日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第15回 役割語としての接続詞について

筆者:
2012年8月19日

調子に乗って接続詞も観察してみる。というのは,主節末尾や従属節末尾と同様,接続詞の中にも「だから」「だが」のように,コピュラ(いまの例なら「だ」)を含むものがあるからである。

もっとも,前々回述べたように,このような観察はコピュラの現れる文法的環境が似通っていなければ意味がない。そしてまた,同じコピュラといっても,主節末尾や従属節末尾のコピュラと接続詞内のコピュラでは,文法的環境に違いがないわけではない。たとえば「向こうは雪だが私は安心だ」のように,従属節末尾(「雪だが」)や主節末尾(「安心だ」)のコピュラ(「だ」)は名詞性の述語(「雪」「安心」)に続く(第13回)。他方,たとえば「向こうは雪が降っている。だが私は安心している」のように,接続詞(「だが」)のコピュラ(「だ」)は文頭にあり,名詞性の述語どころか,どのようなことばにも続いていない。ただ,先行する言語文脈(「向こうは雪が降っている」)を受けるだけである。

しかし,「名詞性の述語に続く」「先行する言語文脈を受ける」という文法的環境の違いは,考えようによってはそう大きなものではない。というのは,名詞性の述語(「雪」「安心」)とは結局のところモノ(雪や安心)を表すわけだし,また,先行する言語文脈も,しばしばモノ扱いされるからである。たとえば「向こうは雪が降っている。こいつはもう計画に折り込み済みだ」において,第1文「向こうは雪が降っている」を受けている第2文冒頭の代名詞「こいつ」は,モノを指すことばである。

ということで接続詞にも目を向けてみると,たしかにここにも発話キャラクタによってコピュラにバラエティがある。『上品』な話し手が「向こうは雪が降っています。ですから天候が変わるのを待ちましょう」と言ったり,『老人』が「向こうは雪が降っとる。じゃが,わしは行くぞ」と言ったりというように,接続詞(「だから」「だが」)のコピュラ(「だ」)が発話キャラクタによって変わる(「です」「じゃ」)ということが観察される。

だが,バラエティは決して豊富とは言えない。接続詞「だから」「だが」の代わりに『奥様』や『イヤミ』が「ざますから」「ざますけど」で文を始めることはないし,『コロ助』が「なりから」「なりが」で文を始めることもない。実際の関西人は接続詞「だけど」の代わりに「やけど」と言うことがあるが,「やけど」が共通語の世界における『関西人』キャラの役割語としてどの程度認知されているかは疑問である。「せやけど」(「そうだけど」)という,純粋の接続詞というよりは従属節にやや近いものの方が遥かにメジャーだろう。「だけど」を『田舎者』が「だけんど」と言い,『子供』が「ど」をことさら高く「だけどぉ」と言うとといった,発音面でのバラエティは接続詞にも多少あり,その一部は『幼児』が「ですから」を「でちゅから」と言うようにコピュラにも関わるが,接続詞はコピュラのバラエティが従属節末より乏しく,したがって主節末よりずっと乏しい。ここにも,前々回述べた「主節らしさ」の差を見てとることができる。接続詞は節ですらなく,接続詞の主節らしさは従属節の主節らしさよりもさらに乏しいということである。

接続詞におけるコピュラのバラエティを敢えてさらに求めるとすれば,「いや確かにそれは道理でござる。でござるが,ここはひとつ,お家のため,お収めいただきたい」と『侍』キャラが言う時の,第2文冒頭の「でござるが」のようなものに思いあたるかもしれない。しかしこれは,直前文「~道理でござる」の末尾「でござる」を繰り返した言い方,つまり直前文からつながった,「~道理でござるが」という従属節に近い言い方であって,純粋な接続詞ではない。より『一般人』らしく言うなら,「いや確かにそれは道理でございます」に続けるのは,「でございますが」だけでなく「ございますが」でもよいところで,コピュラ含みの接続詞の典型から,かなり離れていることがわかるだろう。「接続詞はコピュラのバラエティが乏しい」つまり「コピュラに関して言えば,接続詞は役割語としての色彩が薄い」という大勢に変わりはないが,さまざまな発話キャラクタの役割語を観察してみることは,このように,接続詞と従属節末尾の連続性をとらえる上でも有益である。

いや,役割語としての色彩濃厚な接続詞がひとつあった。次の(1)に挙げるのは,NHK放送文化研究所のサイト『ことばウラ・オモテ』に掲載されている文章である。

(1)  最近,20歳前後の人たちと,話をしたり,書いたものを見たりしていると,いくつかの点に気づきました。
[中略]
接続詞で気になるのは,「なので」を文頭接続詞として使う例が多く見られます。「私はファストフード店でアルバイトをしています。なので,人と話すのは平気です。」「私は小さいころから走るのが速かったです。なので,陸上部に入りました。」
などという使い方です。
[中略]
平成14年以降の辞書には接続詞として認めるものが出てきたようです。
 接続詞としての使い方に抵抗を示す人は,「若者の頭のレベルを知る,あるいは,ことばづかいをはかるバロメーターとして使っている」という人もいます。

[「最近の若い人のことば」(2009年2月1日)柴田実,
//www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/099.html, 最終確認日:2012年8月5日.]

私の感覚では,第2文の「接続詞で気になるのは~例が多く見られます」や,最終文の「~人は,…人もいます」のような呼応くずれも大いに気になるところだが,ここで指摘されている「なので」という接続詞も確かに気になる。これまでは「向こうは雪なので天候が変わるのを待ちましょう」のように,もっぱら従属節の末尾で名詞性の述語(「雪」)に続いていた「なので」が,先行する言語文脈を受ける接続詞にもなりつつあるわけで,「名詞性の述語に続く」と「先行する言語文脈を受ける」の近さを感じさせてくれる例とは言えるが,『おやじ』の私にはどうもしっくり来ない。それで話し手の頭のレベルがわかるとは思えないし,何十歳代以下などと年齢を特定することもできないだろうが,接続詞「なので」は『若者』キャラ特有の,濃い役割語とは言えそうだ。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。