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談話研究室にようこそ 第31回 遠隔化がことばにもたらす影響

2012年 7月 5日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第31回 遠隔化がことばにもたらす影響

 食卓ではおいしいとしか言えないのに,エッセイやブログではおいしさの表現が豊かになる。前回,その理由をことばが発せられるコンテクスト(状況)の違いに求めました。食卓の会話は体験中の味覚に対して評価を伝え合うのに対し,エッセイは過去に経験した味覚を思い起こしながら目前にはいない読者に向けて書かれたものです。ことばを用いる環境が変われば,ことばのふるまいも変わるのです。ことばとコンテクストの関係についてもう少し考えてみましょう。

 食卓の会話とエッセイに見られる発話状況の違いは,ウォレス・チェイフが提唱した近接性(immediacy)と遠隔化(displacement)の区分(Chafe, W. Discourse, Consciousness, and Time. Univ. of Chicago Pr. 1994)と符合します。チェイフは,今ここにあることがらについて話すとき(近接的な状況)と,今ここにはないことがらについて語る場合(遠隔化された状況)とでは,精神のはたらきやことば遣いに質的な違いがあると主張します。

 チェイフの例を借りると,近接的な状況なら目前の花瓶にいけられた花に聞き手の注意を促すだけで,花の全体的な印象はもちろんのこと,花弁の微妙な色合いや質感について詳細にわたる情報を共有できます。他方,遠隔的な状況では同様の情報を聞き手に伝え切ることは不可能です。

 近接/遠隔の違いは,ことばの中にいろいろな形をとって現れます。たとえば,間投詞は原則として近接的な状況でしか発することができません。日本語の「い」落ちの形容詞も同様です。「痛っ」「熱っ」など,語尾の「い」が抜け落ちた表現は,今ここにある事物に対する反応を表します。実際,「この水,冷たっ」とは言えますが,「あの水,冷たっ」は不自然です(今野弘章「イ落ち」『言語研究』141号,2012年を参照)。

 遠隔化とことばの制約が結びつくこともあります。体験談の構造はその例です。

(47) またやっちゃったよー。お昼にインド料理の店に行ったんだけど,支払いするとき財布を見たら,なんにも入ってないの。銀行で下ろしてくるからって,店を出たんだけど,インド人の店長がすごい勢いで追いかけてくるわけ。お客さんのことよく知ってるから,次でいいですって。で,ランチ,ツケになっちゃった。
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 えーと,思わず,ごく最近の実体験を例にしてしまいました。

 過去の経験を語るとき,私たちは本題をいきなり切り出しはしません。「またやっちゃったよー」と話の要約(abstract)を提示して,この後発言権を独占していいか,前に同じ話をしていないか,などをチェックし,と同時にお話の到着点を定めます(「やっちゃった」内容が明かされたらその話はおしまいです)。そのうえで「お昼にインド料理料理の店に行ったんだけど」と出来事の状況設定(orientation)を行います(くわしくは拙著『語りのレトリック』の3章を参照)。

 こうした前置きは,遠隔化された出来事について聞き手とやり取りをスムーズに行うために必要です。つまり,遠隔化が体験談に一定の構造をもたらすのです。

 このように,近接的か遠隔的かという対立は,ことばのふるまいにさまざまな影響を与えています。食卓からエッセイへのおいしい表現の変化はその最たる例なのです。

 もっとも,食卓のことばとエッセイのことばの相違は,書きことばと話しことばの違いが生んだものと考えるのがふつうかもしれません。たしかに、書記言語と口頭言語という伝達メディアの違いも影響します。しかし,書きことばの効用は表現を練る時間的余裕の有無という一点にかかっています。しかも,筆談の際にいとまがないことを考えるなら,書きことばは書き手に表現推敲の余裕を与える直接の理由ではないのかもしれません。

 これに対し,食卓からの遠隔化は,味覚体験を共有しない聞き手を設定し,話し手自身をも味覚経験の生理的制約(第29回を参照)から解き放ちます。まず,聞き手が味覚体験の場から遠隔化されると,単においしいと言えばよいのではなく,どのようおいしいのかグルメレポーターのように説明する義務が話し手(書き手)の側に生まれます。そして,話し手自身もリアルタイムの味覚体験から切り離されると,ことばを失わせる体の制約から自由になり,しかも表現を練る時間的余裕も手に入ります。味覚表現が豊かになる直接の契機はやはり遠隔化にあるのです。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2012年 7月 5日