タイプライターに魅せられた男たち・第37回

オーガスト・ドボラック(3)

筆者:
2012年6月7日

1933年11月6日、カーネギー財団教育基金は、ドボラックに3700ドルの研究費を交付決定しました。『改良されたキー配列を用いたタイピング教育の改良』の研究のためです。ドボラックは、タコマの公立学校に協力を求め、第7年次の生徒たちに、新しいキー配列のタイプライターを使わせる実験をおこないました。その際にドボラックは、メリック(Nellie Louise Merrick)というタイピング教師と知り合い、彼女を研究アシスタントに引きずり込んでいます。また、ドボラックは、この実験において、キー配列をさらに改良しました。具体的には、「Z」を左端から右端に移動し、数字の並びを7531902468としたのです。

改良されたドボラック式配列の「Royal Deluxe」

改良されたドボラック式配列の「Royal Deluxe」

この7531902468という数字の並びは、かなり微妙なものです。ドボラックとメリックが書いたタイピング教本によれば、7531を左手で、902468を右手で打つことになっており、左手人差指に数字の中でも使用頻度の高い「1」を、右手人差指にやはり使用頻度の高い「0」を配置したのは、まず間違いありません。ただ、「3」と「9」が人差指に配置されているのは、正直なところ謎です。この改良研究が1933~1934年におこなわれたことから、ドボラックが頻度調査に使った文章の中に、あるいは「1934」や「1933」や「1932」が数多く紛れ込んでいたのかもしれません。

1934年11月8日、カーネギー財団教育基金は、前年度に引き続いて、再度ドボラックに3700ドルの研究費を交付決定しました。ドボラックとメリック、それに加えてディーリーとフォードは、タイピング教育の改良について研究を進め、やがてそれは1冊の本となって結実します。『タイプライティング・ビヘイビア』、それが彼らの本のタイトルでした。『タイプライティング・ビヘイビア』の刊行は、結局1936年にずれこんでしまうのですが、カーネギー財団教育基金での研究成果を、500ページ強に渡って書き連ねたものであり、その後のドボラック式配列の布教において、いわば「聖典」の座を占めることになる本でした。

この時期、ドボラックの下にいた学生は、その多くが、ドボラック式配列の研究に駆り出されました。中でも、シアトル公立学校の教師だったデイビス(Dwight D. W. Davis)は、非常に優秀な大学院生でした。デイビスは、『一般キー配列とドボラック・ディーリー簡素化キー配列における学生の打ち間違いの解析』(An Analysis of Student Errors on the Universal and on the Dvorak-Dealey Simplified Typewriter Keyboard)で、1935年にワシントン大学教育学部の修士号を取得しました。同時にデイビスは、『The Journal of Business Education』誌の1935年5月号から10月号にかけて、「簡素化キー配列の評価」と題する記事(Part I,Part II,Part III,Part IV)を連載しました。従来のQWERTY配列に比べ、さまざまな点でドボラック式配列が優っていることを、世にアピールしたのです。

オーガスト・ドボラック(4)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。