「百学連環」を読む

第22回 学域を弁える

筆者:
2011年9月2日

以上で第一段落を読み終わりましたので、第二段落に入ります。

凡そ學問には學域と云ふありて、地理學は地理學の學域あり、政事〔學〕は政事〔學〕の學域あり、敢て其域を越えて種々混雜することなし。地理學は地理學の域、政事學は政事學の域、何れよりして何れ迄其學の域たることを分明識察して、其の境界を正しく區別するを要すへし。

(「百學連環」第1段落第10~11文)

 

現代語訳は次の通り。

一般に学問には学域がある。例えば、地理学には地理学の学域が、政治学には政治学の学域があって、そうした領域を越えてあれこれが混雑することはない。地理学には地理学の領域が、政治学には政治学の領域があり、どこからどこまでがその学の領域であるかをはっきり見て取り、その境界がどこにあるかを正しく区別しなければならない。

ここで言われていることは、むしろ現代の私たちにとって分かりやすいことかもしれません。学術は時代を下るにつれて、その領域をますます細分化し、相互に区別しあってきているからです。ただし、それではそれぞれの学の境界線がどこにあるかをちゃんと知っているかと問われると、少々心許なくもあります。

加えて昨今では、「環境情報」や「神経美学」といった、組み合わせによる学問領域がたくさんつくられるようになっています。例えば、西先生が挙げている「地理学」と「政事〔政治〕学」は、たしかに別の領域ですが、他方では「地政学(geopolitics, Geopolitik)」という学問領域もあります。これはまさに「地理学(geology)」と「政治学(politics)」を融合させたものです。言われてみれば当然のことながら、政治とはどのような地域、風土かということと抜きがたく関係しています。地理を捨象して慮外に置いても問題のない政治学もあれば、地理的条件を考えずには成り立たない政治学もあるはずです。ちなみに、「百學連環」には「地理学」の下位に「政学上地理学 Political Geography」という学域が区別されています(83ページ)。

いずれにしても、学域とは、ある歴史的な経緯のなかで生じてきた人為的な境界線です。ですから、学域について考える際は、西先生が言うように、ある学問の境界がどこからどこまでなのかを認識することが大切です。西欧の文物をどんどん移入吸収しようとしていた明治期には、そうした諸学術にほとんど初めて接する状態だったと言ってよいと思います(それ以前にも切支丹経由の移入はあったにせよ)。それだけに、いろいろある学術相互の違いをはっきり認識すべしという西先生の注意は、大きな意味を持っていたと推察されます。

ただ、それは100年以上を閲した現在、再び人ごとではなくなっているとも思います。今度は、学域というものが、所与のもの、なにか当たり前のものとして受けとられるようになっているからです。例えば、文学と物理学は別の学術であることを疑う人はあまりいないでしょう。しかし、なぜ両者が別の学術として発展しなければならなかったかと問われたらどうでしょう。どうかすると、「だって学校で最初から別々に分かれてたんだもの」という話になってしまうかもしれません。それでは学域がはっきりしているとは言えないわけです。

既に引かれていた境界線を当然視せず、その来歴や現状を確認してみること。さらに言えば、そうした境界線はなおも妥当なものなのかどうかを検討してみること。「百學連環」をいま読むことにはいろいろな意味があると思いますが、百学を並べて、学域相互の違い、現在と過去の違いを総覧してみることは、その一つです。さらに言うなら、西先生の顰みにならって、「百學連環」の現代版をこしらえてみる必要もあるのではないかと思います。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。