漢字の現在

第135回 歌わなくてもライブ?

筆者:
2011年10月11日

前回の壇上で話をした際には、ただ一点一画に心を込めて、丁寧にしたためていては時間が足りない。もとより臍が曲がっていて、書家のように上手くもない(母曰く:筆跡は遺伝する)こともあってか、硬筆の類で筆致にもったいぶるかのように手間をかけて実用の字を書く姿を見ると、何だか光陰がもったいなく、場面によってはいやらしくさえ感じてしまう。そもそも、サインペンやチョークのたぐいで、筆のような入り方や止め方を過度にもたせた点画の書きぶりには、自然さが感じられず好きになれないので、自分は失礼にならない程度にサラサラっと書いて済ませる。ごく稀に本にサインをしなければいけないような時にも、大きめの字だとまだ何とかなるのだが、速筆で小さい字ではかつての稽古の甲斐もなく、雑になるばかりだと不向きを実感する。

その後、情報交換会が終わってからも、(内容はともかく)オーバーヘッド、つまりプロジェクター、OHPが良かったという感想が寄せられた。意外なことに、代わる代わる、手書きのスタイルが逆に新鮮だったとおっしゃってくださる。白い紙に黒いペンで、難しい字をすらすらと書いている、次は何の字が書かれて出てくるのだろう、書いた字の一部分をペンで隠すのも面白い、そして今書いた文字がそこに出るということで臨場感が生まれていたのだそうだ。お祭りの後のような時で、少々大げさに言って下さった感を差し引かないといけないが、手書き文字がそれほど減っているということの裏返しなのかもしれない。

講義も講演も、大げさに言うと一種のライブであるはずだと思っている。訥々とした弁舌でも、噛み噛みの話術でも、毎回異なる会場と空気の中で、聴衆と話者とが織りなす瞬間瞬間である。準備した原稿をひたすら読み上げることは、語るということとは異なる。ビデオで伝えないといけない場面もそれはあるのだが、私はできるだけこういう生動感溢れる、直接伝え合える場面を、ヘトヘトになっても大切にしたいと近頃思えるようになった。

「手書きでごめんなさい」、「手書きですが受け取っていただけますか」と、レポートや宿題を持ってくる学生がある時期から現れ、今も後を絶たない。私が学生の頃は、ギザギザな字、特に斜めの線が汚く印字されるワープロが現れ始めていて、新しい物好きな人はすぐに取り入れていた。しかし、それでは筆跡が分からず、誰の文章ともつかないので、レポートや卒論などで禁止する先生もおいでだった。1ドットで点画を表すような、味わいも温もりも乏しく、字体を表すのがやっとのフォントのころだった。思えば、字が手で書くものから、手で打つものに変わる時代だった。

図書館の方々に、短くエビの表記に触れた。「蛯」を書いて示してみたところ、北海道からお越しの女性の方々は、最初、当たり前の字で、何かおかしいところがあるのか、と思ったそうだ。さすが、地域文字にどっぷりと浸かって暮らしていらっしゃる方々だ。エビには何で、書き方がいくつも、色々とあるのだろうと思っていたとのこと。

札幌からお越しだったので、「幌」を音読みすることがあるか尋ねたら、「幌東(こうとう)中学」が有名と教えて下さる。コウは辞書に載ってはいるが、現実の日常では北海道とくに札幌に集中的に現れる音読みだと話すと、エーと意外がっておられた。

函

さらに銭函出身とおっしゃるので、書いてもらったところ、見事に「了」から書き始められた。慣れた、迷いのない筆画だ。第484957回で述べたことを指摘するとまた驚かれる。地域文字を支える無意識がまた示唆的だ。子供のころに地元で表記が「凾」から変わったとのことだ。

「留萠」(この字体について、「何となくできた字」とかおっしゃっていた)が「きちんとした字」の「留萌」になった、あるいは「月寒」の子供のころの発音「つきさっぷ」が「つきさむ」に漢字のせいで変わった、というお一人お一人の経験談も、活字で読んだ記憶と結びついて興味深い。人は、瞬間に空間を移動することはできないし、同時に2か所にいることももちろん、過去に戻ることもできないという制約の中にある。近ごろ話題となったイタリアでの実験に基づき、仮に相対性理論などが塗り替えられても、そうした制約の突破は実現しうるのだろうか。

ともあれ、こういう機会を設けて下さることによって、現実の文字の動態の一端に気づいてもらえる。さらにそのことから、事実のほかに当事者の意識や経験を教えてもらえるという循環は、研究者冥利に尽きる。それ以前に、こういう攪拌役も必要だ、と考えられるようになってきた。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。