談話研究室にようこそ

第27回 得体の知れない呪文とその合理性

筆者:
2012年4月26日

呪文の基本的な特徴は,日頃のことばとは異なる非日常性と意味がすぐには理解できない難解さでした(第7回を参照ください)。その呪文が,『ハリー・ポッター』シリーズという小説と『ドラゴンクエスト』というコンピュータゲームでどのような姿を見せているのか,これまで(少し時間がかかりすぎた気もしますが)20回にわたり観察してきました。

『ハリポタ』ではラテン語もどきという体裁がとられていました。たとえば,Wingardium Leviosa(ウィンガーディアム・レヴィオーサ)は,ラテン語風の作りが日頃の英語の響きとは明らかに異なりますし,また,意味がスパッと分かる訳でもありません。

呪文の基本的な性格を維持しながらも,ラテン語もどきという呪文作成のための指針を作者に用意すると同時に,おもにラテン語系の英単語の知識から読者に意味するところを類推させるという遊びも含まれていました。よしんば,意味が分からなくとも,この術をかけられた登場人物の反応から呪文の意味は知れます。『ハリポタ』の呪文は,作者にとっても,読者にとっても,都合のよい形態をしているのです。

他方,『ドラクエ』の呪文はどうだったでしょうか。『ドラクエ』の呪文は『ハリポタ』のそれに比べると,明らかに短い。長い呪文は,スペースの制約のある画面表示に不利ですし,初期のコンピュータゲームに課せられたメモリ節約の要請にも反します。

しかも,プレーヤがゲームのなかで使い分けるのですから,プレーヤにとって区別しやすく,しかも覚えやすいものでなければなりません。非日常的で(やや)難解でありながらも,短く,区別可能な簡便さを兼ね備えるという離れ業を,オノマトペの利用とモーラ数の多少による強度の段階性などで解決していました。

呪文には得体の知れない性格が付きまといます。と同時に,『ハリー・ポッター』と『ドラゴンクエスト』というフィクションで用いられるとき,呪文は使われるコンテクストに見合った合理性も見せていたのです。得体の知れぬ呪文も,一片のことばである以上,ことばの規則に従います。私たちが使うゆえに,ことばは私たちの合理性を反映するのです。

さて,ひとつお話ししていなかったことがあります。『ドラクエ』をやったことのない私が,なぜ,『ドラクエ』の呪文について考えるようになったのか,その理由です。

数年前のことになりますが,ゼミの学生が『ドラクエ』の呪文に興味があるんですが……とデータを持ち込んできたのがはじまりです。聞けば,なるほどおもしろい。

じゃあ呪文でやっちゃえ,ということで,私が持っていた『ハリポタ』ネタとあわせてその学生は卒業論文を書きました。当時ゼミには『ドラクエ』の達人がほかに2人いて,議論が盛り上がったのを覚えています。

つまり,呪文に関する考察は、私ひとりですべて考えたというものではなく,ゼミでの(談話研究室での)議論が元になっています。

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『ドラクエ』の呪文は,ひとりで勉強しているだけなら,決して出会えなかったでしょう。ゼミで学生とともに勉強する醍醐味がそこにあります。データの持ち込み大歓迎。そして,各自が調べた身近なことばを持ち寄って,その不思議さ,おもしろさについて一緒に考えてみる。そういった楽しさを共有したい。だからこそ,「談話研究室にようこそ」なんです。

これで呪文に関する考察はおしまいです。次回からは,味覚のことばについて考えてみましょう。食卓で,エッセイで,漫画で,そして小説で使われる「味な」ことばを追いかけます。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。