« フランク・エドワード・マッガリン(7) - 「百学連環」を読む:学と術の区別 »

談話研究室にようこそ 第18回 呪文をどう翻訳するか(その2)

2011年 12月 15日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第18回 呪文をどう翻訳するか(その2)

 小説の翻訳者松岡佑子のとった方法は,映画の字幕翻訳者のそれとは少し異なります。たとえば,これまでにも取り上げた三つの呪文(Petrificus Totalus/ Expecto Patronum/ Experiarmus)は,以下のように訳出されています。

(23) a. ペトリフィカス トタルス! 石になれ!
b. エクスペクト パトローナム! 守護霊パトローナスよ来たれ!
c. エクスペリアームス! 武器ぶきよ去れ!

 小説の日本語訳では,このような訳出法が一貫してとられています。まず,片仮名表記によって呪文の音声的特徴を伝え,そしてその呪文の意味を提示する,というものです。呪文の意味は命令形で示され,可能な場合は「守護霊よ来たれ」のように古めかしい表現が使われます。また,戦闘や練習で呪文が飛び交うような場面では,「ペトリフィカス トタルス!」「石になれ!」というように,前半部と後半部がそれぞれ単体で用いられることもありますが,たいていは片仮名表記+意訳の形態に統一されています。

 ところで,呪文のこのパタン,どこかで見たことはありませんか。そうです, 普及型呪文と形式的によく似ています。

(24) a. アブラカダブラ,締め切りよ伸びよ
b. テクマクマヤコン,テクマクマヤコン,AKB48になーれ

 「呪術的前付け」が片仮名で提示され,それに続く「効能説明」がどのような魔法が行われたのか明かす,という普及型呪文のパタンと,よく似たかたちをしています。異なるのは,呪術的前付けの部分が呪文ごとに変わる点です。

 翻訳者はなぜ,このようなパタンを採用したのでしょうか。

 この方法は,提示する情報量の点では(22)のルビ打ちの方法とほぼ同じですが,(23)の小説訳では,(22)のルビに当たる部分(例:「エクスペリアームス」)が前に来て,その後を呪文の意味(例:「武器よ去れ」)が追いかけます。そのうえで,(23c)に見られるように,「守護霊」「武器」など少しむずかしめの語にはルビを打っています。つまり,年少の読者に対する配慮がより細やかになされているのです。

 ところが,(22)の字幕翻訳ではそのような配慮は不可能です。「武器よ去れ」には,「エクスペリアームス」というルビがすでに打たれているからです。したがって,(22)の字幕翻訳を読む観客は,「守護霊」や「武器」などの漢字を自力で読み進めねばなりません。つまり,(22)の字幕翻訳は,小説よりも対象年齢が高いのです。より年少の観客は字幕ではなく吹き替えで映画を観るので,それで問題ありません。

 要するに,映画の字幕翻訳と小説の翻訳では,想定された受信者の対象年齢に開きがあり,小説のほうが対象年齢を低めに見積もっています。そして小説では,真性型の呪文を翻訳するにあたり,年少の読者におなじみのフォーマット――普及型呪文の「呪的前付け」+「効能説明」のパタン――に重ねることで呪文らしさを添えたわけです。

 これはこれでとてもおもしろいやり方だと思います。ただ,翻訳者には折り込みずみのことだとは思いますが,オリジナルの真性型呪文を普及型呪文に変えた点で,原作よりも子供っぽさが目立つ結果となりました。

 『ハリー・ポッター』シリーズの呪文翻訳の背景には,このような必然的な理由が隠されているようです。ことば遊びのニュアンスを翻訳に残すことには無理があるので,できるだけ分かりやすい翻訳を心がける。その過程で翻訳者は受信者の年齢層を考慮しながらも,それぞれの媒体に応じた翻訳を行う。その結果が,2種類の字幕翻訳と小説の翻訳に異なったかたちをとって現れた。そういうことだと思います。

<< 前回  次回>>

* * *

(*) 編集部注=このページをご覧になる環境によって、ルビが該当文字の上に表示される場合と、( )に括った状態で表示される場合があります。実際の字幕では、文字の上に表示されています。

*

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2011年 12月 15日