『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(50) 清少納言のその後(最終回)

2011年5月31日

皇后定子崩御という出来事が、一条天皇や中関白家一族だけでなく、当時の貴族たちに大きな衝撃を与えたことを見てきました。それは、『枕草子』に書き留められた明るく誇り高い定子が、作者が創造した虚構の姿ではなく、定子自身が人々の気持ちを引きつけるだけの人格を備えた后であったことを証明しています。

そんな主人を心から敬愛し、最期まで傍にいたであろう清少納言は、定子崩御後、どうしたのでしょうか。定子がいなくなった後の『枕草子』日記的章段の記事がないことからも、作者は宮仕えを引退したというのが、これまで最も支持されてきた考え方でした。それから再婚してしばらく地方に暮らした後、都に戻り、定子の葬られた鳥辺野陵の近くで定子の菩提を弔いつつ一生を終えたというのです。それは理想的な主従のあり方として誰もが納得しやすい筋書きですが、読者の想像に依拠した確証のない推測でもあります。

もっと現実的な様々な可能性を考えてみると、勤め先を失った女房が新たな職を探して移るということがあります。たとえば、彰子中宮の後宮に清少納言が仕えたという説もあるのですが、それは紫式部との関係から否定しておきましょう。清少納言と紫式部が同僚女房であったら、紫式部は日記に清少納言批判を書く必要はなかったからです。

勤務先としては、定子の長女の修子内親王家が一番妥当なのではないかと考えます。定子の3人の遺児のうち、敦康親王は皇位継承に絡んで一時、彰子の養子にされたり、隆家が自邸に連れていったり、道長方との間で常に緊張関係を強いられていました。また、定子の命と引き替えに誕生した媄子内親王は、わずか9歳で亡くなっています。中関白家の中では修子内親王が一番長寿で、60代まで生きており、『枕草子』に登場している宰相の君も一時期出仕していたようです。修子内親王家であれば清少納言も比較的穏やかに出仕生活を続けられたのではないかと推察します。

清少納言の出仕継続に私がこだわるのは、『枕草子』が定子崩御後、しばらくしてからまとめられ、公表されたのではないかと考えているからです。『枕草子』という作品は、中関白家の栄華から没落に至る歴史的動向を、事件当時から少し離れた時点でとらえ直した作者が、確かなビジョンの下でまとめ上げた作品だと考えます。作者が定子とあまりにも近い位置にいたからこそ、時間的に離れた位置に立つことが必要だったと思うのです。

経済的なバックアップなしに文学作品を書き上げ、それを流布することが極めて難しい時代、作者が『枕草子』を発表するためには上流貴族社会に身を置いていることが必要になります。つまり、定子崩御後もどこかで出仕生活を続けながら、作品発表の機会を窺っていたと考えます。作者が『枕草子』に託した思いは何だったのでしょう。定子が最後まで心を残した敦康親王の皇位継承を、定子後宮の優秀さという面から後押しするためだったと考えることもできます。しかし、政治的状況はそれほど甘いものではありませんでした。定子の遺志に報いたのは、第一皇子立太子を断念せざるを得なかった一条天皇の無念の思いだけでした。

しかし、『枕草子』を書き上げた時、作者の心には女房としての役目を超えた別の思いも生まれていたのではないでしょうか。自らの価値観を信じて誇りを持って生き抜き、その死が人々の心を揺り動かした中宮定子という一人の女性の姿を記し留めること。その女性に仕えることを生涯の誇りとした自分の生き方を語ること。摂関政治体制下の社会にあって精一杯生きる道を探ってきた、立場の違う二人の女性の生の軌跡として、この作品は書き残されたのではないかと私は感じています。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。