し、その剣を湖水の竜王へ返「還」したという由来の伝承が彷彿とする。夕方はわずかに肌寒く感じられるようになってきたためか、その周辺で食事をする人たちもまばらだった。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「ハノイの「衛生」」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(49)

2011年 4月 19日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(49) 定子の遺詠

 『後拾遺和歌集』(第4番目の勅撰和歌集)の哀傷巻は、定子の歌から始まっています。

 一条院の御時、皇后宮かくれたまひてのち、帳の帷(かたびら)の紐に結び付けられたる文を見付けたりければ、内にもご覧ぜさせよとおぼし顔に、歌三つ書き付けられたりける中に
  夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき
  知る人もなき別れ路に今はとて心ぼそくもいそぎ立つかな
(一条院の時代に皇后宮が崩御された後、几帳の垂れ布の紐に結び付けられていた手紙を見つけたところ、天皇にも御見せくださいというように、歌が3首書き付けられていた、その中に
  夜通しお約束したことをお忘れでなければ、私の事を恋しく思われるでしょう。そのあなたの涙の色を知りたいと存じます
  誰も知る人のいない現生との別れ路に、今はもうこれで、と心細い気持ちで急ぎ出立することです)

 最初の歌は、定子から一条天皇に宛てた遺詠です。道長側の圧力が強くなっていた最終時期、一条天皇と定子はわずかな邂逅の時間を惜しんで夜通し共に過ごしていたのでしょう。その時交わした言葉を支えにしてきた定子が、断ち難い一条天皇への恋情を歌ったものです。

 次の歌は、死期の間近な事を悟った定子の辞世歌です。あの世には既に旅立った両親、藤原道隆と高階貴子もいるという考えは定子の心に浮かばなかったようです。それより現世に残していく夫や幼い子供たちの方に、何十倍も心引かれていたのでしょう。どんなに心残りな気持ちだったろうと思います。

 さて、『後拾遺和歌集』が採録していない定子の3首目の歌は、先の2首と共に『栄花物語』に記されています。それは、自分の葬儀の方法を示唆するものでした。

 煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ(煙にも雲にもならない私の身であっても、草葉に置く露を私だと思って偲んでください)

 亡くなった後に煙や雲になるのは、当時一般的だった火葬による葬儀を意味しています。そのようにならないというのは、定子が火葬ではなく土葬を希望したからです。土葬だから、土の上に生える草葉の露を私だと見てくれと言うのです。その言葉に従って、定子は土葬に付されました。

 なぜ、定子は火葬ではなく土葬を望んだのでしょうか。それはやはり現世に大きな未練が残っていたからではないかと私は考えます。火葬にされ煙となって天上に消えてしまうより、この世の土に残って子供たちを見守りたいと願ったのではないでしょうか。自分が亡くなった後の事をあらかじめ考え、きちんと伝えることの出来る人だった定子、后として十分な資質が推し量られます。

 定子の葬儀は12月27日、年末の冷たい雪の降る日に行われました。『栄花物語』では、伊周、隆家、僧都の君ら、『枕草子』にも登場する同腹の兄弟たちが参列し、次々に悲しみの和歌を詠む様子が描かれています。また同じ頃、葬儀に参列できない一条天皇の様子は次のように記されています。

 内には、今宵ぞかしと思しめしやりて、よもすがら御殿籠らず思ほし明かさせたまひて、御袖の氷もところせく思しめされて、世の常の御有様ならば、霞まん野辺もながめさせたまふべきを、いかにせんとのみ思しめされて、
  野辺までに心ばかりは通へどもわが行幸とも知らずやあるらん
などぞ思しめし明かしける。
(天皇は、葬儀が今夜だったと思いをはせられ、一晩中お休みにならずに定子の事を思いながら夜をお明かしになり、涙に濡れた袖が凍るのもやりきれない気持ちで、世間一般の火葬であれば、煙に霞む野辺をそれと眺めることができるだろうに、土葬では何の目当てもなくどうしたものかとばかりお思いになり、
  葬儀場の鳥辺野まで心だけはあなたを慕って通っていくが、私が訪れたとも気づかないことだろう、などとお思い続けて夜を明かされた。)

 定子を見送ることのできない一条天皇の切ない思いが伝わってきます。それから11年後、32歳で崩御した一条天皇が、その三日前、出家した時に詠んだ歌は次のものでした。

  露の身の仮の宿りに君を置きて家を出でぬることぞ悲しき(露のようにはかない身がかりそめに宿った現世にあなたを置いて、出家してしまうのは悲しいことです)

 これが、現世に残る中宮彰子に対するものではなく、先に、「草葉の露を私と見よ」と歌った定子の遺詠に対応する歌であったという説があるのも頷ける気がします。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

耳の文化と目の文化(28)―地名の表記(2)―

2011年 4月 18日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(115)

ドイツ語のウムラウトは、ある単語の語幹の母音[a, o, u]が変化語尾や接尾辞の中の母音iに引き寄せられて[ɛ/ɛ:, œ/ø:, Y/y:] になる現象である:rot [ro:t]「赤い」 > rötlich [rø:tlIç]「赤味をおびた」、 Macht [maxt]「力」> mächtig [mɛçtIç]「強力な」。また、名詞の複数語尾の-e, -erや形容詞の比較変化語尾の-er, -estのeもiが弱化したものである:Buch [bu:x]「本」> Bücher [by:çɐ]「複数の本」、Nacht [naxt]「夜」> Nächte [nɛçtə]「複数の夜」、kalt [kalt]「寒い」> kälter [kɛltɐ]「もっと寒い」, kältest [kɛltəst]「いちばん寒い」。さらに形容詞の比較変化語尾の-stや強変化動詞の人称変化語尾 -st, -tもiがeに弱化した後に脱落したものである:jung [jUŋ]「若い」> jüngst [jYŋst]「最も若い」、fahren [fa:rən]「乗り物で行く」> du fährst [fɛ:ɐst]「君は乗り物で行く」、er fährt [fɛ:ɐt]「彼は乗り物で行く」。

地名にあっても同じで、Eichstättの-stättはStadt「都市」と同語源の「場所」を意味するStätteから来ており、この語の語尾のeはiの弱化したものである。Kölnはラテン語のcolonia「(ローマの)植民地」から、Münchenは古代・中世ドイツ語のmunich「僧侶」に由来するが、いずれにも母音iがあるのが確認できる。

ちなみにこのウムラウトという現象はドイツ語だけに起こるものではなく、語の語幹の母音a, o, u の後の方に母音iが来るという音声的環境があればどの言語にでも見られる普遍的なものである。日本語でも、うまい>うめー、知らない>知らねー、おもしろい>おもしれー、などの例を挙げることができよう。

ノルトライン=ヴェストファーレン州のルール地方にDuisburg [dy:sbUrk] デュースブルクという工業都市がある。この都市の名前のuiは本来は2重母音であり、ウムラウト音ではなかったと考えられる。それがuiのuが後のiに引き寄せられて [y:] となった。しかし、綴りの方はもとのままというわけである。

i がつねにウムラウトを引き起こすかというと必ずしもそうではない。ボンの近郊にTroisdorfという地名があるが、これは [tro:sdɔrf] トゥロースドルフと発音する。つまり、i はウムラウト記号ではなく、長音記号なのである。他には中部ドイツのチューリンゲン州の北部にVoigtstedt という町があるが、ここも [fo:ktʃtɛt]フォークトシュテットと発音する。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

4/21スタート新連載のお知らせ

2011年 4月 18日 月曜日 筆者: ogm
★4月21日から新連載はじまります★

今月から連載が二つスタートとお知らせし「「百学連環」を読む」のご案内をいたしましたが、もう一つの企画をお知らせします。

今週木曜日4月21日、「談話研究室にようこそ」が始まります。著者は山口治彦さん。

ある時はゲームやファンタジー小説のなかの呪文を、またある時はエッセイや漫画・小説におけるおいしさを伝える表現を。ほかにも雑誌・新聞・アニメや映画等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。思わず「へー」「ふーむ」とうなるような展開が見られることでしょう。

隔週木曜日夕方の掲載を予定しております。どうぞご期待くださいませ。

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新連載の筆者ご紹介

山口治彦(やまぐち・はるひこ)さん

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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