クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

125 耳の文化と目の文化(34)―地名の表記(8)―

筆者:
2011年12月12日

中部ドイツ、ザクセン=アンハルト州にある Wittenberg ヴィッテンベルクはルターが宗教改革を起こした町として有名であるが、この地名の Witten は低地ドイツ語の形容詞「白い」を意味する wit(英語:white)から来ており、-berg は「山」であるから、Wittenberg はもともとは「白い山」という意味だったことになる。ところで、Witten の en は形容詞の変化語尾、ないしは接合辞である。他方、同じ州のザーレ河畔にある、大聖堂で有名な Naumburg ナウムブルクの naum は「新しい」という意味の中世語の形容詞 niuwe と -burg「城塞」からできており、もともとは「あたらしい城塞」という意味であった。ただ、この naum- という形であるが、中世から近世にかけての表記では Nuwenburgum, Numburg, Nuwenburg, Nuenburc, Nawmborg などとなっているから、本来は変化語尾、ないしは接合辞だった en の n が -burg の両唇音 b に同化して同じく両唇音の m になったと考えられる。また、南西ドイツにあるバーデン=ヴュルテンベルク州の東半分、自動車メーカーのダイムラー=ベンツやポルシェのあるシュトゥットガルト、また、大学町のテュービンゲンなどのある地方は Württemberg ヴュルテンベルクと呼ばれる。この地方名の表記が公式に決められたのは1802年であるが、それ以前は時代を遡っていくと、1475年 Würtemperg,1153年 Werdeneberch,1139年 Wirdenberc,1092年 Wirtinisberg などとなっているから、Würtem の m も本来は n であった。後にこれが p(b) に同化して m になったと考えられる。同様にバイエルン州の、教会のたくさんある、カトリックの町 Bamberg も時代を遡って見ると、1174年 Bamberc,Bamberg,1138年 Babenberch,973年 Papinberc などの表記があるから、本来は「Papo/Babo(人名)の城塞」という意味であり、語尾は n であったのが b に引きずられて m になったと考えられる。
 
正書法ではふつうこのような環境による音の変化をいちいち記すことはなく、音素表記をするのが本来である。

ちなみに、首都ベルリンに次ぐ、ドイツ第二の大都会 Hamburg ハンブルクの Ham- は「川の湾曲部」を意味する初期中世ドイツ語 hamma,あるいは「柵で囲った放牧地」を意味する低地ドイツ語の hamme に由来するから、m はもともとの音である。他には、バイエルン州にある Krumbach クルムバッハも中世語の形容詞 krum[p]「曲がりくねった」-bach「川」であるからもともと m があったのである。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新田 春夫 ( にった・はるお)

武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)