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「百学連環」を読む:誤用にご注意

2012年 2月 24日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第46回 誤用にご注意

 次に西先生は、「觀察」と「實際」の違いについてもう少し説明します。

觀察とは、萬事其理を極めるヲ云ヒ、實際とは業サに就て極むるを云ふなり。theoryなる文字を英國誤りて speculation 或は hypothesis なる字意に代へ用ゆることあり、注意せさるへからす。

(「百學連環」第8段落第1~2文)

 ここでは、speculationとhypothesisの左にそれぞれ「觀想」「思ヒ定メル」と訳語を添えてあります。

 訳してみます。

「観察(theory)」とは、万事の理〔ことわり〕を極めることを言うのであり、「実際(practice)」とは、技を極めることを言うのである。イギリスでは、theoryという語を、間違って speculation や hypothesis という語の意味で使うことがあるので、これは注意しなければならない。

 「理(ことわり)」を極めるか、「技」を極めるか。そういう違いだというわけです。条理を頭で理解するか、実際に手足を動かしてなにかをつくったりなしたりするかという違いです。

 前回も述べたように、理を極めることも一種の技ではなかろうかと思ったりもしますが、このように「観察」と「実際」を分けるのは、古典ギリシアから受け継がれている発想でした。なぜそう分けるのか。このことを考えるには、アリストテレスの議論をじっくり分析してみる必要がありますが、それはもう少し先に行ってからにしましょう。

 さて、「百学連環」を読み進めるにつれて、だんだん分かってきましたが、西先生が英文交じりで説明している場合は要注意です。これは別の本から訳述している可能性があります。

 そういうつもりで探してみると、これもまた『ウェブスター英語辞典』に類似した表現が見つかります。「theory」の見出しの1番目の定義とその注釈は、次のような文章です。太字にした箇所にご注目。

1. A doctrine, or scheme of things, which terminates in speculation or contemplation, without a view to practice; hypothesis; speculation.
* This word is employed by English writers in a very loose and improper sense. It is with them usually convertible into hypothesis, and hypothesis is commonly used as another term for conjecture. The terms theory and theoretical are properly used in opposition to the terms practice and practical. In this sense, they were exclusively employed by the ancients; and in this sense, they are almost exclusively employed by the Continental philosophers.” Sir W. Hamilton.

(『ウェブスター英語辞典』1865年版、「THEORY」の項目、強調は引用者)

 先の西先生の言葉と完全に一致するわけではありませんが、太字にした箇所は、重なっているように見えます。つまり、定義1の末尾にhypothesisとspeculationが掲げられている。そして注釈として、ウィリアム・ハミルトン卿からの引用文が添えられており、その最初の2文が西先生の発言に近いのです。その箇所を訳してみます。

この〔theoryという〕語は、イギリスの作家が大変ゆるく、不適切な意味で使っている。普通、「仮説(hypothesis)」という語と言い換えられている。そして、「仮説」という語は一般に「推測(conjecture)」というもう一つ別の語として使われている始末だ。

 ご覧のようにハミルトン卿は、イギリスで物書きが「理論(theory)」という語を、本来それとは別の意味を持つ「仮説(hypothesis)」と同じような意味の語として使っているが、それは不適切だと指摘しています。

 西先生は、先に見た箇所で「イギリスでは、theoryという語を、間違って speculation や hypothesis という語の意味で使うことがあるので、これは注意しなければならない」と述べていました。ハミルトン卿の指摘と重なる部分はありますが、卿はspeculationについて言及していません。ひょっとしたら、西先生が参照した版の『ウェブスター英語辞典』では、speculationもそのような扱いだったのかもしれません。

 それこそ推測を逞しくすれば、上に引用したtheoryの定義の末尾に「hypothesis; speculation」と掲げられていること、そしてハミルトン卿が「不適切にもhypothesisと混同されている」と指摘していることを考え合わせて、speculationも同様であると捉えたとも考えられそうです。

 speculationも根を辿ると、「見る」ことに関わる言葉ですが、もっぱら「推測」と訳されますね。そういう意味では、西先生が言う通り、必ずしも「理論(theory)」とごっちゃにしてよい語ではなく、妥当な指摘だと思います。

 さて、次回は話ががらりと転じます。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
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深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
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時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

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