日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第6回 ことばについて

筆者:
2012年4月15日

前回述べたのは,「意図の露出が厭われるか受け入れられるかは,その人間の素性が問われるかどうか次第」ということである。

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その人が持っている古そうな焼き物や能面や家屋などが,わざと「古色」を付けられ,古めかしくされたものだったとしても,特に何とも思わない。その一方で,地毛だと思っていたのがカツラだった,素顔だと思っていたら巧妙な化粧や整形だったというのはショックである――そんなことがあるとしたら,それは私たちが人の素性を,その人の持ち物よりも,その人の身体(頭髪や顔つき)と結びつけてイメージするということだ,と述べたのであった。身体のような,人の素性と結びつけられやすいものに関しては,私たちは「身を飾ろうとする意図」に敏感になりがちである。

そして,ここで思い返してほしいのは,私たちがことばに関して,いかに「身を飾ろうとする意図」に敏感か,ということである。

たとえば素人が業界語を発するとどうなるか? 仲間うちで,○○ちゃんが今日はちょっと背伸びして業界語を,というのはまだいい。その人間と面識がなく,その人間の言動から素性を推し量ろうとする赤の他人にとって,素人の業界語がどのように映るかといえば,次の(1)~(4)のとおりである。

(1)  ネトゲとかでもやたら略称(単語のイニシャルの羅列とか)無理に使って得意気はうざい

[//aromablack5310.blog77.fc2.com/blog-entry-4564.html, 最終確認日: 2012年3月25日]

(2)  お客さんの中には雑誌やインターネットで調べた店員も知らない言葉を得意げに語る人がいます。型番や値段表に書いてある名称をあえて使わず開発時のコードネーム(それも滅多に知られていないやつ)を使う人です。そして店員が「?」という顔をするとうれしそうに「○○ですよ」とわかりやすく言い直すんです。こんなお客さんはものを売った後はもう二度ときてほしくないと思います。わざわざ自分の知識(それも単発の役に立たない知識です)で店員を試すようなことはやめましょう。ちなみに雑誌やインターネットで調べた中途半端な知識をひけらかそうとするとほとんどの場合は撃沈されます。普段店頭にいない僕だってHDの型番を聞けば「80GB,7200rpm,流体」とすらっと出てきます。店員の中にはホントに何でも知ってる人もいますしね。

[//imajun.sakura.ne.jp/digico/digico_009.html, 最終確認日: 2012年3月25日]

(3)  そして,お客として気をつけなきゃいけないのは,シャリ・ガリ・オテモト・ムラサキ・アガリ・オアイソなどの「業界隠語」を,素人客が無闇に使わないことです。ご本人は「通」ぶっているのかも知れませんが,それを聴かされる周りが恥ずかしい気持ちになっちまいますから。

[//liberty1-hp.hp1.catch-cms.jp/1285899730203/, 最終確認日: 2012年3月25日]

(4)  寿司屋で得意げに「おあいそ!」とか言っちゃう奴にアツアツのカニ味噌汁をぶっかけてやりたい

[//ninninnsoku.doorblog.jp/archives/1834083.html, 最終確認日: 2012年3月25日]

(1)はネットゲーム,(2)はコンピュータ関連機器,(3)と(4)は寿司に関するインターネット上の発言で,いずれも「業界語を発する素人は玄人のように格好をつけようとしているのだろうが,その魂胆はバレバレで見ていられないからやめておけ」と言っている。素人の心中は,「通ぶって」「得意げ」などと見切られており,さらに(2)では「雑誌やインターネットで調べた」と業界語の仕入れ先が決めつけられ,(4)ではアツアツのカニ味噌汁によって妄想世界で天誅まで下されている。もしもこれらの素人が下心なく,たとえば玄人がしゃべるのを聞いて「寿司屋ではそう言うのか」などと思って業界語を発していたのだとしたら,もうまったくお気の毒としか言いようがないが,そういう決めつけ,断罪は私たちがお互い,日常よくやっていることだろう。

アクセントについてもまったく同様である。

(5)  先日,ブランド名の「ヴィトン」を,平板に発音する人がいて,ちょっとのけぞりました。「『ヴィトン』なんて,どうってことないわーふふん」と言いたい気持ちが無意識のうちに発露された結果なのかもしれませんが,「バトン」や,「ふとん」じゃないんだから,ねえ。

[//blogs.yahoo.co.jp/mizuki4821/41250443.html, 最終確認日: 2012年3月25日]

(6)  テレビのレポーターが,「家業を継ぐ」の家業の発音を「画廊」と同じ発音で言っていました。最近では本当にこのような「平坦読み」や「尻上がり読み」が増え,とても耳障りなんですが,皆さんは気になりませんか? ○○や○○○がでてきた頃から,こんな情緒の無い読み方が増えているように思います。平坦読みを連呼する人はとても頭が悪く軽薄にさえ見えます。それでも得意げに連呼するんです,特に○○○○が。

[//okwave.jp/qa/q2661085.html, 最終確認日: 2012年3月25日]

つまり「ヴィトン」(低高高)とか「かぎょう」(低高高)とか言っていると,「こいつは「『ヴィトン』なんて,どうってことないわーふふん」なんだ」「平板型で連呼して,得意げだ」などと心中を見切られ,しまいにはアツアツのカニ味噌汁をぶっかけられたりする。いや,上の歯で下唇を咬んで「ヴィ」と言った時点でカニ味噌汁が飛んでくるかもしれない。とまあ,このようにことばは身体なみに,話し手の素性と結びついている。

さて,ここで問うてみたい。ことばは道具だろうか?

見るからに弱々しい者でも,手にピストルをしっかと構えてさえいれば,誰でも言うことを聞かざるを得ない。なるほどピストルは道具である。ところが,見るからに弱々しい者がピストルを手にしたら,皆が「それはおまえに似合っていない。背伸びをするな」と苦笑し,しまいにカニ味噌汁をぶっかけてくるとしたら,そのピストルは道具だろうか? つまり,ことばは道具だろうか?

まあ,道具でもいいのだが,「ことばは道具である」と言う時,私たちは「人間はことばを使って情報を伝達し,人間関係を円滑にして,所与の目的を遂げる」という面ばかりに目を向け過ぎてはいないだろうか? 「道具は人を選ぶ」という面,つまり或る目的を遂げようと或る道具を選んでも,自分がその道具にフィットしなければうまくいかないということを,ないがしろにしてきたのではないだろうか? 「ことばは人を選ぶ」ということ,つまりことばがまったく自由に選べるようなものではないということを,私たちはもっと認識すべきではないだろうか?

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。