人名用漢字の新字旧字

「巫」は常用平易か(第1回)

筆者:
2012年4月19日

平成23年5月11日、北海道中頓別町のとある夫婦のもとに、女の子が誕生しました。両親は、子供に「巫空」と名づけ、中頓別町役場に出生届を提出しました。中頓別町役場は、この出生届を受理し、戸籍に「巫空」ちゃんを登載しました。ところがその後、中頓別町役場は、ある間違いに気づきました。「巫」は常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけには使えなかったのです。「巫空」ちゃんの出生届は、本来、受理できないものだったのです。しかし、いったん受理してしまった出生届は、もちろんそれはそれで有効なものです。そこで中頓別町役場は、両親に戸籍訂正をお願いすることにしました。「巫空」ちゃんの名を、別の名に訂正してもらうよう、お願いすることにしたのです。

平成23年7月19日、東京都北区のとある夫婦のもとに、女の子が誕生しました。両親は、子供に「巫琴」と名づけ、7月20日、北区役所に出生届を提出しました。しかし北区役所は、この出生届を受理しませんでした。「巫」が、常用漢字でも人名用漢字でもなかったからです。やむをえず両親は、「巫」を別の常用漢字に変えて、7月25日、出生届を再提出しました。さらに7月29日、両親は東京家庭裁判所に不服申立[平成23年(家)第7488号]をおこないました。「巫」は、戸籍法第50条でいうところの「常用平易」な文字なので、「巫琴」と名づけた出生届を受理するよう東京都北区長に命令してほしい、と申し立てたのです。

さて、戸籍法第50条でいうところの「常用平易」な文字、というのは、どういうものなのでしょう。戸籍法第50条は、子供の名づけに使える文字を、以下のように規定しています。

第五十条    子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
2    常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。

戸籍法施行規則第60条では、子供の名づけに使える文字を、以下のように制限しています。

第六十条    戸籍法第五十条第二項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。
   常用漢字表(平成二十二年内閣告示第二号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては、括弧の外のものに限る。)
   別表第二に掲げる漢字
   片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)

つまり、法律である戸籍法が「常用平易」という大枠を決めて、法務省令の戸籍法施行規則が、それを常用漢字と「別表第二に掲げる漢字」(人名用漢字)に制限している、という二段構えになっています。

しかも、この二段構えには、実は隙間があります。「常用平易」であるにもかかわらず、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字、というものが存在し得るのです。それはつまり、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字であっても、戸籍法に沿って「常用平易」であると認められれば、子供の名づけに使ってよい、ということになるわけです。そして、「常用平易」かどうかを判断するのは、区役所や町役場の戸籍窓口ではなく、家庭裁判所の仕事なのです。

第2回につづく)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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編集部から

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