「百学連環」を読む

第89回 帰納法を人の肴を食うに譬える

筆者:
2012年12月28日

前回まで、演繹法とはどのような考え方かということが説明されました。続いて今度はいよいよ帰納法に話が移ります。

さて induction 卽ち歸納の法は、演繹の法に反して是を人の肴を食ふに譬ふ。人の肴を食するや其美なる所を少シツヽ食ひ、終に肴の食すへき所を食ひ盡すなり。かくの如く、眞理を其小なる所より悉く事に就て、外より内に集るなり。

(「百學連環」第39段落第1文~3文)

 

訳してみます。

さて、帰納法(induction)は、演繹法とは反対に、人が肴を食べることに譬えてみよう。人が肴を食べる場合、おいしいところを少しずつ食べてゆき、最後には食べられるところを食べ尽くす。このように、真理について小さなところから始めて、その全てについて事にあたって、外から内に集めるのである。

ご覧のように、今度は「帰納法」が論じられます。「演繹法」も、猫がネズミを食べる方法という、私たちから見るとユニークな譬えが使われていました。今度は猫ではなく、人がものを食べる順序が例に挙げられています。つまり、猫は重要なところから食べるのに対して、人はあちこちおいしいところをつまみ食いして、最後にすっかりたいらげるというわけです。

私は、ここから「かくの如く……」といって、話を「真理」のほうへとつなげる西先生の豪腕に、思わず「先生、どんな如くでありますか!」とツッコミを入れつつ、笑ってしまいました。が、落ち着いて考えると、「帰納法」という耳慣れなかったであろう概念を、こんなふうにして具体的なイメージと結びつけて説明する工夫とその配慮に感銘を受けもしたのでした。

それはさておき、こうして具体的なイメージを見せた上で、西先生は、帰納法を改めて抽象的なレヴェルで説明し直しています。演繹法では、まず勘所(原理)を押さえて、そこからいろいろな場合を引き出したのに対して、帰納法では小さなところから着手して、あれこれいろいろと見ながら、真理のほうへと迫ってゆくという見立てですね。

続けて、こんなふうに講義は進みます。

此の歸納の法を知るには only truth なる眞理無二と云ふことを知らさるへからす。凡そ宇宙間道理に二ツあることなし。是に外なるものは卽ち僞りなるものなり。譬へは彼處に三人の人のあり、一羽の烏あるを見て一人リは之を鷺なりと云ひ、一人リは之を鷹なりと云ひ、一人リは之を烏なりと云ふか如く、烏を烏と云ふは卽ち眞理にして、其他の鷺なり鷹なりと云ふは皆僞りなるなり。烏は何方にありて幾百萬ありても烏は烏、鷺は鷺、鷹は鷹なり。火は何處にありても熱きもの、水は何處にありても冷なるものなり。是卽ち眞理無二なる所にして、其眞理を歸納の法にて寄せ集め、火の熱きは火の眞理、冷なるは水の眞理と類に依て知らさるへからす。

(「百學連環」第39段落第4文~10文)

 

なおも帰納法の説明が続きます。現代語にしてみます。

この帰納法を理解するには、「真理はただ一つ(only truth)」ということを知る必要がある。およそ宇宙における道理に二つはない。これに該当しないものは偽りのものだ。例えば、あちらに三人の人がいるとしよう。一羽のカラスがいるのを見て、一人は「あれはサギだ」と言い、もう一人は「あれはタカだよ」と言い、一人は「いや、カラスだろう」と言う。こんな具合に、カラスをカラスと言うのが真理であって、それ以外の「サギだ」とか「タカだ」というのは、どれも偽りなのである。カラスはどこにいようが、何百万羽いようがカラスはカラスであって、サギはサギであり、タカはタカである。火はどこにあっても熱いものであり、水はどこにあっても冷たいものだ。要するに、これが「真理はただ一つ」ということである。その真理を、帰納法によって寄せ集めて、火が熱いのは火の真理、水が冷たいのは水の真理という具合に、同種の事物によってわかるはずなのである。

ここで「真理」について一言挟まれています。なぜ真理かといえば、第83回の「新致知学――真理を探究する方法」でも触れたように、そもそもここで論理学(演繹法、帰納法)が俎上に載せられているのは、帰納法こそが新しい真理を見いだす方法だと考えられているからでした。

上の西先生の説明に少し言葉を補って言えば、ある事柄について真理(本当のこと)は一つだけであって、複数の真理があったりはしないものだ、と主張しているくだりです。厳密に検討すると、ここにはいろいろと考える余地があるかもしれませんが、まずは大まかに「真理」という考え方を説明しているのだと受け取ってよいでしょう。

その上で、例によって西先生は具体例を出していますね。この例には、特に分かりづらいところはないと思います。カラスはカラスであって、同時に他の鳥であることはないという次第。ついでのことながら、ここで登場している「烏(カラス)」は、ジョン・スチュアート・ミルの『論理学体系』でも、「もし色が白いという以外の点では、黒いカラスと変わりのない鳥が観察されたら、それはカラスと言うべきか否か」という具合に例として用いられている鳥でした。

カラスの例に次いで、火や水の性質の例が引き合いに出されて、最後に帰納法とは、同種の事物を集めてみて、そこから真理を見いだす方法であることが述べられています。帰納法に関する説明はさらに続きます。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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