2011年 8月 のアーカイブ

漢字の現在:ハノイの漢字は誰のため?

2011年 8月 30日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第124回 ハノイの漢字は誰のため?

 ハノイの街中では、日本語表記のための漢字は、「日本大使館」、「天馬株式会社」と書かれた看板のほか、日本人向けの案内・パンフレット・メニュー・注意書きの文章などに見られる程度で、日本語として読んでもらうことを目的とした使用はほとんどなかった。開高健は、かつて僧侶と漢字で筆談をして意思を伝え合っていたが、少なくとも街頭ではそういう意図を感じさせる例は見かけられない。

 日本製品は、テレビの製品などが人気で、良いと評判だそうだが、日本語そのものの看板としては、概してひらがな・カタカナは少ない。よくある怪しい日本語も探せば見つかったのだろうが。ひらがなの「えにし」という店名が看板にあったほか、先に触れたローマ字でTOSHIBA、HONDAなどが見られた。

 日本の社名もあちここちで見られたが、ローマ字で「TOSHIBA」と書かれていても、よもやベトナム語の「ドン」(トン 東)が含まれている東芝(東京芝浦電気から)だとは思わないのであろう。

 

 韓国語を表記する漢字はどうだろうか。それが1つだけ目に飛び込んできた。この看板は、韓国人向けのもので、韓国語として読んでもらうことを目的としたものであろうか。本国にもある店で、その漢字表記をそのまま使っているだけであろうか。アニメと、イ・ヨンエ(李 英愛)主演のドラマで好評を博したあの「チャングム」が、この「長今」であることは、アニメ化作品まで視聴した日本人でも知らない人がいる。


看板に「大長今」。店名。ハングルでもテチャングム。

 路上を走る、ハングルだけが車体に書かれたトラックは、単に車ごとこの国に持ち込んだだけであろうが、看板にあえてハングルを使っているものは、韓国の優秀な製品という印象をベトナム人に与えているのであろうか。ハングルや韓国語のローマ字表記は社名、店名に見られた。ほかに、掲示にはハングルが日本語の文字よりもかなり多く見られたのは、来訪者の数に比例した現象だろうか。

 こうした点も踏まえてみると、現代のベトナムでは、漢字は、歴史的な資料、古典の中の文字、古典を読むための文字か、現代の中国語や日本語など外国語を読むための文字、そして日本での梵字やルーン文字のようなお守り的な機能を持つ象徴として位置している。多くのベトナム人にとっては、そうした雰囲気だけを伝えるためのものとなっている。時間的にも空間的にも、現実の多数の生活から離れたところにある言語を主たる対象としているのである。日本における漢字のイメージ化どころではない、漢字そのものが位相文字化していて、ほぼムードだけを醸し出す点画となっているのである。

 言い換えると、ベトナムで漢字は、使用者も読者も、そして場面までも限定された位相文字として、存在しつづけていたのである。主な使用者と読者は、下記のようになろう。

  高齢者
  東洋史・国史・古典文学研究者
  僧侶
  書家
  中国語学習者
  日本語学習者

 そのうちで、あるいはそれ以外にさらにチュノムとなると、理解者の人口はもっと狭まり、使用者となると一層局限される。歴史的な民族文献、古典文学、史料は、研究所や博物館の展示品、収蔵品となり、研究や読解の対象となっている。辞典にもチュノム文が現れるが、チュノム字典の個々の字の出典表示はなおも十分すぎる状況にはないようで、その変化・地域差・位相を示すには至っていないことは、他国と同様だ。

 チュノムは、ベトナム語を表記する民族文字ではあるが、漢字の知識が前提となる文字で、それをさらに複雑化したり、運用を細かくしたものであり、漢字よりも難しくなってしまった。一時公用されたこともあり、文人に占有される中で、時代差、個人差、地域差も生じた。その字数は2万をはるかに超え、読解にも難をきたすなど、表音化とは逆の方向に向かった。日常語を記すはずの文字が、漢字よりも難化し、生活言語との乖離を生じ、距離を広げるという皮肉な結果を生んだのである。

 現代のベトナム人にとって、漢字は、

  ・ありがたみの感じられるもの
  ・古いもの
  ・深い意味がありそうなもの
  ・先祖のようなことばを表すもの

と地元の先生が語ってくれた。日本人と共通性もあるが、やはり生活から離れただけに、独自な意識も生じている。なるほど、歴史的な雰囲気を作ったり、芸術による美を愛でたり、神秘の文字霊を感じたりされそうだ。

 中国語や日本語といった外国語は、実用として漢字学習を求め、それが舶来品の雰囲気作りの効果を生み出している。日本人は、古めかしい書体や字体の字、「そば屋」(第6回)などで見かける変体仮名には、上記の古くてありがたいという意識を抱きがちではなかろうか。つまり、日常生活を送っている日常からは遊離しているのがベトナムの漢字である。

 なお、崩し字は、日本や中国では看板に見かける。行書や、読まれない草書まではかえって雰囲気作りに役立っているのだろう。

 ベトナムでは、日本では看板に多いゴシック体(元々日本産だが)は稀で、筆字の楷書が多かった。中国では隷書風のフォントも流行っているが、ベトナムにはその風潮は浸透していないようだ。また、ベトナムでは行書はともかく、草書は読めなくなってしまっていて、漢字の表す意味内容まで読んでもらうことが第一の目的だとすれば、使用される余地はない。漢字に余剰的な雰囲気を味わったり、崩し字を嗜むゆとりは、国民的には失われたのかもしれない。あるいは、余りにも古くさいと思われてしまうのか。ともあれ、文字生活から漢字が消え、実用性を持った書きやすい書体が失われたことと関連するのだろう。

 ベトナムに漢字は確かにあった。しかし、そのあり方は、中国や日本のそれとはさまざまな点で大いに異なっていた。それを知り、原因まで確かめようと試みたが、この十分とはいえない時間の中で、どこまで迫ることができただろう。

 ベトナムの人たちも心配してくれるように、日本のことが心配であった。テレビや新聞で少しは報道されていて、とくに原発は深刻なようだが、その後、どうなっているのだろうか。東京に戻れるのだろうか。現実に返る時となり、再びノイバイ国際空港へと向かった。

* * *

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「囍」と東アジア」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

大規模英文データ収集・管理術 第6回

2011年 8月 29日 月曜日 筆者: 富井 篤

「トミイ方式」とは

今回から「トミイ方式」の持つ特性を3回にわたって詳しく述べていきます。

(1) 手作り辞書としての「トミイ方式」

この3回の主テーマは、一言でいうと、「トミイ方式」を通してさまざまな英文データを収集すると、自分の手元にある市販の辞書の足りないところを補うことができる、「自分の」、「自分による」、「自分のための」手作りの辞書を作ることができるということです。

ただし、ここで述べるのは、手作り辞書を作るための方法ではなく、その1つ手前の工程である、「何」を収集していくかという「対象」についてです。単語単位のデータがメインになります。いくつかの例を挙げながら具体的に述べていきます。実際の辞書の作り方については、後ほど詳しく説明します。

「手作り辞書」には、英和辞書と和英辞書があります。これら両者は表裏の関係にあり、1つの英単語について調べたら英和・和英の両方に使える情報が得られます。ここでの記述方法は以下のような形式とします。

a) まず「英単語」を示し、英語の例文を引用しながら辞書に載っていない「訳語」を解説する
b) 次にその「訳語」を手元の英和辞書の該当箇所に書き込む。これは「アクションEJ」として示す
c) a)で例に挙げた「英単語」を手元の和英辞書の該当箇所に書き込む。これは「アクションJE」として示す

本論に入る前に、辞書というものの構成について簡単に触れておきます。例えば、英和辞書の場合でいうならば、原単語(entry word)、発音記号、品詞、意味・訳語(definition)、例文などで構成されています。問題は「意味・訳語」です。「意味」とはその原単語が持つ、文字通り根本の「意味」であり、「訳語」とは、その「意味」の範囲内でそれぞれのシチュエーションごとに与えられる、これも文字通り「訳語」です。英文和訳した和文を見ると、直訳調で、自然な日本語になっていないことがよくあります。それは、辞書の「訳語」だけに頼って翻訳しているからであって、「意味」から逸脱しない範囲内でシチュエーションにあった「訳語」を当てはめればこのようなことは絶対に起きません。

ここでは、収集したデータを、どこに、どのように収納するかについては詳しくは触れませんが、大雑把に、次の3つの方法があります。

1) 辞書添記方法
2) カード使用方法
3) パソコン活用方法

ベストの方法ではありませんが、better than nothing という考え方に徹し、手軽に始められる方法として

1) 辞書添記方法 

を推奨します。これは、辞書の中の上下・左右の空スペースに新しい訳語などを書き込んでいく方法で、すぐに行き詰まりを来たしてしまうものではありますが、元の書物や原稿に赤で傍線を引いておくだけよりははるかに良いので、暫定的な収集方法としてこのやり方を前提に説明を続けます。

それでは、across, figure [figure eight], include および porous の4つの英単語を例に挙げて説明していきます。

across(~を横切って、~の向こう側に、~の全体にわたってなど)+(前後、両端)

注:見出しは、entry word(辞書中の「意味・訳語」)+(新たな「訳語」)を表しています。

次の例文を見てください。

Pressure drop across the connector determines minimum size.

辞書の中の「訳語」を使って直訳した訳文は次のようになります。

コネクタを横切る圧力降下は最小寸法を決める

しかし、across を「~前後の」とし、さらに determines という言葉を若干意訳すると、訳文は次のようになります。

コネクタ前後の圧力降下によって最小寸法が決まってくる (新しい「訳語」は「~前後の」という形容詞形用法)

次の例文を見てみましょう。上で述べたように、across を「~前後で」として訳すと、訳文は次のようになります。

To obtain the flow measurement, the square root is extracted from the differential pressure monitored across the orifice.

オリフィス前後で測定した差圧から 「(新しい「訳語」は「~前後で」という副詞形用法)

すなわち、水やオイルや空気などのように「流体」の場合には「前後」という「訳語」が、辞書には出ていませんが、ぴったりすることが分かります。

次の例文も前置詞 across を使った例です。

However, a high field-discharge resistance results in a high induced voltage across the field winding.

これも、acrossの周辺だけを直訳すると

界磁巻線を横切る高い誘導電圧

となります。across を「~両端の」と訳すと

界磁巻線両端の高い誘導電圧 「(新しい「訳語」は「~両端の」という形容詞形用法)

となります。across を使った英文をもう1つ見てみましょう。

The collector current is 75 times this and the output voltage developed across RL is 3,300 x 75 x v/1,000.
負荷抵抗RL両端に発生する出力電圧 「(新しい「訳語」は「~の両端に」という副詞形用法)

すなわち、電流や電圧などのように「電気」の場合には「~の両端の」とか「~の両端に」などいう言葉を使うのが自然であることが分かります。

アクションEJ:
手元の英和辞書の across の近くの空きスペースに鉛筆かボールペンで小さく「前後」と「両端」を添記する
アクションJE:
手元の和英辞書の「前後」や「両端」の近くの空きスペースに鉛筆かボールペンで小さく across を添記する

figure eight、figure-8-shaped(辞書になし)+(8の字、8の字型の)

技術文において、それほど頻出する言葉ではありませんが、この表現を知っておくと、8以外の言葉にも使えるので便利です。次のような使われ方をしています。

In early versions of the stellarator, the twist was accomplished by actually constructing the tube in the form of a figure eight.

It consists of a conventional core and support member, both of which are enclosed in a figure-8-shaped plastic sheath.

アクションEJ:
英和辞書の figure の近くの空きスペースに小さく「8の字」あるいは「8の字型の」を添記する

アクションJE:
和英辞書の「はちのじ」の場所に figure eight や figure-8-shaped などを添記する

include(含む、包含する、勘定に入れる)+(―― には~がある)

これは非常に頻繁に出てくる言葉ですが、「ある」という「訳語」を載せている辞書はほとんどありません。以下のような例文でよく使われます。

These accessories include fuel and lube-oil pumps, tachometer, and an electric starter generator.

アクションEJ:
英和辞書の include の近くの空きスペースに小さく「ある」を添記する

アクションJE:
和英辞書に「ある」の場所に include を添記する

porous(多孔質の、小穴の多い、窓の多い)+(穴だらけの)

これは、この連載の第2回で、別の切り口で取り上げたものです。英和辞書には「穴だらけ」という意味を載せているものもありますが、ほとんどは載せていません。載せている辞書でも、「穴だらけの守備」というような比喩的用法まで考えているかどうか、ことによると、「穴だらけの紙」とか「穴だらけの靴下」などのような用法かもしれません。したがって、porous defense という言葉で取っておくと、応用範囲が広くなります。

アクションEJ:
英和辞書の porous の近くに小さく「穴だらけの」と添記する

アクションJE:
和英辞書に「穴」の場所に「穴だらけ」という項目を作り、そこに porous と添記する

ここで取り上げたのは4点だけですが、英文を和訳する時、英字新聞や英文雑誌を読んでいる時、さらには原書を調べている時などに、精力的に収集していくと、非常に凝縮度の高いデータがたくさん収集できるはずです。つねに旺盛な意欲をもって収集作業を続けていくことが肝心です。

【筆者プロフィール】

富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 75

2011年 8月 28日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 74

Failed characters (Part 2)

No matter how heroically you drink booze and sing, if others figure out that you’re doing this in order to be thought of as a “hero,” you are no longer a “hero.” No matter what you say or do, if your intention to prove to others what kind of person you are (a “hero” for example), is detected, your words and actions (your heroic performance) will fail to come across as “heroic” and will not be accepted. However, sometimes this leads to the establishment of a composite character that incorporates that failure. Last time, we ended just as we began talking about failed characters (part 74).

For example, if a man’s intention to act the part of the “heartthrob” becomes self-evident, the character that would be assigned to that failed “heartthrob” is the “poseur.” The “poseur” is the failed character that results when one intends to act like a “heartthrob,” and this intent consequently leads to the failure of the “heartthrob” character.

Another example: when a woman acts cute in an attempt to be an “ojoosama,” and this intention is detected, that woman will be referred to as another type of character ― the “burikko.” The “burikko” is a failed “ojoosama” character.(1)

“Burikko” sounds modern enough, but it is in fact what was traditionally called a kamatoto. This name is derived from the disingenuous question: “Does fishpaste (kamaboko) come from fish (toto)?” From days of old, people have been feigning ignorance and detecting feigned ignorance.

The aforementioned “okama” too could be called a type of failed character that results when a man’s intention to perform as a “woman” character is revealed.

Here, my response to our previous problem (see part 73) is unchanged. That is, in talking about “gender” I looked at the “man” and “woman” characters, but not the “okama” character. One could question whether four perspectives is enough, but this question treats “characters” and “verbal characters” as one and the same.

Indeed, the “okama,” as a male, or rather female, failed character is important in considering the topic of “character.” Inasmuch as the “okama’s” manner of speaking is not significantly different from that of the “woman,” it is probably safe to consider the “gender” of this verbal character to be “female.”

Naturally, the speech of the “okama” and the “woman” probably do have some differences. For example, “okama” frequently say the phrase atashitachi okama wa (we okama…) but a “woman” would not. However, we can explain this via common sense ― an okama is an okama; a woman is not. It is not something we need to count as a problem of language (see part 27).

As I said last time, I don’t believe that verbal characters can be rigorously and sufficiently understood with just the perspectives of “class,” “status,” “gender,” and “age.” I think that these perspectives can be used to see just the major features. Granted, “major features” do not include the possibility of a speaker using the phrase “we okama…” when speaking of differences in “okama” and “women.” The point is that I brought up the “four perspectives” as they will serve for the time being.

Additionally, I should mention that in the Japanese-speaking community, not every character that fails becomes a failed character. One cannot assign a specific character to a foreign celebrity who is discovered to have been affecting a “foreigner” character with poor Japanese ability, but who is actually fluent in Japanese and Japanese culture. But maybe there should be a word for that kind of character.

* * *

(1) See Part 25 for more on the “burikko,” “ojousama,” and “kawaiiko” characters.

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 75

2011年 8月 28日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 74

破绽角色(下)

无论怎么豪爽地又喝又唱的,一旦被人发觉那是装出来的“豪杰”的话,那么他就不是“豪杰”了。说任何话或做任何行动时,想要表达“我是这样的一个人(比如是“豪杰”)”的意图,被别人识破的话,那他的言行(豪爽的举动)作为那种角色(“豪杰”)的言行是失败的,不被认可的。但是,有时候会因为这种失败而成就了另一个复合性角色形象。这就是破绽角色。在第74节中,话题进展到此就结束了。

例如,想扮演“二枚目(Nimaime, 美男子)”的表现意图表露在外的话,对这种作为“二枚目(Nimaime, 美男子)”而失败的人物会被附上叫“キザ(Kiza,装腔作势的人)”的角色形象。“キザ(Kiza,装腔作势的人)”角色形象是指,意图要演“二枚目(Nimaime, 美男子)”角色形象,但正是由于那个意图而没能成为“二枚目(Nimaime, 美男子)”角色形象而形成的破绽角色。

再例如,想要演“千金小姐”,却被人看穿是在故意装可爱时,那个人物就会被称为“ブリッ娘(Burikko, 装纯真可爱的女孩)”。也就是说,“ブリッ娘(Burikko, 装纯真可爱的女孩)”是因“千金小姐”角色失败后形成的破绽角色。

“ブリッ娘(Burikko, 装纯真可爱的女孩)”看似很现代,但其实跟自古以来的“カマトト(Kamatoto,假天真)”是一样的。这个名字来源于,明知故问地装天真地说“カマボコって、トト(魚)からできてるの?(Kamaboko-tte, toto-kara-dekiteru-no? 鱼糕是由鱼做成的吗?)”。可见,我们是从以前开始就这样,互相装蒜,互相看穿着走过来的。

另外,可以说,在上次起成为问题的“オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)”就是一种,暴露了装扮“女人”的意图而形成的破绽角色吧。

此后将要论述的内容跟对另外一个疑问进行的答复(见第73节)是一样的。即,“关于话语角色的‘性别’,论述了‘男人’和‘女人’,却没有论述‘オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)’。仅仅4个角度是不够的吧?”。这个疑问是错将“话语角色”和“角色形象”视为同物而引起的。

的确,在考虑“角色形象”时,“オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)”是个重要的角色形象之一。是破绽角色之雄,不,是雌吧。但是,如果说,“オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)”的说话方式跟“女人”没有多少区别的话,从话语角色的“性(别)”角度来说,可以将她归纳到“女人”里吧。

当然,“オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)”和“女人”的说话方式也不尽相同。例如,“オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)”可以经常说“あたしたちオカマは(Atashi-tachi okama-wa, 我们男同志)”之类的话,而“女人”绝对不会这样说。但是,这样的区别用“‘オカマ(Okama)’是‘オカマ(Okama)’,而‘女人’不是‘オカマ(Okama)’”的理由就足可说明清楚。用不着将它当做是语言的问题来讨论(请参照第27节)。

在上一节也叙述到了,我并不认为“品(格)”、“格(调)”、“性别”、“年龄”这4个角度可以全面地覆盖整个话语角色。不过,主要的部分还是可以观察到的吧。例如,关于“あたしたちオカマは(Atashi-tachi okama-wa, 我们男同志)”之类的“オカマ(Okama)”和“女人”的区别,不包括在“主要的部分”当中,所以可忽略。提出“4个角度”的本意在于我认为暂且这个分类足够了。

再附上一句,在日语社会中,并不是每个角色形象的失败都有备用的破绽角色存在着。比如说,本来应该是日语说的不怎么好的“外国人”明星,被人发觉到那其实是装出来的,事实上是精通日语和日本文化的时候,就不能说这个失败的角色是某某角色了。

嗯,下一节该是探讨这类语言现象的时候了。

角色大世界――日本 76 >>

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第165回 (2) 上越弁 高田言葉のCD(新潟県上越市)

2011年 8月 27日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第165回「上越弁 高田言葉のCD(新潟県上越市)(2)」

<< CDの内容については(1)へ

製作者へのインタビュー

 「おまんた えますぐ使える えっちょまえの上越弁」の脚本・演出など、全般にわたって関わられた滝沢いっせいさんにお話を伺ってみました。

 ●脚本の場面は、どのように選ばれましたか?

 「やわやわ生活篇」は、ひと組の家族や井戸端会議の奥様方を軸に、日常生活のなかで、どのように高田言葉が使われるかを主眼に構成しています。非日常的なシーンよりも、聴く方だれもが、「自分ならこうしゃべるところだ」「標準語ならこう話す」と想像できる、ごくありきたりな日常の方が、高田言葉の特徴をつかみやすいと考えたのです。

 シーンは、全くの想像で書きました。が、川に落ちた人の話などは実話です。

 「高田の四季篇」は、高田在住者なら誰でも知っている市民歌「高田の四季」からタイトルだけをもらいました。

 憲法前文は、いろんなお国ことばで言ってみると……という運動が全国でなされており、それに乗っかって行なってみました。

 ●録音で苦労されたことはありますか?

 高田言葉の部分は、地元の読み語りの会のメンバー、地元のアマチュア劇団の座長さんらにお願いしました。60代のご婦人方は、案に相違して、高田言葉をあまり話せなかったので苦労しました。高校生の若者たちも全く話せませんでした。監修者にもなった有沢栄一さんを主とした指導によって、なんとか形にできたというところです。

 ●CDを購入された方の反応はいかがですか?

 概ね好評のようです。「もっと簡単なものかと思ったら、ちゃんとしていて驚いた」などの声を聞いています。また、故郷を離れて首都圏等にいらっしゃる方々からは、「郵送前から待ち焦がれていた」「聞いて涙が出た」「父母や祖父母を思い出した」といった声を寄せていただいています。

 ●上越市内の全小中学校に寄贈されたとのことですが、反響はいかがですか?

 直接のリサーチはしておりません。残念ながら、あまり活用されていないかも……と感じています。

 ●直江津言葉の製作も計画されているとのことですが……。

 資金のめどが立ちませんが、関西に近い糸魚川言葉にも、興味を持っています。

 追加情報ですが、今年度中に、「新潟ことばシンポジュウム」を開こうと、有沢さんとともに計画しています。各地からネイティブスピーカーを集め、寸劇あり、お国自慢ありの楽しいものにしたいと考えています。

 

 地域の言葉の過去と現在、そして未来を見つめた企画だということがわかります。こうした動きが各地に広まると楽しいですね。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

大橋敦夫先生監修の本大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

地域語の経済と社会 第165回 (1) 上越弁 高田言葉のCD(新潟県上越市)

2011年 8月 27日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第165回「上越弁 高田言葉のCD(新潟県上越市)(1)」

CDの内容

 「おまんた えますぐ使える えっちょまえの上越弁」と題するCD(2枚組)が作られました。

 子どものころから慣れ親しんできた上越市高田地区の言葉が、だんだん使われなくなっていくことに寂しさを感じていた有沢栄一さんの企画によるもので、次のような構成になっています。

(写真はクリックで拡大します)


【写真 上越弁高田言葉CD】

上越弁 高田言葉 その壱 やわやわ生活篇

  1.朝 今日も始まる幸せな一日
  2.兄弟姉妹の呼び方
  3.生きいきした動詞
  4.これであなたも聞き上手
    高田言葉の簡単な挨拶
  5.酒場にて 「おまん、きないや」
  6.「そ」だけで成り立つ相槌
  7.酒場にて 「どっさんがん飲んだ」
  8.あくたもくた(罵詈雑言) その1
  9.酒場にて 「ああえっぱい食った」
  10. えちゃぽんさげた!

上越弁 高田言葉 その弐 高田の四季篇

  1.お正月
  2.運動会 血だらまっか
  3.生きいきした動作表現
  4.高田言葉訳 吾輩は猫である
  5.あくたもくた(罵詈雑言) その2
  6.朝市
  7.「なぐるぞ、蹴るぞ、くすぐるぞ」高田言葉 喧嘩の仲裁 兄貴の花道
  8.高田ならではのオノマトペ
  9.高田言葉訳 日本国憲法前文 後段より
  10. 春夏秋冬 高田の四季
  11. えちゃぽんさげた!

 子どもの教育に役立ててもらおうとの思いも込められているためか、ナレーションは、落ち着いた声で、語学講座のようにプログラムを進めていきます。

 それぞれ、40分ほどの内容ですが、

  「おまんた」[=「あなた」の敬称]
  「ばらこくたい」[=めちゃくちゃ]
  「じょんのびする」[=のんびりする]

など、高田言葉特有の語が取り上げられる一方、

  「えますぐ」[=いますぐ]
  「えっちょまえ」[=いっちょうまえ・一人前]

のような、「い」と「え」の交替についても織り込まれ、CDならではの生き生きとした会話が展開されています。

 また、高田言葉訳の「吾輩は猫である」や「日本国憲法 前文」もあり、方言で語られると、深みや説得力が増すようにも感じられます。

製作者へのインタビューは(2)へ >>

* * *

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

大橋敦夫先生監修の本大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:「囍」と東アジア

2011年 8月 26日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第123回 「囍」と東アジア

 ベトナム人は、「福」のほかに「心」という字も好むようだ。「心」は、日本人だけでなく中国の人も好きで、紙に大きく書いて貼っているのを見たことがあるが、こういうふうに1字だけ書いたものを、ベトナムほどたくさんは売ってはいないように思える。元は心臓(子供のそれと指摘する方がいた)の象形文字として即物的な文字であり、ハートマークとの関連も想起される。台湾の人は、「心」1字が街に貼ってあれば、何かの宗教のようだと評したが、ベトナムに並ぶ「心」「忍」などからは、日本と通じる精神性が浮かんでくる。「心」「忍」「徳」「禄」「壽」などは、縁起物に書かれて、よく販売されている(第94回第103回第114回)。三教と民間信仰などに支えられた価値観なのだろう。「登科」という字には、科挙の受験社会としての名残が読み取れる。

(画像はクリックで周辺も含めて拡大します)

「天心」など。文廟前のお香・宗教用品店の看板に。

泰山石敢當。元を撃退した武将と皇帝、祠を修理した
儒者ほかを祀るために18世紀に建てられた玉山祠で。
「石敢當」は中国や沖縄でもこの3字が見られる。

 つまり、ベトナムでは縁起物・土産物・宗教用品に、漢字が書かれるのである。提灯・古銭の模型に見られるのも、その延長線上にとらえられよう。縁起物の布袋像の土台に鋳込まれた漢字列となると、中国製かどうか見分けが付かない。

 社名に見られる漢字は、ロゴとしてのものであり、ベトナム人向けに古来の印象や中国の雰囲気を作り出すためか、中国人に見つけてもらったり読んでもらったりするためであろう。寺社は、新しい建物でも漢字を用いている。それも横書きの扁額、祭壇の類は右から記しているものがあり、伝統を継承しようとする姿勢がうかがえる。

 漢字は、第一義的には現代の中国語を、表記しているとみられるものも多かった。もちろんそれは、古典漢文と共通するものもある。ベトナム語と単音節語、孤立語、声調言語などの性質や語彙に共通点が多い。なおかつ、歴史的、経済的、文化的にも接点が多く、学習者・習得者が多い。中にはベトナム語としてもそのまま理解できるものもある。

 中国語の看板には、文章もあるが、やはりロゴタイプのほうが多いようだ。中華料理の店以外は、主に中国・台湾からの観光客など中国人向けで、中国語として読んでもらうためのものであろう。繁体字は台湾人向け、簡体字は中国人向けのように単純には思えようが、古来の俗字体や筆写体も見受けられる。これは、中華街においても同様なのだろう。


禁煙(簡体字)区。掲示に。

功徳箱。文廟で。繁体字、中国語であろうか。
日本語としても読める。


列火の部分の「一」が抜けた明朝(宋)体。

 漢字を日常的に使い慣れていないことは、以前に触れたようにその筆跡にもうかがえるようだが、そのためであろうか誤字と言わざるをえない例も散見された(例:一番下の写真)。

 さらに、赤い字の「囍」がマークとして、車の前後の窓ガラス・建物・店先・菓子の包装などに非常にたくさん見受けられた。マイクロバスの前のガラスに何度も見つけ、家内が繰り返し指摘する内に、やがて私の目にも入るようになった。昨年の当て字辞典編纂のせいか歳のせいか、少し目が見えにくくなった。これでメガネを取り換える決心も付いた。時には車体の後ろにもそのマークが付けられている。店の入り口の横にも、時には左右に貼られていた。

 家内は、これがベトナム滞在中に一番よく見る「漢字」だったという。この日本とは細部が違う、「」という形であることも中国風だ。このマークは、中国で明清のころから流行っているもので、二人の喜びを端的に表現していたものである。宋代の王安石まで遡るとの伝承もある。ベトナムでは、剪紙よりも、筆字風のシールが多かった。縁起物なのに、剥がれかけたものも街中で見られた。

 ベトナムの先生たちによれば、昔から結婚式で使われ、結婚(式)を表すとのことで、中国の影響が濃いことがうかがえるが、使用している車や壁面の例を見ると、中国での結婚式よりも、意味が広がっているようだった。ホアンキエム湖近くの旧市街の紙細工店が並ぶ通りで、色々な店にこれがたくさん売られていたそうだ。私の講義している時間に、口がハート型になっている物なども、家内たちが写真に撮っておいてくれた。ただ、そこここにある洋風の結婚式の衣装屋に、それは見当たらなかったが、キリスト教の十字架のある建物の下にはあったとのこと、用途が種々に複雑化しているようだ。

 「囍」は、日本ではラーメンの丼の模様としてすっかり定着しているが、文字としての用途も生じており、JIS補助漢字や第4水準に採用された。韓国でも文字として、それも国字とみなされることもあり、寺の壁面や陶器の底にも書かれるようになった。土産に買ってきた陶磁器を見て、母はこれが底に書かれていなければよかったと残念がっていたのを思い出す。ベトナムでは、「喜」という字は皆がよく知っている漢字なのだそうだ。その意味を知らない人もいるが、そのままこのマークを使っているとのことだ。

 中国の人が何となく発するxi3という語形のとおりに読まれることがあるが、非言語表記のシンボル・記号として、ベトナムでも根付いて使われているようだ。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月23日販売会社搬入、まもなく店頭へ)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「福」の広がり」でした。前回に引き続き、単行本化を記念して、おめでたい字の話題をお寄せいただきました。

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「百学連環」を読む:知識の樹木/知識の連環

2011年 8月 26日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第21回 知識の樹木/知識の連環

 西先生は、百科事典としての「エンサイクロペディア」を紹介した後に、その用法を説明します。こんな具合です。

則此書に就て知らんと欲するところの學科を引出して穿鑿するの具に供す。元來此のEncyclopediaなる書は、百般の學科を擧て記載せるものにて、一々之を枚擧するに暇あらす。故に唯タ學術に相關渉して要用とするところのミを擧け、且つ和漢のことを斟酌して説諭する所なり。

(「百學連環」第1段落第7~9文)

 現代語訳はこうなるでしょうか。

学者は、この書物に当たって知りたいと思う学科を引き、綿密に調べ進めるための手立てとする。もともとこの「エンサイクロペディア」という書物は、それこそあらゆる学科を記載してあるものなので、〔この講義では〕一つ一つ枚挙してゆくわけにはいかない。そこで、学術に関連する肝心なところだけを挙げて、〔同書はもっぱら欧米に関する書物なので〕和学や漢学のことも照らし合わせて解説することにしよう。

 どうやら「百学連環」講義自体は、書物としての「エンサイクロペディア」を下敷きにしているようです。とはいえ、ここで現在私たちが知っている「百科事典」を念頭に置くと、少し変な気がするかもしれません。というのも、私たちが使っている「百科事典」は、学術に限らず事物全般についての知識を集積したものだからです(もちろん、その知識は諸学術によって探究されてきた成果なのですが)。

 しかし、当時の「エンサイクロペディア」は、西先生が解説しているように、諸学術を総覧するという構えのものが多々ありました。実際、タイトルに『Cyclopaedia, or General Dictionary of Arts and Sciences』などというように、「諸術(Arts)」と「諸学(Sciences)」という文字が入っているのをよく見かけます。アートとサイエンスがそれぞれ複数形であることにも注意しておきましょう。さまざまな術、さまざまな学についての「エンサイクロペディア」というわけです。ついでながら英語ではしばしば語頭の「En」が略されて「サイクロペディア(Cyclopedia)」と書かれることがあります。

 さて、イメージを膨らませるために、もう一つ補助線を引いておきましょう。『オックスフォード英語辞典(OED)』でencyclopaedi, encyclopediaを引くと、大きく四つの項目が出ています。試訳を添えて引用してみます。

1. The circle of learning; a general course of instruction.
  学問の体系〔円環〕。教育の一般科目〔講座〕。

2. A literary work containing extensive information on all branches of knowledge, usually arranged in alphabetical order.
  知識のあらゆる部門〔枝〕に関する広範な情報を含む著述作品で、たいていはアルファベット順に配置されているもの。

 また、ここでは省略しますが、この二番目の分類の下位項目(2b)として、とりわけディドロとダランベールの『百科全書』を指すという用例が紹介されています。

3. An elaborate and exhaustive repertory of information on all the branches of some particular art or department of knowledge; esp. one arranged in alphabetical order.
  特定の技芸や知識分野のあらゆる部門〔枝〕に関する精密で網羅的な情報の蒐集。とりわけアルファベット順に配置されたもの。

 1番の定義は、まさに前回まで見てきた講義としての「エンサイクロペディア/エンチクロペディー」に通じるものですね。2番と3番は一見するとよく似ていますが、やはり違うものを指しています。つまり、2番は「知識の全部門」に関するいわゆる「総合百科事典」を指しているのに対して、3番は特定分野の「専門百科事典」のことを言っているわけです。

 というのも、上では引用しませんでしたが、3番に併記された歴史的用例を見ると、『機知の百科事典(The Encyclopaedia of Wit)』(1801)とか『歌の百科事典(The Vocal Encyclopaedia)』(1807)などなど、大変気になる書物のタイトルが並べられているのです。これらは「全学術」ではなく、特定分野についての百科事典です。この伝で行くと、筆者が子どもの頃夢中になって読んだ『ウルトラマン大百科』(勁文社)なども、この類に入りそうです。

 それはともかく、ここでもう一つ注目しておきたいのは、「部門〔枝〕」と訳したbranchesという言葉です。これはフランス語、ラテン語、ギリシア語に語源を持つ語ですが、いまそのことは措くとして、「知識の部門〔枝〕」というように、知識のつながりが樹木に生い茂る枝葉としてイメージされているのを見逃さないようにしましょう。

 人が知識をどのように可視化、図像化するか、してきたかということは、大変興味ある問題です。ヨーロッパでは、古くから知識の全体を樹木として捉える発想が見られます。もっと言えば、(学術)知識だけではありません。系統樹という形で、家系や生物や言語といったさまざまな対象の関係が描かれてきました。

 近年、進化生物学や生物統計学の研究者でもある三中信宏先生が、『系統樹思考の世界』(講談社現代新書、2006)をはじめとする一連の著作や、目下ウェブ連載が進行中の「系統樹ウェブ曼荼羅」(NTT出版)などで、系統樹の歴史や広がりについて探究・紹介しておられます。

 実に魅力的な世界なのですが、ここでは深入りしたい誘惑を退けて最小限のことを申せば、知識全体を樹木として捉えるということの意味を考えておく必要があります。つまり、知識はそれぞれがバラバラにあるのではなく、根や幹があって枝葉を伸ばす一本の樹木という形で、相互につながりあっているということが含意されているのです。このことが、branchという言葉に引き継がれています。

 これに対して西先生の「百学連環」という円環的なイメージとこうした系統樹的なイメージとは、どのように関わり合うのでしょうか。そんな問いを念頭に置きながら、先に進むことにしましょう。

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=者(U+FA5B)

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

談話研究室にようこそ 第10回 『ハリー・ポッター』の呪文

2011年 8月 25日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第10回 『ハリー・ポッター』の呪文

 『ハリー・ポッターと賢者の石』ではじまるJ. K. ローリングの7作のシリーズは,言わずと知れた魔法使いの少年,ハリー・ポッターを主人公とするファンタジー小説です。この『ハリー・ポッター』シリーズでは,設定上,作品のそこここに魔法の呪文が出てきます。

 そこで,問題です。

 (問題その1)あなたが作者なら,呪文をどのようなものにしますか?

 第8回9回では,呪文にはふたつのパタンがあることを見ました。真正型と普及型です。真正型呪文は,たいてい聞き手には理解できない難解なものです。「オン・アボキャ・ベイロシャノウ」ではじまる光明真言がその代表例でした。他方,普及型呪文は,[呪術的前付け+効能説明]のかたちをとり,呪文ではありながらも何の呪文か分かるようになっています。たとえば,「テクマクマヤコン,テクマクマヤコン,沢穂希選手になーれ」がその例です。

 子供向けのアニメなどでは,この普及型呪文が幅を利かせています。呪術的前付けをお約束として一つ考案したら,後はこれですべて事足りるからです。しかも,子どもはお約束の決まり文句をわくわくしながら待ち受けているものなので,なおさら都合がよい。さらには,何の呪文か説明がなされるので,話の筋を理解するのにも便利です。

 これを『ハリー・ポッター』でやったらどうなるでしょうか?

 『ハリー・ポッター』には大人の魔法使いも登場しますので,全編,普及型で通せというのは,ちょっとキツイですよね。あまりに子供っぽくなってしまいます。映画になったらなおさらです。スネイプ先生役のアラン・リックマンが,テクマクマヤコン的な呪文を例の低いソフトな声で唱えるのは,正直,つらいものがあります。ほかの映画を見るときまで影響してしまいます。もう,クリスマスには映画『ダイハード』を観るという楽しみが台なしです。(スミマセン,脱線してしまいました。あの,ちなみにこのスネイプ先生は『ダイハード』で血も涙もない悪役をリアルに演じております。)

 もとより,普及型なら「アブラカダブラ」のような呪文をひとつ覚えたらいいわけで,だったら,ホグワーツ魔法学校で魔法の勉強する必要がなくなります。作品の世界観までぶち壊しです。

 つまり,作品の必然としてここは真正型呪文でなければならないのです。というわけで,『ハリー・ポッター』では,さまざまの(少なくとも見かけ上は)真正型の呪文が登場します。

 そこで,さらに問題です。

 (問題その2)真正型呪文をいきなり登場人物が唱えだすと,読者はなんのことか分からず戸惑うかもしれません。これにはどう対処すればいいでしょうか?

 (問題その3)真正型呪文ですと,魔法の数だけ呪文を作らねばなりません。ランダムに得体のしれない呪文を作ると,すぐにネタが切れてしまいそうです。何かいい方法はないでしょうか?

 まずは,(問題その2)から考えてみましょう。と,そろそろ調子が出てきたところですが,続きは第11回で。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

クリストファー・レイサム・ショールズ(1)

2011年 8月 25日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第1回

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タイプライターの父、ショールズ(Christopher Latham Sholes)は、1819年2月14日、ペンシルバニア州のムーアズバーグに生まれました。18歳の時に、兄のチャールズ(Charles Clark Sholes)を頼って、ウィスコンシン準州のグリーンベイに移り住み、兄のもとで新聞編集に携わりました。21歳になったショールズは、サウスポート(1850年4月ケノーシャ市に昇格)に移り住み、1840年6月16日にサウスポート・テレグラフ紙を創刊、みずから編集長となります。翌1841年2月4日に結婚、生涯に少なくとも11人の子をもうけました。29歳の時には、兄チャールズともどもウィスコンシン州議会議員に立候補し、見事当選、その後は新聞編集者と議員を兼任しています。

1853年10月、ショールズは、オシュコシュの新聞経営者デンスモア(James Densmore)と共に、奴隷制廃止・黒人参政権を軸とする政治色の強い新聞の発刊を計画しましたが、経済的理由で頓挫、代わりにショールズは、ケノーシャ・テレグラフ紙(1850年4月にサウスポート・テレグラフ紙が名称変更)の経営にデンスモアを招き入れました。実は、ケノーシャ・テレグラフ紙の経営も火の車だったのです。デンスモアは、ライバルのケノーシャ・トリビューン紙との合併を画策し、2紙は1855年1月にケノーシャ・トリビューン・アンド・テレグラフ紙となりました。しかし、ケノーシャ・トリビューン紙出身の編集者たちと、ショールズは反りが合わず、1857年4月にショールズは同紙を辞職、ミルウォーキーに移り住みました。

ショールズが発明に目覚めたのは、シンシナティから来たソレー(Samuel Willard Soulé)との出会いがきっかけでした。ソレーが自分の発明品『新聞に宛先を印字する機械』を、ミルウォーキー・ニュース紙に売り込みに行ったところ、同紙のゴッドフリー(George Godfrey)が、ソレーをショールズに引き合わせたのです。1860年10月のことでした。ショールズはソレーの発明品に惚れ込み、その権利を買い取ると同時に、ソレーと共に新たな発明に取りかかりました。

ところが、1860年11月にリンカーン(Abraham Lincoln)が大統領になると、ショールズの周辺は急にあわただしくなりました。奴隷制廃止論者の共和党員だったショールズは、ウィスコンシン州の要職をまかされるようになったのです。ポトマック戦線の視察官、ミルウォーキー郵便局長、ミルウォーキー港の収税官など、多忙な職務の中、ショールズの発明熱はますます高くなっていきました。

(クリストファー・レイサム・ショールズ(2)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、8月25日から毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

漢字の現在:「福」の広がり

2011年 8月 23日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第122回 「福」の広がり

 「福」というめでたい字は、中国はもちろん韓国からの年賀状でも、キーワードとして用いられている。韓国では、宝くじは「福券(복권)」と今でも言うし(日本では歴史的な用語となった)、不動産屋のことは「福徳房(복덕방)」と言っていた。それぞれ、ありがたそうだ。日本でも「福」は同様にめでたがられ、年賀状にも登場するし、福笑いは正月の古典的な遊びとなった(だいぶ日本的なお多福顔に見える)。「福」は、ベトナム語の年賀状にも、ローマ字で登場する。ベトナムでは、年号(元号)が行われていた。中国よりも時代としては短い期間であり、また中国の年号を用いた時もあったにもかかわらず、中国以上に「福」が多用された。阮福映(暎)など、皇帝の名にも「福」は愛用されていた。

(画像はクリックで拡大します)

玉山祠で。「福」の字好き。第106回も参照。

 「福」を上下倒して貼る風習は、ハノイでは中華料理の店でしか見かけない点も、日本と似ている。「倒」と「到」とで発音が似るところから「福到了」と掛けたものだ。これには中国らしい故事があるが、ともあれ縁起担ぎである。「諧音」という、漢字の字体よりも字音を重視した中国流の現象といえる。「形声文字」も漢字の90%を占めるとも言われるが、「諧声文字」とも呼ばれた。いろいろな本に書いてあるように、コウモリも「蝙蝠」の2字目が「福」と発音が一緒だとして珍重される。日本人は、コウモリだけでなく、その「福」がひっくり返っているさまを見れば、達磨さんが転んだを想起するとも限らないが、形状からマイナスの印象を抱くようだ。むしろ、漢字の古い造字法が身に染みついているのかもしれない。

 日本人は、概して漢字という文字が好きで、個々の漢字に対する好みも各人にあったりする。好き嫌いは、効率性や合理性などの論理を時に超える感覚だ。中国からの女子留学生は、漢字をかわいいと思ったことがない、と語った。しかし、日本人は「苺」という字がかわいい、などと語ることをしばしば耳にする。かつては、好きな字は「愛」が一位で、「誠」が二位だ、などとアンケート結果が報道されたものだ。今でも「心」が一番となった、などと聞く。嫌いな字も、「嗤が個人的にイヤだ」、また、「姐の字がダメだ」などと語る人々がある。辛い思い出がよみがえるから、バランスが取りづらいからなど、理由は様々なのだが、精神に絡まった状況を生み出している。

 ひらがな、カタカナやローマ字など表音文字には、そうした感情が浮かびにくいであろう。異質な文字体系を融合させて大きな文字体系をなしたことで、比較対象を得た日本の漢字は、特別な地位を獲得したのである。そのときに漢字は、個々に具体・抽象の意味をもつばかりか、個々人の感覚やニュアンスをも帯びやすい象形文字の風情を有し、それでいて幾何学性も兼ね備えた形態を呈する。そうしたことと結びついて生じる意識なのであろう。

 訓読みを定着させなかったベトナム人ではあるが、ローマ字をやはり外から得たことで日本の状況に近い情感をもつことがあるのかもしれない。そして、そういう情緒性を周辺に感じ取れる文字があるとすると、やはりこの漢字ではなかろうか。


出店の書道屋。

 街の中では、大きい字をゆっくりと一筆ごとに書いている書道の出店を見かけた。老人が一字を書き上げている様子だった。書道作品を書く人が街にあることは、中国にも見られるそうだし、韓国でもカラフルにデザインして書き上げてくれる職人のような方がいるのだが、ベトナムや韓国では逆にいうと、漢字が専門家だけの文字となっている。その人に頼まないと筆字は書けない、という状況の裏返しのように思える。ベトナムでは書道は中国同様に技術としての性質を現すかの「書法(トゥーファップ)」、韓国では書道は芸術となっているようで「書藝(芸・ソエ)」と呼ばれている。日本の精神修養を兼ねたような「道」を含む「書道」ではない(元は中国に端を発した語だが)。

 風景としての漢字は、雰囲気を作るという点では共通だが、日本では日常生活の中でも、ほぼ全員がそれを何となくでも読んだり理解したりしているのに対して、ベトナムでは一部の人が学芸の対象としてのみそれを読んでいる、という差が際立つのである。

 ハノイの街の書道屋は、芸術品として、同時に縁起物として漢字を生み出す。文章よりも単字か熟語レベルが多い。儒教的、ときに仏教的なキーワードを筆で書き、あるいは工芸品、印刷物となって、額に入れて飾りたてまつる対象となっている。やはり個々人が書いて生み出すものではすでになく、プロや特定の人が担うものなのだ。中国や日本では、なお毛筆が義務教育で教えられており、日本では文具コーナーでも頼めば宛名などを筆で、とにかく書いてくれたりするものだ。ベトナムでは、おそらくそれは失われている。

 「福・禄・寿」、好まれるのはおめでたい意味の漢字だ。「幸福」も見られる。韓国人が、現代のベトナム語を聞いて、発音が似ている、と驚いていた語である。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月23日販売会社搬入予定)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は、この連載が単行本になるのを記念し、ご寄稿いただいた「『漢字の現在』単行本化と画数の多い漢字」でした。今回と次回は単行本化を記念して、おめでたい字の話題をお寄せいただきました。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 74

2011年 8月 21日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 73

Failed characters (Part 1)

I’ve spoken about verbal characters from the four perspectives of “class,” “status,” “gender,” and “age” (parts 5772), and answered my own imagined question of whether four perspectives are enough (previous). However, we could ask this same question differently from how we asked it last time. For example, in talking about “gender” I looked at the “male” and “female” characters, but not the “okama”(1) character. One could ask if this is acceptable. So today, I’d first like to explain the concept I’m calling “failed characters.”

Firstly, outside the context of play, character is completely incompatible with any intention to express something — I cannot emphasize this enough. For example, if one wants to be thought of as a “hero” character, one must, like the “fake Natsume Tosho” in Yamamoto Shuugoroo’s Gooketsu Bayari (1940), meticulously behave heroic in all matters, while not letting on in the least that one is putting on an intentional performance. (My apologies to the esteemed Mr. Shugoro for spoiling the plot of his story.)

When Tosho came to the manor, he had indeed mastered heroism of word and deed. Upon waking, he would not budge, and literally drink sake as if he was bathing in it. When he became drunk, one could often hear him singing in an inordinately loud voice:

-Ah, yanresano yanresano, ah, yanresano yanresano yanresano.

The way he would endlessly recite this phrase, regardless of complaints, was truly sublime, and made me realize that a hero does not concern himself with trifles.

-Ah, yanresano yanresano, what’s wrong with you guys? Why are you looking so shifty-eyed? Make up your mind to drink! Heroes don’t get uptight over minor things. I, Natsume Tosho, accept you for who you are! Let’s sing! Yanresano, ah yanresano yanresano!

That’s more or less how it would go.

[Yamamoto Shuugoroo, Gooketsu Bayari 1940]

All he had to do was let slip his express intention — “if I drink and sing this much, people will think I’m a ‘hero’” — to shatter his image as a “hero” character. I have said this all along in this series, soon after it began (part 3).

Now, suppose that a certain person has been secretly performing a certain character, when their intention is detected by another person. Oh no! In this case, that person has already failed as a character, and their performance ceases to be effective.

However, sometimes, due to such failure, the person must establish a sort of separate composite character, apart from the character they were aiming for. This is what I refer to as a “failed character.” (To be continued)

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(1) See footnotes in Part 44 for an explanation of the word “okama.”

An Unofficial Guide for Japanese Characters 75 >>

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Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 74

2011年 8月 21日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 73

破绽角色(上)

从“品(格)”、“格(调)”、“性别”、“年龄”的4个角度描述了话语角色之后(见第57节第72节),在上节回答了可预想到的疑问:“4个角度足够吗?”。对此,或许还有人会以其他的含义来问“4个角度足够吗?”。例如,也许有人会问:“关于‘性别’只分为‘男人’和‘女人’,却没有论述‘オカマ(Okama, 娘娘腔,男同志)’,这样可以吗?”。在此,让我从“破绽角色”开始进行说明吧。

除玩耍的语境外,角色形象与表现意图无关。对这一点无论怎么强调也不会过头。比如,如果想当“豪杰”角色的话,就得像在山本周五郎的《豪杰》(1940)中出现的“假夏目图书”那样。就是,所作所为要周到、豪爽至极,并且一点也不可以让人觉得做作。(周五郎老师,非常抱歉揭穿创作真相了。)

事实上,自图书来到大宅院后,其言谈举止非常豪爽。从一大早起来就稳当当地坐下来纵酒。喝醉后就会以节奏和调子异常离谱的声音放声高歌。仔细听的话是这样唱的:

――ああ やんれさの やんれさの ああやんれさの やんれさの やんれさの (Â yanresano yanresano âyanresano yanresano yanresano)。

虽只是同一句话无休止地罗列着。但,正是这种不拘泥于词句之处壮烈的会让人觉得豪杰就应该这样不计较细枝末节。

――ああやんれさの やんれさの (Â yanresano yanresano),你们干什么?东张西望什么? 来来来,快来开怀畅饮。豪杰莫为小事愁,你们的事通通都包在我夏目图书身上。来唱啊,やんれさの ああやんれさの やんれさの (Yanresano âyanresano yanresano)。

大致就是这么一回事。

【山本周五郎《豪杰》(1940)】

倘若流露出那么一点点“我这么又喝又唱的,应该觉得我够‘豪杰’了吧”等的表现意图的话,那么这个“豪杰”角色的形象就会马上支离破碎掉。对此在本连载刚刚开始之后(第3节),一直就在论述。

那么,假设某人物暗中演绎着某角色形象,但是一不小心他的意图被别人识破了。那么此人作为该角色形象就很失败,不会被人认可。

但是,有时候会因为这一失败而演变成一个不同于目标角色的别的复合性角色形象。这就是我所说的破绽角色。(待续)

角色大世界――日本 75 >>

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《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第164回 いやしの方言(福島県)

2011年 8月 20日 土曜日 筆者: 山下 暁美

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第164回「いやしの方言(福島県)」

 今回は、福島県会津若松市の方言を中心に紹介します。福島県は、南北に走る山脈の地形から、言語の分布も、太平洋岸の浜通り、中央部の中通り、もっとも内陸部にある会津若松市の3つの地域に分けられます。会津若松市は、昔から城下町として栄えてきただけに、上下関係を表す敬語が発達しています。

(画像はクリックで拡大します)
【写真1 休んでいがんしょ】
【写真1 休んでいがんしょ】

 店先の二つ並んだいすに「休んでいがんしょ」(休んでいってください・依頼形【写真1】)と書いてあります。お店の人に聞いたところ、歩くのに疲れた人がひとときゆっくり休んでいくのだそうです。親しい間柄のときは、もう少し命令口調で「休んでいがっせぇえ」(休んでいきなさい・命令形)と動詞との間に促音が入った「っせ」の親愛の表現を使うこともあります。

 「~しょ」(~てください)は、軽い敬意をもって相手に求める言い方です。福島県、群馬県、茨城県、長野県など関東甲信越地方に分布しています(第44回「もてなしの方言(関東・甲信越地方)」第155回「もてなしの方言(長野・再び)」参照)。第157回では、「~しょ」のつく言いかたの地理的な広がりが地図で示されています。日本語史における歴史的な位置づけができます。一地点でみると、社会的な使い分けも見えてきます。

【写真2 おわいなはんしょ】
【写真2 おわいなはんしょ】
【写真3 よってがんしょ】
【写真3 よってがんしょ】

 いすに座って見あげると、「よぐきらったなし。おわいなはんしょ」【写真2】と書かれたのれんが下がっていました。「おわい」は、「おはいり」または「お上がり」の意味です。江戸時代に「おわいー、おわいー」と客人を呼びこんだ形が今に伝えられています。

 「なはんしょ」は、相手を敬う言いかたで「なさいませ」、つまり、「いらっしゃいませ」という意味です。

 「よぐきらったなし」は「よく来られましたねえ」という意味ですが、「~なし」は、「そうだなし」「そうだない」「そうだね」というぐあいに「~ない」、「~ね」などに変化しました。「なし」は、敬意の表現です。

 ゆっくり休んだところでいやしの方言に招かれて、お客は、そのまま店内に入っておみやげを買うというぐあいです。

 【写真3】の「よってがんしょ」も【写真1】の「休んでいがんしょ」と同様、「しょ」の例です。「寄ってください」という意味です。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『海外の日本語の新しい言語秩序―日系ブラジル・日系アメリカ人社会における日本語による敬意表現』『書き込み式でよくわかる 日本語教育文法講義ノート』山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

「百学連環」を読む:書物としての「エンサイクロペディア」

2011年 8月 19日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第20回 書物としての「エンサイクロペディア」

 さて、これで「百学連環」冒頭の第5文までを読みました。続きを見て参りましょう。

併かし歐羅巴中Encyclopediaなる書籍あるは、甚タ許多にして、英國の如きはalphabeticalとて、我かイロハといふに同しく、彼のABC等の符を以て部分し、其符に依て種々の學科を引出す所の書籍凡そ十二卷とす。

(「百學連環」第1段落第6文)

 現代語訳を並べてみます。

ただし、ヨーロッパでは「エンサイクロペディア」という書物が何種類も刊行されている。イギリスでは「アルファベット順」のものがあって、私たちの「イロハ」と同じように、〔英語の〕ABCという記号で分けて、その記号によってあれこれの学科を引いて読むという書物が十二巻ほどのものがある。

 こちらの「エンサイクロペディア」は、前回まで追跡していた講義のエンサイクロペディアと違って、私たちにも馴染みのあるものですね。比較的近現代に近いところで言えば、それこそよく知られているディドロとダランベールたちの『百科全書(Encyclopédie)』や、彼らが当初翻訳しようとしていたイギリスのチェンバーズによる『百科事典(Cyclopaedia)』をはじめとして、19世紀末にかけての欧米ではこぞって「百科事典」が編纂されています。

 また、西先生がアルファベット順の分類について、わざわざ注釈しているのが目に止まります。明治以前の日本における「百科事典」風の書物では、ほとんどの場合、項目をアルファベット順/イロハ順ではなく、部門別に分類して並べていたことが背景にあると思われます。

 例えば、江戸時代に中村惕斎(てきさい, 1629-1702)によって編まれた『訓蒙圖彙(きんもうずい)』は、当世風に言えばさしずめ「挿絵入り百科事典」です。これを覗いてみると、その項目立てに目がゆきます。面白いものなので、並べてみましょう。

巻之一 天文之部
巻之二 地理之部
巻之三 居處之部
巻之四 人物之部
巻之五 身體之部
巻之六 衣服之部
巻之七 宝貨之部
巻之八 器用之部
巻之九 器用之部
巻之十 器用之部
巻之十一 器用之部
巻之十二 畜獸之部
巻之十三 禽鳥之部
巻之十四 龍魚之部
巻之十五 蟲介之部
巻之十六 米穀之部
巻之十七 菜蔬之部
巻之十八 果蓏之部
巻之十九 樹竹之部
巻之二十 花草之部
巻之二十一 雑類

 これは、『訓蒙圖彙』を後に増補した『頭書増補訓蒙圖彙大成』の「巻一」に入っている目録から取ったものです。同書は、早稲田大学の古典籍データベースで見ることができます。

 いかがでしょうか。いきなり「天文之部」から始まり、「地理之部」「居處之部」(住居・建築)、「人物之部」と続きます。「身体」「衣服」「宝貨」はよいとして、「器用」とはなにかといえば、これは各種道具のこと。「器用」の下には、紙や筆から始まって楽器やオモチャ、武器、乗り物などいろいろなものが並びます。ここまでは人間に関するもので、以下は動植物。まさに森羅万象を覆い尽くさんという広がりのある構成です。

 こう眺めてみてお気づきかもしれません。この『訓蒙圖彙』の目録は、大きく眺めると天・地・人(その他)というふうに並んでいます。これはつまり『易経』などに見られる中国古来の宇宙観、森羅万象を天と地と人の三つの要素「三才」で分類する知の枠組みです。天文、地文(地理)、人文といえば、学術名にもなっていますが、これは「天の文(あや)を読み解く」という意味でもあります。

 「三才」とは、中国における「百科事典」に相当する「類書」に採用された構成でもありました。例えば、明の時代に編まれた『三才圖會』は、書名そのものに「三才」が現れています。これを手本に寺島良安が編んだのが『倭漢三才圖會』でした。同書でも、天人地と順番こそ入れ替えていますが、三才が分類の枠組みとして使われています。

 日本の中世から近世にかけて編まれた「百科事典」風の書物は、中国の「類書」に倣っていることが多く、項目の立て方や並べ方も、アルファベット順やイロハ順のような語彙の音順ではなく、一種の宇宙観に従った整理の仕方になっています。

 こんなこともあって、西先生は「アルファベティカル」について一言したのではないかと思います。

 また、わざわざ「凡そ十二巻とす」と物量にも言及してくれているのですが、残念ながら力及ばず「百学連環」講義以前に刊行された12巻組のそれらしい百科事典を特定するには至りませんでした。これは今後の課題にしたいと思います。

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=卽(U+537D)

=徵(U+5FB5)

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「「百学連環」を読む」目次へ

筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

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