漢字の現在

第174回 韓国の大学内の漢字

筆者:
2012年4月6日

・大学内

発表のために檀国大学校に伺った。広い敷地内に置かれた立派な石に「精神」、「救國 真理」と筆字風の字が刻み込まれている。

施設名も、漢字で隷書体で記されている(第171回写真)。古風でがっちりとした書体が好まれるのが特徴的だ。書道が「書藝」(ソイェ・ソエ)と呼ばれる理由もうなずける。生活上での漢字の美しい書き方というよりも、改まった芸術品としての書き方と位置づけられているのだろう。

展示されている書籍の書名も漢字が目立つ。廊下に掲げられた古い婚礼の儀の写真とその案内板にも、漢字表記がある。廊下に貼られたポスターには、旧字体の漢字があるが、中国語かと思われる。

博物館長のデスクに置かれた名札には、氏名の点画が螺鈿細工で飾られていた。カラフルな光沢は、七色の墨を含ませた筆で氏名をデザインして書き上げる韓国の工芸を思い起こさせる。その筆字風の字でも、姓の「鄭」は「八」から始まっている。名刺でも同様であり、こういう康煕字典風の字体を筆字においても選択するのは、毛筆による筆写の伝統的な流れよりも、どっしりとしたたたずまいが好まれた結果だろうか。

名札を頂くと、「早稻田大 笹原宏之」とある。「稲」が旧字体なのは、韓国式なのであるが、中国の繁体字(いわゆる旧字体・康煕字典体)を意識した可能性も捨てきれない。名刺交換は、東アジア特有の文化のようだ。名刺はここではミョンハム(名銜)という。漢字研究者以外でも、東洋学の先生方を中心に、所属や職位、学位、姓名、住所などで漢字表記が多々見られる(裏に英文で読みの記されたものもある)。旧字体のものが準備されていた。筆字の書体で、頭部ががっちりして大きめで、重心がどっしりと低いデザインが目立つ。

日本の国字・国訓、つまり日本製漢字と日本製字義の種類と歴史について話すことを依頼されたので、俯瞰したり凝視したりした結果と経過をお話しした。最初と最後だけ、韓国語で話してみる。国字に関する数値化も、韓国の方々からは期待されていたが、日本では、母集団の確定が難しいほど文献も造字も量が多く、そうした中でやみくもに数値を出すことは意味がなく、かえって事実の認識にとって危険だと思われる。国字を集大成する辞書の完成は遠い。

授業で動員されたものだろうか、大あくびする大柄な男子もいる。「的」は英語の接尾辞-ticへの当て字から、中国語や韓国語にも広まったというと、うんうんうなずいてくれる女子学生らしき人がいた。日本製漢字の「躾」がmiという発音で韓国人留学生の名にあったことも話す。そのお父さんが日本語を知らず、「玉篇」(オクピョン)つまり漢韓辞典から見つけて付けてくれたのだという。父親も本人も、意味や日本製漢字であることを知らなかったそうだ。

躾

こうして知らないうちに日韓で交流が起こっていたと話すと、やはりニコニコして、うんと反応してくれる。同じく和製漢字「辻」姓の方が韓国へのそのままの字で帰化されたこと(シプという朝鮮漢字音になった)、草彅剛は不思議なことに「チョナンガン」となっていることにも、うんとうなずいてくれる。韓国のハングルを送り仮名のように交じえた国字について質問が出たので、日本には訓読みや送り仮名が普通に行われるので類例がないことに加え、囲碁の「李世乭」(イセドル)氏が日本でも新聞などに出て有名だと話すと、笑いが起きた。さすがこちらの有名人だ。韓国の国字というと、ほかにも朝鮮の箪笥を意味する「(木+藏)(チャン)」、旧国名の「伽(イ+耶)(カヤ)」の2字めも、日本で目にすることがある。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。