漢字の現在

第204回 大隈重信と漢字

筆者:
2012年7月20日

早稲田大学創設者にちなんで、大隈記念館へ向かう。古い物から新しい物まで展示されていた。ガイドして下さったのは館長さんだったそうだ。展示の説明に、「円」という貨幣の単位を決めた大隈侯とあった。円いコインを造るために輸入した機械が残っていたから、それを使って貨幣を安く作るために「○」の形を取り入れたのだという。西郷や岩倉らに難しいことを言ってもしょうがないので、議会では細かいことを言わずに、「お金のことを示すのに指で円くするから」と説得したとのことだ。とても興味が惹かれるところなので出典を尋ねると、明治の本にあるとのことだが、『円を創った男 大隈重信』という小説の名前を出してくださった。

円・隈

帰京後に読んでみたところ、そこではまた少し違ったストーリー展開がなされていた。実際には香港で先に「圓」という単位があったことなども、お話しくださった。大隈の「円」や「銭」(セン)の逸話については、早大の広報ビデオ、テレビ番組でも取り上げられていたが、一次資料が何なのか気に掛かっている。

「隈板内閣」には「ワイハン」の読みが示されている。今では一般に音読みは厳しそうだ。日本史受験者はともかく、「隈」はそもそも関東では他にあまり出てこない字で、すでに触れたとおり早大生も書き間違える者が案外いる(「大熊」も出てきた)。

県立図書館にも寄らせてもらっていた。今回は、案内をしてくれる方がいらして、効率よく移動でき、とても助かる。展示品の雛人形は趣がある。江戸時代の雛人形は大火で焼けてしまったそうだが、別の地で見た江戸時代の雛人形は、頭が大きく、恐かった記憶がある。

近代のそれは洗練されて上品、佐賀の人の顔立ちと少し似るところがありそうだ。松雪泰子さんも佐賀とのこと。小作りな方が目立ち、芸能人が多く輩出される福岡の隣に位置する県だったことを再認識する。話すことばのアクセントも、福岡の大半は東京に近い型を持っていて、ドラマなどでも即戦力となりえた。

地名について詳しい先生がおいでで、お話をうかがえた。九州、沖縄にとくに多い「原」を「ハル・バル」と読むことについて、朝鮮語「ポル」との関連を説かれる。下関を超えていくと「ハラ」となるのは、この母音が同化した結果とのことだった。田原坂(たばるざか)、東国原(ひがしこくばる)は有名だが、「笹原」も九州ではササバルとなる所がある。上代のp音、ワタノハラなどを絡めると、歴史的・文献的な証明は困難であっても、朝鮮半島に近い地だけに、ロマン溢れるお話に聞こえた。この地では、文書は公民館に置かれているが、文書館の設立と地方(じかた)文書の保存が、地元からの声により政治の力を得て、実現に向けて進んでいるそうだ。

先の「うつぼぎ」は、語源が難しいとのことだ。「おとなぶん」についても尋ねると、「中世語」で村役とのことで、新しい地名と言う。古代よりも明確で、事実関係も正確なものとなる。長崎ではこのオトナにあたる役職は、「乙名」とも書かれた。

鰡

「しくつえ」は、「鰡江」と書く、と気になっている地名も挙げて下さった。後から思えば、「咾分」(おとなぶん)と場所が近いためだろう。続けてうかがう。「しゅくち、朱口でボラだという」。海岸線だった地で、ボラが汽水に生息するとのこと、方言として記録にあるのか気になってくる。「鯔」(シ、ぼら)が日本で変形したもので、漢字と衝突を起こしたものだった。日本では、その旁が「留」の異体字「畄」と混淆し、「鰡」となった。中国でも「鰡」という字体は存在していたが、『康煕字典』などでは、旁の「留」の字体が微妙に変化している。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。