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第19回 無言の呪文と小説と映画

筆者:
2012年1月5日

『ハリー・ポッター』の呪文について述べておきたいことがもうひとつだけあります。映画と小説における無言呪文(nonverbal spells)の取り扱いについてです。小説第6巻のHarry Potter and the Half-Blood Prince(『ハリー・ポッターと謎のプリンス』)の終盤で,スネイプはハリーの攻撃をかわしてこう言います。

(25)’Blocked again, and again, and again until you learn to keep your mouth shut and your mind closed, Potter!’
「これも,前も,その前も,楽なもんだ。口を閉じ心を閉ざすことを覚えないうちはな。」

『ハリー・ポッター』の小説では,熟練した魔法使いなら呪文を声に出さずとも魔法をかけることができます。これが無言呪文です。ハリーたちが無言呪文を習い始めるのは,この第6巻です。上の例でハリーが「口を閉じ」ることを覚えないとあるのは,彼が無言呪文に長けていないことに言及したものです。

ところが,映画では第5作の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』で,ハリーは彼の名付け親シリウスとともに無言呪文でこともなげに敵と戦っています。

では,なぜ,小説の設定が映画では変更されたのでしょうか?

その問いに答えるには,映画のどのような場面で無言呪文が使われるのか,そして,どのような場面で使われていないのか,確かめる必要があります。

映画においてハリーが無言呪文を使うのはバトルシーンです。そこでは魔法の応酬が見られます。映画の見所でもあるわけで,観客に息をつかせるわけにはいきません。いちいち呪文を唱えるのは間が悪い。どうしても展開を遅らせることになります。

映画では,スローモーションなどの効果を用いないかぎり,出来事はリアルタイムで進行します。だから,素早い展開を必要とする場面ではいちいち呪文を唱える訳にはいかないのです。小説の設定から外れることになっても,映画ではハリーに無言呪文を習熟しておいてもらわないと困る。そういうことだろうと思います。

では,映画において,無言呪文に習熟しているはずのハリーがことさらに呪文を唱える必要があるのは,どのような場面でしょうか。

たとえば,シリーズ第7作の『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』では,邪悪な魔法がかけられたペンダントを破壊しようとして,ハリーがさまざまな魔法を試みる場面があります。ここでハリーは,それぞれの呪文を声に出して魔法をかけます。

なぜ,わざわざ声に出すのでしょうか。もちろん,観客にさまざまな魔法が試されたことを(間接的に)伝えるためにです。

要するに,映画において無言呪文が使われるか否かは,観客に対してどのような効果を与えるのか,観客にどのような情報を伝えるのかによって決まります。

他方,小説における時間の流れは,映画におけるそれとは大きく異なります。小説は映画と違って出来事をリアルタイムに提示する必要がありません。だから,小説のハリーは無言呪文が苦手でもかまわないのです。

小説と映画とにおける呪文の扱いの違いは,両者のメディア(伝達媒体)としての性格の違いに起因しています。メディアの違いがそこで使われることばのふるまいに影響をもたらしている訳です。

このメディアの違いがことばに対してもたらす影響の違いについてさらに考えるために,次回以降ではコンピュータゲームの『ドラゴンクエスト』の呪文を取り上げます

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。