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第11回 小説のなかの呪文

筆者:
2011年9月8日

『ハリー・ポッター』では,作品の必然として真正型呪文を使わねばなりませんでしたが,それには問題がありました。今回,考察するのは,(問題その2)「意味が全く分からない真正型呪文だと,読者が何のことか分からず戸惑うのではないか」という疑問についてです。

この問題は比較的単純に解決できます。実例を見てみましょう。以下に挙げる例はすべて1作目の『賢者の石』(Harry Potter and the Philosopher’s Stone)から採りました。

(13) Hermione stepped forward.
  ‘Neville,’ she said, ‘I’m really, really sorry about this.’
  She raised her wand.
  Petrificus Totalus!‘ she cried, pointing it at Neville.
  ハーマイオニーが前に進み出て,言った。
  「ネビル,本当に,本当に,ごめんなさいね。」
  そして,ハーマイオニーは杖を挙げると,
  「ペトリフィカス・トータラス!」杖をネビルに向けて叫んだ。

「ペトリフィカス・トータラス」という呪文は,この場面で初めて使われました。したがって,この時点で読者はそれが何を意味するのか知らないはずです。ですが,すぐ直後に次のような記述が続きます。

(14) Neville’s arms snapped to his sides. His legs sprang together. His whole body rigid, he swayed where he stood and then fell flat on his face, stiff as a board.

 ネビルの腕は両脇にピシッと貼りついて,両脚はピタッと合わさった。体全体がこわばってしまい,その場でゆらりとぐらつくと,うつ伏せにバタンと倒れた。体がカチンコチンで板のようだ。

これなら分かります。「ペトリフィカス・トータラス」は全身の動きをこわばらせて動けなくする術だったのです。つまり,小説のなかでは,意味がよく分からない呪文が発せられたとしても,その後に何が起こったのか描写されるので,何の呪文だったのかが分かるのです(このあたりは,後で取り上げるコンピュータ・ゲームの『ドラゴン・クエスト』の場合とは,事情を異にします)。

したがって,真正型呪文を小説などのフィクションで用いたとしても,それがどのような呪文だったのかは,たいていその後の描写から知れるわけです。

加えて,作者はときおり周到に説明を用意することがあります。

(15) ‘What’ve you done to him?’ Harry whispered.
  ‘It’s the full Body-Bind,’ said Hermione miserably.
  「ネビルに何をしたの」とハリーは声をひそめて尋ねた。
  「全身硬直の魔法なの」ハーマイオニーは申し訳なさそうに言った。

(14)のほぼすぐ後で作者は,主人公ハリーに呪文について質問させています。これはよくある手です。読者と同程度の知識しか持たない登場人物A(この場合,ハリー)に読者の疑問を肩代わりして質問させるわけです。もちろん,質問された側の登場人物B(ハーマイオニー)はこれに答えないといけません。つまり,登場人物Bの登場人物Aに対する説明は,そのまま読者に対する説明にもなるわけです。

要するに,小説のなかでは,使われた真正型呪文が何の呪文であるのか,読者に間接的に伝える手段が確保されているのです。ですから,真正型呪文がたくさん使われたとしても,あまり大きな問題とはならないのです。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。