タイプライターに魅せられた男たち・第43回

オーガスト・ドボラック(9)

筆者:
2012年7月19日

『Machine Transcription ― Machine Operation』は、フェントンがディクタフォンの使用法を教授する映画です。続く『Machine Transcription ― Transcription Technique』では、実際にディクタフォンからの文字起こしをおこない、そのテクニック、特に一発起こしのテクニックを披露します。『Take a Letter, Please』では逆に、ディクタフォンに声を吹き込む際、注意すべき点を紹介しています。

ドボラックが制作した訓練用映画は、フィラデルフィアのド・フレーネス社(De Frenes & Company)が撮影・現像・編集をおこないました。リプリントは、ニューヨークのキャッスル・フィルムズ社(Castle Films)がおこない、そこから海軍の各基地に配給されると同時に、一般向けにも販売されました。けれども、映画のどこにも、ドボラック自身のクレジットは入っていませんでした。

ただしドボラックは、海軍でのドボラック式配列の使用を、あきらめたわけではありませんでした。アメリカ海軍予備隊では、1943~1944年にかけて、ドボラック式配列の優位性を確かめるべく、少なくとも4回の実験がおこなわれています。これらの実験によれば、ドボラック式配列はQWERTY配列に較べて、明らかに効率が良く、また、教育効果の高いキー配列だ、という結果でした。

さらにドボラックは、「もっと良いタイプライター・キーボードがある」(There Is a Better Typewriter Keyboard)という論文を、『National Business Education Quarterly』誌1943年12月号に発表しています。この論文は、ドボラック式配列の優位性をアピールする、ということ以上に、QWERTY配列への罵詈雑言に誌面の大半を割いています。海軍の訓練用映画で、QWERTY配列を使わざるを得なかったのが、よっぽど悔しかったのでしょうか。「もっと良いタイプライター・キーボードがある」から、少し引用してみましょう。

ショールズの最大の問題は、機械的なことだった。彼のタイプライターは動作が鈍かったので、連続して打たれる活字棒どうしが衝突しないよう、工夫する必要があった。彼は、単語中で一緒に使われる文字のうち、最も使用頻度の高い文字どうしが、円形にぶら下げられた活字棒の中で異なる四分円に入るよう、意図的に配置した。

またもや「異なる四分円に入るよう、意図的に配置した」という主張です。ただし、1942年の映画の字幕では、単に「使用頻度の高い文字」だったものが、この論文では「連続して打たれる」「最も使用頻度の高い文字」と、より具体化されていました。しかしながら、その論拠は、この論文のどこにも示されていなかったのです。QWERTY配列より「もっと良いタイプライター・キーボードがある」というドボラックの主張もむなしく、アメリカ海軍はドボラック式配列を採用しませんでした。

オーガスト・ドボラック(10)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。