2011年 6月 のアーカイブ

An Unofficial Guide for Japanese Characters 63

2011年 6月 5日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

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The four kinds of character “status” (Part III)

In the previous columns, I explained that for the most part we can divide the status of characters into four broad categories by the language that they use, and we looked at the “highest of high,” and then “superiors” and “inferiors” (parts 61 & 62). So, what is the fourth status? Is it the “mid-ranked” character? No, as I said at the end of the last column, there is no need for such a status. What is it then? The answer is the “runts” or “small-fry”(1) (hereafter, we’ll use “runts”).

Who are “runts”? They’re children who are much younger than the others in their playgroup. When playing tag, they are subject to special rules because they’re much slower than the other kids, so they don’t become “it” even when they’re tagged. They shout and flee from the person who is “it” just like the other kids, but in fact they aren’t really part of the game. Those of you who have no idea what I’m talking about should read up on the subject in Hajime Sugawara and Kensuke Nakajima’s article, “Gomame/Misokkasu no Kenkyuu: Denshou Bunka toshite no Inenrei no Nakama Shuudan niokeru Tokubetsu na Ru-ru ni Kansuru Chousa (1)(2) (Bulletin of Hokuriku Gakuin Junior College, Vol. 37, p.13–24).

“Runt” characters have no polite style; they use the brusque style exclusively. They are very rude, but are given a pass because they are too young and innocent to know better. As you have probably already realized, the “runt” character is even lower in than the “inferior” character; it is the lowest status possible. The archetypal “runt” character is a young child.

One would think that the “runt” was the exact opposite of the “highest of the high,” and this is indeed the case. For example, the “highest of the high” could use the pronoun “washi” (I [archaic]), but not the “runt.” However, the two are oddly similar in that they are removed from the “inferiors” and “superiors” who are busily making livelihoods for themselves.

Just as the fish known as a “hamachi” is given the new name of “buri(3) after growing to maturity, slowly but surely the “runt” can, while still retaining the basic “runt” character, become an “inferior” in limited situations, such as when talking to kindergarten teachers and other children, and then further come to act as a “superior” who speaks in quite a grown-up manner. Over time, this completely becomes their basic character. Does the child outgrow their “runt” character? Of course there are people who have never once spoken to their parents or spouse in a polite style. So long as such people don’t become domestic tyrants, are they perhaps still “runts” at heart?

* * *

(1) In Japanese: “gomame” (lit. dried sardine) and “misokkasu” (lit. miso dregs).
(2) This translates as “Research on Runts and Small-fry: A Survey of Special Rules in Age-diverse Groups as Traditional Culture.”
(3) The Japanese amberjack (yellowtail) is known by two separate names. They are called hamachi while immature and buri when mature.

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Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 63

2011年 6月 5日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

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角色的“格”之4大类(下)

在前面提到过话语角色的“格” 姑且可以分为4大类。在第61节第62节介绍了其中的3项,“特上”“目上”“目下”等。那么,剩下最后的第4类“格”是什么呢?是“中级”吗?不是的,在上节的结尾就写到那是不需要的。那么会是什么呢?

答案是“ごまめ(Gomame,小家伙)”或者是“みそっかす(Misokkasu, 意为微不足道的)”(以下统一用“ごまめ(Gomame)”来表达)。

知道什么是“ごまめ(Gomame)”吗? 就是一群玩耍的孩子当中,年龄格外小的小孩。这种小孩因为跑的最慢通常在玩捉迷藏或者其他什么游戏时,总是被采用特别的游戏规则,即使被捉到了也不会算输。表面上,他们是在跟大家一起戏耍玩闹,但在实际上并没有参加游戏。如果还有人没能对此理解的话,就请读菅原創・中島賢介(2005)「ごまめ・みそっかすの研究 : 伝承文化としての異年齢の仲間集団における特別なルールに関する調査(1)」 (『北陸学院短期大学紀要』第37号、13~24ページ)[Sugawara Hazime,Nakazima Kensuke(2005) (《Hokuriku gakuinn tanki daigaku kiyoo》 38, 13-24)] 学习学习吧。

“ごまめ(Gomame,小家伙)”的角色,不用礼貌体只用普通体说话。看似是个很没礼貌的家伙,但是大家也拿他没辙,就以天真无邪而被原谅。想必大家都已察觉到,在这里提到的“ごまめ(Gomame,小家伙)”比“目下(Me-shita)”角色还要低,在“格”当中是最低的。最典型性的“ごまめ(Gomame,小家伙)”角色就是低龄的孩子。

“ごまめ(Gomame,小家伙)”与“特上(Tokujoo,最上等)”应该是对局的,两者有着明确的区别。比如,“特上”角色可以说“わし(Washi,我)”,而“ごまめ(Gomame)”角色就不可以。不过,两者也有很相仿的地方,那就是远离了整天为生活处世而繁忙的“目上(Me-ue,上级、前辈、上司)”和“目下(Me-shita,下级、晚辈、部下)”角色。

被叫为“幼鰤鱼”的鱼长大的话就会被叫为“五条鰤”。于此很相似,最初是“ごまめ(Gomame,小家伙)”的孩子经过成长,在幼儿园、学校的老师和同学们面前就会作为“目下(Me-shita)”角色,时而又会以“目上(Me-ue)”角色与他人接触,慢慢地说话方式也像大人了。在不知不觉当中也就习惯了这种说话方式。终于可以从“ごまめ(Gomame,小家伙)”角色毕业了吗?……嗯,也不一定吧? 还没跟父母或配偶用敬体说过话的人,也不是不存在的。像这种人难道是窝儿里横的“ごまめ(Gomame,小家伙)”吗?

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《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第153回 他地域の方言を活用した交通看板~宮崎県清武町の事例~

2011年 6月 4日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第153回「他地域の方言を活用した交通看板~宮崎県清武町の事例~」

 「交通安全」は皆が願いながら、なかなか守られにくいもののようで、痛ましい交通事故や、取り返しのつかない死亡事故はいっこうに後を絶ちません。

 この連載の第8回で、大分県大田村の交通安全を呼びかける方言看板の例を、また第43回では北九州市の「自転車を降りチャリ、押しチャリ」を、第78回では宮崎県警の「てげてげ運転追放運動」、などを紹介しましたが、宮崎県の清武町で、地元の方言ではない、他の地域の方言を活用した事例に出会いました。

(クリックで周辺の様子も拡大表示します)
【写真1 肥筑方言を使って…】 【写真2 関西方言+土佐方言で…】
左:【写真1 肥筑方言を使って…】
右:【写真2 関西方言+土佐方言で…】

 ひとつは、「止まれ 自転車も左右の確認せんといかんばい!」とあり、九州西部の肥筑方言で有名な文末詞の「ばい・たい」の「ばい」が使われています。

 もうひとつには、「青信号 クルマに自転車も/スピード突入 あかんぜよ」とあります。
 「あかん」からはすぐに関西方言が、また「~ぜよ」は去年のNHKの大河ドラマ『龍馬伝』で話題になった土佐方言が頭に浮かんできます。

 この文案を考えた作成者に聞いたところ、「交通事故がなくなることを強く願っています。ふつうに共通語で「自転車も左右の確認をしましょう!」とか、「青信号でもスピード突入はいけません」と言ったのでは、当たり前すぎて少しも印象に残らない。そこで同じ九州の方言で、地元の人にも意味がよくわかる「ばい」を使い、またテレビ・ラジオで知られた他の地域の「あかんぜよ」を活用して、少しでも運転者の注意を引き、インパクトがあるものにしようと考えました。実は、私自身、小学校入学前の長女を交通事故で亡くすという、非常につらい体験をしているものですから……」とのことでした。

 もし素直に地元の方言で表現するとしたら、「左右を確認せんといかんど!」「突入したらだめど!」などとなるところでしょう。
 それとはちょっとずらして、しかし言わんとする意味あいはしっかり伝わるように……、というねらいのもとに、他の地域の有名な方言を活用して表現した、この「方言看板」。

 じゃっとよ。まこつ、交通事故防止ん、効果を発揮してほしいっちゃが!(これは地元の方言です)。〔そうなんだよ。本当に、交通事故防止に、効果を発揮してほしいんだよ!〕

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
 大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:漢字圏内の漢語の差

2011年 6月 3日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第104回 漢字圏内の漢語の差

 ハノイでの講義の終盤に、漢字圏で使われている漢語の比較についても話してみた。

 「注意」は、4か国で相似している。それぞれ発音してみると、笑いが聞こえる。

 「豆腐」は、ベトナム語では漢越語で「ダウフー」のようにいう。日本語の漢語「とうふ」と中国語の「トウフ」は仮名で書くと同じに見えるが、韓国では漢字(ハンチャ)語で「トゥブ」、やや違いが目立つ。英語になったtofuは、中国からか、あるいは日本からだろうか。


そのまま漢字に直すと「手続航空」。航空の手続き。
「てつづき」という和語が「手続」という漢字のまま中国に入って
字音語へと変わり、それがさらにベトナムでベトナム漢字音に変換されて、
すっかり定着している。韓国語にも「手続」が入り、「スソク」となった。
(クリックで周辺も表示)

 「豆腐」は、日本では、腐るという字を避けて「豆富」になってきた、と言うと、「ア~」と声を上げ、笑みをこぼし納得している。漢字と豆腐の本家である中国では、日本でのこの意識が不本意に感じられるそうで、意外がられるところだ。「分家」同士、少し距離があるだけに、わかり合えるのかもしれない。

 この連載で取り上げたことも、実際にいくつか話してみた。お金の単位はドンだが(第64回)、「銅」と意識しているのか、はっきりとは確かめられなかった。かつてフランス語とベトナム語(中国語ではない)で書かれたお金には、漢字で「元」と書いてあったとのこと、これは1951年や1953年などに発行された紙幣のことであろう。そのころはまだ紙幣に「越南民主共和」(右から横書き)「伍仟元」(縦書き)などと、漢字が印刷されていた。

 出かけた時期では、1000ドンがだいたい日本円で4円。ついでに、1ドルは81円。ドンは「000000」などと常に「0」が多すぎて、計算が難しい。「267981ドン」といった端数は目にしない。円高以前に国内のインフレにより、日本人はお金持ちになった気分には浸れそうだ。実際に物価が安く、とくに書籍は1/10程度だ。日本に輸入されると途端に高くなるのだろうが、それは中国本も同じだ。マッサージも、怪しげなところもあるが中国よりもかなり安い。時計のドンホーは漢字ならば「銅壺」、この古めかしい表記には笑いが起きた。

 「饅頭」は、ベトナムでは丸い「マンダウ」で、中には春雨・大豆などいろいろなものを入れるとのこと。食事のおかずとしても食べるところが、日本とも中国とも違っている。

 「茶」はtrà、それと関連するであろうcheという語形のほか、英語風にティーとも言うそうだ。「ティータイムだからお茶にしよう」と言える日本と少し似ている。緑茶もあちこちで出してもらえるが、日本の渋く濃いお茶になれてしまっていると、下手をすると出がらしのように感じられるかもしれないほど、渋みがなく淡い味だ。

 さらに「画餅」という語に関連して、「「餅」という漢字を見て思いつく物は?」と尋ねてみた。

 手ぐらいの大きさの丸いもの、それはバインセオだとのこと。この字からイメージされる食品を絵に描いてもらうと、中国、韓国、日本の間でそれぞれ違っていたのだが(第28回第29回)、やはりさらにベトナムでも異なっていた。各国の食文化が、漢字の字義にも影響を与える過程や一因を、見て取ることができたように思えた。

 「節」は、日本人も「テト」で知ってはいると話すと、日本語では「teto」と末尾に母音が付く、と先生から指摘が出る。子音、それも内破音である入声も、1音節にすることで日本語として落ち着かせたのである。「ストライク」など西洋からの外来語でも同様なのだが、関東では無声化が起こりやすく、説明が複雑になりがちだ。

 「博士」を「進士」(ティエンシー)と呼ぶことは既に触れたが、ベトナム語でその「進士」といえばどういう人をイメージするか聞いてみた。古い時代の「◇」形で左右に垂れた紐か何かが付いた帽子を被った、アオザイを着た人、という姿が思い浮かぶのだそうだ。日本のように、白衣の紋切り型のイメージはないと言う。ベトナムでも世に学生語、若者語はあるとのことだが、博士には役割語のような口調も特になく、日本のアニメソフトの影響は、まだそこまでは及んでいないようだ。現実の博士には、日本と違って何段階か設けられているそうで、若手研究者は中国よりも一層、大変そうだった。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「ベトナムの「魚の心」」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

「百学連環」を読む:ギリシア語の揺らぎ

2011年 6月 3日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第9回 ギリシア語の揺らぎ

 「百學連環」講義は、まさにそのタイトルに冠された言葉である「百學連環」の由来とその意味を説くことから始まりました。それは、同書の表記に従えば、Ενκυκλιος παιδειαという古典ギリシア語に由来するEncyclopediaという英語を、漢語に訳した言葉だったわけです。今回は、この言葉の意味について、もう少し詳しく検討しておくことにしましょう。なにしろ、講義の総タイトルでもありますから疎かにできません。

 予め申しあげると、今回はギリシア文字が頻出します。この文字に馴染みのない方も、文字の姿形を眺めるつもりでお読みいただければ幸いです。かつて西先生たちが、初めてギリシア文字に接したとき、どのような思いが心中に去来したかを空想しつつ。

 まず、改めて「百學連環」の語源となっている古典ギリシア語に注目してみましょう。それはこんな言葉でした。

Ενκυκλιος παιδεια

 これを仮に「エンキュクリオス・パイデイア」と音読することにしましょう。

 さて、語の冒頭にご注目ください。「Ενκυκλιος」となっています。これは英語風のローマ字に写せば「Enkuklios」となるところでしょうか。先ほど、カタカナとして「エンキュクリオス」と音写してみたことと合わせると、合点がいくかもしれません。

 しかし、古典ギリシア語として見た場合、「おや?」と思う点があります。「Ενκυκλιος」という言葉は、いくつかの辞書で見てみると「Εγκυκλιος」と出ています。比較しやすいように二つを並べてみます。

Ενκυκλιος(「百學連環」甲本)
Εγκυκλιος(辞書の表記)

 この二つの言葉をよく見比べてみましょう。すると、冒頭から二つ目の文字が違っていることが分かります。「百學連環」では「ν(ニュー)」ですが、辞書では「γ(ガンマ)」になっています。この「γ」という文字は、ローマ字表記では「g」に写される文字ですので、先ほどのようにこれをもしそのままローマ字に転写すると「Egkuklios」となって、それこそ変な気がするかもしれません。

 実は、古典ギリシア語ではκの前のγは「ン」と読むという規則があります。ですから、実際には「Εγκυκλιος」と書いて、「エンキュクリオス」と読むわけです。「Ενκυκλιος」という書き方は、いわば「エンキュクリオス」という音を、そのまま素直に文字に写した表記と言えるでしょう。

 この表記を、「百學連環」の二つのヴァージョン「甲本」と「乙本」で比べてみると、さらに面白いことが分かります。ここでは基本的に「甲本」を見ているのですが、その甲本に手を入れたと推測される「乙本」では、このエンキュクリオスという語の綴りが次のように変化しているのです。

Εγκυλοςπαιδεια

 いかがでしょうか。どこに違いがあったでしょう。再び比較のために並べてみます。じっくり見比べてみましょう。

Ενκυκλιος παιδεια(甲本)
Εγκυλοςπαιδεια(乙本)

 そう、「甲本」では「Εν」と始まっている語頭が、「乙本」では「Εγ」に改められています。さらに、語頭から五文字目も違う綴りです。「甲本」が「エンキュクリオス」だとすれば、「乙本」は「エンキュロス」となっています。

 また、「甲本」では、「Ενκυκλιος」と「παιδεια」という二つの語が並べられていて、間にスペースが置かれています。でも、「乙本」では、この二つの語はつなげて書かれています。ついでながら、さらにややこしいことを申せば、上記は活字に起こされたものです。永見裕が「乙本」の筆写した文書を見ると、「Εγκυλος」で改行して次の行頭に「παιδεια」が続いています。

 もし「乙本」(活字版)のように、二つの語を続けて書くのであれば、「Εγκυλοσπαιδεια」と綴りたくなるところでもあります。というのも、「乙本」の前半は「Εγκυλος」と綴られていますが、ここに見える「ς(シグマ)」という文字は、「σ(シグマ)」という文字が語末に置かれる場合の形です。後ろにすぐ「παιδεια」と別の文字が続くのであれば、「σ」と記したくなります。

 さらに混乱に拍車をかける材料があります。実は「全集」第4巻に収められた西周自身の手による「百學連環覚書」という手帖(全集では手書きそのままに掲載してあります)を見ると、西先生はこう書いているのです。

Εγκυκλοςπαιδεια

 これまた、「甲本」とも「乙本」とも微妙に違う形です。

Ενκυκλιος παιδεια(甲本)
Εγκυλοςπαιδεια(乙本)
Εγκυκλοςπαιδεια(覚書)

 「覚書」の綴りは、語頭が「Εγ」と始まる点で「乙本」と同じです。しかし「κυ」の後ろに来る文字は、「甲本」とも「乙本」とも違います。その異同については、詳しく述べないでおきますので、ぜひじっくりと見比べてみてください。

 頭がこんがらがってきました。なんだか重箱の隅をつつくような話でもあります。しかし、どの綴りが正しくて、どれが間違えているといった話をしたいわけではありません(それはそれとして大事なことではありますが)。この表記の揺らぎから、140年前に行われた講義の痕跡のようなものが垣間見えるような気がして興味深いのです。ライヴ感とでも言いましょうか。どういうことか、次回お話しすることにしましょう。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

談話研究室にようこそ 第4回 アイロニーと対話と復元された声

2011年 6月 2日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第4回 アイロニーと対話と復元された声

 朝,出がけに「今日は傘はいらないわよ」と送り出され,土砂降りのなかをずぶ濡れになって帰宅したあなたは,こう言います。

(4) a. 今日は傘いらない,ってか。
b. ほんっとに,いい天気だったよ。
c. 今日はもう風呂はいいよ。頭も洗ったことだし。

 前回,アイロニーが発動するにはうそくさいことばと動かしがたい事実との対立が必要であると述べました。(4)のような対話の場では,対立の構図はより明確に表れます。ずぶ濡れになって震えているあなたが目の前にいるわけですから,目前の状況と発言内容との食い違いは明らかです。この点がまず書きことばの場合とは異なります。しかも,目の前の状況自体はどうにも動かしがたいので,ことばの意味合いのほうがすぐさま反転することになります。

 どうも対話の場のほうがアイロニーは伝わりやすいようです。

 次に,対立を際立たせる方法についても考えてみましょう。(4a)は引用という方法を用いました。引用したことばは自分のものではありません。だから,矛盾を起こさずに否定することができます。

 したがって,引用はアイロニーを導く有効な方法と言えます。もちろん,書きことばでも引用によってアイロニーを伝えることは可能ですが,口頭の場合は,声色やイントネーションを工夫して伝えることができる分だけ,アイロニーを分かりやすく伝えられます。

 (4b)では「ほんっとに」と強調表現「ほんとに」をさらに力んで伝えることで,意味を不安定にしたわけです。前回に見たファックスの例で「たくさん,たくさん」と語彙を連ねることによって行う強調とはまた別種の強調表現と言えます。そして,力みは,口頭言語に固有の現象です。ここでも口頭言語とアイロニーの親和性を見て取ることができます。

 (4c)はどうでしょう。(4a)や(4b)よりは少し複雑です。ずぶ濡れになった状態を目立たせるために,先の例よりはわざと間接的に自分の置かれた状況――ずぶ濡れになったので早く風呂に入りたい――にせまります。持って回った分だけねちねちとした批判が伝わります。

 では,このように間接的な発話をどのように伝えるでしょうか。鼻にかかった声で言うなど,音声面で仕掛けることも可能です。と同時に,うんざりした表情を浮かべる,あるいは逆にことさらに笑顔を作る,というように表情を工夫することもあるでしょう。表情も対立を際立たせる方法となりえるのです。

 対話におけるアイロニーに必要なものをこれまでの観察をもとにまとめると,次のようになります。

(5) a. うそくさいことばと動かし難い状況の対立
b. ことばの移ろいやすさを際立たせる方法(引用,強調,音声,表情,など)

 音声や表情といったパラ言語的特徴――発話に付随する非言語的情報――は書記言語には見られないものです。つまり,音声や表情に頼ることの多いアイロニーは,対話的な性格の強い表現行為なのです。

 もっとも,パラ言語的情報はアイロニーに必須の要素ではありません。私たちの伝達行為にはたいてい遊びの部分があります。だから,ほかのオプションに頼ることによって書きことばでもアイロニーは伝えられます。ただし,パラ言語的情報に頼れない分だけ,伝達はより間接的にならざるをえません。

 前回,ファックスの文面に対する印象として「迷惑を被った作者が白々しくもねちねちと述べる「声」が行間に聞こえてくる」と書きました。これは,書きことばによるアイロニーの目立った特徴だと思います。

 書記言語の導入によって失われた作者の声を復元することによって,読者はアイロニーとしての解釈を確定します。対話的な伝達行為であるアイロニーのもっとも対話的な部分を読者が解釈過程で補ってはじめて,書きことばのアイロニーは伝わったことになるのです。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

人名用漢字の新字旧字:「肇」と「肇」

2011年 6月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第87回 「肇」と「

087hajime-old.png先月の5月25日で、人名用漢字は60歳になりました。そう、60年前の昭和26年5月25日、人名用漢字別表92字が内閣告示されたのです。この92字の中に、旧字の「」(左上が)が含まれていました。この日から、旧字の「」が、子供の名づけに使えるようになったのです。

実は、その11日前の昭和26年5月14日に、国語審議会は人名漢字に関する建議を発表していました。国語審議会は、子供の名づけに使える漢字を92字ふやすべく、この建議を発表したのです。この92字に含まれていたのは、しかし、旧字の「」(左上が)ではなく、新字の「肇」(左上が戸)でした。これに対し、5月25日に内閣告示された人名用漢字別表では、新字の「肇」ではなく、旧字の「」が官報に掲載されていました。国語審議会の意図とは微妙に異なり、旧字の「」が人名用漢字になってしまったのです。しかも、その後の官報でも、人名用漢字別表は訂正されなかったことから、旧字の「」が使い続けられることになりました。

ところが、昭和32年2月22日に琉球政府が告示した人名用漢字表92字には、新字の「肇」が収録されていました。沖縄では子供の名づけに新字の「肇」が使えるのに、本土では旧字の「」しか使えない、という不思議な事態になってしまったのです。しかし、この事態も、昭和47年5月15日に沖縄が日本に復帰した結果、旧字の「」に一本化されました。

昭和54年1月25日に発足した民事行政審議会では、旧字の「」が問題となりました。国語審議会が審議中の常用漢字表案では、たとえば「啓」が新字体になっているのに、人名用漢字の「」が旧字体ではおかしい、というのです。この問題をめぐって、民事行政審議会はモメました。選択肢の一つは、「啓・」と「肇・」に関して、新字・旧字の両方を子供の名づけに認める、という案でした。もう一つの選択肢は、「啓」と「肇」の新字だけを認める、という案でした。

昭和56年3月23日、国語審議会が常用漢字表を答申するに至って、民事行政審議会は結論を迫られました。そして、4月22日の総会で、民事行政審議会は、「啓」と「肇」の新字だけを子供の名づけに認める、と決定したのです。この結果、5月14日の民事行政審議会答申では、新字の「啓」と「肇」は子供の名づけに使ってよいが、旧字の「」と「」はダメ、となったのです。

昭和56年10月1日、常用漢字表が内閣告示されると同時に、戸籍法施行規則も改正されました。この際、民事行政審議会答申にしたがって、新字の「肇」が人名用漢字に追加され、旧字の「」は人名用漢字から削除されました。それが現在も続いていて、新字の「肇」は出生届に書いてOKですが、旧字の「」はダメなのです。旧字の「」は、昭和26年5月25日から昭和56年9月30日まで子供の名づけに使えた、幻の人名用漢字なのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

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