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談話研究室にようこそ 第43回 小説の味覚表現(その2)

2012年 12月 20日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第43回 小説の味覚表現(その2)

 小説の味覚表現は饒舌であっても,グルメ漫画のような不自然さや過剰感を感じさせません。その理由を探るのが今回と次回の課題です。

 でもその前に,もう一つだけ小説の味覚表現の例を見ておきます。味覚表現の虚構性を考えるうえでヒントになるからです。次の一節は,50年寝かせてあったジンを友人たちとともに試した経緯を記しています。

(68) グラスについでみると,無色透明な蒸留酒のはずなのにリキュールのような艶と肌理(きめ)の液がトクトクとでてきた。一滴,二滴,おそるおそる舌にのせてみると杜松(ねず)の気高い爽涼の香りが口いっぱいにひろがって鼻へぬける。滴は磨きぬかれてこまやかでまろいが,水そっくりの温厚さをたたえている。咽喉へ送ってみると,羽毛で撫でたほどの痕も感じさせずにひっそり消えていく。いつも茶碗で引っ掛けるジンは咽喉,食道,胃,腸とヤキヤキした熱をどこまでもつたえていき,小さな火が走るようなのだが,この滴とくらべてみると,薬用アルコールでのばした松脂(まつやに)といいたかった。その滴は訴えたり,叫びたてたり,足踏みしたりに夢中なのだが,この滴は自身であることに花のように満足して静謐(せいひつ)であった。透明の中に深奥があり,しかも優しいのである。
「………」
「……?」
「……!」

(開高健「黄昏の力」)

 この一節には対立を明示する接続表現が多用されています:「蒸留酒のはずなのに」「こまやかでまろいが」「火が走るようなのだが」そして「夢中なのだが」。ジンに対する一般的な予想と,それををはるかに超えた50年物の年輪を対照させるのに,このような形式は都合がいいのでしょう。

 もっとも,「滴は磨きぬかれてこまやかでまろいが,水そっくりの温厚さをたたえてる」とある部分は,内容的に順接(「こまやかでまろく」)で結んでもいいところです。ですが,「が」でつなぐほうが,対立的に提示するという全体の基調に即しています。

 そして,最後に「いつも茶碗で引っ掛けるジン」を引き合いに出して,「自身であることに花のように満足して静謐(せいひつ)」な滴の穏やかな美しさと優しさを強調します。

 「磨きぬかれてこまやかでまろい」「羽毛で撫でたほどの痕も感じさせずにひっそり消えていく」そして「自身であることに花のように満足して静謐(せいひつ)であった」というように,食卓では想像もつかない表現が展開されますが,グルメ漫画のせりふに感じられた不自然さは一見したところありません。

 これまでに挙げたチョコレート,アンディーブ,ジンの三例に共通するのは,登場人物の内面的な感覚経験を克明に記しているという点です。登場人物の心理に分け入ることで,味覚の表現は自由を得たのです。

 一方で,理詰めで考えると合点のいかないことも出てきます。たとえば,開高の「黄昏の力」では,「………」や「……?」という無言の発話が提示されています。これは,あまりの味わいにことばが失われた状態にあることを示しています。しかし,あれほど明確な感想を思い浮かべながら,いざ発話してみる段になってことばが失われてしまうでしょうか。

 そう言えば,前回アンディーブで登場したお絹も,「淡い苦味が二日月の影のようにほのかにとどま」るのを察しつつも,「口惜しいけれど、おいしいわよ」としか言えません。

 ことばを失うという反応やおいしいとしか言えない状態は,おいしさの情動が強いために,意識的な表現努力が用をなさないことを示しています。第29回で確認したように,言語機能を司る新皮質に情報がじゅうぶんに送られないため,おいしさを分析的に言語化することが困難になったというわけです。

 しかし,50年寝かせてあったジンをなめてみて,「この滴は自身であることに花のように満足して静謐であった」と感得できるのであれば,飲んですぐにそのように語ることができないでしょうか。少なくとも,無言で終わらずに何かコメントを残せはしませんか。

 細かな理屈を述べ立てれば,小説の内面描写に見られる味覚表現の背後にも,不自然さが影を落としています。小説に現れる味覚の内面描写も,グルメ漫画のせりふと同様に,本来はありえないことばなのです。

 ありえないはずなのに,不自然さからは免れている。そこがグルメ漫画と異なる点です。グルメ漫画には認められなかった表現機構が,小説の味覚表現にはたらいてはいないでしょうか。

 残念ながら紙数が尽きたようです。この続きは年が明けてからになります。3日はお休みをいただいて,おそらく10日。

 皆さま,よいお年を。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2012年 12月 20日