談話研究室にようこそ 第4回 アイロニーと対話と復元された声
2011年 6月 2日 木曜日 筆者: 山口 治彦第4回 アイロニーと対話と復元された声
朝,出がけに「今日は傘はいらないわよ」と送り出され,土砂降りのなかをずぶ濡れになって帰宅したあなたは,こう言います。
(4) a. 今日は傘いらない,ってか。 b. ほんっとに,いい天気だったよ。 c. 今日はもう風呂はいいよ。頭も洗ったことだし。
前回,アイロニーが発動するにはうそくさいことばと動かしがたい事実との対立が必要であると述べました。(4)のような対話の場では,対立の構図はより明確に表れます。ずぶ濡れになって震えているあなたが目の前にいるわけですから,目前の状況と発言内容との食い違いは明らかです。この点がまず書きことばの場合とは異なります。しかも,目の前の状況自体はどうにも動かしがたいので,ことばの意味合いのほうがすぐさま反転することになります。
どうも対話の場のほうがアイロニーは伝わりやすいようです。
次に,対立を際立たせる方法についても考えてみましょう。(4a)は引用という方法を用いました。引用したことばは自分のものではありません。だから,矛盾を起こさずに否定することができます。
したがって,引用はアイロニーを導く有効な方法と言えます。もちろん,書きことばでも引用によってアイロニーを伝えることは可能ですが,口頭の場合は,声色やイントネーションを工夫して伝えることができる分だけ,アイロニーを分かりやすく伝えられます。
(4b)では「ほんっとに」と強調表現「ほんとに」をさらに力んで伝えることで,意味を不安定にしたわけです。前回に見たファックスの例で「たくさん,たくさん」と語彙を連ねることによって行う強調とはまた別種の強調表現と言えます。そして,力みは,口頭言語に固有の現象です。ここでも口頭言語とアイロニーの親和性を見て取ることができます。
(4c)はどうでしょう。(4a)や(4b)よりは少し複雑です。ずぶ濡れになった状態を目立たせるために,先の例よりはわざと間接的に自分の置かれた状況――ずぶ濡れになったので早く風呂に入りたい――にせまります。持って回った分だけねちねちとした批判が伝わります。
では,このように間接的な発話をどのように伝えるでしょうか。鼻にかかった声で言うなど,音声面で仕掛けることも可能です。と同時に,うんざりした表情を浮かべる,あるいは逆にことさらに笑顔を作る,というように表情を工夫することもあるでしょう。表情も対立を際立たせる方法となりえるのです。
対話におけるアイロニーに必要なものをこれまでの観察をもとにまとめると,次のようになります。
(5) a. うそくさいことばと動かし難い状況の対立 b. ことばの移ろいやすさを際立たせる方法(引用,強調,音声,表情,など)
音声や表情といったパラ言語的特徴――発話に付随する非言語的情報――は書記言語には見られないものです。つまり,音声や表情に頼ることの多いアイロニーは,対話的な性格の強い表現行為なのです。
もっとも,パラ言語的情報はアイロニーに必須の要素ではありません。私たちの伝達行為にはたいてい遊びの部分があります。だから,ほかのオプションに頼ることによって書きことばでもアイロニーは伝えられます。ただし,パラ言語的情報に頼れない分だけ,伝達はより間接的にならざるをえません。
前回,ファックスの文面に対する印象として「迷惑を被った作者が白々しくもねちねちと述べる「声」が行間に聞こえてくる」と書きました。これは,書きことばによるアイロニーの目立った特徴だと思います。
書記言語の導入によって失われた作者の声を復元することによって,読者はアイロニーとしての解釈を確定します。対話的な伝達行為であるアイロニーのもっとも対話的な部分を読者が解釈過程で補ってはじめて,書きことばのアイロニーは伝わったことになるのです。
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【筆者プロフィール】
神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。
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【編集部から】
雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。









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