タイプライターに魅せられた男たち・第45回

オーガスト・ドボラック(11)

筆者:
2012年8月2日

1947年9月、ワシントン大学に戻ったドボラックは、『科学的タイプライティング』(Scientific Typewriting)の改稿をおこないます。『科学的タイプライティング』は、8年ほど前に、ドボラックとメリックとディーリーとフォードが出版した本で、『タイプライティング・ビヘイビア』のダイジェスト版といった趣のものでした。ところがドボラックは、『科学的タイプライティング』の改稿にあたり、標準キーボード版(Standard Keyboard Edition)、すなわちQWERTY配列版としたのです。QWERTY配列においても『科学的タイプライティング』は可能だ、という方向に、ドボラックは傾きつつあったのでしょうか。

『Journal of the Franklin Institute』誌1949年11月号には、ドボラック式配列に対する痛烈な批判論文が掲載されました。「The Minimotion Typewriter Keyboard」と題されたこの論文は、ベル・テレフォン社の技術者グリフィス(Roy Thurlby Griffith)が、タイプライター向けの新しいキー配列を提案したものでした。

グリフィスの「The Minimotion Typewriter Keyboard」

グリフィスの「The Minimotion Typewriter Keyboard」

このキー配列を設計するために、グリフィスは、およそ10万ワード51万文字分の英文用例を集め、それらをIBMの統計機にかけることで、各文字の出現頻度と、連続する2文字の出現頻度を算出しました。その結果は、ドボラックとディーリーが1932年に示したものとは、大きく異なっていました。グリフィスの出現頻度表では、「th」+「ht」が15952で、最も高い頻度となっていました。第2位が「er」+「re」の14603でした。以下、第3位が「he」+「eh」、第4位が「in」+「ni」、第5位が「an」+「na」、第6位が「it」+「ti」、第7位が「at」+「ta」、第8位が「en」+「ne」、第9位が「et」+「te」、第10位が「on」+「no」となっており、ドボラックらの出現頻度表とは異なる結果が示されたのです。

連続する2文字の出現頻度表(グリフィスによる)

連続する2文字の出現頻度表(グリフィスによる)

特に、「ou」+「uo」の出現頻度を、ドボラックらは第4位としていたのに対し、グリフィスは第27位と結論づけました。あるいは、「nd」+「dn」の出現頻度を、ドボラックらは第9位としていたのに対し、グリフィスは第19位と結論づけました。この結果、グリフィスが提案するキー配列は、ドボラック式配列とは全く異なるものになりました。たとえば、「A」は左手小指ではなく薬指に置くべきであり、「D」と「U」を「home row」から追い出して「R」と「L」を入れるべきだ、というのがグリフィスの提案だったのです。

もちろん、ドボラックらの出現頻度表と、グリフィスの出現頻度表では、元となった例文が違うのでしょうから、結果が違ってくるのは当然です。しかし、グリフィスの論文に対し、ドボラックは反論をおこないませんでした。したくても、できなかったのです。ドボラックとディーリーが1932年に示した出現頻度表は、実は、彼ら自身の仕事ではなかったのです。ドボラックらの出現頻度表は、ロウ(Clyde Eugene Rowe)という人物の修士論文「Importance of Two-, Three-, Four- and Five-Letter Combinations on the Basis of Frequency in a Word List」(ピッツバーグ大学、1930年)から拝借してきたものでした。ロウの修士研究において、例文が適切に選ばれたのか、ドボラックには知る由もなかったのです。

オーガスト・ドボラック(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。