クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

115 耳の文化と目の文化(28)―地名の表記(2)―

筆者:
2011年4月18日

ドイツ語のウムラウトは、ある単語の語幹の母音[a, o, u]が変化語尾や接尾辞の中の母音iに引き寄せられて[ɛ/ɛ:, œ/ø:, Y/y:] になる現象である:rot [ro:t]「赤い」 > rötlich [rø:tlIç]「赤味をおびた」、 Macht [maxt]「力」> mächtig [mɛçtIç]「強力な」。また、名詞の複数語尾の-e, -erや形容詞の比較変化語尾の-er, -estのeもiが弱化したものである:Buch [bu:x]「本」> Bücher [by:çɐ]「複数の本」、Nacht [naxt]「夜」> Nächte [nɛçtə]「複数の夜」、kalt [kalt]「寒い」> kälter [kɛltɐ]「もっと寒い」, kältest [kɛltəst]「いちばん寒い」。さらに形容詞の比較変化語尾の-stや強変化動詞の人称変化語尾 -st, -tもiがeに弱化した後に脱落したものである:jung [jUŋ]「若い」> jüngst [jYŋst]「最も若い」、fahren [fa:rən]「乗り物で行く」> du fährst [fɛ:ɐst]「君は乗り物で行く」、er fährt [fɛ:ɐt]「彼は乗り物で行く」。

地名にあっても同じで、Eichstättの-stättはStadt「都市」と同語源の「場所」を意味するStätteから来ており、この語の語尾のeはiの弱化したものである。Kölnはラテン語のcolonia「(ローマの)植民地」から、Münchenは古代・中世ドイツ語のmunich「僧侶」に由来するが、いずれにも母音iがあるのが確認できる。

ちなみにこのウムラウトという現象はドイツ語だけに起こるものではなく、語の語幹の母音a, o, u の後の方に母音iが来るという音声的環境があればどの言語にでも見られる普遍的なものである。日本語でも、うまい>うめー、知らない>知らねー、おもしろい>おもしれー、などの例を挙げることができよう。

ノルトライン=ヴェストファーレン州のルール地方にDuisburg [dy:sbUrk] デュースブルクという工業都市がある。この都市の名前のuiは本来は2重母音であり、ウムラウト音ではなかったと考えられる。それがuiのuが後のiに引き寄せられて [y:] となった。しかし、綴りの方はもとのままというわけである。

i がつねにウムラウトを引き起こすかというと必ずしもそうではない。ボンの近郊にTroisdorfという地名があるが、これは [tro:sdɔrf] トゥロースドルフと発音する。つまり、i はウムラウト記号ではなく、長音記号なのである。他には中部ドイツのチューリンゲン州の北部にVoigtstedt という町があるが、ここも [fo:ktʃtɛt]フォークトシュテットと発音する。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新田 春夫 ( にった・はるお)

武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)