2011年 8月 のアーカイブ
2011年 8月 18日 木曜日 筆者: 内田 聖二
前回は、相手の話を受けて「実はそうなんです」という肯定的な応答と「実はそうではないんです」といった否定的な応答のふたつの意味に使うことができる in fact と actually について考えてみました。今回は同じく「実は」に意味が重なる、frankly と to tell (you) the truth を中心に述べたいと思います。
‘Frankly I can’t help you.’にみられる文修飾語としての frankly は frankly speaking の speaking が省略されたものですが、話しことばでは通例 speaking が省かれます(三省堂コーパスの話しことばでは speaking frankly の例は2例しかありません)。次に続くことを言う前に「率直に言えば」という前置きをして、これから言うことが相手にとって必ずしも好意的な内容ではないことを示唆する言い方です。本辞典から引用します。
2 実を言うと 《インタビューに答えて》 Frankly I am hesitant to respond to the matter for the present. 正直言いまして, 現段階ではそのことについてお答えすることは控えさせていただきます.
インタビューは質問に対して答えることが前提になっていますが、それを拒否することばが frankly のあとに続いています。
次の語義3では、前に言った内容に反することが続いています。
3 本当のところ, 実は Many people think singing in front of people is embarrassing. But frankly speaking, I love karaoke. 人前で歌を歌うのは恥ずかしいって思う人は多いよね. けれど, 実を言うと, 僕はカラオケが大好きなんだ.
これは、「僕」は「一般の人たち」とは違い人前で歌うことを恥ずかしいとは思わない、という前言と逆の内容を述べています。
なお、日本語の「率直に言えば」では speaking に相当する「言えば」をとると不自然な言い方になります。これは興味深い現象の一端で、たとえば、コンマで区切られたあとの because や等位接続詞の for には speaking にあたる語はありませんが、日本語の訳語が前の文を受けて「と言うのは」になることと似ています。
一方、to tell (you) the truth は否定的な言い方が続くことを暗示する傾向があります。本辞典からの引用です。
2 〈相手の期待に反することを言う前置きとして〉実は…なんだ “Who sent you that letter?” “Well, to tell the truth, I have no idea.” 「誰からの手紙なの?」「うーん, 実は見当もつかないんだ」
3 〈相手が期待していることと反対のことを言う前置きとして〉実は…だ, ところが…だ “How do you like that hat?” “To tell the truth, the hat you picked out doesn’t go with my blue suit.” 「あの帽子どう?」「実は, せっかく選んでくれたけど, 僕のブルーのスーツには合わないんだ」.
語義2では手紙の送り主が誰かわかっていると思って質問しているのですが、その前提を否定しています。また、語義3では「気に入ってくれている」のではと思って質問しているのですが、そのことと反対の応答が続いています。
同じような意味を伝える truth を用いた言い方に‘The truth is that. . . .’という構文があります。本辞典からの引用です。
2 〈衝撃的な事実を強調して〉実際のところは, 本当のことは “How old do you think Mary is? She says she’s thirty.” “Well, the truth is that she’s almost 50.” 「メアリーっていくつだと思う? 自分では30だって言ってるけど」「いやあ, 実際のところは, もう50才だよ」
これも先行する発話内容を否定する趣旨のことが続いており、「実は」にかかわる表現です。
【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論―伝達と認知―』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
『語用論の射程』(2011年)研究社
【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
2011年 8月 16日 火曜日 筆者: 笹原 宏之
漢字の現在 第121回 『漢字の現在』単行本化と画数の多い漢字
間もなく上梓する単行本には、周到な索引も、編集の方のご尽力により付けることができた。
昨年刊行した『当て字・当て読み 漢字表現辞典』では、紙幅の関係もあって叶わなかったことだが、今回は、本文に登場する主要漢字について、画引き索引まで付すことができた。画数順に並べられたそれらの漢字の中で、30画以上の漢字が12字にのぼる。そして50画以上の漢字、それも文字を書く営みの中で用いられるなど実例をもつ字が8字に達した。
(クリックで拡大)
世上では、より画数の多い、「雷」の古字で「田」や「回」をいくつも組み合わせた字もあるという話も見かけるが、元を正せば、ネット上などで、「雷」4つの字に対して、「雷」の古文を仮に代入してみただけの試作品だった、なんてことではないだろうか。そういう来歴や文脈を確かめにくい例は、文字としての面白味に欠け、その気になれば無限に、何とでも作ることができる。
なお、「雷」を3つも4つも書く字は、蜀の語として宋代から記録されており、そのうち3つ重ねた字は、中国語のWEBページにおいて、「雷」(おどろきを現す)の強調形として、生活上で復活を遂げている。手書きの時代には想像すらできなかった事象である。
画数の多い漢字といえば、すでに岩波新書などに、「龍」4つの漢字、「興」4つの漢字や「鏡」4つの国字(個人文字)などについても記してみた。そうした文字と合わせれば、50画以上の漢字はすでに10字を軽く超えている。もちろん、手元にはまだほかにも見つけたものが複数あるので、整理でき次第さらにどんどん紹介していきたい。当て字についてお話しすることになっている今月の「もじもじカフェ」でも、こうしたことにも言及できればと思っている。
5万字を載せる『大漢和辞典』では、50画以上の漢字は3字だが、この索引はそれを遥かに凌ぎ、漢字の視覚的にもたらす一種の壮観さも感じられるであろう。これらを扱ったのは、決して耳目を驚かすことが目的ではない。
私も、小学生のときだったかに見聞きし、漢字の深淵を垣間見ることになった64画の2字こそが画数が最も多い漢字だという、辞書の閉じた世界での「常識」が世の中にかなり浸透している。そういう情報に対する一つの問いかけであり、漢字にまつわる「神話」の一つへの挑戦でもある。
3年間以上にわたるこの連載には示せなかった点を、たくさん加えることができたその1冊を、手にとってご高覧頂ければ幸いである。そして、漢字などの文字やそれが表すことばについて、歴史上の当事者の一人として一緒に観察し、考察してくださったことを、さらにお教えいただけるならば、それはもう筆者として冥利に尽きる僥倖である。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
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【編集部から】
このサイトにて連載中の「漢字の現在」が、ついに、書籍になります。
書籍化にあたっては、連載を再構成のうえ加筆・修正をほどこし、それは、まさに日本の「漢字の現在」を映し出す一冊となりました。
発売は8月23日。これを記念し、笹原先生にひとことお寄せいただきました。
2011年 8月 15日 月曜日 筆者: 富井 篤
「トミイ方式」の素晴らしさ(3)
今回は、「連載を始めるにあたって」の中の最後のセクションとして、3) 発表・制作機能という切り口から見たエピソードを、「前置詞」を例にとってお話しすることにします。
読者の中には、筆者が三省堂から技術英語に関する『前置詞活用辞典』を出版していることはご存じの方がいらっしゃると思います。この本の前身は、1987年に別の出版社から出版した『前置詞の研究』という本です。自慢めいた話をするわけではありませんが、「トミイ方式」を効果的に実践すると、読者の皆さんにとっても、本の出版は、必ずしも夢のように遠いものではなく、その気になりさえすれば、誰にでも実現できるものだということを強調しておきます。
もともとこの本は、1979年1月から12月まで、12回にわたって「工業英語」という月刊誌に連載したものが、翌1980年8月に書籍となって出版されたものです。私が脱サラして技術翻訳の世界に入ったのが1974年8月ですから、雑誌に連載を始めたのは脱サラして4年少々経ってからということになります。連載の準備期間も若干あったので、脱サラ後4年足らずで、「前置詞」の連載を始めたことになります。しかも、連載を始める前には、12か月分の目次もできあがっていましたので、連載をスタートした時点では、12か月先の例文もすべて収集されていたことになり、連載内容すべての章建ても終わっていたわけです。
脱サラしてからは、ほとんど、英文和訳の翻訳をしながら、ひたすら英文データを集めまくりました。しかし、この間、前置詞だけを集めていたわけではありません。大分類、中分類、小分類、細分類、細々分類まで合わせると、末端単位の項目数は何千、何万になりますが、ほとんどすべての末端単位の英文データを、満遍なく集めていたわけです。その中で、「品詞別」という大分類の中の1つに過ぎない「前置詞」という中分類のうちの1つに過ぎない英文データが、わずか数年のうちに連載ができるほどの量で、集まっていたわけです。これは、今考えてみると、奇跡としか思えません。
このように書いてきますと、何か自慢話をしているように聞こえるかもしれません。しかし、私が今ここで力説したいのは、自分の自慢ではなく、わずかこのような短期間の間でも、やる気になってやれば、1冊の本を書くだけの十分なデータが集められるということです。
読者の中には、「そんなこといったって、現代では、すでにあらゆる本が出回っているから、いくら十分な量のデータを集めたとしてしても、今さら自分の出番はない」と思っている方がいるかもしれません。しかし、本なんてものは、切り口を変えれば、同じテーマの本でも何冊でも書くことができます。仮に新しく本を書くことができなくても、ご自分の専門分野のデータを大量に収集していけば、ご自分の自前のデータ集を作ることができ、本にして発表する以上の素晴らしい結果を創り出すことができます。
この「トミイ方式」というのは、ただ継続あるのみです。継続さえしていけば、昨日よりは今日、今日よりは明日、という具合にどんどんデータは増えていきます。
そうはいっても、時には継続できないこともあります。しかし、決して焦ったり、諦めたりすることはありません。それは、スポーツでいう「累積記録」というものと同じで、決して減っていくものではないからです。野球でいうならば、打者の場合にはホームラン、ヒット、打点、盗塁、塁打など、また投手の場合には勝利数、奪三振数、セーブ数などのように、たとえある期間、試合に出られなくなったり、2軍に落とされたりしても、決してそれまでに残した数は減らないのと同じように、「トミイ方式」というのは、ある期間データ収集活動を休んだとしても、それまでに収集したデータの数は絶対に減っていきません。そのため、仕事などの関係で、一時、データ収集活動を中止してもあせることなく、再開できるときに再開すれば、またいつでもデータ収集を継続することができます。
ここで、「前置詞」に関連して、「トミイ方式」はどのようなことをもたらしてくれたかについてお伝えします。
「前置詞」とは、単に日本語の「てにをは」に相当するものではなく、それ以上に大事な品詞であることはご存じだと思います。しかし一方では、「前置詞」というのは、もともと、名詞、動詞、形容詞、副詞などのような content words とは異なり、冠詞、助動詞、接続詞などのような structure words ですので、あまり気にかけなくともよいようにも思われています。たしかに、「前置詞」をちょっと間違えたところで、情報の伝達に致命的な影響を及ぼすというものではありません。しかし、適切な「前置詞」を使うと、簡潔かつ適格な表現ができ、文章が引き締まり、かつ格調の高い、達意な文章が書けるようになります。
ここでは、「トミイ方式」を通して収集して初めて知った
(1) 動詞的に訳さなければいけない「前置詞」
(2) 手段・方法を表す意外な「前置詞」
(3) 前置詞以外の情報を持っている「前置詞」
などを、ごくごく簡単に披露します。
(1) 動詞的に訳さなければいけない「前置詞」
以下の英例文を見てください。
They harden chemically to a smooth, tile-like surface.
The uranium239 in turn decays to neptunium239 and then to plutonium239.
いずれも to を前置詞のまま「~へ」と訳したのでは日本語にはなりません。「~になる」というように動詞的に訳さなければなりません。これ以外に、このような意味に使われる前置詞には in や into があります。
(2) 手段・方法を表す意外な「前置詞」
Before re-assembling, wash all disassembled parts in clean machine oil.
Clean the filter in a warm soapy solution.
これらの in はいずれも、日本語では「~で」という手段とか方法を表しています。普通この場合にはそのような物質を使って「洗浄する」わけですから with でよさそうなのですが、(i)「~で」(すなわち、~を使って)という情報と、(ii)「~の中で」という2つの情報のうち(ii)の情報だけで表現しているわけです。この種の前置詞の使い方は、集めてみると、against, between, from, on, over, through, under, within などいろいろな語に見られます。
(3) 前置詞以外の情報を持っている「前置詞」
Check the cylinder for leakage.
これは、「漏れがないかどうかシリンダをチェックしてください」という日本文の英訳です。この場合 for は、単なる前置詞ではなく、「(漏れが)ないかどうか」という意味を持っています。この用法を知らないと
Check the cylinder to ascertain whether or not there is any leakage.
などと書いてしまいます。決して間違いではありませんが、いかにも冗長な英語になります。
以下に挙げたのは、for の持つもう一つの用例です。
It is essential for best results that ample space be provided in the housings.
For optimum performance, safety valves must be serviced regularly and maintained.
この場合の for は、いずれも単なる「~のため」ではなく、もっと踏み込んで「最高の結果を得るためには」とか「最適な性能を発揮させるためには」などと訳さないと日本語にはなりません。
ちょっと長くなりましたが、これで「連載を始めるにあたって」を終え、次回からは本論に入っていきます。
【筆者プロフィール】
富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。
2011年 8月 14日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki
<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 72
Characters and verbal characters

Up to now I’ve spoken about verbal characters from the perspectives of “class,” “status,” “gender,” and “age” (parts 57–72). One question I feel my readers may have is: are just four perspectives enough? After all, I said before, “character resides in everything” (part 42), so I could talk about character from the perspectives of blood type, such as “type B” or astrological signs like “Scorpio.” Thus I wonder if some of you don’t feel that four is completely insufficient.
This problem seems plausible, but in fact it makes the mistake of viewing “characters” and “verbal characters” as one and the same. “Verbal character” is a variety of “character;” the two are not the same. To be sure, when discussing character, a variety of perspectives are indeed necessary. However, I think that with regards to verbal characters, only some of these perspectives are required.
For example, the perspective of “beauty versus ugliness” is important in considering character, as we can see from the endless theories about “beautiful women” versus “frumpy women.” However, the language of a “beautiful” speaker does not differ from that of a “frumpy” speaker. You may imagine that a “beautiful woman” character would say: “Why yes, I know that!” Meanwhile a frumpy woman would say: “Yeah, yeah, I know, I know.” But this is not a difference in the character’s “beauty or ugliness,” but rather a difference in “class.” A vulgar beauty would say “Yeah, I know…” while a refined frump would say “Why yes…”
As another example, the perspective of “good versus evil” is necessary when considering characters in general and moreover is necessary to characters that involve language. “Sneer gloatingly” is an action limited to a “bad guy” character, while a good person’s smile would never be expressed that way —they would “smile merrily” (part 43). However, the perspective of “good and evil” is called for by “expression characters,” that is characters that perform behaviors which are expressed in language (parts 43 & 48). In the “verbal characters,” that we have been dealing with for some time (parts 57 and on), in other words characters that speak and use language, the perspective of “good and evil” is not needed.
This is shown nicely by the following two lines of dialog. :
Gehhehe, kore de yo-o, tsumi mo nai shimin wo yo-o, sukueru tte-e sunpou da ze!
Hee hee hee! My plan is to save an innocent civilian!
Gehhehe, kore de yo-o, tsumi mo nai shimin wo yo-o, koroseru tte-e sunpou da ze!
Hee hee hee! My plan is to kill an innocent civilian!
While the two lines differ greatly in that the former expresses good and the latter evil, they do not differ in that both conjure the image of a “vulgar, elder man of low status” with expressions like gehhehe, yo-o, and tte-e sunpou da ze! Obviously, there is no shortage of cases in which the intersection between “content” and “style of speaking” is ambiguous, so there probably are tendencies that constitute “good” and “bad” person’s way of speaking (for more on this, see TESHIGAWARA Mihoko (2004) “Vocally Expressed Emotions and Stereotypes in Japanese Animation: Voice Qualities of the Bad Guys Compared to those of the Good Guys,” Journal of the Phonetic Society of Japan, Vol. 8, No. 1), but as shown in the above example, it is difficult to directly connect good or evil with a “style of speaking.”
If the style of speech of people with type B blood differed from that of A, O, and AB, I would have no objection to discussing verbal characters from the perspective of “blood type.” Similarly, if the style of speech of Scorpios differed from that of the other astrological signs I would happily discuss verbal characters from the perspective of “astrological sign.”
However, as it isn’t clear that such differences in fact exist, we won’t take up the perspectives of “blood type” or “astrological sign.” The same goes for “good and evil.” The four perspectives of “class,” “status,” “gender,” and “age” may not be entirely sufficient for observing verbal characters, but they should at least allow us to see the main contours.
An Unofficial Guide for Japanese Characters 74 >>
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
2011年 8月 14日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)
<< 角色大世界――日本 72
角色形象与话语角色

在第57节至第72节中,从“品(格)”、“格(调)”、“性别”、“年龄”的4个角度描述了话语角色。对此,读者首先提到的疑问大概会是:“4个角度足够吗?”。角色形象存于万物(见第42节),我们甚至可以用“B型血”或“天蝎座”这样的血型或者星座的角度来论述角色形象。因此,也就产生了4个角度是否足够的疑问吧。
这个疑问看起来似乎很有道理。但,其实是错将“角色形象”与“话语角色”视为同物了。“话语角色”是“角色形象”的一种,两者并不相同。的确,在论述角色形象的时侯,需要各种各样的角度。但是,我认为在论述话语角色的时候,只需采纳其中的一部分角度。
例如,在世间上存在着形形色色的“美女论”或“丑女论”,所以在考虑角色形象时“美丑”或许会成为很重要的角度之一吧。但并不是说“美女”与“丑女”所说的语言有区别。读者也许会马上联想到,“美女”说“わたくしが存じておりますわ (Watakushi-ga zonji-te-orimasu-wa, 意为‘我知道’, 其说法很高雅)”,而“丑女”说“あたいが知ってるってんだよ (Atai-ga shitteru-tten-da-yo, 意为‘我知道’, 其说法很粗俗)”。但是,这些语言上的区别,并不是角色形象的“美丑”之别,而是“品(格)”上的差异。因为,美丽但粗鲁的说话者会说“あたいが… (Atai-ga…,我)”,而长得难看却优雅的说话者就会说“わたくしが… (Watakushi-ga…,我)”等。
再例如,“善恶”这一角度在讨论角色形象整体的问题时有必要去考虑,而且在关系到角色形象的语言问题上有时也需要去考虑。“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu, 不怀好意地窃笑)”是只有“坏人”才有的动作,但表示正义使者的微笑时则会使用“笑みがこぼれる (emi-ga koboreru, 脸上洋溢出微笑)”而不是“ニタリとほくそ笑む (nitari-to hokusoemu, 不怀好意地窃笑)”(见第43节)。因此,“善恶”的角度有必要出现在“行为角色” 上,即,用可以用语言来表达出来的动作发出者等的角色形象 (见第43节, 第48节)。关于近来 (从第57节以来)一直提到的“话语角色”,即,说话者的角色形象上就没有必要去考虑“善恶”。以下的两句台词正好反映了这点。
げっへへ、これでよぉ、罪もない市民をよぉ、救えるってぇ寸法だぜ
Gehhehe, korede-yô, tsumi-mo-nai shimin-o-yô, sukueru-tte-sunpô-daze
“嘿嘿嘿,这样就可以救出无罪的市民了”
げっへへ、これでよぉ、罪もない市民をよぉ、殺せるってぇ寸法だぜ
Gehhehe, korede-yô, tsumi-mo-nai shimin-o-yô, koroseru-ttee-sunpô-daze
“嘿嘿嘿,这样就可以杀掉无罪的市民了)”
从台词的内容看,前者是善,后者是恶。但在说话方式上,两者都使用了“げっへへ (gehhehe)”、“よぉ(yô)”、“ってぇ寸法だぜ (-ttee-sunpô-daze)”,能让人联想到“粗鲁、格调低俗的中年男人”。当然,“内容”和“说话方式”的界线很微妙,或许“坏人”与“好人”在说话方式上有些差异(详细内容请参考:勅使河原三保子(2004),日本のアニメの音声に表された感情とステレオタイプ―良い人物と比較した悪い人物の声質―(Nihon-no anime-no onsei-ni hyôgen-sareta kanjô-to sutereotaipu : yoi jinbutsu-to hikaku-shita warui jinbutsu-no seishitsu, 在日本卡通的声音中表现的情感与常规观念—好人物与坏人物的声音比较—,《音声研究》,第8卷第1号)。但是我认为,就像在以上两句台词中所表示的那样,善恶跟“说话方式”没有直接的关系。
如果说B型血人的说话方式与A型或O型、AB型的人有区别的话,我不会对以“血型”的角度论述话语角色产生任何异议。巨蟹座的说话方式跟其他星座的说话方式有区别的话,我当然也非常乐意从“星座”的角度来论述话语角色。但是,在那样的区别还没有被完全弄清的情况下,我不会采纳“血型”或“星座”的角度。“善恶”也同样不会采用。也许观察话语角色的4个角度“品(格)”、“格(调)”、“性别”、“年龄”并不足够,但是可以观察到话语角色的主要的特点。
角色大世界――日本 74 >>
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
2011年 8月 13日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎
地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第163回「「クールビズは方言ポロシャツで…」~茨城県筑西市の事例~」
ことしは福島県の第一原発の事故に端を発して全国的に電力不足が心配され、この夏はできるだけ冷房を使わないで済ませるよう、例年にも増して「クールビズで過ごそう」と強く呼びかけられています。
猛暑の夏は、ネクタイを外すだけでも体感温度は相当違いますし、だいいち首を締めつけないので気分的にも解放感があり、噴き出る汗の量まで違ってきそうです。
各地で、それぞれの職場の雰囲気にも合うよう、いろいろと工夫を凝らしてこの夏を乗り切ろうとしていますが、今いちばん必要なのは、何よりも私たちの意識の変革でしょう。
茨城県筑西市役所では、くだけ過ぎず、適度な品位も保てるようにと、ポロシャツでの勤務を奨励。市職員互助会と職員組合から選出されたメンバーがアイデアを出し合い、方言を活かした半袖のオリジナルポロシャツを作りました。

【写真1 筑西市役所の方言ポロシャツ】
(写真提供:筑西市役所)
(下は胸のロゴを拡大したもの)
胸に青い字で「暑かっぺ だって夏だが しゃーねーべ」と、方言がプリントしてあり、袖口には「ひとりの力が大きな力に chikusei絆project」と、共通語でメッセージが書かれています。
方言の意味は、同市のホームページによると、「この地方の方言を使って、「夏は暑いに決まっている。仕方がない。この夏を、笑顔で・楽しみながら、頑張って乗り切って行こう!」ということを表現しています」と解説されています。
「暑かっぺ」は、直訳すると推量の意の〔暑いでしょう?〕に当たります。そして、それを承けて〔だって夏だから、仕方がないだろう!〕と、いわば問答体になっており、「夏の暑さはまったくどうにもならないよ、どうにも困ったもんだなぁ」と、嘆息するような、ちょっとユーモラスな気分も感じられる表現になっています。
市役所を訪れる市民からの評判も、好評だとのこと。
当初は市の職員用として作られたのだそうですが、とかく硬いイメージをもたれがちな市役所がこういうポロシャツを作ったのはユニークだと、新聞各紙や放送などでも取り上げられ、市民からも購入申し込みが相次ぎ、これまでに1300枚以上が販売され、今も売れ続けているということです。
その売り上げの一部は、震災復興に…と、義援金として日本赤十字社に寄付されているとのことです。
市では、このところの大震災と原発問題にゆれる緊急時に、市職員と市民の一体感が増した気がすると話しています。
《参考》筑西市のホームページには、「クールビズ・アクション ちくせい」として、市庁舎内のエレベーター1台の使用禁止、ポロシャツの推進、冷房の室温28度の厳守、……などの取り組みが挙げられています。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。
* * *
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
2011年 8月 12日 金曜日 筆者: 山本 貴光
第19回 学術のエンサイクロペディア
西先生は、エンサイクロペディアとは普通講義するものでない、ただしイギリスでは「政治学のエンサイクロペディア」という前例があると述べていました(第13回、14回)。
それはいったいどういう講義なのかと追跡してみたところ、18~19世紀のドイツに淵源があるらしいことが見えてきたのでした。
ここではもう詳細には立ち入りませんが、実際に『政治学説――入門としての政治学のエンチクロペディーならびに方法論(Staatswissenschaftslehre oder Enzyklopädie und Methodologie der Staatswissenschaft als Einleitung)』(アレクサンダー・リプス著、1813)なる書物も残されています。ここ何回かにわたって見てきた法学、文献学、哲学と同様、政治学についてもエンチクロペディーと方法論(メトドロギー)という講義が開かれていたことが分かります。
西先生が言及していたイギリスの例については、直接該当しそうな事例に遭遇できていませんが、以上の検討から、エンサイクロペディア/エンチクロペディーという講義が、欧米の大学で行われていた様子は掴めると思います。
それは、ある学術領域に入門するにあたって、あるいは締めくくるにあたって、その全体を概観し、諸部分同士の関係を確認することを目的とする講義でした。
各種学術領域における「エンチクロペディーならびに方法論」の講義は、その後、「概論」や「入門」といった名称に取って変わられてゆき、初学者に手ほどきする科目として、いまでも大学などで講義されているところです。
こうしたことを念頭において、「百学連環」という講義を眺め直せば、「百学連環」とは、学術全体についてのエンサイクロペディアであると言えるでしょう。
思えば高校や大学などでは、ついぞ「百学連環」のような講義にお目にかかったことがありません。しかし、考えてみると、これから学術の諸領域について学ぼうという人たちや、そのなかのどこを専門として選ぼうかという人たちにこそ、「百学連環」のように全学術を総覧して、その相互関係を見渡す道案内が必要であるような気がします。
ここで思い出されるのは、西先生の同時代人でもあるJ.S.ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)の言葉です。彼は、教養教育の重要性を説いた人でもありましたが、大学教育についてこんなことを述べています。
学生が大学で学ぶべきことは知識の体系化についてです。つまり、個々に独立している部分的な知識間の関係と、それらと全体との関係とを考察し、それまでいろいろなところで得た知識の領域に関する部分的な見解をつなぎ合わせ、いわば知識の全領域の地図を作りあげることです。
(J.S.ミル『大学教育について』、竹内一誠訳、岩波文庫、2011、p.15; 原書、p.8)
少し補足すると、ここで「体系化」と訳されている言葉は、methodize、つまり、「順序立てる」「組織立てる」「方式化」するという意味でもあり、これは「エンチクロペディーならびに方法論」という場合の「メトドロギー(Methodologie)」というドイツ語とも響き合うものです。
ミルは、この講義において、学術の全体像を知らぬままその一部を専門として没頭することの剣呑さについて、繰り返し警鐘を鳴らしています(ただし、それは専門そのものを否定することではありません)。現在、「百学連環」的なるものが不在であることと考え合わせると、余計に耳が痛くなるお言葉でもあります。
というわけで、「百学連環」の本文に戻りたいと思います。
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/)
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
2011年 8月 11日 木曜日 筆者: 山口 治彦
第9回 普及型呪文にまつわる必然
前回,呪文を真正型と普及型のふたつに分け,「イタイのイタイの」や「テクマクマヤコン」が普及型の呪文であることを見ました。普及型はフィクションの世界でたびたび登場します。たとえば,英語ではよく知られているabracadabraとhocus pocusは,こんなふうに使われています。
(10) a. Hocus pocus! Turn your best friend into a frog!(ホーカスポーカス! おまえの親友はカエルになーれ!)
b. Abracadabra! Your wife is home waiting for you with love in her heart.(アブラカダブラ! 嫁はおまえのことを愛おしく思いながら家で待っておるじゃろう。)
abracadabraやhocus pocusといった魔法呪文は,魔法をかけるにあたって最初に発せられ,その後にどのような魔法であったかが,その魔法の効能が具体的に述べられます。つまり,普及型呪文はたいてい次のような構造をとります。
(11) 呪術的前付け+効能説明
呪的前付けの部分は,「アブラカダブラ」や「テクマクマヤコン」のように,聞き手(観客)には意味がわからないものとなっています。そして,そのあとで当該の呪文が何を可能にするのか説明します。
ときに,この構造は順序が入れ替わることもあるようです。次の例は,足がしびれたときのおまじないで,提供者は45年ほど前に岡山県英田郡在住だった祖母から聞いたそうです。
(12) しーびれ,しーびれ,きょう[京]のーぼれー,あなたについてのーぼれ。なむあみおんけんそわか。
(12)は,いきなり効能説明ではじまります。しかし,しびれた足と額とを交互に触りながら,節をつけて歌うように唱えられので,前付け部分がなくともふつうのことばではなく,おまじないのことばであると聞き手には分かるわけです。ついでに言うと,「イタイの,イタイの」が「ちちんぷいぷい」なしで呪文として通用するのも,おそらく同様の理由によるでしょう。それから密教真言のようなおまじないのことば(「なむあみおんけんそわか」)を後付けして,その効能に念を押すというものです。(11)とは順序が違いますが,呪術的部分と効能説明からなる2部構造を取るという点では同じです。
この2部構造はとても理にかなったものです。どういうことか説明しましょう。
普及型呪文は,呪術のまじめな発動を意図していません。子どもを暗示にかけたり,フィクションの世界で魔法を観客・読者に対して演じたりする際に用いられます。つまり,呪術を発動するというよりも,聞き手や観客を志向する度合いの強いことばです。したがって,まず,呪的前付けによって呪文を唱えているという事実を聞き手・観客に明らかにします。そして,その後でその呪文がどのような意味を持つのかを説明するわけです。呪文の意味を説明することで,子どもは暗示にかかるわけですし,フィクションの世界で一体何の魔法が唱えられているのか理解できるわけです。
要するに,本来分かりにくいものである呪文を分かりやすく提示するためのもっとも素直な方法が,(11)の2部構造なのです。聞き手や観客に呪文であることを伝えつつ呪術を演じる普及型呪文は,このような理由でたいてい(11)のように分かりにくさと分かりやすさが同居する形式を持つことになります。
これに対し,呪術のまじめな発動を意図する真正型呪文の場合は,呪文の意味を説明しません。意味が誰にでもわかってしまうと,儀式として権威を欠いたり,ありがたみが失われたりすることになるからです。
これまでの考察で呪文には真正型と普及型のふたつがあることを確認しました。では,『ハリー・ポッター』の呪文はどのようになっているでしょうか。まずは,オリジナルの小説ではどうなっているか見ていくことにしましょう。
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【筆者プロフィール】
山口治彦(やまぐち・はるひこ)
神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。
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【編集部から】
雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。
2011年 8月 11日 木曜日 筆者: 安岡 孝一
1870年代から1970年代にかけて、タイプライターと呼ばれる機械が一世を風靡しました。A〜Zのボタンを押すだけで、活字で書かれた文章を紡ぎ出すことができるこの機械は、人が文章を書く、という行為そのものを変質させてしまいました。それまでペンや鉛筆で書いていたものが、ボタンを押す、という動作に変化してしまったのです。その影響は、現代のパソコンや携帯電話にまで及んでいる、と言っても過言ではありません。
タイプライターの発明・発展は、多くの人たちに支えられていました。ある者はタイプライターの発明に心血を注ぎ、ある者はタイプライターの特許で一儲けしようとし、ある者はタイプライター市場の独占を狙い、ある者はタイプライターに知的労働の将来を託し、とにかく多くの人々がタイプライターに魅せられたのです。そんなタイプライターに魅せられた人々のうち、ごく一握りの代表的な人たちを、この連載では順に紹介していこうと思います。
ただ、タイプライターとそれにかかわった人々の歴史を理解するには、当時のアメリカにおける発明熱というものを、少しは知っておく必要があるでしょう。アメリカで起こったいくつかの大きな出来事も含め、ざっと年表で見てみましょう。
| 1844年5月 |
モールスがワシントンDC〜ボルチモア間で電信実験に成功 |
| 1845年12月 |
テキサスを合衆国に併合、米墨戦争勃発 |
| 1848年2月 |
米墨戦争終結、カリフォルニア・ネバダ・ニューメキシコなど合衆国に併合 |
| 1858年6月 |
日米修好通商条約締結 |
| 1861年4月 |
南北戦争勃発 |
| 1865年4月 |
南北戦争終結、リンカーン大統領暗殺 |
| 1865年12月 |
合衆国憲法修正第13条成立、奴隷制廃止 |
| 1866年8月 |
大西洋海底電信ケーブル(ニューファンドランド島〜バレンティア島)運用開始 |
| 1869年5月 |
大陸横断鉄道が開通 |
| 1876年8月 |
ベルがオンタリオ州のブラントフォード〜パリ間で電話実験に成功 |
| 1877年11月 |
エジソンが蓄音器の実用化に成功 |
| 1879年10月 |
エジソンが炭素フィラメント電球の実用化に成功 |
| 1888年9月 |
イーストマンがロール・フィルム・カメラの実用化に成功 |
| 1890年6月 |
ホレリスがパンチカードによる大規模統計機の実用化に成功 |
| 1898年4月 |
米西戦争勃発 |
| 1898年8月 |
米西戦争終結、プエルトリコ・ハワイ・グアム・フィリピンを合衆国に併合 |
| 1899年2月 |
米比戦争勃発 |
| 1902年7月 |
米比戦争終結、フィリピンを植民地化 |
| 1903年12月 |
ライト兄弟が動力飛行機の有人実験に成功 |
| 1906年12月 |
フェッセンデンがラジオ放送の実験を開始 |
| 1908年10月 |
T型フォード発売 |
| 1914年1月 |
定期飛行艇がセントピーターズバーグ〜タンパ間に就航 |
| 1919年1月 |
合衆国憲法修正第18条成立、合衆国全土に禁酒法を適用 |
| 1920年8月 |
合衆国憲法修正第19条成立、女性参政権の確立 |
| 1927年10月 |
トーキー映画『ジャズ・シンガー』公開 |
| 1929年10月 |
世界大恐慌 |
| 1931年11月 |
AT&Tがテレックス(TWX)サービスを開始 |
| 1933年12月 |
合衆国憲法修正第21条成立、禁酒法廃止 |
| 1940年9月 |
ベル電話研究所がリレー式デジタル計算機Model Iを公開 |
| 1941年12月 |
真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発 |
イギリスの旧植民地の1つに過ぎなかったアメリカ合衆国は、これら多くの発明と幾度かの戦争によって、世界一の大国へと発展していくのです。タイプライターの発明と発展も、そのさなかにありました。そしてそれは、アメリカの光と陰を、さまざまに反射しているのです。
この連載の最初を飾る一人は、タイプライターの父、クリストファー・レイサム・ショールズです。8月25日の掲載開始をご期待ください。
【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)、『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
編集部から
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、8月25日から毎週木曜日に掲載予定です。キーボードのQWERTY配列にまつわる神話を解体してきた安岡孝一先生が、タイプライターという製品を通じて近代アメリカの活力と酷薄さに迫ります。どうぞご期待ください。
2011年 8月 9日 火曜日 筆者: 笹原 宏之
漢字の現在 第120回 漢字の現在、単行本に
連載中の「漢字の現在」が単行本として、書店や図書館などに並ぶという幸いに恵まれた。このWEBで読んで、直接、間接に励ましてくださり、また情報をお寄せくださった方々、そして書籍の形に不眠不休で誠実に仕上げてくださった編集の方のお陰である。
連載は、まだまだ続くことになるが、とりあえず第108回までで、1冊にまとめてみた。世に百八煩悩というが、現代日本の漢字を中心として、文字や語から、字体や表記から、内側や外側から、身近なものや縁遠いものから、あれこれと目に付き、気になり、考え悩んだ経過と結果と見れば、なるほどもっともな数だと思う。そのうち、別の媒体に発表したものや、これから形を変えて公刊するものを除き、100回分近くを再編集したものである。
毎回アップしてもらった原稿のままでほぼいいかな、と初めは思っていたが、真っ白な校正紙を目の前に置くと、ついついあれこれと思い当たり、赤字を書き加えたくなる。WEBの画面と紙面とでは、そうとう雰囲気が異なるのである。横書きが縦組みにされただけでも、表情が全く変わってきてしまう。まず、口頭語的な表現は、紙メディアには似合わない。どんどん赤字が入る。画面上では気付かなかった誤植や遺漏も目に付いて、気にかかってくる。
そして何よりも内容も、一新したくなる。その時々で精一杯のことを書いているつもりなのだが、早いものでは4年近く経過した文章だ。私も今回、入稿する時点でその盛り込みは始まっていて、初校に及びそれが極まり、校正紙が真っ赤になるほど速筆による記入をしてしまった。初校だけでなく、再校でもそれは続き、編集や校正の方々には思わぬご面倒をお掛けしてしまい、申し訳ないことだった。そう思いながらも時間の限りそれは続けたのだが、物理的に可能なところまで許してくださった寛容さに、感謝するばかりである。
漢字などの日本の文字やことばを研究していると、これで完成で、もう安泰だ、という時はなかなか訪れない。子供の頃からずっと追いかけていても、追いついたという実感を得ることが難しい。なぜなら、漢字は、過去の情報は調べただけ見つかり、さらに現在も日々動きを止めずにいるからだ。変化や変異を含めて実態を追いかけていきたいので、毎日いや毎時、新鮮な逢着があり、ささやかな発見や思いつきも次々と立ち現れる。
むろん夥しい忘却も並行して起こるのだが、素材に関して新たに考え直すことが続く。変化に富む文字と同時代に生きる我々でも、文字は絶対性や保守性が意識を占めやすく、対象化しえないかぎり常識的な、いいかえると静的で閉じた存在として映ってしまう。その動態に気付きにくいのだ。つまり、今回、単行本化に当たって大いに増補訂正した訳は、テーマが漢字の「現在」だからである。
「ことばは生き物だ」と唱えた命題が聞かれる。「文字も生き物だ」という慨嘆も耳にする。しかし、それらはメタファーに過ぎない。ことばや文字それ自体に、固有の生命があるはずもない。それを生き物のごとく躍動させているのは、ほかでもない人間だ。そしてそれは一握りの政治家や官僚、学者ということではなく、それを読み書きするすべての人々なのだといえる。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
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【編集部から】
このサイトにて連載中の「漢字の現在」が、ついに、書籍になります。
書籍化にあたっては、連載を再構成のうえ加筆・修正をほどこし、それは、まさに日本の「漢字の現在」を映し出す一冊となりました。
発売は8月23日。これを記念し、笹原先生にひとことお寄せいただきました。
2011年 8月 7日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki
<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 71
Character “age” (5)

Previously, I began dividing characters into four categories of character “age,” of which I introduced the “senior citizen” (part 69) and “baby” (part 70). Remaining are the “youth” and “elder” characters, which are positioned between the “baby” and “senior citizen.”
The “youth” uses so-called “youth slang,” for example kimokawa(1) (creepy-cute) and panee in place of hanpa de naku (sugoi) (incredible)(2). Actual young people might say: “Kimokawa and panee are already outdated. The new hotness is….” Or they might say “I don’t understand youth slang. I don’t speak it either.” There are various types of youth, but the idealized “youth” character speaks in youth slang.
However, if we turn to more grammatical matters, such as auxiliary verbs and interjectory particles, we find that modes of speech that are specific to “youths” are fewer than expected. For example, the returned rising final intonation of the interjectory particle yo-o (part 67) in bengoshi ga yo-o, zaisan wo yo-o… (the lawyer [did something about] the assets…), cannot be said to be a “youth” mode of speech.
It has always been merely a “vulgar” mode of speech. An “elder” of low class would use it, while a “youth” of high class wouldn’t.
However, we can see characteristically “youthful” phenomena in pronunciation. One is the style of saying an entire negative-form adjective with a rising intonation. For example, in seeking for another’s agreement, a youth would say kore, karakunai? (isn’t this spicy?), using the negative form (karakunai) of the adjective (karai), and pronouncing the entire word with a rising intonation. In other words ka would be said with the lowest intonation, ra a bit higher, ku even higher, na higher still, and i with the highest intonation. This has been denigrated as the abrasive speech style of “youths,” but it is not exactly an innovation. For example, when inviting someone to go somewhere, i.e. seeking their consent, one might use a verb in its negative form and give the entire word a rising intonation —ikanai? or ikimasen? (won’t you go [with me]?). This mode of speech has been around for a long time, and now it has simply been applied to adjectives.
Looking only at “female” “youth” characters, i.e. “young ladies,” we can further observe unique pronunciations. “Young ladies” are the only characters who, upon seeing a small animal or child, will affect nasal speech Iyu-n, kuwayuii (i.e. Iya-n, kawaii -Aah! How cute!) while writhing ecstatically. What on earth is this? If they were imitating the “baby” style in an attempt to sound cute, I’d understand, but even “babies” don’t talk like this. Perhaps they are carrying the cuteness of the “baby” style to its logical conclusion, or maybe it is something completely different.
Between the “senior citizen” and “youth” is the “elder.” The “elder” may use so-called “middle-aged expressions” like doron suru (sneak away), but it is very hard to find any mode of speech, either in terms of grammar or intonation, that is peculiar to the “elder.” Their use of arrogant or obsequious speech is, ultimately, the speech of “superiors” or “inferiors,” and is therefore linked to “status” not “age.”
In the age groups that fall between the “senior citizen” and “baby,” the perspectives of “class,” “status” and “gender” probably have more significance than “age.”
I already spoke at some length on “class,” “status,” “gender,” and “age” (part 57–). I tried to be as comprehensible as possible, but I am sure my readers have various questions for me. I would like to proceed by anticipating then responding to some of these questions, and thereby supplement my explanation of the forms of verbal characters as I see them.
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(1) Contraction of kimochi warui (creepy/unsettling) and kawaii (cute).
(2) Hanpa by itself means “half,” but is often seen paired with the negative –“hanpa ja nai” or “hanpa de naku”– not by “half” or in other words, “very much/incredibly.” Panee is apparently a contraction of the last syllable of hanpa and the last part of the casual form of the negative auxiliary verb -ja nee.
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