2011年 6月 のアーカイブ
談話研究室にようこそ 第6回 テクストとコンテクスト(その2)
2011年 6月 30日 木曜日 筆者: 山口 治彦第6回 テクストとコンテクスト(その2)
今回,対話のやりとりと対照させたのは,ファックスによる通信文という比較的単純なものでしたが,もっと複雑なケースも私たちの身の回りにはたくさん存在します。たとえば,小説はどうでしょうか。
小説はお話(語り)の形式を持っています。そこには,書き手(作者)と読み手(読者)とは異なる第三者,つまり,登場人物が必ず存在します。伝達がおこなわれている「今,ここ」とは無縁の,架空の出来事が語られます。また,作者とは異なる人格の語り手が現れたり,「私」と名乗る語り手が出てこなかったりもします。しかも,作者は小説にまつわる伝達意図を読者に直接的に明かすわけではありません。明らかにファックスによる通信とは異なる,複雑な状況が生まれるわけです。
そして小説では,ファックスの文面よりもはるかに間接的で繊細なかたちで,アイロニーが伝えられることがあります。ことに,欧米の小説では,間接引用(描出話法)で提示された登場人物のことばに,語り手の皮肉な声がひそやかに響く現象がしばしば問題となります(具体例については,小池生夫(編)『応用言語学辞典』(研究社, 2003)の「語る声と引用表現」の項や,拙著『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版, 2009)のpp.32-34をご覧ください)。
対話のやり取り,ファックス通信文,そして小説。コンテクストが特殊化され複雑になるにつれ,アイロニーという同一の現象も繊細で間接的なものになるのです。
さて,これまでの観察から明らかになったことがふたつあります。ひとつは,テクストはしばしば発せられたコンテクストに見合ったかたちをしていること。そしてふたつ目は,コンテクストが複雑になると,ことばも複雑になるということです。
このふたつを本連載のテクスト分析の指針としようと思います。
ひと口にテクスト分析と言っても,そこに定まった分析手順があるわけではありません。テクストを前にして,分析者はその持ち味をあぶりだす方法を毎回,個別に考案せねばなりません(これが実は,大変なんです)。
しかし,テクストの形態的特徴がコンテクストの必然に裏付けられるものなら,コンテクストとの関係を問うことによってテクストの特徴が説明できるはずです。この連載は,テクスト分析にひとつの指針を提示する試みでもあります。
と,少し堅苦しいことを述べました。次回からは,テクストの姿をもっと具体的に眺めることにします。まずは,一般的な(?)呪文の特徴について考え,そのうえで『ハリー・ポッター』シリーズの小説とコンピュータ・ゲームの『ドラゴン・クエスト』の呪文を取り上げます。
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【筆者プロフィール】
神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。
*
【編集部から】
雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。
人名用漢字の新字旧字:「父」と「父」
2011年 6月 30日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第89回 「父」と「父」
新字の「父」は、常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「父」(右図参照)は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「父」と新字の「父」の違いは、4画目の筆押さえの有無なのですが、出生届に書いてOKなのは新字の「父」だけなのです。
昭和21年11月16日に官報告示された当用漢字表には、旧字の「父」が収録されていました。官報の印刷をおこなっていた印刷局の活字が、そういう字体だったのです。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字1850字に制限されました。旧字の「父」は当用漢字に含まれていたので、出生届に書いてOKですが、新字の「父」は出生届に書けなくなってしまったのです。
一方、国語審議会は、昭和23年6月1日、当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表は、当用漢字1850字の全字体を手書きで示したもので、「父」の筆押さえは無くなっていました。新字の「父」になっていたのです。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「父」が当用漢字となり、旧字の「父」は当用漢字ではなくなってしまいました。当用漢字表にある旧字の「父」と、当用漢字字体表にある新字の「父」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「父」も新字の「父」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。
昭和52年1月21日、国語審議会は新漢字表試案を発表します。新漢字表試案は、当用漢字に83字を追加し33字を削除する案で、新字の「父」を含む1900字を収録していました。ところが、昭和54年3月30日に中間答申した常用漢字表案で、国語審議会は妙なことを言い始めます。常用漢字表案には新字の「父」が収録されていたのですが、新字の「父」の字体は単なる例であって、明朝体活字のデザイン上、筆押さえが有っても無くてもかまわない、と言い始めたのです。つまり、新字の「父」(筆押さえが無い)であっても、旧字の「父」(筆押さえが有る)であっても、国語審議会としてはどちらでも常用漢字とみなしてかまわない、と言い始めたのです。昭和56年3月23日に答申した常用漢字表1945字においても、国語審議会の態度は同様でした。
困ったのは、子供の名づけに使える漢字を審議していた民事行政審議会です。新字の「父」と旧字の「父」の両方を子供の名づけに認めるのか、それともどちらか片方だけにするのか。結局、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、新字の「父」だけを認める、という結論が示されました。明朝体活字デザイン上の差であるとしても、常用漢字表に現実に掲載されているのは、新字の「父」です。その状態で、新字の「父」と旧字の「父」の両方を認め続けると、戸籍事務処理上、少なからぬ支障をきたす、というのが民事行政審議会の判断でした。
この結果、昭和56年10月1日の常用漢字表内閣告示と同時に、旧字の「父」は子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いていて、新字の「父」は出生届に書いてOKですが、旧字の「父」はダメなのです。
【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)、『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
漢字の現在:ハノイの博物館で
2011年 6月 28日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第111回 ハノイの博物館で
ベトナムでは、西山(タイソン)朝の時代には、キリスト教文献にまでチュノムが用いられていたとのことで、チュノムが公認されたのはそれを含めて歴史上2回だけだが、資料は多く残っているそうだ。チュノムには、仮借から形声へという時代差があることが指摘されており、最近のチュノムの研究書にも実例とともに述べられている。竹を表す「椥」(チェ)は、形声文字だから新しいだろう、というようにも言及される。
漢字にこのような時代による変化が生じることは、中国では古くから指摘されているが、地域差への言及は比較的新しい(いわゆる六国古文、『方言』や唐詩に現れる方言文字についてなど)。
地域的な差異についても、チュノムにも見つかっているとのことだ。日本のエビのような細々とした事象を含めた複雑な歴史も扉が開かれるのを待っているのではなかろうか。チュノムは、研究すればまだまだ開拓の余地があるのだそうだ。ベトナムでは資料はたくさんあるが、研究方法に開拓の余地が残されているのだそうで、まだ眠っている資料も多いとのことだ。
ベトナム民族学博物館に行った。博物館は、現地では「バオタン」、なんと漢字では「宝蔵」だ。その後ろに「民族学(ザントクホク)越南」が続き、合わせて、ベトナム民族学博物館となる。各国語のパンフレットを見ると、
日本語 ベトナム民族学博物館
韓国語 ベトゥナム(ハングル)民族学博物館
中国語 越南民族学博物館
となっていた。ベトナム語だけがまるでお寺の宝物館のように感じられよう。
民族学博物館では、見たことのない少数民族のチュノムのようなものも展示されていた。京(キン)族以外にも、3つの民族がチュノムを作り出していて、ザオ(瑶)族のそれは、中国ヤオ(瑶)族の漢字系派生文字である瑶(ヤオ)文字とも違うようだ。
館内では、ところどころに漢字の資料が展示されている。漢文のようで、見たことのない漢字が含まれている物がある。「
」、前後を見ても読めない。同行してくださった研究者も知らないそうだ。
ベトナムには、54の民族がおり、人口の86%をベト(越)族(京族)が占めている。世界最大の民族とされる漢族も、ここでは少数民族だ。ザオ(瑶)族は、18世紀頃、南中国から移住し、「瑶漢字」を使用したとある。中国の少数民族漢字としてのそれと同じでないというが、チュノムの変種なのだろうか。中国語版のパンフレットでは、過去に漢字を用いた、と記されていた。モン(苗)族、ハニ(哈尼)族も、中国にいる人たちには漢字や造字の使用が見られたのだが、ここでもあるのだろうか。チワン(壮 かつては様々な表記がなされた)族なども、中越の国境線など関係なく、往来や商売、婚姻さえも行われるといった話も聞く。ロロ族(倮倮 チベットビルマ語系)もベトナムにも居住しているとのこと、古いロロ文字のような象形文字も展示されていた。焼き畑農業も行われるそうで、日本とのつながりも感じられてくる。少数民族が日本にあるものとそっくりなお菓子を売っていた。周りに白くて固いものがついたおこしのような菓子で、甘く懐かしい味がした。
フランスの香りが残るホテルでは、テレビを付けて視た。局数が多いのは、ホテルだからであろうか。映りはともかくとして、外国語の放送も多く入る。
ベトナム語は、今は一声などと中国風には呼ばないが、平らな音が中国語(5段階で高さを表せば55となる)ほどは高くない(33と記述される)。高くないからそう記述したのか、記述したからそれが標準となったのか、それは前者であろう。中国語のように耳に響かない。タモリの芸であるハナモゲラ語による4か国語麻雀などでも、そこは何となく押さえられていた。
漢字が画面に映った、と思えば、簡体字や繁体字で中国語の放送だった。マンガ字フォントまで現れるが、いずれも日常のベトナム語を表記するものではなかった。漢字は、すべてが博物館行きになってしまったら、歴史上の遺産となるのである。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字の在処(ありか)」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 66
2011年 6月 26日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 65
“Women” and uninflected language
Previously we talked about “men,” “women,” “class,” and “status” (parts 64 & 65). Today, we will look at one more large difference between [Japanese] “men” and “women” that is unrelated to class or status—well, actually there probably is some connection.
The difference is that “women” in particular prefer uninflected sentences.
For example, if it begins to rain, only a “woman” or “child” character would normally say “A, ame” (Oh! it’s raining! [uninflected])(1). At the very least, this is not a very “masculine” turn of phrase. In the sentence “A, ame” the noun ame acts as the predicate. As the lone noun is the most archetypal form of uninflected language, the sentence as a whole is uninflected.
Even if we overlook the question of whether a man would say “A” (Oh!) in this case, he would probably say “Ame da” (it’s raining) rather than just ame (rain). The addition of the auxiliary verb da(2) to ame prevents this from being an uninflected sentence. This is what I mean by saying that only “women” in particular prefer uninflected sentences.
This is also the case when telling people about the weather outside. A “woman” will say “Ame yo,” while a “man” will add the auxiliary verb da—“Ame da yo.” In even more “masculine” expressions, such as “Ame da zo,” or “Ame da ze,”(3) the auxiliary verb da is always added. When the other person agrees with this, saying “Soto wa ame da” (it’s raining outside), a “woman” will say “Ame ne,” while a “man” will again add the auxiliary verb, saying “Ame da ne.”(4) Once again, in the even more “masculine” expression “Ame da na” too, the auxiliary verb da is added. (Here we will not touch on the differences between yo, zo, ze, ne, and na.)
This remains true in the case of adjectival nouns, in which nouns are distinguished from the noun being used as an adjective by adding na, as in “kiree na iro” (a beautiful color), or “taihen na jitai” (a terrible situation). In a “woman’s” uninflected sentences, these become “Iro ga kiree” (The color is beautiful) and “Maa, taihen” (how terrible!). Ignoring for the moment the question of whether a “man” character would say something as romantic and embarrassing as kirei or would admit something was taihen, he would certainly add the auxiliary verb—“iro ga kiree da” and “taihen da.”
What about cases in which the predicate of the sentence is a verb? When children ask, “Kamakiri tte tobu?” (Can praying mantises fly?), would you answer “Tobu yo” or “Tobu no yo” (Yes, they can fly [emphatic])? A “man” would have trouble saying “Tobu no yo,” while a woman would prefer this expression.(5) The verb tobu (fly) is an archetypal inflected word. In other words, even though it is not compatible with uninflected language, adding the particle no makes it seem uninflected.(6)
This is similar in the case of adjectives too. In response to the question “Kore atsui?” (Is this hot?), the response “Atsui no yo” (it’s hot!) sounds more “feminine” than “Atsui yo.”
The use of no is not the only method “women” use to make their sentences seem uninflected. They also add mon/mono.(7) For example, when a student explains why he will be absent from class because of a headache, it would sound “unmasculine” for him to say: “Kyoo wa kesseki yo. Atama ga itain da mon” (I’ll be absent from class. My head hurts. [emphatic]). When a man is upset, he would say “Sore wa taihen da,” while a woman might add koto—“Sore wa taihen da koto.” However, these particles which make sentences more “feminine” and less “masculine”—no, mono, and koto—are commonly used at the ends of sentences: “Sore wa ano hito no desu” (That’s that person’s). “Sore wa ano hito no mono desu” (That’s that person’s property). “Sore wa ano hito ga shita koto desu” (That’s [the action] that person performed). As we can see, the essential role these particles play as nouns (or quasi-nominal particles) remains, and thus these examples all have a strong uninflected essence.
* * *
(1) “Ame” is actually just noun “rain,” so this sentence would literally translate as “Oh! Rain!”
(2) The auxiliary verb da can be roughly likened to the verb “to be” in English. So “Ame da” would literally translate as “[There] is rain,” or in more natural English, “It’s raining.”
(3) The sentence-end particles “yo,” “zo,” and “ze” are all used to add speaker’s attitude. While “yo” is used by both men and women, “zo” and “ze” are almost exclusively used by men.
(4) Here, the sentence-end particle “ne” and it’s more masculine counterpart “na” are used to express agreement with what the other party has said.
(5) As hinted at here, “no yo” is a pattern used more by women than men, and expresses an emphatic assertion.
(6) Perhaps because adding “no” to a verb “converts” it into a noun, like the gerund in English.
(7) Adding mon, mono, or koto to the end of a sentence makes it an emphatic assertion.
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 66
2011年 6月 26日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)“女人”与体言
在第64节、第65节当中叙述了有关“男人”和“女人”的“品”“格”问题。在此先不考虑“品”和“格”的问题,不,或许跟“品”和“格”有关联。那就是,“男人”和“女人”在说话的句型上有很大的区别,即,“女人”好用体言(名词性词类)的句子。
比如,在发觉外面下起小雨的时候,说“あ、雨 (A、ame, 啊、雨)”的,一般是“女人”或者“孩子”。这句话里至少是没有“男人”的色彩。句子“あ、雨 (A、ame, 啊、雨)”当中,谓语为名词“雨”。名词是最典型的体言,因此这个句子就是体言的句子(名词句)。
若是“男人”的话会怎么说?暂且把“男人”是否在句首说“あ (A, 啊)”的问题放在一旁,在这种状况下,“男人”应该会说“雨だ (Ame-da, 下雨了)”而不是“雨 (Ame, 雨)”吧。在这里,名词“雨”后面加了助动词“だ (da)”,于是这个句子就不是体言的句子(名词句)了。“‘女人’好用体言的句子(名词句)”就是在指这种情况。
在告诉别人外面的天气状况时也有相同的现象发生。比如,“女人”会说“雨よ (Ame-yo)”,而“男人”则是加上助动词“だ (da)”说成“雨だよ (Ame-da-yo)”。或许,“雨だぞ (Ame-da-zo)”、“雨だぜ (Ame-da-ze)”会显得更像“男人”,但,无论哪一个说法,其中都有“だ (da)”的存在。此外,在向说“外は雨だ (Soto-wa ame-da, 外面在下雨”)的人表示赞同时,如果是“女人”的话会说“雨ね (Ame-ne)”,而“男人”则会附上助动词“だ (da)”说成是“雨だね (Ame-da-ne)”。或许“雨だな (Ame-da-na)”更有“男人”味,不过,这句话里也附着“だ (da)”(在此就不对“よ (yo)”、“ぞ (zo)”、“ぜ (ze)”、“ね (ne)”、“な (na)”(皆为句末的助词)的区别进行说明了)。
在“きれいな色 (kiree-na iro, 漂亮的颜色)”和“大変な事態 (taihen-na zitai, 不得了的事态)”中,“きれい (kiree, 美丽)”和“大変 (taihen, 不得了)”的后面可以加上“な (na)”这一点上有别于名词,其词类有时也被称作“形容名词”。但是,在使用者的偏好上也存在“男女”区别。“女人”表达这种情况时,会用体言的句子说“色がきれい (Iro-ga kiree, 颜色漂亮)”“まあ、大変 (Maa taihen, 哎呀、不得了)”。换成是“男人”会怎么说呢,先不讨论“男人”会不会说既浪漫又含羞的词汇“きれい (kirei, 漂亮)”或者一惊一乍地喊“大変 (taihen, 不得了)”。至少在这种情况下,“男人”会加上“だ (da)”,说成“色がきれいだ (Iro-ga kiree-da, 颜色漂亮)”“大変だ (Taihen-da, 不得了)”吧。
那么,谓语是动词的时候会如何? 被小孩子问道“カマキリって飛ぶ? (Kamakiri-tte tobu, 螳螂会飞吗?)”的时候,是回答道“飛ぶよ (Tobu-yo)”,还是“飛ぶのよ (Tobu-no-yo)”呢? “男人”不太适合说“飛ぶのよ (Tobu-no-yo)”,“飛ぶのよ (Tobu-no-yo)”是偏向于“女人”的说法。动词“飛ぶ (tobu, 飞)”是最典型的用言(日语中有词尾变化的,非名词性的词类),也就是说跟体言(名词性词类)是对局的。不过,“飛ぶ (tobu, 飞)”后面加上“の (no)”的“飛ぶのよ (Tobu-no-yo)”就会变的很像体言的句子了。
形容词也一样。在回答问题“これ、熱い? (Kore、atsui, 这个、烫吗?)”的时候,比起“熱いよ (Atsui-yo)”,附上“の (no)”说成“熱いのよ (Atsui-no-yo)”的话,会显得更像“女人”。
“女人”把句子说得像体言的方法不只是加“の (no)”的这一个法子。还可以句尾添加“もん (mon)”或“もの (mono)”,例如在告知对方要缺席之后,再追加上理由为头痛的时候,可以说成“今日は欠席よ。頭が痛いんだもん (Kyoo-wa kesseki-yo. Atama-ga itai-n-da-mon, 今天要缺席。因为头很痛)”。另外,在表示惊讶时,“男人”一般会说“それは大変だ (Sore-wa taihen-da, 那可不得了)”,而“女人”则会加上“こと (koto)”,说成“それは大変だこと (Sore-wa taihen-da koto, 那可不得了)”。由此可见,减少“男人”色彩,增加“女人”色彩的“の (no)”、“もの (mono)”、“こと (koto)”, 如今已非常广泛地用于句末了。另外,“の (no)”、“もの (mono)”、“こと (koto)”也残留着名词(亦称准体助词)的性质,具有很强的体言性质。如,“それはあの人のです (Sore-wa ano hito-no-desu, 那是那个人的)”、“それはあの人のものです (Sore-wa ano hito-no-mono-desu, 那是那个人的东西)”、“それはあの人がしたことです (Sore-wa ano hito-ga-shita-koto-desu, 那是那个人干的)”等。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会 第156回 「『方言エール』~東日本大震災復興の方言メッセージ(2)
2011年 6月 25日 土曜日 筆者: 田中 宣廣地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第156回「『方言エール』~東日本大震災復興の方言メッセージ(2)」
第146回で「『地域語の力』~東日本大震災復興の方言メッセージ」として,「がんばっぺ高田!!」などの例を紹介しました。この活用法を「方言エール」と呼びましょう。
震災直後に,生存者が命をつなぐ,という切実な状況下で自然に出て,3ヵ月経過し,手作りから業者製品になってきました。
下の代表例の表の①②③(第146回と同じ分類)をご覧ください。方言エールは,表現が類型化されています。構成は「エール+地名」が基本です。エールの部分は,各分類で傾向があります。自衛隊では,命令形「けっぱれ」や勧誘の「がんばっぺ」(第146回で紹介)のほか,意志の「まけねど!女川・石巻」もあります。企業や個人では,ほとんどが勧誘です。「おらもがんばる」は意志のようですが,「-も」により全体は勧誘の意です。
①自衛隊【写真1=①A】
記号 エール 掲出者,掲載場所 ①A けっぱれ!岩手・山田町 陸自(岩手),岩手県山田町役場 ①B けっぱれ!岩手 陸自(岩手),岩手県大槌町内避難所 ①C けっぱれ!岩手 陸自(青森),岩手県宮古市内避難所 ①D まけねど!女川・石巻 陸自(香川),宮城県石巻市
②企業など【写真2=②A】
②A がんばっぺす宮古 株式会社文化印刷,岩手県宮古市 ②B おらもがんばる 同上,同 ②C みんなでがんばっぺす宮古 ジョイス宮古千徳店,同 ②D ガンバッペシ山田宮古! 咖喱〔カリー〕亭,同 ②E がんばっぺす三陸 けっぱれ宮古 ガソリンスタンド,同 ②F がんばっぺす!みやこ(Tシャツ) 販売員,同 ②G がんばっぴし宮古 高屋敷整骨院,同 ②H 大船渡やっぺし祭り(ポスター) 同祭実行委員会,岩手県大船渡市
③個人作製【写真3】
③A 頑張っぺ 福島・東北・日本(ワッペン) 非営利会システム FRIENZ会
④関連(支援や謝辞)方言メッセージ【写真4=関A】
関A おでんせ ふじ丸 客船ふじ丸=被災民への食事やカラオケの提供支援 関B どうも おおきに 宮古駅前交番=救援隊への謝辞と慰労 関C およれんせ!末広町 宮古あきんど復興市=津波被災商店街のイベント
地域語は,厳しいとき人々を元気づけるのに共通語より直に心に響きます。私自身も,被災地生活者の一人として再建に努力します。
なお,第151回で方言の有効活用例の震災被害を報告しましたが,大きな損傷を免れたり,業務再開に向け努力している例もあります。それらを第161回で紹介する予定です。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
田中宣廣(たなか・のぶひろ)
岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
漢字の現在:漢字の在処(ありか)
2011年 6月 24日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第110回 漢字の在処(ありか)
チュノムが意外なことに現在でも書かれていることは、すでに述べたとおりである。中国に住む最大の少数民族壮(チワン)族だって、今でもチュノム風のチワン文字を書くことがあるらしい。考えてみれば、西夏文字も、西夏王国が滅んだ後、明代まで細々と受け継がれていたことが分かっている。エジプトのヒエログリフやメソポタミアの楔形文字が生活の中では死んだ字となり、完全に研究者の解読の対象となり、あるいはアニメや趣味の世界の小道具として残るだけというような状況とは訳が違う。

藤堂明保氏の辞書の付録で、これを見た時の衝撃は忘れられない。その後も、いろいろな書籍で、チュノムの説明に出てくる。世界史の教科書には、用語としては登場していた。チュノムに、形声文字が多いのは、中国語と同様に、ベトナム語も単音節であることと関連しよう。訓読みになる固有語が、漢語(字音)のような響きをもっているのだ。字音による仮借が、声調を含めて近似音まで容認さえすれば、作製自体は比較的容易にできてしまうのだ。後からの解読は困難を伴うわけだが、当座は字音で対応できてしまう(まれに字訓も利用された)。
チワン語は、ベトナム語と異なりタイ系の言語であるが、やはり同様の性質を持っている。彼らは、中国の広西(クアンシー・カンシー)省を自治区とする最大の少数民族であり、民族としての名を変えてベトナム北部にも少数民族として居住している。そうしたタイ系言語の基底の上に成立した少数民族語や広東語などの方言にもそれはいえ、それぞれの造字は形声が目立っている。
韓国語も、日本語のような長い音節をもつ語が比較的少ないことが、同様の形声文字好みを誘発したのであろう。さらに広げれば、インド・ヨーロッパ語族の梵語や、アルタイ系とされる鮮卑語などに対する造字も、そのように理解できるだろうか。中国で六朝期に「先人」を組み合わせて「老」とするたぐいの会意文字が好まれた現象は、戦乱による混乱状況の影響の中で、鮮卑など北方の異民族を含めた人々が言語の性質の差はともかくとして、漢字に覚えやすさを求めたことによるものだったのかもしれない。日本語はそういう点から見ると、会意を誘発する語の発音体系をもっていたといえそうだ。
チュノムを見ていると、文章でも辞書でも、「竜」が音符として多く用いられている。表音的に漢字を選んだ結果なのであろうが、建国伝説に基づき、竜の子孫を自認しているベトナム人らしいとも見えてくる。文学者以外の庶民は、チュノム(ノム字)もことばも違っていたのに、辞書には載らない、出てこないと嘆く先生がいらした。辞書にはほとんど文学の言葉や文字しか載らないそうで、それは日本と共通しそうだ。農村の古文書、寺の由来、諺、歌などを記した民間の文書や碑も辞書の材料とする必要があるというのは、日本では一歩進んでいるようだが、それぞれの国でさらに開拓の余地が広がっていそうだ。
研究者の一人が、勤め先という「漢喃研究院」に図らずも連れて行ってくれた。ハノイにあるのだが、まさか訪問できるとは思っておらず、幸いだった。チュノムで書かれた文章も額に入れて掲げられている(前回の写真参照)。漢字が見られるが、額や掛け軸、文献、碑文などの中のもので、研究対象としての素材とされているようだ。現在では、実用から離れ、閉ざされた中での漢字使用と見え、この施設でも部屋の案内表示や掲示はクオックグウだけだ。歴史、地理などの部屋があるが、チュノムを地理的な視点から研究するというわけではなさそうだ。自由な雰囲気で「服務」しているようだ。広めで片付いた部屋も羨ましい。
そこにあった資料で、「宗」は「TÔN」と記されている。皇帝の称号に使われてきたため、韻尾の「G」が避諱された結果だ。「宗」を「示」の「二」を「一」しか書かない欠筆も行われた(古代には中国にもあった形ではある)。諱を避ける際に、省略するのが末尾の画とは限らないことは中国と共通だ。さらにベトナムでは、偏と旁を入れ替えて、上に「巛」を加える方法も採られていた。このように字が煩雑になる傾向を有したが、独自の略字もまた、手書きや版本において量産された。これらが大量のチュノムと相俟って、独自の漢字の世界を構築していったのである。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「阮」さんと「佐藤」さん」でした。
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近刊案内(2011年7月)
2011年 6月 24日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部全訳 漢辞海 第三版 机上版
戸川芳郎 監修 佐藤進・濱口富士雄 編
A5判 上製クロス装 1,936ページ ¥5,565
ISBN 978-4-385-14044-5
2011年7月28日 販売会社搬入予定
全訳読解方式を初めて採用した本格漢和辞典『全訳 漢辞海 第三版』の机上版。
収録親字数1万2千5百・熟語数8万。漢字を単に和訓に置き換えるのではなく、「語(=Word)」として捉え、圧倒的に豊富な例文から実際の文脈に即して語義を理解させる、本書ならではの画期的な語義解説。
全用例に現代語訳と書き下し文を明示。新「常用漢字表」(2010年11月内閣告示)新「人名用漢字」など最新の現代漢字情報にも完全対応。2色刷。
三省堂 中国名言名句辞典 新版

大島 晃 編
B6変型判 736ページ ¥2,730
ISBN 978-4-385-13789-6
2011年7月22日 販売会社搬入予定
中国思想研究の第一人者による中国名言名句辞典の決定版。
中国の古典から厳選した、珠玉の名言・名句・箴言を約1,700項目採録。
配列は五十音順。
簡潔な解説で読み物として楽しめ、スピーチや文章表現の際の引用に至便。
出典書名と篇名を示し、原文も掲載。便利な「四字熟語索引」付き。
美装・愛蔵版。
三省堂 新用字辞典

山本真吾・三省堂編修所 編
B6変型判 768ページ ¥1,890
ISBN 978-4-385-13715-5
2011年7月19日 販売会社搬入予定
新常用漢字表に完全対応した新しい用字辞典。
新常用漢字・現代仮名遣い・送り仮名の付け方に基づく標準的な表記を、簡潔な用例・語義とともに掲げる。
どう書くか、どう書き分けるかを調べるのに最適な一冊。
収録項目数約36,000項目はこのクラス最大規模。
常用漢字音訓一覧・新人名用漢字を始め付録多数を収録。
デイリーコンサイス カタカナ語辞典 第3版

三省堂編修所 編
B7変型判 800ページ ¥1,995 ISBN 978-4-385-13662-2
[中型版]
B6変型判 800ページ ¥2,520 ISBN 978-4-385-13665-3
2011年7月15日 販売会社搬入予定(上記 2点とも)
大幅な改訂増補で、日常生活に必須のカタカナ語・欧文略語を2万4千語収録。
エネルギー問題からインターネット・携帯・スポーツ・医療まで、あらゆる分野を網羅し、団体名や、外国地名・人名ももちろん多数掲載。
解説はわかりやすく簡潔。
気軽に意味を確かめることのできるハンディーな最新版。
三省堂 日本山名事典 改訂版

編集委員:徳久球雄・石井光造・武内 正
A5判 1,232ページ ¥6,300
ISBN 978-4-385-15428-2
2011年7月22日 販売会社搬入予定
標高5mの天保山から霊峰富士まで、国土地理院の2万5千分1地形図記載の山・峠のほか、山脈や登山の対象としてのピーク、地域にかかわりの深い山など約25,100項目収録。
異称、標高、所在地、地形図名、緯度経度も明示した日本山名の集大成。
山名の由来、雪形の山、同名の山、富士山などの小論、漢字索引つき。
日本語学習のための よく使う順 漢字2100問題集

徳弘康代 編著
B5判 224ページ ¥1,890
ISBN 978-4-385-36541-1
2011年7月25日 販売会社搬入予定
よく使う頻度順の漢字テストで実力アップ!
日本語学習者上級用「読み書きテスト」(26回)、中級用「読み書きテスト」(25回)。
送り仮名・類義語・同音異義語・同訓異字ほか、漢字の使い方が身につく「ワークシート」。
効果的に漢字を学習できる待望の本!
「百学連環」を読む:円環をなした教養
2011年 6月 24日 金曜日 筆者: 山本 貴光第12回 円環をなした教養
前回は、どうやら「Ενκυκλιος παιδεια(エンキュクリオス・パイデイア)」が「童子を輪の中に入れて教育なす」という意味であるらしいことを確認しました。
しかし、そのような意味の言葉が、どうして最終的に「百學連環」と訳されることになるのか。このことはまだ謎のままです。今回は、この問題に迫ってみたいと思います。
このことを考えるうえで、とても参考になる書物があります。H.I.マルーの『アウグスティヌスと古代教養の終焉』(岩村清太郎訳、知泉書館、2008〔原書は1938年〕)です。ここでは、同書の説明をお借りしながら、「Εγκυκλιος παιδεια」(以下では、辞書の綴りで記しておきます)の意味を確認してみましょう。
まず確認したいのは、「Εγκυκλιος παιδεια」とは、古代ギリシアから中世ヨーロッパにかけて、現代とは異なる意味で使われていた言葉だということです。
現在、「Encyclopedia(エンサイクロペディア)」と言えば、ほとんど直ちに「百科事典」や「百科全書」と訳されます。現代の用法としては、それで問題はないのですが、その訳語をそのまま中世や古代に当てはめてしまうと問題が生じます。現代の「百科事典」という意味は、もっと現代に近い用法だからです。
マルーは、「Εγκυκλιος παιδεια」の「Εγκυκλιος」は、古代ギリシアにおいては「円環を成す」というよりは、「普通の」「日常の」という意味を担っていたと指摘しています。つまり、「Εγκυκλιος παιδεια」とは、「基本的な教育課程」を意味していたというわけです。当世風に言えば「一般教養」でしょうか。
詳細は省きますが、これがローマの教育に入り、中世を通じて「自由学芸(artes liberales)」と呼ばれるようになります。英語で言うLiberal artsですね。自由学芸とは、哲学などのいっそう高度な学へ進むための基礎を築くものでした。
自由学芸の内訳は、論者によってさまざまです。典型的には「文法」「修辞学」「弁証論」「算術」「幾何学」「天文学」「音楽」といった七つ前後の分野から成っているようです。そのことを受けて「自由七科」と呼ばれることもあります。面白いことに、ここにはいまで言う文系の学術と理系の学術が揃っていますね。ひょっとしたら「音楽」だけ別ものに見えるかもしれませんが、ここで言われている「音楽」は、数学の一種と捉えられています。
学術をどう分類するかということのうちには、時代や文化の世界観や学術観が映り込むものです。自由学芸では、およそ半分が言葉を知り、言葉をよりよく使うための学術に割り当てられており、その比重の大きさが目を惹きます。
さて、「基本的な教育課程」を意味する「Εγκυκλιος παιδεια」の理念が、「自由学芸(artes liberales)」に受け継がれ、それはやがて現代の大学における「一般教養」にまでつながります。ただ、昨今では「一般教養」の本来の意味や意義が見失われて、なんの役に立つか分からないものという勘違いが横行しているのは、本末転倒の極みと言うべきものでしょう。歴史と経緯を忘れてしまうと、そういうバカげたことになります。そのことについては、いずれお話しするとして、以上のことを踏まえて、冒頭の謎に答えを出しておきましょう。なぜ「Εγκυκλιος παιδεια」が「百學連環」と訳されなければならなかったのか。
本来、ここに述べてきたような意味を担っていた「Εγκυκλιος παιδεια」は、ローマ時代にクインティリアヌスやウィトルウィウスといった人びとによって、読み替えられてゆきます。つまり、前回辞書で調べてみたように「Εγκυκλιος(エンキュクリオス)」とは、「円環(κυκλος)」のことであり、「Εγκυκλιος παιδεια」とは、あれこれの学術が「円環をなした教養」のことだ、というわけです。
つまり、これを訳せば「百學連環」となる次第。ここで「百」とは、100という数字そのもののことというよりは、「数多の」というくらいの意味です。「諸子百家」という場合の用法ですね。要するに、「百學連環」とは、数多の学術が連環をなしていること。見事な訳と言うほかはありません。では、この言葉は、「Εγκυκλιος παιδεια」の原義である「基本的な教養課程」とは、どう関係するのか、しないのか。新たな疑問が浮かんできますが、これはまた先で考えることにしましょう。
というわけで、いったん言葉の連環をめぐる旅を終えて、ようやく再び本文に戻ることができます。
*
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/)
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
What’s new?―『英語談話表現辞典』覚え書き(49)―
2011年 6月 23日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回は「冗談でしょ」と応じる言い方をみてきました。今回は「変わりはないですか」という、出会ったときあいさつを交わす際に付け加える言いかたを考えてみたいと思います。
タイトルにあげた、‘What’s new?’は知り合い同士のあいさつに伴う表現ですが、‘How are you?’とほぼ同じように使われます。本辞典からの引用です。
1 〈出会いのあいさつとして〉お変わりありませんか, 元気ですか:《大学のキャンパスで》“Tom, what’s new?” “Nothing much.” 「トム, 変わりないか」「特にないよ」 《町でばったり出会った女性2人の会話》“My, my!, quite a long time! What’s new?” “Not a whole lot.” 「あらっ, しばらく! 最近どう?」「まあまあね」.
‘What’s new?’に対する応答は、‘How are you?’が‘Fine, thanks.’の類の決まり文句を伴うように、上の例にみられる‘Nothing much.’やそれと類似した言い方が続きます。通例、「変わったこと、新しいこと」があったとしてもその否定的な応答の仕方は変わりません。このようなことばの使い方を「交感的言語使用(phatic communion)」ということがあります。特に伝達すべき内容がなく、もっぱら人間関係をスムーズに保つための言語使用をいいます。
ただし、‘What’s new?’には、次のように、実質的な内容を問う使い方もあります。
2 〈近況をうかがって〉何か変わったことはないか:《もとの会社の部下に出会って》“What’s new?” “I learned that the president is going to resign this fall.” 「何か変わりはあるかい?」「社長がこの秋, 退任する予定らしいです」 《しばらく会っていない友人と会って》“Oh, long time no see! What’s new?” “Yeah. My daughter is going to marry at the end of this year.” 「やあ, 久し振り! 変わりない?」「そうだね. 娘が今年の年末に結婚するよ」.
ここでは、単なるあいさつのやり取りだけでなく、実際に新しいニュースを伝えています。
類似表現に‘Anything new?’があります。
1 〈あいさつの後で〉お変わりないですか, 何か変わったことはないの: “Hello, Jennifer! Anything new this morning?” “No, nothing. And you?” “Also nothing new to report.” 「やあ, ジェニファー. 今朝は変わりはないかい?」「別に取り立ててないわ. あなたは?」「僕の方も何も変わりないよ」.
この表現も phatic な機能があり、通例応答は‘Nothing.’とか‘Nothing new.’といった否定表現が続きます。また、この表現にも具体的な内容を問う用法があります。
2 〈具体的なことについて〉何か新しい情報は入ったか, 進展はあった?:《上司が部下に》“Hi, anything new on that matter?” “Well, nothing in particular.” 「やあ, あの件に関して何か情報はあるか?」「そうですね, 特にありません」.
なお、‘What’s new?’には‘with you’をつける言い方もあります。
1 〈相手個人について〉お変わりありませんか:《休み明けに友人と会って》 What’s new with you? Did you have a good weekend? 変わりはない? 週末は楽しかった?
2 〈あいさつのお返しとして〉あなたはお元気?:“Hi, Jane! How are you doing?” “Great! What’s new with you?” 「ハーイ, ジェーン! 元気にしてる?」「元気よ. あなたはどうなの」.
この表現も‘What’s new?’の場合と同じく、決まり文句が続きます。次は本辞典の Nothing. の項目からの例です。
4 〈あいさつのやりとりで〉変わりはありません:“Hi, Steve. What’s going on?” “Nothing. What’s new with you?” “Nothing really.” 「やあ, スティーヴ, どうしてるの?」「変わりはないね. 君は変わりはないかい?」「まったくないよ」.
【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論―伝達と認知―』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
深谷圭助先生の辞書引き学習体験会(7月23日)
2011年 6月 22日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部以下のイベントは終了いたしました。
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2011年7月23日(土)、有隣堂たまプラーザテラス店の主催で、深谷圭助先生の「辞書引き学習」を親子で体験できるイベントを実施します。

- 日 時:
- 2011年7月23日(土)14:00~15:30(開場13:30)
- 場 所:
- たまプラーザテラス ゲートプラザ2階 プラーザホール
(東急田園都市線「たまプラーザ」駅・駅ビル)- 講 師:
- 深谷圭助先生(中部大学准教授)
- 対 象:
- 小学校1年生から3年生までの児童と保護者(2名1組)
- 定 員:
- 30組60名様(先着)
- 参 加 費:
- 1組様 1,500円(教材費込)
*授業で使用した辞典はお持ち帰りいただけます。- 主 催:
- 有隣堂たまプラーザテラス店
- 参加方法:
- 有隣堂たまプラーザテラス店の1Fサービスコーナーにてお申し込みを受け付けます(定員になり次第、受け付けを終了致します)。
電話予約も承ります。- お問い合わせ・電話予約:
- 有隣堂たまプラーザテラス店 電話045-903-2191(代)
*参加チケットは、親子2人1組のお値段です。
1枚のチケットでお子様2人はご参加出来ませんので、予めご了承ください。
(お子様2人ご参加の場合は、2組分の料金を頂戴しております)
一昨年に三省堂書店成城店主催で行われたイベントの模様を以下で公開しています。
⇒深谷圭助先生の「辞書引き学習体験会」のご紹介
* * *
【編集部からのお知らせ】
■最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
⇒辞書引き学習についての情報
■「辞書引き学習」基本のステップは五つ! 今すぐ始めたい方はこちらをご覧ください。
⇒「辞書引き学習」とは(監修:深谷圭助)
「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み―先生方・保護者の方へ―
■このウェブサイトにて、深谷先生のインタビューを掲載しています。以下をご覧ください。
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》
■編集部で立命館小へうかがいました。以下に訪問記を掲載しています。
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記1
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記2
★深谷先生から推薦をいただいております
例解小学国語辞典 第五版
編者:田近洵一
B6判 1,248ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13827-5
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13828-2
例解小学漢字辞典 第四版
監修者:林 四郎・大村はま 編者:月本雅幸・濱口富士雄
B6判 1,184ページ 1,995(本体1,900)円 ISBN 978-4-385-13958-6
[ワイド版] A5判 2,205(本体2,100)円 ISBN 978-4-385-13959-3
漢字の現在:「阮」さんと「佐藤」さん
2011年 6月 21日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第109回 「阮」さんと「佐藤」さん
日本人は、中国人や韓国人よりも、ベトナム人に似た性格をもっていると思えることがある。気質自体は生真面目さが強い点で近いが、おおらかさでは日本人は概して引けをとるかなとも感じられる。ただし、「♡」にとどまらない多彩なマークや丸文字、ヘタウマ文字など、美化語ならぬ美化字、正確には美化書風、美化表記、より厳密には「可愛化書風」、「可愛化表記」は、やはり日本人、とりわけ若年層の女性たちが「かわいさ」に与えた価値の高さが生み出してきたものであろう。
これらは、語を飾り、物事を飾り、紙面を飾り、イメージを膨らませ、ついには書き手をもかわいく見せようとするものであり、それが受け手に好印象とともに影響を与え、そこからまた他者、とくにグループ内の仲間にも良い印象を、と循環する。その連鎖でかわいい書体や表記の意義がいっそう強化され、ついには社会的な暗黙の目標やルールのようになっていくものも現れる。
ベトナムでは、漢字が読める人がどのくらいいるのだろう。識字率というものは厳格に割り出すことが難しいものだが、清朝末期の徽州のある村々では、男性が7%、女性は1%というショッキングな数値を見たことがある。現在のベトナムではクオックグウについてであろうが、94%に達するという数字もある。漢字については、読める人は10%くらいですか、とベトナム人研究者に聞くと、そんなものですかね、とのこと。
ただ、漢字に関心を持っている人が増えてきたとも言う。知り合いの女性研究者は、おじいさんが漢字を知っていて、家で『三千字』という昔ながらの教科書を使って教えてくれた、その頃はおじいさんたちは皆漢字を知っていたと語ってくださった。開高健の残した記録にも、ベトナム戦争時に僧侶と漢字で筆談した話が出てくる。今の若いベトナム人研究者の一人は、大学に入って初めて漢字を学んだという。
ベトナムでは会う方々の姓の種類が限られていた。なんと言っても多いのがグエン姓だ。漢字では、「阮」、中国にも阮籍、阮元などたくさん見られる姓ではあるが、ベトナム最後の皇帝の姓であることが人口を最大に増やしたのだろう。概して伝説的な人物や王朝を立てた王の姓と大姓が一致する。中国よりも韓国、韓国よりもベトナムの方が大姓への集約度が高い。韓国・北朝鮮の「金」さん(総人口の22% 約300種中)、中国の「王」さん(同じく7% 約4000種中)よりも、その占める比率は高そうだ。
ほかにも「陳」「黎」など王の姓は人口が多い。また、「梁」「范」「呂」「黄」姓など漢字ではどこの国の人か見紛うようだ。朝鮮半島では、統一新羅の頃までは固有語の姓名が用いられていたことが『日本書紀』などの記録から知られているが、中国風の音読みで1字(稀に復姓も)という大原則が徹底された。地名も唐に倣うことが原則のようになったが、日本では訓読みの方法も大規模に維持された点が特異であった。中国では少数民族も音訳などの方法により、姓名に漢字表記をもっている。
日本だけが、姓には訓読みが多く、2字が平均という独特な世界を構築し、読みの変更や異体字の使用も加わり、数十万種にのぼるとされるほど、世界でも有数の多様性を呈している。「佐藤」さんか「鈴木」さんが最多であっても、それぞれ2%足らずといわれるが、ベトナム同様に悉皆調査がなく、今なおその全容は不明のままである。姓を文化としてとらえる風土が根付いていない証左であり、こればかりは民間人の努力ばかりでは、いかんともしがたい面がある。
ベトナムでは人の名にも、「南」(ナム)「雄」(フン)など漢越語が根強い。日本人の姓に対してもたとえば「河野」さんが漢越語で「ハーザー」と覚えられているようなケースが今でもあった。中国みたいな方法だ。日本の子供の名前も、漢語として理解してくれる。行政地名では、「郡・県」「市・町・村」の順などは、どうやら日本とは違いがあるようだ。都市部と農村とではその仕組みも異なるようで、韓国はもちろん、現在の中国とも違うかもしれないので、いずれ整理してみたく思う。
10年以上前、熱帯のホーチミン市での会議で、たまたま横に座っていらしたベトナム言語学会会長の先生も、グエン姓でいらした。今回、その時のことを覚えていてくださったのか、先生からチュノムに関する御高著をサインとともに頂く僥倖にも恵まれた。小著も引用してくださっていた。もしお疲れでなければ、お越し下さったとのこと、学恩に深く感謝するばかりであった。
ベトナム語では「ありがとう」を「感恩」(カムオン)という。大乗仏教の香りがしようか。ISOの統合漢字へ採用させるためのチュノムの候補リストの中にあった「
」が目に止まり、先生にその字の意味を中国語でうかがったら「売淫」(淫売)と、かつて北京留学で身につけたという流暢な中国語の発音で教えてくださったことが印象深い。日本の漢字についても関心を抱いておいでで、なるほどということをたくさんお話し下さった。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「ベトナムの筆跡」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
大規模英文データ収集・管理術 第1回
2011年 6月 20日 月曜日 筆者: 富井 篤連載を始めるにあたって
はじめに
これから、私が35年以上前に創り出し、その後35年間以上にわたって実践してきた、今ではその収集データの数も350,000点以上に達する、「英文データの収集方式」について連載を始めます。私と同じ世界で生きている一部の人々には、いままでに私が著作してきた数々の書籍、各種国際会議での講演会や発表会、さらには私のホームページや私が主宰している富井翻訳塾などを通して「トミイ式英文データの収集、分類、収納方式」としてすでに知られていますので、大変おこがましいのですが、この連載の中では、簡略化して「トミイ方式」と呼ばせていただきます。
本来ならば、連載の最初には、まず「トミイ方式」とは何か、そしてその起源および変遷などについて触れて、ついでその機能・目的、さらにはその実践法などを順次述べていくべきなのでしょうが、この連載では、そのような日本語的な「起承転結」にとらわれず、「トミイ方式」には一体どのようなメリットや面白さがあるのかなどについて、エピソードなどを織り交ぜながら、最初の「連載を始めるにあたって」は5回にわたって述べていきます。
「トミイ方式」というのは、簡単にいうと
どのような目的に使うためには、どのようなものを収集し、それをどのように分類・収納しておけばよいか
ということに主眼を置いた方法論です。収集作業が進んでいけば、その結果として
どのようなものを収集し、それをどのように分類・収納しておくと、どのような目的に使うことができる
という効果も派生してきます。
「トミイ方式」がいかに素晴らしいものであるかを感じ取っていただき、この連載をお読みになった方のうち、一人でも多くの方が「これなら自分にもできる。始めてみようか」と思っていただくために、次回から4回にわたり、あえていきなりいくつかの具体例をご紹介することから始めることにします。
とはいっても、「トミイ方式」なるものがいかなるものか、まったく情報がなくては読み進められないでしょうから、ここでは「トミイ方式」においては、収集した英文データを次の7つに大分類するということだけを略述しておきます。
(1) アルファベット順
(2) 50音順
(3) 表現別
(4) 品詞別
(5) 構文別
(6) 数量表現別
(7) その他
この7つの大分類を、収集データ数が増えていくにしたがって、さらに各項目ごとに中分類、小分類、細分類、細々分類に刻んでいくと、この連載を最後までお読みいただくと分かると思いますが、最終末端単位の数としては40,000にも50,000にも達します。
それでは「トミイ方式」の素晴らしさを感じ取っていただける体験談を1つご紹介します。これは、上に挙げた7つの大分類の中の「(3) 表現別」の中にある「耐える」という表現についてのエピソードです。もう少し正確にいいますと、「(3) 表現別」のうち、中分類の1つに「耐」という言葉がありますが、この言葉は、さらに「――に耐える」という動詞形とか、「耐――性」という名詞形とか、「耐――性の」という形容詞形などという小分類に分けられており、その中の「――に耐える」という動詞形についてのものです。
もう25年以上前、すでに私のコレクションも50,000点以上になっていたときのことです。当時執筆していたある学習書の中で、どうしても「――に耐える」という場合の動詞の選択について書かなければならなかったことがありました。一般には、「――に耐える」という意味の動詞には resist,withstand,endure などがあります。しかし、当時、これら3つの動詞にはどのような違いがあり、それをどのように使い分けるかということがよくわかりませんでした。同義語辞典とか、類語辞典とか、Webster の Dictionary of Synonyms などをすべて精査してみましたが、resist は「能動的に耐える」、withstand は「受動的に耐える」というところまではわかりましたが、どうしても実感として理解できませんでした。
そこで私のコレクションの中から、「――に耐える」という動詞形の中に収納されている resist,withstand,endure などの英文をすべて引っ張り出してきて、対象として「物理量」、「現象」、および「物質」ごとに数えてみたわけです。20年以上前のことですからまだ35例文くらいしかありませんでしたが、各英単語の使用例が以下のようにはっきりとわかりました。
筆者注:「物理量」とは圧力、電圧、温度、速度などをいい、「現象」とは曲げ、振動、腐食などをいい、そして「物質」とは水、酸、アルカリ、油などをいいます。
| 物理量 | 現象 | 物質 | |
| resist | 1 | 13 | 1 |
| withstand | 15 | 2 | 1 |
| endure | 2 |
このくらいの例文の数では「葦の髄から天井覗く」きらいは否めませんが、それでも、この時以来、疑うことなく、自信を持って resist と withstand を使い分けることができるようになりました。そして、このような結果から考えると、日本語では resist も withstand と同じように「耐える」という訳語があてられていますが、本来ならば「耐える」というよりは、むしろ「抗する」という日本語を当てたほうがよい場合があるということもわかりました。これらは「トミイ方式」の価値ある産物といえます。
このように、「トミイ方式」というのは、もともと英作文する場合とか和文英訳するときの、和英辞書の補助となるような言葉や言い回しを収集したものと考えてください。同じ単語でも使用例を数多く集めると、上に述べたような類語辞典のような機能を果たすこともできます。
次回からは、上に述べた「トミイ方式」の7つの大分類の中から1つずつ選び、面白いエピソードを披露していきたいと思っています。次回から3回は、「トミイ方式」の大きな3つの機能、すなわち、1) 学習機能、2) 活用機能、および3) 発表・制作機能、のうち1) 学習機能および2) 活用機能から見たエピソードを、そしてその後の4回目は3) 発表・制作機能という切り口から見たエピソードを紹介していきます。
なおこれからこの連載をお読みいただく中で、「トミイ方式」についての最低限の知識として心に留めておいていただきたいことは、これは学生の「単語帳」とは違いますので、単語単位に収集するのではなく、その該当単語が使われているセンテンス単位で収納するということです。できれば、センテンス単位ではなく、そのセンテンスが含まれているパラグラフ単位で収集すると、効果は倍加します。これについては、これから徐々に説明していきます。
最後に1つ大事なお願いとお詫びがあります。この連載に引用している例文は、私が長年、技術翻訳の世界にいましたので、そのほとんどが技術分野からのものばかりです。「技術英語といえども、所詮、英語は英語」という割り切り方もありましょうが、技術分野ではない読者の方々には、ご理解をお願いすると同時にお詫びいたします。
【筆者プロフィール】
富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 65
2011年 6月 19日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 64
“Man” + “Woman” = “Man”?
As I said last time, the Japanese-speaking community is largely biased towards certain notions and expectations about gender—namely that “men” have higher status than “women,” while “women” have more “class” than men. However, this is not limited to the Japanese-speaking community. It can be seen, in varying extent and mode, in other languages as well. This is something of which we can gain a satisfactory understanding by first looking at collective designations for people in a number of languages, not just Japanese.
If, we add even just one golfer with a handicap of one to a group of the world’s top golfers, this can no longer be called “a group of the world’s top golfers”—it is merely “a group of good golfers.” Conversely, if we add one top golfer to a group of good golfers, this group remains just “a group of good golfers.” Here, the party that subsumes the others to “take the top place” in the group designation is the party that is lacking in something (golf skills, in this case). Let’s consider what happens if the “thing that is lacking” is class.
It’s a well-known fact that in English the collective designation for “man” and “woman” together is “man” (in the sense of “mankind”). In other words, “man” takes the “top place.” In both French and Japanese, men also take top place in the pronoun “they.” In French, one uses the pronoun “ils” (they [male]) for a group of three men, while “elles” (they [female]) would be used for a group of three women. However, if even just one man is present in a group of women, one uses “ils.” In Japanese, one never calls a group of men “kanojora” (they [female])—except when referring to a group of okama. However, one does sometimes use “karera” (they [male]) for a group of women, as in “Karera wa juudai de shussan shita” (they [male] had kids in their teens).
Of course, as you already know, the ceding of top place to men is considered to be a problem. It is seen as inexcusably sexist. And I have no objection to interpreting it as sexist. It is certainly offensive that men are placed on top, and even the English word “woman” contains the word “man,” which seems a bit sexist.
However, I would moreover argue that this state of affairs is sexist toward men. Are they really being placed at the top because they have higher status?
A French proverb says: “Adding a drop of filthy water to a cask of wine makes it a cask of filthy water. But adding a drop of wine to a cask of filthy water doesn’t make it wine.”
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 65
2011年 6月 19日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)“男”+“女”=“男”?
在上一节里,叙述了日语社会很大程度依赖于一种传统的观念和期待,即“‘男人’比‘女人’‘格’高,而‘女人’比‘男人’‘品’高”。不过,事实上,上一节中所述的这个观点,不只是出现在日语社会中,其他的语言社会里也存在。只不过在程度和形式上有些差异罢了。之所以如此,那是因为只有这样理解我们才能认同包括日语在内多种语言中都能广泛观察到,关于人的总称或集体的称呼上存在着男女差别。
在世界顶级的高尔夫球员聚集的场合里,如果出现了一位,“很会打高尔夫球,技术差点(handicap)为单数”的人的话,那么在这里聚集的就不是“世界顶级高尔夫球员”,而是“打高尔夫球很棒的人们”。反过来,在一群很能打高尔夫球的人们当中,即使加入了一位世界顶级高尔夫球员,这个群体也还是“打高尔夫球很棒的人们”。由此可见,在集体的称呼中,能将对方的称呼压下去“取得上方”的是,处于劣势的那一方(此处指打高尔夫的水平)。我觉得这个“势力差”能跟“品”格联系在一起,对不对?
众所周知,在英语里“man”(男)和“woman”(女)合在一起的总称是“man”(人类)。即,“man”(男)“取得了上方”。还有,在法语和日语当中,男性的人称代词“他们”要“取上方”。如,在法语里,男性的集体(第3人称)用“ils”(他们),女性的集体(第3人称)用“elles”(她们)来表达,但是若在一群女性当中加入一位男性的话,那么就得使用“ils”来表达这个集体了。还有,在日语里,不可以把男性的群体说成是“彼女ら(kanojo-ra, 她们)”(除了“オカマ (okama, 娘娘腔、男同志)”的聚集)。但是,表达女性的群体的时候,不仅可以使用“彼女ら(kanojo-ra, 她们)”,有时也可以使用“彼ら (kare-ra, 他们)”。如,“彼らは10代で出産した (Kare-ra-wa juudai-de shussan-shi-ta,他们在十几岁的时候生了小孩)”。
如今,这种语言的使用状况也成为了问题,很多人认为“男性在上是在歧视女性。太没道理了”。我丝毫没有要对这种歧视女性的看法夹插异议的想法。被男性占据优势,的确很令人生气。原本,把女性用“wo+man(男)”来称呼,就有点歧视女性的色彩吧。
在此想法的基础上,我倒是认为这种语言的使用情况也是在歧视男性。“因为‘格’调高”就被硬推上位,这又究竟是为何呢?
正如法语中的谚语所说的那样:“把一匙污水倒进一桶红酒里,得到的是一桶污水;在一桶污水里倒进一匙红酒,得到的还是一桶污水”。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
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2007年









