「百学連環」を読む

第63回 東西の活版印刷事情

筆者:
2012年6月22日

前回の段落にはもう少し続きがありました。西先生は、こんなふうに述べます。

此の發明漢に於ては宋の時代、本朝にては延喜の後ちなるへし。其發明以前は西洋にても寫本を以て通せしと云ふ。西洋にては第一に活字版を發明し、和漢は之に反せり。

(「百学連環」第22段落第6~8文)

 

訳します。

この発明は、漢では宋の時代〔960-1279年〕、我が国では延喜〔901-923年〕以後のものである。活字版が発明される以前は、西洋でも写本によっていたという。西洋では、まず活字版を発明したわけだが、和漢はそうではなかった。

活版印刷の歴史に触れたくだりです。西洋と中国、そして日本の場合を簡単に比較していますね。ここで、補助線として、石井研堂(1865-1943)による『明治事物起原』にある「印刷および各種版式」の項目を少し覗いてみようと思います。

『明治事物起原』は、明治文化のあらゆる側面について、その起源を探り記述するという壮大な試みで、ちくま学芸文庫版で全8巻におよぶ大冊です。どこを開いてもまことに興味の尽きないこの本の中でも、こと印刷についてはかなりの紙幅を割いて解説を加えていることから、研堂が重視していたことが窺えます。

「印刷および各種版式」というその項目は、「印書局」や「印刷局」といった明治政府が附設した部局のはじまりを説明した上で、まずはこんなふうに活版印刷の価値を称揚しています。

維新以来、もっともわが国の文化上殊勲ある者をあぐれば、活版印刷のごときは、まづその首位を占むべきこと、何人も異論なきところなるべし。人心の更新、実業、軍事、政法の勃興、ことに新聞紙の発達、すべてこれ活版印刷のお蔭を蒙らざるものなし。その偉力真に測るべからざるなり。

(『明治事物起原』第11編農工部、ちくま学芸文庫版、第6巻、p.49)

 

例えば、新政府では、つぎつぎと発する法令の類を、日本の津々浦々に通達するうえでも、活版印刷をおおいに活用したわけです。印刷物が身の回りに当たり前のようにあふれている現代の私たちからは、いささか想像しにくいところではありますが、研堂の力を込めた賞讃に、改めて注目したいと思います。

さて、上の引用箇所に継いで、研堂は活版印刷の歴史に触れています。西先生の議論と重なる部分でもあります。

本邦古来活版を使用せざるにあらず、支那宋朝の慶暦中(一〇四一年)に畢昇の発明せし膠泥活版、朝鮮の高麗末期(一三八七年)恭譲王以後の銅活字など、東洋系活版の影響を受けし木活字、銅活字等にて書籍を印行せしことは、徳川初期にもつとも盛んなり。されども、明治の文化を裨益せし活版は、これ等東洋系のものにあらずして、西洋系の活版なり。ゆゑに以下、ただこの西洋系の活版が今日の盛を致せる起原を探求すべし。

(前掲同書、pp.49-50)

 

この後ろでは、さらに切支丹版にも触れていますが、それは徳川幕府の禁教とともに途絶したため、今日(当時)の活版印刷への影響は小さいと顛末を記しています。

西先生が「漢に於ては宋の時代」と述べているのは、おそらく研堂がここで解説している畢昇を念頭に置いてのこと。いずれにしても、こうした経緯がありはしても、西洋から入ってきた活版印刷によってこそ、明治以後の出版が興隆したという次第です。

以下、もう少し印刷出版文化についての議論が続きます。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。