漢字の現在

第188回 「背黄青鸚哥」が「はいおうせいおうか」に

筆者:
2012年5月25日

思ったよりも盛り上がってくれたので、1問目が終わってから続けて2問目に。今度は、個々の漢字そのものは、先ほどより易しめにしてみた。文がなんとなくつながっているようにはしてある。

 背黄青鸚哥が小豆を喰って囀って打っ魂消た。

背黄青鸚哥

このように漢字は少し簡単にしたが、読みが難しめで、いわゆる常識の範囲を超えていることだろう(日常的には辞書で調べられれば十分なもの)。授業ですでに取り扱った例も含まれているかもしれないが、忘れている可能性が大だ。なお、「鸚」は、出題も手書きだったので、この辺りのどこまでが一文字なのか不安そうで聞いてきた。そのため、合字、分字などこの時点で異分析が起こるといけないので、確認しておいた。「名字でこういうの」と、「櫻」と関係を感じ取っていると語る男子学生も後で現れた。

 背黄青鸚哥 > せきせいいんこ >
   世紀世印個 > せきせいいんこ

この班は、3人目の素直さのある音訳になったお陰で、元に戻れたのである。機転といえようか。ほかの班はどうだろう。

 背黄青鸚哥 > せきあおえいか >
   背木青英司 > せきせいいんこ

「司」は「可」のイメージからだろう。これも、音訓を交替しながら、流れでなんと戻れたのであった。漢字の表意性、字体の複雑性、それらの柔軟性が絡んで、変化の歴史的な原理を短期間に再現してくれる面がある。

別の班は、意外な方向にいったんは進んでいく。

 背黄青鸚哥 > せきせいいんこ >
   雪白精(鳥+印)(鳥+呼)ゆきしろせいいんこ せきせいいんこ

ついには、臨時の形声文字による造字が現れた。ベトナムのチュノムのようだが、かつての国字や国訓にはこのたぐいもあった。「鮟鱇」のようにそれらを交えて定着したものもある。前回のような類推読みがなされることを見越したうえだとすれば高度な技術だ。そして次の人は、その初見であるはずの「個人文字」を、実際にきちんと「いんこ」と読めていたのが素晴らしい。

さらに別の班は、次のように転訛していった。

 背黄青鸚哥 > はいおうせいおうか >
   灰王聖王加 > はいおうせいおうか

2人目が苦し紛れからか音読みで5字の読みを揃えてしまった。ここまで変わると、さすがにもう次からの人は戻せなかった。意味未詳ながら語呂が良い「はいおうせいおうか」は、当て字を経ても語形(発音)がきちんと維持され、立派な新熟語のようなものが生まれた。しかし、採点時には、「せい」にだけ、部分点が奇跡的についたのが愛嬌がありかえって可笑しかった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。