漢字の現在

第120回 漢字の現在、単行本に

筆者:
2011年8月9日

連載中の「漢字の現在」が単行本として、書店や図書館などに並ぶという幸いに恵まれた。このWEBで読んで、直接、間接に励ましてくださり、また情報をお寄せくださった方々、そして書籍の形に不眠不休で誠実に仕上げてくださった編集の方のお陰である。

連載は、まだまだ続くことになるが、とりあえず第108回までで、1冊にまとめてみた。世に百八煩悩というが、現代日本の漢字を中心として、文字や語から、字体や表記から、内側や外側から、身近なものや縁遠いものから、あれこれと目に付き、気になり、考え悩んだ経過と結果と見れば、なるほどもっともな数だと思う。そのうち、別の媒体に発表したものや、これから形を変えて公刊するものを除き、100回分近くを再編集したものである。

毎回アップしてもらった原稿のままでほぼいいかな、と初めは思っていたが、真っ白な校正紙を目の前に置くと、ついついあれこれと思い当たり、赤字を書き加えたくなる。WEBの画面と紙面とでは、そうとう雰囲気が異なるのである。横書きが縦組みにされただけでも、表情が全く変わってきてしまう。まず、口頭語的な表現は、紙メディアには似合わない。どんどん赤字が入る。画面上では気付かなかった誤植や遺漏も目に付いて、気にかかってくる。

そして何よりも内容も、一新したくなる。その時々で精一杯のことを書いているつもりなのだが、早いものでは4年近く経過した文章だ。私も今回、入稿する時点でその盛り込みは始まっていて、初校に及びそれが極まり、校正紙が真っ赤になるほど速筆による記入をしてしまった。初校だけでなく、再校でもそれは続き、編集や校正の方々には思わぬご面倒をお掛けしてしまい、申し訳ないことだった。そう思いながらも時間の限りそれは続けたのだが、物理的に可能なところまで許してくださった寛容さに、感謝するばかりである。

漢字などの日本の文字やことばを研究していると、これで完成で、もう安泰だ、という時はなかなか訪れない。子供の頃からずっと追いかけていても、追いついたという実感を得ることが難しい。なぜなら、漢字は、過去の情報は調べただけ見つかり、さらに現在も日々動きを止めずにいるからだ。変化や変異を含めて実態を追いかけていきたいので、毎日いや毎時、新鮮な逢着があり、ささやかな発見や思いつきも次々と立ち現れる。

むろん夥しい忘却も並行して起こるのだが、素材に関して新たに考え直すことが続く。変化に富む文字と同時代に生きる我々でも、文字は絶対性や保守性が意識を占めやすく、対象化しえないかぎり常識的な、いいかえると静的で閉じた存在として映ってしまう。その動態に気付きにくいのだ。つまり、今回、単行本化に当たって大いに増補訂正した訳は、テーマが漢字の「現在」だからである。

「ことばは生き物だ」と唱えた命題が聞かれる。「文字も生き物だ」という慨嘆も耳にする。しかし、それらはメタファーに過ぎない。ことばや文字それ自体に、固有の生命があるはずもない。それを生き物のごとく躍動させているのは、ほかでもない人間だ。そしてそれは一握りの政治家や官僚、学者ということではなく、それを読み書きするすべての人々なのだといえる。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

このサイトにて連載中の「漢字の現在」が、ついに、書籍になります。

書籍化にあたっては、連載を再構成のうえ加筆・修正をほどこし、それは、まさに日本の「漢字の現在」を映し出す一冊となりました。

発売は8月23日。これを記念し、笹原先生にひとことお寄せいただきました。