2011年 9月 のアーカイブ
漢字の現在:ドット文字と略字
2011年 9月 30日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第132回 ドット文字と略字
野球は、サッカーよりも得点が入る傾向がある。しかし、バスケットボールのようには入らない。ある年のプロ野球公式戦では、1試合平均合計9点程度だったそうだ。そうした点数を表示する野球場も、世の中の趨勢を受け、あるいは先取りし、電光スコアボードがすっかり一般化して久しい。アナログな点画を点描で示そうとするドット文字というものは、そもそもいつからあるのだろう。人間が動いて文字の形を体現する人文字は、唐代ころから舞としてあったように記憶するが、球場の座席のように人々の配置がマトリックス(ここでは格子状くらいの意)になっていたわけではなさそうだ。
地方で大文字焼きなどとも呼ばれることのある京都五山(の)送り火も、よく見るとドット文字的だが、元より升目が碁盤の目状に定まっているわけではないようだ。はらいなどの斜め線をきれいに描くために、どこにでも点を置けるものは、偽ドット文字というほどでも、こずるいというほどでもないが、なにか違う。碁盤といえば、戦前には、碁盤の絵に、碁石を並べて文字を表した宣伝広告があった。これは、升目に従って点画を表すもので、一部ではタイルでも同様の表示が行われることがあるが、むろんそれらは発光はしない。高層ビルの窓ガラスのブラインドを上げ下げして文字や絵を表示するものもある。それは、発光はしているが、窓ガラスは縦長の物が多く、表せる文字に限界がある。
「0」から「9」の数字を、「日」のような形にして7本の線で示す方式は、従来デジタル時計や株式市場の株価表示などで活躍し、「A」から「Z」までのローマ字(小文字も)も表そうとすることがあるが、後者は無理がある。昔、それをかっこよく感じて買った腕時計でも、月や曜日を表すローマ字は、「A」は何とかなっても「B」くらいから早くも表現上でも弁別上でも苦しくなり、線を何本か足して表示せざるをえなかった。
ドット文字に戻ると、食品の包装には、「賞味期限」の4字とその期日の数字(とときには記号)がたったの7ドット前後で記されることがある。数字の部分が肝心な情報であり、元よりこの漢字列は点画が間引かれてもつぶれても何となく読める。後楽園が最後まで避けたいわば美学を軽々と突破している。書風のお手本となるわけではないので咎められることもない。読めれば十分な文字で、そこにお金を掛け、エネルギーを浪費する必要もない。明朝体の点の微妙な形やうろこ、筆押さえ、筆の入りまで示そうとするフォントから、地下鉄やバスの行き先などでのわずかに明朝体を意識した表示、「一」だけは鱗を付けて他の「-」「ー」などの記号と区別を表した表示もあれば、こういう素朴なドット文字も必要に応じて存在している。デザインする人も読み取る人間も、字を認識する能力を備えていればこそのことだ。
「濾」のように、JISの表示装置用16ドット、ドットプリンタ用24ドットの字形には、点画の間引きをできるならば避けようとする目的もあったのだろうか、既存の理系社会での位相的な略字(沪)が選択された例がある。ビットマップフォント全盛期には、画面やプリントアウトにもよく登場したはずだ。一方、間引き字形を創出することで、元の字体として読ませる手法は、高速道路の公団文字が積極的なもので、見せるため、認知させるための極めて味のある位相字形だった。これは、新規には用いられなくなってしまった。
ケータイの低解像度画面でのドット字形は、メーカーの人たちが点画を省きながらデザインしていったと報道されたことがあった。NTTドコモの絵文字だって、元は一気にデザインされたものと言う。ワープロソフトのワードも一太郎も、各種のメールソフトもWEBのページも、ブラウザ上ではかなり点画の略された字形が表示されているが、ふだんは気付かれていない。理解字であれば、その字として瞬間的にパターン認識されるためだ。ただ、あやふやに覚えられている字では、まれにそれをそのまま写した字体も紙面に登場することがある。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「野球と文字」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
「百学連環」を読む:術・技・藝の原義
2011年 9月 30日 金曜日 筆者: 山本 貴光第26回 術・技・藝の原義
「學術技藝」の説明を始めるにあたって、西先生は「學術技藝」それぞれの字の検討から始めたのでした。前回は「學」を確認したところ。続いて「術」についてこう説明されます。
(「百學連環」第2段落第6文)
訳してみます。
「術」という字は、目的とするところがあって、そこへ向かう道を行くという字から生じるもので、
という形をしている。これは「都合よく当てはめる」という意味がある。
前回、「學」のくだりでも「道」が出てきましたね。「術」とは目的に向かって「道」を行くことだという説明は、腑に落ちる感じがします。道があるということは、すでに先達が通った跡が残されているのでしょう。それは誰かがつけておいてくれた足跡を辿ることです。もっとも道なき場所に道を切り開こうという場合には、自分で術を編み出すことになるわけですが。
現在の辞書で「術」を引くと、「人が身につける技」とか「手段」「方法」といった意味が出ています。これとの関連で一つ面白いと思うのは、英語のmethodもまた道に関係する言葉であることです。
この語は、古典ギリシア語のμεθοδος(メトドス)に由来しています。由来するというより、それを音写したものであることが窺えますね。μεθοδοςは、μετα(メタ)とοδος(ホドス)を合成した語で、日本語では「方法」と訳されます。そして、合成される前のホドスは「道」や「旅」という意味を持ちます。また、メタはいろいろな意味を持つ前置詞ですが、ここでは「~にしたがって」と読めば、「メトドス」とは「道に沿ってゆく」という原義を持つと考えることができるのです。
これはたまさか連想したことに過ぎませんが、異なる文化において、「術」と「method」あるいは「μεθοδος」のように、「道に沿ってゆく」という似たような発想の言葉であることは、道というものが人類史や文化史において持っている意味を考えるうえでも存外重要なことであるかもしれません。ここに中国の思想でいう「道(タオ)」との関連も加えて、道の思想史を考えてみたいところです。しかし本題から外れすぎてしまいそうなので、ここでは我慢します。
さて、本文に戻ってもう少し見ておきましょう。こう続きます。
技は則ち手業をなすの字意にして、手ニ支の字を合せしものなり。支は則ち指の字意なり。藝の字我朝にては業となすへし。藝の字元ト
の字より生するものにして、植ゑ生せしむるの意なるへし。
(「百學連環」第2段落第7~10文)
現代語ではこうなるでしょうか。
「技」は、「手業、手仕事をする」という意味で、「手」に「支」という字を合わせたもの。ここで「支」とは「指」のこと。「藝」の字は、日本においては「業」のことである。「藝」という字はもともと「
」という字から生じてきたもので、「植えて生じさせる」という意味である。
説明に判りづらいところはないと思います。ここでは「技」と「藝」の対比に注目しておきましょう。「技」のほうは、人が能動的に行う行為に重心があるのに対して、「藝」は植物を育てるように、なにか対象の世話を焼くというか、手をかけるというイメージがあります。
こうした漢語、日本語としての學術技藝の意味は、果たして西洋の文脈ではどのようなものとして解釈されるのでしょうか。
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/)
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
‘Wait a moment.’―『英語談話表現辞典』覚え書き(56)―
2011年 9月 29日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回は‘Let me see.’を取り上げましたが、今回は類似表現の‘Wait [Just] a moment [minute / second].’を考えてみます。
‘Wait a moment.’の表現の基本は文字通り相手になんらかの行動を止めさせたり、待たせたりすることにあります。本辞典であげた語義1がそれに相当します。
1 〈相手のしようとする行動を止めて〉ちょっと待って:“I’m going to open this bottle now.” “Wait a second. I’ll get a glass first in case it froths over.” 「じゃ, このびんを開けるよ」「ちょっと待って. 泡があふれ出るといけないから先にグラスを持ってくるよ」/ “I’ll go now.” “Wait a moment. You’re leaving your lunch behind, aren’t you?” 「行ってきます」「ちょっと待って! お弁当忘れていない?」.
この語義1から相手の話や議論を中断させる語義2の用法へと発展しています。
2 〈抗議して〉おいおい待てよ:“The taxi driver wants 23.50.” “Wait a moment! He said he would only charge us 20 for the trip!” 「タクシー代は23ドル50だって」「おいおい待てよ. 20ドルしかかからないって運転手は言ってたじゃないか」.
実際の行動、話などの中断から、さらに、思考の中断まで求めるのに用いられます。次の語義3と4がそれに当たります。
3 〈思い出そうとして〉えーっと:“Look at that yacht over there. It’s beautiful, isn’t it?” “Wait a minute, isn’t that the Golden Angel?” 「あのヨットを見てごらん. きれいだね」「えーと, あれはゴールデンエンジェル号じゃなかったっけ?」.
4 〈何かおかしいことに気づいて〉ちょっと待ってください:“Just a minute.” “What’s the matter?” “I dropped my car keys.” 「あれ, ちょっと待って」「どうしたの?」「車のキーを落としたみたい」/《目的地に向かって歩いているときに》 “Just a minute.” “Why?” “I think we’re walking in the wrong direction. Let’s look at the map.” 「ちょっと待って」「どうしたの?」「道を間違っていると思うわ. 地図を見てみましょうよ」.
‘Wait [Just] a moment [minute / second].’と‘Let me see’は意味は似ていますが、後者は「見させてほしい」「考えさせてほしい」といったように自分の希望を相手に要請することが中核的意味で、このふたつの表現を並列して使うことも可能です。次は三省堂コーパスからの例です。
‘The third isn’t good for me. What about the day after that?’ ‘The fourth?’ ‘Yes, Wednesday, the fourth.’ ‘Hmm . . . let me see. Just a moment, please. Uh . . . yes, that’s all right for me.’「3日は都合が悪い。その次の日はどうかな」「4日?」「そう、4日の水曜日」「えーと、予定をみてみるので、ちょっと待って。うん、大丈夫です」
なお、‘Wait a moment [minute / second].’の形で三省堂コーパスの「口語」で文頭にくるものを検索しますと、minute の頻度が一番高く、次いで second,moment となっています(BNCコーパスではminute, moment, secondの順)。また、minute は米語での割合も高いのですが、second に至っては米語107例、英語2例と米語が圧倒的です。一方、動詞が省略された、‘Just a moment [minute / second].’では、moment と minute の頻度が拮抗しています。また、second の頻度はその半分ほどになっています。
【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論―伝達と認知―』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
『語用論の射程』(2011年)研究社
【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料でお使いいただけます。
クリストファー・レイサム・ショールズ(6)
2011年 9月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一タイプライターに魅せられた男たち・第6回

サイエンティフィック・アメリカン誌1872年8月10日号;クリックで拡大
1872年8月10日、サイエンティフィック・アメリカン誌は、ショールズのタイプライターを1面で取り上げました。ハリントンへの納入も兼ねて、デンスモアが、ニューヨークのウォール街の近くにショールームを開いており、そこをサイエンティフィック・アメリカン誌が取材したようでした。ただ、この記事は、このタイプライターがショールズ一人の発明品であるかのように書いてありました。憤慨したのはグリデンです。グリデンは早速、抗議の手紙をサイエンティフィック・アメリカン誌に送りつけ、3週間後の1872年8月31日号には、その手紙が掲載されました。その後、ショールズは事あるごとに、グリデンを共同発明者として紹介するよう努めたのです。
1872年12月、デンスモアがヨスト(George Washington Newton Yost)という人物を、ミルウォーキーに連れてきました。運河ぞいに開設した工房で、ショールズのタイプライターを吟味してもらうためでした。タイプライターを大量生産できれば、1台1台の値段は下がり、もっと多くのタイプライターを普及させることができるはずです。しかし、ショールズにはもちろん大量生産の技術は無く、その技術を持った会社をヨストに紹介してもらおう、との算段だったのです。
1873年2月、ショールズは、公共事業委員会の幹事の一人として、東部の各都市を視察して回っていました。実は、ヨストとデンスモアが、タイプライター製造会社を求めてニューヨーク州イリオンに向かっており、ショールズも彼らと合流したかったのですが、職務上それは叶わなかったのです。3月1日には、デンスモアがE・レミントン&サンズ社と、タイプライターの製造契約を結んだのですが、ショールズはその場に居あわせることができませんでした。さらにショールズは、州知事のウォッシュバーン(Cadwallader Colden Washburn)に、ウィーン万博への出張を命じられます。ウィーン万博は5月から半年間の予定でした。結局ショールズは、ウィーン万博には行きませんでした。そして、公共事業委員会の幹事職も辞職したのです。

「Sholes & Glidden Type-Writer」誕生を伝えるショールズの記事(Milwaukee Daily Sentinel, 1873年6月14日)
1873年6月11日、ショールズは、ニューヨーク州イリオンにいました。E・レミントン&サンズ社の社長レミントン(Philo Remington)と会うためです。ショールズの見たイリオンは、銃とミシンの生産で繁栄を極める企業城下町でした。そこでショールズは、新たなタイプライターのブランド名を、レミントンと共に決定しました。「Sholes & Glidden Type-Writer」それがショールズの決めたブランド名でした。
【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)、『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。
編集部から
安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
漢字の現在:野球と文字
2011年 9月 27日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第131回 野球と文字
パ・リーグの試合は、たまにテレビで放送されていて、ときどき観ていた。デーゲームや薄暮試合が多かったようだ。日生や藤井寺など、まだ行ったことのない地で繰り広げられる乱打戦は、夜のニュースで観てもワクワクした。あまり知らない選手が見慣れぬユニフォームで、指名打者制などセリーグと微妙に異なるルールで、日本シリーズ目がけて公式戦をしている。オールスター戦でも、そうした球場が映る。
どこの球場だったか、チームの得点の合計欄に「R」とあった。誰かがたぶん何とかという英単語の頭文字だろうと言ったが、当たっていたのだろうか。
神宮球場には、近頃も早慶戦に行った。客席が混み合っていて、外野席から子供とやっと入れて、敵方の中、静かに応援をした。そこでは、「宮」の字の「呂」が「口」と大きめの「口」とを縦に重ねた字体となっていた。由緒ある古い筆字を活かしたものだそうで、活字書体でもそうなっており、球場名などに波及したものだ。
野球は数字のスポーツだ。主なプレーは数字となって記録され、成績も数値化される。球場ごとに、数字の字形には個性が溢れていた。とりわけ甲子園は際立っていて、「ろ」のような形で表現された「3」などは、今でも電光掲示板に受け継がれている。
子供のころ、野球選手よりも審判員になりたいと思った。いや肩も弱く、何かと大変そうなので、公式記録員になりたい、などと本当に思ったものだ。ヒットかエラーかといった判断を瞬時に的確に行い、ホームランの推定飛距離を割り出し、ときには審判にボールカウントミスを伝える。自分が公式な記録を残す。予備は今、一人しかいないとか。一度だけ見た、写真で綴じ込まれていた本物の記録員による手書きのスコアカードは、実に整然として、きれいな字のもので、憧れだった。
その公式スコアカードは、それまで本で身に付けた表記法(早稲田式であった)とだいぶ違っていえ、初めは「なんだ? これも覚えないといけないのか」と思ったが、シンプルで字も大きく見やすい。シングルヒットは「/」ではなく、大きめの「^」の下に「1」、ホームランは「◇」ではなく、「^」の下に「H」と書く。その慶應式とよばれるプロ野球セ・パ両リーグが採用しているスコアカードも練習してみた。今思えば、この状況も日本らしいことなのかもしれない。こういう表記さえも流派が分かれ、統一がなされぬままそれぞれに歴史を重ねることで、多様性が位相として維持されている。
珍しく行ったスポーツ用品店で買ったスコアブックに、NHKのテレビ中継で高校野球4試合、続けて民放の巨人贔屓にも聞こえるプロ野球のナイター中継、それも時間切れで放送が終わればラジオで続きを聴取し、1日に合計5試合もスコアを付けた夏の日もあった。時間も体力もたっぷりとあり、学校の勉強も受験勉強も怠り、祖父母との食事中にも記入しつづけていた高校生のあのころ、意味をもつプレーが数字と記号、文字に置き換わることが楽しかった。選び抜かれた選手、特にプロ選手の行為に対して記録を付け、新記録に立ち会うワクワク、ドキドキ感も何度も味わった。
何よりも、当事者としてではなく、一歩引いて、動きの何かを記録し、残すことが好きだったようだ。きちんと多くの情報がとどめられたそれを、後から見返すのも嬉しかった。絵を見えたとおりに描いたり、字を見えたとおりにレタリングしたり、転写したりしようとする癖ともつながっているのか。子供たちの繰り広げる試合は、初めはエラーが続出し、展開が大きく、付けにくそうで、まだ機会を得ない。ともあれ、スコアに基づけばフイルムがなかった時代のプレーもおおまかに再現が可能だ。ただ、記録の神様、宇佐見徹也氏によれば、一リーグ時代には、投球数などの欠けている記録や、観客数の分からない記録もあるとのこと、今となっては、正確なところは永遠の謎となってしまっている。
野球からは多くを学んだ。高校野球やプロ野球の選手には、見慣れぬ姓が多い。その一因が野球選手を輩出する西日本での姓の多様性の反映だと気付くまでには時間がかかった。ありのままを記録にとどめていると、対象化の機会が得られる。ラッキーセブンとよばれる7回の表裏の攻撃時になると、それぞれのファンによって派手に応援が繰り広げられるのに、なぜか得点が入りにくく、意外に動きが少ないままに肩すかしを食いやすい。こういった、「口伝」や「常識」を再考する機会も多かった。今でも、そうした悪戦苦闘は対象を換えて、愉しみながら続いているように思われる。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「後楽園球場のドット文字」でした。
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大規模英文データ収集・管理術 第8回
2011年 9月 26日 月曜日 筆者: 富井 篤「トミイ方式」とは (3)
(3) データベースのツールとしての「トミイ方式」
前回(第7回)、英文データの収集方法として、大きく分けて次の3つがあることを説明しました。
1) 辞書添記方法
2) カード使用方法
3) パソコン活用方法
データベース(以下、DBと略称します)のツールとして使用できるデータは、まだここでは取り上げていませんが、「3) パソコン活用方法」で収集したデータだけです。
昨今では、英文データとして入ってくる情報はほとんどが電子化されたものですので、コンピュータに取り込むのは、比較的容易です。しかし、電子化されているデータだからといって、そのままDBのツールとして活用できるわけではありません。大分類、中分類、小分類など、できる限り細かく分類されてコンピュータの中に収納されていなければなりません。「分類」について取り上げるのは、この連載の第16回あたりになりますので、ここでは、「データベースのツールとしての分類」という切り口で述べて行きます。
データや情報が、すべて「カード」に記載ないしはコピーされていて、そのカードが分類されてカードケースに収納されている場合は、前回(第7回)、「影響」を例にとって説明しましたように、分類作業は、極めて楽です。しかし、コンピュータの中に収納されている場合には、全データの分類が先に終わっていて、ちょうど化学記号表のようにデータの「分類表」が作られている場合には、毎日毎日集まって来るデータを、その決められた場所――これを、これからは「お座敷」と呼ぶことにします――に流し込んでいけばよいわけですが、肝心のデータが十分な数だけ収集できていないうちに、先に「分類表」を作成するということは不可能であり、やはり、大量のデータを収集して初めて「分類」が可能になるわけです。
例えば、このような場合を想像してみてください。
大分類が「表現別」、中分類が「影響」までは分類してあって、その「影響」の中に、「影響」という英単語が内包されている文章が100点、言葉は汚いですが、味噌もくそも一緒に入っていたとします。そして今、その100の文章に「全員集合」(検索)をかけたとします。そうすると、100の文章が、PCの画面上に後から後からランダムに出てきて表示されるわけです。そのような状態で、一体どのように分類作業ができるでしょうか? 後から後から出てくる文章を瞬間的に記憶し、前方にあった類似した文章のそばに移動させたり、後ろへ移動させたり、気の遠くなるような分類作業を繰り返していかなければなりません。
それでも、今、例に取り上げた、大分類が「表現別」、中分類が「影響」の分類くらいならば、まだ、やってできないことはありません。ところが、大分類が「アルファベット順」、中分類が provide のような厄介な英単語だとしたらどうでしょうか? 翻訳を手がけるほとんどすべての人がご存じのように、この provide にはいろいろな「意味」や「用法」があり、したがって、その「訳語」となると、極端な言い方をすると、“文章の数ほど「訳語」がある”と言っても決して過言ではないほど始末の悪い言葉です。
provide という単語はそのような言葉ですので、私は、若干誇張して言うと、出くわすたびに集めています。そのため、provideという言葉を使っている文章の数は1,300以上あります。このような言葉を、PCの画面上で、記憶に頼っての分類など、不可能に近いことです。
しかし、その作業を容易にするための良い方法が2つあります。
そのうちの1つは、上に述べた「影響」を例にとって述べると、その100の文章をプリントアウトし、具象化することです。そして、その100の文章を1つずつカットして短冊状にし、それを分類していくわけです。ということは、なんてことはありません。分類の手法そのものは、「 2) カード使用方法」と何ら変わるものではありません。しかし、それでは、「 3) パソコン活用方法」ではなく「 2) カード使用方法」になってしまいますので、なんとか、歯を食いしばってでも「 3) パソコン活用方法」にしがみつかなければなりません。
そこで、もう1つの方法です。これは、邪道といえば邪道かもしれませんが、私がすでに作っている「トミイ式分類表」を使うことです。時間と労力を節約するのは、決して悪いことではありません。来年の1月ごろから掲載する“6「分類」の構成”という節で取り上げます。それまでお待ちいただく間は、読者の皆さんは、皆さんなりの方法でデータを収集し、分類・収納する方法を確立していただきたいと思います。
最後に、DBをどのようにして構築するかについては後に譲るとして、仮に出来上がったDBはどのように活用されるかについて、簡単に述べておきます。
この連載の第1回に、「トミイ方式」の大きな機能のうちの1つに
どのようなものを収集し、それをどのように分類・収納しておくと、どのような目的に使うことができる
ということがあることを述べました。収集・分類したDBの用途はたくさんあります。詳細は、今年の12月ごろ、“5「トミイ方式」の機能と目的”で説明しますが、ここに簡単に述べますと、次のことが考えられます。
- 手作りの辞書が作成、英文作成や和文英訳の際の強力な補助ツール作成
- 収集・分類の結果としてできたDBで技術英語・技術翻訳の独習
- 機関紙や雑誌への投稿、講演活動、翻訳関連国際会議でのプレゼンテーション活動
- 著作活動や語学教育における指導
やや手前味噌になるかもしれませんが、これらは、すべて筆者が実際にDBを活用してきた例ばかりです。ただ、これらは、すべて、十分な「質」と「量」に裏打ちされたDBでなければなりません、換言すると、かなり長期間にわたって収集活動を続けなければなりません。そうすると、お歳を召されている方には不向きかもしれません。しかし、若干、不謹慎であるかもしれませんが、現実に私の周辺にはそのような方々が多くいらっしゃいますので、あえて、もう一つ挙げさせていただくと
- 老化防止対策と道楽のすすめ
があります。
次回は“3「トミイ方式」のきっかけ”です。
【筆者プロフィール】
富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 79
2011年 9月 25日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 78
“Kansai natives” (1)

Up to now I’ve spoken about verbal characters from the perspectives of “class,” “status,” “gender,” and “age” (parts 57–72), and addressed in detail one question I feel my readers may have had —are just four perspectives enough (parts 73 on)? Through this process, we have touched on some of the “Other” characters, such as the “Heian aristocrat,” “Westerner,” “country folk,” “cat,” and “Pyo–nese” (parts 76, 77 and 78).
With your permission, we’ll diverge from our main topic to talk about the “Other” characters a little bit more, particularly the “Kansai native”(1) character.
“Why is the ‘Kansai native’ an ‘Other’ character!?” (or in Kansai dialect: “Kansaijin” ga nande “ijin” ya nen!) I hear some of you retorting. As we saw in the example of Junichiro Tanizaki’s novel The Makioka Sisters (parts 15, 16, and 17), in this series I have said I am observing the “Japanese-speaking community,” but in fact I have only been looking at a very small part of this, the “standard Japanese-speaking community.” I apologize for the lateness of this disclaimer. I hope you will be placated to hear that the “Edokko” is also treated as an “Other” character (part 78).
So, what is normal to a “Kansai native” is only normal in the Kansai community, and not in the “standard Japanese-speaking community.”
Thus the “Kansai native” character reeks of “Other.” In fact, counterfeit “Kansai natives,” who try to utilize this smell of “Other” also crop up sometimes. An example of this is the painter in Yamamoto Shugorou’s Me no Naka no Suna:
I know a Western-style painter named T. He was quite well known as a member of the Shujitu Association, and although his paintings were drab and strange, they sold well so he was famous. Although he was born in Shounan(2), he fluently used Kansai dialect, which he said was the “secret to his sales.” He told me, “It’s hard to sell paintings speaking in standard Japanese, but everything goes smoothly when I speak in Kansai dialect. I can pull in the big bucks whenever I need.”
[From Yamamoto Shugoro Me no naka no Suna (in Neboke Shocho) 1948]
Ugh! What an unsavory artist, with his unsavory Kansai dialect! But if we can put aside this reaction (or even if we can’t), we notice the verbal character that this artist of Western-style pictures deploys when making sales is the “Kansai native,” which is a verbal character that specializes in selling things. When I say that “when we wish to engage in a certain communicative behavior, we deploy the character that is skilled at it” (part 11), this principle is not limited to the context of play but can in fact be observed more generally.
This case is similar to the carpet salesman I encountered in a certain Middle East country, who suddenly deployed a “Kansai native” character, saying Sonna tsumetai koto, iwantoite (have a heart!) when his sales negotiation hit a rough patch (part 5). In the case of the carpet salesman, his “Kansai native” is a failed character (part 74), as his sudden use of Kansai dialect for just that part of his sales pitch was strange, and there was no way someone with such a Middle Eastern appearance could pass himself off as a Kansai native (or rather as Japanese). No, this was probably a gag, aimed at failure, to elicit laughter from the customers and propel his sales negotiation in a more profitable direction. This sort of intentional character failure, which I suppose we could liken to a calculated bankruptcy or fraudulent marriage, is also of deep interest.
However, speaking of overlooked cases of “Kansai native” characters, we should probably cite the public prosecutor Yokoi in Takahashi Kazumi’s(3) Hi no Utsuwa.
(To be continued)
* * *
(1) See part 5 footnotes for more on the Kansai native character
(2) A region of central Japan, southwest of Tokyo.
(3) 1931–1971, novelist.


















さて、昨日、9月21日は『新明解国語辞典』の新しい版、第七版の刊行をお知らせする会を開催いたしました。悪天候のなか、いらしてくださった皆さまに心よりお礼申し上げます。








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