2011年 12月 のアーカイブ

フランク・エドワード・マッガリン(9)

2011年 12月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第19回

1889年1月22日、マッガリンは、シンシナティ速記協会(Cincinnati Stenographers’ Association)の招きで、シンシナティのホプキンス・ホールにいました。300人もの観衆の前で、速記とタイプライターのデモンストレーションをおこなうためです。会長のハワード(Jerome Bird Howard)の紹介でステージに現れたマッガリンは、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社のマクレイン(John Fleming McClain)の読み上げで、口述タイピングのトライアルを7回おこないました。この時のマッガリンの最高記録は、毎分118ワードでした。さらにマッガリンは、速記録の清書や、「Now is the time for all good men to come to the aid of the party.」という同じ文章を繰り返し打つトライアルをおこないました。

そして、トローブがステージに呼び出されました。半年前にマッガリンに敗退したトローブが、マッガリンに再戦を挑んだのです。約束通りトローブは「Caligraph No.2」を捨てており、マッガリンと同じ「Remington Standard Type-Writer No.2」で、5分間の口述タイピングがおこなわれることになりました。ただし、レミントンにおける経験の差を考慮して、トローブには10%のハンディキャップが与えられました。マッガリンは別室に下がり、マクレインの読み上げで、トローブが先に口述タイピングをおこないました。結果は434ワードで、毎分平均86.8ワードでした。次に、マッガリンが全く同じ口述タイピングをおこない、結果は447ワードで、毎分平均89.4ワードでした。10%のハンディキャップを含めると、トローブの勝利です。半年前に「Caligraph No.2」で敗退したトローブが、たった半年「Remington Standard Type-Writer No.2」を使っただけで、今度は勝利してしまったのです。

ただし、トローブの勝利には、実はウラがありました。一つはマクレインの読み上げです。口述タイピングのスピードは、読み上げをおこなう者にかなり左右されるのです。先攻がトローブで、10%のハンディキャップ付きというのも、妙に作為的です。マクレインにその気があれば、トローブのスピードを見てから、ほんの少し速くマッガリンに口述すればいいのです。その結果、マッガリンは敗退しますが、それは10%のハンディキャップによるものですから、マッガリンの名声は傷つきません。さらにもう一つ、トローブは434ワード中、166ワードもの打ち間違いがありました。対するマッガリンは、447ワード中、打ち間違いはわずかに1つだけでした。つまり、打ち間違いを差し引いたならば、トローブが268ワードに対し、マッガリンが446ワードで、現実にはマッガリンの圧倒的勝利だったのです。

しかし、ホプキンス・ホールの聴衆には、そのことは全く伝えられませんでした。「Caligraph No.2」を捨てて「Remington Standard Type-Writer No.2」に乗り換えたトローブは、たった半年でマッガリンに匹敵するタイピストとなった、ということを示すのが、マクレインと、そしてマッガリンの狙いだったのです。

(フランク・エドワード・マッガリン(10)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

Bridge Over Troubled Water (1970, 全米, 全英No.1)/サイモン&ガーファンクル (1957-70)

2011年 12月 28日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第12回

bridgeovertroubledwater.jpg

●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/bridge-over-troubled-water-lyrics-simon-garfunkel.html

曲のエピソード

この曲がヒットしていた1970年、アメリカ中がヴェトナム戦争への介入を疑問視し始めていた。日に日に高まる反戦の機運。そんな中、「意気消沈する友だち」への励ましソングとも言うべきこの曲が大ヒットした(ちなみに、全米チャートでは6週間、全英チャートでは3週間にわたってNo.1の座を死守)。翌1971年のグラミー賞では、5部門を制覇するという快挙を達成。サイモン&ガーファンクル名義になってはいるものの、ポール・サイモン作のこの曲はアート・ガーファンクルによる独唱。皮肉なことに、この曲が大ヒットしていた頃、双方の間では音楽的方向性の差異が生じ、長年コンビを組んできたパートナーシップに亀裂が入ろうとしていた。ポールは後々まで自らこの曲を歌わなかったことを心の底から後悔したそうだが、たとえガーファンクルの独唱ではあっても、彼らの代表曲であることには変わりがない。昔ながらの邦題「明日に架ける橋」は今でも使われている。

唐突に歌詞の後半に登場する“Silver girl”とは何ぞや、という論争が、ヒットしていた当時から多くの人々の間で繰り広げられてきた。その言葉が登場するフレーズはじつに私的な背景を背負っており、歌詞を綴っている最中にポールの彼女(後の妻ペギー・ハーパー)がたまたま白髪を見つけて大騒ぎしたことからヒントを得た彼が、戯れに思いついた言葉だという。“silver”には他動詞として「~を銀髪(=白髪)に染める」という意味もある。

なお、作詞作曲をしたポールは、後年、この曲の着想をいわゆる黒人霊歌の「Mary Don’t You Weep」(もしくは「O Mary Don’t You Weep」)から得たと語っている。“Mary”は、もちろん聖母マリアのこと。

曲の要旨

身も心も擦り切れるほど疲弊してしまい、誰ひとり救いの手を差し伸べる人もいない。今、君がそういう状態にあるのなら、この僕が身を挺して君を救ってあげる。流れの早い濁流に架かる橋のように、君の支えになってあげたい。その濁流を君の苦しみや悲しみにたとえるなら、僕は君がそこを安全に渡れるような架け橋になってあげよう。溢れる君の涙を拭い、君の立場になって物事を考え、君の心のつっかえ棒になってあげる。僕は君の味方なのだから。

1970年の主な出来事

アメリカ: オハイオ州で反戦デモに参加していた大学生4名が射殺される。
ヴェトナム戦争への反戦を唱える大規模な集会がワシントンD.C.で行われる。
日本: 赤軍派によるよど号のハイジャック事件。
世界: ビートルズが正式に解散。

1970年の主なヒット曲

Venus/ショッキング・ブルー
Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)/スライ&ファミリー・ストーン
Let It Be/ビートルズ
ABC/ジャクソン・ファイヴ
(They Long To Be) Close To You/カーペンターズ

Bridge Over Troubled Waterのキーワード&フレーズ

(a) feel small
(b) be on one’s side
(c) troubled water
(d) lay someone down
(e) take one’s part

1970年の主なヒット曲には挙げなかったが、同年、辛辣な反戦ソング「War(邦題:黒い戦争)」も全米チャートでNo.1を記録している。歌っていたのは激しいシャウトで人気を博したR&Bシンガーのエドウィン・スター(Edwin Starr/1942-2003)。「戦争をして何かいいことがあるのか? 何ひとつないじゃないか!」と、怒りを顕にする曲である。ヴェトナム戦争が激化した1970年前後には、両極端な反戦ソングがチャートをにぎわした。同曲のように、あからさまに「戦争=悪」を標榜するもの、今ひとつは、この「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」やマーヴィン・ゲイの「What’s Going On」(1971/全米No.2)のように、”war”も”Vietnam”も全く歌詞に登場していないものの、その犠牲者――戦地に送られる兵士たち、彼らの親族、フラッシュバックに悩まされる帰還兵…――を慮る内容や、救いの手を差し伸べる頼もしいメッセージを持つものである。

翌1971年には、人気R&Bシンガーのアレサ・フランクリンによるカヴァー・ヴァージョンも大ヒットし、R&BチャートNo.1、全米No.6を記録。そのことからも、この曲に込められたメッセージがいかに多くの人々の心を捉えたかが判ろうというもの。

英語に精通している人なら、タイトルを見て「おや?」と思うはず。本来、タイトルにもある(c)は“troubled waters(注:waterが複数形)”であるべきだから。“troubled waters”は「波立つ水、濁水」の意味の他に、「混乱、どさくさ」という比喩的意味もあり、次のようなイディオムまで存在する。この場合の“fish”は自動詞。

fish in troubled waters(混乱に乗じて利益を得る、危ない橋を渡る)

また、“brigde”に着目すれば、同単語が他動詞である場合、次のような言い回しがある。

bridge over many difficulties(多くの困難を乗り越える)

その“difficulties”を“waters”に書き換えてもいいわけだ。

では、何故にこの曲では“water”が冠詞なしの単数形なのか? じつはそこには、作者のポールが影響を受けたというあるフレーズが隠されている。

曲のエピソードで触れた「Mary Don’t You Weep」に、次のようなフレーズを加えて歌ったゴスペル・シンガーがいたのだ。

♪I’ll be your bridge over deep water if you trust in me…

このフレーズを訳すと、「あなたが私を信頼してくれるのなら、私はあなたが困難に直面した時の支えになってあげましょう」となる。♪… if you trust in me… の歌詞こそないものの、「Bridge Over Troubled Water」のコーラス部分とそっくりではないか! “deep”には「難解な、解決しそうにもないほど深刻な」という意味もあるから、恐らくポールは“deep”を“troubled”に書き換えたのだろう。もちろん、“troubled waters”も頭にあったはずである。が、“deep water”が強く印象に残ったため、あえてそこを複数形ではなく単数形にしたのでは、と推測してみた。

話は前後するが、(a)は非常に日本語になりにくい。直訳すれば「(自分のことを)小さく感じる時」。ちょっと想像力を働かせれば、「自分が他人より小さく見える時」となる。が、“feel small”には「意気消沈する、へこたれる(今風に言うとヘコむ、心が折れる)、羞恥心を感じる」という意味がある(辞書の“small”の項目にあります)。“feel”も“small”も簡単な単語だからといって、見過ごすことなかれ。“feel small”という言い回しの意味で肝心なのは、「羞恥心を感じる」こと。意訳するなら、「自分は何て取るに足らない人間なんだろうと思うと、消え入りそうになる」と言ってるわけだ。そしてこの曲は、そんな風に自虐的になっている人に向かって「僕がついているよ」とエールを送っているのである。もちろん、その相手は不特定多数の人々。“you”は目の前にいる相手を指す他、不特定代名詞的に用いられることもあるから。辞書にもその説明が載っているが、もっと詳しく知りたい方には、THE MAKING OF ENGLISH(H. Bradley, S. Porter共著の p. 228/訳本『英語発達小史』寺澤芳雄訳, 岩波文庫のp. 297)を一読することをお薦めしたい。どういった場合に”you”が「不特定多数の人々」として使われるか、詳しい説明が載っている。

筆者が(b)の言い回しを「なるほど、こういう時に言うんだな」ということに思い至ったのは、シドニー・ポワティエ(Sidney Poitier/1927-)主演の映画『IN THE HEAT OF THE NIGHT(邦題:夜の大捜査線)』(1967)のセリフを耳にした時のこと。ポワティエ演ずる敏腕刑事が、殺人の容疑者となってしまった白人男性に向かって“I’m on your side.”(僕は君の味方だよ)と言うシーンだ。同映画が初めて字幕スーパーでTV放映された時のことだと記憶している。もしかしたら大学時代だったかも知れない。それまでは、恐らく学校の授業で(b)の成句を学んだと思うが、実際のところ、どういった場面で言うのかが判然としなかった。この曲でもそうだが、主に相手が窮地に立たされている時に口にすると効果的な言葉になる。そこに言葉を補足して意訳するなら、「たとえ君が四面楚歌になっても、僕は君を見捨てない」となるだろうか。

高校時代、“lay”と“lie”の区別がなかなかつかなくて困った経験がある。今でも大切に保管し、実際に使ってもいる高校時代の文法の教科書『HIGHROAD TO ENGLISH GRAMMAR Third Edition』(1979年初版発行/三省堂)の表紙裏にある「不規則動詞区分表(1)」には、筆者の筆跡で“lie 横たわる/lay 横たえる”の鉛筆書きが残る。“lie”は、ご存じの通り自動詞で「嘘をつく」の意味の他にやはり自動詞で「横たわる、横になる」という意味があり、“lay”は他動詞で「~を置く、横たえる」という意味。今ひとつその区別がつかなかった時、子供の頃にFEN(現AFN)からよく流れていたこの曲の(d)のフレーズが頭の中にひらめき、瞬時にしてそれら似た者同士(?)の動詞の区別がハッキリとついた。(d)は「~を横たえる」、すなわち「横になる、寝る姿勢になる」のだと。瞬間、アクロバティックな姿勢のいわゆる「ブリッジ」の形が頭の中に浮かび、「なるほどー!」と思ったものだ。が、この曲の“bridge”は比喩なので、主人公の男性が実際に川の濁流に難儀する友人の前で「僕が(ブリッジの姿勢をとって)橋になるから、君は僕の身体の上を渡ればいい」と言っているわけではない。飽くまでも比喩、ですから。

(e)は(b)とほぼ同じ意味を持つイディオム。「~の肩を持つ、~に加担する、~を支持する」(辞書の“part”の項目に載っています)。タイトルそのものもそうだし、(b)や(e)のイディオムからも判るように、この曲の主人公は無条件に相手を助けることを申し出ているのだ。この曲のメッセージを凝縮するなら、「見返りを求めない献身的な救いの精神」であろう。そして1970年代当時、とりわけヴェトナム戦争以降の社会の不穏な空気に漠然とした不安を感じずにはいられなかった人々の心に、曲のメッセージは深く沁み入ったのである。あれから40年以上も月日は流れたけど、大震災を経験した多くの日本人も含めて、今も世界のあちこちでこの曲に励まされる人々がいるはずだ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

【今夜放映】「クイズ!新明解国語辞典」

2011年 12月 28日 水曜日 筆者: ogm
★『新明解国語辞典』のクイズ番組、今夜放送★

既にこちらで速報をお伝えしました「クイズ!新明解国語辞典」、もう今夜に放映と迫っております。

今月1日の発売以降、皆さまからあたたかく支えていただいている『新明解国語辞典 第七版』から全てのクイズを出題。どんな番組になるでしょう……

より詳しい情報が入っておりますので、概要を下記にご紹介いたします。

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タイトル:クイズ!新明解国語辞典

q_smk_02.jpg放送局:TBSテレビ

放送日:
  12月28日(水)24時54分~25時54分
 (=12月29日(木)0時54分~1時54分)

司会:村上信五さん(関ジャニ∞)

進行:田中みな実さん(TBSアナウンサー)

出演:〈明解王チーム〉宇治原史規さん 菊川怜さん やくみつるさん ラリー遠田さん ロバート・キャンベルさん 〈アナウンサーチーム〉辻よしなりさん 政井マヤさん 町亜聖さん 宮川俊二さん 山中秀樹さん 〈弁護士チーム〉清原博さん 柴田真希さん 角田龍平さん 藤原家康さん 本村健太郎さん

放送範囲:関東ローカル(東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木)
  中京圏(CBCテレビ=愛知・岐阜・三重)

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番組情報は⇒「クイズ!新明解国語辞典」のページ

『新明解国語辞典 第七版』については⇒『新明解国語辞典 第七版』の書誌情報ページ

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(*)武藤康史さん編著『クイズ新明解国語辞典』『続クイズ新明解国語辞典』という本も1997年に小社から出ています(現在は品切)。
なお、番組の放送まで待ちきれない方はWEB本の雑誌「教えて! 新解さん」の新解さん逆引テスト!をお楽しみください。

近刊案内(2012年1月)

2011年 12月 27日 火曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部
三省堂の辞書・事典、また言語関連の本で2012年1月に刊行が予定されているものは…

新明解国語辞典 第七版 革装版・小型版・机上版

山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄・上野善道・井島正博・笹原宏之 編

[革装版]B6判 ¥5,250 ISBN 978-4-385-13118-4
[小型版]A6変型判 ¥2,940 ISBN 978-4-385-13145-0
[机上版]A5判 ¥4,725 ISBN 978-4-385-13154-2
それぞれ1,728ページ 2色刷
2012年1月19日 販売会社搬入予定(3点とも)

※紙面内容は並版と同一です。
※[並版(赤)][特装版(白)]は2011年12月1日に発売済みです。
 [大活字版]は2012年2月下旬の販売会社搬入を予定しております。

日本でいちばん売れている小型国語辞典『新明解国語辞典』の7年ぶりの全面改訂版。
新たに1,000語を増補し、収録語数約77,500。
紙面を刷新、いっそう見やすく使いやすく。
2010年内閣告示された新「常用漢字表」に完全対応。
新設の[文法]欄では、助詞・助動詞の接続情報をはじめ、文法に関する問題点を広く取り上げ、日本語の表現性の豊かさに着目。
また、形容詞項目を全面的見直しをはじめ、客観的な意味分析を踏まえ、定評あるシャープな語釈にさらに磨きをかける。
運用欄もさらに充実、特に待遇表現や使用場面によって帯びる特殊な意味などを中心に、運用面での諸相を簡潔に示した。


【『新明解国語辞典 第七版』それぞれのバージョンの違い】
※内容はすべて同一です。用途によって、ご検討くださいませ。

バージョン 版型 価格(円) ISBN 備考
並版 B6 3,150 978-4-385-13107-8 「新明解国語辞典」といったら赤という方に。
特装版 B6 3,150 978-4-385-13108-5 並版とはケース・表紙カバーの色が違います。
革装版 B6 5,250 978-4-385-13118-4 使えば使うほど手になじんでいく革の装丁です。
小型版 A6変型 2,940 978-4-385-13145-0 コンパクト、かつ、ほんの少しお得なお値段。
机上版 A5 4,725 978-4-385-13154-2 一回り大きく、本棚や机上に備えておくのにぴったり。
大活字版 B5 4,935 978-4-385-13116-0 文字のサイズが並版の1.5倍。紙面は1色刷りです。

『新明解国語辞典 第七版』のページへ


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哲学大図鑑


ウィル・バッキンガムほか 著 小須田健 訳
B5変型判 352ページ オールカラー
¥3,990 ISBN 978-4-385-16223-2
2012年1月16日 販売会社搬入予定

ミレトスのタレスからスラヴォイ・ジジェクまで、わかりやすい図解(マインド・マップ)で100を超える哲学理論を簡潔に解説。難解な哲学用語を使わないで複雑な理論を解きほぐす、自分でものを考える人のための哲学入門。

『哲学大図鑑』のページへ


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漢字んな話 2


笹原宏之 監修 前田安正・桑田真 著 わけみずえ 画
四六判 224ページ
¥1,575 ISBN 978-4-385-36448-3
2012年1月30日 販売会社搬入予定

朝日新聞で4年間連載された人気コラムの書籍化第2弾。ご隠居・咲・熊による落語風の掛け合いで、身近な漢字の成り立ちがすいすい分かる。甲骨・金文・小篆の古代文字や楽しいイラストも満載。全100字。索引付き。

『漢字んな話 2』のページへ
第1弾『漢字んな話』はこちら


耳の文化と目の文化(35)―地名の表記(9)―

2011年 12月 26日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(127)

スイスとオーストリアとに挟まれたアルプスの山間に日本の小豆島ぐらいの大きさの Liechtenstein リヒテンシュタインという公国がある。ここの公用語はドイツ語である。現代ドイツ語の正書法では ie という綴りは i の長音を表すから、この Liechtenstein という国名を見ると、リーヒテンシュタインと読みそうになってしまう。しかし、この Liecht- は中世語では「明るい、白く輝く」という意味の lieht [liəxt] であり、二重母音であった。また、Liechtenstein は「白く輝く岩山」という意味であった。この形容詞は現代ドイツ語では licht と短母音になったから、Liechtenstein という表記は中世語の綴りを残しているというわけである。ところで、ドイツにも同名や同じ形容詞を含む地名がある。例えば、ザクセン州には Lichtenstein があり、バイエルン州には Lichtenfels があるが、これらは licht と表記されている。

外来語は別として、ドイツ語の単一語の強勢は第一音節にある。しかし、ドイツの首都 Berlin ベルリーン、メクレンブルク=フォアポメルン州の州都 Schwerin シュヴェリーン、 ドイツ国境に近いポーランドの Szczecin シュチェチンのドイツ語名である Stettin シュテティーンなどは、最後の音節に強勢があり、母音は長音である。これらの地名がふつうのドイツ語のアクセントの位置とは異なるのは、これらがスラブ系言語起源のものだからである。

発音ということで言うならば、ゲーテが宰相を務めていたザクセン=ヴァイマル公国があった、現在のテューリンゲン州の Weimar ヴァイマル、メクレンブルク=フォアポメルン州のバルト海に臨む港町 Wismar ヴィスマル、また、ニーダーザクセン州にある、魔女が集まるというハルツ山地の麓の鉱山都市 Goslar ゴスラル、ゲーテの『若きウエルテルの悩み』の舞台となったヘッセン州の Wetzlar ヴェツラル、さらにはミュンヒェンを流れる川、Isar イーザルなどの地名の最後の音節も、例えば、日本では一般にはワイマール共和国と言われてきた場合のように、長く伸ばして読んでしまいそうである。

【筆者プロフィール】

新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
『クラウン独和辞典第4版』編集委員

【編集部から】

2008年2月『クラウン独和辞典』(第4版)の刊行を機に始めた本連載は、今回が最終回となります。長らくのご愛読ありがとうございました。

An Unofficial Guide for Japanese Characters 92

2011年 12月 25日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki

<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 91

Unnatural passages in authoritative famous quotes (Part 1)

In Natsume Soseki’s Koujin(1) , there is a paragraph in which the author (narrator), who is the younger of two siblings, talks about his older brother:

When he was cheerful, he was ridiculously cheerful. But once his mood took a perverse turn, he’d wear a sullen expression for days, and pointedly refused to talk. He was like this not just to me, but to my mother and his wife too. In front of outsiders though, it was like he turned into a different person; his gentlemanly bearing was impeccable under every circumstance, and he was a most agreeable companion. Thus, his friends believed him to be an entirely pleasant and good fellow. When mother and father heard him thus praised, they always looked surprised. However, they seemed happy nonetheless —he was their son after all. Whenever I heard people praising my older brother this way I’d become furious if we weren’t getting along at the time. I wanted to go to each one of their homes and correct their misconceptions.

[NATSUME Soseki Koojin 1912–13]

The narrator’s brother acts extremely “docile” in front of others, but this is actually a front. Every now and then the narrator, who sees what’s happening behind the scenes, wants to destroy this front. This front is, of course, the elder brother’s “gentleman (agreeable companion)” character —right, this is all well and good. As I said in the previous column, in this series I want to look at authoritative famous quotes that are a little bit old, but can still generally be called “modern Japanese.”

But wait! The narrator of Koojin says the following to his older brother. His psychotic brother tells him:“I want to test my wife’s fidelity. Go to Wakayama with her, and stay the night.”

“But this is my sister-in-law (aniyome-san desu ze). Not only a married woman, but my sister in law.”

“Being asked by someone to put another person to the test… I don’t like it (iya de saa). Besides… I’m not a detective.”

Even if he’s speaking as an “inferior,” from the perspective of modern sensibilities, isn’t it odd that the younger brother uses desu ze and de saa(2) when talking to his older brother?

Speaking of detectives, in Ango Sakaguchi’s(3) Furenzoku Satsujin Jiken (“The Non-serial Killer”), a young detective named Kose uses de saa and …masen ze when speaking to the narrator, whom he looks up to. This too is a little strange from the perspective of modern sensibilities.

“If we know that, we’ll know who the killer is. But this was a phenomenally well-planned crime. Every last detail was thought out (keisan sarete iru no de sa). This was probably the most intelligent, largest crime ever committed in Japan. This killer is a genius (tensai de saa ne). The complete discretion of the plan’s intelligent efficiency is sheer brilliance. The way the doorknob, tied with thread, closed the door naturally, and the way the sealed room disguised the murder, each ploy itself was another of the murder’s footprints all along. They told us from the beginning about the criminal’s mentality. More than anything, this criminal was worried about telling us anything about their state of mind. (…) The murder had probably already been completed.”

“This killer isn’t the kind of fool who would announce the murder for August 9th, then, like a literal-minded idiot, actually commit the crime on August 9th (girigatai donma ja arimasen ze).”

[SAKAGUCHI Ango Furenzoku Satsujin Jiken, 1947–48]

No matter how authoritative these famous quotes are, does looking at these kinds of unnatural passages cloud over the connection between Japanese language and character, and warp their mutual relationship?

(To be continued.)

* * *

(1) English title: The Wayfarer.

(2) Both “saa” and “ze” are interjectory particles that add emphasis. Both are considered pretty rough and ready, and normally wouldn’t be used when addressing someone more senior than oneself.

(3) 1906–1955 Novelist

author

Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems)Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

角色大世界――日本 92

2011年 12月 25日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)

<< 角色大世界――日本 91

出自泰斗笔下的不自然文章(上)

在夏目漱石的《行人》中,有一段弟弟(笔者“我”)叙说哥哥的场景。

哥哥不光是对我,就连对母亲和嫂子也一样。他自己心情好的时候对我们格外地好,一旦闹了点别扭就连续几日都板着脸,故意不理睬我们。但是,一到众人面前就完全变了个人似的,摆出一副绅士的态度,做作地装成美满的好伴侣给人看。因此,他的朋友都信以为真地以为他是个性情温和的大好人。每当父亲和母亲听到这样的评价,都会大吃一惊。不过毕竟是自己的儿子,脸上到底还是会呈现出一丝喜悦的样子。在跟哥哥吵架后听到这样的评价时,我的内心极其不舒坦。有时甚至会想挨家门户地上门去改正那些人对哥哥的误会。

[夏目漱石 (1912-13)《行人》]

在众人面前的哥哥似乎很“普通”,但事实上那是装出来的。知道舞台幕后的我,有时会有想毁掉那假象的冲动。那当然是哥哥的“绅士(美满的好伴侣)”角色形象了,(很好很好,就这个状态)。在上一节中也说过了,这个连载中主要就提及到类似于这样的,虽有点旧但在“现代日语”中还能行得通的,有威信的著名作家的文章。

嗯,且慢且慢。《行人》中的弟弟对哥哥以这样的口吻说过话。那是,神经不太正常的哥哥对弟弟说,“想让你考验一下妻子的贞操。你和她去和歌山住一晚就行了”的场面。

“だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、殊に現在の嫂ですぜ。(Datte aniyomesan-desu-ze aite-wa. Otto-no aru fujin, kotoni genzai-no aniyome-desu-ze. 对方可是嫂子咧。是有夫之妇的人,而且是我现在的嫂子咧)”
“人から頼まれて他を試験するなんて、―外の事だって厭でさあ。況してそんな……探偵じゃあるまいし。(Hito-kara tanomarete hito-o shiken-suru-nante, hoka-no koto-datte iya-desâ. Mashite son’na … tantei-ja-arumaishi. 受别人的委托去试探另一个人。外面的事情就够让我心烦的啦。何况我又不是什么侦探)”

不管是以什么样的“目下(Meshita, 晚辈、部下、格调低下的人)”来讲话,弟弟对哥哥说“~ですぜ(-Desu-ze, 粗鲁的终助词)”、“ ~でさあ(-Desâ, 豪爽粗鲁的终助词)”之类的话语,从现代的感觉来看是不是有点不太适合呢?

既然出现了侦探,那就顺便提一下坂口安吾的《不连续杀人事件》吧。小说中有一个名叫巨势的年轻名侦探对自己私淑的作家(我)说,“~でさあ(-Desâ)”、“~ませんぜ(-Masenze)”。这个在现代的感觉中也还是有点怪吧。

“只要知道了那个的话,就能知道犯人是谁了耶。这可是个非常有计划的犯罪。一切都在周密的策划当中咧(すべてがメンミツに計算されているのでさ,Subete-ga menmitsu-ni keesansareteiru-nodesa)。这大概在日本是,最有智慧的,最雄大的犯罪吧。这个犯人是个天才哦(この犯人は天才でさアね,Kono han’nin-wa tensai-desâ-ne)。他完全消灭了他那知识分子特有的卑鄙的小花招,可真是令人佩服啊(アッパレ千万というものでさ,Appare sen’ban toiu-mono-desa)。他有将系在绳子上的门自动关闭掉的装置,还有伪装密室杀人的招数。可悲的是,其实这些小花招的花招自身已成了足迹了耶(そういう小細工は小細工自身がすでに足跡というものでさア,Sôiu kozaiku-wa kozaiku jishin-ga sudeni ashiato-toiu mono-desâ)。这难道不是在讲述一个心理吗?这个犯人,时时刻刻最畏惧和谨慎于叙述心理。[中略] 他的杀人目的或许早已达成了咧(目的の殺人はとっくに終っているのかもしれませんぜ,Mokuteki-no satsujin-wa tokkuni owatteiru-no kamoshiremasenze )。”
“这个犯人,发出了八月九号的预告。并不见得他是个会傻傻地在八月九号按时执行犯罪的,重义气的蠢家伙咧(義理堅いトンマじゃありませんぜ,Girigatai tom’ma-ja’arimasenze)”

[坂口安吾(1947-48)《不连续杀人事件》]

不管是出自于多么有名的作品,如果采用了这类不太自然的文章,反而不就模糊了我们观察日语和角色形象的眼睛,并歪斜掉两者的关系吗?(待续)

author

《烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系》(筑摩新书,2008)定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。

地域語の経済と社会 第182回 方言聖書(山浦訳)とグロータース神父 Dialect translation of The Bible (by Dr Yamaura) and Reverend Willem A. Grootaers

2011年 12月 24日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第182回 方言聖書(山浦訳)とグロータース神父
Dialect translation of The Bible (by Dr Yamaura) and Reverend Willem A. Grootaers

(写真はクリックで拡大します)
【写真1】
【写真1『ガリラヤのイェシュー』マルコ伝14】

 『ガリラヤのイェシュー』という本が出ました。新約聖書の訳です。全国各地の方言を使い分けて、当時の多言語状況を、生き生きと写しています。このシリーズで扱っている「見える方言」のうちの、方言本(第48回第53回)の一つです。聖書は、文語訳より口語訳が分かりやすいのですが、それよりもこの方言訳は、中身に納得が行きます。【写真】のマルコ伝では、街の人は京都弁で、キリストの弟子ペトロは岩手県大船渡付近のケセン語で話しています。肝心のイエスキリストも「ガリラヤの里言葉」としてのケセン語を話します。

 発行はイー・ピックス出版という会社で、インターネットで注文できます。

   »»http://www.epix.co.jp/book-yamaura.html

 この会社では、『ケセン語訳聖書』を朗読CD付きで出しました。東日本大震災の津波で倉庫が水につかりましたが、包装されていた聖書は無事でした。「お水くぐりの聖書」としてテレビにも登場し、ほぼ完売したようです。

 著者の山浦玄嗣(はるつぐ)さんは熱心なクリスチャンの医師で、大津波の被害にもめげず、被災者の診察で大活躍しました。

 方言研究とキリスト教というと、もう一人思い浮かびます。グロータース(Willem A. Grootaers)さんです。カトリックの神父が本業ですが、日本にキリスト教以外に方言地理学(言語地理学)も広めました。2011年は生誕100年にあたりますが、まったく偶然に三つの異なった言語での紹介文が書かれました。神の采配でしょうか。日本語の紹介論文「新日本語学者列伝 グロータース」(沢木幹栄)は、雑誌「日本語学」11月号に載っています。

 他はインターネットで読めます。一つは英語で、インターネットジャーナルDialctologiaに載ったものです。

   »»”First dialectologists Willem A. GROOTAERS”.
     (PDFファイル〔89.8KB〕)

 もう一つはオランダ語で、以下で見られます。画像が多いので、中身の見当がつきます。オランダ語で書いてあっても理解できたという、満足感にひたれます。

   »»Auwera (2011) “Belgische taalkundigen in de wereld”.
     (powerpoint2010ファイル〔7.7MB〕)

* * *

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:お江戸の「鮨」は土佐の「寿し」?

2011年 12月 23日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第154回 お江戸の「鮨」は土佐の「寿し」?

 高知では、看板に、「うどん そうめん」とあった。さすが西日本、和食では「そば」よりもこうした麺類が主流で、人気なのだろう。

 「そば」も少しは看板で見かけた。「楚者」を崩した変体仮名のものも「信州そば処」などいくらかあった。「楚ば」もあった。しかし、東京ほど頻繁に使われているわけではなさそうだ。沖縄まで南下すると、ソバの種類自体が異なることもあってか、この変体仮名使用はついに見かけなかった。近畿地方一帯でも少なめだったが、関東風のソバを売る店では看板に見かけた。西日本では、ソバそのものを看板に大書するような店がそもそも東京よりも少ない。「そば」の変体仮名による表記には、地域性がある程度確認できそうに思っている。

 「すし」も、地域差が実は顕著だ。それは、普通名詞よりも店名に現れやすく、相互の影響が気にかかる。もらった高知のパンフレットには「神祭じんさい寿司」「寿し柳」などとあった。

 街中では「寿司」が多い。そして「寿し」も多かった。「寿し一貫」と看板になるのは、店名で、チェーン店だろうか。「寿し」は、高知では店名にもメニューにも頻出した。

 一方で、関東で馴染みの「鮨」も、近畿で根強い「鮓」も、確か一度も見ることがなかった。店名の都道府県別の使用の分布を出したことがあったが、その調査結果とよく符合する。地方都市らしいこの表記傾向を実際に都市景観の中で呈していた。電話帳によると、高知県では下記のようになっていた。

  鮨 6.7%
  鮓 0%
  寿し 44.9%
  寿司 48.3%

 こうしたものにも時代と地域の変動が続いている。都内で、「柿家鮓」という店名の看板が、去年だったか、「柿家鮨」に掛け変わっていた。都内では、「寿司」は回っていて安そう、魚が載っていなさそう、などという印象が聞かれるのだが、こういう意識にも地域差があるのだろう。「すし正(しょう)」というひらがなの店名も高知にあったが、これにも頻度差がありそうだ。

 昼を食べるために、函館市場という名の店に入った。筆字風のロゴだが、「函」の最初の2画は、よく見ると、北海道の地元式の「了」(第484957135回参照)とはなっていない。

 そこは回転寿司で、回るいくつもの皿には、紙が載っている。「活〆した」「〆鯖」「最後の〆を」と、「〆」という国字もいくつもクルクルと回っていた。エビは北海道と違ってやはり「海老」だ。

 すし店を出ると床屋へ入ってみる。髪がぼさぼさだ。出張中は時間がフとできることがあり、北海道でも、奈良でも、立ち寄ってみた。知らない土地の理髪店は、設備もサービスも違う。耳かきだか爪切りだかもあったような気がする。

  学生ですか?

 久しぶりに聞かれた。大学でも「先生だったんですか」などと言われることがあった。ヒゲやシワ、肉などでもっと貫禄をつけたほうが何かとよさそうだ。

  そうです。

と言っておけば、学生料金になったのかもしれない。京阪式のアクセントだが、訥々とし、テンションもそうは高くないことも加わって、やや意気阻喪してしまった。高知の人は関西風のアクセントで話しておいでだったが、総じて大阪や徳島の人よりも大人しい印象だった。尋ねるつもりだった、

  「たまご」はどう書かれますか?

など、聞かずに終わった。せっかくの取材のチャンスだったが、ほぼ身繕いと休息だけに終始した。頭を洗われながら、赤ちゃんをこうやって優しく洗ったことを思い出す。今度は、切った毛を下に落とすための箒のようなものが、荒くて痛い。

 支払いの時に、カードをもらった。もう二度と来られない場所だと思われ、この手のハンコは都内でさえも溜めきることがほとんどないのに、ここでは半分迷いながらも勧められるままにカードを作ってもらった。ハンコを一杯にできるかが問題だが、店名に含まれる「爵」という字のゴシック体風のロゴが目に止まった。最初の「ノツ」の「ツ」の部分で、左の「、」だけ「ノ」と旧字体のような向きになっていた。わざと、髪型を意識してデザインされたものだろうか。もらって良かった。看板でもそうなっていた。

 「暫時」という語を実際に使うところも、今回は聞けなかった。東京では、「漸次」や「漸近線」のゼンと混じって、ザンかゼンでまず読みが揺れ、意味も古語の知識も混じってまた揺れる。漢語が方言となることはけっこうある。福岡の「離合」、愛知の「放課」などもそうだ。

 下記の店名は、ディーゼル車の窓から見えた看板にあった。

  「関田さん家」

 この「家」には、ふりがながちらっと見えた。「ち」だったのだろうか。この辺りでもこのかなり一般化している表外訓を使うのだろうか。

* * *

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「高知らしい漢字」でした。

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「百学連環」を読む:アートとサイエンスは紛らわしい?

2011年 12月 23日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第38回 アートとサイエンスは紛らわしい?

 西先生は、『ウェブスター英語辞典』からARTの定義を引用した後で、改めて「学問(Science)」と「術(Art)」の違いを明確にするためにラテン語交じりの説明を引用しました。現代語訳を添えて、再び提示しておきましょう。

In science, scimus ut sciamus, in art, scimus ut producamus.
〔学では、知ルタメニ知リ、術では、ツクルタメニ知ル〕

(「百學連環」第4段落第4文)

 では、この文はどこから来たのでしょうか。そう思って調べてみると、やはり『ウェブスター英語辞典』から取られていることが分かります。

 ありがたいことに、『ウェブスター英語辞典』の最初の版である1828年版と、後の改訂版である1913年版の内容を電子化して閲覧に供している「NOAH WEBSTER’S 1828 AMERICAN DICTIONARY」というウェブサイトがあります。

 ここでSCIENCEの項目を調べてみると、問題の一文が1913年版に書かれていることが分かるのです。

 1828年版では、Scienceの五つの定義が示された後に、ちょっと面白いことが書かれています。原文は上記リンクをご覧いただくとして、ここでは日本語に訳出しておきましょう。

注記――作家たちは、「アート」と「サイエンス」という語について、しかるべき識別と正確さでもって使い分けることに必ずしも注意を払ってきたわけではない。〔例えば〕音楽はアートであり、同様にしてサイエンスである。一般に、アートとは実践や実演にかかるものであり、サイエンスとは抽象や理論的な原理にかかるものだ。つまり、音楽の理論はサイエンスであり、音楽の実演はアートである。

(『ウェブスター英語辞典』、1828年版、SCIENCEの項への注記)

 英語において「アート」と「サイエンス」の区別が必ずしも厳密になされているわけではないという語用の一端が垣間見えますね。現在の日本語でカタカナとして使われる「アート」と「サイエンス」では、むしろ別の事柄としてはっきり分けられていますから、そういう観点からすると上でウェブスターが書いていることはかえって分かりづらいかもしれません。

 しかしながら、ここまで見てきたように、いま私たちが確認しようとしている「アート」と「サイエンス」は、「術」と「学」と訳したほうが適切であるような言葉でした。上の「注記」の「アート」と「サイエンス」を「術」と「学」に置き換えて読むと、もう少しその混同しがちな雰囲気を味わいやすいかもしれません。あるいは「学」と「術」がつながった「学術」という言葉は、人によって「学」や「学問」と区別されずに使われる場合もあるようですから、似たような混乱が日本語においても見られるとも言えましょうか。

 さて、『ウェブスター英語辞典』の1913年版では、SCIENCEの項目はどうなっているでしょうか。定義の詳細は省きますが、やはり五つの定義を示した後で、いくつかの補足がなされています(その後ろに第六番目の定義が続きます)。

 一つはアスタリスク(*)で始まる注記で、「サイエンス」の分類が説明されています。「サイエンスには、応用(applied)と理論(pure)がある」というわけです。これについては、「百学連環」をもう少し読み進めたところで、改めて問題になってきますので、そこに譲ります。

 次に、「比較サイエンス、帰納的サイエンス」という言葉が並びます。言い換えれば「比較的学問、帰納的学問」ですね。ここでは別の項目、「ComparativeとInductiveを見よ」と参照先が示されていますが、これも後ほど話題になりますのでおきます。

 いま注目しておきたいのは、その次に置かれた段落です。「Syn.」つまり「同義語」という項目があって、まずはScienceの同義語(シノニム)として三つの言葉が掲げられています。ここにご注目ください。

Literature; art; knowledge.

 どういうことなのか。続きは次回に。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

*

【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

フランク・エドワード・マッガリン(8)

2011年 12月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第18回

1888年9月4日、マッガリンはシカゴにいました。クラーク通りとワシントン通りの交差点南東角にあるメソジスト教会ビルの一室で、タイプライターのトライアルをおこなうためです。この日の正午、集まったタイピストや速記者の前で、マッガリンは、新聞記事をタイプライターでコピーするトライアルを、最初におこないました。1分間のトライアルで、マッガリンは95ワードを打ち、間違いは3つだけでした。次にマッガリンは、裁判記録の口述タイピングをおこないました。やはり1分間のトライアルで、マッガリンは108ワードを打ち、間違いは3つでした。マッガリンは最後に、目隠しをして口述タイピングをおこないました。この1分間のトライアルでも、マッガリンは107ワードを打ちました。目隠しをしていてもしていなくても、マッガリンのタイピングスピードはほとんど変わらない、ということを、シカゴのタイピストたちに示したのです。

翌9月5日、デメントの提案で、マッガリンのタイピングスピードを、公式な記録として残すことになりました。午後8時、メソジスト教会ビルに集まった約75人の証人と、3人の審判の前で、マッガリンは5分間の口述タイピングをおこないました。裁判記録の読み上げは、デメント自身がおこないました。マッガリンは5分間に583ワードを打ち、誤りを除いた結果は575ワードでした。1分あたり115ワードという新記録を、マッガリンは打ち立てたのです。さらにマッガリンは、目隠しをして口述タイピングをおこないました。この日のマッガリンは、かなり調子が良く、1分間に125ワードを打ち、間違いは3つだけでした。

7週間に渡るマッガリンの夏季休暇は、こうして終わりました。ソルトレークシティに帰ったマッガリンは、かなりの熱狂を持って迎えられました。ソルトレークシティでは、いくつかのタイプライターコンテストが予定されており、それらにマッガリンは特別ゲストとして招待されたのです。

そんな中、マッガリンは、かねてからの計画を進めることにしました。速記とタイピングの専門学校を、ソルトレークシティに開校しようというのです。校長はもちろんマッガリンで、速記についてはグラハム式速記を、タイピングについてはマッガリン自身のタイピング法を、それぞれ教授する予定でした。ただ、グラハム式速記は教則本があるものの、マッガリン自身のタイピング法は、もちろん教本になどなっていません。そこでマッガリンは、自身のタイピング法を、雑誌記事の形で掲載することにしました。すなわち、人差指は1、中指は2、薬指は3、そして小指は4、という形で、典型的な単語の指づかいを示していったのです。

マッガリンの指づかい(The Phonographic World, 1889年1月号) ※experimentalの指づかいは誤植の可能性あり
マッガリンの指づかい(The Phonographic World, 1889年1月号) ※experimentalの指づかいは誤植の可能性あり

(フランク・エドワード・マッガリン(9)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

クリスマス・キャロル(クリスマス聖歌)

2011年 12月 21日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

◆歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~◆ 特別編・2

「Silent Night」

●歌詞はこちら
http://www.carols.org.uk/silent_night.htm

非クリスチャンの日本人でも、誰もが一度はこの曲を口ずさんだ経験があると思います。♪き~よし~/こ~のよる~…の「きよし」は、漢字で表すと「清し」ではなく「聖し」です。何といっても、テーマがイエス・キリストがお生まれになる聖なる夜ですから。

原曲はドイツ語で、もとのタイトルを「Stille Nacht」といい、1818 年にドイツ人のヨゼフ・モール(Joseph Mohr)が歌詞を綴り、同じくドイツ人のフランツ・グルーバー(Franz Gruber)がメロディを綴りました。広く親しまれている日本語訳のヴァージョンは、牧師だった由木 康氏(1980-85)によるもの。但し、日本語訳の中には、ところどころで言葉が異なる歌詞もあり、1番の「すくいのみ子(御子)は/まぶねの中に」の歌詞を、筆者は幼稚園時代に「すくいの御子は/みはは(=御母)の胸に」と歌った記憶があります。みなさんが覚えている「きよし このよる」の歌詞はどちらでしょうか?

『聖書』の場面に基づくクリスマス聖歌の中で、恐らく最も有名な曲がこれでしょう。「きよし このよる」のベースになっているのは、以下の場面です。

○『新約聖書』「ルカによる福音書」第2章8~14節

そこには、イエス・キリストの降誕に至るまでの状況が詳しく描かれています。「飼い葉桶の中に眠る乳飲み子」こそが、イエス・キリストを指しています。イエス・キリストが降誕する夜=聖なる夜=「きよし このよる」というわけです。日本語の歌詞にある「すくいのみ子(救いの御子)」は、もちろん、救世主であるイエス・キリストを指しています。

「O Holy Night」

●歌詞はこちら
http://www.carols.org.uk/ba32-o-holy-night.htm

日本基督教団出版局発行の『讃美歌・讃美歌第二編』(1971)では、「さやかに星はきらめき」という邦題になっています。数え切れないほどのアーティストが過去にこの曲をレコーディングしていて、「オー・ホーリー・ナイト」というカタカナの邦題もあります。“holy night”は「Silent Night」同様、イエス・キリストが降誕する夜のことを指しており、『聖書』の以下の部分に基づいた讃美歌です。

○『新約聖書』「ルカによる福音書」第1章35節

天使が聖母マリアのもとに来て、彼女の懐妊を預言し、その子にイエス・キリストと名づけなさい、と言い、戸惑う聖母マリアに向かって「天使は答えた。『聖霊があなたに降[くだ]り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる』」と言います(「 」内は『新約聖書』より抜粋)――この部分が、(2)の背景にあるわけです。お解りいただけたでしょうか?

筆者は大学生の時、この曲が収録されている女性ゴスペル・シンガーのクリスマス・アルバムの聞き取り(これを日本のレコード業界では“ワーディング”と呼びます)と訳詞を依頼されました。1年間だけ在籍したミッション系の大学時代に配布された『讃美歌第二編』を持っていたため、同書を参考にすることができ、何とかことなきを得ました。その際、わざわざレコード会社の担当者さんに「さやかに星はきらめき」と、邦題を添えて原稿を提出したにもかかわらず、出来上がったサンプル盤を見てみたところ、「ささやかに星はきらめき」(強調筆者)となっていて仰天しました。後日、日本基督教団の讃美歌委員会から、早速そのレコード会社にクレームの電話があったとのこと。ちょっと苦い思い出です。

「Joy To The World」

●歌詞はこちら
http://www.carols.org.uk/ba27-joy-to-the-world.htm

「もろびとこぞりて」の邦題で知られる、有名なクリスマス・キャロル。これも幼稚園時代にクリスマス会で歌った記憶があります。ですが、意味はチンプンカンプンでした。また、カトリック系の幼稚園に通っていた知人は「タイトルが日本語かどうかも判らなかった」と言っていました。そして歌詞の「主は来ませり」を「シュワ(ハ)キマセリ…」と教えられるがままに歌った時、子供心にも「これは絶対に日本語じゃない!」と思ったそうです(苦笑)。

漢字で書くと「もろびと=諸人」、「こぞりて=挙りて」となり、邦題を違う日本語に置き換えると「人々よ、ひとり残らず集いなさい」となります。では、何のために人々に集うことを促すのでしょう? そのことは、この曲のベースになっている『聖書』の場面を突き止めると判ります。ただし、アメリカと日本とでは、その出典となる『聖書』の場面が異なるのです。

○アメリカ:『旧約聖書』「詩編」第98章4~9節
○日本:『新約聖書』「ルカによる福音書」第4章18~19節

アメリカでは、「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせて、楽の音に合わせて。ラッパを吹き、角笛を響かせて王なる御前に喜びの叫びをあげよ」の場面にこの曲が呼応するといい、日本では、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」としています。実際のところ、どちらがが正しいのか、はっきりとは判りません(筆者は非クリスチャンですので)。ですが、共通するのは「救い主がお生まれになったことを祝福する、救い主がお姿を現すことを祝福する」という思いです。原題の「Joy To The World(世界中に喜びを!)」は、救い主であるイエス・キリストの降誕を祝福するべく、人々に向かってお祝いに駆けつけてきて下さい、と呼びかけている言葉だと理解できるでしょう。呪文のような「シュハ(主は)キマセリ(来ませり)」は、救い主が民の目前に姿を現すことを言っていたのです。れっきとした日本語なのでした。

クリスマス・キャロルではありませんが、最も有名な讃美歌のひとつに挙げられるのが「Amazing Grace」です。日本では、故・本田美奈子さんの澄んだ歌声によるヴァージョンが有名ですね。この機会に、同曲についてもちょっと触れてみたいと思います。

「Amazing Grace」

●歌詞はこちら
http://littleleaf.com/amazinggrace.htm

長きにわたって世界中のクリスチャンの人々によって歌い継がれてきた、讃美歌の金字塔と言っても過言ではない讃美歌です。タイトルは、「願ってもみなかった神様からの恩寵」という意味で、日本基督教団出版局発行の『讃美歌・讃美歌第二編』では「われをもすくいし」、同『讃美歌21』では「くすしき恵み」という邦題になっています。もとになった『聖書』の場面は以下の通り。

○『新約聖書』「ヨハネによる福音書」第9章25節

そこには、それまで盲人だったひとりの男が、あるお方(=イエス・キリスト)によって視力を取り戻し、救われたことが記されています。この曲の作詞者であるイギリス人のジョン・ニュートン(John Newton/1725-1807)は、船乗りであり、英国教会の信徒でもありましたから、『新約聖書』の同場面から着想を得てこの曲を作ったのでしょう。歌詞にある“(I) was blind.”は、実際に盲目だった、というよりは「神様の存在に気づかずにいた自分」を比喩的に表現しているフレーズです。そこから浮かび上がってくるのは、「これまで神様(つまりイエス・キリスト)の存在を知らずにいた自分は、今、神の恩恵に浴して目が覚めた」ということでしょうか。「イエス・キリストの恵みを受けて、自分は生まれ変わった」という解釈もできますね。これまた過去に無数のアーティストたちがレコーディングしてきた曲ですが、とりわけ「ソウルの女王」の異名をとるアレサ・フランクリン(Aretha Franklin/1942-)の熱唱は圧巻です。

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何気なく耳にしてきたり口ずさんだりしてきたクリスマス・ソングやゴスペル・ナンバーの多くは、じつは『聖書』を背景に生まれたものが多い、ということがこれでお解りいただけたのでは、と思います。筆者が初めてゴスペル・ナンバーを仕事として訳したのは大学生の時でしたが、その際、1年間だけ籍を置いた大学での在学浪人生活が大いに役立ったものです。人間、何が幸いするか判りませんね。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

定番クリスマス・ソング

2011年 12月 21日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

◆歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~◆ 特別編・1

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「White Christmas」

●歌詞はこちら
http://www.carols.org.uk/white_christmas.htm

“white”が「雪景色」を指すことは、みなさん先刻ご承知でしょう。クリスマスに雪が降ってくれればいいのに…と願うのは、主に豪雪地帯以外の都市部に住む人々。日本の商業施設がクリスマス・シーズンに人工雪を降らせるようになったのは近年のことですが、確かに、クリスマスに雪が降ったらロマンティックな雰囲気が倍増しますね。ですが、冬が訪れる度に、豪雪と闘う人々がいることも忘れてはならないと思うのです。「銀世界のクリスマス」が、必ずしも万人に歓迎されるとは限らないのですから。

この曲では、「昔、過ごしたようなホワイト・クリスマスに思いを馳せている」と歌っていますので、歌い手が、以前は冬になると雪が降る場所に住んでいたことが判ります。珍しいのは、歌詞に登場する複数形の“Christmases”。それから判断すると、歌い手が語りかける“you”が、複数の人々もしくは不特定多数の人々(この曲を聴いている人々)を指していることは間違いありません。「みなさんがそれぞれ過ごすクリスマスが楽しいものになりますように」、「みなさんが銀世界の中でクリスマスを迎えられますように」と歌っているので、複数の人々が過ごすクリスマスを複数形で表しているわけです。

この曲を最初にレコーディングしたのは、アメリカの人気ポピュラー・シンガーだったビング・クロスビー(Bing Crosby/1903-77)で、1942年のアメリカ映画『HOLIDAY INN』の挿入歌でした。その際、主にミュージカル映画の中、女優の代わりに「吹き替え歌」を生業としていたマーサ・ミアーズ(Martha Mears/1910-86)とのデュエットだったのです。ミュージカル映画では、女優が歌うシーンで必ずしも本人が歌っているとは限らない、という場合があります。映画『WEST SIDE STORY(邦題:ウエスト・サイド物語)』(1961)の主役のひとり、ナタリー・ウッド(Natalie Wood/1938-81)が劇中で歌っている箇所を、じつは別の女性が歌っていた、というのは余りにも有名です。「White Christmas」のオリジナル・ヴァージョンがデュエット・ナンバーだった、というのには、ちょっと驚きますね。クロスビー名義の「White Christmas」は、一種の季節ものの商品でありながら、シングル曲として1955年に全米チャートでNo.7を記録しています。

忘れられないのは、R&B/ソウル・シンガーのオーティス・レディング(1941-67)が歌ったヴァージョン。クリスマス・ソングのコンピレイション・アルバム『SOUL CHRISTMAS』(1968)に収録されているそれは、歌詞こそ「White Christmas」ですが、メロディからして全くの別物です。歌詞に頓着しなければ、全くクリスマス・ソングに聞こえません。ご興味のある方は、ぜひ聴いてみて下さい。

過去に、無数のアーティストがこの曲をレコーディングしました。クリスマス・ソングの定番中の定番と言えるでしょう。

「Rudolph, The Red Nosed Reindeer」

●歌詞はこちら
http://www.carols.org.uk/rudolf_the_red_nosed_reindeer.htm

「赤鼻のトナカイ」の邦題で知られる、代表的なクリスマス・ソングのひとつです。アメリカ生まれの曲で、初めてこの曲が世に現れたのが1949年ということですから、かなり古いですね。タイトルからも判るように、赤い鼻を持つルドルフという名前のトナカイが主人公。子供たちにプレゼントを配るためにサンタクロースが乗るそりを引っ張るトナカイのうちの一頭です。鼻が赤いため、他のトナカイたちからからかわれたりイジメられたりしますが、ある年のクリスマスの夜、「お前の赤い鼻は光っていて明るいから、今夜はわしのそりを先頭に立ってそりを引いてくれないかね?」とサンタクロースがルドルフに言います。ルドルフにとってはとても名誉なこと。おそらく他のトナカイたちが羨望の眼差しを向けたことでしょう。

筆者が通っていた私立幼稚園はミッション系ではありませんでしたが、12月にはクリスマス会が催されました。その際、この「赤鼻のトナカイ」を歌った記憶があります。当時はただ歌詞を覚えて先生に言われるがままに歌ったに過ぎません。ですが、この仕事に就いてから、過去に数え切れないほど様々なアーティストによるこの曲を訳してみて、歌詞のメッセージ――他の人と異なる特徴を持ち、そのことでいじめられてしまう子供を「その特徴こそが君の長所なんだよ」と励ます――を知るに至りました。明るいメロディに惑わされがちですが、じつは「赤鼻のトナカイ」には、深いメッセージが込められているのです。

「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」

●歌詞はこちら
http://www.lyricsfreak.com/j/jackson+5/i+saw+mommy+kissing+santa+claus_20068483.html

「ママがサンタにキ(ッ)スした」の邦題で知られる、楽しいクリスマス・ソング。何と言ってもジャクソン・ファイヴ(J5)のヴァージョンが有名です。クリスマス・シーズンが近づくと、必ずと言っていいほどFEN(現AFN)で流れていたことを憶えています。

J5のメンバーの中で最年少だったマイケル・ジャクソンが、兄たちに向かって「ママがサンタさんにキスしたところをホントに見たんだよ!」と懸命に訴える箇所が何とも可愛らしいですね。父親がサンタクロースに扮して夜中にこっそり子供の枕元にプレゼントを置く、というのは、日本でもすっかり定着した習慣です。サンタクロースの姿をひと目でいいから見たい、と強く願って夜更かしをした子供が、よもやそれが父親だとは気付かずに、サンタクロースが母親にキスするところを目撃してビックリ仰天! その子の頭は混乱してしまいます。そのおかしみを歌った曲ですから、大人のシンガーには似合いません。

オリジナルは、アメリカのシンガー、ジミー・ボイド(Jimmy Boyd/1939-2009)によって1962年にレコーディングされました。彼が13歳の時のことです。ちなみに、マイケルがこの曲をレコーディングした時は12歳でした。J5名義のクリスマス・アルバムの他、彼らが所属していたモータウン・レーベルからリリースされているクリスマスのコンピレイション・アルバムにも必ずと言っていいほど収録されています。

上記の3曲以外にも、日本人に親しまれているクリスマス・ソングはたくさんあります。『聖書』の場面に基づく、いわゆるクリスマス・キャロル(クリスマス聖歌)とは異なり、宗教色の薄いクリスマス・ソングには、みなさんもご存知の「ジングル・ベル(Jingle Bells)」(サンタクロースが乗るそりの鈴の音がテーマ)、「ウィンター・ワンダーランド(Winter Wonderland)」(クリスマスの日を迎える高揚感を歌った楽しい曲)、「サンタが町にやってくる(Santa Claus Is Coming To Town)」(タイトル通り、自分の住む町にサンタクロースがやってくるのを待ち焦がれる曲)などがありますよね。そうした曲も、非クリスチャンの人々の間にクリスマスを浸透させるのに一役買ったことは紛れもない事実でしょう。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

身体を使って漢字で遊ぶ(1)

2011年 12月 21日 水曜日 筆者: 鈴木 仁也

身体を使って漢字で遊ぶ(1)

1 はじめに

 辞書引き学習が広まることで、紙の国語辞典の需要が増え、子どもたちが自ら国語辞典を引くことも増えてきたようです。一方、漢和辞典となると、需要が増えているという話や子どもたちが自ら漢和辞典を引くようになったという話を聞くことは少ないように感じます。子どもたちが、自ら漢和辞典に手を伸ばし、引くようになるきっかけを作ることはできないでしょうか。

【児童の創作漢字例1】

お題:レインコート】

 小学校における「漢字の成り立ち」の扱い方について、「象形・指事・会意・形声」という4種類があることを伝えることにとどまっている授業が多いように感じます。実社会において、この知識がいかに活用できるのかという観点で授業を行えないでしょうか。

 また、文部科学省のコミュニケーション教育推進会議が、審議経過報告「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~「話し合う・創る・表現する」ワークショップへの取組~」(2011年8月29日)を公表しました。ここで定義されたコミュニケーション能力(=いろいろな価値観や背景をもつ人々による集団において、相互関係を深め、共感しながら、人間関係やチームワークを形成し、正解のない課題や経験したことのない問題について、対話をして情報を共有し、自ら深く考え、相互に考えを伝え、深め合いつつ、合意形成・課題解決する能力)を育むワークショップを漢字と関連付けて展開できないでしょうか。

 「児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験」(文化庁・文部科学省)の採択校である、福島県いわき市立勿来第一小学校において、5年生を対象に3学級それぞれ3回ずつの演劇ワークショップが行われました。その中の1回ずつを上記のような問題意識の下に実施し、効果が認められました。そのレポートをお届けします。

2 実施に至る経緯

 もともと、勿来第一小学校では、5年生を対象に学級ごとに演劇ワークショップを行うことを通して、他者認識と自己認識を改め、相互の違いを尊重し合える関係性を築くことを狙いとして「児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験」に取り組むことにしていました。関係性の変化が、学級の人間関係の改善に結び付き、演劇的な手法を経験する中で、想像力や表現力が育まれるという効果を意図したものです。

 各学級の第2回目、筆者が同行することとなり、学校から「子どもたちに特別授業をしてもらえないか」との要望がありました。小学校5年生の国語に出ている「漢字の成り立ち」の扱い方について、その知識を実社会でどのように活用できるのかという観点を加えた授業も展開できるのではないかと考えていたところでもあり、「漢字の成り立ち」を扱う授業をやってみることにしました。そこで、演劇ワークショップの指導者である、わたなべなおこさん(劇作家・演出家、あなざーわーくす主宰)とも相談し、演劇ワークショップでも漢字を題材にして展開することとして当日を迎えました。

*

次回(3 指導の全体計画 / 4 「漢字の成り立ち」の授業) >>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「身体を使って漢字で遊ぶ」目次へ

【筆者プロフィール】

鈴木 仁也(すずき・まさなり)
文化庁文化部国語課国語調査官
文部科学省初等中等教育局コミュニケーション教育推進会議オブザーバー
1964年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程中退。東京学芸大学附属高等学校教諭(国語科、演劇部顧問)を経て現職。
国語調査官として、文化審議会国語分科会の審議に関わるほか、「「言葉」について考える体験事業」、「国語に関する世論調査」など国語施策普及のための様々な取り組みに関わる。2010年からは、教育現場とワークショップ講師を含めた創作活動、さらには行政という三方面からの知見を持つことから、文部科学省コミュニケーション教育推進会議立ち上げと同時にオブザーバーとして会議に加わる。
主な著述に、『まんがで学ぶ敬語』(国土社2010)、『用字用語新表記辞典』(第一法規2011・編集協力)のほか、教員時代に携わった高等学校教科書(三省堂)や、国語教育、情報教育、古典教育等について多数のものがある。

* * *

【編集部から】
価値観が多様化し、また、急速に社会が変化していくなかで、どのような相手とも、どのような状況でも、協働して問題解決をはかっていけるような力が求められています。これに対し、教育現場では多様な取り組みが始まっています。
その実践を、多くの現場をご覧になり、自らもワークショップを行う鈴木仁也さんにご執筆いただくコラムです。
今回は、漢字辞典の使用につながる演劇ワークショップの授業のもようを3回に分けてご紹介いただきます。

「クイズ!新明解国語辞典」12月28日に放映!

2011年 12月 20日 火曜日 筆者: ogm
★『新明解国語辞典』のクイズ番組が年末に★

発売から数週間、皆さまに支えられ好調なスタートを見せている『新明解国語辞典 第七版』ですが、なんと、この辞典をもとにクイズ番組が放映されることになりました!

その名も「クイズ!新明解国語辞典」(*)。概要は以下のとおりです。

クイズ!新明解国語辞典 タイトル:クイズ!新明解国語辞典

 放送局:TBSテレビ

 放送日:
  12月28日(水)24時54分~25時54分
 (=12月29日(木)0時54分~1時54分)

 司会:村上信五さん(関ジャニ∞)

 進行:田中みな実さん
   (TBSアナウンサー)

放映は関東ローカル(東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木)です。
あと1週間ほど。どうぞお楽しみに!
忘年会や仕事納めが目白押しの頃と思いますが、皆さまお見逃しなきように……

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『新明解国語辞典 第七版』については⇒『新明解国語辞典 第七版』の書誌情報ページ

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(*)武藤康史さん編著『クイズ新明解国語辞典』『続クイズ新明解国語辞典』という本も1997年に小社から出ています(現在は品切)。
なお、番組の放送まで待ちきれない方はWEB本の雑誌「教えて! 新解さん」の新解さん逆引テスト!をお楽しみください。

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