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漢字の現在:札幌の「幌」の音読み

2012年 8月 14日 火曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第211回 札幌の「幌」の音読み

 当然のことだが、札幌市内では、「幌」という字がよく目に入る。先般の常用漢字表改正の議論では、地名の漢字も入れた方がよい、それに当たっては都道府県名だけでは不十分で、県庁・道庁所在地や市町村名までは入れるべきだといった議論もあった。そうすると、けっこう見慣れない字も含まれ、さらに、常用漢字表改定を思わぬタイミングで再発させるきっかけともなりそうだ。

 「幌加内」など、アイヌ語に対する当て字として、道内では他の地名にも見受けられる。「内幌」(ないほろ)のようにかつては樺太でも使われていた。本州でも東北では、中世・近世の武具「ほろ」の熟字訓「母衣」や合字「袰」を用いた地名が散見されるが、語としては同源と考えられている。岩手出身の学生は、「袰岩」という固有名詞を知っているといい、その字が全国的なものだと思っていたという。

 なお、この現代における明白な地域文字の「袰」は、実は九州にも分布している。そこではイヤ・ヤンなどと読み、「胞衣」(えな、これにも合字「褜」がある)の意だとすれば、「母衣」にも発想や語源、異表記に共通性が認められ、周圏分布を思わせる。

 「幌」は、道内の地名として顕著に高い使用頻度数をもち、地域文字とよべるくらいにもここでは一般化している。むろん、地名の認知度は全国的に高く、さらに「札幌ラーメン」のように、他の地にもこの地名が波及している。「幌馬車」は、昔の映画タイトルとして印象深いが、小田急線内の客車同士をつなぐところで、「幌」という小さめの字も見掛けはした。


こうさい

 「幌」の「ほろ」は訓読みだが、音読みは、パッと浮かぶだろうか。街中で、「幌西」と書かれた歯科やクリニックの看板を見つけた。「こうさい」と読み仮名が付されている。

 なんとなく載ってみた路線バスの車窓からは、札幌市立「幌西小学校」も見かけた。小学校でも、「幌」を、しかも音読みで用いていたのだ。むろん、「晃」や「光」から「コウ」という字音も類推可能だが、ふだん東京などでは音読みの存在など考えもしないため、学生たちに聞いても正解が出てきにくい。北海道を除けば、日常生活で字音が意識されることはまずなく、その意味からは、漢和辞典には載っていても地域音といえそうだ。北大の院生は、「幌北」で「こうほく」ということがあるという。札幌市北区の略としてこれも使われているようだ。「大きい」を意味するアイヌ語「ポロ」に近い訓読みの発音をもつ漢字がかつて当てられ、それが定着すると、漢字はいわゆる表意文字だけに、読みは二の次となり、その字が今度は便利なことに音読みされて、もとのアイヌ語の面影を失うのだ。

 「旭」という字も、この地ではよく見かける。人名としては「あきら」、しこ名としては「キョク」などの読みで全国で目にするものの、この辺りでは「旭ヶ丘」(旭丘)「旭川」「旭山動物園」など、確かに日々の接触頻度がより高そうだ。「あさひ」は常用漢字では「朝日」となる。


月決め 銭函で(クリックで全体表示)

 講義へ向かうバスの窓から、ちらっと一瞬、時計台が見えたが、そうした観光よりも文字の観察の方が面白くなってくる。東京では独占状態の「月極」だけではなく、平易で新しい「月決」「月決め」も、ここでは駐車場などの看板によく記されていた。

 北大の恵迪寮(けてきりょう)では、今でも「寮」を「(宀R)」と略すことがある、と男子受講生が話してくれた。「確認」を「(●(言K)●(言N))」、「層」を「(尸ソ)」と書くことも残っているとのことだ。今でも会議のレジュメで、そうした昭和らしい字体がこの地では受け継がれているという。層雲峡にも現れる「層」はほかの地でもまだ見受けられるが、「寮」は時間が止まっているかの錯覚を覚えた。

 おそらく筆記経済の追及や物理的制約に端を発したこうした略字は、次第に学生運動の中で思想性を強めていき、再び筆記経済のために使われ、そして習慣化し、連帯感の強化にもつながっていることだろう。古いものは周辺に残る、という現象の一つと見ることもできよう。なお、地方では「金鳥」「アース」などのブリキ看板の残存も顕著だ。古い字は辺境に残るという命題も成り立つことがあるという事実は、学生時代に、則天文字が武后の没後に中国では詔勅によって使用が禁止された一方で、周辺の漢字圏で使用が続いた点で示そうとしたことがあった。学生運動の頃の位相文字が別の集団内の位相文字に移り、さらに地域文字化していたのだ。北海道教育大学の寮で過ごしたロシア人留学生も、そこでも「(宀R)」が使われていたことを話してくれた。


新千歳空港 ほっけ
(クリックで全体表示)

 北大生は、かつて「(魚+底)」で「すけそうだら(すけとうだら)」と読ませる字を造った、と古い新聞に記されていた。「底」としたのは、海の深いところに暮らすためで、かつ「すけ」と「そこ」とで子音が揃っているためだったのだろうか。さらに、「(魚+低-イ)」でタラを表す漢字があったことを踏まえたという可能性も考えられる。「鱈」は造られて数百年を経ていた国字だが、「介党鱈」「助惣鱈」などでは他の魚名とのバランスが良くなく、頻用にも耐えなかったのだろう。美々という地に建つ新千歳空港では、土産物店で「(魚+花)」(ほっけ)が、この国字とともに売られていた。花のようで、法華(法花)という連想による字だろう。今では、辞書にも載り、各地でときどき使われるようになったものだが、必要性が高い土地には、こういう地域性を伴った文字が息づいている。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は札幌の「札」の異体字でした。

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2012年 8月 14日