2011年 11月 のアーカイブ

フランク・エドワード・マッガリン(2)

2011年 11月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第12回

25歳となったマッガリンは、1886年6月30日に結婚しましたが、生涯、子供はなかったようです。結婚とほぼ同時に、ユタ準州ソルトレークシティにある第3地方裁判所の公式速記官に応募し、1886年9月に採用されました。マッガリンの速記能力が評価されたと同時に、タイピング能力も買われたのです。マッガリンは速記の反訳を、手書きではなくタイプライターでおこなっており、しかも他の候補者の誰よりも速かったのです。当時の新聞を見てみましょう。

実際、マッガリン氏は「タイピングのスピードでは誰にも負けない」と主張しており、その点に関して500ドルを賭けることを明らかにした。氏は、原稿から眼を離さずにタイプライターを打つことができ、指をどう動かすべきか完全に記憶している。氏のタイピングスピードは毎分100ワード以上に達しており、平均的な速記者の速記スピードよりも速い。

―『The Salt Lake Daily Tribune』1886年9月10日(4頁5列)

さらにマッガリンは、以下のような挑戦的な手紙を、シカゴの『The Typewriter Operator』誌1888年1月号に掲載しました。

ソルトレークシティ、1887年12月13日

Typewriter Operator誌編集者御中

国内に多くのタイピストがひしめくなか、数々の種類のタイプライターが使われ、異なるタイピストによって、あるいは異なるタイプライターによって、さまざまな相矛盾する言及が、タイピングのスピードに関してなされている現状を鑑みるに、どのタイピストが本当に速いのか、決着をつけるべき時期が到来しているように思われる。それゆえ、この期におよび、タイプライターの権威である貴誌を通じて、私は以下のアナウンスをおこないたい。

全てのタイピストに挑戦する。タイピングスピードのコンテストで、500ドルあるいはそれ以上を賭けて、私と競われたい。賭金は、コンテストの参加者数で総額を均等に按分し、各人が按分額を事前に準備しておくものとする。場所はシカゴあるいはシカゴ以西のアメリカ国内の都市、期日は1888年7月あるいは8月中とする。ただし、私個人としては、ソルトレークシティでコンテストをおこなう場合には、賭金は50ドルでいいし、期日もいつでもいい。コンテストは、少なくとも2時間以上に渡って、参加者の誰にとっても初見となる裁判所の文書を、タイプライターで清書するやり方とする。タイプライターは大文字・小文字の両方が使える機種を用い、清書後の文章には略符や速記語を用いてはならない。コンテストの審判は3人とし、いずれも中立で公正であること。

読者諸賢の叱正を求む。

F・E・マッガリン

マッガリンのこの挑戦は、『The Typewriter Operator』誌1888年2月号にも掲載され、さらに『The Cosmopolitan Shorthander』誌1888年5月号にも転載されました。そうしたところ、マッガリンの挑戦に応じる者が現れたのです。

(フランク・エドワード・マッガリン(3)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

I Will Always Love You (1992, 全米No.1)/ホイットニー・ヒューストン(1963- )

2011年 11月 9日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第5回

●歌詞はこちら
http://lyrics.wikia.com/Whitney_Houston:I_Will_Always_Love_You

曲&映画『THE BODYGUARD』のエピソード

一時はアメリカが生んだ最高峰のディーヴァとして絶大な人気を誇ったホイットニー・ヒューストン主演の映画『THE BODYGUARD』(1992)のオリジナル・サウンドトラック盤からの大ヒット曲。全米チャートでは何と14週間にわたって首位の座をキープし、このシングル盤は当時アメリカ国内だけで400万枚以上を売り上げた。オリジナルはカントリー・ミュージック界を代表するシンガー/女優のドリー・パートンで、彼女によるオリジナル・ヴァージョンは1974年にリリースされ、アメリカのカントリー・チャートで堂々のNo.1を記録している。この曲の存在をホイットニーに教えたのは共演者で相手役のケヴィン・コスナー(本人の談)。ホイットニー自身はこの曲の存在を知らず、劇中で両者がチャイナ・タウンのレストランで踊るシーンでこの曲のカントリー・ヴァージョンが流れる際、ホイットニーが“It’s a cowboy song, huh!(カントリーじゃないの!)”と言うセリフは、実際に彼女がコスナーに向かって言った言葉をセリフにしたものかも知れない。

当初、マドンナが主役に内定していたが、コスナーとの顔合わせの際に彼が彼女に向かって“You are neat.(君ってイカしてるね)(注:neat=イカした、というのはかなり古いスラング)”と言ったことから、マドンナが「私、“neat”なんて言う男キラい!」と、あっさりと主役の座を降りてしまった、というエピソードを耳に挟んだことがある。劇中でホイットニーとコスナーがインターレイシャル(人種混合)・カップルであるにも拘らず、そのことに少しも触れられていないのは、すでに脚本が出来上がっていたため。

曲の要旨

心と心が離れ離れになってしまった、かつては愛し合っていた男女。特に男性の方はすっかり気持ちが冷めてしまっているよう。別れを決意してみたものの、彼に対してまだ少し未練がある女性は、相手が「行かないでくれ」と言ってくれるのを待っているフシがある。それでも自分から離れて行く彼の気持ちを止める術はなく…。だったらせめて、去って行く彼に思いの丈の詰まった言葉を贈りたい。「あなたの幸せを願っているわ」。そして「この先も、あなたへの愛は変わらないことでしょう」と。

1992年の主な出来事

アメリカ: ロサンジェルスで大規模な暴動が勃発。いわゆる”ロス暴動”。
民主党のビル・クリントンが第42代大統領に当選。
日本: 政治家を巻き込んだ佐川急便事件発覚。竹下内閣が窮地に陥る。
世界: イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃(当時)が別居を公式に発表。

1992年の主なヒット曲

Don’t Let The Sun Go Down On Me/エルトン・ジョン&ジョージ・マイケル
Save The Best For Last/ヴァネッサ・ウィリアムス
To Be With You/Mr. ビッグ
I’ll Be There/マライア・キャリー
End Of The Road/ボーイズ II メン

I Will Always Love Youのキーワード&フレーズ

(a) stay
(b) take ~ with someone
(c) life treat someone
(d) I will always love you

のっけから私事で恐縮だが、この曲には忘れられない思い出がある。大ヒットしていた頃、かつて住んでいた集合住宅に隣接するいずれかの部屋の窓から、毎日のように朝から晩までこの曲を大音量で流し、それに合わせて大声で歌っている女性の(お世辞にも上手いとは言えない)絶叫にも似た声に悩まされたことがあるから。ある時、その騒音はピタリと止んだが、もしかしたらカラオケの練習でもしていたのだろうか。それとも、友人の結婚式で歌うつもりで練習に励んでいたのか…。

タイトルだけを見ると普通のラヴ・ソングである。が、歌詞全体を読めば解るように、これは別れの歌。オリジナル・ヴァージョンを歌ったドリー・パートンの自作で、カントリー・ミュージックのTV番組で共に司会を務めていた男性カントリー・シンガーに捧げたもの。ドリーが同番組を降板することになり、いつまでも変わらぬ友情の証としてこの曲を綴ったのだという。そもそもラヴ・ソングではなかったのだ。ただし、そうしたエピソードを知らずにいると、男女の別れの歌に聞こえる。

一時この曲は日本の結婚式の定番ソングだったが、非常にマズい選曲であるのは言うまでもない。例えば同じホイットニーの不倫ソング「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」(1985/全米No.1)を結婚式のBGMで流すのと同じぐらい場違いな選曲だ。そして筆者は実際にその不倫ソングが流れた披露宴の席に臨んだ経験がある。「この新郎新婦が末永く幸せで暮らしてくれればいいのに…」などと、余計な老婆心を抱きつつ、その曲が終わってくれるのを祈るような気持ちで待ったものだ。

余談はこれぐらいにして。

中学生でも知っている(a)動詞の“stay”を採り上げたのには、それなりの理由がある。曲の中では自動詞として使われているので、改めて英和辞典に載っているすべての意味に目を通してみると、この曲での意味合いに見合う日本語が欠落していることに気付く。「留まる、じっとしている、立ち止まる、滞在する、…のままでいる」というのが辞書にある大まかな意味だが、「留まる」がやや意味的に近いものの、それだけでは不充分。

“stay”は洋楽ナンバーのラヴ・ソングに頻出する動詞のひとつで、例えばこんな風に使われることが多い。

(1) I want you to stay.
(2) I came back to stay.
(3) Please stay, don’t go.

ヒントになるセンテンスは(3)で、“don’t go”が決め手になる。つまり、この場合の”Please stay”と”don’t go”はほぼ同義と言っていい。よって、(1)を意訳するなら「行かないで=ずっと側にいて欲しい」となるし、(2)は「僕は(私は)戻って来たからにはもうどこへも行かない」と言ってるのである。例えば、長いことわけあって家を離れていた愛しい人がようやく戻ってきた時などに言う“I’m home to stay.(直訳:留まるために家に戻った/意訳:こうして帰ってきたからには、もうどこへも行かない)”などがこの曲にある“stay”にあたる。相手の男性の愛情が冷めていると察知しつつも、「でもまだ私に側にいて欲しいのなら…(=離れて行って欲しくないと思ってくれてるのなら…)」という女心が、この“stay”には込められているのだった。

次に(b)の言い回しを使ってセンテンスを作ってみると――

○You took my soul with you when you left me.

直訳すると「あなたが私を捨てた時、あなたは私の魂も一緒に持ち去った」。これでもまあニュアンスは解るが、訳としては稚拙。意訳すると、「あなたが私から離れて行った時、それと同時に私の心も死んだのよ」。これはちょっと失恋ソングにありがちな悲しいフレーズなので、「I Will Always Love You」での使われ方に似たセンテンスを作ってみる。

○When I say goodbye to you, I’m going to take the dreams we shared with me.

「あなたに別れを告げる時は、あなたと語り合った将来の夢の数々を思い出としてもらっていくつもりよ」ぐらいの意味。もちろん、ここの“with”は“shared”ではなく“take”にかかる。“take”が“持ち去る”のか“持っていく”という意味になるのかは、そのセンテンスによって微妙に違ってくることがお解りいただけたのでは。

日本語でいう「世間は私に冷たい」に匹敵する英文は、これまた洋楽ナンバーでよく見聞きする“The world treats me cold.”もしくは“Life treats me cold.”。前者の“the world”は「世界」ではなく「世間」「世の中」「社会」を指す。この曲の歌詞にも登場する言い回しの後者の“life”は、「人生」や「人命」というより「生きていること」に近いニュアンス。(c)を違うセンテンスに書き換えた“If life treats you cold…(生きていることが辛いなら…)”という言い回しは、歌詞によく出てくる。

では、この曲で歌われているフレーズの「人生があなたに優しく接してくれることを願う」とは、実際にはどんなことをいわんとしているのか? 意訳すれば「これからのあなたの人生に幸多かれと祈っている」、「あなたの人生が順風満帆でありますように」といったところだろう。そうした意訳を引き出すポイントは、“life”を“treat(s)”という動詞に惑わされて擬人化してしまわないこと。洋楽ナンバーの歌詞には、こういうのもある。

(4) Love don’t love nobody.(二重否定=否定の強調)/正しくは Love doesn’t love anybody.
(5) Love treated me bad.
(6) Life has been good to me.

(4)はちとややこしい言い回しだが、解ってしまえば何のことはない。直訳「愛は誰も愛さない」ではちょっと意味不明になる。そこで思い切った意訳をすれば、「恋愛は誰に対しても上手く行かないようにできている」。(5)は直訳「愛は私を酷く扱った」、意訳「私は恋愛運にソッポを向かれた」。いかがだろうか? (6)も同様に、直訳「人生は長いこと私によくしてくれてきた」(←日本語としてヘン)、意訳「私はこれまで恵まれた人生を歩んできた」。こうした見慣れた単語でできている平叙文こそ、いざ訳すとなると手こずるものである。

そして肝心のタイトル。これ、みなさんならどう訳します?

○私はいつもあなたを愛するでしょう
○私はこの先もあなたを愛するでしょう
○私はずっとあなたを愛するでしょう

いっそのこと、

♪I’m gonna love you for always

としてくれた方が解りやすい。これなら「これからもずっとあなたを愛するつもりよ」となるから。“for always”は“forever”と同義。“always”にも“永遠に”という意味合いが含まれているから、この曲のタイトルを「いつまでもあなたを愛するでしょう」としてもいいわけで、それはそれで間違いではない。

けれど、ちょっと待って。これ、別れの歌だったでしょ? となれば、タイトルにもなっているそのフレーズには、もう少し違う意味合いが込められているのでは、と疑いたくもなる。そこで筆者はこんな大胆な解釈を試みた。

○あなたがいつ私のもとへ戻ってきても、あなたへの愛は変わらないままでしょう

そう考えると、この曲の主人公が別れることになった男性への思慕を募らせている状態が手に取るように判って切なくなる。「あなたをいつだって愛するでしょう」という内容から、結婚式の定番ソングになってしまったことを想像するのは容易い。が、シンプルな愛の言葉“I will always love you.”が常に永久の愛を誓った相手に捧げる言葉とは限らないのだ。ホイットニーにとっては門外漢のカントリー・ソングとは言え、互いに愛情を残しながら別れるしかなかった『THE BODYGUARD』の男女の心境が歌詞に反映されていると考えたコスナーが、彼女にこの曲を教えた、というのにもうなずける。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

【11月20日まで開催中】三省堂 近代辞書の歴史展から

2011年 11月 9日 水曜日 筆者: ogm

創業130周年を記念し、三省堂書店神保町本店1階で開催中の「三省堂 近代辞書の歴史展」。連日多くの方に足を運んでいただいております。ありがとうございます。

今回、実物展示ということで、できるだけ紙面をお見せするようにしていますが、展示の都合上むずかしかったものや、字が小さすぎて見えないものもあると思います。もうちょっとちゃんと見たかったとお思いの方もいらっしゃるかもしれません。ということで、ここで展示会の番外編といいますか、ほんの少しだけ紙面の画像などご覧いただければと思います。 ※それぞれの画像は、クリックでページ全体を拡大表示します。

ある辞典の本文1ページはこのような感じです(どの辞典かは、ぜひ会場にてお確かめください)。

どうやって使っていたのでしょう……。当時、飛ぶように売れたそうです。

下は、今回閉じて展示をしております、左:『新訳英和辞典』、右:『新式日英辞典』です。

 

日英辞典、つまり和英辞典ですが、Aから始まります。見出しの日本語はローマ字で示され、配列もアルファベット順です。

ほんの100年ほど前ではありますが、当時の辞書の姿を見ると、現在の辞書の形になっていくまでには相当な試行錯誤があったのだろうなと想像されます。画像では雰囲気までをお伝えできないのが残念です。ぜひ、実物をご覧いただければと思います。

イベントの詳細はこちら⇒【お知らせ】三省堂 近代辞書の歴史展(11月4日~20日)

漢字の現在:2種類の「竜」と「龍」

2011年 11月 8日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第143回 2種類の「竜」と「龍」

 中学生たちに、「烏龍茶」を、簡体字で「乌龙茶」と板書してみせたところ、「「茶」だけまともだ」と笑う。恐竜の骨のように見えるのかも知れない。「竜」の字体も、中国産であるはずだが、大学で中国人留学生たちに聞くと、中国にいるときにはふだん見たことがなかったそうだ。繁体字とされた「龍」は、まだドラマなどで、筆字として見て知っていたとのことだ。

 台湾人留学生は、逆に台湾にいたときに「龍」だけを知っていて、日本のメディアの影響でたまに見かける「竜」については、「日本の字」だと認識していたそうだ。日本では、現在、名前として案外「龍」のほうが人気がある。教え子にも、自分の名にあるのは「竜」だが、弟の名に使われている「龍」のほうがよかった、と語る者がいて、筆記の経済性を超えた要求がそこにはあった。ベトナムでも、かつての版本では「竜」やそれに近い字体をよく目にする。あるいは、好みに時代差や地域差があるのだろうか。

 「龍」と「竜」について、日本では中学生をして、東洋の、西洋のなどと使い分けようとさせる(前回)。日本人は、それほど早い時期から字体が与える視覚印象や表意性を重視しているのだ。漢字を知らない幼稚園児でも、ポケモンなどをとおして、リュウとドラゴンとで概念の区別を行い始めている。そういったことからすれば、「龍」の簡体字が、中学生にとっても異様に写るのは当然のことといえそうだ。

 1つでも個性とインパクトをもつ「龍」の字だが、これが複数合成する字が、大きめの漢和辞書に載っている。

 龍が2匹並んでいる。意味は、飛龍。『説文解字』に出る古い字だ。龍が1匹飛んでいても大事件であろうが、それが2匹。二龍として使用された例も残っている。2龍並び飛ぶことからそういう意味になったと解され、テレビ番組でも、この字について2匹の龍が飛ぶ様子を絵入りで伝えていたのを見たことがある。後に「おそれる」という字義も生じている。話が面白く広められるのはテレビの力だが、使い途がない字なのか、ほとんど話題になることはない。

 「襲」の字も古くは、上に「龍龍」(以下、本当は1字)を抱く形が籀文(ちゅうぶん)という周代の秦地方の書体であった。その上部が「竜竜」のような形をとる古い字もあったことが知られている。これらは、古代の考古学的な漢字との整合も取れるようで、金文にも2龍が記された「襲」の例がある。

 藤堂明保は、「龍龍」はトウ・ドウ・ソウ(タウ・ダフ・サフ)という字音だったため、「襲」の発音を表す声符に利用されたものだったと解した。その「龍龍」に、さかねる意も見出している。一方、白川静は同じ構成に対して会意とみた。いずれにせよ、画数の多さを避けて、筆記経済を求め、あるいはバランスを追求し、「龍」は一つに省略、統合されたといえようか。

 常用漢字表には1981年に「竜」が採用されたが、それに先だって当用漢字から入っていたのは「龍」を含む「襲」であって、その併存が公式なものとなっている。昨年改定された常用漢字表でも、カゴでは、使用頻度の高い所ではよく使われる「篭」を押さえて、「籠」が入った。「龍」の右下はみなきちんと3本書けているかというとそうでもない。昔から3本は多すぎ、単調だと思われたようで、「テ」「〒」のようにしばしば変形していた。芥川龍之介など、教員や教科書編者にこだわりを発揮される個々のケースでは、学校教育でもこの「龍」という字体が教えられることもある。地名、人名には使い分けが公的なものとしても存在している。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「中学生と「竜」」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

大規模英文データ収集・管理術 第11回

2011年 11月 7日 月曜日 筆者: 富井 篤

「トミイ方式」の変遷・2

(3) カード時代

「ノート時代」の数々の弊害から脱出し、次にたどり着いたのが「カード時代」です。この時代は、英文データを図書カード(タテ7.5cm、ヨコ12.5cm)に収集・整理していました。この時代は、今から約10年前に「コンピュータ方式」を採用するようになるまで約20年近く続きましたが、これこそが、まさに、「トミイ方式」の黄金時代でした。

最初は、市販の100枚綴り300円とか400円のカードを使っていましたが、その消費量がどんどん増えていきましたので、一度に10万枚単位で特注するようになりました。容れ物も、最初はお菓子やクッキーの箱に入れていましたが、数が増えるに従って容れ物を上下に積み重ねなければならなくなり、1個の中に1,500枚のカードを収納できる、1個7,000円のカードケースを購入し、その中にカードを収納するようになりました。今では、そのカードケースの数も220個になり、35万枚のカードを擁し、筆者の仕事場の中央に鎮座ましましています。

「カード方式」にたどり着いたとは言え、そこでもまた試行錯誤があり、最終的な姿に落ち着くまでには、以下のような変遷がありました。いずれの方式にしても、この「カード方式」が前回述べた「ノート方式」と決定的に違うところは、この「カード方式」は物理的な収納場所が必要になるということです。その収納場所というのが、上に述べたお菓子やクッキーの箱であったり、カードケースであったりするわけです。

(a) 複件一葉式
(b) 1件一葉式
(c) 複文一葉式
(d) 1節一葉式

それぞれの方式についての詳しい説明は後に譲りますが、ごく簡単に説明すると下記のとおりです。

(a) 複件一葉式

これは、「1枚のカードに複数の同種の英文データを記入する」というやり方です。前回述べた「ルーズリーフノート方式」の轍を踏まないように、末端単位の分類もかなり細かくして、1枚のカードには、なるべく同類のものを記入することに決めてスタートしました。しかし、記入した時は同種のデータだと思っていても、件数が増え、分類も細かくなっていくと、その中のあるデータは別のカードに移籍しなければならなくなってしました。例えば、「このカードには、前置詞 in を使った英文例を収納する」と決めて1枚のカードには in を使った英文例だけを記入して行ったのですが、それでも、やがてそのカードの中のデータを精査してみると、キーワードが in であることには変わりないのですが、意味や用法の違う in を使った英文例が混淆していることにぶつかってしまい、その中のデータをいくつかの別のカードに分けなければならない必要性にせまられることになります。
そこで、次の「1件一葉式」に切り替えざるをえませんでした。

(b) 1件一葉式

これは、「1枚のカードには絶対に1件の英文データしか記入しない」というやり方です。この方式だと、カードに空きスペースができ、もったいない気がしましたが、これに徹しました。この方式ですと、データの行き詰まりには直面しませんでしたが、暫く続けて行くと、対象収集項目が増えて行き、この側面から、また、新たな問題が発生してしまいました。それは、ある一つの文章の前後にある文章との連続性の途絶です。これには、以下に示すいくつかの理由があります。

○ 前の文章との関連性から
英文では、前の文章のある名詞を受け、いきなり It とか They 等で文章が始まることがよくあります。その時、その It や They が何を表しているかわからないと文章全体がうまく訳せないことがあります。そのため、1文だけで文章を収集しておくと、後々、その処理に困ることになります。これを回避するため、できる限り前の文章も一緒に収集しておいた方がよいことになります。

○ 前後の文章との関連性から
よく、英語は「同一文の中ではもちろんのこと、隣接した文の中でも、同じ言葉や言い回しを使うことは、筆者のインテリジェンスの低さを表す。したがって、できる限り、表現にはバライエティを富ませた方がよい」と言われています。「トミイ方式」では、この表現のバリエーションも収集対象になっていますので、この目的のためには、できる限り多くの前後の文章も一緒に収集しておいた方がよいことになります。

この「表現のバリエーション」にご興味をお持ちの方は、「技術英語構文辞典(富井篤著)」(三省堂)をご参照ください。「2.4 表現の変化と統一」(p.352からp.378まで)に詳しく書かれています。

○ 全体の文脈から
件(くだん)の言葉や言い回しが使われている文が、どのような文脈の中で、どのように使われているか理解するためにも、カードのスペースが許す限り、できるだけ多くの前後の文章も一緒に収集しておいた方がよいことになります。

このようないろいろな理由に促され、どうしても、複数の文を1枚のカードに収集する必要性に迫られてきます。そこで、行きついたのが、次に説明する「複文一葉式」です。

(c) 複文一葉式

これは、上にも述べたように、件の言葉や言い回しが使われている文に対し、その前後にある文章を、カードのスペースが許す限り、たくさん収集する方式です。そしてそれは、究極的には、「1つのパラグラフ全体を1枚のカードに収集する」ことにつながります。これを、仮に、「1節一葉式」と呼んだとしますと、この「1節一葉式」こそ、今から約15年前から、「コンピュータ時代」に入っている現在でも、脈々と流れている「カード方式」です。

(d) 1節一葉式

「カード時代」になり、「(c) 複文一葉式」に進化したころから、カードに手書きしていた時代から原稿をコピーし、それを巧みに処理する収集法が採られました。この「1節一葉式」は、プリンタによるコピーを抜きにしては、絶対にできない方式です。

ただ、この章は、「トミイ方式の変遷」について述べているところですので、この収集法については、後ほど、「カード方式」による「英文データの収集と分類・収納」(I) のところで詳しく述べることにします。

次回は、「(4) コンピュータ時代」です。

【筆者プロフィール】

富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。

ドイツ料理―メットヴルスト(Mettwurst)―

2011年 11月 7日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(120)

初めてドイツで暮らして日も浅かった頃に、ドイツのスーパーマーケットで日本でも見慣れた赤いフィルムでラッピングされたソーセージを見つけた。買って帰って、おとなしくパンといっしょに食べようと思ったら、凹むばかりで、フィルムの上からナイフが入らない。ミートペーストをソーセージの形にまとめてフィルムでくるんであるのだと分かり、仕方ないので果物のようにフィルムをむいて、パンに塗って食べた。結果的に正しい食べ方であったようだ。Mettwurst との初めての出会いである。

子供の頃家中で父だけがレバーペーストが好きで、輸入品がよくうちにあったから、満更知らないものではなかった。けれども好きではなかった。レバーの血なまぐささが嫌いであっただけではない。考えてみれば例えば練りウニと同じ理屈の食べ物なのだが、肉のペーストというもの自体がどうもぞっとしなかったのだ。

古くに低地ドイツ語から入ってきたこの言葉の、Mett- というのは、脂身のない豚の赤身のミンチを意味し、英語の meat と同語源なのだそうである。そうだとすると、よく意味の分からない命名である。脂身のない肉などは下等で人気のない部分だから、これは私見だが、「普段の食事用の、すぐ食べられる」というような意味だったのではないだろうか。

あまり食指の動かなかったこういう Mettwurst も、ドイツ生活に慣れてくるに従い、ちゃんとした肉でありながら、日持ちがし、手軽にさっとパンに塗って食べられ、しかもボリュームも栄養もあるとなると、手放せなくなってくる。私は古い世代に属するからこうなるまで一段階経ねばならなかったが、子供達となると最初から「紅毛人の野蛮な肉食」を恐れ嫌う心性など持ってはいないから、すぐに Mettwurst は好物となって、帰国後も日本で手に入らないのを嘆くほどであった。

最近ようやく独仏の輸入品が少しずつ手に入るようになった。また本格的なハム・ソーセージの職人が日本でも育ってきて、「生サラミ」などという名前を付けたりして、広めようとしているようだ。

【筆者プロフィール】

石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員

【編集部から】

2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 85

2011年 11月 6日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 84

Verbal characters with partial designations (Part 3)

Let’s try one more exercise by way of review of what we’ve discussed so far.

(Exercise) Read the following text. Explain why the narrator says “[my] dignity would not allow me to nod [to him] sycophantically” in the underlined portion.

In packs of children, like packs of dogs, a single strong member can make all the rest cower before him. After Shoda went, leaving me unchallenged, I took advantage of everyone’s obedience to lord my authority over them, and acted as the neighborhood bully. I have forgiven myself though, as this was the most sensible thing to do at the time.

(…)

Then a family-owned embroidery and gold-leaf business moved into the home due West of ours, and their son, Tomikoo, became my classmate. He was a totally untalented child, but since he was well-spoken, two years older than me, and strong, he immediately became the top bully. Not only could I no longer wield my authority, [my] dignity would not allow me to nod [to him] sycophantically, and so I became the sole outcast.

[NAKA Kansuke(1), Gin no Saji(2), 1913]

(Sample answer) As explained in the first part of the text, the narrator is a neighborhood bully who deals with all his classmates as a high-ranking “superior.” Here we should note that “superior” is a character, not a style. In other words, although his position as “superior” was in reality subject to change, it was assumed that it wasn’t. When the stronger boy Tomikoo entered the school, the narrator could not ingratiate himself, because (as one can imagine) this would have been awkward for the classmates who had, up until them, treated the narrator as a “superior,” and it would have been embarrassing for the narrator. Therefore, the narrator could not deploy an “inferior” character in front of all his classmates.

What do you think? Naka Kansuke’s Gin no Saji has been lauded as a work that portrays the world of children through a child’s eyes; the first part used for the question is from the 43rd paragraph, while the second part is from the 49th. This work was written 100 years ago, but thinking back on my own childhood, the world of children was complicated, and contained various issues of “dignity.” As we saw in the above, within such issues of “dignity” are areas related to character, and as we have seen (part 23), we do not learn these things as adult members of society, but rather we are aware of them from a very young age. Actually, we discussed some boss-types who, like the above neighborhood bully, fell from power (parts 51 & 52: From “high” to “low”?). In the novel Aru Onna, over the course of the long sea voyage, Mrs. Tagawa feels anguished at the threat to her position as “boss” posed by the young, beautiful Youko Satsuki. In sumo, a Yokozuna will sit out the tournament or retire before allowing himself to be demoted; in other words demotion is not possible for him. These examples are fundamentally identical to the narrator, who says “[my] dignity would not allow me to nod [to him] sycophantically.” In understanding this, it would be wrong to use “class” and “gender,” as Mrs. Tagawa was a refined lady, but the above narrator and the Yokozuna are not. Nor would the value of age be useful, as Mrs. Tagawa was elderly, but the narrator was young, and the Yokozuna has no specific age. It is only convenient to use the perspective of “status” when talking about “superior” and “inferior” characters. The provision that I stated before, that “it isn’t necessary to designate a value for each perspective,” comes from this kind of thinking.

* * *

(1) 1885–1965 Novelist.

(2) English title “The Silver Spoon”

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 85

2011年 11月 6日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 84

指定为一部分的话语角色形象(下)

首先,兼复习来做道题吧。

(问题)请阅读以下文章并说明,“我”为什么会像划线部分中那样“在面子上也不能低着头走”呢?

孩子的社会跟狗的社会一样,强者能够让剩余的其他人都听从于自己。自从莊田不在了之后,我就成了老大。我利用大家的顺从尽逞淫威。不过,比起同龄中其他的孩子王来说,自认为我还算是最懂事理的一个。

[中略]

那个时候,西边搬来了以缝箔为副业的一家人。那家名叫富公的儿子转到我们班上来了。他虽有点笨拙,但口齿伶俐,再加上岁数又都比我们大两岁身上有劲儿,马上他就成了班上的老大。然后呢,我不但不能像从前那样耍威风,而且在面子上也不能低着头走,自然而然地我就被排斥在圈外了。

[中勘助《银匙》1913]

(解答例)在这段文章的前半部中所叙述的那样,“我”作为孩子王以“格”高的“目上(Me-ue)”来跟班上的同学们接触。需注意的一点是,这个“目上(Me-ue)”不是形式,而是角色形象。也就是说,“我”是“目上(Me-ue)”的事实,虽可以有改变,但在本质上却不能变。即使比“我”厉害的富公转学过来了,“我”也不能点头哈腰地作为“目下(Me-shita)”来跟富公接触。如果那样做的话,不光是知道我从前“目上”角色那一面的人们(虽然他们能立即察觉到究竟是怎么一回事儿)觉得尴尬,就连我自己也会感到非常地羞耻。因此,当着大家的面,“我”难以发动“目下(Me-shita)”角色。

大家意下如何? 中勘助的《银匙》被评为是以孩子的目光来描述孩子世界的作品。问题文的前半部分选自该小说的第43节,后半部分选自第49节。这是100年以前的作品了。来回想一下我们的童年时代吧,其实孩子的世界也相当复杂,在那里也有很多“体面、面子”的问题。我们以前也提到过(见第23节),这个“面子”当中有关系到角色形象的部分。关于这些,我们似乎并不是在长大成人之后才以社会成员的心得来学到,其实在更早的幼儿时期就有所领悟了。

其实,以前也叙述过像孩子王那样从老大的宝座坠落下来的情节(见第51节第52节的《由“上”到“下”?》)。在一段船上生活中,险些被年轻又美丽的早月叶子夺去老大地位而苦恼的《一个女人》中的田川夫人;还有,只有不出场或者退役但绝对没有降级(即下降“格(调)”)的相扑横纲,这些难道不都跟“在面子上我不能低着头走”的“我”差不多吗?如果是那样的话,与其讨论“田川夫人是高雅的女性,而“我”和横纲不是”这类的“品(格)”和“性别”的值、再或者“田川夫人年老,而“我”还幼小,横纲哪个都不属于”这类关于“年龄”的值、倒不如只考虑“格(调)”的角度来讨论“目上(Me-ue)”和“目下(Me-shita)”。这样的话,岂不更加方便了吗?在上一节中提到的“可以不指定值”的措施,正是由此想法而产生的。

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第175回 九州で信州弁の謎かけ

2011年 11月 5日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第175回 九州で信州弁の謎かけ

 この秋、観光立県をめざす長野県が福岡市を中心に大々的に信州観光のPRを行いました。そのアイテムの一つが福岡市地下鉄の車内釣り広告で使われたポスターです。

【信州へ行かず。信州そば、食わず。】
【信州へ行かず。信州そば、食わず。】(クリックで全4種を表示します)
資料提供:長野県企画課

 これをご覧になって、「おや?」と思われたら、製作者のねらい通りというものです。

 「『誘い文句がくるべきところに、なぜ、否定の言い方をしているのだろう』との疑問を出発点に、信州に興味を持っていただきたいとの思いで、じっくり広告を見てもらえる時間のある電車内で、あえてひねった信州弁を使いました」とは、このポスターのコピーを考え出した担当者の方(長野県企画部企画課ブランド推進係)のお話です。

 この一見、反対言葉のように感じられる表現ですが、長野県上田市あたりでは、「真田の逆さ言葉」と解説する場合があります。由来は、戦国時代にさかのぼります。甲斐の武田信玄の軍勢に攻め込まれた真田勢は、敵を混乱させるために、わざと反対の言い方をしたというのです。もっともらしい説明ですが、事実は、その当時の一般的な表現が少し形を変えて、使われているのです。

 「行きましょう」という誘いかけを、当時は「行かうず」と言いましたが、その「う」が落ちた形で現在もつかわれ続けているわけで、「古語は方言に残る」の典型と言えます。なお、「ず」の語源については、平安朝古文にさかのぼり、「むとす」→「むず」→「んず」→「うず」→「ず」と変化したと考えられています。

 ところで、武田信玄のお膝元・甲府市でも「行かず」を使っています。地元の方に、由来を尋ねると、これは「武田の逆さ言葉」といって、武田勢だけにわかるように、わざと反対の言葉を使ったのだと、上田市と同様の説明を受けることがあります。

 いずれも、民間語源(言語学的な裏付けを伴わない語源解釈)ということになりますが、そこに込められた地域の人々の思いを読みとることが大切と思われます。

 この点について、民間語源の語に変えて「当事者語源」という表現の使用を柴田武氏(言語学者)が提唱されています。

 さらに、この一見「逆さ言葉」に見える勧誘表現は、『方言文法全国地図』(国立国語研究所刊)では、長野・山梨から静岡まで、東中部に連続的に分布しています。静岡では、どんな語源説明がなされているか、探りたいものです。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」目次へ

【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

大橋敦夫先生監修の本大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

【11月20日まで開催中】三省堂 近代辞書の歴史展

2011年 11月 4日 金曜日 筆者: ogm

創業130周年を記念し、三省堂書店神保町本店の1階フロアにて、近代辞書の歴史をたどる展示会を開催しております。期間は、11月20日(日)まで。

初日の4日、どきどきしながら展示の様子をうかがってきました。お店に入ると、何人かの方がガラスケースをゆっくりのぞいていらっしゃる姿が。ほっとしながら、あらためて一つひとつ順に、こちらものぞきこんでみました。

11月4日の展示風景『英和袖珍字彙』は、三省堂が初めてつくった辞書。今から見れば、不思議な組版にちょっと気になる説明もあるのですが、当時はベストセラーだったというから、きっと画期的なものだったのでしょう。そして、なんといっても、正面にでんとかまえる『日本百科大辞典』の図版の美しさ。これが明治から大正につくられたというから驚きです(膨大な費用がかかり、三省堂が倒産する原因となってしまったわけですが……)。

大きな辞書もたくさんありますが、小さな辞書も多いことに気づきます。そして、薄いのに丈夫で裏写りしないインディア紙、限られた紙面にたくさんの知を詰め込みながら見やすさも維持するための活字……等、創業当時から、実用的なものを生みだそうと尽力してきたことがうかがえます。

先輩たちの仕事に敬意をはらいながら、現在の実用に足るものを追求していきたいと、思いを新たにするのでした。

辞書の実物もさることながら、用例採集カードや活字組版の実物が見られるのもなかなかないことです。ぜひ、皆さまお誘い合わせのうえ、ご覧いただけましたらと思います。

イベントの詳細はこちら⇒【お知らせ】三省堂 近代辞書の歴史展(11月4日~20日)

漢字の現在:中学生と「竜」

2011年 11月 4日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第142回 中学生と「竜」

 前回の「02娘01」などは、プリクラなどで健在のようだ。

 「仲仔」(なかこ)もまた仲良しの意で使うそうだ。さすが現役の中2女子だ。しかし、大学生になると、もう古い、誰も使っていない、なんていう。が、それはそういう層を脱したための感想にすぎない。このように同時代人であっても、僅かに層を異にするだけで、意識は実態と乖離するのだ。古くなったのは表記の方ではない。情報が氾濫する現代においても、このような誤解がはびこる。まして古代においては、同時代人の発言といえども、扱いには十分な検討と注意が必要なことがうかがえるであろう。

 一番画数の多い漢字は何か。2人が質問してきた。多感な小学生も興味を持つようでよく尋ねてくるテーマだ。私も、当時は知りたいことの一つだった。「たいと」だか「おとど」という男子中学生がいた。入門にふさわしい60画台から、70画台、80画台の字をいくつも書けば時間が長びいてしまうので、ちょうど上梓したばかりの『漢字の現在』を、図書館で読むことをおススメしておくにとどめた。受験勉強も始まろうかという今、読んでくれただろうか。

 辞書は、便利なものだし、有益な情報を得やすいものである。しかし、漢字に関しては情報が満ち溢れているとは限らない。ことに字体についてはそうで、世間に出回っている「龍」と「竜」についても、限られた紙面の中で、旧字体、新字体などのレッテルしか書かれていない(それもときに記号化されている)ことがほとんどだ。国語も漢和も、これらの字を中黒「・」で結んだり、丸括弧「( )」で示したりするくらいで、現実のコノテーションやコロケーションについては情報が皆無か、まれに付されたとしても極めて少ない。

 大きく分けて、この2つの字体が世上での用例に偏りを持っている。ファンタジー小説では、両字体を別の物を指すために区別して使っているものさえもある。それぞれの字体と、そうした文脈の中で接触する。

 これらの事象が個々人の意識と違和感なく結びつき、みずからも分けて使用しようとする意識を醸成し、実際に使ってみるという経験を生むのだろう。内省により次の意見が飛び出した。世代的に見て、ドラゴンボールやポケモンの影響もありそうだ。

  大きい・小さい
  長い・短い
  本物でかっこいい・かわいいキャラクター

 「きょうりゅうのみぶんの差」というのも、単語の選び方が中学生らしい。「本物」というのは、実在を意味するのだろうか。

142_1.jpg

  強い・弱々しい
  いかつい・かわいい
  かっこよさそう・弱そう
  怖い・やさしい
  悪い(災害をもたらす)・悪くない

 ストーリーやジャンルと絡めるものもあった。

  伝説・昔話
  伝説・生物
  神話・水の中

 最後の記述の後者は、かつてのネッシーなど実在しそうだというイメージなのだろうか。

 名詞と固有名詞という、使用される品詞の差を見出した生徒もいる。

  想像上・地名などそれ以外
  名前で使う・使わない
  名前・地名

 音訓という読みの差を意識した解答もあった。

  りゅう・たつ

 常用漢字表に基づく字体の「新・旧」に言及するものもあった。「字が新しい・古い」としたのは、誤解ではなく、順不同に記しただけかもしれない。大学生となると、字が発生した時期の古さの差にまで言及する者がある。別字意識とは異なる認識といえる。

  旧字・新字

 そして、洋の東西で姿が異なることと絡めた答えもいくつも提示された。

  東洋の龍・西洋のドラゴン
  中国の羽なし・ヨーロッパの羽あり
  外国・日本

 下記もそのイメージの一端であろう。大学生では、竜は火を噴くなどという意見も出る。先の大小・強弱、そしてジャンル、品詞、音訓、字体までが相互に連関をもっているように思えてくる。

  空飛ぶ・歩く
  つばさが生えてて大きい・青竜
  うろこが多い・少ない

 中には、逆のイメージを記す生徒も僅かにいたが、「ボスクラス」というだけの記述は「龍」のような気もするが、メディアによっては「竜」かもしれない。実際にその瞬間に思い描いたのはどちらだったのだろう。「シェンロン」とだけあるのは、アニメ「ドラゴンボール」に登場する、その名の通り中国風の神龍のことだろう。これは、上記の傾向から、「龍」のほうを指したものと思われた。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「中学生の文字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

「百学連環」を読む:学に定義あり

2011年 11月 4日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第31回 学に定義あり

 学問とはなにかという検討の続きを読みます。

 而して其學に定義と云ふあり。則ちdefinition. 故に政事學は政事學の定義なかるへからす。

 國とは何等を指して國と云ふへきものなるや。徒に土地あるを以て云ふ語にあらす。土地ありて人民あり、人民ありて政府ある之を國と云ふ。則ち英語state. 國の字は元ト或の字なり。其を境界して國と爲すの字なり。

(「百學連環」第2段落第15〜17文、第3段落第1〜6文)

 現代語に訳してみます。

 そして、学には定義というものがある。〔英語でいうところの〕definitionだ。政治学には政治学の定義がなければならない。

 〔例えば〕「國」とはなにを指してこう呼ぶべきものだろうか。単に土地があることを指す言葉ではない。土地があって人民がおり、人民がいて政府があることをもって「國」というのだ。英語ではstateという。「國」という字は、もともと「或」という字である。そこに境界を設けて「國」とした字なのである。

 それぞれの学問には定義があるというわけです。最初にここを読んだとき、「政治学とはなにか?」という意味の定義なのかと思いました。つまり、それぞれの学問についての定義がある、と読んだわけです。しかし、そのように読むと、次に学問の定義ではなく、「國」という言葉の定義が現れるので「はてな?」と混乱してしまいます。

 そこで戻ってもう一度読んでみると、政治学そのものの定義ではなくて、政治学には政治学で用いられる定義があるというふうにも読めそうです。それぞれの学問にはそこで使われる言葉や概念についての定義がある、と補足してみたくなるところ。

 例として持ち出されるのは「國」という言葉です。明示されているわけではありませんが、おそらく「政事学」に関わる語として選ばれているのでしょう。現在では「国」と書くことが一般的ですが、このくだりを理解するためには「國」でなければなりませんので、現代語訳でもそのままとしました。

 土地があるだけでは國ではない。土地の上に人民がいる。人民がいるだけではなく、政府がある。これらが揃っているのを「國」というわけです。面白いことに、『西周全集』第4巻のこの箇所の欄外には、右のような図が添えられています。「土地」と「人民」があり、その上に「政府」が大きく書かれ、円で囲われていますね。三者の配置と大きさの違いが気になります。「土地」と「人民」を共に「政府」が管轄するという見立てでしょうか。これが西先生による図なのかどうかは分かりません。

 「國」と並べて参照されているstateという英語は「国家」や「国」の他に「状態」という意味もありました。その語源であるラテン語のstatusは「立っていること」「背丈」「位置」「状態」「政体」「論争」といった多義を持つ言葉です。「国」とstateをめぐる古典語、英語、漢語、日本語の関係を追跡してみたいところですが、脇道に逸れすぎるのでここでは見送ります。

 「國」の字の読み解きも興味あるものです。「或」を「口」で囲って「國」となったというわけです。ところで「或」という字そのものについても、これは「口」で区切られた場所を「戈(ほこ)」で囲い守るという説明を見たことがあります。それをさらに「口」で囲うとどうなるのか、頭がこんがらがってきそうです。それはともかく、漢字の場合、その姿形自体に意味があり、そのことが定義にも響いてくるという次第。

 一口に「國」といっても、定義しないでおくと、人によってまるで違った意味で使ってしまうということがあります。だから、どのような意味で用いるのかということを明らかにしておく必要があるのでした。

 しかし、ここが言葉の厄介なところですが、それでは「國」の定義に含まれる「土地」とはなにか、「人民」とはなにか、「政府」とはなにか……という具合に定義は定義を呼びます。言葉が言葉によって定義される限り致し方のないところでしょう。ときどき辞書を読みながら、「ここに使われている言葉の相互参照の具合を線で表してみたら、どんな網目が浮き上がるだろう」などと空想することがあります。言葉を使ってなにごとかを表すということは、否応なくそうした言葉同士の連環の全体と関わることでもあるのです。

<< 前回  次回>>

*

◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「「百学連環」を読む」目次へ

筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

*

【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

談話研究室にようこそ 第15回 失敗する呪文(その1)

2011年 11月 3日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第15回 失敗する呪文(その1)

 前回前々回で,『ハリー・ポッター』の呪文がラテン語もどきになっていることを確認しました。ラテン語には由緒が正しく,むずかしい学問的なイメージがあるので,真性型呪文にはぴったりだったわけです。

 ラテン語のイメージと呪文の関係を確認するのに,おもしろい事例があります。『ハリー・ポッター』では,登場人物が唱える呪文が成功しないことがときどきあるのですが,なかでも呪文自体に問題があると考えられる例が,小説では私の知るかぎりふたつあります。そのどちらも,ラテン語とは似ても似つかない代物なのです。失敗する呪文にも作者の意図が込められている。そのことを観察しましょう。

 ひとつは,第1作目の『賢者の石』で,ハリーの親友ロンがホグワーツ魔法学校に向かう汽車のなかで試みる呪文です。(映画では,同様の呪文がもう一度別の場面で笑いを取るために使われています。)

(19) Sunshine, daisies, butter mellow,
Turn this stupid, fat rat yellow.
お日さま,ひなぎく,熟したバター,
このアホなでぶネズミ,黄色にかーわれ

 間の抜けたなかにも詩的な雰囲気のある呪文(?)です。黄色を連想させるもの――日の光,ヒナギク(の花の中央部分),バター――に呼びかけて,自分の飼っているネズミの毛を黄色にしようとしました。でも,ネズミは寝たままです。何も起こりません。

 この呪文は,形としては,真性型呪文ではなく普及型呪文と言えそうです。「このアホなでぶネズミ,黄色にかーわれ」が呪文で行う内容を知らせる「効能説明」です。そして,その前にくる「お日さま,ひなぎく,熟したバター」の部分が,「呪術的前付け」に当たります。「ちちんぷいぷい,イタイのイタイの飛んで行け―」で言うところの「ちちんぷいぷい」の部分です。単語それぞれの意味は分かりますが,なぜ3つのもの(お日さま,ひなぎく,熟したバター)が結びつけられているのか,少し考えないと分かりません。付言すると,daisy(ヒナギク)の名称はday’s eye(日の眼)に由来し,太陽と深い関わりがあるそうです。

 この呪文のユニークな特徴は,やはり,ひとつひとつの単語の意味がはっきりと分かることです。しかも,全部,英語の日常的な単語です。『ハリー・ポッター』で用いられるほかのまじめな呪文が,外来語,なかでもラテン語の雰囲気を持っていたのと大きく異なります。

 おまけに,stupid(馬鹿な)やfat(太い)といった,自分の愛鼠(?)を偽悪的にけなす表現が入っていて,呪文と言うより会話的な調子になっています。

 これにまともな効能があると信じるのは,「イタイのイタイの飛んで行け―」を信じるようなものです。効き目がないことは,呪文の姿かたちからもじゅうぶん予測できます。

 実際,この呪文は,いたずら好きな双子の兄たちがロンにふざけて教えたものです。いたいけなロンは,まんまと騙されていたわけです。

<< 前回  次回>>

*

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

フランク・エドワード・マッガリン(1)

2011年 11月 3日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第11回

mcgurrin1.png

タッチタイピングの祖、マッガリン(Frank Edward McGurrin)は、1861年4月2日、ミシガン州グランドラピッズに生まれました。10代でグラハム式速記を学んだマッガリンは、その後コービット(Daniel E. Corbitt)が経営する地元の法律事務所に勤め、1878年にコービットが手に入れた中古の「Remington Type-Writer No.1」で、タイプライターに出会ったと述懐しています。

ボスのコービットと私は、タイプライターの練習を同時に始めて、それから数ヶ月間は互いにライバルだった。結局、私の方が上達が早くて、ボスは私を負かすのをあきらめてしまったんだが。ところが、ある日、ボスがオフィスに来て話すには、ウェルチ(Henry F. Welch)の事務所にいる女の子は、ウェルチが文章を読み上げている間も窓の外を眺めていて、それでいてタイプライターをちゃんと打てる、というんだ。しかも、読み上げのスピードがかなり速くても平気らしい。

そこで私も、キーボードを見ずに打ってみることにしたんだ。その女の子に出来るのなら、私にも出来ないはずはない。でも、キーボードを見ないようにするには、それまでのやり方、つまり指を2~3本しか使わないやり方ではダメで、全部の指を使う必要があることに気づいた。1878年の終わりには、私は全部の指を使うやり方で、キーボードを見ずに毎分90ワードは打てるようになっていた。それから2年ほどして、ウェルチの事務所にいる女の子に初めて会ったのだけど、驚いたことにその女の子は、キーボードを見ずにタイプライターを打ったことはないし、そのやり方をトライしたことすらなかったんだ。

―『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff, Seamans & Benedict, 1900年)

ちょっと出来すぎた話だという気もしないわけではありませんが、マッガリンが1881年までにタッチタイピングを完成していたのは事実のようです。というのも、1881年9月1~2日にシカゴで開催された速記者国際会議で、副会長のローズ(Theodore Cuyler Rose)が以下の報告をおこなっているからです。

先週、グランドラピッズのウォルシュ&フォード法律事務所で見たのだが、若い速記者が、毎分97ワードものスピードでタイプライターを打っていた。しかも、その速記者はキーボードを全く見ずに、目線は元原稿だけを追っていたのだ。私は時計を持っていたので計ってみたのだが、確かに毎分97ワードだった。

この頃マッガリンは、愛用機を「Remington Type-Writer No.2」に変え、複数の法律事務所と巡回裁判所で速記者を務めていました。その上でマッガリンは、公職の速記官としての就職口を探していたのです。

(フランク・エドワード・マッガリン(2)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

Lovin’ You (1975, 全米No.1)/ミニー・リパートン (1948-79)

2011年 11月 2日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第4回

●歌詞はこちら http://lyrics.wikia.com/Minnie_Riperton:Lovin_You

曲のエピソード

ここ日本で最も人気の高い洋楽ナンバーのひとつで、作者はミニー・リパートン自身と夫のリチャード・J・ルドルフ。2000年に欧米でファストフード店とクレジットカード会社のCMソングに起用され、再び脚光を浴びた。女性の視点から愛する男性(この曲の場合は明らかに夫)への尽きせぬ思いを美しい言葉で綴った歌詞は、“詩”と呼ぶに相応しい。夫婦合作という事実から、ミニーと夫がどれほど深く愛し合っていたかがうかがい知れる。また、欧米ではさほど有名ではないが、日本ではレゲエ・シンガーのジャネット・ケイによるカヴァー・ヴァージョン(1991)も人気が高い。歌詞にはないが、曲の終盤でミニーがアドリブ風に歌う♪Maya, Maya… は、1974年に生まれたミニーの娘の名前。現在、彼女は女優として活躍中で、アメリカの人気TV番組『SATURDAY NIGHT LIVE』(エディ・マーフィーやダン・エイクロイドを輩出したバラエティ番組)にも出演している。

曲の要旨

貴方が魅力的だから愛さずにはいられない。貴方のお蔭で今まで見てきた景色がまるで違って見えるの。貴方と一緒にいると、本当に心地好いわ。そんな貴方とこれからも共に年齢を重ねていきていきたい。二人で身体を重ね合わせる時の気分ったら、それはもう…言葉では語り尽くせないほど――。

1975年の主な出来事

アメリカ: ウォーターゲート事件の裁判で判決が下る。
日本: 沖縄県の本土復帰を記念する沖縄国際海洋博覧会が開幕。
世界: イギリス保守党がマーガレット・サッチャー(同党初の女性党首)を選出。

1975年の主なヒット曲

Please Mr. Postman/カーペンターズ
You’re No Good/リンダ・ロンシュタッド
Have You Never Been Mellow/オリヴィア・ニュートン=ジョン
One Of These Nights/イーグルス
Fame/デイヴィッド・ボウイ

Lovin’ Youのキーワード&フレーズ

(a) beautiful
(b) makin’ love
(c) bring the colors

5オクターヴ以上の音域を持つとされるミニー・リパートン。その歌声はどこまでも透明で純真無垢。複数のシンガーがこの曲をカヴァーしているが、オリジナルを凌駕することは叶わない。たまたまFEN(現AFN)でこの曲を初めて聴いた筆者は、弾かれるようにレコード店へ行ってシングル盤を購入した(今でも大切に保管)。以来、年に何度かは無性に聴きたくなり、その度にシングル盤を詰め込んだ箱からゴソゴソと出してはターンテイブルに乗せる。日本盤のシングルのジャケット写真は、「Lovin’ You」が収録されたアルバム『PERFECT ANGEL』(1974)のそれと同じで、素肌にオーバーオールをまとったミニーが、手に持ったソフトクリームが溶けていることを意に介さずにニッコリと微笑んでいるというもの。恐らく撮影中にライトに照らされてどんどん溶けていったのだろうが、それもまた愛らしいミニーの笑顔に花を添えている。曲の印象と共に、ジャケット写真も忘れ難いほど印象的だ。

この曲には、難しい単語がまったくと言っていいほど出てこない。誰もが知っているシンプルな言葉を丁寧に紡いだ極上のラヴ・ソングである。が、言葉が単純であればあるほど、頭の中で日本語に変換したり、あるいは自分で訳してみたりしようとすると、これがなかなかピッタリの言葉が見つからない。(a) beautifulなんて、“ビューデフォー”などというヘンテコな発音のカタカナ語(?)にもなっているが、この曲のように愛する男性の形容詞としてその言葉を用いた場合、直訳の「美しい」ではしっくりこない。

“beautiful”にしてもそうだが、人物に対する形容詞として多用される“nice”、“good”、“sweet”などは、意外なほどピッタリの日本語が見つからない。「素敵」「良い」「甘い」を当てはめてみても、ピンとこない場合が多いから。そこで、辞書には載っていない意味を自分で引き出すことが必要となる。例えば――

○He’s nice.(あいつはいいヤツだ)
○She’s a good girl.(彼女は心根の優しい娘[こ]だ)
○My girlfriend is so sweet.(僕の彼女は僕を優しく包んでくれる人だ)

まあ、これは筆者が訳詞の際によく用いる「意訳」の一種だが、直訳ではなしに、読み手に伝わるような訳を心がけていると、自然にこうなる。

では、“beautiful”はどうか。「Lovin’ You」に倣って同じ意味のセンテンスを作ってみると――

○Lovin’ you is easy for me to do because you are beautiful.

直訳「貴方が美しいから、貴方を愛することは私にとって容易いことなの」。ううん…。これなら中学生でもできそう。意訳「貴方には抗い難い魅力が備わっているから、貴方を愛さずにはいられないの」――これでどうでしょう?

念のために辞書で“beautiful”を調べてみると、「美しい、立派な、上品な、優雅な、上流の、見事な、素敵な」といった意味が載っている。が、残念ながらそこには、「Lovin’ You」で歌われている”beautiful”の意味はない。では、筆者が常日頃から最も愛用している英英辞典のひとつ Collins COBUILD Advanced Learner’s English Dictionary (©2006/Fifth Edition)で“beautiful”の欄を見てみよう。

(1) A beautiful person is very attractive to look at.

これだ! 初っ端からじつに的を射た説明が施されているのである。“very attractive to look at(目に、非常に魅力的に映る)”の説明を見ただけで、“beautiful=魅力的”という意訳を引き出せる。訳詞/翻訳の作業の際、ピッタリとハマる日本語が見つからなくて悶々とすることがあるが、そういう時には、これまでせっせと買い集めた数十冊の英英辞典に救いを求めるわけだ。そしてたいていの場合、その悶々とした気持ちがスッキリと晴れる。先述の Collins COBUILD は、初版が出た当時も翻訳家の間で話題になったと聞いているが、姉妹本の Collins Thesaurus A-Z(©2005)も素晴らしい。ご参考までに、同書に載っている“beautiful”の類義語は――

Beautiful adjective ATTRACTIVE, pretty, lovely, stunning (informal), charming, tempting, pleasant, handsome, fetching, good-looking, gorgeous, fine, pleasing, fair, magnetic, delightful, cute, exquisite, . . . (以下略)

これまたいきなり“attractive”である。なのにどうして英和辞典の“beautiful”の項目には“魅力的”という意味がほとんど載っていないんだろう? 不思議と言えば不思議。ここでまた筆者は英英辞典にシビレる。“handsome”だって! “beautiful=handsome”という解釈を、一体どれぐらいの日本人が感じ取ることができるのだろうか? きっと「Lovin’ You」の“beautiful”には、“handsome”の意味合いも込められているに違いない。日本語の深みを極めたい方には、逆に英英辞典がオススメです。

私事で恐縮だが、教えている翻訳学校の生徒さんの多くが「訳しにくい」イディオムの筆頭に挙げるのが(b) makin’ love (make love=have sex)だ。中には、「抱く」という言葉でお茶を濁してしまう、という生徒さんも……。実際のところ、25年以上も訳詞の仕事をやってきた筆者自身も、このイディオムにピタリとハマる日本語をずっと探しあぐねている、というのが正直なところ。が、幸いにして日本語の表現は英語のそれに較べて豊かであるから、いろんな言葉を当てはめることができる。……ということに、この25年以上の間に気付いた。以下に、筆者が実際に“make love”をどう訳してきたかを列記してみる。

○身体と身体を重ね合う
○身体を重ね合わせて愛し合う
○あなた(君)とひとつになる
○一線を越える
○男と女の関係になる
○ベッドで愛し合う(←やや安直/ラップ・ナンバーなどで多用)
○生まれたままの姿で愛し合う

他にもあるが、手の内を明かすのはこれぐらいにして……。また、筆者は20代の頃から時代小説にドップリと浸かっているのだが、そこには“make love”を表すこんな美しい日本語が潜んでいた。

○(相手と)情を通じる
○(相手と)情を交わす
○(相手に)身体(※時代小説では「軀」の漢字があてられることが多い)を投げ出す

いつか、この日本語がピッタリとハマる歌詞に出逢ったら、ぜひ使ってみたいものだ。

ミニーは「私がしたいのは、貴方と make love することだけ」と歌っているが、それだと余りに即物的である。そこで捻り出したのが次の意訳。「私は貴方と身体を重ね合わせていられれば、それで幸せ」。

言葉がシンプルであるほど直訳すると意味不明になってしまう、というのは訳詞の世界ではよくあること。この曲でいうなら、(c)「貴方が運んできてくれる色の数々(the colors)」もそれに含まれる。愛する人が運んできてくれる色の数々って一体全体、何なのだろう?

筆者はその“the colors”を「景色」、「光景」と解釈した。英和辞典にはそんな意味は載っていない。注目したのは、定冠詞“the”と、“colors”が複数形になっている点。英和辞典では、“color”の複数形は「性格」、「立場」といった意味がある、としているが、それだとこの曲の歌詞がいわんとしていることとしっくりこない。「貴方が私に運んできてくれる(届けてくれる、もたらしてくれる)the colors は、唯一無二のもの」と歌っているから。となると、「性格」では的外れだし、「立場」ではそれこそ意味不明になってしまう。

そこでみなさんに思い出して頂きたいのは、これまでで最も胸が熱くなる恋愛を経験した時の気持ち。これまで普通に目にしてきた光景や、当たり前に接してきた様々なもの――花々でもいいし、食べ物でも何でも構いません――が、それまでとは違って見えた、違う味わいを感じさせてくれた、という経験はないだろうか? そう、ここの“the colors”は、まさにそれを暗喩しているのだった。複数形だから、じつに様々なものがそれまでとは違って見えたことだろう。ここを極端に意訳するなら、「貴方のおかげで人生がバラ色になった」といったところか。甘ったるい言い回しや単語がひとつも使われていないフレーズなのに、これほど思いの丈が詰まった愛の告白は滅多にないのでは、とさえ思う。

1976年、ミニーは乳ガンが発覚し、その年に片方の乳房を摘出する手術を受けた。その後、病状が思わしくなく、1979年に31歳の若さでこの世を去っている。近年、日本でも乳ガンに対する意識が高まっているので、最後に、乳房摘出手術後のミニーの言葉を記しておきたい。「コップに水が半分、入ってるとするでしょ。私はそれを“半分しか入っていない”と考えるのではなく、“まだ半分も水が残っている”と解釈するの」――もちろん、「水」は「乳房」の比喩。苦境にあってもなお、こんな風に前向きに物事を考えようとしたミニーに感服する。彼女は、どんな時も、自身の人生を彩った“the colors”の明るい側面を見ながら、31年の人生を全うしたのだろう。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

近刊案内(2011年11月)

2011年 11月 2日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部
三省堂の辞書・事典、また言語関連の本で2011年11月に刊行が予定されているものは…

初級クラウン英和辞典 第12版

田島伸悟・三省堂編修所 編
B6変形判 768ページ ¥1,785 ISBN 978-4-385-10830-8
[CD付き]
B6変形判 768ページ ¥1,838 ISBN 978-4-385-10831-5
2011年11月15日 販売会社搬入予定(上記 2点とも)


新課程の厚くなった教科書を徹底調査し、中学校での学習と高校入試に十分な14,700項目を収録。
類書をはるかに超えた約20,000の用例と、参考書のようにていねいな文法・語法説明で、英語の基礎が確実に身に付く。
好評のコラム類に、グローバルな問題を解説する「地球市民コラム」を新設。すぐに使える英会話例も充実。紙面を一新。2色刷。


『初級クラウン英和辞典 第12版 』のページへ


===================================================

初級クラウン和英辞典 第10版

田島伸悟・三省堂編修所 編
B6変形判 624ページ ¥1,785 ISBN 978-4-385-10835-3
2011年11月15日 販売会社搬入予定



新課程で重要な自己表現活動をサポート。
新しい教科書を調査し、中学校での学習と高校入試に十分な12,500項目と、約18,700用例を収録。
基本的な表現をまとめた「基本のかたち」など豊富なコラムで英語を書く・話す力が楽しく身に付く。
「日本紹介」コラムはさらに増強。
比喩的な表現を用いた例文を示す新設の【ひゆ】ロゴで英語らしい豊かな表現も学べる。
すぐに使える英会話例も充実。紙面一新2色刷。


『初級クラウン和英辞典 第10版 』のページへ


===================================================

初級クラウン英和・和英辞典 第10版 CD付き

田島伸悟・三省堂編修所 編
B6変形判 1,392ページ ¥3,255 ISBN 978-4-385-10837-7
2011年11月15日 販売会社搬入予定



新しい教科書をすべて調査し、中学校での学習と高校入試に十分な【英和】14,700項目【和英】12,500項目を収録。
重要なことがひとめでわかる紙面。
類書に比べ圧倒的に豊富な用例約38,700と、ていねいな文法・語法説明。
すぐに使える英会話例やコラムも充実。
「発音のしかた」と「場面別」日常英会話をCDに収録。紙面一新2色刷。


『初級クラウン英和・和英辞典 第10版 CD付き』のページへ


===================================================

ロマンス語入門

町田 健 著
A5判 204ページ ¥2,940 ISBN 978-4-385-36464-3
2011年11月30日 販売会社搬入予定



ラテン語を祖として、西欧世界の学問・芸術を根底から支え育んできたロマンス系の諸言語。
ポルトガル語、スペイン語、フランス語、イタリア語などから成るその言語世界を簡明に解説した絶好の入門書。


『ロマンス語入門』のページへ


漢字の現在:中2世代の「02娘01」

2011年 11月 1日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第141回 中2世代の「02娘01」

 先日、女子の大学生が、横書きの文章は読むが、「縦書きは読まない!」と、クラスの男子に断言していた。そう言い切っていたのが耳に残った。そういえば国語系の科目名や内容をもつ講義でも、ノートは横書き派が優勢となってきた。中学くらいまでと違って、国語用のノートも特に売ってはいない。パソコン画面の影響も強いのだろう。

 アラビア数字が漢数字になる、ローマ字が90度横転する、長音符「ー」や引用符「“ ”」の向きや形が変わる、句読点「、」「。」や拗促音符「っゃゅょ」などの位置が変わる、そして「事」のはね方など書風、字形、そして「歳」のように字種・字体もこうして変わることがあるという事実は知っていた。書字方向にまで多様性と意味・雰囲気付けがなされる、さすが日本だと思っていた。しかし、その守旧的、復古的ともいえる努力が、これからを担う若い世代の読者を遠ざけるどころか、避けさせることまであるとは、気付かなかった。

 中学生の話に戻ろう。

 「本気と書いて?」

 「マジ」と、教室のところどころから声が上がる。こうなると男子が元気だ。漫画で見たから知っているという。「まじ」に「本気」という表記も、国語辞書に載せてほしいと言う。そうかな、と手を挙げてもらうと、けっこうな数になる(1/5くらい)。面白くなってきたようで、隣の子にも手を挙げるように、突っついてけしかけている。私の責任で、『当て字・当て読み漢字表現辞典』に(出典付きで)載せたことは当然だが、語が集団語(位相語)であり、それも集団表記(位相表記)であり、しかも私的な場面に局限された表記(場面的な位相表記)なので、まだ一般の辞書に載せるのは難しそうだ。

 「本気」に「バカ」と書いたのは、馬鹿力との混淆か、漫画の「桜木」と書いて、との混同によるものだろうか。

 「秋桜」と書いて、コスモスという読みは、山口百恵のヒット曲で一気に広まったものだが、『新明解国語辞典』には、今回の改訂よりも前から、すでに載せられていた。これも、「あきざくら」や「シュウオウ」という古風な読みではなく、「コスモス」と読める生徒が多い。20名くらいが声を挙げただろうか。義務教育にある現代のこの子たちは、いったい、これをどこで知ったのだろう。国語の教科書で見たという学生も案外いるので、教室にまで浸透している可能性がある。

 さらに、集団表記に入っていく。「2コ1」(にこいち)を、知っている人、使ったことがある人と聞くと、女子に限られていく。1/3くらいが挙手する。二人で一つという意、仲良しの別名で、やはり彼女たちの位相語であり、位相表記だ。手書きでは「コ」は一筆書きだ。受験に備えて、「ユ」とはっきりと区別が付くように、学校で、そう書きなさいと指導されたという学生もいた。

 表記では、「2個1」もいるがどこか味気ない。

  「2仔1」
  「2子1」
  「2co1」
  「二個一」

とバリエーションが出る。グループごとに変異が生じているのだろうか。中には、

  「
  「
  「
  「
  「
  「」etc…

といくつも列記してくれた女子もいた。観察眼がかなり鋭そうだ。「0」に斜線「/」を入れることは、2乗マークの進化形「02」をパソコンの一部の画面のように「」と手書きすることと共通している。

  「2姫1」

と書いた女子もいた。「姫」の音読みは「キ」だが、意味からヒメのような「こ」ということで読ませているのだろう。当て字、裏返すと広い意味での当て読みとも言えよう。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「中学生の文字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

« 前のページ次のページ »